独断時評


アウシュヴィッツ解放70年 メルケルの誓い

2015年1月26日、ベルリン。肌を刺す寒気の中、私はシェーネベルク区のウラニアという公会堂に向かっていた。今年1月27日は、ナチスのアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所をソ連軍が解放してから、ちょうど70年目に当たる。この日を前に、ナチスによる虐殺の犠牲者を追悼する式典が行われたのだ。

ユダヤ人600万人を虐殺

ナチスがポーランドに建設したアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所では、1940年から5年の間に、ユダヤ人やポーランド人、シンティ・ロマ(ジプシー)、ソ連兵捕虜、同性愛者など約110万人が殺害された。ビルケナウにはシャワー室に見せ掛けたガス室があり、女性や子どもなど肉体労働ができないと判断された被害者は、家畜輸送用の貨物列車で収容所に着くと、直ちにチクロンBという青酸ガスで殺害された。

遺体は焼却炉で焼かれ、遺骨と灰は川に投げ捨てられた。ナチスは欧州全体で約600万人のユダヤ人を殺害したと言われる。アウシュヴィッツは、ナチスが欧州に建設した約1000カ所の収容所の内、最大の規模を持っていた。

生存者は語る

式典を主催したのは、国際アウシュヴィッツ委員会(IAK)。1952年に虐殺を逃れた生存者たちが創設した国際機関で、2002年からはベルリンに事務局を置いている。式典では、2人の元収容者たちが証言した。

その内の1人は、ハンガリー在住のエヴァ・ファヒーディ女史(89歳)。1944年5月、当時19歳だったファヒーディ氏は、家族とともにアウシュヴィッツに移送された。収容所のプラットホームには、ナチス親衛隊の軍医で「死の天使」として恐れられたヨーゼフ・メンゲレがいた。彼は、指をただ左右に動かすことによって、ユダヤ人をガス室に送るか、労働させるかを決めていた。彼女は労働者のバラックに送られたが、母親と当時11歳だった妹は直ちにガス室で殺された。

「アウシュヴィッツでは、常に遺体を焼く臭いが立ち込め、いつ殺されるか分からないという恐怖と隣り合わせでした」。「真夏のバラックで、私たちは飢えと乾きに苦しみました。飲み水さえなかったため、糞尿を入れた大きな桶を運ばされたときに、中身がこぼれて手や足が汚れても、体を洗う水はありませんでした」。

アウシュヴィッツの生存者の多くは、心に深い傷を負ったために、長い間自分の体験を他者に語ることができなかった。ファヒーディ氏も45年間にわたり沈黙し続けたが、79歳になったときにアウシュヴィッツ収容所跡を初めて訪れ、自分の経験を本として発表し、語り部としての活動を始めた。

白髪のファヒーディ氏は、苦しそうな表情で語った。「なぜ私だけが生き残ったのでしょう。母と妹には墓標すらありません。2人と同じくアウシュヴィッツで殺された人々に代わって、当時の状況を語り伝えることが、私に与えられた役割だと思います」。聴衆は、彼女が語り終わると、席を立って長い間拍手を送った。

恥の気持ちを告白したメルケル

この後、メルケル首相(キリスト教民主同盟=CDU)が演壇に立った。メルケル氏は「ナチス・ドイツは、ユダヤ人らに対する虐殺によって人間の文明を否定しましたが、アウシュヴィッツはその象徴です。私たちドイツ人は、恥の気持ちでいっぱいです。なぜならば、何百万人もの人々を殺害したり、その犯罪を見て見ぬふりをしたのはドイツ人だったからです」と述べ、ドイツ人がナチス時代に大きな罪を背負った点を強調した。

そして会場の最前列に座ったファヒーディ氏をじっと見つめながら、「あなたは渾身の力を振り絞って、収容所でのつらい体験を語ってくれました。そのことに心から感謝したいと思います。なぜならば、私たちドイツ人は過去を忘れてはならないからです。私たちは数百万人の犠牲者のために、過去を記憶していく責任があります」と語った。

