Hanacell
独断時評


ヴルフ演説と外国人論争

クリスティアン・ヴルフ連邦大統領が10月3日の統一記念式典で行った演説が、大きな議論を巻き起こしている。ヴルフ氏は「ドイツは世界各地からこの国にやってくる人々に対して開かれた国でなくてはならない。我々は移民を必要としている。外国人や帰化した外国人たちが、現在ドイツで行われている議論によって傷付いてはならない」と述べ、外国人を弁護する姿勢を示した。彼はティロ・ザラツィン氏の著作が引き金となってトルコ人などイスラム系市民に対する批判が強まっていることから、移民系市民の側に立とうとしたわけである。

そして彼は演説の中でこう言った。「キリスト教とユダヤ教は疑いなくドイツ文化の一部だ。しかし今ではイスラム教もまたドイツの一部だ」。この言葉に対して、連立政権の一翼を担うキリスト教社会同盟(CSU)から、激しい反発の声が上がったのである。

たとえばCSUのフリードリヒ議員は「ドイツの指導的文化は、キリスト教・ユダヤ教であり、イスラム教は指導的文化ではない。イスラム教がドイツ文化の一部であるという大統領の発言には同意できない」と述べた。CSUのほかの議員たちも、「イスラム教をキリスト教・ユダヤ教と同列に並べるのはおかしい」としてヴルフ氏の発言を批判している。

バイエルン州の首相であるゼーホーファーCSU党首は、さらに右寄りの発言をした。彼は「トルコやアラブからの移民が、ドイツ社会になかなか溶け込めないのは明らかだ。ほかの文化圏からの移民はもう必要ない」と述べ、ヨーロッパ以外からの移民の停止を求めたのだ。「ほかの文化圏(aus anderen Kulturkreisen)という言葉を文字通り解釈すると、トルコやイスラム諸国だけでなく、日本も含めたアジア諸国やインドなどからの移民も拒否するということになる。

天然資源に乏しいドイツの経済を支えているのは、外国との貿易である。この国の雇用の3分の1は、外国とのビジネスに直接・間接的に関わっている。私はヴルフ大統領が言うように、ドイツは外国に対して門戸を閉ざしてはならないと考えている。戦後の西ドイツは外国人の受け入れについて、比較的寛容な国だった。私はこのことが経済的、文化的にドイツを豊かにしてきたと思う。

移民の中には高い教育水準を持ち、ドイツの経済や文化に貢献している人もいる。トルコ人やイスラム系市民の中にも、高度な教育を受けた人はいるはずだ。たとえそうした人々が少数であっても、「異文化圏からの移民はいらない」として門を閉ざすことは、ドイツを精神的に貧しい国にするのではないだろうか。少なくともドイツの国際的なイメージを悪くすることは間違いない。CSU党員らの発言には、外国人に不満を持つ市民の票を確保しようとする意図がうかがえる。

ザラツィン氏の著作「Deutschland schafft sich ab」は110万部も売れた。マスコミも含めてこの本を批判するドイツ人は、少数派になりつつある。この本を読んだ多くの大学教授らが、次々に「正しい内容だ」とお墨付きを与えている。彼の本に集められているデータや見解は客観的には正しいかもしれない。しかしネオナチが支持する本がベストセラーリストの第1位になり、ほとんどのドイツ人がその主張に賛成するのは、外国人の1人として薄気味悪い。20年前のドイツでは考えられなかった現象だ。ドイツ政府の過去40年の移民政策に対するドイツ人の不満、この国で異文化が増殖することへの不安は、それほど大きいのである。統一後のドイツ人の意識は水面下で保守性を強めているのだろうか。その方向をしっかりと見極める必要がある。

22 Oktober 2010 Nr. 839

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:29
 

ドイツ統一とコール

1990年10月3日、当時のコール政権は東西ドイツの統一に成功した。ドイツはベルリンの壁崩壊から1年足らずで東西分断に終止符を打ち、国家主権を回復するという悲願を達成したのだ。コール氏の政治的センスは評価に値する。彼は壁崩壊をドイツ統一への千載一遇のチャンスと考え、わき目も振らずにこの目標へ向けて猪突猛進したのだ。私は1990年9月からミュンヘンに住んで、統一後ドイツがどう変化したかを定点観察してきたが、スピード統一の背景にはコール氏の手腕だけではなく、いくつかの「幸運」があったことを強く感じる。

コール首相は、壁が崩壊するや否や、米国など旧連合国と積極的な交渉を開始。特にブッシュ大統領(父)の強力な支援を得ることができた。当初、ソ連と英仏が統一に否定的だったことを考えると、米国がドイツの後ろ盾となったのは大きな幸いだった。

