独断時評


社会保障をめぐる激論


Foto: Guido Westerwelle
前号で、連邦憲法裁判所が失業者に対する給付金制度、いわゆるハルツIVについて「人間として最低限の生活に必要な所得を保障していない部分があり、憲法違反」という判決を下し、メルケル政権に対して失業者の子どもへの給付金の算定方法などについて見直すよう求めたことをお伝えした。

この判決について最も怒っている政治家の1人は、自由民主党(FDP)のギド・ヴェスターヴェレ党首だろう。メルケル政権の副首相と外務大臣を兼務している彼は、この判決を間接的に批判する発言を繰り返している。彼はヴェルト紙に寄稿し、「この判決には社会主義的な色彩がある。懸命に働かなくても良い生活が送れると国民に約束することは、ローマ時代末期のような堕落につながる」と述べ、今回の判決が失業者とその家族への給付金の引き上げにつながる可能性について、厳しい言葉で警鐘を鳴らした。

この主張に対して、社会民主党(SPD)や緑の党の議員たちは「仕事を真剣に探しているのに、見つからないで困っている失業者に対する侮辱だ」と反発したが、ヴェスターヴェレ氏は発言を撤回するどころか、さらに語調を強めた。彼は、「ドイツでは真面目に働く者はばかだと思われる傾向がどんどん強まっている。勤労者が、働かない者よりも多く収入を得るのは当たり前だ」と反論。そして「このような発言をしただけで批判されるとは、ドイツは社会主義に向かって進んでいるようだ」と野党を攻撃した。

ヴェスターヴェレ氏が過激な発言を行っている理由は、ハルツIV違憲判決によって社会保障支出がさらに膨らんで勤労者の負担が増し、FDPが有権者に約束した減税が実現できなくなる見通しが一段と強まったからである。ドイツでは国内総生産のほぼ3分の1が社会保障に費やされている。

連邦憲法裁判所は、「給付金が低すぎる」とは結論付けていないものの、失業者家庭の子どもの給付金が大人の60%ないし80%とした現在の規定を「現実の費用を考慮していない」と批判した。ある慈善団体は「子ども1人当たりの給付金を毎月21ユーロないし42ユーロ増やす必要がある」と指摘しており、国の歳出が増える可能性が強い。

ヴェスターヴェレ氏は、「多額の税金と社会保険料を支払っている勤労者が、失業家庭を助けるためにさらに支出を迫られる」という危惧を抱いているのだ。FDPの重要な支持層は、自営業者、企業経営者などの中産階級。昨年秋の選挙でFDPが躍進した最大の理由は、減税を約束したからである。だがドイツが戦後最悪の不況と財政赤字に苦しんでいるのに、本当に税金を減らすことができるかどうかは大きな疑問である。ハルツIV違憲判決によって、ヴェスターヴェレ氏が公約違反を問われる可能性がさらに強まった。

ガードマン、ウエイターなど一部の職種では、税金や社会保険料を差し引いた手取り所得が失業保険の給付金に比べて少なくなる。これでは長期失業者の働く意欲がそがれる。そのためシュレーダー元首相は、ハルツIVの導入によって失業者の給付金を大幅に減らし、失業者の再就職を促そうとしたのである。保守勢力は、時計の針がシュレーダー氏の改革以前に逆戻りして、長期失業者が再び増えることを恐れている。今後、社会保障をめぐる議論は白熱化し、富裕層と貧困層の間の対立はいっそう激しくなるに違いない。

26 Februar 2010 Nr. 805

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 10:49
 

ハルツⅣ違憲判決の波紋

2月9日、カールスルーエの連邦憲法裁判所は、ドイツの社会保障の歴史に残る判決を言い渡した。裁判官たちは、「2005年にシュレーダー政権(当時)が導入し、失業者のための給付金を大幅に削減したハルツIV制度は憲法違反である」と断定し、政府に対して今年末までに給付金の算定方法を改善するよう命じたのである。失業者の家庭には朗報である。

ハンス・ユルゲン・パピーア裁判長は、判決の中で「給付金は、国民1人ひとりが生活に必要とする額を満たさなければならない。国が必要最低限のニーズを満たすという義務を果たしていない場合、その制度は憲法に違反している」と指摘した。つまりハルツIVは、基本法第1条が保障する「人間の尊厳にふさわしい、最低限の生活を営む権利」を侵害し、社会保障の原則に反するというのだ。

