独断時評


ウクライナ危機・ メルケル首相の苦悩

 「ロシアによるクリミア半島の併合は、ウクライナの憲法と国際法に違反する行為であり、断じて受け入れられない。欧州の時計の針を19・20世紀に後戻りさせてはならない」。メルケル首相は、3月14日に連邦議会で行った演説で、ロシアのプーチン大統領(以下略称)を厳しく批判した。

第2の東西冷戦?

現在、欧米とロシアの関係はベルリンの壁崩壊後最悪の状態にある。プーチンは3月初めにクリミア半島に戦闘部隊を送ってからわずか1カ月の間に、クリミア半島をロシアに編入した。クリミア半島に駐屯していたウクライナ軍の将兵約1万8000人の大半はロシア軍に寝返り、プーチンは本格的な戦闘も行わずに、ウクライナの領土の一部を手に入れた。

このため欧州連合(EU)と米国は、ロシアの議会関係者や軍人らが欧米に持つ銀行口座を凍結したり、入国を禁止したりするなどの制裁措置を発動。さらに主要経済国の意見交換の場であるG8からロシアを締め出し、6月にソチで予定されていた首脳会議もボイコットした。

今、メルケル首相の肩にはウクライナ危機の解決の糸口を見付けるという大きな責任がのしかかっている。ドイツは、2009年末に表面化したユーロ危機との戦いで、EUの事実上のリーダーとなった。メルケル首相は欧州委員会との緊密な連携の下で各国の利害を調整し、合意に導いた。この結果、ユーロ危機は現在のところ沈静化している。

リーダー役を期待されるドイツ

EU諸国や米国では、ウクライナをめぐる外交紛争においても、ドイツが主導権を握ることを期待する声が高まっている。その最大の理由は、ドイツとロシアには歴史的・経済的に深い関係があるからだ。東西冷戦の時代、旧東独には30万人を超えるソ連軍が駐留していた。1989年のベルリンの壁崩壊以降、当時首相だったヘルムート・コール氏はソビエト連邦共産党のゴルバチョフ書記長と交渉して、東西統一への同意を勝ち取った。さらには、旧東独からのソ連軍の撤退も了承させた。

ドイツは合意と引き換えに、旧東独から撤退するソ連軍将兵が祖国で暮らす住宅の建設費用を負担するなど、様々な経済支援を行ってきた。ドイツは、旧ソ連諸国が政治的・経済的な混乱に陥った場合、難民の流入などによって最も大きな影響を受ける。このため、ドイツはロシアやウクライナとの関係を積極的に維持してきたのである。「ロシアを西側の運命共同体に取り込むことが、欧州全体の安定性を高める」というのが、歴代のドイツ政府の外交政策の基本であった。ドイツの提案により、1990年代にロシアをG7に迎え入れたのも、この哲学の表れである。

深い経済関係

経済関係も密接だ。ドイツは、単独の国としてはロシアとの貿易額が最大で、約6300社のドイツ企業がロシアに生産や営業活動の拠点を置いている。フォルクスワーゲンやシーメンスなどの大手企業だけでなく、中規模企業(ミッテルシュタント)もロシアに拠点を持っており、その投資額の合計は約200億ユーロ(2兆8000億円、1ユーロ=140円換算)に達する。さらに、天然ガス輸入量の35%をロシアに依存している。

また、ドイツはユーロ危機に端を発した不況によって大きな悪影響を受けていないため、ウクライナ問題に専念する余裕がある。これに対し、フランスやイタリアはロシアに地理的に遠い上、今なお不況の影響で苦しんでおり、自国の経済状態と財政を立て直すことで手一杯だ。また英国は、ロシアの富豪たちが欧州で最も多く投資を行う国であるため、ロシアに対する制裁については消極的だ。英国は将来、国民投票によってEUに残留するかどうかを決定する方針を発表しており、EUに対して距離を置く姿勢を強めている。

