独断時評


ドイツ経済を揺さぶる自動車カルテル疑惑

オラフ・ライズ氏
記者達にカルテル疑惑について話す
ニーダーザクセン州の経済、労働、交通大臣の
オラフ・ライズ氏

「フォルクスワーゲン(VW)、ダイムラー、BMW、ポルシェ、アウディが20年以上にわたってカルテルを形成し、自動車部品や下請け業者について談合していた――」7月末にニュース週刊誌「シュピーゲル」が掲載したスクープ記事は、ドイツの経済界、政界だけでなく世界中の消費者をも驚かせた。

5年間に1000回もの会合

このカルテル疑惑は、2015年に発覚したVWの排ガス不正事件とも関連があり、今後の展開によっては、第二次世界大戦後のドイツで最大の経済スキャンダルに発展する可能性もある。

シュピーゲルの報道によると、5社は1990年代から約200人のエンジニアらを、約60の作業部会に参加させて、ディーゼルエンジンやガソリンエンジンに関する技術、カブリオレ(オープンカー)の屋根の強度、バイオ燃料などについて協議させ、製品に実用化される技術が横並びになるように、すり合わせを行っていた。「Fünfer Kreis(5社サークル)」と呼ばれる会議は頻繁に行われ、過去5年間だけで約1000回も開かれている。この作業部会がすべて違法カルテルかどうかについては、まだ結論は出ていない(7月26日現在)。各社のエンジニアが技術について意見交換をすることは、常に違法というわけではない。たとえば消費者の安全や技術の進歩について調整する「規格カルテル」は、違法ではない。仮に自動車メーカーが車の最高時速を200キロメートルに制限する技術について共同歩調を取るとしたら、事故防止という目的があるので、監督官庁は許可するだろう。

最も機微な「SCR部会」

だが、価格やマーケットシェア、コスト削減などに関する談合は、不当に競争を制限し、消費者に不利益を与えるとして、違法カルテルと見なされる。その意味で、5社サークルの協議内容の中には、違法すれすれの微妙なものがある。

欧州委員会のカルテル監視部門や、検察当局が最も関心を抱いているのが、5社による「SCR戦略サークル」だ。この協議内容は、VWによる排ガス不正と重なる部分があるからだ。SCRとは尿素水を使って、ディーゼルエンジンから出る有害な窒素酸化物の排出量を減らす技術のことを指す。だがSCRを採用すると、尿素水のタンクを車の中に搭載しなくてはならない。そうすると車中のスペースが減る上、重量も増える。さらに消費者が尿素水を補充しなくてはならないという手間もかかる。このため「SCR戦略サークル」は協議の結果、2008年9月に尿素水タンクを容量が8リットルという、比較的小さな容器に統一することを決めた。だが尿素水タンクが8リットルである場合、米国の厳しい窒素酸化物規制に合格することは不可能だ。このためVWは不正なソフトウエアの使用に踏み切った。このソフトウエアは、車が試験台の上にある時にはSCRを正常に作動させて、窒素酸化物の排出量を減らすが、路上を走る時にはSCRを作動させないので、環境基準を上回る窒素酸化物を排出する。

興味深いことに、不正ソフトを搭載した乗用車について、VWが初めてカリフォルニア州の監督官庁から認可を受けたのも、2008年である。シュピーゲル誌は、「VW排ガス不正の根源は、5社サークルのカルテルにある」と見ている。

「VWとダイムラーはカルテルを自供」?

つまり欧州委員会が「5社が示し合わせて尿素水タンクを小さくしたために、結果として排ガス不正につながり、消費者はメーカーの宣伝よりも質が悪く、価値が低い車を買わされた。これは競争を不当に制限する行為だ」と断定する可能性がある。

シュピーゲルは、「VWとダイムラーは、すでにカルテルの事実を監督官庁に告白している」としている。5社サークルのパワーポイントには、「メモを取ったり、議事録を作ったりしないこと」という注意書きがあった。参加者は、この作業部会がグレーゾーンにあることを意識していたのだろう。実際、5社サークルは今年1月に自主的に作業部会の開催を取りやめている。これに対しBMWは、「違法カルテルに参加していた事実は一切ない」と疑惑を全面的に否定している。