ハルツIVによる毎月の給付金は、独身の成人の場合359ユーロ。2月9日の為替レート(1ユーロ= 123円)で計算すると、約4万4200円。だが、感覚的には3万6000円に近い。また、夫婦の場合は1人323ユーロにすぎず、失業者の子どもについては成人の給付金の60~80%と定められている。

今回勝訴判決を得た3人の長期失業者たちの1人は、「子どもはどんどん育っていくので、すぐに新しい洋服が必要になる。また文房具、本、学校の遠足の費用など教育に関する様々な出費があるのに、ハルツIVはこの点を考慮していない」と批判していた。

裁判官たちはこの訴えを認め、失業者の子どもに対する給付金について、「成人に対する給付金の60~80%と一律に決めるだけでは、子どもの生活の現実を反映できていない」と指摘した。パピーア裁判長は、判決の中で「政府は市民が実際に必要とする支出に基づき、公正で客観的な算出方法によって給付金額を決めるべきだ」と述べている。つまり役人たちが机上の計算で給付金を決めるのではなく、失業者たちの現実をもっと直視し、議会での審議も含めたわかりやすい形で給付金の算定基準を決めるべきというのだ。

また、裁判官たちはハルツIVの中に給付金の手取り額を減らす様々な控除規定があることについても批判。慢性病に苦しむ失業者の医療費、夫と妻が離れた所に住んでいる場合の交通費などについて考慮するよう政府要求した。

この判決は、旧東独地域に多い失業者たちや市民団体だけでなく、政府関係者や各政党から大きな注目を集めていた。特に長期失業者たちの間ではハルツIVへの不満が強く、左派政党リンケは制度の廃止を求めていた。

ただし、今回の判決で裁判官たちは、「失業者への給付金を増やすべきだ」とはあえて主張していない。政府に対して、失業者の現実を反映した算定方法に切り替えるよう求めているにすぎない。

だが子どもに対する給付金からも明らかなように、多くの失業者にとって将来の手取り額は増えるだろう。つまり、政府の社会保障支出はさらに増大するものと見られる。ドイツの財政は2008年以降の不況のために火の車だが、この判決によって赤字がさらに拡大する可能性が出てきた。メルケル政権が公約としてきた減税は、ハルツIV違憲判決に伴う臨時歳出のために帳消しになるかもしれない。富裕層・中間層は失望するだろう。

ドイツでは日本と同じく富裕層と低所得層の間で所得格差が急激に拡大しているが、今回の判決はそのスピードを緩めるかもしれない。その意味で社会保障を重んじるドイツらしい判決と言える。

19 Februar 2010 Nr. 804

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 10:46
 

富裕層の脱税データをめぐる論争

「250万ユーロ(約3億2500万円)を払えば、スイスの銀行口座を使って脱税しているドイツ人1500人に関するデータを提供する」。正体不明の人物からドイツの連邦財務省に届いた連絡は、この国で大きな議論を巻き起こしている。

謎の人物は「商品見本」として、5人の顧客についてのデータをドイツ政府に提供した。国税当局が調べたところ、この5人は実際に多額の資産をドイツに申告せずにスイスの口座に隠していたことがわかり、データの信憑性(しんぴょうせい)は確認された。

ドイツ政府は、この1500人について脱税調査を行えば、およそ1億ユーロ(約130億円)の追徴金が国庫に入るとしている。戦後最悪の不況のために記録的な財政赤字に苦しむ政府にとっては、喉から手が出るような話である。

メルケル首相は、「脱税は絶対に摘発されなくてはならない。そのためには、脱税している市民を摘発するためのチャンスを利用するべきであり、問題のデータを入手するべきだ」と述べ、データの購入を示唆している。

また野党の社会民主党(SPD)と緑の党も「キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と自由民主党(FDP)の支持者には富裕層が多いが、彼らに気兼ねすることなくデータを購入し、脱税者を処罰するべきだ」として、ショイブレ財務相に問題のデータを買うように要求している。

