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特集


コーヒー史から最新トレンドまで ドイツ人の
コーヒー愛の秘密

ドイツは言わずと知れたコーヒー大国。「コーヒーがないと一日が始まらない!」というドイツ人が周りにいる人も少なくないだろう。そんなドイツ人の「コーヒー愛」はどこから来ているのか、ドイツではどんなコーヒーが飲まれているのか、その歴史と秘密を探ってみた。後半では、編集部のあるデュッセルドルフで人気のカフェを大調査。おいしいコーヒーを求める皆さんを、奥深いドイツのコーヒーの世界へとお連れしよう。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

黒いコーヒーカップに入った白いハートのラテアートがついたカフェラテ

ドイツのコーヒーにまつわる10の真実

参考:Tchibo Co f f ee Repor t 2026、Deut scher Kaf f ee v erband e.V.「Kaffeeland Deutschland: 20. „Tag des Kaffees “ – spannende Fakten zum Lieblingsgetränk」、Kaffee Stadt Bremen「Der Wandel der Kaffeehauskultur」、Deutschlandfunk Kultur「Bier statt Kaffee」、HAMBURG Tourismus、HAG-QUARTIER、Melitta、Roast Market「Die Kaffeesteuer – der Import von Kaffee」、Deutschlandfunk「Kaffeepreise: Teure Bohnen」

ドイツ人はビールよりもコーヒーを飲む

ドイツがコーヒー大国と呼ばれる理由の一つが 、その輸入量にある。年間100万トン以上のコーヒー生豆を輸入しており、米国に次ぐ世界第2位の輸入量を誇る。コーヒーチェーン「Tchibo」の2026年調査によれば、18~75歳のコーヒー愛好家が1日に飲むコーヒーの量は平均して3.2杯。また、ドイツコーヒー協会の2025年調査では、ドイツの成人のうち93%がコーヒーを飲み、1人当たり年間163リットルに上る。ビールの年間消費量は1人当たり84リットル(ドイツ醸造協会、2025年)となっており、ドイツ人がいかにコーヒー好きかがうかがえる。

ドイツ人は1日に平均して何杯コーヒーを飲むか?

一番人気はフィルターコーヒー

先のTchiboの調査(複数選択可)によると、ドイツで一番好まれているコーヒーはフィルターコーヒー(47%)だった。家庭にある抽出器具を見ると 、コーヒーメーカーを使用する人は43%、ハンドドリップ用器具を使用する人は10%、エスプレッソが楽しめる全自動コーヒーマシンを使用する人は42%だった。また、ドイツコーヒー協会によると、インスタントコーヒーが新たなトレンド。最近では、スペシャルティコーヒーのインスタントや濃縮タイプのアイスコーヒーなどが登場し、コーヒーの10杯に1杯はインスタントだという。

ドイツ人が好きなコーヒーの飲み方

ドイツ初のコーヒーハウスはブレーメン

欧州にコーヒーがもたらされたのは17世紀のこと。17世紀半ばにはコーヒーハウスと呼ばれる喫茶店が各地にできるようになり、人々はそこでコーヒーを飲みながら議論を交わし、時には音楽などの娯楽を楽しんだ。ドイツ初のコーヒーハウスは、ブレーメンの現商工会議所であるシュッティング内にあったといわれる。18世紀に同地を訪れたイングランド人のトーマス・レディアードが旅行記『The German Spy』(1740年)の中で、シュッティング内にあったコーヒーハウスについて触れており、1673年からそこにあったことを書き記している。

現在もブレーメンの中心地に残るシュッティング現在もブレーメンの中心地に残るシュッティング

プロイセン時代、コーヒーは専売品だった!?

18世紀、コーヒーは高価な輸入品であったため、プロイセン国王フリードリヒ大王は1766年にコーヒー豆の貿易を禁止し、国が専売するようになった。七年戦争後で枯渇した国庫を潤わせるための策だったが、国王は国民にビールを飲むように促し、国内の醸造業を支援しようともした。ところが人々はコーヒー豆をわらの中やスカートの下、さらには死体が入った棺桶などに隠し、あらゆる手段で密輸。一方、国が焙煎所を管轄するようになり、「コーヒー嗅ぎ師」が国民を徹底的に監視したが、結局密輸がなくなることはなかった。

現在もブレーメンの中心地に残るシュッティングプロイセンは400人のフランス人退役兵士を「コーヒー嗅ぎ師」として雇用。彼らは違法の焙煎コーヒーを探し回り、市民の家に押し入り旅行者の荷物を徹底的に調べ上げたグ