EUは違法カルテルについて、極めて厳しい態度を取る。法律によると、欧州委員会は違反企業に対して年間売上高の最高10%の罰金を科すことができる。欧州委員会は2016年にトラックメーカーの違法カルテルを摘発し、ダイムラーなど5社は、合計29億ユーロ(3712億円※1ユーロ=128円換算)の罰金を払っている。つまり今回の疑惑は、メーカーにとって大きな経済的負担となる可能性がある。シュピーゲルの報道以来、ドイツの自動車メーカーの株価が一時下がったのはそのためだ。

ディーゼルの「神々の黄昏」

ドイツの自動車業界が抱える問題は、カルテル疑惑だけではない。検察庁は、排ガス不正についてVWだけでなくダイムラーに対しても捜査を行っている。またシュトゥットガルトやミュンヘン市は、窒素酸化物を減らすためにディーゼルエンジン車の事実上の乗り入れ禁止を検討。消費者の不安は高まっており、今年6月にディーゼル車の販売台数は、前年に比べ19%も落ち込んだ。論壇では、「ドイツのディーゼルエンジンの時代は終わった」という声すら聞こえる。この国の自動車業界は、今大きな岐路に立たされている。

最終更新 Mittwoch, 02 August 2017 11:36
 

連邦軍将校によるテロ未遂と国防大臣の苦悩

ウルズラ・フォン・デア・ライエン国防大臣
記者会見に応じるウルズラ・フォン・デア・ライエン国防大臣

ドイツ連邦政府の閣僚ポストの中で、一番リスクが大きい役職は、国防大臣だ。危険な任務を遂行する将兵の生命について責任を持つばかりではなく、予想不可能な緊急事態に機敏に対応しなくてはならない。苦労が多い割には、判断ミスの責任を問われて辞任に追い込まれるリスクが高いポストである。

ドイツ将校がシリア人の難民として亡命申請

ウルズラ・フォン・デア・ライエン国防相も、今年浮かび上がった連邦軍将校のスキャンダルへの対応に苦慮している。この事件は「事実は小説より奇なり」という言葉を思い起こさせる奇妙な出来事だった。

今年4月、ドイツ連邦軍のフランコ・A元中佐がウィーン空港のトイレに隠した拳銃を取り出そうとしたところを、オーストリア警察に逮捕された。その後の検察庁の調べから、驚くべき事実が判明。A容疑者はシリア難民を装い、ヨアヒム・ガウク前大統領らの暗殺計画を企てていた。シリア難民によるドイツの政治家に対するテロ事件をでっちあげることで、国民の間で難民に対する批判が高まることを狙ったのだ。

A容疑者の計画は、非常に手が込んでいた。彼は昨2月に「シリアからの難民で、キリスト教徒のダヴィド・ベンヤミン」と偽りドイツ政府に亡命申請。バイエルン州フライズィングの難民受け入れ施設に収容された。彼は連邦移住難民局(BAMF)の職員の聞き取り調査では、アラビア語ではなくフランス語で話した。彼はその理由を「ダマスカスの郊外にある、フランスからの移民の居住区で育ったから」と説明。「自分の名前はユダヤ人のように聞こえるので、シリアで迫害されている」と語った。驚くべきことにBAMFの職員はAの主張を鵜呑みにし、亡命申請を認可した。

連邦軍中佐による要人暗殺計画

A容疑者は、ドイツ連邦軍の内部と周辺に極右思想を持つ同調者のグループを持っていた。検察庁に逮捕されたマキシミリアン・T元中佐は、暗殺の標的とする政治家のリストを作っており、その中にはガウク前大統領のほかに、ハイコ・マース司法大臣や緑の党の元党首クラウディア・ロート氏らの名前も含まれていた。A容疑者の知人の学生マティアス・Fは、自宅に銃弾1000発や手りゅう弾の部品を隠し持っており、やはりテロ組織に参加していた疑いで逮捕された。

