ドイツワイン・ナビゲーター


ワイン史とビール史の接点を探して 1

前3回の番外編フランスワインを除き、8回にわたりドイツワインの歴史をご紹介してきましたが、調べながら気が付いたのは、ワインの歴史とビールの歴史がそれぞれ別々に扱われていることでした。しかし、ドイツではワインとビールは手を取り合うようにして発展してきたはず。飲み手も古来から双方を味わってきたはずです。そこで、あまり一緒に書かれることのない2つの歴史を、今回から2回にわたって少しだけ寄り添わせてみたいと思います。

ビール造りもワイン同様、古代メソポタミア地域で始まり、その後エジプト、そしてローマ帝国へとその手法が伝わったと言われています。当時のビールは、穀物のデンプンから作られるパン種(サワードウ)と水で造られていました。ローマ人は、この飲み物を穀物の女神ケーレス(Ceres)にあやかって、セルヴィジアと名付けました。歴代のローマ皇帝には、 例えばユリアヌス帝のようにワインを好んだ皇帝もいれば、続くヴァレンス帝のようなビール派もいました。

ゲルマン系の民族におけるビール造りの起源は、はっきりとは分かっていません。しかし、紀元98年に書かれたタキトウスの「ゲルマニア」23章の冒頭には「飲料には、大麦または小麦より醸つく造られ、いくらか葡萄酒に似て品位の下がる液がある(泉井久之助訳、岩波文庫より)」とあり、当時すでにビールが常飲されていたことが分かっています。

また、カール大帝(742 ~ 814年)はワイン史のみならずビール史においても重要な人物で、各宮廷にビール醸造所を造らせ、大量生産を行い、販売ま で手掛けていたそうです。そして、この頃から各地の修道院でもビールが造られるようになりました。

アーヘン公会議は、817年に修道士と修道女のワインとビールの摂取量について詳しく取り決めています。それによると、ぶどう畑を所有する修道院ではワインを、所有しない修道院ではビールを飲むよう決められていました。つまり、ぶどうの栽培に適した土地ではワインが、そうでない土地ではビールが造られ、飲まれていたと考えて良いでしょう。ただ、修道士には特権があり、ぶどう畑を持たない修道院においても、彼らだけには少量のワインを飲むことが認められていたそうです。

興味深いのは、ドイツの修道院におけるビールの醸造が主に修道女の仕事だったことです。また、知の宝庫であった修道院では、過去の文献を読むことができる修道者らによってビール造りの研究が進みました。当時のビールはあらゆる種類の穀物から造られ、風味付けにもさまざまなハーブやスパイスが使われていましたが、やがてそれがホップに代わっていきます。ベネディクト会の修道女ヒルデガルド・フォン・ビンゲン(1098 ~ 1179年)は、ビールにおけるホップの効能についての著書も遺しています。また、時代は飛びますが、マルティン・ルターの妻カタリーナ・フォン・ボラ(1499 ~ 1552年)は元修道女であり、畜産業のほかにビールの醸造も仕事としていました。

中世初期、宮廷や修道院などで組織的にビールが醸造されるようになる以前から、すでに個人宅ではビール醸造が行われていました。中世の庶民の食生活の基本はパンとビール。それを造っていたのは家庭の主婦たちだったのです。ところが、家庭でのビール造りがたびたび火災を引き起こしたため、木造住宅内での醸造が禁じられた都市もあり、庶民は共同パン焼き場と同様に石造りの共同醸造所を建ててビールを造るようになりました。

Weingut Dr. Siemens ドクター・ジーメンス醸造所
(モーゼル地方)

ドクター・ジーメンス醸造所
写真:©Weingut Dr. Siemens

モーゼル川の支流、ザール川沿いのゼリッヒにある家族経営の醸造所。2006年にオーナーとなったヨッヘン&カレン・ジーメンス夫妻が、19世紀末にプロイセン公国の農業庁が興し、60年代後半以降はルーヴァーの醸造家ベルト・ジモンが運営していた伝統ある醸造所を蘇らせた。ヨッヘン・ジーメンスは、長年フランクフルター・ルントシャウ紙の記者として活躍、編集長を務めた後、ワイン専門誌の編集長を経てフリーのワインジャーナリストとなるが、2006年以降は醸造所の仕事に専念。12ヘクタールの所有畑では、リースリングを中心に少量のヴァイスブルグンダー、シュペートブルグンダーを栽培している。単独所有畑であるゼリッヒのヘレンベルクとヴュルツベルクは共にザール特有の粘板岩、硬砂岩、斑岩が混在する急勾配の畑。ヘレンベルクは青色粘板岩が主体、ヴュルツベルクは赤色粘板岩が主体で腐植土が豊か。夫妻はケラーマイスターのフランツ・レンツ氏と共に、この非常にポテンシャルの高い畑で収穫されるぶどうからエレガントさ溢れるワインを生み出している。

