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カール・ラウターバッハ

カール・ラウターバッハ Prof. Dr. Karl Lauterbach
1963年2月21日NRW州ニーダツィアー(デューレン近郊)生まれ。ケルン大学健康疫学研究所教授。妻はアーヘン腫瘍センター所長。

シュレーダー前政権下で設けられた社会保険制度改革のための諮問委員会メンバーになり、蝶ネクタイ姿で一躍有名になった。2001年に社会民主党(SPD)に入党し、ドイツの医療保険制度を時代遅れで不平等な代物と批判。シュミット保健相を助けて国民健康保険への一本化を進めたが、改革案はキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)との大連立政権によって妥協の産物に変わったため、議会採決では反対票を投じた。そしてこの6月、『Der Zweiklassenstaat(二階級社会の国家)』を出版し、公的保険とプライベート保険がもたらす医療格差の実態を詳しく報告。議員間で囁かれている「異人種」「神経に障るヤツ」 との評判を不動のものにしている。

アーヘン大とデュッセルドルフ大で医学を学び、ハーバード大で健康疫学をテーマに博士号を取得。国際比較のできる社会保険エキスパートとして注目され、連邦議会入りした05年、「ドイツ人は米国人同様、高額所得者ほど長生きするため、現在の年金制度は納めても早死にする低所得者に対して不公平だ」と 爆弾発言し、賛否両論を巻き起こした。

近著でも、加入者の半数が公務員とその家族であるプライベート保険は、つまるところ国税の補助で経営されているようなものと指摘。ドイツは国内総生産(GDP)に占める医療費の率が高く、人口に占める専門医の数も欧州一なのに、他国よりがんの死亡率が高いのは2階級の医療制度に原因があるとも書き、またまた健保ロビーに敵を作ってしまった。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:24
 

エルネスト・ベルタレッリ

エルネスト・ベルタレッリ Ernesto Bertarelli
1965年9月23日ローマ生まれ。スイス国籍。ジュネーブ在住。

1851年の英国万国博覧会に端を発するアメリカスカップ(America's Cup)は、現存するものとしては最古のスポーツイベント。6月末~7月初めに開催された32回バレンシア大会で、03年の31回大会からカップを保持するスイスのヨットチームAlinghi(アリンギ)に再び乗り組み、前回同様にニュージーランドを下して2連覇に輝いた。

実はアリンギのオーナーでもある。世界第3位のバイオ企業セロノ(Serono)社の創業ファミリーに属し、30歳で父親から経営を受け継いだ。経済誌フォーブスによると個人資産88億ドル。スイスで1位、世界で76位のスーパーリッチゆえ、レース用ヨットを造らせて天才的なスキッパー(操舵手)を雇う資金には困らな い。しかしボードで他のクルーと一緒に走り回るオーナーは珍しく、「現場に社長がいることが重要なのは会社と同じ」と答える。

レマン湖でヨットを繰りながら成長し、1998年にナビゲーターとしてサルジニアカップ、99年にはスキッパーとしてロレックスカップに優勝。そして03年、総額1億ドルをかけて造らせたハイテクヨット「アリンギ」に自らランナー(マスト係)として乗り組み、ヨーロッパに初めてのアメリカスカップをもたらした。

早朝2時間のパワートレーニングを欠かさず、会社の仕事を午後1時までに片付けて、午後はクルーと練習する。「企業とヨット、どちらのチームワークでも、選ばれた理由を部下 に明確に理解させるのがリーダーの務め」とか。カップ保持者の経営哲学である。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:24
 

オスカー・ラフォンテーヌ

オスカー・ラフォンテーヌ Oskar Lafontaine
ザールラント州ザールルイ生まれ。3番目の現妻は元ヘッセン州政府秘書官のクリスタ・ミュラー。

SPDの不満分子と労組により設立された政党WASG(労働と社会正義への選択肢)に、鳴り物入りで入党したのは05年総選挙の直前。たちまちトップに立ち、旧東に地盤を持つPDS(民主社会党)と選挙連合を組んで、連邦議会議員に返り咲いた。そして今年6月、2党合併のDie Linke(左派党)が発足すると、共産主義の老戦士ローター・ビスキーとともに双頭党首に就任。古巣のSPDを苛立たせている。

