独断時評


異常気象と人間

読者の皆さんの中には、「今年のドイツの天気は、何か変だ」と感じている方が多いのではないだろうか。7月には連日30度を超える猛暑が各地を襲い、高速列車ICEの冷房がダウンするほどだった。暑い日が2週間ほど続いたと思ったら、気温が急激に下がり、南ドイツでは8月なのに気温が日中でも20度を超えない日が続いた。

まるで熱帯のスコールを思わせるような激しい雨が降り続き、ナイセ川が氾濫したためにザクセン州を中心に深刻な洪水被害が発生した。水位が急激に上昇し、自宅の地下室で溺れ死んだ市民もいるほか、多くの家庭や企業、文化財が打撃を受けた。2002年に旧東ドイツを襲った洪水を思い起こさせるような事態である。ポーランドやチェコでも川が氾濫して大きな被害が出た。

異常気象の被害を受けているのは、ドイツや中欧諸国だけではない。ロシアでは80年ぶりの猛暑のために森林火災が多発し、多くの村が破壊された。モスクワなど多くの町が、煙に覆われて深刻な大気汚染が発生している。猛火が一時、原子力関連施設や軍の弾薬庫に迫ったため、政府は放射性物質や弾薬を安全な場所に移した。さらに、過去の核事故で放射能によって土壌が汚染されている地域では、山火事によって放射性物質が拡散する危険も指摘されている。

パキスタンでは熱帯性低気圧モンスーンのために過去100年間で最悪の水害が発生し、1300万人もの市民が住居を失うなどの被害に遭った。特にその内600万人が、直ちに食料や飲料水などの援助を必要とするほど深刻な事態となっている。

1990年代以降、気象災害が世界の各地で深刻な被害を与えるケースが増えている。異常な強さの風によって、1991年に日本で記録的な被害を出した台風19号。1999年にフランスやスイスで猛威を振るった突風ロター。2005年に米国南部に未曾有の水害を発生させたハリケーン・カトリーナ。2003年には、異常熱波がヨーロッパを襲い、世界保健機関はフランスやイタリアを中心に約7万人が熱中症で死亡したと推定している。

国民経済に多額の損害を与えた気象災害を、損害額が大きな順に10位までリストアップすると、その内1980年代に起きたものは1件、1990年代には3件、2000年代には6件となっている。つまり全体の60%が2000年以降に発生しているのだ。

気象学者の中には、二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスの排出量の増加が、気候の変動に関連していると指摘する人もいる。昨年から今年初めのように冬の寒さが非常に厳しい年もあったが、彼らによるとそれは地球温暖化を否定する材料ではなく、「寒暖の激しい変動が、気候変化の特徴だ」という。一方、「地球の歴史を長い目で見れば、現在のような気候の変動は頻繁に起きており、特に珍しいものではない。CO2の増加と気候変化の間には関連性がない」と主張する科学者もいる。この論争にはまだ結論が出ていない。

だがドイツ連邦政府は、気候変動がすでに起きているという立場を取っている。環境省は昨年5月から気候変動についてのパンフレットを市民に配布するとともに、気候変動の悪影響を最小限に食い止めるため、社会や経済の構造を変化させるプロジェクトを始動させている。胸まで迫った泥水の中を逃げまどう人々や、濁流によって無残に破壊された家々を見ると、気候変化の原因が何であるかという議論とは別に、水害や旱魃に対する対応策やインフラ整備、リスク管理が緊急の課題であることを改めて強く感じる。

20 August 2010 Nr. 830

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:28
 

銀行危機への抵抗力は十分か

「リーマンショック、ギリシャ債務危機のような事態が再発した時に、銀行はそのストレスに耐え抜き、倒産しないだけの抵抗力を持っているのか?」

欧州の金融監督官庁は、この問いに答えるために、今年7月下旬に異例の検査を行った。ストレス・テストと呼ばれるこの検査では、欧州銀行監督委員会(CEBS)がコンピューター・シミュレーションを使い、資本市場が大きな変動に襲われる事態を想定した。

具体的には、ギリシャの国債価格が23%下落し、2010年からの2年間に欧州全体で景気後退のために国内総生産(GDP)が0.8%減少し、失業率が10%から11.5%に上昇するというシナリオを想定。この場合に銀行の自己資本がどの程度減少するかをチェックした。銀行は、国際的な自己資本規則によって、総資産に対する自己資本の比率が6%を下回ってはならないと決められている。