さらにメルケル氏は、ドイツの反ユダヤ主義を厳しく糾弾した。「今日ドイツに住む10万人のユダヤ人の中には、侮辱されたり暴力を振るわれたりした経験を持つ人が増えています。これはドイツの恥です。我々は、反ユダヤ主義、そしていかなる形の差別、排外主義に毅然として対抗しなくてはなりません」。

メルケル首相
12015年1月26日、追悼式典で演説をするメルケル首相

歴史との対決を国是とするドイツ

さらにメルケル氏は、1月にフランスで起きたテロ事件にも言及し「パリではイスラム過激派が、言論の自由を主張した風刺画家たちやユダヤ系商店を訪れたユダヤ人たちを殺害しました。これは狂信主義が生む結果を明確に示しています」と指摘した。

そして、「ナチス時代のドイツ人の犯罪と批判的に対決すれば、将来我々の共存や尊厳、価値観を奪おうとする勢力に対して、対抗する能力を身に付けることができます」と述べ、過去との対決は、今日の民主主義体制を守る上でも重要な意味を持っていると強調した。メルケル氏の「アウシュヴィッツは我々に、人間性を認め合うことを共存の物差しとするべきだと教えています。アウシュヴィッツは我々全員にとって、将来も重要な問題であり続けるでしょう」という言葉は、ドイツ社会の主流派が、歴史との対決を国是としていることを明確に示している。

敗戦から70年目に当たる今年、彼女の言葉は私たち日本人にとって「対岸の火事」だろうか。

6 Februar 2015 Nr.995

最終更新 Montag, 19 September 2016 13:11
 

シャルリー・エブド襲撃事件とドイツ

2015年の年明け早々、欧州は凶悪なテロ事件で大揺れとなった。1月7日、フランスの風刺週刊新聞「シャルリー・エブド」の編集部に、覆面をしたテロリスト2人が侵入し、編集長やイラストレーターら12人をカラシニコフ自動小銃で射殺したのだ。

2人は、犯行時に自分たちがテロ組織アルカイダに属することを明かし、「アラーは偉大だ。おれたちはシャルリー・エブドを殺し、預言者ムハンマドの敵かたきを取った」と叫んだ。

イスラム過激派の犯行

犯人たちは2日後にパリ郊外の印刷工場に立てこもった後、フランス警察の特殊部隊に射殺された。またこの犯行と連動して、別のテロリストも同じ日にパリ南部の路上で警察官を殺したほか、2日後にパリ東部のユダヤ系スーパーマーケットに人質を取って立てこもり、ユダヤ人4人を殺害。この男も警官隊に射殺された。一連の事件の犠牲者は17人に上る。シャルリー・エブド紙襲撃は、欧州の言論機関に対するテロとしては、最悪の事態となった。

なぜシャルリー・エブド紙は、イスラム過激派のテロリストに狙われたのか。1992年に創刊されたシャルリー・エブド紙は、政治家をはじめ、あらゆる権威を批判する週刊新聞で、挑発的な風刺画と鋭いジョーク、辛辣なパロディーを売りとしていた。

フランスには19世紀のオノレ・ドーミエ以来の風刺画の伝統があり、国民も政治を風刺するイラストを好む。フランス人のメンタリティーを理解する上で「révolte(反抗)」という言葉は最も重要だ。そこにはフランス革命以来の、不服従の精神が息づいている。シャルリー・エブドはフランス人の反骨精神を象徴するメディアなのだ。同紙は特にフランスの国是である政教分離と世俗主義を重視し、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの宗教にしばしば集中砲火を浴びせていた。

ムハンマドの風刺画を掲載

イスラム過激派にとってシャルリー・エブド紙は、憎悪の的だった。2005年にデンマークの日刊紙「ユランズ・ポステン」がムハンマドの風刺画を掲載してイスラム教徒から批判されたが、シャルリー・エブド紙は、2006年にこのイラストをあえて転載。イスラム教は、神や預言者の図像化を禁じており、フランスに住む多くのイスラム教徒はシャルリー・エブド紙の決定を挑発行為とみなした。2011年には、同紙の編集部に何者かが火炎瓶を投げ込んだほか、編集長らに脅迫メールが送られた。