Weingut Dr. Siemens
Römerstr. 63, 54455 Serrig
Tel. 06581-9200992
www.dr-siemens.de


2009 Dr. Siemens Riesling Spätlese T Würtzberg/Herrenberg
ドクター・ジーメンス・リースリング・シュペート
レーゼ T ヴュルツベルク/ へレンベルク
各14 €

2009 Dr. Siemens

ヘレンベルク、ヴュルツベルク共に非常に清らかな味わいのリースリング。テロワール(土壌)の違いがそれぞれのワインにしっかりと表現されている。ヘレンベルクは軽やかで清楚。ヴュルツベルクは畑名の通りハーバル系、スパイシー系の香りと味に満ちている。いずれのリースリングにも深い森の中の湧き水のようなミネラリティーが感じられる。収穫はヘレンベルクが10月16日、ヴュルツベルクはその翌日。いずれも2009年の最後に収穫されたぶどうから造られている。残糖11g/ℓで発酵は自然に止まったが、味わいはバランスの良い辛口そのもの。法的には辛口は9g/ℓ以下なので、「辛口」と表記できないため、トロッケン、つまり辛口であることを示す〈T〉の文字を書き添えてある。醸造所最高級の辛口ワイン。
最終更新 Montag, 05 September 2011 18:21
 

スパークリング・ワインの聖地 シャンパーニュ

番外編 フランスワインフランスのワイン生産地の中で、最北に位置するシャンパーニュ地方。その中心となるマルヌ川が流れる谷には、シャンパーニュの主要生産地域であるモンターニュ・ド・ランス、ヴァレ・ド・ラ・マルヌ、コート・ド・ブランが寄り添っている。さらに南下するとコート・ド・セザンヌ、そして南東のはずれにはコート・ド・バールが横たわっている。総面積約3万4000ヘクタールのこの地域で、世界中の人々が求めて止まないスパークリング・ワイン、シャンパンが生産されている。

シャンパーニュ地方はドイツ同様、冷涼でぶどうが熟しにくい。しかし、通常のワイン用ぶどうよりも早めに収穫したベースワインを使うスパークリング・ワインには、このような気候は好都合でもある。土壌は主に中生代のチョーク(白亜)で構成されており、コート・ド・バールの一部にはキンメリッジと呼ばれるシャブリ地方と共通の、やはり中生代に形成された土壌が見られる。

モンターニュ・ド・ランスでは主にピノ・ノワールが、ヴァレ・ド・ラ・マルヌでは主にピノ・ムニエが、そしてコート・ド・ブランでは主にシャルドネが栽培されている。基本となるシャンパンは、通常この3品種のブレンド。加えて、複数のヴィンテージのベースワインがブレンドされ、ヴィンテージの良し悪しに左右されない一定品質のものが生産される。つまり、ベーシックなシャンパンは、ブレンドによって、醸造所、またはブランドの個性が表現される。

このほか、単独品種あるいは2品種のみで醸造するもの、特級畑、1級畑のぶどうのみから造られるもの、特定の単一畑から造られるものなどがある。シャンパーニュ地方の格付けは村単位で、現在、特級畑指定村が17、1級畑指定村が44ある。

シャンパーニュの生みの親と言われる修道僧ドン・ペリニョンは、ブラン・デ・ノワール(黒ぶどうから色素を抽出せずに醸造する白ワイン)を考案した人物であることが分かっている。泡立つワインは17世紀半ば、ワインを樽で買い付け、ボトリングしていた英国でそのからくりが発見され、フランスに伝わったという説が有力だ。

それまで、シャンパーニュ地方では赤のスティルワインが生産されていた。シャンパーニュ・メゾンの多くは18世紀半ばから19世紀末にかけて相次いで創業したのである。19世紀にはブルゴーニュの赤やソーテルヌにまで泡が込められたという。