その結果、検査を受けた91の銀行の内スペイン、ギリシャ、ドイツの7行を除いて、すべての銀行がテストに合格した。検査の対象となった銀行の自己資本比率は、10.3%から9.2%に下落したが、7行の「落第生」 を除くと、すべての銀行で自己資本比率が6%のボーダーラインよりも上の水準にとどまったのである。

ドイツで不合格となったのは、ミュンヘンの不動産融資銀行ヒポ・リアル・エステート(HRE)だけ。この銀行は、米国のサブプライムローン債権が混入した金融商品に多額の投資を行っていたため昨年深刻な経営危機に陥り、多額の資本注入と連邦政府の国営化によって、かろうじて倒産を免れた。HREにはすでに何兆円もの公的資金が注入されているが、さらに20億ユーロを注ぎ込まないと、深刻な危機の際に破たんする恐れがあることがわかったのである。

欧州委員会や欧州中央銀行は今回のテスト結果を受けて、「欧州の銀行の基盤は堅固である」という態度を示している。ユーロのドルや円に対する交換レートが下がり、長期的にインフレを懸念する向きが増える中、ヨーロッパの監督官庁は今回のテスト結果によって市民と投資家に安心感を与えようとしているのだ。

だが金融業界には、「ストレス・テストの基準は甘過ぎた」という批判もある。例えば今回、ギリシャやスペインのような債務過重国が債務を返済できなくなり「破たん」するという事態が想定されなかった。金融危機によって、短期的な債務を返済できなくなる銀行が現れることは想定されたが、国債のように償還期間が来るまで銀行が保持する債権が紙くずとなるシナリオは想定されなかったのである。

この点についてCEBSは、「将来債務危機が再燃した場合、欧州委員会が全力を上げて国家の破たんを阻止しようとする。このため、政府の債務不履行をストレス・テストの中で想定する必要がない」と説明している。だが、政府破たんを度外視したストレス・テストは楽観的に過ぎるのではないだろうか。

欧州委員会が巨額の支援策を打ち出したために、南ヨーロッパ諸国の債務危機は現在小康状態にあるが、将来一部の国で再び国債価格が暴落し、リスク・プレミアムが高騰する可能性は残っている。スペイン、ポルトガル、イタリアにまで危機が広がった場合、その国が必要とする融資額がEUの支援能力の限界を超える可能性もある。大半の銀行が今回のストレス・テストに合格したからといって、手放しで喜ぶことは禁物だ。各銀行は、将来の危機に備えてリスク管理態勢を整備し、自己資本をさらに増強してほしい。

13 August 2010 Nr. 829

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 10:18
 

デュイスブルクの悲劇

テクノミュージックの祭典として知られる「ラブパレード」は、惨劇の場に変わった。7月24日の夕刻、デュイスブルクで開かれたラブパレードの会場入り口付近の通路で群衆が将棋倒しとなり、21人が死亡し500人以上の観客が重軽傷を負ったのである。

今回の事故の最大の疑問は、100万人を超える観客が集まるラブパレードの会場に、なぜ1カ所の入り口しか設けなかったのかということである。この入り口には東と西からトンネルを通じて群衆が押し寄せただけではなく、会場を去ろうとした人々も流れ込んできたため、押し合いへし合いとなった。人ごみのせいでほとんど身動きがとれなくなったのに、さらに人々が押し寄せてきた。そしてパニックに陥った若者たちが階段から逃げようと押し寄せたために、この階段の周りで人々が圧死したのである。

ベルリンで開催されたラブパレードの会場では、周囲にティアガルテンという公園があるので、人ごみが膨らんでも群衆は緑地に拡散することができた。だがデュイスブルクでは、トンネルとコンクリートの谷間のようになった通路のために人々は周囲に散ることができず、パニックが発生した。

事故が発生する前の週、デュイスブルク市民の中には「50万人しか入れない場所に、100万人を超える人が集まって大丈夫なのか」「狭いトンネルを会場への入り口にするのは危ない。市当局は、ラブパレードをキャンセルすべきだ」という指摘をインターネット上で発表する者もいた。さらに、「これほどの規模の催しには4000人から5000人の警備員が必要だが、デュイスブルクでは1000人の警備員しかいなかった」という批判も出ている。

