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特集


ワーホリ・留学以外の選択肢シリーズ 2 社会奉仕と職業体験を同時に
ドイツのボランティア制度
「BFD/FSJ」

ドイツのボランティア制度

ドイツに住んでみたい……。そんな思いを抱く人の多くは、まずワーキングホリデー制度や語学留学を思い浮かべるかもしれない。しかしドイツにはそれ以外にも、職業訓練やボランティア活動、オペア留学、フリーランスなど、さまざまな形で滞在する方法がある。本シリーズでは、そんなドイツにおけるさまざまな滞在方法や制度、その実体験をご紹介。第2回は、年齢や専門知識を問わず誰でも参加でき、社会・環境・文化など幅広い分野で活動できるドイツのボランティア制度「BFD」および「FSJ」に注目する。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:www.bundesfreiwilligendienst.de

BFD/FSJとは?

BFD(Bundesfreiwilligendienst /連邦ボランティア制度)およびFSJ(Freiwilliges Soziales Jahr /社会奉仕年)とは、若者から高齢者まで幅広い世代が参加できるボランティア制度。社会、文化、環境、スポーツ、介護や教育の現場などの公益を目的とした多様な分野で活動できる。現在では、BFD・FSJ合わせて年間約10万人が従事しているという。

FSJはもともと若者向けに設計された制度であり、16〜27歳までが対象。一方、BFDは2011年に兵役と代替役務(Zivildienst)が廃止されたことを契機に導入され、27歳以上でも参加可能だ。そのため、キャリアの転換期にある人や定年退職後の人々にとっても、新たな活動の場を提供している。活動を終えると、証明書と評価書が発行されるため、就職時に有利に働くこともある。

活動期間は両制度とも最短6カ月〜最長18カ月だが、1年間を選ぶ人が多い。9月に開始される場合が多く、その後の大学進学や職業訓練に円滑に移行できるよう配慮されている。基本はフルタイム勤務だが、BFDでは週20時間以上であればパートタイムも可能。参加者には毎月の手当(300〜500ユーロ程度)が支給され、加えて食事や宿泊の提供、あるいはそれに代わる手当を受ける場合もある。また、社会保険への加入が義務付けられており、その期間の年金や失業保険の給付権利にもつながる。

さらに1年間の活動中には、25日間のセミナーに参加する義務がある。社会・政治・宗教に関する議論や将来の進路設計をテーマとしたセミナーなどがある。なおFSJは一度しか参加できないが、BFDは5年の間隔を空ければ何度でも繰り返し参加できる。

● BFD/FSJで体験できる職業の種類

社会分野(Sozialer Bereich)

保育園、高齢者介護施設、障害者支援施設、救急サービス、ホームレス支援、病院など

環境・自然保護(Ökologischer Bereich)

森林管理局、環境保護ステーション、動物園、国立公園など

文化(Kultur)

劇場、博物館、美術館、文化・芸術団体、図書館、文化財保護団体など

教育(Bildung)

宿題サポート、学習支援プロジェクト、全日制学校の放課後プログラムなど

スポーツ(Sport)

スポーツクラブ、健康スポーツ、スポーツ関連のレジャー施設など

インテグレーション(Integration)

移民背景を持つ人々のための統合プロジェクト、難民支援など

● ほかにもあるボランティア制度

FÖJ(Freiwilliges ökologische Jahr/エコロジーボランティア年)

16〜27歳が対象の、自然や環境分野でのボランティア制度。森林管理、環境教育、森林や公園、動物園、農業など自然保護・持続可能性に関わる幅広い分野で活動できる。活動中は保険が適用され、少額の手当も支給される。
https://oeko-freiwillig.de

EFD(Europäischer Freiwilligendienst/欧州ボランティア制度)

17~30歳対象。欧州連合(EU)のErasmus+プログラムの一環として、2~12カ月間、欧州各国や近隣地域で社会的プロジェクトに参加できる。語学研修、生活費や渡航費補助、手当も支給される。
https://ich-will-efd.de

IJFD(Internationaler Jugendfreiwilligendienst/国際青年ボランティア制度)

17~30歳対象。欧州連合(EU)のErasmus+プログラムの一環として、2~12カ月間、欧州各国や近隣地域で社会的プロジェクトに参加できる。語学研修、生活費や渡航費補助、手当も支給される。
https://ich-will-efd.de

1年間の職業体験!私たちのBFD奮闘記

なぜBFDを選んだのか? 言葉や文化の壁はどう乗り越えたのか?実際にBFDを経験した日本人の方々に、そのリアルな体験を伺った。

デイケアのBFDとして
みんなから頼られる存在に

お話を聞いた人

Fさん

日本でウェブコーダーとして働いた後、友人の会社で働くため渡独。しかしビザの問題により就職を断念せざるを得ず、介護施設のデイケアでBFDを実施することに。BFD終了後はその職場で正社員として採用された。

QBFDをやろうと思った理由は?

ドイツにどうしても行きたかった当時、友人が自分の会社で雇ってくれることになり、ひとまず渡独しました。ところが外国人局でビザの申請が却下されてしまい、すぐに次の就職先を探さなければならない状況に。そんななか、日本人の方の「BFD制度を使用してドイツに滞在していた」旨のツイートを偶然見つけ、ドイツに残る手段としてBFDを選びました。

Q従事先はどのように決まりましたか?

語学は過去にA1の証明書を取ったきりでしたが、私の場合はBFDのために語学の証明書の提出は求められず、面接で意思疎通ができれば大丈夫という感じでした。BFD斡旋団体との最初の面談では、今までの経験や今後やりたいこと、いつからドイツにいてどのビザで滞在しているかなどを聞かれました。会話の中で語学力も見られていたと思います。希望通りの職場で受け入れてもらえない場合もあるため、ほかにどのような選択肢を考えているかも聞かれました。

その後、その団体が応募先の介護施設と連絡を取り合ってくれ、私の元に介護施設から連絡がありました。そこで面接日を決め、面接には一人で行きました。もともと作業療法士の元での従事を希望していたのですが、その施設では不採用に。斡旋団体が私の条件に合いそうな別の介護施設を探してきてくれ、そこに面接に行き、後日採用されました。

QBFD先での仕事内容は?

出勤は平日のみで、土日祝は完全に休みでした。介護士の同僚たちは早番、遅番とシフト制で働いていましたが、BFDはフルタイム勤務のため、8〜17時まで働いていました。主な仕事内容は、デイケア利用者さんの食事の準備・配膳、テーブルや食器の後片付け、簡単な掃除、植物の水やりなど。介護士が助けを必要としている場合にはトイレ補助にも入りました。そのほかは臨機応変に、認知症患者さんの徘徊に付き添ったり、利用者さんと一緒にボードゲームをしたり、電話対応をしたりもしました。

作業療法士の仕事に興味があると伝えていたため、作業療法セラピーの時間は仕事を外れてセラピーに同行させてもらえました。やってみたいことはなんでも挑戦させてもらえ、クイズやビンゴの司会を務めたり、食事前のお祈りも担当しました。

ある利用者さんといつもやっていたボードゲームある利用者さんといつもやっていたボードゲーム

QBFDのセミナーでは、どんなことをしましたか?

年間25日間の参加義務があるセミナーですが、さまざまな体験ができるのは本当に貴重で、楽しい時間でした。多岐にわたる内容で書ききれないのですが、例えばアートセラピー体験、森の中で五感を刺激する体験、障害のある方々が働いている工房の訪問、旧東ドイツやユダヤ人迫害に関する博物館の訪問、巡礼路をみんなで歩く体験、手話体験、州議会の訪問などが記憶に残っています。クリスマスの時期には、みんなでデコレーションを作り、クリスマスマーケットも訪問しました。セミナーを通して同じBFDをしている仲間と知り合えることも心強かったです。また、FSJに従事している若者たちと一緒にセミナーを受けることもありました。

BFDのセミナーでクリスマスデコを作る様子BFDのセミナーでクリスマスデコを作る様子

QBFDで大変だったことは?

ひとえに職場での言葉の壁でした。当時A2程度の語学力でしたが、同僚もデイケア利用者さんも全員ドイツ人、そして強い方言……。最初の3カ月はとても孤独だった記憶があります。それでも同僚たちは根気強く接してくれ、利用者のお年寄りの方々もとても親切で、うまくコミュニケーションできなくても仕事でやる気を見せようと心がけました。

そのうち同僚にとても信頼されるようになり、施設長にも「あなたはとても働き者で仕事のことを何でも知っているって評判よ!」と言ってもらえるほどに。同僚とは今でもプライベートで会うほど仲良しになりました。その施設での仕事が気に入っていたため、施設長に相談し、BFD後はそのまま正社員にしてもらえることに。1年ほど働きましたが、その後はパートナーと暮らすため別の街に引っ越しました。将来の展望の変化もあり、次のキャリアに向けて準備を進めているところです。

同僚からの誕生日プレゼントある朝、出勤して発見した同僚からの誕生日プレゼント

QこれからBFDをする人へのアドバイスをお願いします!

