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ニュースのかお


ラインハート・マイ

Reinhard MeyReinhard Mey
1942年12月21日ベルリン生まれ。
シンガーソングライター。仏芸名はFrédérik Mey。
©Markus Schreiber/AP/Press Association Images

これまでにドイツで26枚、フランスで7枚のアルバムを発表してきた。街で見掛けた人間模様や日々の暮らしを叙情詩にし、歌った作品は500曲以上になる。活動歴50年。人間国宝級のシャンソン歌手だ。去る5月3日、27番目の新アルバム「dann mach’s gut(じゃあ元気で)」をリリースし、早速アルバムヒットチャートのトップに躍り出た。

フランス語で授業をするベルリンの仏ギムナジウムで学び、ベルリン工科大学の学生だった1964年に自作のシャンソンで歌手デビュー。国際民俗音楽フェスティバルで認められ、67年にデビューしたフランスでは翌年のフレンチ・シャンソン大賞を受ける。同国で初めての外国人受賞者だった。

「おやすみ、友よ(Gute Nacht, Freunde)、そろそろお暇する。ご馳走になった。付き合ってくれてありがとう」と友情を称え、「あぁ、アナベル、君はなんて物知りでネガティブで破壊的なんだ(Annabelle)」とウーマンリブを揶揄したのは、共に72年。飛行ライセンスを取得し、「雲の上(Über den Wolken)」の限りない自由を歌ってもいる(74年)。

新アルバムでは、駅で出迎えた父と到着した息子が交わす型通りの会話「Vater und Sohn」を語り、妻との静かな老後「Wenn du bei mir bist(そばに君がいれば)」を描写した。09年から昏睡状態にあるもう1人の息子には「dann mach’s gut」と呼び掛けている。

大学紛争の68年世代、動物愛護団体PETAのメンバー、徹底したベジタリアン。彼の叙情歌は、愛と非暴力と自由を夢見た戦後世代の心の成長を語っているのだろう。

最終更新 Donnerstag, 06 Juni 2013 11:40
 

ユルゲン・クロップ

ユルゲン・クロップJürgen Klopp
1967年6月16日シュトゥットガルト生まれ。
サッカーのボルシア・ドルトムント監督。
 

レアル・マドリードに勝利し、16季ぶりに欧州チャンピオンズリーグ(CL)決勝進出を決めたボルシア・ドルトムント。同チームを2008/09シーズンから率いる監督として、また日本では香川真司を発掘した名監督として知られるが、準決勝を前にした4月中旬、サッカーとは無関係のある事で注目されてしまった。

額の生え際の髪が増えているというのだ。「そう、自毛植毛したんだ、クールだろう?」と本人はいたって嬉しそうだし、ビフォーと比べてやっと分かる程度の増毛なので、追い掛けたマスコミは苦笑するしかない。

現役フォワード時代にフランクフルト大学でスポーツ科学を修め、2001年に所属のマインツで監督デビュー。チームを04年にブンデスリーガ1部昇格へと導き、自ら走り回る熱血ぶりで注目の的になる。また、権威を示しつつも傲慢さのない人柄で信頼を集め、将来を嘱望される監督の1人になった。

08年就任時のドルトムントは、債務超過により破たん寸前と言われ、成績も低迷するチームだったが、それを好機と、安くて若い選手を起用して2010/11シーズン、2011/12シーズンにブンデスリーガ連覇。ゴールするたびに抱き上げられた“シンジ”をはじめとする平均年齢22歳の若手には、父親の愛情に応えられたような嬉しさがあっただろう。

欧州CL決勝戦は5月25日。世論の大半が2季連続進出のバイエルン・ミュンヘンよりもドルトムントの勝利を希望し、開催地の英国ではシンジがいるマンUの次期監督候補にどうかとの噂まで出たとか。大変な試合になりそうだ。

最終更新 Freitag, 10 Mai 2013 17:34
 

マルティン・カイマー

マルティン・カイマーMartin Kaymer
1984年12月28日デュッセルドルフ生まれ。メットマン在住のドイツ人プロゴルファー。
©Themba Hadebe/AP/Press Association Images

欧州ツアーで総合優勝したのは2008年。その2年後に全米プロゴルフ選手権に勝ってメジャー大会初制覇を果たし、11年に2カ月間だけ世界ランキングのトップにも立った。昨年9月に開かれた欧米対決ライダーカップの最終18ホールでは、見事なパットで欧州チームに連覇をもたらし、今年はPGAツアー出場権を手に、4月のマスターズ・トーナメントに参加。ゴルフ人口が多いとは言えないドイツで今、熱い注目を集めている。

少年サッカーでも地方代表に選ばれるほど優秀だったが、「チームスポーツより自分次第のゴルフのほうに大きなチャンスがあると思って」、アビトゥア取得後にプロゴルファーの道を選んだ。10歳からクラブを握り、15歳のときに、ハンディキャップはすでに0。2005年の渡米体験でモチベーションの大切さを学んだ。「自分より才能があった」同期の多くがトップに残れなかったことを「どうしてなのか分からない。ゴルフには才能以外の何かが必要なのかもしれない」と言う。