労働者を支えたコーヒースープ

産業化が進んだ19世紀、コーヒーは国民的な飲み物となり、労働者階級も飲めるようになった。しかし彼らが飲んでいたのは、私たちの知るようなコーヒーではなく「コーヒースープ」(Kaffeesuppe)と呼ばれる、今でいう健康食品のようなものだった。パン粉を入れて一日中ぐつぐつと煮込んだコーヒースープは、労働者たちの体を温め、空腹を満たし、眠気を覚ますのに役に立ったという。作り方は濃いめのコーヒーに古いパンを浸し、お好みで砂糖とバターを加えるだけ。勇気のある人は、試してみては?

ハンブルクは欧州最大のコーヒー拠点

ブレーメンに続いて1677年にコーヒーハウスがオープンしたハンブルクは、その後コーヒー貿易によって発展し、19世紀末にピークを迎えた。世界文化遺産にも登録されているシュパイヒャーシュタット(倉庫街)には、ブラジルや中南米からのコーヒー豆が保管され、ハンブルクは今日も欧州最大のコーヒー取引の地であり続けている。また、ドイツコーヒー協会をはじめ、DarbovenやTchiboなどの大手コーヒーブランド、小規模の焙煎所など、50社以上のコーヒー企業がそろう。

ハンブルクのシュパイヒャーシュタットハンブルクのシュパイヒャーシュタット

世界初のカフェインレスコーヒーはドイツで誕生

カフェインレスコーヒーを発明したのは、ブレーメンのコーヒー商人だったルートヴィヒ・ロゼリウス。1902年に父親を亡くした彼は、医師から父の死因は「コーヒーの飲み過ぎ」だと知らされる。それをきっかけに、ロゼリウスはコーヒーからカフェインを取り除く方法を模索し始めた。そして1906年にベンゼンを用いてカフェインを除去する方法を発見し、特許を取得。Kaffee HAGを設立して、ロゼリウスは成功を収めたのだった。しかしベンゼンはその後毒性があることが分かり、今日のカフェインレスコーヒーは別の方法で製造されている。

1911年頃のKaffee HAGの広告1911年頃のKaffee HAGの広告。「神経質な人のために」といううたい文句が添えられている

カフェインレスコーヒーを発明したロゼリウス化学者たちと共にカフェインレスコーヒーを発明したロゼリウス

ペーパーフィルターを発明したのはドレスデンの主婦

20世紀初頭、家庭でコーヒーを飲む時は布や金網を使用しており、不衛生だったり粉がカップに入ってしまったりしていた。ドレスデンに住む主婦メリタ・ベンツはもっとおいしいコーヒーを淹れるべく、新たな抽出方法を考案。それは、いくつか穴をあけた真ちゅう製の容器に、息子の学校のノートから切り取った紙を載せてコーヒーを抽出するというものだった。こうして世界初のペーパーフィルターが完成し、1908年に特許を取得すると、夫と二人で自宅に会社を設立。瞬く間にドイツ全土へと広がり、「メリタ」は今日まで知られるコーヒー器具ブランドとなった。ちなみにメリタのフィルターが現在の形になったのは1936年。

1908年に特許を取得したフィルターとメリタ・ベンツの写真1908年に特許を取得したフィルターとメリタ・ベンツの写真

ドイツにはコーヒー税が存在する

ドイツは、欧州でも数少ない「コーヒー税」(Kaffeesteuer)を徴収する国の一つだ。その起源は17世紀にさかのぼり、当時コーヒーの需要が急増したことで輸入関税をかけていたことに始まる。コーヒー税は時代ごとに内容を変えながら、今日は物品税として続いている。現在、焙煎済みのコーヒーをドイツに輸入して消費する場合、製造業者または小売業者は1キロ当たり2.19ユーロ、インスタントコーヒーの場合4.78ユーロを支払う必要がある。ただし、一般消費者で個人利用が目的の場合は、最大10キロまでは免税対象になる。

高くても良質なコーヒーが新たなトレンドに?