この事件は、連邦国防省と連邦軍のある盲点を白日の下に曝した。それは、軍内部の過激勢力やスパイを摘発すべき軍事防諜局(MAD)が、フランコ・A容疑者らの極右的傾向をキャッチできなかったことだ。

Aが極右思想の持主であることを示す兆候はあった。たとえば、2014年にフランスの軍事大学に留学中に論文を提出したが、フランス軍の担当教官は「論文には極右的・人種主義者な思想が含まれており、容認できない」としてドイツ側に通報。ドイツ連邦軍の上官は、Aが「時間がなかったために、このような内容になった」と弁解し、論文の内容は自分の考えではないと説明したために、彼に警告を与えただけだった。この上官は、MADにAの論文の件を通報したり、彼を除隊処分にしたりするなどの措置を取らなかった。だがA容疑者が使っていたG36小銃には、ナチスの紋章である鉤十字が刻まれていたほか、彼の兵営の部屋の壁にはMG42型機関銃を持った第二次世界大戦中のドイツ国防軍の兵士の絵や、ナチス・ドイツ軍が使ったMP40型短機関銃が飾られていた。

ナチス・ドイツを信奉し、極右思想を持つ人物が、防諜組織の目をくぐり抜けて、将校として連邦軍に在籍し続けられたことは、深刻な問題である。

国防大臣と連邦軍の関係が険悪化

フォン・デア・ライエン国防相はA容疑者のテロ未遂事件が発覚すると、連邦軍の高官達と協議する前に、テレビのニュース番組でのインタビューで「連邦軍の態度には問題がある」と批判したために、連邦軍側は国防省に対する態度を硬化させた。将兵達は「一部の不心得者のために、連邦軍全体が批判されるのは不当だ」と考えたのだ。

その後フォン・デア・ライエン大臣が取った措置も、表面的だという批判を浴びた。大臣は連邦軍の兵営に飾られていた第二次世界大戦中のドイツ国防軍のヘルメットや、装備品、戦車のプラモデルなどをリストアップさせ、撤去させたのだ。これまでの内部規律によると、大戦中のドイツ軍の装備品などを兵営に展示することは、ナチスを賛美する目的でなければ、許されている。さらに、ドイツ連邦軍の兵士が外国からの要人による閲兵などの時に使うライフルKAR98は、第二次世界大戦中にドイツ国防軍が使用したものだ。フォン・デア・ライエン氏の論法によれば、閲兵の時にKAR98を使うことも、禁止しなければならない。

連邦軍の改革が必要

国防大臣が行うべきことは、兵営から旧軍の鉄兜を撤去するような姑息な対策ではなく、A容疑者のような過激勢力に関する情報を的確にキャッチして、連邦軍から排除できるシステムを構築することだ。

軍隊という組織は、機密を重んじる性格の故に、情報の風通しが悪くなりがちだ。しかも現在の連邦軍は志願制であるため、兵器や軍事問題に関心を持つ人が集まるのはやむを得ない。それだけに、人選には細心の注意が求められる。ネオナチは、常に民主主義国の組織を蝕もうとしている。連邦軍を改革して、過激勢力がつけいる隙をなくすことが重要だ。

最終更新 Mittwoch, 19 Juli 2017 11:12
 

統一宰相コール死去 欧州統合強化の夢は未完に終わるか

コール元首相を悼み、記帳するメルケル首相
コール元首相を悼み、記帳するメルケル首相

東西ドイツ統一を実現し、ユーロ導入など欧州統合の強化に貢献したヘルムート・コール元首相が、6月16日に87歳で死去した。ドイツと欧州の歴史の流れを大きく変えた政治家が、また一人この世を去った。