シャルリー・エブド紙での銃撃事件に対しては、欧州全体で怒りと悲しみの声が巻き起こった。フランスでは1月11日に、犠牲者を追悼するデモが行われたが、なんと全国で370万人もの市民が参加した。これは、第2次世界大戦でフランスがナチスドイツによる支配から解放されたとき以来、最も多い数である。

パリでは、「Je suis Charlie(私はシャルリー)」というプラカードを持った市民ら160万人が大通りを埋めた。デモの先頭には、オランド大統領、ドイツのメルケル首相、英国のキャメロン首相が立ったほか、スペイン、イタリア、ウクライナの首相、ロシアの外相、ヨルダンの国王夫妻も参加した。普段は対立しているイスラエルのネタニエフ首相と、パレスチナ自治政府の大統領が同じデモに加わった。44カ国の首脳が駆け付けてデモに参加したのは、極めて異例のことである。

1月11日に行われたフランス共和国の行進の様子
1月11日に行われたフランス共和国の行進の様子

ドイツで高まる反イスラム運動

なぜ彼らは、シャルリー・エブド紙襲撃事件に強い反応を示したのだろうか。それは、欧州の政治家や言論人たちがこの事件について、2001年の米国同時多発テロ並みの危機感を抱いているからだ。テロリストたちは、言論機関の意見を封じるために凶行に及んだ。つまり、銃弾の雨を浴びたのは、「言論と表現の自由」だったのだ。これは欧州人たちが最も重視する価値の1つである。

ドイツでは昨年秋以来、ドレスデンを中心に「欧州のイスラム化に反対する愛国者たち(PEGIDA)」という団体が毎週月曜日にデモを行い、参加者の数が毎回増えていた。シャルリー・エブド紙襲撃事件をきっかけに、ドイツでもイスラム過激派だけではなく、イスラム教徒や外国人全般に対する市民の反感が強まる危険がある。特に、極右勢力はこの事件を利用して支持者を増やそうとするだろう。

このため、1月12日にはミュンヘンやベルリンなどで、約10万人の市民がPEGIDAに反対するデモを行った。ミュンヘンのディーター・ライター市長は演説で、「我々はいかなる人種差別主義、反ユダヤ主義、極右の暴力にも反対する」と述べ、外国人排斥に反対する姿勢を打ち出した。

イスラム教徒の差別を防げ

一方、テロの危険にさらされているのはフランスだけではない。ドイツ政府は、約500人の若者がイスラム過激派の思想にかぶれてイラクやシリアへ渡り、テロ組織「イスラム国」の訓練を受けたり、実戦に参加しているとみている。彼らの中には、ドイツへ戻って無差別テロを計画する者がいるかもしれない。

今後、フランスやドイツで警戒態勢が強化されるのは避けられないが、そのことがイスラム教徒への差別や、市民権の制限に繋がることは防ぐ必要がある。ドイツと欧州にとって、イスラム過激派、そして移民問題への対応が極めて重要な課題となるだろう。

23 Januar 2015 Nr.994

最終更新 Donnerstag, 22 Januar 2015 17:37
 

戦後70年目に平和を願う 2015年のドイツを展望する

花火や爆竹の音、火薬の匂いとともに、新しい年が始まった。とっぴな連想と思われるかもしれないが、私はこの音を聞くと、1910~40年代に掛けて欧州を覆った戦争の嵐を思い出す。中東やアフリカ、ウクライナでは動乱が続き、死傷者が増加している。今年は、第2次世界大戦の終結から70年目に当たる区切りの年。「穏やかな年であってほしい」と、祈らずにはいられない。

戦後70年目に平和を願う

ウクライナ危機の解決を!