昨今の気候変動や不作などの影響を受け、 2021年から2025年の間に焙煎前のコーヒー豆の輸入価格は約150%、焙煎済みのコーヒー豆も約70%値上がりした。それでもドイツでは、2015年と比較してコーヒー輸入量は8%増加している。また、2025年のドイツコーヒー協会の調査によると、国内で販売されているコーヒーのうち、19%は持続可能な方法で生産され、サステナビリティ認証を受けているという。かつてのドイツではコーヒーは安いという認識だったが、最近では少しお金を出してでも質の高いものを飲みたいというのが、消費者の新たなトレンドとなっているようだ。

エチオピアのコーヒー豆ドイツは毎月およそ4000万ユ-ロ相当のコーヒー豆をエチオピアから輸入している

買ってきた豆でおうちカフェハンドドリップのおいしい淹れ方

  1. ドリッパーにペーパーフィルターをセットして、沸かしたお湯で湿らせる。
  2. 1杯(125ml)につき、7~9グラムの挽いたコーヒー豆をドリッパーに入れる。
  3. 90~95度のお湯をコーヒー豆全体が湿るように注ぐ。
  4. コーヒー豆が膨らむまで10秒待つ。
  5. 残りのお湯を円を描きながらゆっくり注ぐ。

参考:ドイツコーヒー協会

コーヒー豆を買うヒント

家で豆を挽きたい場合は「Ganze Bohnen」(ホールビーン)を、家にコーヒーミルがない場合は「Gemahlener Kaffee」(挽いたコーヒー豆) を購入する。開封後は風味が落ちるため、ホールビーンは4~8週間、挽いたコーヒー豆は2~4週間を目安に使い切る。

バリスタ&編集部スタッフが選ぶデュッセルドルフのおすすめカフェ

2025年にCoffeenessが実施した「コーヒー好きのためのドイツの都市」では、5位にランクインしたデュッセルドルフ。老舗の焙煎所からスタイリッシュなカフェまでそろっているのがいいところだ。そんなデュッセルドルフにある、コーヒー豆を購入できるカフェ30店以上をリストアップ! さらにそのなかから、市内カフェで働くバリスタのおすすめと、カフェ好き編集部スタッフのお気に入りをご紹介する。

※情報は全て2026年9月時点のものです。※アンケート調査にご協力いただいたバリスタの皆様には、この場をお借りしてお礼を申し上げます。

バリスタのおすすめ

2 CØFFE

Benrather Str. 6B, 40213

CØFFE

おすすめポイント:ラテアートがとても上手!

旧市街の市場、カールスプラッツの一角に2017年にオープンしたカフェ。もともと健康食品店だった建物で、レトロな雰囲気と北欧風のモダンなインテリアが調和する。初心者向けのラテアートコースも開講。

3 Orange - Finest Coffee

Benrather Str. 18, 40213

Orange - Finest Coffee

おすすめポイント:シンプルで速く、安定した味

独自のカフェ文化を持つオーストラリアにインスパイアされたカフェ。同国のカフェ文化にならい、質の高いコーヒー、手作りの軽食、個性的なインテリアを取り入れている。ゲーレスハイムと旧市街に店舗がある。

8 Stoak Coffee Roasters

Adersstr. 48, 40215

Stoak Coffee Roasters

おすすめポイント:落ち着いた雰囲気とインテリア、おいしいコーヒー

2021年にオープンしたカフェ。ドイツ各地や欧州からコーヒー豆を取り寄せており、行くたびに新しい味に出会える。近々自家焙煎のコーヒー豆も登場予定だ。平日はラップトップOKなのもうれしい。

9 Weird Space Café

Hüttenstr. 76, 40215

Weird Space Café

おすすめポイント:いい雰囲気のスペース、フードメニューもおすすめ

欧州各地のトップ焙煎所から厳選したスペシャルティコーヒーを日替わりで提供しており、自家製サンドイッチが名物。店内奥にはコワーキングスペースがあり、営業中は予約なしで利用できる。

16 Jaenner Modern Coffee

Ackerstr. 80, 40233

Jaenner Modern Coffee

おすすめポイント:おいしいコーヒー、静かな雰囲気とおしゃれなインテリア

ウィーンのコーヒー文化にインスパイアされたスタイリッシュなカフェ。浅煎りを専門とする自家焙煎カフェ「⑰Lightroast Coffee」と共に、双子の兄弟マックス&ポール・ゲーラーが経営する。

19 No Worries

Lindenstr. 142, 40233

No Worries

おすすめポイント:優れた職人技と設備、フレンドリーな雰囲気

2025年にオープンしたカフェで、世界各地から取り寄せたスペシャルティコーヒーを提供する。豆のほか、オリジナルグッズなども販売。店内ではレコード音楽が楽しめ、週末は外でのんびり過ごす人でいっぱい。

編集部スタッフのおすすめ

4 RVTC Rösterei Vier

Wallstr. 10, 40213

RVTC Rösterei Vier

おすすめポイント:ウェブサイトにおすすめの豆を教えてくれるチャートあり!