ドイツ滞在のビザに困っている人や、ドイツ社会での仕事を体験してみたいという人にはとてもおすすめな制度です。BFDで成果を出せた場合、私のようにそのまま雇ってもらえる可能性もあります。一方で、BFDでは最低限の手当しかもらえないので、生活費を賄える貯金や資金源を確保しておくことは大切です。就活の際にもBFDの経験があることはプラスに見てもらえるので、今後ドイツに長く住みたい人は就職の足掛かりとして、チャレンジして損はないと思います!

幼稚園でのBFDと
語学学校の日々

お話を聞いた人

Eさん

ドイツのクラシック音楽や文化に興味があり、ワーキングホリデー制度を利用して渡独。その後、幼稚園でBFDを1年間実施。BFD後半はBFDをパートタイムに切り替え、語学学校にも通った。

QBFDをやろうと思った理由は?

もともとクラシック音楽が好きだったこともあり、ドイツに行ってみたいなと思ってワーキングホリデーで渡独しました。初めてBFDとFSJについて知ったのは、ドイツ語の語学学校に通っていた際に教科書の中で出てきたとき。そろそろビザが切れるというタイミングで、まだもう少しドイツに残りたいなと思っていたところ、知り合いの日本人の方がBFDをやっていたこともあって、私も挑戦してみることにしました。ちなみにその時点では、私はB1のドイツ語コースを修了していました。

Q従事先はどのように決まりましたか?

BFDを始める3カ月くらい前からネットで従事先を探し始め、BFDを斡旋している協会に直接メールを送り始めました。その後、BFDを斡旋しているある協会から返事をもらい、初めてそこで面談をした際におすすめしてもらったのが、後に私の従事先となる幼稚園でした。

本格的に契約書などのやりとりが始まったのは、BFDを始める1カ月くらい前でした。契約書以外にも、警察に行って無犯罪証明書をもらったり、予防接種を受けなければいけなかったりと、いくつかの準備が必要でした。結局、外国人局に提出する書類がギリギリになってしまったため、本来の開始日にはビザが間に合わず、遅れて開始することになりました。

市内交通チケットを割安で購入BFD期間中は、市内交通チケットを割安で購入できるほか、美術館などでの各種割引も受けられる

QBFD先での仕事内容は?

仕事内容は、一言で言えば保育士のサポートです。子どもたちが遊んでいる間は、子どもたちの見守りをしたり、一緒に遊んだりするのがメイン。おやつの時間やごはんの時間はその手伝い。お昼寝の時間は、寝かす時に一緒に部屋に入って子どもたちを見守ったり(子どもたちが寝ている部屋に1人は大人がいなければならない)、お昼の会をしたり。あとは、ドイツでは冬の間でも庭で遊ばせることが多いので、服や靴の着脱もよく手伝っていました。

QBFD中にうれしかった・楽しかったことは?

幼稚園に出勤した初日、すぐに懐いてくれる子もいて、それがとてもうれしかったのを覚えています。あとは、子どもたちの成長を間近でみられたことでしょうか。例えば私が休暇で1週間職場に行かなかっただけで、1週間後に会った子どもたちがすごく変わっているんですよね。これまでのキャリアで保育に関わったことがなかったので、新鮮な驚きでした。

あと私自身は、ワーホリ中はドイツ社会に参加している感覚があまり得られていませんでした。そのため、BFDという形で正式に働けるということ自体がとてもうれしかった。BFDの場合は正社員や職業訓練生と比べて責任感やプレッシャーも少ないので、気軽に仕事を体験できるのもよかったです。

絵本の読み聞かせ絵本の読み聞かせをすることも

Q反対に大変だったことは?

最初の頃はドイツ語の壁がすごく高くて、コミュニケーションに苦労しました。業務内容としても、「何時までにこれをやっておいてください」という明確な指示をもらえるわけではなく、子どもたちと遊ぶことがメインなので、「自分は今これをやっていていいのかな」「やることがないけど大丈夫かな」と不安になる場面も。もちろん保育士さんたちは、話しかけたら優しく教えてくれるのですが、最初は自分から声をかけることすらしんどく感じていました。裏返せば、BFDをやっていたことによって、ドイツ語はかなり鍛えられたと思います。

気候に合わせた服装を子どもたちに示すパネル気候に合わせた服装を子どもたちに示すパネル

QBFDに困ったときなど、職場や斡旋先からどのようなサポートがありましたか?

最初はフルタイムで働いていたのですが、実は途中からはパートタイムに切り替えてもらいました。というのも、もともと保育士を目指していたわけでもないので、自分が何のためにこの場所にいるのかが分からなくなり、悩んでいる時期がありました。

そんなときBFDの斡旋先の担当者に相談したら、「働く時間を半分にして、自分の時間を作れるようにしてみたら?」とアドバイスしてくれました。もちろんその分、毎月の手当は減額されますが、後半はBFDと並行して語学学校にも通ったりしながら、最後までやり遂げることができました。

QこれからBFDをする人へのアドバイスをお願いします!

BFDはあくまでボランティアという立場なので、「頑張りすぎないこと」も大切なのではないかと思います。私も、日本人の感覚で頑張ろうとしすぎていて、初日はもう本当にしんどかった(笑)。いい意味でちょっと肩の力を抜いて、周りに頼りながらやれた方がBFDを楽しめるのではなと思います。

あとは、もし幼稚園でBFDをやりたいという方がいれば、子どもたちからたくさん病気や風邪をもらうので、健康に気をつけて頑張ってください!

BFD/FSJ開始までのステップ

BFD/FSJを始めるまでには、さまざまな準備が必要となる。ここではBFDを参考に、開始までのステップを確認しよう。

STEP 1
分野と活動先を探す

  • 興味ある分野を決める(介護・教育・文化・環境・スポーツなど)
  • 公式検索サイトでは、BFDをしたい街や職種など条件を絞って検索することが可能
  • BFDを斡旋する団体(Caritas、DRK、Diakonieなど)で探す方法も

STEP 2
応募書類の作成

  • 直接応募または地域のBFD斡旋団体を通して申し込む
  • Lebenslauf(履歴書)、Motivationsschreiben(志望動機書)の提出が一般的
  • 語学証明書の提出は不要な場合が多い

STEP 3
従事先での面接・1日体験

  • 応募後は面接を行い、仕事内容、勤務時間、住居や食事の提供の有無などを確認する
  • 双方の条件が合致すれば、正式に受け入れが決まる
  • 1日体験をへて採用が決まる場合が多い

STEP 4
訓練契約の締結

  • 採用が決まったら契約書に署名する
  • 活動期間、勤務日と休日、手当や保険など、契約書の内容をしっかり確認する

STEP 5
ビザ・生活準備(ドイツ・EU国籍以外の場合)

  • ドイツでの滞在許可証を申請
  • 必要な書類:申請書、証明写真、パスポート、従事先の契約書、健康保険の加入証明書、賃貸契約書、住民登録証など
  • 住居、保険、銀行口座などの生活基盤を整える

ワーホリ・留学以外の選択肢シリーズ
 

追加料金なしで国境越え! Dチケットで行く
ドイツ国外旅行

ドイツ全土を自由に巡れる「Dチケット」は、通勤や通学から国内旅行まで幅広く利用できる定額パス。実は、追加料金なしでドイツ近隣9カ国まで足を延ばせることをご存じだろうか。モーツァルトゆかりの音楽都市、要塞の歴史を刻む街、現代アートの発信地、そして雄大な自然と静かな田園風景など、近隣諸国の多彩な文化・自然スポットへアクセスすることが可能だ。本特集では、そんなDチケットを有効活用する方法をご紹介する。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:taz「560 Millionen Autofahrten weniger」「Auslaufmodell Deutschlandticket?」、tagesschau「Mehr Menschen nutzen Busse und Bahnen」、Verband Deutscher Verkehrsunternehmen「Bilanz zum 9-Euro-Ticket」、TSG Tourismus Salzburg GmbH、Luxembourg City Tourist Office、Visit Arnhem、Basel Tourismus、Tourist Office of Wissembourg、Schaffhauserland Tourismus、Tønder Turistbureau、Swinoujscie Tourist information、Tourist information centres Hrádek nad Nisou、Office du tourisme Gemeinde Kelmis

Dチケットとは?