検察当局は、安全管理に手落ちがあったものとみて、業務上過失致死傷の疑いで捜査を始めた。主催者であるLopavent社が民事上、刑事上の責任を問われることはほぼ間違いないが、同社の計画に修正を求めなかったデュイスブルク市役所と地元警察にも、批判の矛先が向けられるだろう。

もしも主催者がコストを節約するために、十分な数の警備員を配置せず、会場への入り口を1つに絞ったのだとしたら、「収益を上げるために観客の生命を危険にさらした」と批判されても仕方がない。

私は1980年に3カ月間ドイツの銀行で研修生として働いたことがあり、その時にデュイスブルクに住んだ。人々はとても親切だったが、工場からの煤煙でくすんだ町には、どことなく悲しいムードが漂っていた。デュイスブルクは19世紀の産業革命以来、製鉄業と石炭産業で栄えたが、第2次世界大戦後に重厚長大産業が重要性を失ってからは、斜陽の雰囲気が強くなっていた。このため同市は今年、「ヨーロッパ文化都市」に指定され、積極的な文化事業による再生を図っている。ラブパレードを催したのも、そうした「町おこし」の努力の一環である。

だが今回の事故のために、デュイスブルクのラブパレードは「人命を顧みない無謀なプロジェクト」の代名詞として記憶されてしまうかもしれない。ラブパレードは犠牲者への配慮から、今回が最後になるとみられているが、将来大規模なイベントを企画する企業は、市民の安全を最優先にしてもらいたいものだ。

6 August 2010 Nr. 828

最終更新 Donnerstag, 13 Februar 2014 01:51
 

ドイツのアフガン撤退はいつか

7月20日にカブールで開かれたアフガニスタン国際会議で、同国のカルザイ大統領は「2014年までに、自国の軍隊と警察を強化し、欧米の力を借りずに治安を守れるようにする」と約束した。欧米の駐留軍は、来年にはアフガンの一部の州から撤退を始める。NATO(北大西洋条約機構)は、今年秋にリスボンで開かれる会議で詳細を決める予定だ。

ドイツでは国民の約7割が、連邦軍のアフガン戦争参加に批判的な意見を持っている。このためカブールでの合意内容は、撤退の方向性を示すものとして市民やマスコミから歓迎されているだろう。

しかしアフガンの現実は、はるかに厳しい。つい最近、グッテンベルク国防大臣はアフガンの最前線で戦うドイツ兵たちを激励するために、防弾チョッキに身を固め、ヘリコプターで初めて戦闘地域を訪れようとしたが、タリバン・ゲリラの攻勢が激しかったために、訪問をあきらめて引き返さざるを得なかった。

また、アフガン会議に出席した国連の事務総長とスウェーデンの外務大臣は、タリバン・ゲリラのテロ攻撃に対する懸念から、カブール空港ではなく米軍のバグラム空軍基地に着陸し、そこで数時間待機しなくてはならなかった。

アフガンに駐留する国際部隊ISAFの最高司令官スタンリー・マクリスタル将軍が、今年6月末にオバマ大統領によって事実上更迭されたことも悪いニュースだ。マクリスタル将軍は、オバマ氏ら米国政府の指導層がアフガン問題を重視していないことについての不満を雑誌記者にぶちまけたため引責辞任した。

マクリスタル将軍は、米国の新しいアフガン政策を体現する人物だった。彼はアフガン市民の駐留部隊への支持や信頼感を得るために、市民を巻き込む恐れのある空爆を極力禁じた。そして欧米軍の兵士に対して基地に閉じこもるのではなく、なるべくアフガン軍の兵士とともにパトロールを行うことを求めた。基地の外で存在感を高めることによって、タリバン・ゲリラの影響力を減らし、治安を回復させるためである。これは米軍がイラクで行った手法で、治安回復に大きな効果を発揮した。その結果、現在では米軍の戦闘部隊の大部分がイラクから撤退している。マクリスタル氏の更迭は、米国政府内でアフガン政策をめぐる不協和音がいかに強いかを浮き彫りにした。彼の上官であるペトレウス将軍を後釜に据えたことも、米国の危機感を表している。

アフガニスタンは、イラク以上に外国勢力に対する反感が強い国だ。カルザイ氏が言うように、アフガン政府は4年間で独り立ちできるのだろうか。カルザイ大統領自身、選挙に勝つために得票数を操作したことがあり、クリーンな男ではない。彼の親族には、麻薬取引の疑いがある人物もいる。ほかに人材がいないので欧米諸国が腐敗した政治家を支援するということも、本来は欧米の大義にもとる行為だ。この点はしばしば、うやむやにされているが、いつかそのツケが欧米諸国に回ってくるのではないだろうか。

