独断時評


日本人とドイツ人

3月11日にわが国を襲った東日本大震災と福島第1原発の事故は、日独のマスコミの報道姿勢の違い、そして日本人とドイツ人の危機に際してのメンタリティーの違いを浮き彫りにした。日本の報道機関は、確認されていない情報をすぐに垂れ流しにはせず、生存者の救出や道路の復旧などの「安心情報」も伝えた。視聴者や読者に強い不安感を与えたり、社会にパニックが起きたりするのを防ぐためである。この姿勢は、ドイツ人など欧米人からは「重要な情報を隠している」という非難につながった。

ドイツのマスコミは、そうした配慮なしに事実を包み隠さず伝えた。「恐怖の原発」「世界の終わり」「原発の呪い」という見出しはセンセーショナリズムに満ちていた。

日本人女性と結婚しており、滞日歴が長いあるドイツ人ビジネスマンは、ドイツの有力紙フランクフルター・アルゲマイネへの投書の中で「日本に住んでいるドイツ人は、ドイツに住む家族、友人、知り合いなどから“すぐに日本を離れろ”と言われ、これまでになかったようなプレッシャーを掛けられた。日本に住むドイツ人が(すぐに離れる必要はないと)反論すると、無責任だとか、リスク意識が低いと批判された」と述べている。ほかのドイツ人も、同じような体験をしたという。欧州に友人を多く持つ、私の日本人の知り合いもドイツ人から「日本を脱出しろ」とか「ドイツに来い」と言われた。また「ヨードの錠剤やビタミン剤を用意しなさい」というアドバイスももらったそうだ。あるドイツ人女性は、日本を脱出するかどうかで日本人の夫と意見が分かれ、子どもだけを連れてドイツに一時帰国した。

もちろん、こうした忠告は、家族や友人を心配する親切心から行なわれたものである。それにしても、日本にいるドイツ人の中には、ドイツに住む知人らの反応に、いささか大げさなものを感じた人もいるようだ。私は過剰な反応の理由の1つは、ドイツの震災・原発事故に関する報道が悲観的な論調で、不安感をあおったためと考えている。公共放送ARDのアリアーネ・ライマース(Ariane Reimers)記者のように、カメラマンとともに被災地に入り、独自取材をして丁寧に住民や自治体関係者の声を伝えたジャーナリストもいたが、このような報道姿勢は少数派であり、日本からの大半のレポートは表面的な内容だった。比較的質が高い「Süddeutsche Zeitung( 南ドイツ新聞)」も3月16日付の第一面に「Atommeileraußer Kontrolle –Tokio in Angst(原子炉、制御不能。不安におののく東京)」という大見出しの下に、通勤電車の窓ガラス越しに撮影した日本人女性の写真を載せている。女性はマスクをしているが、日本では花粉症予防のためにマスクを付けることは珍しいことではない。しかし写真には、「東京の放射線量は危険な水準に達してはいないが、多くの市民が東京を脱出している」という説明文が付けられている。日本の状況を知らないドイツ人は、この女性が放射性物質を吸い込むことを恐れてマスクをしていると誤解するに違いない。

ドイツ人はチェルノブイリ事故による土壌や野菜の汚染を経験しており、原発事故に神経質になっている。さらに彼らは日本人と比べると、リスク意識が高い。自分や家族を守るために、危険が少ない地域へ移動するのは個人の自由であり、批判されることはない。これに対し日本では、危機の際にはじたばたせずに、冷静に行動するのが美徳とされている。特に非常事態にこそ、助け合いと団結が求められる。こうした国民のメンタリティーの違いを意識することも、日独が相互理解を深める上で重要なのではないだろうか。

3 Juni 2011 Nr. 870

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 09:28
 

ドイツでエコ電力ブーム

福島第1原発の事故以来、ドイツの電車やバスの中で「Atomkraft ? Nein Danke!(原子力? いりません!)」と書いたバッジを胸に付けたり、ステッカーを車に貼ったりしている市民を、よく見かけるようになった。下地が黄色で、真ん中に赤色の顔を配したこのバッジは、1980年代に西ドイツで反原発運動が盛んだった時に、多くの若者が着けていたもの。一時下火になっていたが、今年3月11日以来、再び目立つようになってきた。原発の周辺などで行なわれる抗議デモでは、必ずこのマークが入った旗が乱舞する。