焦点はウクライナ東部

現在、メルケル首相やEUが最も憂慮しているのは、クリミア危機がウクライナのほかの地域に飛び火することだ。ウクライナ東部のドンバス地域では、ロシア系住民の比率が高く、一部の住民がロシアに帰属したいという意向を表明している。さらにプーチンは、ウクライナ東部国境に軍を集結させている。このため、欧米はウクライナ東部でも住民投票が行われ、ロシアがこの地域を併合することに強い危機感を募らせている。

欧米は、ロシアがウクライナ東部も併合した場合、ロシアからの天然ガスや、石油の輸入削減や禁輸も含めた本格的な経済制裁に踏み切る方針だ。メルケル首相はそのような事態を防ぐために、プーチンと頻繁に電話で協議する一方、シュタインマイヤー外相をウクライナ東部などに派遣して、事態の沈静化を図っている。3月末には、欧州安全保障協力機構(OSCE)が文民監視団をウクライナに派遣し、情報収集を開始したが、これもドイツの提案に基づいている。

メルケル首相は、前任者のシュレーダー氏ほどプーチンと密接な関係を築いていなかった。むしろ旧ソ連支配下にあった東独で育ったこともあり、秘密警察出身のプーチンに対しては、元々批判的で冷淡だった。

過去20年間で最も重大な安全保障上の試練を、メルケル首相はどう乗り切るのだろうか。

4 April 2014 Nr.975


最終更新 Mittwoch, 02 April 2014 17:08
 

ウクライナ危機とドイツ

2月末にウクライナで起きた政変はクリミア半島に飛び火し、西欧諸国や米国まで巻き込む事態となった。ドイツ連邦政府のシュタインマイヤー外相は、この事態を「ベルリンの壁崩壊以来、欧州の安全保障にとって最大の危機」と呼ぶ。欧米とロシアが対立する「第2次冷戦」を懸念する論調も強い。

クリミア半島を「占領」したロシア

 3月初めから黒い覆面で顔を隠し、国家記章や階級章を軍服から外した完全武装の兵士たちが、クリミア半島の空港や議会の建物を占拠。ウクライナ軍の兵舎を包囲した。その数は3万人に達すると言われる。

私は、テレビカメラの前で公共施設を封鎖する兵士たちの姿を見て、1961年8月に東独人民軍の兵士や警察官たちが、東西ベルリンの境界線に立ちはだかり、街の分割を始めた光景を思い出した。

ロシアのプーチン大統領(以下略称)は、キエフでの激しい市街戦の結果、ヤヌコビッチ大統領が失脚したことについて、「外国のテロリストによるクーデターによって、国家元首が追い落とされた。新しいウクライナ政府を承認することはできない」と主張し、「クリミアのロシア系市民を守る」という大義名分の下、戦闘部隊を投入した。ウクライナはロシアが「近い外国」と呼ぶ国の1つであり、かつてソビエト連邦に属していた国だ。

武装集団
クリミア半島でウクライナ軍の歩兵部隊基地を巡回する国籍不明の武装集団

ウクライナの西側接近を警戒

プーチンが恐れているのは、ロシア寄りだったヤヌコビッチ大統領が失脚したことで、ウクライナの新政権が欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)に加盟することだ。「近い外国」の一国が西側陣営に属することは、ロシアを取り巻く「防御帯」の縮小を意味する。1941年にナチス・ドイツ軍に侵攻されたソビエト連邦は、約2000万人の犠牲者を出し、国土が荒廃した。この記憶を持つロシアは、周辺国の西側諸国への急接近を強く警戒し、プーチンはウクライナのEUやNATOへの加盟を断固阻止しようとするだろう。

プーチンは、旧ソ連の秘密警察・対外諜報機関であるKGB出身。彼は過去に「ソビエト連邦の崩壊は、20世紀最大の惨事だった」と言ったことがあり、この言葉は、プーチンがソビエト連邦時代に強い郷愁を抱いていることを物語っている。彼が「近い外国」の国々からなる「ユーラシア連合」を創設しようとしていることも、EUやNATOに対抗する「東側陣営」を再生しようとする試みだ。