Deutschlandticket(通称「Dチケット」)は、2023年5月に導入されたドイツ全土で有効な定額制公共交通チケット。料金は月額58ユーロ(2025年10月現在)で、近郊列車(RE、RB)、Sバーン、Uバーン、トラム、バスなど、各地域の公共交通機関を広範に利用できる。一方で、ICEやICなどの長距離交通機関は対象外とされている。ドイツ鉄道(DB Navigator、bahn.de)および地域交通機関のアプリやウェブサイト、ならびにそれらの販売窓口で購入可能。

Dチケット

Dチケットで行ける都市11選!

Dチケット地図

1 音楽と歴史が響き合うアルプスの街 ザルツブルク オーストリア

ザルツブルク

アルプスの麓に位置するザルツブルクは、音楽と歴史の香りに満ちた都市であり、モーツァルト生誕の地として世界中の音楽愛好家を魅了してきた。バロック様式の建築が並ぶ旧市街は世界遺産に登録されており、石畳の細い路地を歩けば、中世以来育まれてきた豊かな都市文化を肌で感じられる。象徴的なホーエンザルツブルク城塞は11世紀に築かれ、城からは市街とアルプスの山並みを一望できる。モーツァルトの生家や旧住居は博物館として公開され、天才作曲家の息遣いに触れられるほか、夏の「ザルツブルク音楽祭」では世界最高峰の演奏を堪能できる。

ミュンヘン発の近郊列車でザルツブルク中央駅へ

名物はこれ!
ザルツブルガー・ノッケルン

ふんわりと焼き上げられたメレンゲ菓子。卵白を泡立て、砂糖や小麦粉を加えてオーブンで焼き上げたもので、外は香ばしく軽やかに、中はとろけるように柔らかい食感を持つ。皿の上に並ぶ三つの山形は、ザルツブルクを囲む山々を象徴している。

ザルツブルガー・ノッケルン

2 城壁と渓谷の世界遺産都市 ルクセンブルク市 ルクセンブルク

ルクセンブルク市

ルクセンブルク市は、断崖の上に築かれた要塞都市であり「北のジブラルタル」と称されてきた。その城壁群と旧市街は世界遺産に登録され、堅固な防御施設としてヨーロッパ史に名を残している。城塞跡「ボックの砲台」からは渓谷と公園を跨ぐ景観が一望できる。市内には大公宮殿やノートルダム大聖堂など重厚な建築が並び、歴史を深く知れる国立歴史美術博物館は必見(常設展は無料)。名物料理は白ワインを用いた「パテ・オ・リースリング」で、郷土のリースリングと合わせると格別だ。

トリーア地域交通協会(VRT)や近郊列車でルクセンブルク中央駅へ

要チェック!
公共交通機関が無料

ルクセンブルクでは、国内の公共交通機関が完全に無料化されている。国内路線が対象であり、利用者は切符を購入する必要がない。この施策は2020年に世界で初めて導入されたもので、国民の移動の利便性を高めるとともに、自動車利用の削減による環境負荷軽減を目的としている。

公共交通機関が無料

3 芸術と歴史が息づく文化都市 バーゼル スイス

バーゼル

スイス第3の都市バーゼルは、中世から交易と学問の中心として栄え、現在もスイス屈指の美術館群を誇る。旧市街のマルクト広場に立つ真紅の市庁舎は、鮮やかなフレスコ画と尖塔が印象的な、バーゼルを代表する建築。すぐ近くのバーゼル大聖堂は、ゴシック様式の尖塔とロマネスク様式の残滓を併せ持ち、内部から塔に上ればライン川と市街を一望できる。現代アートの発信地としても名を馳せ、毎年6月に開催される「アート・バーゼル」には世界中から芸術関係者が集う。

ヴァイル・アム・ラインから近距離電車、またはツェル・イム・ヴィーゼンタールからSBBのS6線でバーゼル・バディッシャー駅へ

名物はこれ!
バーゼラー・レッカリー

バーゼルを代表する伝統菓子。蜂蜜をベースに、ヘーゼルナッツやアーモンドなどのナッツ類、シナモンやクローブといったスパイスを練り込み、しっとりと焼き上げられている。起源は15世紀までさかのぼり、修道院で作られた保存性の高い菓子として広まったとされる。

バーゼラー・レッカリー

4 迫力満点!欧最大級の滝がある シャフハウゼン スイス

シャフハウゼン ライン滝

スイス北端に位置するシャフハウゼンは、自然と都市景観が調和する街。最大の魅力は、欧州随一の水量を誇るライン滝であり、轟音を立てて落ちる大量の水流は圧倒的な迫力を見せる。観光船で滝つぼ近くに迫れば、飛沫を浴びながら大自然の力を全身で感じることができる。市街には中世の商家や壁画を施した建物が並び、丘の上に立つムノート要塞に登れば、ライン川と周囲の緑豊かな丘陵が織りなす景観を見渡すことができる。ハイキングコースも充実し、川沿いを歩けば渓谷美や野鳥に出会える。

バーデン=ヴュルテンベルク州の「シャフハウゼンSバーン」でシャフハウゼン駅へ

名物はこれ!
地元産のピノ・ノワール

この地域を代表する品種であるピノ・ノワール。冷涼な気候と石灰質を含む土壌がブドウ栽培に適しており、果実味と酸味のバランスが良く、繊細でエレガントな赤ワインが生み出される。シャフハウゼンのピノ・ノワールはスイス国内でも高い評価を受けている。

地元産のピノ・ノワール

5 歴史と最先端デザインが交わる アーネム オランダ

アーネム

オランダ東部のライン川沿いに広がるアーネムは、自然と歴史、そして現代のカルチャーが交錯する都市。第二次世界大戦中の「マーケット・ガーデン作戦」の激戦地として知られ、市の象徴である「ジョン・フロスト橋」では戦禍の記憶を偲ぶことができる。一方で今日のアーネムは、ファッション都市としても名高い。市内のArtEZ芸術専門学校にはオランダ屈指のファッション学科があり、ここからヴィクター&ロルフなど世界的デザイナーが輩出されている。毎年6月に開催される「ファッション+デザイン・フェスティバル・アーネム」では、若いクリエイターの斬新な作品が街を彩り、洗練されたブティックやギャラリーも点在する。

デュッセルドルフから快速列車RE19でアーネム中央駅へ

6 デュッセルドルフ・ケルンから直通! フェンロー オランダ

フェンロー

オランダ南東部リンブルフ州に位置するフェンローは、デュッセルドルフやケルンから直通の列車が走り、特に日曜日には近隣のドイツ人に人気を集める買い物スポットである。街の中心にあるマルクト広場には、16世紀建築の美しい市庁舎がそびえる。ルネサンス様式の外観は街のシンボルとして親しまれ、広場に面して歴史的建物やカフェが並ぶ。石畳の路地を歩けば、中世から続く商業都市としての面影を感じ取ることができる。フェンローを訪れるなら外せないのがリンブルフ博物館だ。ローマ時代の遺物から現代アートまで、リンブルフ地方の歴史と文化を幅広く紹介。インタラクティブな展示も多く、子どもから大人まで楽しめる内容となっている。

ノルトライン・ヴェストファーレン州の都市からRE13でフェンローへ

7 中世の趣を残す国境のアルザス小都市 ヴィッセンブール フランス

ヴィッセンブール

アルザス地方北端に位置するヴィッセンブールは、ドイツ国境に接する小都市。ラウター川が街を横切り、木組みの家屋と石橋が織りなす景観は中世そのままの趣を残す。城門や城壁の一部も現存し、歩いているだけで歴史の深みを感じられる。中心にそびええるサン・ピエール=サン・ポール教会は13~14世紀に建造された壮麗なゴシック建築で、アルザス地方ではストラスブール大聖堂に次ぐ規模を誇る。周囲の旧修道院や中世の街並みは、静かな散策に最適。

ラインラント=プファルツ州のノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ駅などから近郊列車でヴィッセンブール駅へ

要チェック!
世界最古のステンドグラス

ヴィッセンブールのサン・ピエール・エ・サン・ポール教会は、現存する世界最古のステンドグラス「キリストの頭部」が発見されたことでも知られる。現在、教会にあるのは精巧な複製であり、原品はストラスブールのルーヴル・ノートルダム美術館に収蔵・展示されている。