歴史の好機を逃さず統一を実現

メルケル首相は、同日行った演説の中で「コール氏の存在は、ドイツにとって幸運だった。彼が、歴史が与えたチャンスを逃さずにドイツ統一を実現したことは最高の偉業だ。我々ドイツ人はコール氏に感謝する」と述べ、統一宰相の功績を称えた。「コール氏は、私の人生をも大きく変えた」と語ったメルケル首相の胸には、複雑な思いが去来していたはずだ。社会主義国東ドイツで育ち、東ベルリンの研究所で物理学者として働いていたメルケル氏は、壁崩壊後に政治の世界へ飛び込んだ。彼女を1991年に婦人・青少年大臣に抜擢したのは、コール氏だった。メルケル氏は「コールのお嬢さん」と揶揄されながらも、キリスト教民主同盟(CDU)の中で急速に出世していった。

だが1999年に、CDUが多額の不正献金を受け取っていた問題が発覚し、コール氏が深く関与していたことが判明した。しかし彼は献金者の名前の公表を拒んだ。当時CDU幹事長だったメルケル氏は、不正献金事件を糾弾する公開書簡を新聞に公表し、「恩師」コール氏を糾弾して袂を分かった。この事件以降、コール氏はCDU内部で影響力を失い、逆にメルケル氏が党首として権力を手中にする。2005年には首相の座に就任した。コール氏は「飼い犬に手をかまれた」と感じ、メルケル氏との接触を断った。コール氏の未亡人が、ベルリンでの国葬ではなく、EUもしくは欧州議会が中心となる「追悼式典」を望んだ背景にも、コール家のメルケル首相への反感があると言われる。

戦争体験がコール氏を欧州統合へ駆り立てた

コール氏は1930年に南西ドイツのルートヴィヒスハーフェンで生まれた。第二次世界大戦の惨禍を経験した最後の首相である。兄の戦死や空襲などの体験は、彼を欧州統合に邁進させる最大の原動力となった。彼にとっては、欧州統合は欧州での戦争再発を防ぐための手段だった。コール氏は1946年にCDUに入党する。同党で彼は急速に頭角を現し、1959年にはラインラント=プファルツ州議会議員に初当選した。1973年にCDU党首に選ばれた彼は、1982年に52歳で西ドイツ最年少の連邦政府首相に就任する。

ボンの中央政界で、コール氏はしばしば「プファルツの田舎者」と軽蔑され、「国際感覚に欠ける地方政治家」と嫌われた。だが彼は1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊すると、東西ドイツ統一を実現する好機と判断し、党内・野党の反対を無視し、統一へ向けて突き進んだ。その政治的嗅覚は、評価に値する。

最大の難関は、第二次世界大戦中の旧連合国の承認を得ることだった。東西分断時代のドイツはまだ国家主権を持っていなかった。フランスのミッテラン大統領、英国のサッチャー首相、ソ連のゴルバチョフ書記長は、欧州の中心に約8200万人の人口を持つ大国が誕生することに強い懸念を抱いていた。しかしコール氏は、米国のブッシュ(父)大統領の強力な支援を取り付けることによって、ドイツ統一に関する国際条約「2プラス4」を短期間でまとめ上げた。

ソ連は最後まで統一に難色を示したが、コール氏はゴルバチョフ氏と直談判を重ね、強力な経済支援と引き換えに、旧東ドイツに駐留していた約34万人のソ連軍部隊を撤退させることに成功した。

1990年10月3日に東西ドイツは統一され、コール氏は第二次世界大戦後初めてドイツの国家主権を完全に回復させた。2カ月後の連邦議会選挙でCDUは勝利し、コール氏は統一後初めての首相に就任した。統一が実現した要因の一つは、ゴルバチョフ氏という革新的な政治家がソ連の最高指導者だったことだ。千載一遇のチャンスを逃さずに、猛スピードで統一を実現したことは、コール氏の大きな功績である。

欧州統合の理想に強い逆風

彼は欧州諸国の統一ドイツへの不安を取り除くためには、欧州統合を強化する必要があることを理解していた。このためドイツ人が深い愛着を持っていたマルクを廃止し、共通通貨ユーロの導入に踏み切った。コール氏は、「ドイツ政府の権限をEUに譲渡すればするほど良い」と確信していた。ナチス・ドイツが欧州全体に未曽有の被害を与えたことを踏まえて、ドイツにとっては、欧州の価値共同体の中に身を埋没させることが、最良の選択だと信じた。だがコール氏は統一後のドイツ経済の回復に失敗した。旧東独を中心に失業者数が急増し、国民の不満は強まった。1998年の連邦議会選挙ではゲアハルト・シュレーダー氏率いる社会民主党(SPD)の前に敗退し、首相の座を去った。ハンネローレ夫人の自殺、家庭の内紛、自宅での転倒事故など、晩年は数々の不幸に見舞われた。