一方、ドイツなどEU加盟国と米国は、「ロシアのクリミア占領は、ウクライナの国家主権を侵すものであり、国際法に違反する」と強く批判。ロシアがクリミアから軍を撤退させない場合には、ロシア人へのビザの発給制限や、ロシア企業が西側に持つ資産の凍結を含む制裁を実施する方針だ。

EUはウクライナ新政権に、110億ユーロに上る経済援助を約束したほか、同国との間に提携条約を締結する方針で、これはロシアに対抗してウクライナ政府を強力に支援しようとする西側の決意の表れである。

EU経済に暗雲?

だが、旧ソ連のアフガニスタン侵攻後の経験からも明らかなように、経済制裁の効果は極めて低い。プーチンが経済制裁によって「改心」するとはとても考えられない。逆にロシアは、制裁に報復するためにEU向けの天然ガスなどの供給を減らす可能性がある。EUはエネルギー源をロシアに大きく依存しており、EU諸国が輸入する天然ガスの約3分の1はロシアからのものである。EUの石油、石炭についても、ロシアは最大の供給国だ。2009年にはロシアがウクライナへのガス供給を一時止めたために、ブルガリアやスロバキアなどのEU加盟国も影響を受けた。

さらに、ドイツはEUの制裁に同調する姿勢を打ち出したものの、ロシアと密接な経済関係があることから、当初制裁には及び腰であった。メルケル首相が、制裁よりもロシアと「コンタクト・グループ」という協議の場を作ることを最重視したのはそのためである。

ドイツは、ロシアの貿易額の8.7%を占め、同国にとって世界で3番目に重要な貿易相手国だ。現在ロシアでは約6100社のドイツ系企業が活動しており、投資額は約200億ユーロ(2兆8000億円・1ユーロ=140円換算)に上る。

ウクライナ危機は、ロシアと西欧間の経済紛争に発展する危険性がある。その場合、ユーロ危機後の不況からの回復途上にあるEU経済は、打撃を受けることになるだろう。

リーダー役を期待されるドイツ

親ロシア派のクリミア議会は、3月11日にウクライナからの独立を宣言した。この記事が掲載されるときには、すでにクリミア半島での住民投票が終わっているはずだ。住民の過半数を占めるロシア人は、この投票を通じて、クリミア半島をロシアに帰属させることを要求するだろう。その場合、EUと米国はロシアへの姿勢を硬化せざるを得ない。だがプーチンは、EUも米国も武力介入できないことを知っている。米国はもはや「世界の警察官」ではないからだ。

ウクライナ危機は、ドイツそして欧州全体に長期間にわたって暗い影を落とすだろう。歴史的にロシアとの関係が深いドイツには、プーチンとの交渉役として大きな期待が掛けられている。メルケル首相は危機のエスカレートを防ぐことができるのだろうか。

21 März 2014 Nr.974


最終更新 Donnerstag, 20 März 2014 13:49
 

大連立政権を揺るがす エダティー事件

日本と同じく、ドイツの政界も一寸先は闇だ。そのことを感じさせるのが、現在メルケル政権を揺るがしている「エダティー事件」だ。社会民主党(SPD)の議員が行ったオンライン・ショッピングがきっかけとなって、2カ月前に発足したばかりのメルケル政権の閣僚が辞任に追い込まれるとは、誰が想像しただろうか。

捜査情報を漏えいした大臣

2月14日、メルケル政権のハンス=ペーター・フリードリヒ農相(キリスト教社会同盟=CSU)が、辞任を発表した。その理由は、同氏が内相だった昨年10月に、連邦検察庁の捜査情報をSPDの党首らに漏らしたからだという。