世界最古のステンドグラス

8 静寂と自然の豊かさを体感 トゥナー デンマーク

トゥナー/デンマーク最大の湿地帯

デンマーク最南端に近いトゥナーは、ユトランド半島の静かな田園と湿地に囲まれた街。中心街には歴史的建造物も多いが、最大の魅力は周辺に広がるデンマーク最大の湿地帯にある。この地帯の一部はユネスコ世界自然遺産に登録され、渡り鳥の休息地として国際的に知られている。春と秋には数百万羽の鳥が飛来し、空を覆う群舞「黒い太陽」と呼ばれる現象は圧巻。干潟を歩くツアーや自転車での湿地探索は特別な体験に。かつては海運業が盛んな港であり、とりわけレース貿易が盛んだった歴史を持つ。

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州のニービュル駅からRB66列車でトゥナー中央駅へ

9 バルト海に広がる白砂のリゾート シフィノウィシチェ ポーランド

シフィノウィシチェ

シフィノウィシチェは、ポーランド北西端に広がる海辺のリゾート。バルト海に面した10キロにも及ぶ白砂のビーチは、欧州でも指折りの規模を誇り、夏には避暑地としてにぎわう。松林に囲まれたプロムナードは散策に適し、潮風とともに開放感を満喫できる。街には世界一高いレンガ造り灯台がそびえ、展望台からはバルト海とウーゼドム島の緑が一望できる。プロイセン時代の要塞跡や港街の風情も残り、自然と歴史の両面を楽しめるのが特徴。

メクレンブルク=フォアポンメルン州を走るウーゼドム海浜鉄道でシフィノウィシチェ・ツェントルム駅へ

名物はこれ!
ピエロギ

ポーランドを代表する伝統料理ピエロギ。小麦粉の生地で具を包んだ水餃子風の料理であり、地域や家庭ごとに多彩なバリエーションがある。シフィノウィシチェは漁港としても知られるため、魚介を使ったピエロギが提供されるレストランもあり、海辺の街ならではの味覚を楽しめる。

ピエロギ

10 自然と歴史が交わる小都市 フラーデク・ナド・ニソウ チェコ

フラーデク・ナド・ニソウ

フラーデク・ナド・ニソウは、チェコ北部の国境地帯に位置する小都市で、自然豊かな丘陵と川に囲まれた静かな環境にある。市内からは多彩なハイキングコースが延びており、ナイセ川沿いをのんびり歩く散策路から、岩場を登る本格的な登山道までバラエティに富んでいる。ポーランドとドイツの国境に近い立地から、サイクリングも盛んで、とりわけマウンテンバイク愛好者に人気が高い。穏やかな田舎道から難易度の高い山岳ルートまで揃っており、挑戦の幅が広いのも魅力。夏にはクリスティナ湖のレクリエーション・エリアがにぎわい、水質の良い湖で水泳やウォータースポーツを楽しむ人々で活気にあふれる。

ツィッタウからローカル列車でフラーデク・ナド・ニソウへ

11 穏やかな自然で心を整える ケルミス ベルギー

ケルミス

ベルギー東部のケルミスは、丘陵と森林に囲まれた静かな街。かつて「中立モレネ」という特殊な自治領の一部であった歴史を持ち、現在は自然散策の拠点として注目されている。ケルミスとアーヘンの間に広がるプロイスヴァルトには緑豊かなハイキングコースがあり、沿道に点在する境界石は国境争いの痕跡を伝えている。また、全長7.5キロの産業教育トレイルでは、村の中心からカラミン鉱業の拠点を巡りながら、散策そのものが鉱山村としての過去を知る体験となる。道中には、解説板やクイズも設けられており、自然を楽しみながら知的好奇心を満たす散策ができるのも魅力。

アーヘン地域からASEAGバス24番でケルミスへ

2026年からは再び値上げ予定人気のDチケット、いつまで続けられる?

そもそもDチケットの始まりは2022年夏、ドイツ全土の公共交通が月額わずか9ユーロで乗り放題となる特別チケットが発売されたことだった。わずか3カ月間の試験導入で5000万枚以上が販売され、爆発的な人気を博した。その後継として2023年5月に導入されたのがDチケット。料金は当初月額49ユーロだったが、2025年1月から58ユーロへ改定された。通勤・通学から週末旅行まで幅広く活用され、現時点では約1400万人がDチケットを利用している。連邦統計局の調査によると、チケットの導入以来、公共交通機関の定期利用者は62%増加したことが明らかになっている。また連邦州交通大臣会議の発表によると、導入後20カ月間で230万トンの二酸化炭素が削減された。

一方で、制度の持続には課題もある。今年9月、州交通大臣会議は2026年1月からチケット価格を63ユーロへ引き上げることを決定した。背景には、従来の定期券に比べ割安であるために生じる交通事業者の収入減と、恒常的な資金不足がある。連邦と州はこれまで年間30億ユーロを拠出してきたが、想定を超える費用への対応をめぐって対立が続いてきた。

なお2027年からは、賃金やエネルギー費などのコスト要因を反映した「コスト指数」に基づき価格が決定される予定だ。連邦政府は2030年まで年間15億ユーロを確保する意向を示しており、制度の安定性は高まったといえる。しかし、今回の値上げには批判も出少なくない。鉄道推進団体は「値上げは利用者数の増加につながらない」とし、連邦と州が拠出額の増額を拒んでいることを非難。Dチケットが「誰もが手に取りやすい定額パス」であり続けられるのか、その行方が注目されている。

 

Guten Tag? Servus? Moin? 多様性が見えるドイツの方言

ドイツでは、いわゆる高地ドイツ語が標準語として使用されている。しかし、特に話し言葉は地域によって大きな違いがあり、生粋のドイツ人同士だとしても、生まれ育った場所が違えば、お互いに何を言っているのか分からないということさえ起きる。本特集では、そんなドイツの「方言」にフォーカス。多様な地域性が育んだドイツ方言の歴史から、失われつつある方言の未来まで、味わい深いドイツの方言の世界へとご案内しよう。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

方言をめぐるドイツ語の歴史

そもそもドイツ語は、紀元前1000年頃のゲルマン祖語から生まれた。その後ゲルマン語は、紀元600~800年の間に子音の大きな変化(いわゆる「第二次子音推移」)が起こり、その影響を受けた中南部の高地ドイツ語(Hochdeutsch)と、影響を受けなかった北部の低地ドイツ語(Niederdeutsch)に分割される。子音推移の影響を受けた古高ドイツ語は、ゲルマン語でリンゴを意味するApplaがApfulになったり、ウムラウトが見られたりするようになったりと、この時代の変化は現代の方言の違いにも残っている。中世以降、ドイツでは深い谷や高い山が点在する自然環境と、多数の小国に分かれていた政治制度の影響で、地域ごとに独特の方言を形成していき、ドイツ語は長い時間をかけてさらに細分化されていった。

現在の標準語の基礎が成立したのは16世紀、1522年に宗教改革者のマルティン・ルターが聖書をドイツ語翻訳したときのことである。ルターの目的は、それまでラテン語かギリシャ語しかなかった聖書を、誰もが読むことのできるドイツ語に翻訳すること。しかしドイツには英国でいうロンドン、フランスでいうパリのような政治的・文化的な中心地がなかったため、各地方の方言が分立した状況で標準ドイツ語が存在していなかった。ルターが形作ったドイツ語は、低地ドイツ語の語彙を取り入れつつも、高地ドイツ語をベースにしたものだった。

近世になると、標準ドイツ語は書き言葉としてさらに発達。その発展にはザクセン宮廷に仕えた書記官や作家が貢献したため、標準語はザクセン方言とプファルツ方言の影響を大きく受けている。この段階で方言は書き言葉から排除され、標準ドイツ語は統一された文法と発音を備えるようになる。さらに1920年代にラジオが導入されると、話し言葉でも標準語が普及していった。一部の方言は時代の流れの中で淘汰されていった一方で、今日でもドイツには約20の方言が存在し、それぞれ方言協会がある。特に地方では方言は日常的に使われており、村単位で発音の違いが見られることも。次ページでは、そんな彩豊かなドイツの方言をピックアップしてご紹介する。

参考:Planet Wissen「Deutsche Geschichte: Dialekte」、All About「ドイツ語の歴史!これだけは知っておきたい重要ポイント」

あいさつだけでもこんなに違う!