コール氏が掲げた理想は今、強い逆風に遭遇している。右派ポピュリズムの台頭、BREXITやギリシャの債務問題など、EUの前には難題が山積。盟友米国も、一国主義・保護主義に傾斜し、欧州から離反する兆候を見せ始めている。コール氏が主張した「EUは戦争防止のためのプロジェクト」というスローガンだけでは、グローバル化とデジタル化に翻弄される庶民のEUへの不信感を弱めることはできない。

欧州統合を後戻りできない状態まで深化させるというコール氏の構想は、未完に終わるのだろうか。

最終更新 Mittwoch, 05 Juli 2017 10:55
 

米国のパリ協定離脱にドイツとEU、強く反発

G7サミット
G7サミットにて写真撮影に応じる
トランプ大統領(右)とメルケル首相

「米国はパリ協定から離脱する。そして米国にとってフェアな協定に参加するために交渉を始める。交渉が成功して米国にとって公正な協定になれば良いが、成立しなくてもかまわない」。ドナルド・トランプ大統領が6月1日にワシントンDCで行った「離脱宣言」は、全世界に強い衝撃を与えた。彼は「パリ協定は、米国の富を他国に再配分するものであり、我が国にとって不利だ。離脱の決定は我々の経済的な利害に基づくものであり、地球温暖化には全く影響を及ぼさない」と述べ、環境保護のための国際的な取り決めよりも、米国の利益を優先する姿勢を強調した。

メルケル首相の失望

ドイツのアンゲラ・メルケル首相はトランプ氏に電話をかけ、遺憾の意を直接伝えた。ベルリンでの記者会見で「米国の離脱は、極めて残念だ。この言葉は非常に控えめな表現である」と異例の強い口調で失望を表した。さらに首相は「我々はパリ協定を必要としている。地球と、神の創造物を守るためにこの協定を守らなくてはならない。米国が離脱しても、我々は地球温暖化との戦いをやめない。たとえ道が険しくても、パリ協定は必ず成果を生む」と述べ、温室効果ガス排出量の削減へ向けて、不退転の決意を示した。

この後メルケル首相は、フランスのエマニュエル・マクロン大統領、イタリアのパオロ・ジェンティローニ首相と連名で、「パリ協定は後戻りさせることができない」として、米国が求める交渉のやり直しを拒否する方針を明確に示した。

地球温暖化防止のための歴史的な合意

トランプ氏は、大統領に就任する前の2012年に、「地球温暖化は中国が米国経済に損害を与えるために、でっちあげたものだ」と発言している。彼は、温室効果ガス削減のための世界的な枠組みが、米国の石炭産業など化石燃料に関連する産業を弱体化させ、失業者を増やすと主張したのだ。だが大半の科学者は、「人類が排出する二酸化炭素などが地球温暖化に影響を与えている」という見解を持っている。

2015年12月のパリ協定は、ニカラグアとシリアを除く全ての国が調印した、温室効果ガス抑制のための初めての取り決めだ。気候変動に歯止めをかけるために、世界の大半の国が団結した、歴史的合意である。

2016年11月に発効したこの協定は、195の参加国・地域に対して、気温上昇の幅を、工業化が始まる前の時期に比べて2℃未満に抑えることを狙っている。先進国は、発展途上国が地球温暖化ガスの排出量を減らすための資金援助も行う。米国の地球温暖化ガスの排出量は、中国に次いで2番目に多い。その国が協定に背を向けることは、気候変動を防ごうとする努力に大きな影を投げかける行為だ。