2015年、ドイツと欧州連合(EU)にとって最も重要な外交的課題は、ウクライナ危機の解決の糸口をどのようにして見付けるかだ。

昨年はウクライナで政変が起き、ロシア寄りの大統領が失脚してEU寄りの政権が誕生。これを「西側の陰謀」と考えたロシアのプーチン大統領が激しく反応し、クリミア半島に軍を派遣して占領し、併合に踏み切った。彼は昨年12月に、「エルサレムの神殿の丘がユダヤ教徒とイスラム教徒にとって聖地であるように、クリミア半島はロシア人にとっての聖地」と発言。これまでEUと北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大を屈辱と感じていたロシア人のナショナリズムに訴え掛けた。クリミア併合以来、プーチンへの国民の支持率は高まっている。プーチンは、ロシア系住民が多いウクライナ東部での内戦にも介入し、分離独立を画策している。

これらの事件は、1989年のベルリンの壁崩壊以来、最悪の国際法違反である。欧州大陸で死滅したと思われていた帝国主義は、25年間の冬眠から覚めたのだ。メルケル首相は早い段階で、「軍事力は使わない」と宣言してしまったが、プーチンは戦闘部隊をクリミア半島やウクライナ東部へ送っている。これでは、素手で重武装の暴漢と戦うようなものだ。ゴルバチョフ(ソビエト連邦最後の最高指導者)が昨年、ベルリンで述べたように、欧州に新たな東西冷戦が迫っている。

ウクライナ危機は、領土・軍事問題だけでなく、エネルギー政策にも絡む「火薬庫」だ。一刻も早い歩み寄りを望みたいところだが、ロシアとEUの主張は真っ向から対立しており、解決は容易ではない。安全保障問題を担当する専門家の間でも、ウクライナ危機が長期化するという見方が強い。

欧州版「失われた10年」との戦い

さて、2015年のドイツおよびEU経済にとっての最重要課題は、欧州全体に広がるデフレ傾向に、いかにして歯止めを掛けるかだ。ドイツを除く多くの欧州諸国は、今なおユーロ危機後の不況の影響に苦しんでいる。南欧諸国を中心に失業率が高まり、個人の債務も増えたため、多くの市民が消費を避け、企業は投資を控えている。このため経済活動が停滞して、物価上昇率が低迷しているのだ。

欧州連合統計局によると、2013年12月には0.8%だったユーロ圏の物価上昇率は、2014年9月には0.3%に落ち込んだ。比較的景気の良いドイツですら1%台を割り、イタリアでは物価上昇率が一時マイナスになった。

国際通貨基金(IMF)は、2014年7月に発表した世界経済見通し(WEO)の中で、2015年のユーロ圏の経済成長率を1.5%と予想していた。しかし、わずか3カ月後にその予想値を1.3%に修正した。これは米国の予想成長率(3.1%)の半分以下だ。

EU経済を引っ張る機関車役のドイツでも、景気の先行きに警戒信号が点っている。メルケル政権は2014年10月、2015年の予想経済成長率を2.0%から1.3%に大きく引き下げた。

欧州の経済学者の中には、「ユーロ圏はバブル崩壊後の日本と同じようにデフレに突入し、“失われた10年”を経験する可能性がある」と主張する者も現れている。確かに、1990年代の日本と現在のユーロ圏には、いくつか似た点がある。例えば欧州中央銀行(ECB)の政策金利は、0.05%という戦後最低の水準にあるが、これは90年代以降の日本を連想させる。

ECB、国債買取か

ECBのマリオ・ドラギ総裁は今年前半、ついに「伝家の宝刀」を抜くと予想されている。ドラギ氏は2012年に、「ユーロを防衛するためには、南欧諸国の国債を無制限に買い取る用意がある」と宣言したが、ECBは今年、デフレ傾向に歯止めを掛けるために国債の買取に踏み切る可能性が強い。市場では、ECBが1兆ユーロ(約140兆円)を超える資金を投入すると見ている。米国では不況脱却の兆しが見え始め、国債買取による量的緩和(QE)を終えようとしているのに対し、ユーロ圏は逆にQEを始めるのだ。