ドイツでは福島第1原発の事故以降、市民の間で反原子力の感情が急激に高まり、4月末のバーデン=ヴュルテンベルク州の州議会選挙では環境政党・緑の党が圧勝して、初めて州首相の座を獲得した。この革命的な事態を前に、メルケル政権も原子力擁護の態度を180度転換して、2021年頃にこの国から原子力発電所を廃止すべく、現在準備作業を進めている。遅くとも今年の夏休みまでには、原子力法の改正案が連邦議会と連邦参議院を通過して、原子力エネルギーの利用に終止符が打たれることになる。町で見かける原発反対マークは、この政策が草の根の市民たちによって、強く支持されていることを象徴している。

原子力を廃止した後の代替エネルギーとしてドイツ政府が最も大きな期待をかけているのが、風力や太陽光などの再生可能エネルギーだ。この国は1998年に成立したシュレーダー政権の時以来、多額の資金を投入して再生可能エネを助成してきた。連邦環境省などによると、その結果、電力消費量に再生可能エネが占める割合は、2000年には6.6%だったが、2010年には16.8%に増えている。10年間で2.5倍に増加したのだ(ちなみに資源エネルギー庁によると、日本の2007年実績はいわゆる新エネルギーと水力 を合わせて、8.4%。再生可能エネの定義が日独で異なるので比較は容易ではないが、日本の比率がドイツを下回っていることは確かだ)。

メルケル政権は昨年発表した長期エネルギー戦略の中で、2050年までに発電量の中に再生可能エネが占める比率を80%に引き上げるという方針を打ち出している。福島第1原発の事故以降、ドイツ市民の間でもエコ電力に対する関心が強まっている。ハンブルクのリヒトブリック社は、再生可能エネを使った電力だけを販売するエコ電力専門会社。連邦議会もこの会社から電力を買っている。この会社では、福島の事故以来、新しい顧客の数がそれ以前の3倍のペースで増えた。

また、電力に関するインターネットの情報ウェブサイト「ヴェリボックス」が 今年4月に行なった調査によると、「次に電力会社を変える時には、再生可能エネだけから作られた電力を買う」と答えた市民の比率が86%に上っている。(ドイツでは日本と異なり、1998年の電力市場の自由化によって、市民も電力の購入先を簡単に変更できる)特にハンブルクで は、市民の再生可能エネへの関心が非常に強い。「次はエコ電力に変える」と答えた市民の比率は、今年1 月には52.8%だったが、福島の事故後は93.3%と大幅に増えた。

日本では菅首相の要請で、中部電力が浜岡原発のすべての原子炉を、防波堤の整備が終わるまでの間、停止させた。しかし政府は引き続き原子力を使用する方針を明らかにしている。エネルギー政策について全く異なる道を歩む日本とドイツ。歴史はどのような判断を下すのだろうか。

27 Mai 2011 Nr. 869


最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:39
 

深まるギリシャ危機

世界中の目が東日本大震災と原発事故、そしてパキスタンのビンラディン殺害現場に向けられている間に、ヨーロッパでは深刻な「財政メルトダウン」が進んでいた。2年前に表面化したギリシャの債務危機が悪化しているのだ。ルクセンブルクのユンカー首相は8日、「ギリシャにはさらなる支援プログラムが必要だ」と述べ、ギリシャ政府が1年前にほかのEU加盟国とIMF(国際通貨基金)から受けた1100億ユーロ(12兆1000億円)の金融支援だけでは十分でないという見方を示した。その理由は、ギリシャ政府が財政健全化政策を進めているにもかかわらず、公的債務の負担がますます増大しているからだ。公的債務が国内総生産(GDP)に占める比率は2年前には127.1%だったが、現在は142.8%に増えている。財政赤字がGDPに占める比率も、2009年に比べて4.9ポイント改善したものの、10.5%といまだ高い水準だ。

この背景には、増税などによってギリシャの不況が深刻化しているという事情がある。今年1月にギリシャでは、住宅などの建築許可件数が前年比で62%も減った。新車の販売台数も、昨年に比べて62%減少している。

また、格付け機関スタンダード・アンド・プーアズは、ギリシャの信用格付けを2段階落として「B」にした。これによって同国は金融市場で資金を調達することが一段と難しくなった。

金融市場では、「ギリシャが債務のリスケジューリング(借り換え)をすることは避けられない」という憶測が流れている。借り換えは過去に過重な債務に苦しんだロシアやアルゼンチンなどが行なったことがある。借り換えを行った国にお金を貸している投資家は、自分の債権の一部を放棄させられる可能性がある。つまりギリシャに投資していた銀行などが、多額の損失を受ける恐れがあるのだ。欧州中央銀行(ECB)は、ギリシャがリスケジューリングを行なう可能性を真っ向から否定している。だがドイツの民間銀行の間では、ギリシャがEUからの融資を返済できるかどうかについて、楽観的な見通しを持っている人は少ない。