世界の小規模コーヒー農家とパートナーシップを結び、少数ロットでコーヒーを焙煎する。2023年からはカフェ、焙煎所、コーヒー豆の販売エリア、トレーニングルームなどを備える複合施設になった。

11 BREW Specialty Coffee

Aachener Str. 58, 40223

BREW Specialty Coffee

おすすめポイント:コーヒーのお供にはカルダモンロールを忘れずに

ラトビアの首都リガを拠点とするカフェ「KALVE」のパートナーショップとして、2023年にオープンした。ジャパンディ風な落ち着いた雰囲気のなかで、自家製のスペシャルティコーヒーが楽しめる。

14 Café Hüftgold

Ackerstr. 113, 40233

Café Hüftgold

おすすめポイント:「Opa's Apfel」はリンゴ好きの人にぜひ試してもらいたいケーキ!

フリンガン地区で昔ながらのドイツのケーキが食べられるカフェといえばこちら。オリジナルのコーヒー豆を販売するほか、ケーキのホール注文も受け付けている。店内にはティーカップでできたランプが。

20 Carl Ferdinand Röstfabrik

Düsselthaler Str. 39, 40211

Carl Ferdinand Röstfabrik

おすすめポイント:倉庫のような広々とした店内が心地いい

19世紀からコーヒー輸入業に従事してきた一家の末裔であるスヴェン・ベッカー氏が、2022年にオープンした自家焙煎カフェ。タコのロゴは、彼の曾祖父が航海中にクラーケンに襲われたという伝説にちなんでいる。

26 SCHVARZ KAFFEE

Ronsdorfer Str. 74, 40233

SCHVARZ KAFFEE

おすすめポイント:フィルターコーヒー用の「DUS」はデュッセルドルフ土産にもぴったり

市内のカフェやスーパーでも商品を見かける人気の自家焙煎コーヒー。焙煎所を兼ねたカフェは倉庫街の一角にあり、隠れ家的な立地が面白い。地元のデザイナーによるパッケージやカップのデザインがすてき。

28 Die Röstmeister

Quirinstr. 1A, 40545

Die Röstmeister

おすすめポイント:コーヒー豆がリーズナブルで、お試しパックが販売されていることも

鮮度の高いコーヒー豆を焙煎することに情熱を注ぎ、250g パックだけを販売する。サブスクリプションサービスも。オーバーカッセルのベルゼン広場、フリンガン、デーレンドルフ、ツォーに店舗を展開。

コーヒー豆が買えるカフェ31選 in Düsseldorf

「*」マークは、複数店舗あり

Stadtmitte/Friedrichstadt [ミッテ/フリードリヒシュタット]

Kaffeerösterei Röstzeit *

https://www.instagram.com/roestzeit

Kioki matcha & coffee *

https://www.instagram.com/kioki.de

Unterbilk/Bilk[ ウンタービルク/ビルク]

 

眠っている間に知らない国・都市へ 寝台列車で旅する欧州

夜の駅から列車に乗り込み、車窓から沈みかけた太陽を見つめ、がたごとと揺られながらベッドで眠りに落ちる。そして、朝目覚めるころには全く別の景色の中を走っている。そんなロマンある寝台列車の旅が、ここ欧州で再び人気が高まってきている。本特集では、一度は衰退した寝台列車が、なぜ今人々を惹きつけているのかをひも解きながら、人気路線をご紹介。きっとあなたも寝台列車に乗って、旅に出てみたくなるはず! (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

ロマンを運ぶ寝台列車の小歴史

参考:National Park Service「A Brief Overview of the Pullman Story」、Focus on Belgium「Georges Nagelmackers, the inventor of luxury trains」、Wagons-Lits Diffusion、Verein Freunde der MITROPA e. V.、Publications Office of the European Union「Research for TRAN Committee - Passenger night trains in Europe: the end of the line?」、AP「Climate-conscious travelers are jumpstarting Europe’ s sleeper trains」

米国で生まれた寝台列車

寝台列車が初めて登場したのは、19世紀前半の米国といわれている。しかし、当時の車両は窮屈で居心地が悪く、快適さとは無縁だった。そこに目を付けたのが、米国人の発明家で実業家のジョージ・プルマン(1831-1897)だ。プルマンは快適で優雅な宿泊施設を備えた列車のアイデアを思いつき、1864年に寝台列車「パイオニア」を製造した。