ところで、シャンパン・メゾンの立ち上げには多くのドイツ人が関わっている。有名どころでは、クリュッグの創業者ヨハン=ヨゼフ・クリュッグ、ボランジェの創業者ヨゼフ=ヤコブ・ボランジェ、ドゥーツの創始者ヴィルヘルム・ドゥーツとペーター・ゲルダーマン、マムの礎を築いたペーター=アーノルド・マム、パイパー・エドシックの基礎を創ったフロレンツ=ルートヴィヒ・エドシックなどがいる。

そして21世紀のドイツには、シャンパンを志向し、シャンパーニュの品種でシャンパーニュ製法のゼクト造りに挑戦している造り手たちがいる。

シャンパンの醸造方法については、「醸造の手法 ゼクトの場合(2010年6月4日掲載 819号)」をご参照ください。

※ シャンパーニュに関する詳しい情報は、以下のオフィスおよびウェブサイトより収集できます。
Champagne Informationsbüro
Eugensplatz 1, 70184 Stuttgart
Tel: 0711-664759720
Fax: 0711-664759730
このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
www.champagne.de(日本語)

Champagne Dourdon-Vieillard (シャンパーニュ・ドルドン・ヴィエイヤール)

1. ドルドン・ヴィエイヤールの醸造家ファビエンヌさん /2. ルイユ村
1. ドルドン・ヴィエイヤールの醸造家ファビエンヌさん
2. ルイユ村

創業1812年、エペルネの西約10キロメートルのルイユ(Reuil)にある家族経営の醸造所。緩やかな斜面を成すヴァレ・ド・ラ・マルヌ(Vallée de la Marne)はピノ・ムニエの故郷だが、ドルドン・ヴィエイヤールの所有畑では、伝統的なシャンパンを構成するピノ・ノワール、ピノ・ムニエ、シャルドネの3品種が栽培されている。畑は主にチョーク質土壌。この土壌は熱と湿度を保ち、ぶどうに必要な栄養分をバランス良く供給してくれるという。醸造所のセラーもチョーク質土壌で構成され、年間を通して理想的な温度を保っている。代々守られて来たぶどうの樹齢は平均35年だ。

ドルドン・ヴィエイヤールは地域色を活かし、ピノ・ムニエに力を入れている。ピノ・ムニエの栽培面積は61%、ピノ・ノワールは26%、シャルドネは13%。女性醸造家ファビエンヌ・ドルドンは、「市場ではこれまでシャルドネが人気だったけれど、今ではピノ・ムニエも注目され始めている」と言う。彼女が生み出すシャンパンの魅力は、このピノ・ムニエを活かしたブレンドにある。3品種のブレンドによる伝統的シャンパンも、内訳はピノ・ムニエ50%、ピノ・ノワール42%、シャルドネ8%と、ピノ・ムニエが主体。ヴィエイユ・ヴィーニュ(Vieille Vigne=古木)はピノ・ムニエ75%、ピノ・ノワール25%のブレンドだ。シャルドネのみを使用したブラン・ドウ・ブランも生産しているが、生産量はごくわずか。「ブラン・ドウ・ブランが夏向きなら、ピノ・ムニエを主体にしたブレンドは冬向き」とファビエンヌ。確かに、シャルドネ主体のクールで硬質な味わいと違い、ピノ・ムニエ主体のシャンパンにはふくよかさと包み込まれるような暖かさを感じる。そういえば、ファビエンヌのシャンパンの泡はふんわりと優しく、余韻は長く、覆い包むような泡だ。

現在、父親のサポートを得てシャンパン造りに取り組むファビエンヌは、栽培・醸造のほか、マーケティングにも力を入れている。「私の代になっても、父から学んだシャンパン造りの基本は変わらない。変わったのは、海外への輸出を考え始めたこと」という。ファビエンヌとは、ハンブルクで開催された「ヴィニュロンのシャンパン(Les Champagnes de vignerons)」、すなわち自社畑栽培のぶどうだけで生産している醸造所、ルコルタン・マニピュラン(RM)を中心とするグループ(協同組合なども含む)のプレゼンテーションで知り合った。この日は彼女の醸造所のように、真珠のきらめきを持つ未知のシャンパン・メゾンをいくつも発見することができた。

Champagne Dourdon-Vieillard
8, rue des Vignes, 51480 Reuil
Tel: +33-(0)3-26580638
www.champagne-dourdon-vieillard.fr