またギリシャでは、「ユーロ圏を脱退して、以前の通貨ドラクマを再び導入するのではないか」という噂も流れており、市民の不安が高まっている。ドラクマを導入すれば、ギリシャ政府はこの通貨をユーロに対して切り下げることによって、ユーロ圏への輸出を有利にすることができる。しかしEUやIMFへの借金はユーロで返済しなくてはならないので、ドラクマ導入は債務が増加することを意味する。さらに欧州通貨同盟に一度参加した国の脱退が可能であるかどうかについても、意見が分かれている。

EU最大の経済パワーであるドイツは、ギリシャやアイルランドに対する支援プログラムの中で最も大きな負担を強いられている。したがって保守派の議員を中心に「これ以上ギリシャに金を貸すことには反対だ」という声が上がっている。

欧州通貨同盟に属するギリシャが国家破たんに追い込まれた場合、ユーロに対する信用性にも傷が付くかもしれない。

ユーロの危機は巨大地震や津波、崩れた原子炉の建屋と違って、目には見えない。しかしギリシャの苦境が統合ヨーロッパにとって重大な脅威となりつつあることは、間違いない。EUは、欧州の病人ギリシャを救い、共通通貨ユーロに対する信用性を守ることができるだろうか?今年の後半が正念場となるかもしれない。

20 Mai 2011 Nr. 868

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:39
 

ビンラディン殺害後の世界

国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディンは、10年前の同時多発テロで約3000人の市民を殺害した。ニューヨークとワシントンという米国の中枢をテロで直撃したのは、アルカイダが初めてである。このため、ビンラディンは米国政府にとって「エネミー・オブ・ザ・ステート」つまり国家の敵ナンバーワンだった。オバマ米大統領は「5月1日に、海軍特殊部隊がパキスタンに潜伏していたビンラディンを銃撃戦の末、殺害した」と発表。WTC(世界貿易センター)の跡地やホワイトハウス前には多数の市民が集まり、宿敵の殺害を祝って「USA、USA」と歓喜の声を上げた。

米国は、長年の悲願を達成した。2001年以来続いている世界規模の対テロ戦争は、大きな節目を迎えたことになる。ドイツ政府を始め、西欧諸国も悪質なテロ組織のトップが排除されたことを歓迎している。だが欧米諸国は、手放しで喜ぶことができるのだろうか。

米国は「イラクの独裁者サダム・フセインが毒ガスなどの大量破壊兵器(WMD)をテロ組織に渡す恐れがある」という口実を使って2003年にイラクに侵攻した。WMDは見付からず、米国の主張は嘘だったことがわかったが、米国はフセイン政権を転覆させてこの指導者を処刑させることに成功。しかし世界保健機関(WHO)は、開戦からの3年間に死亡したイラク市民の数が約15万人に上ると推定している(実際の死者数は65万人を超えるという調査結果もある)。またアフガニスタンでの戦争でも、民間人に多数の死者が出ている。国連が2010年に発表した調査結果によると、アフガン市民の死者数は少なくとも2777人。ウィキリークスが公表した米軍の資料によると、約2万4000人の市民が死亡している。

さらに米国は「対テロ戦争」の大義名分の下に、著しい人権侵害を行なってきた。米国は同時多発テロ以降、アルカイダやタリバンの構成員と見られる人物およそ1000人を、キューバのグアンタナモ収容所に無期限にわたり司法手続きなしに拘留した。さらにテロ組織に所属していると見られる容疑者を欧州などで拉致し、アフガニスタンや東欧、中東諸国に設置した秘密の拘留施設で尋問した。時には拷問も行なわれた。同時多発テロのプロジェクト・リーダーだったハリド・シェイク・モハメドも、顔を覆った布に水を注いで窒息させる拷問に屈して、全面自供に至ったとされる。

こうした米国の姿勢は、同国の信用性に深い傷を付け、イスラム教徒の間で過激勢力を増幅した。アルカイダはビンラディンが中央集権的にコントロールする組織ではなく、一種のフランチャイズ制を持つ組織である。このためビンラディンが死んでも、欧米諸国やイスラエルを狙う無差別テロは後を絶たないだろう。ロンドンやスペインでの自爆テロ、ドイツでのテロ未遂事件に見られるように、西欧諸国で育った移民の子どもたちがイスラム原理主義の思想にかぶれて、大量殺人に走るケースも増えている。