白パンの名称の違い

外国語を学ぶくらい 難しい!?ドイツの主な方言リスト

およそ20あるといわれるドイツの方言の中から、現在も話者が多いものを中心にご紹介。標準語とのあまりの違いにもはや外国語では……と思ってしまうが、かつて小国に分かれていたドイツの歴史が色濃く反映されていると感じられる。それぞれの方言の特徴を知っておけば、旅先でも役に立つことがあるかも⁉

参考:PONS「Deutsche Dialekte」、Baden-Württemberg「Vielfältige Sprachlandschaft Dialekte」、Babbel、mdr「Ist Sächsisch das eigentliche Deutsch?」、Deutschlandfunk Kultur「Mundart: Die Berliner Schnauze ist auf dem Rückzug」、Hessen Tourismus「Der Hessische Dialekt」

白パンの名称の違い

バイエルン方言
Bayerisch

バイエルン方言はもともと高地ドイツ語とは別の言語だが、標準ドイツ語やさまざまな方言が合わさって形成されている。バイエルン州以外でもオーストリアやスイスで話されており、話者はおよそ1300万人いると推定されている。

主な特徴

  • 一般的に「ei」が「oa」になる hoaß(heiß /熱い)
  • 「母音+r」が「a」になる oba(ober /上)
  • 「k/p/t」が「g/b/d」になる Dopf(Topf /鍋) 
  • 時制の使い方が異なる

例えばこんな方言

Dangschee/Bittschee(Danke schön/Bitte schön)

例) Ein Weiße bittschee. 
白ビールください。

Ja mei!

「仕方ない」「どうでもいい」などを意味し、日常的によく使われる表現。

ババーデン方言
Badisch

バーデン=ヴュルテンベルク州ではシュヴァーベン方言が最も話されているが、それ以外の方言を総称してバーデン方言という。カールスルーエなどで話されている南フランケン方言や、フライブルクなどで話されているアレマン語などが含まれる。

主な特徴

  • 「st」が「sch」になる machsch(machst /する)
  • 「a」が「o」になる mogsch(magst /好き)
  • 単語の多くがフランス語由来

例えばこんな方言

Weggle(Brötchen/白パン)

例) A Weggle oder a Bretzele?
白パンとブレーツェル、どっちがいい?

外部から来ると分からない定番方言

Schnoog(Stechmücke/蚊)

例)Dea Schnoogeschdich beißd mi ganz aag.
蚊に刺されたところがすごくかゆいんだ。

シュヴァーベン方言
Schwäbisch

ドイツ南西部の方言で、大きな都市ではシュトゥットガルト、オーストリアのチロル州の一部でも話されている。柔らかい響きを持つが、冠詞や母音が聞こえづらいため、理解しづらいともいわれる。

主な特徴

  • 「st」が「sch」になる hasch(hast/持つ)
  • 「a」が鼻音化する naahogga(hinsetzen/座る)
  • 「ö/ü」が「e/i」になる effendlich(öffentlich /開かれた)
  • 「k/p/t」が「g/b/d」になる Babba(Papa/パパ)
  • 冠詞が一部異なる dr Budder(die Butter /バター)
  • 指小辞に「-le」を使う Häusle(Häuschen /小さい家)
  • 「wir」が「mir」になる

例えばこんな方言

Herrgottsbscheißerle(Maultaschen/マウルタッシェン)

直訳では「神を欺く」ことを意味するが、かつて肉食が禁じられた金曜に肉を隠すために作られた料理だったいう説から、シュヴァーベン地方ではこの名で呼ばれている。

Mir könnet älles. Außer Hochdeutsch.

1999年にバーデン=ヴュルテンベルク州が掲げた伝説的なスローガン。意味は「私たちは何でもできます。標準ドイツ語以外なら」。

フランケン方言
Fränkisch

いわゆるフランケン地方(バイエルン州北西部)の方言で、ニュルンベルクやアウクスブルクでも話されている。古くはフランク王国で話されていた言語であり、アルザス語やルクセンブルク語もフランケン諸語に分類される。

主な特徴

  • 「r」が強めの巻き舌になる
  • 「k/p/t」が「g/b/d」になる Fränggisch(Fränkisch/フランケン)
  • 語尾が「-ng」になる Abodeng(Apotheke/薬局)
  • 指小辞に「-la」を使う Laabla(Brötchen/白パン)

例えばこんな方言

Allmächd!(Oh Gott!/ああ、神様!)

驚いたときなどに使う感嘆詞。この叫び声を上げている人は間違いなくフランケン地方の人。

Broudwoschd(Bratwurts/焼きソーセージ)

ニュルンベルガーソーセージで有名なニュルンベルクでは特に日常的に使われる言葉。現地ではDrei im Weggla(3本入りパン)を注文しよう。

ザクセン方言
Sächsisch

ルターはザクセン方言をもとに標準ドイツ語を形成したとされている。一方で東ドイツ時代のエリート層がザクセン方言を話していた影響などもあり、最も人気のない方言の一つ。母音は丸く、子音は柔らかく発音し、旋律的なアクセントで話すのが特徴。

主な特徴

  • 「a」が「o」になる Orbeit(Arbeit/仕事)
  • 「st」が「scht」になる bischt(bist)
  • 「k/p/t」が「g/b/d」になる Abbl(Apfel/リンゴ)
  • 「sch」が「ch」になる Breedschn(Brötchen/白パン)
  • 単語同士がつながる hammer(haben wir)

例えばこんな方言

Bämme(Stulle/オープンサンド)

ザクセン地方の人々にとってBämmeは、皆で一緒に食べる文化遺産ともいうべき存在で、ただのオープンサンド以上に意味を持っている。

Modschegiebschen(Marienkäfer/てんとう虫)

例)Gugge ma, de Modschegiebschen!
見て、てんとう虫だよ!

ベルリン方言
Berlinerisch (Berliner Schnauze)

大都市ゆえにさまざまな方言や言語が混ざってできた方言で、もともと労働者階級が使っていた。東西分断時代、西ベルリンでは学校でベルリン方言を話すことは不適切とされていたが、東ベルリンでは「労働者と農民の国家」を掲げていたため、許容されていた。

主な特徴

  • 「g」が「j」になる janz(ganz/まったく、完全に、全体の)
  • 二重母音になる een(ein/一つの), ooch(auch/~も)
  • 「pf」が「p」になる Appel(Apfel/リンゴ)
  • 独自の代名詞(ich=ick, es=et, das=dit, was=watなど)
  • 4格がしばしば3格になる(Du liebst mich nicht=Du liebst mir nich)

例えばこんな方言

Bulette(Frikadelle/ドイツ風ミートボール)

例)Nu aba ran an de Buletten! さあ、食事にしよう!

Pfannkuchen(Berliner, Krapfen, Krebbl/菓子パンの「ベルリーナー」)

例)Jedes Jahr an Silvesta werden Pfannkuchen jejessen.  毎年大みそかにベルリーナーを食べます。

ヘッセン方言
Hessisch

主にヘッセン州で話されているが、さらに五つのグループに細分化される。フランクフルト地域で話されている言葉は、20世紀後半に映画やテレビ用に作られたヘッセン風の方言で「Medienhessische」(メディアヘッセン方言)とも呼ばれている。

主な特徴

  • 「pf」が「p」になり、「b」が続く  Äbbelwoi(Apfelwein/アップルワイン)
  • 「sch」が「ch」になる Fich(Fisch/魚)
  • 所有格の使い方が独特(Ulis Bruder=em Uli sei Brouder)

例えばこんな方言

babbele(sprechen/話す)

名詞の「Babbelsche」はおしゃべり好きの人のことを指す。

Dudd(Tüte/袋)

例)Brache se ne Dudd? 袋にお入れしましょうか?

低地ドイツ語
Plattdeutsch

標準語とは別の言語で、北ドイツを中心にドイツで最も多くの話者がいる方言。オランダ語とも近い。現在は話せる人が少なくなっているが(詳しくは下記)、日常的な会話では単語レベルで使われていたり、お店の看板に残っていたりする。

主な特徴

  • 「地域が幅広いため、さらに細かく分類される
  • 「f」が「p」になる slapen(schlafen/眠る)
  • 「ch」が「k」になる ik(ich/私)
  • 「schp/schm」が「sp/sm」になる smeren(schmieren/塗る)
  • 独自の代名詞(er=he, sie=se, das=dat, wir=wiなど)
  • 過去分詞にge-がつかない(getan=daan

例えばこんな方言

Moin(Hallo/こんにちは)

昼夜問わず使えるあいさつで、元々の意味は「心地よい、良い、美しい」など。

Schlackermaschü(Schlagsahne/ホイップクリーム)

「今年の低地ドイツ語2025」に選ばれた。広義の意味ではクリーミーなデザートのことを差し、家庭でも使われる言葉。

方言はいつかなくなってしまうのか?

