独断時評


メルケル首相の決意

11月3日、メルケル首相は初めてアフガニスタンに駐留しているドイツ軍将兵を訪問した。安全確保のために、この訪問についてマスコミは事前の報道を差し控え、現地にいる大半の兵士たちにも事前の連絡はまったくなかった。まるで、ブッシュ大統領がイラクに駐留する米軍兵士を訪れるときのような、隠密訪問である。

搭乗機がカブール空港に着陸する寸前には、メルケル首相も防弾チョッキを着けなくてはならなかった。空港からドイツ軍の基地へ向かう際、自動車を使うとゲリラの爆弾テロに遭う危険があるので、移動は機関銃を装備した大型ヘリコプターで行われた。首相の搭乗ヘリには、米軍武装ヘリの護衛がついた。

また、メルケル首相の飛行機がカブールから離陸する際にも、搭乗機は照明弾を周囲に発射した。タリバンの武装勢力は、飛行機のエンジンから出る熱を追尾する、地対空ミサイルを持っている。搭乗機が照明弾を発射したのは、敵のミサイルを撹乱(かくらん)して、攻撃を避けるためである。

これらの事実から、アフガニスタンの治安がいかに悪化しているかが理解できる。ドイツ政府は、アルカイダを支援するタリバンが、再び政権につくことを防ぎ、アフガニスタンの復興を支えるために、北部に3000人の将兵を駐留させている。この地域は、米英軍がタリバンと激しい戦いを繰り広げている南部に比べると危険は少ないが、1年前から自爆テロやロケット砲による攻撃が増加し、すでに30人近いドイツ人が犠牲になっている。

メルケル首相が危険を冒してアフガニスタンに行ったのは、生活条件が過酷な前線にいる兵士たちの士気を鼓舞するためだけではない。最大の理由は、ドイツ市民の間で、軍のアフガニスタン駐留への支持が急速に弱まっていることだ。ある世論調査によると、5年前には回答者の51%がドイツ軍のアフガン駐留を支持していた。だが今では、支持者の割合は29%に急落している。さらに「アフガン駐留が原因で、ドイツ国内でのテロの危険が高まっている」と考える市民の割合は56%に達し、「将来、ドイツ軍は外国での任務に派遣されるべきではない」と考える市民の比率は、2年前には34%だったが、今では50%に増加した。

米軍がイラクの泥沼で苦しむのを見て、ドイツ市民の間でも「自国の将兵たちが、出口の見えない対テロ戦争に巻き込まれるのではないか」と危惧を抱く人が増えているのだ。歴史をひもとくと、英国、ソ連の例を見るまでもなく、アフガニスタンに軍事介入して平定できた国は、一つもない。

首相はこの厭戦気分に警鐘を鳴らしたかったのだ。ドイツなど西側諸国がアフガニスタンから撤退したら、同国は再び内戦状態に陥るだろう。そしてタリバンが政権に返り咲き、厳格なイスラム原理主義に基づく政治を再開して、再びアルカイダがこの国を出撃拠点や訓練センターとして使う危険がある。メルケル首相の電撃訪問は、「アフガンに踏みとどまる。タリバンのカムバックは許さない」という不退転の決意をはっきり示したものだ。

16 November 2007 Nr. 689

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 13:41
 

SPDよ、どこへ行く

SPDよ、どこへ行く大連立政権の一角を担う社会民主党(SPD)が、大きく揺れている。象徴的なのは、中高年の失業者に対する援助金の支給期間を延長するかどうか、という議論である。ベック党首は、失業者の間で評判が悪い「ハルツIV」法に変更を加え、中高年層に対する援助金の支払期間を延ばすべきだと主張。激論の末、ミュンテフェリング労働相は、しぶしぶこの方針を受け入れた。

ミュンテフェリング氏は前のシュレーダー政権でハルツIVの成立に寄与した人物。SPD党員の大半がベック党首に味方をしたことは、ミュンテフェリング氏に代表される経済改革推進派が、党内のせめぎ合いで敗れたことを意味する。

シュレーダー政権は、「ドイツ経済の競争力を高めることが、失業率を低くするためには不可欠だ」と考えて、社会保障コストを減らすための政策を次々と実行に移した。ハルツIVはその一環であり、失業者への援助金を大幅に減らすことによって、再就職への圧力を高めることが目的だった。

だが驚いたことに、シュレーダー元首相ですら「ハルツIVはモーゼの十戒ではない」と言って、法律に変更を加えることに理解を示し、ミュンテフェリング氏を事実上孤立させた。SPDで、左派路線が主流となったのである。

10月末にハンブルクで開かれたSPDの党大会では、草の根の党員たちがさらに「左傾化」の姿勢を示し執行部を驚かせた。例えば党員たちは、ドイチェ・バーンに議決権のない「国民株式」を導入し、外国の投資会社による買収から守るべきだと主張したり、二酸化炭素削減のためにアウトバーン全線に時速130キロのスピード制限を導入したりするべきだと主張したのだ。