親米派だったエジプトのムバラク大統領が市民革命で失脚したように、アラブ世界では米国の影響力が低下している。パレスチナ人の抵抗組織ファタハとハマスが内紛を止めて、反イスラエル闘争で協力すると発表したことも重大な変化だ。パレスチナ解放闘争の中でイスラム過激派の影響力が強まることが確実になったからだ。ハマスはイスラム原理主義の影響が強い組織で、米国のビンラディン殺害を非難している。

欧州に潜伏した過激派が、ビンラディン殺害に報復してテロを起こす危険もある。米国の対テロ戦争のおかげで、世界がより安全になったとは決して言えない。

13 Mai 2011 Nr. 867

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:38
 

チェルノブイリと日本

今年4月26日は、チェルノブイリ原発事故から25年目だった。このためドイツの新聞やテレビは、世界で最も深刻な放射能汚染を引き起こしたチェルノブイリ原発事故について大きく報道した。前月に福島第1原発で事故が起きたばかりなので、チェルノブイリ事故についての社会の関心は非常に高い。福島の事故が起きるまでは、チェルノブイリ事故は世界で唯一「レベル7」に達した原発災害だった。

福島の事故は、電力会社が想定していなかった高さの津波によって引き起こされた。チェルノブイリでは、こうした外的要因なしに作業員が規則に反するテストを行なったため、原子炉が暴走して爆発した。またチェルノブイリでは制御材に黒鉛が使われていたが、この黒鉛が燃えて火災が発生し、原子炉内の大量の放射性物質が環境に撒き散らされた。

周辺の住民約35万人が退去させられ、現場から30キロ圏内は今も市民の立ち入りが禁止されている。兵士や消防士のべ80万人が消火や汚染土の処理にあたったが、当初兵士たちは防護服も与えられずに作業していたため、世界保健機関によると少なくとも30人が放射線障害のために死亡している。

放射性物質による長期的な健康被害については、いまだに激しい議論が行われており、統一見解がない。国連の放射線の影響に関する科学委員会(UNSCEAR)によると、事故から2005年までの19年間に、ウクライナやベラルーシなどでは子どもを含む6000人が甲状腺がんにかかった。国連では、その大半がチェルノブイリ事故によるものと推定しており、今後も患者数が増えると予想している。UNSCEARは、そのほかにはチェルノブイリ事故に直接起因する健康被害は見られないと主張している。しかし環境団体などからは、死者の数はこれらの数字よりも多いという見方も出ている。

チェルノブイリ事故は、原発災害の影響が広大な範囲に及ぶことを示した。火災によって1万メートルの高度まで吹き上げられた放射性物質は、気流に乗って1000キロ以上離れた西欧にまで到達したのだ。放射性物質を含んだ空気がドイツ南部の上空を通った時に激しい雨が降った。このためバイエルン州を中心に土壌や植物、野生動物がセシウム137などに汚染された。ドイツ環境衛生研究所(GSF)によると、当時ミュンヘン市内でも、1万9000ベクレルのセシウム137が一時的に検出された。このため「子どもを砂場で遊ばせないように」とする警告が出された。現在、福島県内では5つの公園で放射線量が基準値を上回ったため、公園の利用を1日1時間に制限している。25年前にドイツ人たちは現在の日本と同じ状況を体験したのだ。

チェルノブイリ原発は、黒鉛炉という西側では使われていない型の原子炉を使用していた。このため、「チェルノブイリ事故は社会主義圏に特有の事故だ。西側では、これほどひどい事故は起こりえない」という見方が有力だった。しかしこの「常識」は、福島の事故によって覆された。何らかの原因でディーゼル発電装置が故障し、外部からの電源が遮断されて原子炉の冷却システムが機能しなくなれば、燃料の溶融や水素爆発が起こることが明らかになったのだ。これは世界のどの原子炉にも通用することである。ドイツ人が福島の事故を「Zäsur(歴史の区切りとなる出来事)」と呼ぶのは、そのためである。もちろんこれまでのところ、福島第1原発から放出された放射性物質の量は、チェルノブイリ原発から放出された放射性物質の10%であり、2つの事故を単純に同一視することはできない。それでも、チェルノブイリ事故から四半世紀後に再び起きた原子力災害が、人類に重要な問いを投げ掛けていることは間違いない。

6 Mai 2011 Nr. 866

最終更新 Dienstag, 04 Oktober 2011 22:00
 

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