時代の流れとともに方言を話す人は少なくなり、地域によるアクセントやイントネーションの違いは残るものの、いつかドイツは標準語を話す人しかいなくなってしまうのだろうか……。そもそも方言とは人々にとってどんな存在であるかを紐解きながら、方言の未来について展望する。

参考:WELT「Sind deutsche Dialekte vom Aussterben bedroht?」、t-online「Sprachforscher über Dialekte "Für einen Süddeutschen ist das diskriminierend"」、Babbel「Warum du stolz auf deinen Dialekt sein solltest」、NDR「"Platt mit Beo": Leicht Plattdeutsch lernen mit einer Lern-App」、NDR「Wie Grundschulen versuchen, Plattdeutsch am Leben zu halten」

方言を話す人が減少 背景に差別や偏見も

言語学習プラットフォーム「Babbel for Business」の2024年の調査によると、ドイツ人の約60%は方言を習得していることが分かった。そのうち半数が55歳以上であり、24歳未満のZ世代では方言を話す人はわずか5%にとどまる。方言を話す人が減少している背景には、いくつかの理由がある。一つは、学業や職業上の成功のため、多くの親が子どもに方言を教えなくなっていること。さらに、移動の自由が高まったことで標準語を話す人が増えていることも挙げられる。メディアによる標準語の普及もまた、方言の消滅に拍車をかけてきたといえる。

職場や学校では、標準語を話すことが望ましいとされてきたが、その背景には方言を理由とする差別がある。方言で育った子どもはかつて、文法習得の遅れやスペルミスが増えるなど、学校の成績に悪影響を及ぼし、不利になると考えられていた。方言を話す人は知能的に劣っているという印象を持たれる傾向があり、実際に差別されたことがある人も決して少なくないのである。また方言を話すことによって、どこの出身の人であるか見当がつくため、人物像への偏見を持たれることも。しかし今日、方言の習得は外国語を学ぶのと同じように認知能力の向上につながるとの研究もあり、そうした偏見は以前に比べて少なくなってきている。 

方言を話す人々の本音
  • 64%のドイツ人が方言は家庭や故郷と密接に結び付いていると考えている
  • 73%のドイツ人がドイツ語の多様性を高く評価している
  • 70.5%のドイツ人が方言よりも標準語が仕事に向いていると考えている
  • 8.7%の人が、方言を理由に見下されてたり差別を受けたりしたことがある

参考:WELT「Sind deutsche Dialekte vom Aussterben bedroht?」

下記は中部ドイツに限る

  • 86%の人が方言を保存したいと考えている
  • 11%の人が旅行先で方言を話して不快な思いをしたことがある
  • 47%の人が標準語を話すことにメリットを感じている
  • 46%の人が標準語を話すことにメリットを感じていない

参考:mdr「Mehr Jüngere sprechen Dialekt als Ältere」

方言話者に持たれやすい印象の例
  • ベルリン方言:生意気、気さく
  • シュヴァーベン方言:節約好き、居心地がいい、地道で誠実
  • ケルン方言:誠実、率直
  • 低地ドイツ語:無口、ユーモアがないわけではない
  • バイエルン方言:基本的に温厚、軽視されるのが嫌

方言を守ることは自分と文化を守ること

比較的新しい考え方として、「Regiolekt」(地域方言)という言葉がある。地域方言は、地域的な影響を受けた口語表現のことを指し、例えばヘッセンで「ich」は「isch」と発音されることや、ベルリン方言やルール地帯方言もこれに該当する。話者が減少している歴史的な方言とは対照的に、地域方言は今もなお広い範囲で話されている。標準語だと思って使っていたのが実は方言だったということも少なくなく、地域方言を含めれば、若い世代も実は方言を話しているのだ。

歴史的な方言でも地域方言でも、人々にアイデンティティを与え、特定の民族集団への帰属意識を抱かせる役割がある。例えば、旅先で馴染みのある方言を話す人に出会ったとき、どこか温かい気持ちになるのは、故郷とのつながりを感じるからだろう。また、方言にしかない表現やフレーズがあり、方言で悪態をつくからこそ気持ちがこもる場合もある。さらに、方言はその地域の文化や慣習とも深く結び付いているため、方言が消滅することで失われる文化も出てくるだろう。方言を守ることは、すなわち自分自身のアイデンティティを守ることであり、地域の文化や慣習を守ることでもあるのだ。

方言を未来へつなぐ授業やアプリの導入

上記でも取り上げた低地ドイツ語は、北フリジア語やソルブ語などの少数言語と共に「地方言語または少数言語のための欧州憲章」の保護下にある。特に低地ドイツ語の話者の多い北ドイツでは、低地ドイツ語の保存のためにさまざまな施策が行われている。

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州では、2014年に低地ドイツ語のモデル学校に、ゲルティングのゲオルク・アスムセン小学校を指定。同校では、英語の教育メソッドを低地ドイツ語の授業に活かしているという。例えば、エリック・カール著の絵本『Brown Bear, Brown Bear, What Do You See?』(くまさん くまさん なにみてるの?)を低地ドイツ語で読み、子どもたちは絵本に登場する動物や色を学んでいく。同校では、州からの助成を受け、年に8回の低地ドイツ語授業を実施し、4年生の終わりには送別会で低地ドイツ語の劇を披露。卒業までに子どもたちが少しでも低地ドイツ語を理解し、2~3文でも話せるようになることを目標としているのだという。

お隣のメクレンブルク=フォアポンメルン州では毎年、「低地ドイツ語週間」(Plattdeutsche Wochen)が開かれ、各地で低地ドイツ語によるコンサート、演劇、朗読会などが行われている。また、低地ドイツ語の教師養成にも力を入れており、同州ではおよそ1700人の生徒が低地ドイツ語を学んでいるという。2024年には、語学学習アプリ「Platt mit Beo」をリリース。メクレンブルク=フォアポンメルン州で話されている低地ドイツ語をはじめ、ほかの地域の低地ドイツ語のコースを提供。テキストの読み上げもあり、食事やショッピングなど、日常的なトピックから実践的な低地ドイツ語を学ぶことができる。

100年後には歴史的な方言は消滅するだろうともいわれる。そんななか、全国各地の方言協会は必死になって未来へ方言を残そうと奮闘している。バイエルン方言協会では、将来的にバイエルン方言、フランケン方言、シュヴァーベン方言のアクセントで話すAIの制作を検討中だという。これによって、子どもたちが方言を学べるようにすることが狙いだ。こうした最新技術は、方言を継承していくためにこれからさらに活用されていくだろう。とはいえ、技術だけでは限界がある。最終的には、その地域の人々の方言への愛こそが、方言を守っていく原動力になるのかもしれない。

低地ドイツ語を楽しむ演劇体験

ハンブルク中央駅前にあるオーンゾルク劇場では、低地ドイツ語による劇作品を中心に上演している。オーンゾルク劇場版『ふたりのロッテ』(Das doppelte Lottchen)は、ロッテが双子の妹に低地ドイツ語を教える演出があり、観客も一緒に低地ドイツ語を学ぶことができる。2025年9月28日~11月16日まで上演予定。
www.ohnsorg.de

オーンゾルク劇場オーンゾルク劇場

『ふたりのロッテ』(Das doppelte Lottchen)『ふたりのロッテ』(Das doppelte Lottchen)

 

秋の森で宝物を見つけよう ドイツでキノコ狩り

秋になると、ドイツの森には多種多様なキノコが姿を現し、人々は秋の味覚を求めて森へと足を運ぶ。本特集では、ドイツの豊かな自然と共に受け継がれてきたキノコ狩りの文化と魅力をご紹介。歴史的背景や生態系との関わり、採取のルールからおすすめレシピまで、キノコ狩りの魅力をたっぷりお届けする。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:MDR「"Wir gehen in die Pilze" - Die Tradition des Pilzesammelns in der DDR」、NABU「Die Recycling-Spezialisten unserer Wälder」「Die beliebtesten Speisepilze」「Auf geht’s in die Pilze」、DW「Aus der Welt der Pilze」、servus「Mythen über Pilze: Geschichte und Aberglauben」、Altruan「Von Steinpilzen bis Pfifferlingen: Die besten Tipps zum Pilze sammeln in Deutschland」

