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Fr. 19. Okt. 2018

そのとき時代が変わった - 敗戦からベルリンの崩壊まで

東ドイツ建国40周年とゴルバチョフ Michail Gorbatschow zum 40. Jahrestag der DDR-Staatsgründung

1989年10月7日
1989年10月7日は東ドイツの建国40周年記念日。式典に招かれたソビエト連邦最高指導者のゴルバチョフ共産党書記長は、何度も同じ意味合いのメッセージを発信した。

ソ連のペレストロイカ(世直し)とグラスノスチ(情報公開)を契機に東欧諸国で民主革命が進行していたこの時期、東ドイツでは、地方選挙での独裁政党SED(ドイツ社会主義統一党)による集計ごまかしをきっかけに市民が抗議行動を起こし、一方で毎日2000人を超える若い就労世代がハンガリーやチェコスロヴァキアを通じて西ドイツへと大量流出(第37回参照)する、逃散革命とも呼べる事態になっていた。

建国40周年を祝える状況とは、とても言いがたい。しかし、1971年以来SEDの頂点に立つエーリッヒ・ホーネッカー書記長には、現実が見えていないようだった。東ドイツ訪問でゴルバチョフはどんなメッセージを発するのか。各国の報道陣が東ベルリンの要所に陣取り、彼の発言を固唾を呑んで待ち構えていた。

世界が待ち望んだ明快なメッセージ

ゴルバチョフは1989年10月5日に東ベルリンのシェーネフェルト空港に降り立ち、翌6日にウンター・デン・リンデン大通りにあるノイエ・ヴァッヘ、ファシズムと軍国主義の犠牲者のための追悼所(当時)に献花。7日の建国記念式典ではホーネッカー書記長と並んで軍事パレードを陪観した後、午後に首脳会談を行い、夜の晩餐会で献杯のグラスを上げる。

メディアに突然、「Those who are late, will be punished by life itself / Wer zu spät kommt, den bestraft das Leben」というゴルバチョフの言葉が現れたのはその日の夜。公共放送ARDのニュースでは、ノイエ・ヴァッヘでの献花後に自ら西の記者団に近付いてきて話すゴルバチョフと、軍事パレードに並んで儀礼する両書記長の姿にかぶってこのメッセージが流れ、晩餐会会場近くで「ゴルビー!」とファンコールを叫ぶデモ隊のカットが入った。

ホーネッカーとゴルバチョフ
東ドイツ建国40周年式典で語らうホーネッカー(右)とゴルバチョフ
©Elke Bruhn-Hoffmann/AP/Press Association Images

「遅れて来る者は人生によって罰せられます」。これこそ、世界が待ち望むメッセージだった。間接法ばかりの外交世界にあって明快な直説法。ホーネッカーに向けたとはっきり分かる爆弾発言。西のテレビからこれを聞いた東ドイツ国民は、民主化運動にソ連軍は介入しないというシグナルを読み、勇気を得る。メッセージの効果は絶大だった。

世直しの必要性を訴え続けたゴルバチョフ

ところが興味深いことに、この歴史的な名言はどのドキュメントでも言葉通りには出てこないのである。ゴルバチョフは到着したシェーネフェルト飛行場で、さらにノイエ・ヴァッヘでも待ち受ける報道陣に自ら近付いて世直しの必要性を語ったが、そのときのドイツ語訳は「Ich glaube, Gefahren warten nur auf jene, die nicht auf das Leben reagieren(人生に反応しない者には困難が待ち受けています)」。

意味するところは似ていても表現が違う。4年後に出たゴルバチョフの回想録によると、彼は7日午後のホーネッカーとの首脳会談で「(ソ連にも同様の問題はあり……チャンスを逃さないことが大事です)。遅れると人生が我々をすぐさま罰します」と言って辞任を勧め、それをドイツ語の通訳者は一言一句違わずに、「Wenn wir zurückbleiben, bestraft uns das Leben sofort」と訳したそうだ。

名文句の作者は広報官

これで内容は一致したが、まだ句が違う。ではいつ誰があの、まるでキャッチフレーズのような名文句を作り、メディアに伝えたのだろうか。

両首脳が会談を終え、晩餐会を控えた夜6時。ソ連外務省のゲンナジ・ゲラシモフ広報官が非公式記者会見を開き、ソ連最高責任者の見解を伝えた。このときに初めて「Those who are late, will be punished by life itself」という英語フレーズが使われ、米国のAP通信が6時半に、ドイツのDPA通信がその3分後にこのメッセージを配信。「Wer zu spät kommt, den bestraft das Leben」とドイツ語に訳したのはDPAの記者だった。

名文句のコピーライターはこのゲラシモフだったのである。彼は、東欧各国の自主路線を容認するゴルバチョフの新外交に、フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」にちなんでシナトラ・ドクトリンと名付けた人でもあり、外交におけるPR効果をよく知る人だった。

こうして世界は一夜にしてゴルバチョフの意図を知り、後ろ盾を失ったホーネッカーは10日後に議長を解任される。しかし、民衆の抗議を前にしては、焼け石に水でしかなかった。

19 August 2011 Nr. 881

 
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高橋容子 ドイツニュースダイジェスト創刊時からの常連ライター。日本で文芸映像翻訳を手がけ、渡欧。英・独・豪と移り、現在はスペインのバスク州暮らし。 www.geocities.jp/takahashi_mormann
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