演劇「釈迦ヶ池」 SHAKAGAIKE – Der Buddha-Teich 演出家・筒井潤さんインタビュー
9月25日からデュッセルドルフの劇場FFT(Forum Freies Theater)にて、大阪を拠点とする公演芸術集団dracom(ドラカン)の作品「釈迦ヶ池(Shakagaike) – Der Buddha-Teich」が初演される。1880年の大阪で実際に起きた日独間の外交問題をモチーフにした本作では、登場人物であるドイツ人と日本人の俳優がそれぞれの母語を話し、異なる言語同士によるコミュニケーションを試みる。言語・文化における「分かりあえなさ」、あるいは人間同士の対話の難しさは、異文化の中に暮らしたことがある人のみならず、誰しも経験があるかもしれない。演出家でありdracomのリーダーである筒井潤さんに、本作についてお話を伺った。(Text:編集部)

筒井潤
Jun Tsutsui
演出家、劇作家。大阪を拠点とする公演芸術集団dracom(ドラカン)のリーダー。最近ではdracomとしてNippon Performance Night 2017(デュッセルドルフ)等に参加するほか、個人での演劇、ダンス、アートツーリズム作品等の演出多数。様式やジャンルを問わない活動を行っている。 www.dracom-pag.org
筒井潤さんとFFTによる本公演のプロジェクトは、すでに2年以上前から始まっている。2016年、筒井さんが大阪で上演した作品にFFTのキュレーターが来場していたことが最初の出会い。翌年には、筒井さん主宰の公演芸術集団 dracomが、毎年FFTで開催されているNippon Performance Night 2017に参加した。2018年、筒井さんは作品のリサーチのためにおよそ1カ月間デュッセルドルフに滞在し、そして今回の公演を迎える。
謝る日本人、謝らないドイツ人
2017年にFFTで公演をした時点から、「謝罪」という行為について何となく考えていました。日本人は、ちょっとしたことですぐに謝る、なんなら何もしてないのに謝る、なんてよく言われますよね。それに対して、ドイツ人はなかなか謝らない、という印象がありました。ふとそう思ってネットなどで調べてみたら、同じような意見も多くて。「すぐ謝る日本人と、なかなか謝らないドイツ人」、この違いはどこから生まれてくるんだろう、と。そのことが気になって、「謝罪」をテーマに作品をつくろうと思ったんです。
Nippon Performance Night 2017 ポストパフォーマンストークの様子、FFTにて
作品のタイトル「釈迦ヶ池」とは、大阪府吹田市に実在する池の名前。この池では、1880年に「釈迦ヶ池遊猟事件」が起きた。当時、ドイツから来日していたプロイセン王国の17歳の皇族ハインリヒが、「禁猟制札の場所」である釈迦ヶ池にてお忍びで鴨猟をし、それを発見した村人が彼を皇族と知らずに殴打。最終的には、ドイツと日本の間の国際問題にまで発展してしまった。この事件は、当時の日本とプロイセンとの国力の差を政府が考慮したこともあって、日本側からの一方的な謝罪という形で収められた。
この「謝罪」というテーマを足掛かりに、翌年ドイツでリサーチ滞在をしたのですが、思い返せばその期間、ドイツ語の勉強ばかりしていました(笑)。平日は語学学校に毎日通って、基礎のクラスを受講していたのですが、そんな生活を送るなかで「謝らないドイツ人」を実際に体感する場面もあって。その時すでに、釈迦ヶ池の事件についての情報を得ていたので、それについてFFTのスタッフに話してみたら、これは面白いテーマだ、となりました。
インターネット時代の
「他者とのコミュニケーション」
ハインリヒと村人、事件当時の2人のコミュニケーションは、ドイツ語と日本語という異なる言語によって分断されてしまっていた。しかし、彼らの間に起きていたコミュニケーションの齟齬は、単に「言語」だけが理由ではない、と筒井さんは考えている。
コミュニケーション能力においては、「自分がどういう空間で声を発しているか」をどれだけ意識できるか、が重要だと思っています。言い換えるならば、「公共」というイメージをどこに設定しているのか、ということです。個人の言動や行動は、自分とその周囲の小さな世界だけにとどまっているものではなく、必ず公共性をはらんでいる。本人が意図しようとしまいと、社会に対して何かしらの影響力を持ってしまうものなのです。釈迦ヶ池の事件で言えば、ハインリヒも村人も、それぞれの行為がどれだけのことを意味するのか、事件そのものが後々どういう広がりを持つかをお互いに想像できていなかったのでしょう。
釈迦ヶ池は、吹田市内では最大にして最古のため池。最近では、周辺に桜の植樹が行われるなど、市民の憩いの場でもある
釈迦ヶ池の事件が起きたのは1880年だが、現代を生きる私たちにとっても「コミュニケーションの齟齬」は大きな課題である。近年、インターネットや翻訳機能の発達により、世界中の言語や文化へのアクセスが容易になる一方で、人間同士のコミュニケーションはより複雑化しているようにも思われる。
現代では、インターネット、特にツイッターなどのSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を通して、考え方の分断がどんどん広がっているように感じます。SNSは気軽なツールであるが故に、ちょっとした感情の揺れやブレを、冷静さを失った状態でもパッと言葉にして投げられてしまう。自分の声がどこまで広がって、どういう影響力を持つかを予測せぬまま発信してしまうために、ディスコミュニケーションが生まれます。「公共」をどこまで想像できているか、ということが個人レベルですごく問われる時代ですね。
「字幕」は何を伝えるか?