最終更新 Montag, 05 September 2011 18:21
 

ドイツの造り手が指標とするブルゴーニュのワイン

番外編 フランスワインドイツの赤ワインの造り手には、ブルゴーニュ地方の赤ワイン造りから学ぼうとしている人が多い。それは、ドイツとブルゴーニュで同じ赤ワイン品種、ピノ・ノワール(シュペートブルグンダー)が栽培されているからでもある。世界的名声を有するブルゴーニュの赤、厳密に言うとコート・ド・ニュイ地域の赤、それはドイツの造り手に限らず、世界各地のピノ・ノワールの造り手にとっての指標となっている。

コート・ド・ニュイは、ドイツのワイン産地と似た大陸性気候。ローヌ川の西に広がる中央高地にある程度守られ、年間降水量は比較的少ないものの、収穫期の天候が不安定だったり、晩霜や雹(ひょう)の被害があるなど、ワイン造りには様々な困難が伴う。このように自然に翻弄されながら、ブレンドを行わず、単一品種からなるワインを生産しているという共通点があるため、ドイツの造り手はますますブルゴーニュに注目するのだろう。

ブルゴーニュにおけるワイン造りは、ローマ帝国の支配下、現地のケルト族によって始められたとされる。その後、ワイン造りは主に修道院の事業となる。13世紀頃までブルゴーニュワインは白ワインが主流で、現在も北のシャブリ地域のほか、コート・ド・ボーヌ地域からマコネ地域にかけては主に白ワイン(シャルドネ種)が生産されている。ピノ・ノワールが登場したのは4世紀頃という説があるが、文献に初めて登場するのは1370年。ドイツのラインガウ 地方では、13世紀にシュペートブルグンダーが栽培され始めたという記録がある。

ブルゴーニュ地方のぶどう栽培面積は、ボジョレーを除いて約26.000ヘクタールで、ドイツのラインヘッセン地方の栽培面積に相当する。大雑把に分けると、ピノ・ノワールの栽培に向いている石灰岩と泥灰岩(マール)の混在土壌と、シャルドネに適したチョーク質土壌を含む粘土質土壌の2つのタイプがある。

ブルゴーニュの赤ワインの醸造には、今日なお伝統製法が活きている。厳選されたぶどうを除梗(じょこう)して果皮と接触させながら発酵を行って、圧搾したのち、フレンチオーク樽で熟成させるという一連のプロセスにおいて、多くの造り手が手作業を惜しまない。工程の機械化も手作業の延長線上にある。ワインはすべて辛口仕立てで、品質の違いは主に畑と収穫量の違いである。最高品質を誇るグラン・クリュ(特級)やプルミエクリュ(1級)の畑は、標高約250 ~ 300メートル辺りの斜面に広がっている。この程度の標高になると、土壌に占める岩石の割合が高く、水はけが良くなるため、肥沃な低地のようにぶどうの根が甘やかされることがない。

ドイツ人は、ピノ・ノワールのことを「赤いリースリング」と言う。ピノ・ノワールという品種はリースリングと似て、テロワール(土壌)ごとに異なる表情を見せ、その表情は無限だ。だからこそ、この品種は造り手の挑戦欲を駆り立てるのかもしれない。リースリングとの共通点は、まだほかにもある。それは、いずれもエレガントさや軽やかさを持ち、飲み手に活力を与えてくれるワインということだ。

※ブルゴーニュワインに関する詳しい情報は、以下のオフィスに問い合わせるか、ウェブサイトをご参照ください。
Bureau Interprofessionnel des Vins de Bourgogne
12 boulevard Bretonnière BP 150
21204 Beaune Cedex, France
このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
www.bourgogne-wines.jp(日本語)

Domaine Georges Mugneret-Gibourg (ジョルジ・ミュネレ=ジブール醸造所)

ワイン ミシェルさんとロレットさん夫婦
左がマリ・アンドレさん、右が姉のマリ・クリスティンさん

世界中のワイン愛好家の巡礼地、ヴォーヌ=ロマネ村にあるロマネ・コンティの畑の程近くに、ドメーヌ・ジョルジ・ミュネレ=ジブールがある。ここでワイン造りに取り組んでいるのは、マリ・アンドレ(Marie-Andrée)とマリ・クリスティン(Marie-Christine)の姉妹。2人は1980年代後半に若くして亡くなった父親の後を継ぎ、醸造家となった。マリ・クリスティンは薬学を専攻したが、彼女の研究テーマはワインを医薬品として分析するというもの。マリ・アンドレはディジョンで醸造学を修めた。