だが、この顧客データが銀行から盗まれた物であるということを忘れてはならない。ドイツ政府は2年前にも、リヒテンシュタインの銀行から顧客データを盗んだ男に500万ユーロ(6億5000万円)を払って、ドイツの脱税者を摘発した。このデータのおかげでドイチェ・ポストのクラウス・ツムヴィンケル元社長のような著名人も多額の脱税をしていたことがわかり、検察庁に摘発された。データを盗んだ者に政府が何億円ものお金を払うとすれば、将来似たような犯罪を誘発する可能性が強い。

このため、保守層からは反発する声も出ている。グッテンベルク国防相は、「違法な手段で入手されたものに、報酬を払うことには個人的に抵抗感がある」と語る。また連邦議会の法務委員会のカウダー委員長も、「この顧客データは盗まれたものなので、脱税犯に対する刑事裁判の中で証拠として使うことはできない」として、データの購入に批判的だ。

だがショイブレ財務相は、「前回のリヒテンシュタイン事件の際に、このようなデータの使用を禁じた裁判所はない」として、購入に前向きな姿勢を見せている。国民の間では、盗品であろうともデータを入手して脱税犯を摘発せよという意見が強い。

ドイツの税金は日本や米国とは比較にならないほど高い。独身のサラリーマンの場合、税金と社会保険料で手取りが60%くらいになることも珍しくない。旧東ドイツ再建のための連帯税や、キリスト教徒であれば教会税も取られる。庶民は毎月税金をしっかり取られ、銀行口座の資金の出入りを国税庁に逐一監視されているのに、富裕層の脱税が見逃されるというのでは、人々は激怒するだろう。長年スイスの銀行の売り物だった「顧客の秘密厳守」の原則も昨年大幅に緩和され、銀行も税務当局の照会に答えなくてはならない。ITの発達によって、犯罪者は大量の機密情報を以前と比べて簡単に盗めるようになった。スイスなどの銀行に資金を持ち出しているドイツの富裕層には当分、不安な日々が続くだろう。

12 Februar 2010 Nr. 803

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 10:49
 

ミュンヘン空港・不祥事の教訓

「空港の安全検査体制は大丈夫なのか?」と思わせる事件が、1月20日にミュンヘンで発生した。

空港の手荷物検査のセクションで、女性検査官が1人の乗客のノートブック型コンピューターを検査のための機械に通したところ、爆発物があることを示す警報が鳴った。誤作動の可能性もあるため、検査官はさらに詳しくコンピューターをチェックしようとした。しかし検査官がこの乗客から目を離したすきに、年齢50歳前後のビジネスマン風の男性は、自分のコンピューターをつかんで、免税店の方向へ立ち去ってしまったのだ。検査官は慌てて男を追いかけたが、問題の人物が人ごみに紛れ込んだため、見失った。

検査官は10分後に連邦警察に通報。警察は爆弾テロの可能性もあるとして、ミュンヘン空港の第2ターミナルを封鎖。さらに警察犬も使って男性とコンピューターを探したが、発見できなかった。

警察はターミナルにいた約6000人の乗客を避難させただけでなく、すでに旅客機に乗って離陸を待っていた人々にまで飛行機を降りるように命じた。この騒ぎで33のフライトが欠航になったほか、100本以上の便に大幅な遅れが出た。

問題の乗客の顔は監視カメラにはっきり映っているが、騒ぎから1週間以上経った1月27日の時点でも、見つかっていない。その他の監視カメラの分析から、この人は安全検査の直後に免税店にいたことがわかっており、別に逃げたわけではなく、単に急いでいただけと思われる。したがって、この人はテロリストではない可能性が高い。英語を話していたことから、ドイツ人ではなく外国からミュンヘンに出張に来ていたビジネスマンと見られる。機械の警報が鳴ったのも、コンピューターに爆薬が仕掛けられていたためではなく、おそらく誤作動だろう。

だが乗客の生死を左右する空港の安全検査では、「おそらく」とか「たぶん」というグレーゾーンがあってはならない。警報が鳴ったら、コンピューターを分解してでも、疑いが完全になくなるまで徹底的にチェックする必要がある。私はイスラエルの空港で、世界的に有名な厳しい持ち物検査を経験したが、すべてのトランクをX線装置に通した後、開いて係官が内部を入念に調べる。目覚まし時計と歯磨きのチューブは、別の場所へ持っていってさらに詳しく点検していた。彼らはそこまで努力して、安全を守ろうとしている。

