Hanacell

水晶の夜から50年 フィリップ・イェニンガー連邦議会議長の演説 Rede von Philipp Jenninger zum 50. Jahrestag der Novemberpogrome 1938

1988年11月10日
1938年11月9日夜から10日未明にかけて、ドイツ各地で発生したユダヤ人商店・シナゴーグ襲撃。砕け散ったガラスから「水晶の夜=クリスタル・ナハト」と呼ばれる。その50周年に当たる88年11月10日、連邦議会で行われたフィリップ・イェニンガー議長(キリスト教民主同盟= CDU)の追悼演説に、議員たちはヒステリックな拒否反応を起こした。

「暴力の継承者」が行った演説

イェニンガー議長が演説をドイツ・ユダヤ人中央評議会のガリンスキー議長に頼まず、自ら行うことにしたのは、「犠牲者ではなく暴力の継承者が語るべき」と考えたからだった。

「皆さん、私たちは今、我々ドイツ人が起こした犯罪を検証し、追悼し、現在と未来への教えを得るためここに集まっています」と彼は始めた。以下にポイントを要約する。

「ドイツ国民は反ユダヤ主義に無抵抗であり、襲撃事件に加わった者は少ない反面、批判も起こりませんでした。(…)1933年から38年という時代は、ヒトラーの政治的勝利が歴史に類を見ないという点で目を奪います。(…)ワイマール体制を外交的屈辱と感じていたドイツ人にとっては、すべてが奇蹟のようでした」

「当時の世論はユダヤ人について、“今まで思い上がっていた” “制限を設けて当然”と考え、1938年11月のような酷い事態には他人事を決め込んだのです(…)」

「多くのドイツ人が国家社会主義に幻惑されました。無関心によってナチスの犯罪を許しました。自らも犯罪者となりました。その責任については、それぞれが答えなければなりません。しかし歴史を捻じ曲げ、事実を隠蔽する行為には一緒に反駁すべきです」

一斉拒否―欠けていたレトリック

イェニンガー議長はユダヤ人虐殺の目撃証言を詳しく引用し、何千という死体を見ても臆さないよう親衛隊員を激励したヒムラー警察長官の言葉を使った。

演説が始まってすぐに緑の党の議員のほとんどが退席。社会民主党(SPD)の議員で最後まで残ったのは半数ほどだった。CDUと自由民主党(FDP)の議員たちは呆然とうつむき、演説を終えたイェニンガー議長はたった1人で議場を後にする。彼が連邦議会議長を辞任したのは翌日だった。

さて、読者の皆さんはどう思われただろう。翌日の新聞が大見出しにした「反ユダヤ主義」や「ヒトラー崇拝」を演説から感じただろうか。歴史書のような印象はあるが、過去の暗部を正確に語り、その罪に言及したものと言えないだろうか。

ではなぜ、議員とメディアは拒否反応を起こしたのか。多くの議員がイェニンガー議長のトーンにいらだったと語っている。一度も「悲しみ」という言葉を使わなかったとの指摘もある。レトリックの失敗だったというのだ。

確かにイェニンガーの語りには修辞が不足していた。ワルシャワのゲットー記念碑前にひざまずいて詫びたブラント首相や、1985年5月8日の敗戦40年周年に「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となります」と訓示した ヴァイツゼッカー大統領の、劇的あるいは高尚な表現術を彼は持ち合わせなかったのだ。しかしそれだけで議員の過剰な拒否反応は説明できない。

バーシェル事件を扱った本
1984年から88年まで連邦議会議長を務めた
フィリップ・イェニンガー

「我々が犯した罪」という捉え方

日本人は一般的に、西ドイツを過去の検証と克服の手本と考える。確かに西ドイツの政治家は「ナチスの犯罪」について言葉を尽くして謝罪し、あちこちに記念碑を建ててきた。様々な追悼行事も欠かさない。そこにあるのは過去を刻印することに熱心な傍観者の視点だ。

ところがイェニンガーは「我々ドイツ人が犯した罪」を語り、傷口をまた開けてしまった。そのために議員たちは罪悪感を呼び起こされる可能性に気付き、拒否という防衛のスイッチを入れたのではなかろうか。

しかし面白いことに、スキャンダルの風向きはすぐさま一転する。「不快な内容なので耳をふさいだのか」などの批判が国民から起こり、外国からは「これほど勇気あるナチス分析をドイツの政治家から聞いたことがない」との賞賛も上がった。

皮肉な方法でイェニンガー支持を表明したのはユダヤ人中央評議会のイグナツ・ブービス新議長だ。ブービス氏は1年後の、偶然にもベルリンの壁が開いたその翌日という水晶の夜51周年で、演説の中にイェニンガーの表現をいくつか黙って使い、満場の拍手を浴びた。拒否する聴衆は1人もいなかった。

当事件は、表現技術によって受け手の理解が大きく変わること、そしてドイツ指導層に集団ヒステリー的傾向があることを示した。イェニンガーの原稿は現在、修辞学の教材としてよく使われている。

27 Mai 2011 Nr. 869

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 18:03  
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