しかし、市場に大量のおカネを注入しても、南欧諸国が経済競争力を強化して、成長率を高めなくては、不況から真に脱却することはできない。ドイツ以外の国々にも、成長戦略を打ち立てて実行に移すことが求められている。

ドイツは今年、46年ぶりに財政均衡を達成し、国債の新規発行がゼロになることが予想されている。財政均衡が実現すれば、「政府が借金をしなくても、経済成長は可能だ」というメッセージを全世界に送ることができる。これは快挙だ。しかし、ドイツはEUの中の一国にすぎない。財政健全化の努力をユーロ圏全体にも広げなくては、せっかくの快挙も焼け石に水である。

その意味で2015年は、ドイツに欧州全体の成長を後押しする政策が求められる年になるだろう。

読者の皆様へ
2014年は大変お世話になりました。
今年もよろしくお願い申し上げます。

9 Januar 2015 Nr.993

最終更新 Donnerstag, 08 Januar 2015 14:25
 

独エネルギー革命でエーオン、原子力・火力発電「撤退」

2014年11月30日夜。ドイツ人たちは最初の待降節(アドヴェント)を迎え、静かにクリスマス・シーズンの到来を祝っていた。そこへ、青天の霹靂(へきれき)のようなニュースが飛び込んできた。

エーオン「解体」の衝撃

デュッセルドルフに本社を持つドイツ最大のエネルギー企業E・ON(エーオン)が、原子力発電と褐炭や石炭などによる火力発電事業を切り離して、別会社に担当させると発表した。本社は、再生可能エネルギーなど新しいビジネスモデルに特化する。これはドイツのエネルギー業界だけでなく、経済界そして欧州全体に衝撃を与えるニュースだ。

人々を驚かせたのは、今回発表された機構改革が極めて大規模で、エーオンという巨大企業を根本から塗り替えることだ。同社は基本的に2つに分割される。エーオンの社員数は現在6万人。そのうち4万人は本社に残って、再生可能エネルギー、新時代の送電網ビジネスである通称「スマートグリッド」、そして分散型の発電に関する顧客サービスを担当する。

残りの2万人は新会社に移り、原子力発電と褐炭・石炭、天然ガスによる火力発電、水力発電事業を担当する。新会社の株式の大半は、現在のエーオンの株主が所有するが、一部は株式市場で販売する。大企業が不採算部門を切り離すときなどに使う「スピン・オフ」という手法だ。つまりエーオン本社は、伝統的な発電事業から事実上「撤退」し、21世紀の新しいビジネスへ向けて新たな航海に出るわけだ。

福島事故が間接的な原因

なぜエーオンは、これほど大胆なリストラに踏み切るのだろうか。その間接的な理由は、2011年に起きた東京電力・福島第1原子力発電所の炉心溶融事故にある。メルケル政権は、先進工業国で最悪となったこの原子炉事故をきっかけに、2022年末までに原子力発電所の全廃を決定。同時に、再生可能エネルギーの拡大をスピードアップする「エネルギー革命」を発動させた。政府は2050年までに、再生可能エネルギーの発電比率を80%まで引き上げることを目指している。

エーオンは、2011年にメルケル政権によって2基の原子炉(イザー1号機とウンターヴェーザー)を停止させられたことや、核燃料税の負担のために創業以来初の赤字に転落。さらに同社に致命的な打撃を与えたのが、再生可能エネルギーによるエコ電力の急増だ。再生可能エネルギーの本格的な助成は、2000年にシュレーダー政権が開始。2003年には再生可能エネルギーの発電比率(水力も含む)は7.5%だったが、2013年には3.2倍に増えて24%になった。

特に太陽光発電装置の駆け込み設置が2010年以来急増したことなどにより、電力の卸売市場に大量のエコ電力が流入し、供給過剰状態が出現。電力の卸売価格が大幅に下がったのである。例えば、経済社会の恒常的な電力需要をカバーするベースロードと呼ばれる電力の先物取引価格は、2008~13年までに50%、需要が最も高くなるときのピークロードと呼ばれる電力の先物取引価格は、65%も下落した。