2月14日、農相を辞任したフリードリヒ氏(CSU)
2月14日、農相を辞任したフリードリヒ氏(CSU)

フリードリヒ氏は、検察庁がSPDのゼバスティアン・エダティー連邦議会議員(当時)に対し、児童ポルノグラフィーのデータを買った疑いで捜査を行っていることをSPDのジグマー・ガブリエル党首に伝えた。昨年11月にカナダの警察が児童ポルノを販売していた企業を摘発した際、その顧客リストにエダティー氏の名前が含まれていたという。ガブリエル氏はこの情報を同党のトーマス・オッパーマン院内総務らに通告。エダティー氏は、2月7日に議員を辞職した。

2月10日、検察庁と警察はエダティー氏の自宅と事務所を家宅捜索したが、検察庁によると「明らかに児童ポルノと断定できる露骨な映像は発見できなかった」という。

その理由としては、2つの可能性が考えられる。1つは、エダティー氏が購入した映像が法に抵触しない内容であった可能性。もう1つは、SPD関係者がエダティー氏に捜査の情報を伝えたために、彼が法律に触れるような映像を捜索前に廃棄した可能性だ。エダティー氏は2月に、連邦議会に対して「列車の中で議会から貸与されていたコンピューターを紛失した」と届け出ている。彼がコンピューターを紛失した1月に、直ちに議会に報告しなかったことも不自然である。

捜査妨害の可能性も

なぜ捜査当局が、エダティー氏の家宅捜索で法律に違反する映像を見付けられなかったのかは分かっていない。しかし、仮にSPD関係者が情報を漏らしたために証拠が隠滅されたのだとしたら、捜査妨害という重罪である。

フリードリヒ氏の責任も大きい。昨年秋の時点では、警察と検察庁はエダティー氏について「疑わしい点がある」と考えていただけであり、クロとは断定していなかった。内相が進行中の捜査について、捜査に関係のない政治家に伝えるというのは言語道断である。その情報が第三者に伝わって、捜査が妨害される危険性があるからだ。さらに、仮に容疑者の嫌疑が最終的になくなり、「シロ」という結果になっても、内相が伝えた情報が独り歩きして、無実の市民がメディアなどに追及される危険性もある。したがって、フリードリヒ氏は、エダティー氏に関する捜査情報を部外者に伝えるべきではなかったのだ。捜査関係者は、内相が捜査情報を容疑者の属する政党に伝えていたという事実に唖然としたはずである。

このため検察庁は、2月26日にフリードリヒ氏に対して、「秘密漏えい」の疑いで捜査を開始した。法治国家ドイツでは当然のことだが、「法の番人」であるべき内相が捜査情報を漏らして検察の捜査を受けるとは、前代未聞である。

法律よりも党利党略を優先

これに対しフリードリヒ氏は、辞任の意向を明らかにしたときの記者会見で、「私は正しいことをしたと思っている」と反論。彼は、このような重要な情報を独占することは許されないと思っていたようだ。確かに、フリードリヒ氏がこの情報を得たのは、政治的に極めてデリケートな時期だった。当時キリスト教民主同盟(CDU)とCSU、SPDは大連立政権を樹立するために、連日連夜交渉を続けていた。

フリードリヒ氏は、機微な情報を入手して、こう考えたに違いない。「もしも自分がエダティー氏に嫌疑がかかっていることを誰にも伝えなかったら、SPDがエダティー氏を政権内で要職に就かせる可能性もある。後にエダティー氏が『クロ』と断定された場合、このことをSPDに連絡しなかったとして自分が責任を問われる。だからSPDに連絡して、児童ポルノを買った疑いがある人物を要職に就かせるかどうか、党自身に判断させよう」。だがこれは、法律よりも党利党略と自分の保身を優先する考え方であり、まさに噴飯ものである。フリードリヒ氏が非を認めず、自分の行為の正当化を試みていることは、彼が内相の器ではなかったことを示している。

