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ロンドンのゲストハウス
Sa. 29. Feb. 2020

そのとき時代が変わった1945年敗戦から1989年ベルリンの壁崩壊まで

高橋容子 ドイツニュースダイジェスト創刊時からの常連ライター。日本で文芸映像翻訳を手がけ、渡欧。英・独・豪と移り、現在はスペインのバスク州暮らし。

軍縮、始まる Abrüstung im Warschauer Pakt

1987年5月29日
東ベルリンで1987年5月29日に始まったワルシャワ条約機構の首脳会議。加盟国の代表たちは、ソ連のゴルバチョフ書記長が求める世直し改革(ペレストロイカ)を冷たく退け、軍縮案でのみ合意した。

ワルシャワ条約機構の大会議

東ベルリンには100社を越える西側のメディアが集まってきていた。3日にわたる大会議である。ホストを務める東ドイツのエーリッヒ・ホーネッカーSED(ドイツ社会主義統一党)書記長は、満面の笑みで各国の代表を迎え、“社会主義者の兄弟のキス”を交わした。社会共産圏の結束を示す一大ショーでもあるのだ。

ワルシャワ条約機構は冷戦の終焉とともに解散されたので、ご存じない方のために少し説明しておこう。これは西側の軍事同盟NATO(北大西洋条約機構)に対抗するため、ソ連とアルバニア、チェコスロバキア、東ドイツ、ハンガリー、ブルガリア、ポーランド、ルーマニアが1955年に結成した同盟で、加盟各国の防衛、統一軍事、外交、相互理解など、政策全般にわたって協議する重要な決定機関であった。

当時の状況は、盟主であるソ連に85年からミハイル・ゴルバチョフ書記長が登場し、政治経済改革、情報公開、スターリン批判の再開など、広範なペレストロイカ政策を始めたところ。しかし、加盟各国の代表にとってその話題は好ましくないものだった。

ペレストロイカへの冷ややかな視線

そのことは、会議に先立って加盟各国をまわってきたソ連ゴルバチョフ書記長にはっきりと示されたらしい。ハンガリー社会主義労働者党のトップに30年以上君臨する75歳のカーダール・ヤーノシュは、条件付きで賛同しつつ、同国では20年前から改革を試みていると反論。後の革命で処刑されることになるルーマニアの独裁者、ニコラエ・チャウシェスクにしてみれば、ペレストロイカなどは迷惑千万な話だった。

1987年12月8日、ワシントンのホワイトハウスで中距離核戦力全廃条約に調印する米国のレーガン大統領(右から2人目)とソ連のゴルバチョフ書記長(右から3人目)
1987年12月8日、ワシントンのホワイトハウスで
中距離核戦力全廃条約に調印する米国のレーガン大統領
(右から2人目)とソ連のゴルバチョフ書記長(右から3人目)
©BARRY THUMMA/AP/Press Association Images

そして東ドイツのホーネッカー書記長は、会議に先立ってゴルバチョフ書記長の一行をメッセ見学へと案内する。そこには東ドイツが誇る工作機械や32ビットプロセッサのコンピューターなど、最新鋭の技術が展示されていた。つまりホーネッカーはソ連に対し、我が国は社会主義国として発展している、ペレストロイカが必要なのはお宅であって我が国ではないと、言外に匂わせたのだ。

核の抑止力による勢力均衡

結局この会議で彼らが合意に至れそうな案件は、軍事問題しかなかったことになる。

冷戦期、米ソは互いに核武装することで力の均衡を図ってきたわけだが、双方で“均衡”の解釈が違うため、核の抑止力に頼っている限り核兵器が増えることになる。例えば、ソ連が新型の中距離弾道ミサイルSS-20をウラル以西に設置した1979年。ヨーロッパの核はこれで均衡したと主張するソ連に、米国とNATOは青ざめてこう言った。

「SS-20を撤去しないなら、当方も中距離弾道弾パーシング2を配備する」「全廃するなら、当方も撤去する」。軍拡には軍拡で対抗しつつ、軍縮(互いにゼロにするオプション)も提案したというわけだ。しかし、81年に始まった交渉は難航し、米国はパーシング2を西ヨーロッパに配置。ソ連はその対抗措置として東ドイツとチェコスロバキアにSS-20を前進配備してしまった。

レーガン外交——軍縮への転換

このような状況でソ連を軍縮へと向わせたのが、ソ連を「悪の帝王」と名指した米国レーガン大統領の「力による平和外交」だったことは興味深い。実のところ、ソ連の国家財政は軍拡競争とアフガニスタン侵攻によって破たん寸前にあり、国を再建したいゴルバチョフ書記長がワルシャワ条約機構の加盟各国から軍縮への支持を取り付けることは、米国と交渉を再開する上で必要なプロセスだったのだ。

東ドイツとチェコスロバキアが賛成したことは言うまでもない。ホーネッカーは以前からSS-20を「悪魔の用具」と公言してはばからなかったのだ。ほかの代表たちにもワルシャワ条約機構を「防衛のみの軍事同盟」と定義して軍縮することに異存はなかった。

ニュースが世界に発信された。西ドイツのコール首相は「ゼロオプションに期待する」と発言。東ベルリンの壁近くでは若者たちがゴルバチョフの名を連呼する。ワシントンで行われた米ソ首脳会談で歴史的な中距離核戦力全廃条約が結ばれたのは、同年12月8日。こうして東西の冷戦は終焉へと動き始めた。世直し案にそっぽを向いた東ドイツと東欧の権力者たちが追われるのは、間もなくである。

18 Februar 2011 Nr. 855

 

高橋容子 ドイツニュースダイジェスト創刊時からの常連ライター。日本で文芸映像翻訳を手がけ、渡欧。英・独・豪と移り、現在はスペインのバスク州暮らし。 www.geocities.jp/takahashi_mormann
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