父親は大戦で戦死し、寄宿学校で育った。奨学金でボン大学へ進み、物理学修士を取得。アインシュタインの平和主義に共鳴してSPDに入った。ザールブリュッケン市長だった1979年、ソ連・NATO間のミサイル競争を支持するシュミット首相(SPD)を「その義務感と計画性と実行力なら強制収容所を運営できる」と批判。謝罪しながらも知名度を上げ、州首相、党の連邦首相候補、党首へと駆け上がった。

しかし1990年4月に精神異常者から刺され、九死に一生を得た後は、首相候補を当時の3巨頭シャーピングに譲り、98年10月には仇敵シュレーダーが樹立したSPD新政権で蔵相に就任するも、わずか5カ月で大臣、党首、連邦議員の3ポストと党員バッジを放棄し、SPDに拭いがたい不信感を植え付けてしまった。

が、その点をつかれても馬耳東風。政界復帰して左派党党首にまでなった現在、将来の連立政権入りを目指し、古巣に秋波を送っている。はたして関係修復は可能だろうか。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:24
 

ホルスト・ゼーホーファー

ホルスト・ゼーホーファー Horst Seehofer
1949年7月4日バイエルン州インゴルシュタット生まれ。メルケル現政権の食料・農業・消費者保護相。

キリスト教社会同盟(CSU)のシュトイバー党首の9月辞任表明を受け、次期党首への名乗りをあげたのは今年1月。すると偶然か故意か、ビルト紙により、選挙区インゴルシュタットで妻と、と同時にベルリンでもガールフレンドとの2重生活を続けていることが暴露されてしまった。「きちんとします」と宣言してから半年。妻と愛人を両天秤にかける状態を変えようとせず、一方でマスコミに対し、ライバルたちにも秘密の私生活があるような発言をしたため、「脅迫か」「政治家に必要な決断力がない」と集中攻撃を受けている。

中卒後に行政官教育を受け、中級公務員として10年間市政にたずさわって国政へ出た。CSUに入党したのは身近に存在していたから。コール政権下で8年間保健相を務め、健保ロビーを「(血税で儲ける)吸血鬼」と糾弾。政権交代後も社会民主党(SPD)のシュミット保健相に協力して国民健康保険制度への変更を推奨し、「イエスの心を持つ社会主義者」と呼ばれてきた。地元で抜群の人気を誇り、前回の総選挙では全国2位の得票率65.9%を獲得している。

しかし現在、その自信があだになっているとの声も上がり始めた。「私生活は政治家の能力に関係ないが、女性2人をあやふやな状態に置いていることに目はつぶれない」と支持者たち。息子3人をもうけた妻と連れ添って22年、娘を出産したばかりのガールフレンドとは交際3年。両人とも自分から別れるつもりはなく、彼の決断を待っている。さあどうする?!

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:24
 

ザビーネ・クリスティアンセン

ザビーネ・クリスティアンセン Sabine Christiansen
1957年9月20日 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州プレーツ生まれ。ユニセフのドイツ大使。

1987年から10年間、ARDのニュース番組「ターゲステーメン」のキャスターを務めてきた。1998年からは報道プロダクションTV21を経営し、自分の名前を冠した政治トーク番組「ザビーネ・クリスティアンセン」を1本20万ユーロで制作。各界のVIPを総出演させるトークの女王として、日曜夜にARDから放送してきたが、ついに6月24日、番組から降板することになった。

しかし女王の退場を惜しむ声は少ない。番組はスタート時こそトークのパイオニアだったが、やがて同じ顔ぶれのゲストが同じ主張を繰り返すマンネリ状態に陥り、音声を消して見るパントマイム・ショーだとまで皮肉られていた。

また一方で、司会者として討論を仕切る能力を疑問視する声も消えなかった。批判のたびに、ルフトハンザのスチュワーデスだった前歴を引っ張り出されるのは、不本意だったに違いない。しかし、連邦議会選挙でシュレーダー首相vs.シュトイバー候補(02年)、シュレーダー首相vs.メルケル候補(05年)のテレビ討論を司会したのは彼女。そして昨年6月にドイツのメディアで初めてブッシュ大統領にTVインタビューしたのも、この元スチュ ワーデスだったのである。

今後はCNBCヨーロッパ局の番組「グローバル・プレーヤー」を中心に仕事をし、ユニセフと子供基金の活動をさらに強化したいという。2度離婚した独身貴族ゆえ、どこに住むかは新しい恋人次第。「ヨーロッパは我が家」 の感覚らしい。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:24
 

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