ドイツとキノコ 意外と知らない4つの関係性

ミイラも常備!? 5000年前に始まったキノコとの暮らし

ドイツおよび欧州におけるキノコ狩りの歴史は、紀元前までさかのぼる。代表的な例が、アルプス山脈にあるエッツ渓谷で見つかった紀元前3300年ごろの男性のミイラだ。1991年にニュルンベルクからの観光客によって発見されたミイラのベルトには、乾燥キノコなどを入れた小袋が付いており、抗菌や創傷治癒に効果があるとされるサルノコシカケ類を携帯していたという。古代ローマや中世ヨーロッパでも、キノコは薬用・食用として重宝され、春から秋にかけての貴重なタンパク源として採取された。中世の修道院では薬草と並んで毒性研究も進み、安全に食べられる種類の知識を蓄積。19世紀に菌類学が科学として確立すると、キノコ採集は食料確保の枠を超え、学術的探究や趣味の対象へと発展していった。

幸運の象徴? それとも魔女の呪い? ドイツのキノコ伝説

キノコは古来より、神話や迷信と深く結びついてきた。ドイツで特に親しまれているのは、赤い傘に白い斑点を持つ猛毒キノコ、ベニテングタケ(Fliegenpilz)だ。民間では「幸運のシンボル」として、年賀カードやお守り、クリスマス飾りのモチーフにも登場する。また、森でリング状にキノコが生える現象は「Hexenring」(魔女の輪)と呼ばれ、妖精や魔女が踊った跡と信じられてきた。ハルツ地方などでは、この魔女の輪は特にヴァルプルギスの夜(毎年4月に魔女たちがブロッケン山に集う夜)に現れるとされ、春の訪れや豊穣の兆しと結びつけられたという。一方、毒キノコは悪霊や魔女の仕業とされることもあり、薬効や魔除けの力を持つと信じられた種類も存在した。

ドイツのキノコ伝説

秋は森へ家族総動員! 旧東ドイツの国家事業だったキノコ狩り

東ドイツ(DDR)時代は物資不足が続いていたため、森のキノコは貴重な栄養源であり、家庭の食卓を支える重要な食材だった。そのため秋になると家族総出で森へ出かける光景は日常的で、DDR政府もこれを奨励した。この制度的な起源はナチス時代にさかのぼる。1930年代後半、ナチス政権下では毒キノコによる事故防止と食料自給の強化を目的に「Pilzberatungsstellen」(キノコ相談所)を各地に設置し、専門鑑定員制度を整備。この仕組みがDDRでも継承され、各地のキノコ専門員が市民に無料鑑定や講習を行い、学校や職場でもキノコ鑑別教育が実施された。その結果、DDRでは誤食事故が低く抑えられ、採取マナーも徹底されたという。再統一後は制度が廃止されたが、一部では民間や自治体により伝統が受け継がれている。

1987年に東ベルリンの共和国宮殿にて行われたキノコ相談会1987年に東ベルリンの共和国宮殿にて行われたキノコ相談会

絶滅危惧と放射能汚染 キノコが直面する現代の試練

ドイツには現在、約4400種の大型キノコが存在するが、そのうち約3分の1が絶滅危惧種としてレッドリストに掲載されている。ドイツ連邦自然保護庁によれば、その主な原因はキノコ狩りではなく、森林破壊や樹種構成の変化、大気中の窒素化合物の影響などによって減少しているという。また、1986年のチェルノブイリ原発事故により、40年近くたった現在でも、ドイツ東部や南部を中心に放射性セシウム137が残留している。これらの特定の地域では、ヤマドリタケなどのキノコが1キログラム当たり1000〜2000ベクレルの放射能濃度を示すことがあり、これはドイツの食品流通基準の同600ベクレルを超える場合がある。こうした地域では放射能の汚染を避けるためにキノコの収穫や販売に慎重を期す必要があるが、通常の家庭消費量では健康リスクは低いとされている。このように、キノコは森林の生態系における重要な指標であると同時に、環境汚染の影響を強く受ける食材でもあるのだ。

キノコが直面する現代の試練

森の恵みを安全に味わうためドイツのキノコ狩り入門

キノコ狩りはレジャーであると同時に、自然への配慮や採取マナー、安全な調理法への注意が欠かせない。ドイツでキノコ狩りを安全に楽しむために、ベストな気候や必要な持ち物、覚えておきたいマナーをチェックしておこう。

キノコ狩りのベストタイミングは?

ドイツのキノコ狩りシーズンは、例年8月中旬ごろから始まり、10月末、場合によっては11月まで続く。時期は天候に大きく左右されるが、特に湿って暖かい日がキノコの成長に理想的な条件となるので、以下を参考にタイミングを見定めよう。

● 雨の後
数日間の弱い雨の後に暖かい日が続くと、キノコが一斉に顔を出す。雨が土壌に水分を与え、その後の暖かさがキノコの成長を促す。

● 穏やかな気温
気温は10〜20度がベスト。暑すぎたり寒すぎたりすると、キノコは育ちにくい。

● 高い湿度
特に朝は湿度が高く成長に好条件。早朝の採取は成功率が高いので、早起きして出かけるのがおすすめ。

キノコ狩りに必要な装備は?

キノコ狩りに必要な装備は?

● キノコ用ナイフ
専用のキノコナイフを使えば、キノコを丁寧に収穫し、菌糸を傷つけずに採ることができる。刃の反対側に、キノコを掃除するためのブラシが付いているものも便利。

キノコ用ナイフ

● カゴ
カゴは通気性がよく、キノコが呼吸できるため傷みにくい。ビニール袋は、袋の中でキノコが蒸れて傷みやすくなるため、避けた方が良い。

カゴ

● 防水性のある服と丈夫な靴
森の中は地面が不安定で湿っていることが多いため、防水性のある服としっかりした靴が望ましい。

● キノコ図鑑またはアプリ
キノコ図鑑は種類の識別や、食用と毒キノコの見分けに役立つ。こちら(写真)は、自然保護団体NABUが推奨するキノコ狩りハンドブック「Handbuch für Pilzsammler」(2021年、KOSMOS Verlag)。中央ヨーロッパで採れる340種のキノコの見分け方の解説のほか、人気の食用キノコを使ったレシピが収録されている。

キノコ図鑑

● 手袋
特に種類不明なキノコに触れるときは、手袋を付けた方が良い。

キノコ狩りで守りたい6つのルール

ルール❶自然への配慮を忘れない

森の中の動物を驚かさず、繁殖期や子育ての時期に注意する。自然保護区では採取しないこと(ドイツでは規制あり)。植物や若木を踏みつけないようにし、苔をめくったり、地中の白い菌糸(菌糸体)を傷つけないようにしよう。

ルール❷注意深くキノコを採る

100%確実に識別できるキノコ以外は採らない。初心者の場合は、図鑑やアプリを必ず持参する。また、カビの生えたキノコは食用にできない。新鮮な食用キノコは弾力があり、しっかりしている。地域の市民学校(Volkshochschule)では、キノコ狩りの方法やキノコの見分け方について学べるコースが設置されていることも。

ルール❸正しい方法で収穫する

安全に識別できたキノコは、地面すれすれで切り取る。種類不明なキノコは土から慎重にねじって引き抜く(全体像と特徴が見えないと、正確な判別ができないため)。また、種類不明なキノコは、ほかの収穫した食用キノコと一緒に入れないこと。誤食時は、管轄地域の中毒緊急連絡先(Giftnotruf)に連絡する。

キノコを正しい方法で収穫する

ルール❹節度を持って採る

キノコの採集は自家消費用に限り、その日に食べきれる量以上のキノコは採らない。目安としては、1日につき1人1キロを超えない程度。ヤマドリタケ(Steinpilz)やアンズタケ(Pfifferling)などの保護対象種は、採取量が法律で制限されている。不明な場合は、該当する森林管理事務所または地域の景観管理当局に確認しよう。

ルール❺正しい調理法で食べる

全ての野生キノコは生で食べず、15〜20分加熱する。食用の安全なキノコでも、生だと胃腸障害を引き起こすこともある。

ルール❻適切な方法で保存する

できるかぎり新鮮なうちに調理する。難しい場合は必ず冷蔵する。1日以上保存する場合は、下茹でしてから冷蔵すると良い。調理済みのキノコも冷蔵庫で保存する。冷凍や乾燥後に粉末にして調味料としても利用するのも◎。

森で見つけたい!ドイツで人気の食用キノコ6種

ドイツでも特に人気の高い、食べられるキノコをピックアップ。特に初心者の方は、お手持ちの図鑑やアプリと照らし合わせながら安全に収穫しよう。香り高い森の幸を、思う存分味わって!

