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Sa. 25. Mär. 2017

そのとき時代が変わった - 敗戦からベルリンの崩壊まで

緑の党が初めて州に入閣 Eintritt der Grünen in die Hessische Landesregierung

1985年12月12日
1985年10月、ヘッセン州のSPD(社会民主党)政権が全国で初めて緑の党との連立を決意。12月12日、同党のヨシュカ・フィッシャーはジーンズとスニーカー姿で環境・エネルギー相に就任した。

ヘッセン州の苦悩

まず、ここに至ったヘッセン州の特殊な事情を説明しておきたい。当連載の第27回で、連邦における1982年10月1日のシュミットからコールへの政権交代には、小党FDP(自由民主党)の役割が欠かせなかったと書いたが、覚えておられるだろうか。連立の相手をCDU(キリスト教民主同盟)へと鞍替えしたFDPは、あのときSPDから裏切り者と呼ばれ、有権者からしっぺ返しを受けた。同時期にヘッセン州で行われた州議会選挙で、議席配分に必要な得票条件の5%を下回ってしまったのだ。

その結果、ヘッセン州議会にはCDU、SPD、緑の党が入ったが、どの党も過半数には達せず、単独では安定政権を樹立できない。しかし、CDUとSPDに大連立への意向は全くなく、かといって全国組織になったばかりの緑の党と組むなどもってのほか。伝統の2大政党から見ると、この頃の緑の人々は「長髪、無精ひげ、セーター姿で愛と平和を唱えるヒッピー」か「68年反体制闘争の残党」。彼らに現実の政治ができるとはとても思えなかったのだ。

これでは膠着状態である。結局、76年から州を率いてきたホルガー・ベルナー州首相(SPD)が暫定内閣を組み、1年後の83年9月24日にやり直し選挙が行われた。結果はSPD46.2%、CDU39.4%、FDPが返り咲いて7.6%、緑の党5.9%。またも過半数を超えた政党はなく、8カ月が経過しても連立交渉はまとまらない。

緑の党の躍進、フィッシャーの入閣

そこで1984年7月、ヘッセン州SPDは、あれほど嫌っていた緑の党の支持を頼りに単独で第3次ベルナー内閣を発足させ、ついに85年10月、同党に行政の1部門を任せる内閣改造を決意。ヨシュカ・フィッシャー(当時37歳)を環境・エネルギー相に起用するのである。

1998年、シュレーダー率いるSPD・緑の党の連立政権が誕生
1998年、シュレーダー率いるSPD・緑の党の連立政権が誕生、
フィッシャー(中央)は外相に就任した。
左はシュレーダー、右はラフォンテーヌ
©ROBERTO PFEIL/AP/Press Association Images

フィッシャーは現在政界から引退しているが、連邦のシュレーダーSPD・緑の党連立政権(1998~2005)で外相を務めた人物なので、ご存知の方は多いだろう。党首以上の影響力を持つオーバーボスと呼ばれ、挑発的な言動ゆえに良くも悪くもメディアの寵児であった。

ギムナジウムを中退し、過激派に加わって警察に石を投げていた経歴を持つ。しかしRAF(ドイツ赤軍)によるテロが連鎖した77年秋に革命幻想から覚め、フランクフルト大学で社会学を聴講、82年10月にヘッセンの緑の党に入党した。

この頃の緑の党は、草創期からの自然保護派が離脱し、反核、人権、消費者保護などもテーマにするオールラウンドな党への拡大過程にあり、現実の政治に目覚めた非常に雄弁なフィッシャーは、その舞台でめきめきと頭角を現すことになった。

コール内閣に対する信任案の否決から実行された連邦の解散総選挙で、緑の党の候補者リストの3番目に入り、初の緑の連邦議員28人のうちの1人になったのは83年3月。入党からわずか5カ月後である。そして党のローテーション原則から議席をほかの党員に譲った85年、地元ヘッセン州から声が掛かる。かつて水や原発などの環境問題には興味がないと言っていた彼が、皮肉にも環境・エネルギー相として、党初の入閣を果たしたのだ。

スニーカーで就任宣誓

1985年12月12日。ヴィースバーデンのヘッセン州議会で就任宣誓を行う日の朝、フィッシャーは用意したイタリア製のスポーティ・ジャケット、オータムカラーのワイシャツ、新しいジーンズ、真っ白なナイキのスニーカーを身に着け、当時の妻から「シキミキ(Schickimicki)だこと」とからかわれたという。確かに彼はプライドが高く、ブランド物に敏感で注目されることを好む。このスタイルで権威になびかない姿勢を誇示すると同時に、緑の党が大臣になるという前例のない宣誓シーンを効果的に演出できることを知っていたはずだ。

当時、ヘッセン州CDU幹事長だったマンフレート・カンター(後に連邦内相)は、このシーンを「デモの元プロ、元家屋占拠者、元国家反逆者が州大臣ヨーゼフ・フィッシャーになった」と描写している。フィッシャー本人は、「かつての不発革命のヒーロー、今は小さなヘッセン州の、珍しい鳥を保護する環境相。しかし政治の表舞台に立ったことは68年世代にとって慰めだ」と、彼独特のスタイルでコメントした。

シュピーゲル誌によると、「プロジェクト・フィッシャーはこうしてスタートした」。それが成功したことは言うまでもない。彼はこの後、絶大な影響力を持つ緑のスター政治家となり、キャリア街道を突き進んでいくのである。

19 November 2010 Nr. 843

 
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高橋容子 ドイツニュースダイジェスト創刊時からの常連ライター。日本で文芸映像翻訳を手がけ、渡欧。英・独・豪と移り、現在はスペインのバスク州暮らし。 www.geocities.jp/takahashi_mormann
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