「釈迦ヶ池」の登場人物は、ドイツ人と日本人、それぞれ1人ずつ。ドイツ語と日本語、異なる母国語を持つ2人の俳優は、それぞれの言語を使ってコミュニケーションを図る。そのため舞台に映し出される「字幕」は、観客にとってだけでなく、俳優にとっても重要な役割を果たす。
一般的に字幕には、言語の分からない人に内容を理解してもらう、表現を伝えるという機能がありますよね。今回はそれと絡めて、「俳優にとって字幕とはなんなのか」という問いも、作品の中に織り込んでいます。字幕があれば相手のことを理解できた気になるけど、本当に分かっているのか、実際のところ定かではない。そういう「相互理解ができているかのような状態」について、「字幕」という存在を通して考えられればと思います。
「すべての翻訳は誤訳である」とも言われるように、翻訳によって100%正確なニュアンスまで伝えることはほぼ不可能に等しい。「釈迦ヶ池」の観客たちもまた、その人がどの言語や文化をバックグラウンドに持っているかによって、作品に対してさまざまな感想を持つことになるだろう。
ドイツ語と日本語、両方とも流暢に会話できる人にとっては、あまり混乱は起きないかもしれませんが(笑)。釈迦ヶ池の事件は、そもそもは言葉が通じなかったことから起きたので、どちらかの言語しか分からない人には、事件当事者の2人が感じたであろう、意思疎通できないことのもどかしさを体感してもらえるといいなと思っています。字幕はあるけれど、劇場での体験ができるだけ実際の事件時と近いものになるように、創作においていろいろ試行錯誤しています。
俳優の鎌田菜都実さん(左)とナジャ・デュスターベルクさん(右)が、村人とハインリヒをそれぞれ演じる
「分からない」ことへの戸惑いを楽しむ
「釈迦ヶ池」はFFTでの初演後、12月に日本の京都芸術センター*1で上演が予定されている。デュッセルドルフと京都、それぞれの場所で作品に対する異なった反応が得られそうだ。
*1 京都芸術センターでの公演は、2019年12月6日(金)〜8日(日)www.kac.or.jp
字幕は基本的に、日本人のセリフにドイツ語、ドイツ人のセリフに日本語、というふうについているのですが、途中で「そうじゃない時間」をわざとつくる予定です。ネタバレになってしまうので、何が「そうじゃない」か、ということは秘密にしておきますが……。とにかく、どちらかの言語しか分からない人にとっては、とても戸惑う時間を劇中に設定しています。なので、デュッセルドルフ公演と京都公演とで、お客さんのリアクションは変わってくるだろうな、と。一方で、作品に対する理解度は、できるだけ変わらないようにしたい。ここで言う「理解度」とは、「分かりやすい」という意味ではなくて、「分かりにくさ」の程度も同じくらいにならないだろうか、ということです。
「分からない」という感覚を、常に大事にしている筒井さん。それは観客にとってだけでなく、自分自身の創作の上でも、とても重要なことだと語る。
作品をつくっていると時々、自分で何をやっているのかよく分からなくなる瞬間があります。それがこの仕事をやっていて面白いところですね。演出家という立場は、もちろん上演においての責任者ですが、一方で、自分の手に及ばないことも想定しながらつくる。そうすると、途中で「演出家」という自分の存在が危うくなることがあるんですよ。
例えば、ドキュメンタリー演劇の演出をするときや、演者のアドリブシーンがある作品などの制作中に、スタッフとの会話の中で「この後のシーンは具体的にどうなりますか」や「こうするとお客さんはどう反応すると思いますか」などと聞かれることがありますが、たまに本当に「分からない」としか言いようがないことがあったりして。そういう時は「分かりません」って答え切っちゃう(笑)。結果的にすべてをコントロールしようとしないことで、作品が思いもよらない形に育ってくれたりするんです。
私たちの世界では一見、「分かる」ということを中心にコミュニケーションが進められている。「分かる」とは、出来事の原因や理由をすでに自分が知っている価値観や常識と結びつけて理解することでもあり、その思考の枠の中にいることで、私たちの安全と平穏は保たれるかもしれない。
対照的に、芸術が行われる空間・時間では「分からない」ことが表現として私たちに向かってくる。筒井さんも話すように、表現をする人、受け取る人にかかわらず、たとえ作品のすべてを頭で理解したつもりでいても、自分自身の身体がそれを裏切ることがあるのだ。そしてこの感覚は、私たちを楽しませ、悩ませ、さまざまに思考するきっかけを与えてくれるだろう。
FFTでの公演は9月25日(水)から。戸惑いの時間を味わいに、ぜひ劇場に足を運んでみてほしい。
公演情報
Nippon Performance Nights vol.7 招聘作品
『釈迦ヶ池(Shakagaike)- Der Buddha-Teich』
筒井潤 / dracom / FFT
日時:9月25日(水)、27日(金)、28日(土)20:00開演
会場:FFT Juta, Kasernenstraße 6, 40213 Düsseldorf



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