さらにソ連の最高指導者がゴルバチョフという、ソ連では稀な人物だったこともドイツにとっては幸運だった。ソ連は当初、統一後の東ドイツが西側の軍事同盟NATO(北大西洋条約機構) に加盟することに反対していた。しかしコール氏は粘り強く交渉を続け、ゴルバチョフの説得に成功した。もしも当時、ソ連の最高指導者がブレジネフやチェルネンコのような頑迷で保守的な人物だったら、ソ連がこれほど早く東ドイツを明け渡すことはなかったに違いない。変革を恐れないゴルバチョフは、ソ連の指導者としては珍しい人物だった。

そもそもベルリンの壁が崩壊して東ドイツ市民が西側に流れ出した時、ベルリン周辺に駐留していたソ連軍が出動してこの「無政府状態」を武力で鎮圧しなかったことも、ドイツにとっては僥倖(ぎょうこう)だった。ライプツィヒやドレスデンで市民の改革要求デモが起きた時にも、ソ連の戦車は沈黙したままだった。

だが欧州現代史のページをめくると、ソ連が過去に東ドイツやチェコ、ハンガリーなどで起きた市民の反政府デモや暴動を何度も軍事力で押さえ込み、多数の死傷者を出してきたことに気付く。そう考えると、1989年にソ連軍が出動せず、東ドイツの「市民革命」が犠牲者なしに成功した背景にも、ゴルバチョフの配慮が感じられる。

コール氏は回想録の中で当時を振り返り、「統一の過程は川を渡るようなものだった。私たちは膝まで水につかり、霧のために前方がよく見えなかった。私たちはどこかに安全な道があると確信していたので、一歩一歩足で確かめながら前へ進み、ついに反対側の岸に着いた。神の助けがなければ、私たちは到底この目標を達成できなかっただろう」と述べている。敬虔なキリスト教徒であるコール氏の本音がにじみ出ている。「幸運の女神には後ろ髪はない」ということわざがある。成功への扉が開いている期間は短いのだ。実際、1990年代初頭に、ソ連は政治的、経済的に混迷を深めて崩壊し、ゴルバチョフも政治の舞台から姿を消す。コール氏がこの 人物にすべてを賭けて歴史の急行列車に飛び乗ったのは、正しい判断だった。

もちろん統一が経済的に成功したとは言い切れない。コール氏の旧東ドイツ再建に関する見通しは、甘かった。統一から20年経った今なお、旧東ドイツは莫大な資金援助を必要としており、若者の西側への流出が続いている。しかし政治的には、ドイツ統一は成功だった。ソ連によって半世紀近く「占領」されてきた地域が解放され、市民が自由を獲得したことは、コール氏が成し遂げた大きな業績として歴史に記録されるだろう。

15 Oktober 2010 Nr. 838

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 09:56
 

表現の自由とドイツ

今年9月9日、ポツダムのサンスーシ宮殿でメルケル首相は1人のデンマーク人を表彰した。彼の名はクルト・ヴェスタゴー。2005年にイスラム教の預言者ムハンマドのターバンが爆弾になっている風刺画を描いたために、世界中のイスラム教徒から抗議の的となった。一部のイスラム諸国では、この絵がきっかけとなって暴動まで起きた。

過激なイスラム教徒は彼の命を狙っており、ヴェスタゴー氏はボディガードなしには街を歩けない。昨年12月には、デンマークの自宅に斧とナイフを持ったソマリア人が乱入して彼を殺そうとした。ヴェスタゴー氏はアパートに設置してある緊急避難所(パニック・ルーム)に逃げ込んで警察に通報したために、間一髪のところで助かった。

ポツダムの式典会場でも、ドイツ政府は周辺の建物の屋上に狙撃兵を配置し、警察犬を使って爆発物を探させるなど厳重な警戒態勢を敷いた。

メルケル首相がヴェスタゴー氏にメディア賞を授与した理由は、彼がテロや殺人予告にもかかわらず、表現の自由の重要性を訴え続けているからだ。首相は「自由を守るために必要なもの、それは勇気です」と言って、このイラストレーターを称えた。また彼女は「ヨーロッパは、このような作品を描いて自由に発表できる場所であり続けなくてはなりません」と述べ、暴力によって表現の自由を弾圧しようとする動きに警鐘を発した。

ヴェスタゴー氏の絵を掲載したデンマークの新聞に対して、イスラム諸国の政府などからは「イスラム教徒を挑発する行為だ」という批判の声が高まった。メルケル首相は彼を表彰することによって、この風刺画家を弁護するとともに、表現の自由を尊重するという態度を明らかにした。その意味では過激なイスラム教徒に対する「宣戦布告」とも言え、メルケル首相にとってはリスクを伴う行為である。