大連立政権に不協和音

エダティー事件のために、大連立政権の足並みは大きく乱れている。閣僚の1人を失って激怒したCSUは、SPDの情報管理に問題があったのではないかと批判する。連邦議会に、エダティー事件に関する調査委員会を設置するべきだという意見もある。

エダティー氏は、「自分は法律に違反しておらず、検察庁の捜査は不当だ」と主張している。メディアからは、検察庁が情報を入手してから4カ月間もエダティー氏に対する強制捜査に踏み切らなかったことを批判する声も出ている。

メルケル首相はこの事件について多くを語らないが、「捜査情報を外部に漏らしたウブな内相」を見て、CSUの人材不足を苦々しく思っているに違いない。

7 März 2014 Nr.973


最終更新 Donnerstag, 06 März 2014 12:17
 

ドイツは軍事貢献を増やすべきか?

毎年1月、ミュンヘンで世界各国の外相や国防相らが集まり「安全保障会議」が開かれているが、今年は2月1日から3日間にわたって開催され、「ドイツの軍事貢献」が重要なテーマの1つとなった。

積極的な貢献を求めたガウク大統領

ドイツのガウク連邦大統領は、この会議の冒頭に行った演説で、「ドイツは国際的な安全保障の分野で、十分な責任を果たしていない。我々は、連邦軍の派遣も含めて、もっと積極的に貢献するべきだ」と述べて、大きな注目を集めた。

ガウク氏によると、ドイツは今日、世界でグローバル化が進んだことにより、経済的に大きな恩恵を受けている。そのことは、この国が世界最大の貿易黒字国であることにも表れている。貿易だけではない。ドイツ企業はアジアや北米、南米など、多くの地域で生産活動を行っている。ドイツ政府は、欧州の多くの国との間で関税や国境検査を撤廃し、ユーロ圏では同じ通貨まで使用しており、これはドイツにとって重要な「グローバル化の果実」と言える。

大統領は、「ドイツにとって、21世紀の外交政策の中で最も重要な目標は、現在の国際秩序を守り、将来へ向けて発展させることである」と断言した。

しかしガウク氏は、現在のドイツの努力が不十分であるとみている。「ドイツが、これまでと同じように外国での紛争について知らん顔をすることは許されない。我々は同盟国の良きパートナーとして、国際貢献を増やすべきだ」と主張する。

軍事貢献も選択肢に

最も注目すべき点は、ガウク大統領が、地域紛争などへの対処には資金援助だけではなく、ドイツ連邦軍の派遣も含まれるべきであると主張したことだ。「ドイツはナチス時代の経験のために、長年にわたって他国から軍事貢献は求められなかった。しかし今日の世界では、平和主義を理由に貢献を怠ることは許されない」と述べ、外国の紛争で市民が苦しんでいる時に、ドイツが「自分たちには関係ない」と無視してはならないというのだ。もちろんガウク氏は、軍事貢献さえすれば良いと言っている訳ではない。軍事貢献はほかの手段では効き目がない時に使う最後の手段であり、連邦議会で十分な議論を行った上で、実施すべきか否かを判断しなければならない。

しかし、東独時代に福音主義教会の神父だったガウク氏が「外国での紛争に対処する際の手段として、軍事貢献を選択肢の中から除外してはならない」と主張していることは、非常に興味深い。

ドイツは軍事貢献を増やすべきか?