ドイツの政治家からは、今回の事件について「空港で絶対に起きてはならない不祥事だ」という厳しい批判の声が上がっている。せっかく怪しい機械を見つけても、入念な検査をする前に乗客が機械を持ったまま立ち去ってしまうのでは、安全検査をする意味がない。私もミュンヘン空港をたびたび利用するが、手荷物検査が行われる場所の前には、よく短機関銃を持った警察官が目を光らせている。それなのにこの人物が素通りできたのは不思議だ。

コンピューターをチェックした検査官は20年以上のキャリアを持つベテランだったが、「疑わしい乗客がいたら、決して目を離してはならない」という鉄則を守らなかったために、空港が一時的にマヒする騒ぎとなったのである。

この男がもしもテロリストだったら、大変なことになるところだった。ドイツの治安当局には、気を引き締めて職務に当たってほしい。

5 Februar 2010 Nr. 802

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 10:50
 

メルケル首相に高まる批判


©www.bilder.cdu.de
保守中道政権を率いるメルケル首相に、最近CDU(キリスト教民主同盟)の党内からリーダーとしての資質を問う声が上がっている。批判を強めているのはCDU内の保守派だ。

メルケル氏は大連立政権の頃から、舞台裏での根回しを好み、表面的には沈黙を守る政治家だった。CDUの保守層は、「メルケル氏は、黙って危機が去るのを待つばかり。積極的な発言によって党員を率いていくリーダーシップに欠ける」と指摘しているのだ。

実際、昨年の連邦議会選挙では、CDUとCSU(キリスト教社会同盟)は得票率を前回の選挙に比べて1.4ポイント減らしている。33.8%という得票率は、ドイツのトップ政党としては淋しい数字だ。メルケル氏が首相の座に残れたのは、得票率を4.8ポイント増やしたFDP(自由民主党)と組むことができたからにすぎない。

CDU・CSUの支持者の内、昨年の連邦議会選挙でFDPに票を投じた市民は、110万人に上る。さらに、棄権したCDU・CSU支持者も100万人を超える。

特に中規模企業の経営者や富裕層が多いドイツ南部のバーデン・ヴュルテンベルク州やバイエルン州では、CDU・CSUに背を向けてFDPを選んだ有権者が目立った。

有権者にとってはCDU・CSUの個性が、SPD(社会民主党)との大連立政権の中で見えにくくなったのである。今、ドイツで盛んに議論されているのが「保守党の役割は何か?」という点である。この問題について、メルケル氏は批判の矢面に立たされている。

たとえば昨年、ベルリンに建設予定の「追放問題資料館」の企画委員会の人選をめぐり、「追放被害者同盟」のシュタインバッハ会長がポーランド政府から強く批判されたことがあった。この時にメルケル首相は沈黙し、CDUの党員でもあるシュタインバッハ氏を弁護しなかった。保守派は、メルケル氏がこの時に沈黙したことを批判している。

また、昨年ローマ教皇ベネディクト16世が、カトリック教会から破門されていた4人の保守的な司教たちについて、破門を解除する方針を明らかにした。だがこの内の1人が、アウシュヴィッツ収容所のガス室で多くのユダヤ人が虐殺されたことを疑問視する発言を繰り返していたことがわかった。

この時にメルケル氏は、「カトリック教会はユダヤ人に対する態度をはっきりさせるべきだ」と述べ、破門解除について強い懸念を表明した。ドイツの首相がローマ教皇の決定を公に批判する発言を行ったのは、初めて。メルケル氏がカトリック教会で最も権威がある人物をあからさまに批判したことは、CDU・CSUの党員たちに強いショックを与えた。敬虔なキリスト教徒の中には、メルケル氏の態度を「神をも恐れぬ所業」と感じた者もいたかもしれない。

つまり保守層にとって、メルケル氏は「リベラル」過ぎるのかもしれない。だがCDU・CSUが保守傾向を強めれば、得票率が増えるという保証はない。冷戦が終わって、欧州から社会主義国が消滅してからは、イデオロギーは選挙の争点ではなくなった。むしろ有権者は、「どの政治家が自分の生活を良くしてくれるか」を基準に票を投じる。このため、どの政党にとっても、有権者を長期間にわたりつなぎとめることが難しくなっているのだ。結党以来の危機にあえいでいるのは、SPDだけではない。CDU・CSUにとっても当分困難な時代が続くだろう。

29 Januar 2010 Nr. 801

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 10:50
 

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