そしてゴルフとは、「サッカーとメンタル面で正反対の、フラストレーションを押さえ込むスポーツで、攻撃性は自滅する」と分析。大会には、フィットネスのピラティスで頭と身体を解きほぐして臨んでいる。

昨年12月、公共放送ZDFからエンターテインメントショー「Wetten, dass..?」の出演依頼を土壇場でキャンセルされたことは、「ゴルフの魅力を伝えたかっただけに残念」だったが、自分のHPに生の声を書くことでファン層拡大に貢献する。現在の世界ランキングは33位前後。先は長い。

最終更新 Donnerstag, 02 Mai 2013 09:34
 

ミヒャエル・ジーバー

ミヒャエル・ジーバーMichael Sieber
1956年3月6日、旧東ドイツのツヴィッカウ(現ザクセン州)生まれ。3歳からバイエルン州フュルトで育つ。玩具メーカーSimba-Dickieグループの社長。
©Daniel Karmann/DPA/Press Association Images

2009年2月に破産を申請した鉄道模型の老舗メルクリン。今年3月21日にその信託管財人と並んで記者会見に臨み、買収を決意したと発表。“おもちゃ業界のドリームウェディング”と報道され、関係者と世界のメルクリンファンを感激させている。  

実は話が出てから2年間悩んでいたという。おもちゃとの関わりは、父フリッツが敗戦直後に人形製造を始めた旧東ドイツのツヴィッカウにまで遡る。中世から木製おもちゃの生産で知られるエルツ山地の町の1つだ。しかし、当局とのいざこざから一家は1959年に西ドイツのおもちゃの町ニュルンベルクに隣接するフュルトへと移り、玩具の輸入販売を経て82年、親子で新しい玩具メーカーSimba Toysをスタート。やがて約30カ国で従業員4000人を抱え、年間6億ユーロを売り上げる玩具製造の最大手へと成長した。  

93年にDickie Toysを吸収して現在のSimba-Dickieグループとなり、以後ミニカーのSchuco、積み木の老舗HEROS、木製おもちゃのEichhorn、フランスの遊具ブランドSmoby、ボビーカーのBIG、日本のプラモデルTAMIYAなどを次々に傘下にしていく過程で、父に何度も止められたが「玩具に魅せられるとやめられなくなって……」とのこと。  

しかし、メルクリンは年商1億ユーロ、従業員1000人の大企業。これまでとは違うとの警告には「余興で買ったのではない。鉄道模型の伝統に新しいモデルを打ち出してみたい」ときっぱり。世界中が期待するハッピーエンドに応えられるだろうか。

最終更新 Freitag, 19 April 2013 18:07
 

ニコ・ホフマン

ニコ・ホフマンNico Hofmann
1959年12月4日ハイデルベルク生まれ、
マンハイム育ち、ベルリン在住。
映画監督・プロデューサー。
「Der Tunnel」「Mogadischu」など多数。
©ARD Degeto/Marko Greitschus

ナチス、災害、RAF(ドイツ赤軍)、誘拐事件など、ドイツ人の記憶に刻まれたテーマをテレビドラマ化し、常に高い視聴率を上げてきた。3月17、18、20日に公共放送ZDFで放送された3部作『Unsere Mütter, unsere Väter(我々の母たち、我々の父たち)』でも700万人以上の視聴者数を記録。早速トークショーやメディアも取り上げる展開になった。

ドラマはベルリンに住んでいた若い幼なじみ5人の戦争体験を追う。1941年夏にヴィルヘルムとフリードヘルムの兄弟は東部戦線へと徴兵され、シャルロッテは野戦病院の看護師に志願、歌手を目指すグレタはユダヤ人ヴィクトルを逃がすためにゲシュタポと関係し、ヴィクトルは収容所へ向かう列車の底から逃げ出してパルチザングループに合流する。

5人は数々のドラマチックな場面で偶然出会うため、「出来過ぎ」「情的でキッチュ」との批判が出ると、「エモーションを描いたのだから当然」と反論。ドレスデン空襲を描いた『Dresden』、東欧からのドイツ人追放を描いた『Die Flucht』などにも共通する作風だ。

ナチス第3帝国を描くのはこのドラマで最後にすると3年前に言っていたが、放送が終わるやヒトラー・ドラマの制作を予告したのは、「ヒトラーとナチスを見せ物として扱う最近の風潮、例えばタランティーノ作品などは受け入れがたく」、かつ「ウソで固めた男が一国を崩壊させ得た背景とドイツ人の不安神経症は描ける」と考え直したから。戦中世代の父は今回初めて息子の作品を鑑賞し、「この通りだった」と述べた。

最終更新 Freitag, 05 April 2013 13:37
 

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