所有畑はブルゴーニュのあちこちの村に分散している。グラン・クリュはルショット・シャンベルタン、クロ・ヴージョ、エシェゾーに、プルミエ・クリュはシャンボール・ミュジニーの「レ・フスロット」、ニュイ・サン・ジョルジュの「ル・シェニョ」、「ル・ヴィニェ・ロンド」にある。

ブルゴーニュでも、女性が醸造家として活躍するようになったのは最近のこと。その先駆者に、マダム・ルロワ(ラルー・ビーズ・ルロワ)とアンヌ・グロがいる。「ブルゴーニュは男社会だったけれど、今ではエチケットに夫婦の名前が並記されるようになった。でも、女性は体力的には男性に適わない。醸造工程が機械化されていない昔だったら、絶対に無理だったわ。その点、私たちの時代はとても恵まれている」とマリ・アンドレ。 しかし、女性は家事を避けて通れない。マリ・アンドレは、6時には仕事を終えて母親になる。それが可能なのは、メタイアージュ(分役耕作)というシステムのおかげだと言う。メタイアージュとは、例えば畑仕事をほかの醸造所に依頼し、収穫の半分を報酬として分与するという制度だ。

祖父や父から多くを学んだというマリ・アンドレ。「特に父からはテロワールを大切にすること、きちんと働くこと、そしてワインが人間関係の潤滑油でなければならないということを教えてもらった」と言う。彼女たちが造るワインには、飲み手の心を和ませる誠実な味わいがある。

ワイン ミシェルさんとロレットさん夫婦
彼女たちのワインセラー

Domaine Georges Mugneret-Gibourg
5, rue des communes
21700 Vosne-Romanée
Tel. +33-(0)3-80610157
www.mugneret-gibourg.com

最終更新 Montag, 05 September 2011 18:21
 

ドイツに一番近いフランス、アルザスのワイン

番外編 フランスワインバーデン地方、ラールという街のシュッターリンデンベルクに登ったことがある。ぶどう畑に彩られた小高い山の頂からは、ライン川の向こうのストラスブールの大聖堂の塔を臨むことができる。ドイツ最南端のワイン生産地バーデン地方の大部分と、フランスのワイン生産地アルザス地方は、お互いに手が届き合いそうなほど近い。

この2つのワイン生産地方は、ライン川を挟んで平行線を描いている。アルザス地方の背後にはヴォージュ山脈が連なり、西風によって運ばれる雨雲を遮っている。そのためアルザス地方は、フランスで最も雨量の少ない地方の1つであり、バーデン地方もその恩恵を受けて、とても天気が良い。

アルザス地方は近代、ドイツとフランスの狭間で翻弄され、ワイン生産地として発展するチャンスを幾度も奪われた。17世紀以降のアルザスは安価なブレンドワインの生産地、1870年にドイツ帝国領となった直後にはフィロキセラなどの病害に襲われ、畑は壊滅した。その後栽培されたのはヨーロッパ品種とアメリカ品種のハイブリッド種で、今日、特級畑が連なる斜面は長い間放置されたままだった。第1次大戦後にフランス領となってから、ようやく特級畑でもぶどうの栽培が再開され始めたが、第2次大戦時は再びドイツ領に。アルザス地方がアイデンティティーを確立し始めたのは、戦後にフランス領となってからのこと。アルザスで特級畑(グラン・クリュ)の制定が行われたのは、1983年だった。

アルザス地方のぶどう畑は全長100km、幅3kmの細長いリボン状で、アルザスワイン街道が畑の間を縫うように通り、51の特級畑が海抜175~420メートルの斜面に広がる。畑には、花崗岩、片麻岩、石灰岩、砂岩、スレート、粘土、陶土が混在し、多彩で可能性に満ちた土壌を織りなしている。

同地方のぶどう畑の面積はおよそ1万5000ヘクタールで、バーデン地方とほぼ同じ。栽培品種は白品種が85%を占め、リースリングやピノ・グリ、ゲヴュルツトラミーナ、ムスカテラ(以上4種は、グラン・クリュ認可品種)、 ピノ・ブラン、シルヴァーナ種などが栽培されている。一方、赤はピノ・ノワール種だけ。品種構成はドイツと非常に似ており、エティケットにはドイツワイン同様、品種名が表記されている。ドイツとの類似点はほかにもあり、ヴァンダンジュ・タルディヴ(Vendanges Tardives)と呼ばれる、ドイツのシュペートレーゼからアウスレーゼに相当するワインや、セレクション・ドゥ・グラン・ノーブル(Sélection de Grains Nobles) と呼ばれる、ドイツのアウスレーゼからベーレンア ウスレーゼに相当するワインも生産されている。いずれのデザートワイン(甘口ワイン)も、果汁の糖度や収穫時期などが細かく定められている。