増加する地域紛争

なぜ、ガウク氏はこのような演説を行ったのだろうか。鉄のカーテン崩壊後、ドイツなど欧州の国々が平和な状態を享受しているのに対し、中東やアフリカでは地域紛争が多発している。

南スーダンの分離独立をめぐる地域紛争では、すでに200万人が死亡し、400万人が難民となった。シリアの内戦では約10万人が犠牲となり、900万人を超える市民が故郷を追われた。1994年にルアンダで起きた部族紛争では、国際社会が見守る中、80~100万人の市民が虐殺された。

米国は世界で最も強大な軍事力を持ち、あらゆる地域での紛争に、短時間のうちに介入する能力を備えた唯一の国だ。しかし、米国はもはや「世界の警察官」ではない。米国は2001年の同時多発テロ以降、アフガニスタンとイラクでの戦争で疲弊し、莫大な財政赤字と債務に苦しんでいる。このため米国は、国益が直接絡まない地域紛争への介入は拒む。

例えばオバマ米大統領は、シリアのアサド政権に対して「化学兵器の使用というレッドラインを越えたら、米国は黙っていない」と見得を切っていた。それなのに、シリア政府軍が昨年8月21日に、ダマスカス近郊で神経ガスのサリンを使用して多くの市民から死傷者を出した時、米国は軍事介入を行わなかったのである。この出来事は米国の権威に深い傷を付けた。米国だけでなく国連でさえもシリアを非難するだけで、紛争を終わらせる上で有効な措置を何も取れなかった。

独自の紛争処理能力を問われる欧州

つまり、仮に将来、欧州で旧ユーゴ内戦のような事態が発生しても、米国が軍事介入して助けてくれるという保証はないということである。90年代に吹き荒れたボスニア・ヘルツェゴヴィナやコソボの内戦は、米軍が軍事介入してようやく終息した。当時の欧州連合(EU)は、自力で紛争を終わらせることができない「張子の虎」だった。

欧州諸国は、米国が参加しなくとも、自力で地域紛争に軍事介入して、停戦させることができる危機管理体制を持たなければならないのだ。

近年では、ドイツ政府の消極的な姿勢が目立つ。例えばヴェスターヴェレ元外相は、国連安全保障理事会がリビア内戦への限定的な軍事介入を決議した際に棄権した。その時、米英仏などの同盟国は、ドイツが軍事介入に賛成しなかったことに驚愕した。

これまでドイツは「経済では巨人、軍事貢献では小人」という態度を取ってきたが、今後はほかのEU加盟国からも、ドイツに積極的に軍事貢献をしてほしいという声が強まるに違いない。自国の兵士の命を危険にさらすだけに、政府にとっては苦しい選択を迫られる局面が増えるだろう。

21 Februar 2014 Nr.972

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 10:43
 

東アジアの緊張緩和を!

昨年12月26日、安倍首相が靖国神社を参拝した。ほとんどの首相側近は、国際関係に配慮して参拝を思いとどまるよう説得を試みたが、首相は個人の信条を重視して、参拝に踏み切った。

読者の皆さんは、この靖国参拝に対するドイツ・メディアの報道について、どう思われただろうか。

厳しい独の論調

ドイツ・メディアの、靖国参拝に対する論調は厳しかった。例えば、保守系日刊フランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)は、第1面で安倍首相の靖国参拝を取り上げ、首相の態度を厳しく批判する社説を載せた。「安倍首相は、靖国参拝によって自民党内外の国粋的な勢力から高い評価を受け得るだろう。だが、首相のこの態度は懸念を募らせる。彼は日本を、各国に共通で普遍的な価値観や人権とは別の方向に導こうとしている」。記事を書いたシュトルム記者は、「日本の歴史認識を中国が批判するのはもっともだ」と述べ、中国側に軍配を上げる。また、リベラルな立場を取る週刊ツァイト紙も「首相は参拝によって中韓を挑発した。日本はドイツと比べると、歴史との批判的な対決を怠ってきた」と手厳しい。

南ドイツ新聞のナイトハルト東京特派員も、「参拝は計算された挑発だ」と指摘。彼は「安倍首相は靖国参拝によって、中韓との経済関係に悪影響を及ぼす。中韓は靖国神社を参拝した首相とは交渉したがらないだろう。(中略)だが安倍首相は、彼の右翼的思想と軍国日本へのノスタルジーを覚えつつも、中韓と良好な経済関係を維持できると考えているようだ」と批判する。