これは、緑の党や左派政党を思わせる政策である。草の根の党員の間では、シュレーダー前首相が財界に太いパイプを持っていたことから、SPDの政策がキリスト教民主同盟(CDU)に近づき、弱者に冷たくなったという意見が強まっているのだ。次の選挙で緑の党や左派政党に票が流れるという危惧も出ているのだろう。

ベック党首は、その雰囲気を敏感に察知し、シュレーダー路線に背を向けたのである。社会の弱者に手を差し伸べようとするのは、理解できる。だが、党首が変わるごとに、政策が財界寄りになったり、左派寄りになったり、猫の目のように激しく変化するのはいかがなものであろうか?

9 November 2007 Nr. 688

最終更新 Donnerstag, 25 August 2011 10:02
 

オンライン捜索は許されるか

オンライン捜索は許されるかあなたの知らないうちに、ドイツの警察が通信回線を通じてあなたのコンピューターに入り込み、ハードディスクに保存されている文書やメールを勝手にコピーして調べていたとしたら、どう感じるだろうか。

ショイブレ内務相は、このようなオンライン捜索(Online Durchsuchung)を行う権利を、捜査機関に認めるよう要求している。その理由は、アルカイダの影響を受けたイスラム過激派のテロリストたちが、ウェブサイトやメールを使って互いに連絡を取り合っていることだ。大臣の発言は、ドイツ社会で大きな議論を巻き起こした。

多数のメンバーと同時に交信することを可能にするインターネットは、多くの国に分散して活動しているテロリストにとって、重要な道具である。過激な聖戦(ジハード)思想を広めるという目的にも、悪用されやすい。過激勢力の中には、「ドイツがアフガニスタンから撤退しない場合には、無差別テロを起こす」というドイツ語の警告文を、ホームページに掲載した者もいる。このためショイブレ大臣は、「アルカイダなどによる無差別テロを未然に防ぐためには、容疑者のコンピューターに入り込んで文書やメールを押収し、分析することが不可欠だ」と主張しているのだ。

対外諜報活動を行う連邦情報局(BND)は、すでにオンライン諜報活動を行っていると言われる。例えば、フランクフルター・アルゲマイネ紙で働いていたウド・ウルフコッテ記者は、BNDに関する本を出版しようとしていた。彼はそのために、BNDにインタビューを申し込んだが、BNDの担当者がすでに自分の原稿の草案を持っていることに気づいた。このため同氏は、BNDが通信回線を通じて自分のコンピューターに入り込み、草稿を盗み出したという疑いを強めている。

市民団体や左派政党からは、「ショイブレ大臣の提案は、東ドイツ時代の秘密警察シュタージを思い起こさせる」として、強い批判の声が上がっている。確かに、警察がオンライン捜索の権利を乱用した場合、多くの市民のプライバシーが侵害される恐れもある。しかし、イラクやアフガニスタンでの欧米の軍事作戦が長引くなか、イスラム過激派がロンドンやマドリッドで起こしたような無差別テロを、他の都市でも実行に移す危険は、刻々と強まっている。捜査当局にとって、潜伏しているテロリストを摘発するための対抗手段が必要なことも事実だ。

警察の捜査を可能にするために、プライバシーの侵害はどの程度許されるべきか。この議論には、なかなか決着がつきそうにない。

2 November 2007 Nr. 687

最終更新 Donnerstag, 25 August 2011 10:03
 

バーシェル元州首相は殺されたのか?

バーシェル元州首相は殺されたのか?1987年10月11日、ジュネーブの高級ホテルの浴槽で、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州元首相が死んでいるのが見つかった。ドイツの政治史の中で最も謎に満ちた事件である。検察庁は、公式には「自殺」という結論を下したが、遺族や一部の検察官は他殺と信じて疑わない。

事件からちょうど20年目にあたる今年、検察当局が現場で見つかった様々な証拠物件を初めてマ スコミに公開したことから、怪死事件をめぐる議論が再燃している。

キリスト教民主同盟(CDU)のウーヴェ・バーシェル氏は当時、「州首相選挙の対立候補の評判をおとしめるための不法な工作を行っていた」という疑惑に問われて、辞任。あらゆることをメモする癖があったバーシェルは、「ジュネーブである人物と会い、自分の身の潔白を明らかにする証拠を受け取る」と走り書きをしていた。だが、バーシェルが ジュネーブで誰と会ったのかは解明されていない。

検察当局が公表した証拠物件は、バーシェルの死に不審な点があることを示している。たとえば、バーシェルが死んでいた浴槽前の足拭き用のマットは、茶色い色素でひどく汚れており、バーシェル以外の人物の靴の痕が残っていた。さらに、バーシェルはネクタイを締めたまま死んでいたが、彼のワイシャツの上から2番目のボタンが、ちぎれていたことがわかった。一部の検察官は、「バーシェルが苦しみのあまり胸をかきむしったためではなく、何者かが胸ぐらをつかんだ際にボタンがちぎれたと考えた方が自然」と見ている。部屋の中には、元首相の靴が散乱しており、ワイングラスが割れていた。