新エネ普及で業績悪化

この価格下落のため、褐炭・石炭、天然ガスによる火力発電所の収益性が悪化。特に減価償却が終わっていない天然ガス発電所では、運転コストすらカバーできないところが現れた。発電すればするほど、損失が膨らむのだ。2013年のエーオンのドイツ国内での発電比率の中では、石炭・褐炭、天然ガスなどの化石燃料が59.5%、原子力が29.2%である。再生可能エネルギーはわずか11.4%と全国平均に比べて大幅に低い。つまりエーオンの発電比率の9割近くが、採算が悪化しつつある部門なのだ。

エーオンの今年1~9月までの当期利益は、前年の同じ時期に比べて25%も減っていた。第4・四半期には、発電所の資産価値の低下によって、45億ユーロ(約6300億円)の特別損失を計上する見込みで、通年では再び赤字決算となる可能性がある。

ヨハネス・タイセン社長は、12月2日の記者会見で「現在の企業構造では、急激に変化する市場に対応できない。これまで通りのやり方を続けていくわけにはいかない」と断言した。同時に、「再生可能エネルギーのうち、風力や太陽光はまだ初期段階にあるが、火力発電などの伝統的な発電事業に比べて、今後急速に伸びると確信している」と述べ、同社の未来は新エネルギーにあるという見方を明らかにした。

株式市場はエーオンの決定を歓迎。2011年以降下がる一方だった同社の株価は、大リストラの発表の翌日に約4%上昇した。

E・ONのヨハネス・タイセン社長
E・ONのヨハネス・タイセン社長

原発廃炉コストは誰が負担する?

メルケル政権は11月に、CO2放出量の削減に拍車を掛けるために、褐炭・火力発電所の閉鎖を事実上命じる計画を打ち出していた。温暖化防止という意味では、エーオンの決定は政府にとって歓迎すべきことだ。ただし、新会社が原発の廃炉費用や、高レベル放射性廃棄物の最終貯蔵処分場の選定のためのコストを負担できるのかという、新たな問題が浮上する。

福島事故が引き金となったエネルギー転換が、この国のエネルギー業界に革命的な変化を及ぼしたことだけは間違いない。

19 Dezember 2014 Nr.992

最終更新 Donnerstag, 18 Dezember 2014 16:09
 

ドイツ「脱原子力」の次は「脱石炭」?

12月に入り、気温が急に下がってきた。寒さが厳しい北国のドイツでは、暖房や短い日照時間のために、冬に電力需要が最も高くなる。こうした中ドイツでは、将来の電力市場をどのように変更するかについて、新たな議論が持ち上がっている。

火力発電所の強制閉鎖?

そのきっかけとなったのは、11月末にメルケル政権が二酸化炭素(CO2)の排出量を削減するために、電力会社に褐炭・石炭火力発電所の一部を、半ば強制的に閉鎖させることを提案したことだ。ジグマー・ガブリエル経済相(社会民主党=SPD)は、RWE、E・ON、Vattenfall、ENBWなどの電力会社に対し、2020年までにCO2排出量を少なくとも2200万トン削減することを、法律で義務付けることを検討している。ガブリエル経済相は、「どのような方法によってCO2排出量を2200万トン減らすかについては、電力会社が決めれば良い」としている。だが実際には、電力会社がCO2排出量をこれだけ減らすには、火力発電所の一部を止めるしかない。したがって政府は、実質的には電力会社に対し、褐炭・石炭火力発電所の一部を法律によって強制的に閉鎖させようとしているのだ。

ガブリエル経済相は、なぜこのような強硬手段を打ち出したのか。その理由は、連邦政府がCO2削減目標を達成できない可能性が高まっているからだ。地球温暖化防止を重視するドイツ政府は、2020年までにCO2排出量を1990年比で40%削減することを目標としている。しかし、ここ数年間、電力会社は減価償却の終わった古い褐炭・石炭火力発電所をフル稼働させて収益性を確保しようとしている。このため、2013年のドイツのCO2排出量は前年に比べて1200万トン(1.2%)増加してしまった。2013年の発電比率のうち、45.5%は褐炭と石炭が占めている。その比率は前年比1.5ポイントの上昇。現在の状態がそのまま続くと、1990年と比べたドイツのCO2排出量削減率は32~35%にとどまると予想されている。経済省が褐炭・石炭火力発電所の強制閉鎖を検討しているのはそのためだ。