イスラム教徒と表現の自由をめぐっては、世界中で論争が絶えない。インド生まれで英国在住の作家サルマン・ラシュディーは、1988年に「悪魔の詩」を書いたために今なおイスラム過激派から命を狙われている。1991年には、この本を日本語に翻訳した日本人研究者が筑波大学の事務所内で殺害されたが、犯人はまだ捕まっていない。オランダではイスラム教について批判的な映画を製作した映画監督が、路上で刺殺された。米国ではムハンマドの風刺画を新聞に発表したイラストレーターが、やはり殺人予告を受けたために今年夏から住居を去り、偽名などを使って潜伏生活を余儀なくされている。

表現の自由は、欧米とイスラム諸国の間の「文化の衝突」の争点の1つである。ヨーロッパや米国では、画家、作家を問わずすべての人間にとって、表現と言論の自由は民主主義の基本として重視されている。

これに対し、イスラム諸国やアジアの一部の国々では、「宗教を侮辱したり、政府を批判したりする芸術や言論は、社会に害をもたらすものであり、表現の自由という大義名分の下に守るべきではない」という意見が主流となっている。

もちろん欧米にも例外はある。たとえばドイツでは、ナチスを賛美したり強制収容所でのユダヤ人虐殺を否定したりする言論は、民主主義体制を脅かすものとして法律で禁止されている。つまり欧米でも表現の自由は絶対的なものではなく、政府や社会の物差しで決められる相対的なものである。欧米諸国とイスラム諸国が文化摩擦を減らすためには、表現の自由をめぐって率直に意見を交換し、和解の道を探る必要があるのではないだろうか。メルケル首相がヴェスタゴー氏を表彰したことは、議論を始めるための第一歩として重要な意味を持っている。

8 Oktober 2010 Nr. 837

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 09:57
 

ドイツ徴兵制・事実上の廃止へ

9月10日夜、バイエルン州のトゥッツィングでグッテンベルク国防大臣の演説を聞いた。さすがに、ドイツで最も人気のある政治家だ。900人の聴衆で会場は満員。大臣は雄弁で、演説には若い力とユーモアが込められていた。ドイツには珍しい、カリスマ性を持つ政治家である。

演説の中で彼が特に力を入れたのは、連邦軍の改革である。グッテンベルク氏は、連邦軍の兵力を現在の19万5000人から20%減らして15万6000人にすること、そして兵役義務を事実上廃止することを提案している。彼は「この改革によって連邦軍は小さくなるが、質は改善され、作戦能力は向上する。国防能力も維持される」と力説した。

兵役の期間は60年代後半には18カ月、80年代後半には15カ月だったが、今年7月からは6カ月に短縮されている。グッテンベルク大臣は、「徴兵制を中断(aussetzen)する」という言葉を使っているが、実際には兵役義務を廃止して、連邦軍をフランスや英国と同じ志願制の職業軍にすることを目指している。

改革に踏み切る最大の理由は、90年代初めにソ連を盟主とする共産主義陣営が崩壊して東西間の「冷たい戦争」が終わったことだ。冷戦の時代には、ワルシャワ条約機構軍の西欧侵攻を食い止めるために、西ドイツはNATO(北大西洋条約機構)の最前線に位置する国として、徴兵制によって一定の戦力を維持する必要があった。宗教上の理由などで兵役を拒否する若者は、お年寄りの介護など社会福祉活動を行わなくてはならなかった。

だが冷戦終結によって、ドイツが外国の戦車部隊によって侵略される可能性はなくなったため、連邦軍の任務は大きく変化した。アフガニスタンでのタリバンとの戦いのように、連邦軍は国外でNATOや国連主導の軍事作戦に頻繁に参加するようになったのである。

しかもドイツ将兵への危険は、冷戦時代よりも大幅に高まった。連邦軍はアフガンで初めて激しい戦闘を体験し、すでに40人を超える死者を出している。前線の兵士たちからは、「中央アジアでの戦闘に適した装備や訓練が不足している」という不満の声が聞かれる。

そこでグッテンベルク大臣は、連邦軍を局地紛争に対応できる戦争のプロ集団に変えようとしているのだ。政府が財政難に苦しむ今日、国防省の予算も大幅に削られる方向にあるので、大臣は限られた予算を効率的に使おうとしているのである。