一部の法医学者や検察官は、「少なくとも二人の人間がバーシェルに強い薬を飲ませて気を失わせた後、劇薬である筋肉弛緩剤を無理やり飲ませて殺害した。その上で水を張った浴槽に被害者を沈めて、自殺に見せかける工作を行った」と推理している。

部屋のゴミ箱にはミニバーのウイスキーの小瓶が捨ててあったが、この瓶からは強い麻酔剤の痕跡が見つかっている。バーシェルは精神的に不安定で、睡眠薬などを常用していたことがわかっている。

しかし、麻酔剤や被害者の体内から見つかった筋肉弛緩剤を入れていた箱や包み紙が現場で見つからなかったことはおかしい。バーシェルがルームサービスで注文した赤ワインの瓶が部屋からなくなっていることも不自然である。自殺しようとする者が、薬の包み紙やワインの瓶を隠すだろうか?これらの事実は、他殺説が消えない理由の一つとなっている。

私はNHK神戸支局で事件記者として働いていた時に、江崎グリコの社長が誘拐され、食品企業が次々に脅迫されたグリコ森永事件、朝日新聞・阪神支局の記者が散弾銃で殺害された事件など、迷宮入りとなった事件をいくつか取材した。その時の経験からわかるのだが、捜査当局が証拠物件を公開するのは、もはや事件解明の見通しが立たなくなったことを示している。バーシェル怪死の真相も闇の中に葬られる可能性が強い。

26 Oktober 2007 Nr. 686

最終更新 Donnerstag, 25 August 2011 10:04
 

「ハルツIV」改革をめぐる激論

「ハルツIV」改革をめぐる激論シュレーダー前政権が2005年に導入した労働市場改革「ハルツIV」をめぐり、連立政権の1政党である社会民主党(SPD)で激しい議論が行われている。発端は、SPDのベック党首が「年配の失業者が生活に対する不安を持たなくて済むように、失業給付金の支払期間を延長するべきだ」と主張したことだ。これに対して、同じ党に属するミュンテフェリング労働相は、延長に真っ向から反対する姿勢を示している。

ハルツIVの下では、失業給付金は2種類に区別される。「第1種・失業給付金(ALG・I)」は、失業保険制度に基づく援助で、給付期間は失業者が働いていた期間と年齢によって決まる。例えば、失業する前に36カ月働いていた55歳以上の市民は、第1種・失業給付金を最高18カ月受け取ることができる。この期間に仕事を見つけることができない場合には、額が大幅に低い「第2種・失業給付金(ALG・II)」に切り替わる。原則としてその額は毎月345ユーロ(5万6000円※)で、生活保護と同じ水準の、きわめて低い金額だ。05年に第2種・失業給付金を受けた市民は489万人。このうち220万人が失業者で、残りはそれまで生活保護を受けていた人々である。

ハルツIVが導入された目的は、失業保険からの給付金だけで生活し、就職しようとしない失業者を減らすこと。この制度が実施されるまでは、賃金が安い仕事に就くよりも、失業保険からの給付金のほうが手取り所得が多くなることがあった。シュレーダー前首相は、失業者への国の援助を大幅にカットすることによって、「仕事に就け」と人々の背中を押したのである。財界と太いパイプを持っていたシュレーダー氏は、企業経営者の要求を受け入れて、高福祉国家ドイツの社会保障を減らす方向に舵を切ったのだ。

だが、特に旧東ドイツでは、55歳以上の夫婦が二人とも失業して、失業給付金の毎月690ユーロと労働局からのわずかな援助だけで、苦しい生活を強いられている例が報告されている。またミュンヘンで16年前から失業しているある女性も、二人の子どもにお腹いっぱい食事をさせられるのは給付金が出る日だけで、空腹をしのぐため、他の失業者とともに教会などが行う炊き出しの列に並ぶと言う。ハルツIVは、中産階級を減らし、富む者と貧しい者の格差を拡げているのである。

ドイツでは現在、失業者の数が急速に減りつつあり、統一以来、最低の水準に達している。しかしその主な原因は、ハルツIVではなく、景気回復によって企業が採用を増やしていることにある。

ベック党首は、グローバル化社会の敗者たちを放置していたら、SPD支持者が左派政党に流れることを危惧しているのだろう。ドイツ経済の競争力を伸ばす方向に進むのか、それとも社会的公正を重視して、シュレーダー路線にメスを入れるのか。SPDは、党の根本原則にかかわるような、難しい選択を迫られている。

※1ユーロ=163円換算

19 Oktober 2007 Nr. 685

最終更新 Donnerstag, 25 August 2011 10:10
 

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