褐炭は、ルール地方や旧東独の露天掘り鉱山で採掘できる。このため、国産のエネルギー源としては最も安い。しかし、天然ガスに比べるとCO2の発生量が高いので、緑の党や環境保護団体は褐炭火力発電所を「クリマ・キラー(気候を害する物)」と呼んで、閉鎖を求めている。

ドイツ各地に点在する火力発電所
ドイツ各地に点在する火力発電所

褐炭・石炭から天然ガスへ

政府が褐炭・石炭火力発電所の部分的な閉鎖を目指すもう1つの理由は、電力の過剰供給量を減らして、より環境にやさしい天然ガス火力発電所の稼働率を増やすことだ。ドイツ経済研究所(DIW)・エネルギー部のクラウディア・ケムファート部長は、褐炭・石炭火力発電所の閉鎖がドイツの電力市場に与える影響について、経済省のために鑑定報告書を作成した。

現在、ドイツでは再生可能エネルギーによる電力が増えているために、電力卸売市場での価格が下がっている。このため、新型で燃焼効率が良い天然ガス火力発電所の収益性が下がっており、電力会社はこの種の発電所よりも古い褐炭・石炭火力発電所を積極的に使う傾向がある。ケムファート氏は、「褐炭・石炭火力発電所の一部を閉鎖すれば電力キャパシティーが減るので、卸売市場の電力価格は1キロワット時当たり1セント上昇する。電力価格が上昇すれば、天然ガス火力発電所の収益性と稼働率が回復するので、一挙両得だ」と主張する。つまり政府は、電力の値段を上げることによってCO2排出量の比較的少ない天然ガス火力発電所の使用を促進しようとしているのだ。

産業界は猛反対

一方、産業界はガブリエル経済相の提案に反発している。ドイツ産業連盟(BDI)のマルクス・ケルバー会長は、「もしもガブリエル経済相の提案が実施された場合、2020年までに電力の卸売価格は約20%上昇し、電力を大量に消費する企業のエネルギー・コストは15%増える。2020年から10年間にドイツの国内総生産(GDP)は約700億ユーロ減り、7万4000人分の雇用が脅かされるだろう」と述べ、政府の計画に強く反対した。BDIは、「褐炭・石炭火力発電所を閉鎖した場合、ドイツ産業界の競争力が損なわれる。さらに、結局はポーランドなどの外国から、石炭によって作られた電力がドイツに輸入されるので、欧州全体で見ればCO2は減らない」と述べて、この提案に疑問を投げ掛けた。

また、電力会社のロビー団体「ドイツ・エネルギー水道事業連邦連合会(BDEW)」も、「エネルギー業界は地球温暖化防止のために今後も貢献する用意があるが、ガブリエル氏の発電所閉鎖案については、欧州全体の視点から考えるべきだ。さらに、電力の安定供給や雇用、景気への影響にも配慮すべきだ」と述べ、慎重な姿勢を示している。

多くの科学者は、「ここ数年間、世界各地で観測されている平均気温の上昇や海面の上昇、異常気象に起因する自然災害は、CO2排出量の増加と関連がある」と主張している。CO2排出量削減が緊急の課題であることは間違いない。同時に、政府は環境保護コストが経済成長にブレーキを掛けることも避けなければならない。ドイツは、このジレンマをどのように解決するのだろうか。

5 Dezember 2014 Nr.991

最終更新 Mittwoch, 07 Januar 2015 13:08
 

<< 最初 < 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 > 最後 >>
45 / 114 ページ
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


Nippon Express SWISS ドイツ・デュッセルドルフのオートジャパン 車のことなら任せて安心 習い事&スクールガイド

デザイン制作
ウェブ制作