9月10日の演説会で、グッテンベルク大臣は上機嫌だった。その理由は、演説会の直前にミュンヘンでCSU(キリスト教社会同盟)のゼーホーファー党首と会談し、彼に徴兵制の事実上の廃止を受け入れさせることに成功したからである。それまでゼーホーファー氏は徴兵制維持を主張していたが、この会談以降はグッテンベルク氏の提案を支持する側に回った。メルケル首相もグッテンベルク大臣の提案に賛成している。与党を中心に反対論も残っているが、兵役義務の廃止は時代の流れだろう。

ドイツの若者、特に大学へ進むことを希望する青年の間では、兵役義務は不評だった。「義務だから仕方がないとはいえ、青春の一時期が無駄になる」と不満をこぼしていた若者を何人か知っている。脅威が大きく変化した今日、軍を根本的に変えることは必要だ。徴兵制が廃止されると、連邦軍は市民から遠い存在になる。この場合、政府は職業軍人たちが独走しないように、文民統制をこれまで以上に強化するべきだろう。連邦軍創設以来、最大の改革となるこのプロジェクトが成功すれば、グッテンベルク大臣の株はさらに上がるに違いない。

1 Oktober 2010 Nr. 836

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 09:57
 

燃え上がる移民論争

ドイツでは連邦銀行のティロ・ザラツィン元理事の著作がきっかけとなって、外国人をめぐる論争が激しく燃え上がっている。ザラツィン氏はドイツ政府と連銀の事実上の圧力によって理事を辞任したが、彼の著作「Deutschland schafft sich ab」は、シュピーゲル誌のベストセラー・リストの第1位に躍り出たほか、書店で品切れになるほどの人気だ。

興味深いのは、多数のドイツ人がザラツィン氏を支持していることだ。彼が辞める直前に連銀にかかってきた市民からの電話の大半は、彼を応援するためのものだった。テレビの世論調査によると、回答者の70%から90%がザラツィン氏の主張に賛成している。新聞に「ザラツィン氏は正しい」という意見広告を出す保守政治家もいる。

ザラツィン氏が属する社会民主党(SPD)のガブリエル党首は、彼を同党から追放する手続きを開始したが、SPDのシュタインブリュック元財務大臣など一部の政治家からは「ザラツィン氏を追放せずに、外国人問題について議論するべきだ」という意見も出ている。

なぜザラツィン氏はドイツ人から支持されているのか? そのことを理解するには、彼の主張を2つの部分に分ける必要がある。メルケル首相やドイツのマスコミが彼を批判する最大の理由は、彼の主張の中の「知能水準は人種間の生物学的な違いに影響される」という部分である。ザラツィン氏は「ユダヤ人は共通の遺伝子を持っている」というナチスの優生学を連想させる発言を行い、社会の顰蹙(ひんしゅく)を買った(彼はこの発言を後に撤回している)。大半のドイツ人は、彼のこうした人種差別的な発言には拒絶反応を示している。

だがザラツィン氏が、トルコ人などイスラム系市民に対して向けている批判については、多くのドイツ人が賛成している。ベルリン市で財務大臣だったザラツィン氏は、「一部のトルコ人はドイツ語を学ばず、子どもにもきちんと教育を受けさせない。教育を受けなければ仕事にも就けないので、社会保障に頼って生活している。彼らは国に依存しているのに、ドイツの習慣や価値観を無視し、トルコ人のゲットーに閉じこもって生活している。ドイツは、社会に溶け込もうとしない移民は必要としない」と主張しているのだ。実際に、外国人の失業率は14%前後で、ドイツ人の約2倍である。また、学業を修了していない、つまりSchulabschlussがない外国人の比率は10%近くと、ドイツ人(約2%)を大幅に上回っている。

高い税金や社会保険料を払わされているドイツの多くの勤労者は、一部のトルコ人のこうした態度について不満を抱いていたが、「外国人を差別している」と批判されることを恐れて、発言しなかった。ところがザラツィン氏が今回、その著作によって堂々とトルコ人らを批判したために、多くのドイツ人が彼に強い共感を抱いているのだ。

ザラツィン氏は財務問題の専門家らしく、「外国人がドイツ経済に貢献するかどうか」を唯一の尺度としているが、この発想も問題を含んでいる。ドイツにとって経済的に有益な外国人だけが、ドイツに住んで良いと言うのか。誰が「外国人の有益性」を判断するのか。ザラツィン氏の批判の矛先は、今のところトルコ人とイスラム系市民だけに向けられているが、彼に対する大衆の支持が、やがてすべての外国人に対する反感に変わるとしたら、危険な事態である。実際、ネオナチは彼の主張を全面的に支持している。

今回の外国人論争の行方は、注意深く見守る必要がありそうだ。

24 September 2010 Nr. 835

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 10:09
 

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