G7サミットでも亀裂

欧州では、トランプ大統領の独善的な態度について、失望と怒りの声が高まっている。米国がパリ協定に背を向ける兆候は、5月末にイタリアのタオルミーナで開かれた先進7カ国首脳会議(G7サミット)ですでに現れていた。会議の席上、トランプ氏だけが「パリ協定は米国経済を不利な立場に追い込む」として履行に反対。他の首脳らとの間で深い亀裂が生じた。

メルケル首相は、帰国後にミュンヘンで行った演説の中で「我々が他国の首脳を信頼できる時代は、終わった。そのことをG7サミットで強く感じた。我々欧州人は、これからは(他国に頼らずに)自分の運命を自分の手で切り開かなければならない」と述べ、深い失望感を表した。

欧州委員会のジャン・クロード・ユンケル委員長は、「米国がパリ協定から離脱しようとするならば、我々欧州人は『それは許されない』と米国の前に立ちはだかる。地球温暖化は、先進国だけではなく、世界の多くの国々を脅かす深刻な問題である。83カ国が、海面の上昇によって水没する危険にさらされている。パリ協定という国際合意は、フェイクニュースではない」と強い口調で米国を批判した。世界でCO2排出量が最も多い中国は、今のところパリ協定を順守する方針を表明し、EU諸国と歩調を合わせている。だが中国がパリ協定に参加したのも、米国のオバマ前大統領が説得した結果である。それだけに、米国の離脱は、各国の協定順守の意思を弱める危険がある。ドイツの政治家や学者達が懸念しているのは、米国の真似をしてパリ協定を離脱する国が現れることだ。

米国からの自立を求められる欧州

米国が他の国々に背を向けているのは、環境問題だけではない。トランプ氏は、多国間の通商協定を批判し、保護主義的な姿勢を打ち出している。さらにドイツなど北大西洋条約機構(NATO)の大半の加盟国が、防衛のための支出を十分に行っていないとして、欧州防衛のための貢献を減らす可能性を示唆している。

米国はもはや西側の指導者、世界の警察官としての役割を果たさないだろう。欧州諸国の米国に対する信頼感は、トランプ氏が大統領になって以来、急激に低下した。ドイツを初めとするEU諸国は、米国の支援がなくても世界の秩序を守ることができるように、「米国からの精神的な乳離れ」を迫られているのだ。

欧州諸国が、今なお防衛について米国に大きく依存していることは、自立を妨げる。彼らは米国から自立するために、防衛努力を大幅に増やすことを求められるだろう。

最終更新 Mittwoch, 14 Juni 2017 10:07
 

注目のNRW州議会選挙で なぜSPDは惨敗したのか

ハンネローレ・クラフト元NRW州首相
SPDの惨敗により退任した、
ハンネローレ・クラフト元NRW州首相

「どうしようもないほどの惨敗だ(Eine krachende Niederlage)」。社会民主党(SPD)のマルティン・シュルツ党首は、硬い表情で、5月14日にノルトライン=ヴェストファーレン(NRW)州で行われた州議会選挙の結果をこう評した。

SPDと緑の党の票が激減

実際、同州の有権者達は今回の選挙で、ハンネローレ・クラフト首相が率いるSPDと緑の党の左派連立政権に対し、「落第点」を与えた。「ミニ連邦議会選挙」と呼ばれる重要な州議会選挙は、キリスト教民主同盟(CDU)の圧勝に終わった。

SPDの前回(2012年)の選挙での得票率は39.1%だったが、今回は7.9ポイントも減って31.2%となった。NRW州は、SPDの牙城である。この州では、1966年からの51年間の内、2005年からの5年間を除けば、常にSPDの政治家が首相の座を占めてきた。だが31.2%というのは、SPDのNRW州での得票率としては、史上最低である。

またSPDと連立していた緑の党も、得票率を11.3%から6.4%に減らして敗退した。ルール工業地帯を抱えるNRW州では、かつて重厚長大産業が重要な役割を果たしていた。この歴史的な背景から、労働組合を支持母体とするSPDはNRW州で最強の党だったのだ。だが2012年に「SPDは市民の世話をする党(Kümmerer-Partei)になる」と宣言して勝利したクラフト氏は権力の座から駆逐され、敗北の責任を取ってSPD・NRW州支部長の職を直ちに辞任した。