普段、私はドイツワインに接する機会が多いが、アルザスのワインを味わうときは、フランスへの旅の出発点に立つような感覚にとらわれる。アルザスワインは、ドイツワインからフランスワインの世界へと旅に出ようとするあなたの架け橋となってくれることだろう。

※アルザスワインに関する詳しい情報は、以下のオフィスおよびウェブサイトより収集できます。
Conseil Interprofessionnel des Vins d'Alsace
12 avenue de la Foire-Aux-Vins BP 11217
68012 Colmar Cedex France
Tel. +33-(0)3-89201620 / Fax +33-(0)3-89201630
www.VinsAlsace.com

Domaine Paul Ginglinger (ポール・ジャングランジェ醸造所)

ぶどう畑の風景

コルマーの南に位置するエーギスハイムは、アルザスワインの発祥地と言われている。街からヴォージュの頂を臨むと、ル・トロワ・シャトー(Les Trois Châteaux)と呼ばれる3つの城の塔が見える。いずれも11~13世紀頃の城の廃墟だ。3つの塔のモチーフは、ジャングランジェ醸造所のワインのシンボルマークとなっている。

旧市街の片隅にあるジャングランジェ醸造所は創業1636年。現在、醸造所を率いてワイン造りに取り組むのは13代目のミシェル。ランス大学醸造科とディジョン大学で学び、フランス国内ではシャンパーニュとブルゴーニュの醸造所で、海外では南アフリカとチリの醸造所でワイン造りを行った経験を持つ。

ミシェルはクレマン(シャンパーニュ製法のスパークリングワイン)からデザートワインに至るまで、あらゆるタイプのワインを生産しているが、中でも2つのグラン・クリュ畑「プフェルジッヒベルク」と「アイヒベルク」から造られるリースリングやゲヴュルツトラミーナは傑出している。石灰岩土壌である「プフェルジッヒベルク」のリースリングは黄桃を連想させる、 果実味あふれるエレガントな仕上がり。石灰岩のほかに粘土や砂岩が混じる「アイヒベルク」のリースリングは、オレンジの皮のコンフィ(砂糖漬け)が香る重厚で力強いワインだ。「僕のワインは酸味という背骨がしっかりしているから、残糖も酸味とのバランスが良く、甘さを感じることはないはず」と、ミシェルは言う。

世界各地でワイン造りを行った経験を活かしながら、現在ミシェルはできる限りナチュラルなワイン造りに挑戦しようとしている。多くを語らない彼だが、澄みきった大空を感じさせるワインのピュアな味わいからは、彼のワインの方向性がしっかりと感じられる。

ワイン ミシェルさんとロレットさん夫婦
1. エーギスハイムの3つの塔が見えるぶどう畑の風景
2. ミシェルさんのワイン
3. ミシェルさんとチリ出身のロレットさん夫妻。夫婦でワイン造りに挑む

Domaine Paul Ginglinger
8, place Charles de Gaulle 68420 Eguisheim
Tel. +33-(0)3-89414425
www.paul-ginglinger.fr(近日完成予定)

最終更新 Freitag, 02 September 2011 12:43
 

ドイツワインの歴史を少しだけ: 戦後から現代へ

2つの世界大戦によってドイツのワイン産業は大きな痛手を受けましたが、1950~80年代にかけて復興期、発展期を迎え、90年代にはぶどう畑の総面積も、再び20世紀初頭並みの10万ヘクタールに回復しました。

発展理由の1つは収穫量の増加です。20世紀初頭の収穫量は1ヘクタール当たり20ヘクトリットル程度で、これが当時の平均収穫量でした。それが50年代には40ヘクトリットルに倍増、80年代に入ると100ヘクトリットルを超え始め、収穫量の多いクローンがどんどん作付けされました。当時はとにかく量産することが重視されたのです。