安倍首相による靖国神社参拝
安倍首相による靖国神社参拝
靖国神社本殿の参拝を終えた安倍晋三首相(左)=
2013年12月26日午前、東京・九段北「時事(JIJI)」

「歴史を反省しない日本」のイメージ

ただし、このような論調は珍しくない。ドイツのメディアは、約20年前から日本の歴史認識について批判的だからだ。私は24年前からドイツに住んでいるが、新聞・テレビ・雑誌を問わず、「日本政府はドイツと違って、戦争中に自国が行った残虐行為やほかのアジア諸国に与えた被害について真剣に反省していない」という報道に繰り返し接してきた。

この結果、多くのドイツ人の間では「日本は過去の過ちを真剣に反省しない国」というイメージが出来上がっている。特にFAZは、販売部数こそ約34万部と少ないものの、首相をはじめとする閣僚、連邦議会議員、中央官庁の幹部、大学教授、企業のトップらにとっては必読紙となっている。よって、この新聞がドイツの政財界のリーダーや知識層に与える影響は大きいと言えるだろう。冒頭に掲げたような記事によって、ドイツの知識層の日本に対するイメージが形成されていくのは、我が国にとって決してプラスにはならない。

深まる経済関係

私は、日本・中国・韓国の間で対立が深まっていることに強い危惧の念を抱いている。これら3国間では、歴史問題へのパーセプション・ギャップ(認識のずれ)が広がっているからだ。朝日新聞の12月末の世論調査によると、回答者の41%が「安倍首相の靖国参拝は良かった」と答え、産経新聞のアンケートでは、30代の回答者の過半数が「評価する」としている。ネット上では、「首相が戦死者に哀悼の意を表して何が悪い」と発言する若者も少なくない。日本の現代史に関する教育が、不十分な証拠である。

実のところ、経済や貿易の面では、日中韓の関係は深まっている。中国、台湾、香港の若者の間では、日本文化や和食、化粧品への関心が非常に強く、日本を訪れる観光客の数も増えている。「安全で美味しい」という理由から、日本からの食材もたくさん香港に輸入されている。中国、香港、台湾の消費者は、日本の製品に多大な信頼を寄せているのだ。

このように、草の根的に深まっている交流や経済関係が、政治上の諍いさかいによってダメージを受けるのは残念である。日本の経済界はコメントを発表していないが、本音の部分ではこの靖国参拝が日中貿易に与える影響について、憂慮する人もいるのではないだろうか。

相互信頼の回復を!

もちろん、日本だけが一方的に批判されるのは不当である。尖閣諸島を含む海域上空への防空識別圏の設定や、反日教育、軍備拡張など、中国側の態度にも大きな問題がある。中国は日本だけでなく、フィリピンやベトナムとも島の領有権をめぐって対立している。

だが、世界で第2・第3の経済大国の首相が領土や歴史認識で対立し、会談すら実現していないことは、異常事態だ。米国やドイツは、中国との間で着々と首脳外交を展開している。

現在東アジアが必要とするのは、緊張緩和と相互信頼の回復だ。この時点で国家の最高指導者が、個人的な信条を理由に地域の緊張を煽ることは、長期的に見て日本の国益に適うのだろうか。米国政府は「安倍首相の靖国参拝に失望した」という異例の声明を発表した。安倍首相は今回の参拝によって、米国と中国の関係性をより近付けてしまったとも言える。

本来、アジアにとっての理想的なシナリオは、日本と中国が欧州連合(EU)におけるドイツとフランスのように協力し、牽引役となることだ。アジア人は勤勉で、力を合わせれば経済的に欧米を凌駕することはたやすい。だが今のところ、そうしたシナリオは各国の政治家たちの頑なな態度のために、遠い夢である。

東アジア地域の緊張が一刻も早く緩和され、対話が再開されることを切望する。

7 Februar 2014 Nr.971


最終更新 Donnerstag, 06 Februar 2014 11:37
 

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