Hanacell

連邦大統領選とメルケル敗北

6月30日に行われた連邦大統領選挙は、大波乱となった。キリスト教民主同盟(CDU)など与党側が推すクリスティアン・ヴルフ氏(写真中央)が、2回にわたって過半数を取ることができず、3回目の投票でようやく大統領に選ばれたからだ。このことで、メルケル首相の面目は丸つぶれになった。

連邦大統領は、連邦議会と各州の代表が選ぶ。数から言えば、連立与党であるCDU・CSU、FDPは、簡単に過半数を取れるはずだった。しかし最初の投票結果によると、連立与党に属しながらヴルフ氏に票を入れなかった選挙人の数が、40人を超えた。

なぜこれだけ多数の造反者が出たのだろうか。社会民主党(SPD)と緑の党は、連立与党内の混乱を促進するために、巧みな作戦を取った。それは、CDUなどに近い保守的な思想の持ち主ヨアヒム・ガウク氏を擁立したことである。東独の秘密警察の文書管理局の局長として有名だったガウク氏は左派ではなく、連邦軍のアフガニスタン駐留を支持するなど、SPD、緑の党とは相容れない考えを持つ人物だ。しかしSPDと緑の党はそうした人物を推すことで、初めの2回の投票で保守層の票の切り崩しに成功したのである。

だがそれだけでは、40人を超える造反者を説明することはできない。ベルリンの政界筋の間では、「メルケル氏に不満を抱く議員らが、連立政権の指導部に打撃を与えるために造反した」という見方が有力だ。いずれにせよ、メルケル首相が連立与党の中で、自分が推す候補のための票の取りまとめに失敗したことは、同氏の指導力、政治的な影響力がいかに低下しているかを浮き彫りにしている。1回目と2回目の投票結果が明らかになった時、メルケル首相はまるで妖怪でも見たかのような険しい表情をしていた。国民の面前で自分の信用が失墜したことを痛感したのだろう。

メルケル首相に対する批判は、今年に入って日に日に高まっていた。たとえばCDUは、今年ノルトライン=ヴェストファーレン州議会選挙で、得票率を10ポイント減らして大敗し、政権から追われた。ギリシャの債務危機では、メルケル首相がドイツの立場を貫くことができず、ドイツ国民が南欧の債務国のために多額の財政負担を強いられることになった。また、ヘッセン州のローラント・コッホ首相(CDU)が今年8月で辞任する意向を表明したが、この背景にもメルケル政権への不満があると指摘する政治家が多い。

東独の科学者だったメルケル氏は、CDUの本流に属する政治家ではない。コール氏に抜擢されたために、ほかの幹部を押しのけて環境大臣、CDU党首、そして首相の座をつかんだ、同党では「異端」の政治家である。彼女の力が弱まった今、CDUの本流に属する政治家たちの復讐が始まろうとしている。メルケル氏は任期がまだ3年あるにもかかわらず、CDU内部ではいわゆる「レーム・ダック(足の悪いアヒル=実質的に権力を失った政治家)」と見られている。彼女は政治家としての人生の中で最大の危機を、どのように乗り越えるのだろうか。

彼女は選挙の直後に南アフリカに飛んでワールドカップを観戦し、ドイツがアルゼンチンを破った瞬間に喜びを満面に表していたが、ベルリンの政界の混乱を考えるとその姿に一抹の悲しさが感じられた。私には今回の連邦大統領選挙が、「メルケル時代」の終焉(しゅうえん)を示しているように思える。

16 Juli 2010 Nr. 825

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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