50年代には畑の区画整理も始まり、ぶどう畑の構造改革が起こりました。畑作業の合理化に従ってテラス式の畑をならし、トラクターが入りやすい道路が作られ、非常に細かく区分されていた単一畑がすっきりとまとめられ、71年には新たな畑のリストが出来上がりました。小さな畑がまとまったことで、 同種のワインが一定量を確保できるようになり、ワインの平均的な品質が向上しました。しかし区画整理によって古木が大量に植え替えられてしまったため、90年代前半には樹齢20年以上のぶどうの栽培面積が18%にまで落ち込みました。

また、ドイツワインの多くは80年代頃まで甘口が主流で、一時はソフトドリンク感覚で楽しめる「リープフラウミルヒ」がドイツの輸出ワインの60%を占めていました。しかし90年代以降、甘口ワインの生産は減り、かつてのリープフラウミルヒは各地域のクヴァリテーツヴァインとして輸出されるようになりました。

90年代といえば、気候の変化も手伝ってシャルドネやソーヴィニヨン・ブラン、ヴィオニエ、メルロ、シラー、カベルネ・ソーヴィニヨンなどのフランス品種が、一部の醸造所で試験的に栽培され始めた時期です。そして、ちょうどこの頃から戦後の大量生産、画一化、合理化といった動きをすべて逆戻しにする潮流が生まれてきました。例えば、今日では高品質のワインを生産するため、造り手は収穫量を厳しく制限しています。また、ひとまとめにされてしまった単一畑を個々の醸造所が再び土壌の性質に従って自主的に区分し、異なるワインとして醸造するという動きも見られます。名前が失われてしまった過去の単一畑を復活させようとしているのです。

80年代から本格的に始まったビオワイン生産も、現在注目を浴びているビオディナミ農法も、新時代の潮流です。造り手たちは産業化、工業化時代以前の伝統的でナチュラルなワイン造りに新しい形でアプローチしようとしているのです。

目下熱いテーマとなっているのが畑の格付けです。ラインガウ地方では、99年のヴィンテージからエアステス・ゲヴェックスの格付けがスタートしましたが、これはガイゼンハイムの研究所や気象庁が長年共同で行ってきた調査を基本としています。このほか、VDP(ドイツ・プレディカーツワイン生産者協会)がドイツ全土の会員醸造所の畑の格付けを行っています。また、2012年からは、原産地呼称制度も導入されています。

Weingut Spreitzer シュプライツァー醸造所 (ラインガウ地方)

シュプライツァー醸造所
写真: ©Weingut Spreitzer

ラインガウ地方のエストリッヒで、17世紀半ばからワイン造りに携わっているという伝統ある家族経営の醸造所。ぶどう畑は全部で17ヘクタールで、うち栽培品種はリースリングが97%を占めている。1997年からはアンドレアス・シュプライツァー、ベルント・シュプライツァー兄弟による共同経営。18世紀半ばに造られたセラーには、ワインの発酵、熟成にとって理想的な環境が整っている。シュプライツァー兄弟のワイン造りのキーワードは「自然に近いワイン」。プレディカーツワインはすべて手摘みで、理想的に熟したぶどうは破砕せずに圧搾しているという。その後、しっかりと清澄された果汁は木樽あるいはステンレスタンク内で発酵に導かれ、輝きのある味わいを醸し出している。

Weingut Spreitzer
Rheingaustraße 86, 65375 Oestrich
Tel. 06723-2625
www.weingut-spreitzer.de


2009 Oestricher Lenchen "Rosengarten" Erstes Gewächs
2009年産リースリング
エストリッヒャー・レンヒェン エアステス・ゲヴェックス(辛口)

19.50€

2008 IDIG シュプライツァー醸造所が所有する特級畑(ラインガウ地方ではエアステス・ゲヴェックスと呼ばれる)の1つ、レンヒェンのリースリング。 レンヒェンはレス土、粘土、マール(泥灰岩)が混在している土壌で、 かつてはアイザーベルク、ヘレ、ローゼンガルテンなど、いくつもの小さな畑に区分されていたという。このエアステス・ゲヴェックスは、かつてローゼンガルテンという名前だった、部分的に石壁で囲まれた畑のぶどうから造られている。ただ、エティケット(ラベル)にはまだローゼンガルテンと表記することができない。瑞々しいリンゴの香りとすっきりした味わいが魅力的。ハーバル系のエッセンスが香ばしいハッテンハイマー・ヴィッセルブルンネンのリースリングもお勧めだ。

 

最終更新 Donnerstag, 08 Oktober 2015 15:46
 

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