ヤマドリタケ
Steinpilz 採取時期:7〜11月

ヤマドリタケ

日本では「ポルチーニ」の名でも知られる香り高い高級キノコ。傘径は8〜25センチ、柄は太く樽形〜円筒形をしている。主にトウヒやマツ、ブナの下に多く、まれにカバやナラの下でも見られる。身が締まり、傘がきゅっと閉じた新鮮なものが良い。香ばしいナッツ風味が特徴で、大きさよりも鮮度が味を左右する。調理前には土をはたき落とし、汚れを切り取るか、濡れ布巾で優しく拭き取る。ドイツでは最も人気の食用キノコの一つで、ソテー、スープ、パスタ、乾燥保存など用途は多岐にわたる。乾燥品は香りが凝縮され、長期保存にも適する。

アンズタケ
Pfifferling 採取時期:6〜9月

アンズタケ

その名の通り、アンズに似た甘い香りが特徴のキノコ。傘の大きさは3〜12センチで、鮮やかな黄色〜黄橙色をしている。傘は中央がやや窪み、縁が波打って反り返っている。傘裏には、しわ状のひだが放射状に密生している。トウヒやマツなど針葉樹林のほか、まれにブナなど広葉樹の下にも群生する。締まった肉質で、熱を加えると香りが強まる。ドイツでは炒め物やクリームソース、スープなどに広く用いられる。流水で洗うと香りが失われるため、ナイフやブラシ、濡れ布巾で汚れを優しく落としてから調理しよう。

ニセイロガワリ
Maronen-Röhrling 採取時期:8〜11月

ニセイロガワリ

ヤマドリタケやアンズタケと同様に人気のキノコ。ドイツ語名の由来は、傘の色と形が栗(マロン)に似ていること。傘の直径は5〜15センチで、栗色〜暗褐色をしている。湿るとややぬめりが出る。傘裏は管孔状で、スポンジのような層が明るい黄色をしているが、押すと瞬時に青く変色する。柄はやや細長く、表面には微細な網目模様がある。トウヒやマツ林など酸性土壌を好む。香りはやや控えめだが、調理すると柔らかな風味が引き立ち、煮込み料理やソテーに適している。比較的日持ちするが、新鮮なうちに下処理するのが望ましい。

ササクレヒトヨタケ
Schopf-Tintling 採取時期:5〜11月

 ササクレヒトヨタケ

円筒形〜卵形の白い傘を持ち、高さは最大25センチ、傘径は3〜7センチ程度。成長とともに傘がめくれ上がり、やがて黒く溶ける「自己消化」(自己溶解)を起こす。この性質から「インクキャップ」とも呼ばれており、過熟すると食用に適さなくなる。若く白く硬い時期だけが食用可能で、味は繊細で癖が少ない。窒素分の多い土地を好み、埋立地や畑、道端、庭、肥沃な草地などに発生する。採取後は数時間で劣化するため、なるべく早く調理すると良い。卵形の若い状態は、フリッターやソテーにすると風味が際立つ。

クロラッパタケ
Herbsttrompete 採取時期:8〜11月

クロラッパタケ

ドイツ語名は「秋のトランペット」を意味する、灰褐色〜黒色のラッパ形キノコ。傘径は3〜12センチで、柄の基部まで中空で、傘の縁は外側に強く反り返る。主にブナ林に群生するが、ほかの広葉樹林にも出現することも。香りは乾燥させるとさらに引き立ち、パウダー状にしてソースやスープの香り付けに用いられる。フランス語では「トランペット・ドゥ・ラ・モール」(死のトランペット)とも呼ばれるが、毒性はなく安全な食用種。ただし乾燥品や冷凍品は条件によって毒素が生成される恐れがあるため、保存方法には注意が必要。

アカハツタケ
Edel-Reizker 採取時期:8〜11月

アカハツタケ

傘は黄土色〜れんが色のオレンジで、直径4〜10センチ。表面には濃い環状模様や斑点、銀色の条線があり、年を経ると模様は不鮮明になる。柄には円形の浅いくぼみが多数あり、傷つけると鮮やかなオレンジ色の乳液を分泌する。主にマツ林に発生し、地中の菌糸と樹木が共生する外生菌根菌。風味はややスパイシーで、焼くと旨味が増す。スペインやカタルーニャ料理、プロヴァンス料理などでよく調理され、ロシア料理では伝統的に塩漬けにして保存される。ドイツでは希少種として扱われる地域もある。

本誌連載「簡単おいしいレシピ」より採れたてキノコを味わうレシピ

 
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東京フィルハーモニー交響楽団ヨーロッパ・ツアー2025 フィルハーモニー・ベルリンに東京フィルがやって来る!

東京フィルハーモニー交響楽団は、1911年に創立された現存する日本最古のオーケストラ。長い歴史と伝統、そして革新によって国内外で評価されてきた同楽団が、10年ぶりにヨーロッパにやって来る。その初日を飾るのが、世界最高峰のコンサートホールとして名高いフィルハーモニー・ベルリンだ。東京フィルがヨーロッパの地でどんなサウンドを響かせるのか、出演者の声と共にご紹介。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

東京フィルハーモニー交響楽団

世界的マエストロとのツアー チョン・ミョンフンと東京フィル

ツアー全公演を指揮するのは、東京フィル名誉音楽監督で2027年より世界最高峰の歌劇場ミラノ・スカラ座の音楽監督にも就任予定のチョン・ミョンフン。2001年に東京フィルの公演に初めて登場して以来、25年にわたって楽団と関係を深めてきた世界的マエストロだ。7カ国8都市の名門ホールをめぐる今回のヨーロッパ・ツアー開催は、「東京フィルという素晴らしいオーケストラをもっと世界に知らしめたい」というチョン・ミョンフンの熱い思いによって実現した。

さらに東京フィルは、ツアーのモットーに「音楽がつなぐ、分断を越えた未来へ―響き合う世界のために」を掲げ、文化的外交の担い手として、さらに海外でのプレゼンスを高めていくことを目指している。

チョン・ミョンフンと東京フィル

クラシック初心者でも親しみやすいドラマ溢れるプログラム

今回の演目は、チョン・ミョンフンが得意なレパートリーの中から、ドラマ性があり、幅広く愛されてきた作品がピックアップされている。ベルリン公演のメインは、シェイクスピアの悲劇を題材にした、プロコフィエフ作曲のバレエ音楽「ロメオとジュリエット」。さらに、現代版の「ロメオとジュリエット」としても知られるミュージカル「ウエスト・サイド物語」よりシンフォニック・ダンス、そしてシンフォニック・ジャズの代名詞である「ラプソディ・イン・ブルー」が演奏される。

バレエ、ミュージカル、ジャズと、ジャンルを問わずに演奏をしてきた東京フィルならではの演目で、クラシック初心者も親しみやすいプログラムになっている。

ジャズとクラシックの懸け橋ピアニスト 小曽根真が登場!

ピアニスト 小曽根真

「ラプソディ・イン・ブルー」で登場するのは、ピアニストの小曽根真。ニューヨークを拠点にジャズとクラシックの両分野で活躍する同氏は、独特な存在感を放ち、唯一無二の演奏で世界中の人々を魅了している。今回の演奏会に際して、小曽根は次のように語る。「『ラプソディ・イン・ブルー』はジャズピアニストにとっては、オーケストラと一体となれる最高のレパートリー。聴衆の皆様や素晴らしいホールの響きにインスパイアされ、毎回違ったアドリブ演奏が生まれるのもこの作品の醍醐味です」。

また、かつて共演した世界的指揮者アラン・ギルバートは、小曽根について「ガーシュインの名作を完璧に解釈し、毎回新たな境地へと導いてくれる」と述べ、「マコトの『ラプソディ・イン・ブルー』は決定版」とも語っている。クラシック音楽の聖地ベルリンでこの名作にどんな魔法がかかるのか、注目の公演になること間違いなしだ。

東京フィルハーモニー交響楽団
ヨーロッパ・ツアー2025 ベルリン公演

ピアニスト 小曽根真

日時: 10月28日(火)20:00
会場: フィルハーモニー・ベルリン
指揮: チョン・ミョンフン(名誉音楽監督)
ピアノ: 小曽根 真
演奏: 東京フィルハーモニー交響楽団
曲目: バーンスタイン/「ウエスト・サイド物語」よりシンフォニック・ダンス
ガーシュウィン/ラプソディー・イン・ブルー(ピアノ:小曽根 真)
プロコフィエフ/バレエ音楽「ロメオとジュリエット」より
料金: 85€/80€/75€/70€/65€/60€/50€
学生割引あり(一律25€)

チケット販売
Konzertdirektion Hans Adler
月~土9:00~20:00、日・祝日14:00~20:00
Tel:030-826-4727

チケット購入はこちらから

東京フィルでは、ヨーロッパ・ツアー2025に関連してクラウドファンディングを実施中!

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