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人権外交の誇り

人権外交の誇りメルケル首相が9月23日にチベットの宗教指導者ダライ・ラマと会見したことは、シュレーダー前首相時代にあまりにも実務重視に偏っていたドイツの外交路線が、大幅に修正されたことを示す。

1959年に中国がチベットを占領して以来、48年間にわたり国外での亡命生活を強いられているダライ・ラマが、ドイツの連邦首相府に迎え入れられたのは初めてだ。これまで多くの政治家がダライ・ラマに対して冷ややかな態度を取ってきたのは、大国への道をまっしぐらに進みつつある中国を怒らせないためである。それは中国が、「ダライ・ラマはチベットの中国からの分離を画策している」と非難しているからだ。ダライ・ラマは「平和的な手段によって、チベットの窮状を世界に知らせる努力を続けてきた」という功績を評価され、89年にノーベル平和賞を受けている。

メルケル首相は、中国を挑発しないように、この高僧との会見を「私的な意見交換」と位置づけた。そして中国との政治・経済関係を重視するという立場も、あらためて強調している。だがメルケル首相がダライ・ラマを連邦首相府という公式な場に招待したことによって、「ドイツは中国による人権抑圧を無視しない」という姿勢を全世界にはっきり示したのだ。ドイツがこうした態度を打ち出したことで、他のEU加盟国もダライ・ラマに対する冷遇をやめるかもしれない。

中国政府は、「ドイツと中国の関係に悪影響が出るかもしれない」としてメルケル首相を牽制し、ダライ・ラマとの会見を思いとどまるよう圧力をかけていた。実際中国は、ミュンヘンとニューヨークで予定されていたドイツ政府との会合をキャンセルしている。年間約10%という驚異的な成長率を続ける中国は、製品の輸出先として、また人件費が安い生産拠点として、全世界の国々にとってますます重要になりつつある。今年中には国内総生産でドイツを追い抜き、世界第3位の経済大国になることが確実だ。しかし中国は、急速な資本主義化を進める一方で、言論や宗教の自由が保障された民主国家ではない。

「ビジネスマン宰相」という性格が強かったシュレーダー氏は、人権問題を棚上げにして中国を頻繁に訪れ、通商関係を拡大しようと必死に努力した。「EUは中国に対する武器の禁輸をやめるべきだ」とまで主張した。シュレーダー氏は、ロシアのプーチン大統領についても「正真正銘の民主主義者だ」と持ち上げ、チェチェン紛争などでの人権問題については触れずに、天然ガス・パイプラインの建設などもっぱら通商問題だけに関心を示した。

これに対しメルケル首相は、モスクワを訪れた時に、プーチン大統領と会談しただけでなく、市民団体や人権団体の関係者をドイツ大使館でのレセプションに招待した。「ドイツは人権問題を忘れない」というシグナルを、ここでも見せたのである。メルケル首相が青春時代を全体主義国家・東ドイツで過ごしたことが影響しているのだろう。政治家の役目は、貿易量を増やすことだけではない。「自由と民主主義の拡大も、経済に劣らず重要だ」というメッセージをメルケル首相が内外に送ったことを、評価したい。

5 Oktober 2007 Nr. 683

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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