これに対し、保守・中道勢力は大きく躍進した。CDUの得票率は、前回の選挙に比べて6.7ポイント増えて、33%に達し、また自由民主党(FDP)も得票率を8.6%から12.6%に増やしている。

教育政策で多くの市民が失望

なぜSPDと緑の党は、これほど悲惨な負け方をしたのだろうか。その理由の一つは、クラフト政権が5年前に行った「市民のための政党になる」という約束を果たさなかったことである。今回の選挙の争点の中で、市民が最も高い関心を持っていたのが、教育問題である。NRW州では、他の州と同様に、学習意欲が乏しく授業についていけない子供をいかに救済するかが、重要なテーマとなっている。

ドイツ語でInklusionと呼ばれるこの問題を解決するには、教職員の数を大幅に増やしたり、新たな教材を導入するなど、教育予算の増額が必要である。だがクラフト政権のズィルビア・レーアマン教育大臣(緑の党)は、政府内で予算増額を要求せず、むしろ地方自治体に費用の一部を負担するよう要請したため、議論が長引いた。結局クラフト首相の「私は落ちこぼれる子供を1人も出さない」という公約は、空約束に終わった。さらにギムナジウムでの学習年数を8年にするか、9年にするかという議論でも、レーアマン大臣は頻繁に態度を変え、有権者の不信感を強めた。

治安確保でも落第点

もう一つの争点は、治安問題である。2015年の大晦日から元日にかけて、ケルン中央駅前の広場で北アフリカからの難民ら数千人が、人混みに紛れて約1000人の女性の身体を触ったり、財布を盗んだりするという事件が起きた。ここには200人を超える警察官が配置されていたが、犯行を防ぐことはできなかった。警察は元日の朝に「ケルン中央駅前は平穏」というとんちんかんな報告を州政府に行っていた。また夜間の人混みの中での犯行だったために、警察が犯人を特定する作業も難航し、有罪判決を受けたのは6人にすぎない。この事件は、NRW州警察の非力を暴露するとともに、ドイツ人に2015年の難民流入後の「体感治安」の悪化を痛感させる分水嶺となった。

また昨年12月に、過激組織イスラム国(IS)を信奉するチュニジア人のアニス・アムリ容疑者が、ベルリンのクリスマス市場に大型トラックで突っ込み、12人を殺害し約60人に重軽傷を負わせた。彼は当初亡命申請者としてNRW州に住んでいた。同州の警察はアムリ容疑者を危険人物と見なし、密偵や携帯電話の盗聴によって監視していた。だが無差別テロを起こす兆候を見せていたにもかかわらず、警察はこの男を逮捕しなかった。警察は、アムリ容疑者がベルリンに移り、麻薬の売買に手を染めてからも、摘発しなかった。もしも警察が彼を逮捕してチュニジアに送還していたら、ベルリンでの無差別テロは防げたはずだ。

市民に不安感を与えているのは、イスラム・テロの脅威だけではない。NRW州では、2016年に5万件を超える空き巣被害が起きている。これは、全国で最も高い数字だ。しかも犯人の検挙率は、わずか16%。州政府は、扉や窓の強化などの対策を取り始めているものの、市民の不安は完全に払拭されていない。

立ち消えになった「シュルツ効果」

欧州議会の議長だったシュルツ氏が今年初めにSPDの党首に選ばれて以来、党の支持率は一時CDUに肉迫し、党員数も約1万人増えた。しかし彼が具体的な政策を直ちに発表しなかったことから、「シュルツ・フィーバー」は時間が経つにつれて先細りとなった。SPDが負けたのは、今年3月のザールラント州議会選挙、5月初めのシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州議会選挙に続いて、3回目。NRWでの選挙結果は、連邦議会選挙の行方を映す鏡である。メルケル首相四選の可能性は、一段と高まったと言える。

 

最終更新 Mittwoch, 31 Mai 2017 11:11
 

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