メルケル政権は、来年には「連邦軍がいつ撤退を始められるか」のめどを付けたいとしているが、アフガンの現実は楽観を許さない。パキスタンの過激派勢力から支援を受けているタリバン・ゲリラの戦術は高度になる一方であり、ISAF軍にさらに出血を強いるだろう。カブールでの合意内容に含まれた前向きな文言とは裏腹に、アフガン情勢には今後も様々な紆余曲折(うよきょくせつ)があるに違いない。

30 Juli 2010 Nr. 827

最終更新 Dienstag, 05 November 2013 12:19
 

ドイツ人と旗への熱狂

南アフリカで行われたサッカーのワールドカップで、ドイツ・チームは例年とは違った鋭いプレーを見せ、3位になった。中でも私の目を引いたのは、テレビにかじりついて自国の選手を応援するドイツ人たちの、国旗への熱狂ぶりである。

黒・赤・金の国旗の色を顔に塗った若者。この三色に塗り分けられた帽子、花輪、ブブゼラ。大きな国旗をまとった少女。国旗の色のバンダナを首に巻いた飼犬も見た。車などに旗を取り付け、クラクションを鳴らして勝利を祝う人々。車のサイドミラーに国旗の色のカバーをかぶせるドライバー。アパートの窓から国旗を垂らすだけではなく、庭にポールを立てて国旗をはためかせている住民も目立った。

ドイツが英国を破った日、私は12万人が押し寄せて勝利を祝ったレオポルド・シュトラーセの近くに居合わせたのだが、ファンたちは地下鉄の中で踊り出し、ブブゼラを吹き鳴らす始末。熱気でむんむんの車内は、国旗の洪水だった。

サッカーの試合の応援のために、国内にドイツ国旗が溢れかえるようになったのは、2006年にドイツで開催されたワールドカップからである。西ドイツは、ナチスが第2次世界大戦で欧州に大きな被害を与えたことから、戦後半世紀にわたって国旗に対して一種のコンプレックスを抱いてきた。ナチスは、無数のハーケンクロイツの旗を国威発揚の道具として使った。その反動として、戦後の西ドイツでは多数の人々が旗に愛着を示すことをためらっていたのだ。旗がナショナリズムを体現するものと考えられたからであろう。

だが2006年のワールドカップ以降、ドイツ人はこのコンプレックスをきれいさっぱり打ち捨て、ほかの欧州の国民と同じく、ナチスの過去にこだわることなしに国旗を顔や服に付けるようになった。これはドイツ統一がもたらした新しい現象であり、この国が第2次世界大戦の後遺症から脱して「普通の国」へ近付きつつあることを示している。サッカー・ナショナリズムが外国人排撃につながったり、過剰な国粋主義をあおったりしているわけではないので、目くじらを立てるべき現象ではない。2006年のドイツ大会の際に行われた世論調査によると、「ドイツ人であることに誇りを持つ」と答えた人は、ワールドカップの期間中にドイツが勝ち進んでいる時には著しく増えたが、大会が終了すると、急速に通常の水準に戻っている。

だが今回の南アフリカ大会では、奇妙な現象もあった。ドイツの対オーストラリア戦で、クローゼ選手がシュートを決めた後、実況中継をしていた公共放送ZDFの女性キャスターが「これはクローゼにとって、innerer Reichsparteitag(心の中のナチス党大会)であるに違いありません」と語ったのである。ライヒス・パルタイタークとは、ナチスがニュルンベルクなどで開いた全国党大会で、ハーケンクロイツの旗がたなびく中、何十万人もの市民がヒトラーに熱狂的に歓呼の声を送った。その模様は、レニ・リーフェンシュタールの宣伝映画「意志の勝利」に収められている。ナチスは旗の洪水によって、人々の理性を失わせたのである。なぜ女性キャスターがワールドカップをナチス党大会と結びつけたのかは、わからない。市民からこの愚かなコメントについて批判が集中し、ZDFもきちんと謝罪したことは評価したい。

サッカーをきっかけに祖国に誇りを持つ健全なナショナリズムは、一向にかまわない。しかしスポーツの熱狂をナチス時代とからめるような発言は、一時的な脱線であったとしても、ごめんである。

23 Juli 2010 Nr. 826

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:27
 

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