1858年頃のプルマン社の寝台列車1858年頃のプルマン社の寝台列車

この全く新しい寝台列車を米国で体験したベルギーの実業家ジョルジュ・ナゲルマケールス(1845-1905)は、欧州を走る豪華列車の実現に着手する。1870年代の欧州では、国境を越える場合、何度も列車を乗り換える必要があった。ナゲルマケールスは、スピード・豪華さ・快適さの三つを信条に掲げ、1872年にリエージュで会社を設立。パリからオーストエンデまでの寝台列車の運行から始まり、その後ケルン、ウィーンを結んでいった。

豪華で快適な寝台列車の黄金時代

事業が成功すると、ナゲルマケールスは1876年に国際寝台車会社(CIWL)を設立し、国と国を結ぶ特急列車を次々と走らせた。そして1883年には、パリからコンスタンティノープル(現イスタンブール)までのおよそ3000キロを走らせる、かの「オリエント急行」を誕生させたのだった。

1898年のCIWLのカタログ1898年のCIWLのカタログ

その後、寝台列車は豪華旅行の代名詞となり、1914年ごろにはCIWLは1600両の列車を運行していた。1922年には青い車体がトレードマークの「ル・トラン・ブルー」が登場し、当時の著名人や王族たちはこぞってCIWLを利用したという。

一方、CIWLに対抗するため、ドイツ、オーストリア、ハンガリーの鉄道局は、寝台列車および食堂車を運営する「ミトローパ」を1916年に設立した。ミトローパは中欧の国々を結び、看板列車の「ラインゴルト急行」では、ウェイターが食堂車の石炭ストーブで鹿肉ステーキを調理してふるまい、乗客に特別な体験を提供。食堂車はミトローパの名物となった。

1937年ごろのミトローパの食堂車1937年ごろのミトローパの食堂車

環境保護の観点から再び人気に

第二次世界大戦後、寝台列車は引き続き運行されていた。しかし、かつて一晩かけて移動していた距離が数時間で到達できるようになり、1990年代以降は格安航空会社や長距離バスが台頭し、さらにリーズナブルなホテルが登場してきたことで、寝台列車は次第に人々から必要とされなくなっていく。そして、2000年代以降は寝台列車の多くがその姿を消した。

ところが、最近になって寝台列車が再び注目されている。その背景の一つに、環境問題がある。2018年の気候変動ストライキで「飛び恥」という言葉が生まれ、二酸化炭素の排出量が多い飛行機ではなく電車を使うことがトレンドとなったが、特に環境保護を意識する若者の利用者が目立っている。Trainlineによれば、2023年の寝台列車予約数はコロナ禍前の2019年に比べて147%増加。欧州連合(EU)は航空便に代わる移動手段として、寝台列車を含む鉄道への投資を積極的に行っているほか、国ごとに運行会社を支援する動きも見られる。かつて豪華な旅の体験を提供した寝台列車は、サステナブルな選択肢として息を吹き返したのである。

寝台列車の衰退期にも運行していたオーストリア国鉄(ÖBB)のNight jetは、今では欧州最大のシェアを誇る。さらに新興企業が登場し、新たな路線が次々と開通している。次項目からは、そんな欧州の国々を走るオペレーターをご紹介する。

寝台列車を利用するメリット

1. リラックスできる
飛行機の旅のようにチェックインや荷物検査など、空港で長時間過ごしたり、車の旅のように誰かが運転したり、渋滞に巻き込まれたりすることはなく、寝台列車は眠っているだけで目的地にたどり着ける。

2. 環境に優しい
飛行機での移動と比べて二酸化炭素排出量が少なく、飛行機の最大10分の1に抑えることができる。環境に優しい移動の選択肢として、近年人気になっている。

3. 宿泊費を節約できる
特に大都市ではホテル代が高騰しており、近年旅行予算を圧迫している。目的地までの往復に寝台列車を利用すれば、2泊分の宿泊費を節約することができる。

参考:Deutschlandfunk Kultur「Gemütliches Abenteuer: Liebeserklärung an den Nachtzug」


寝台列車オペレーターをピックアップ! 欧州各地を結ぶおすすめ路線

西は英国、東はウクライナまで、寝台列車に乗れば、欧州に散らばる主要都市の多くへと旅することができる。もちろん飛行機よりは時間はかかるが、列車の旅らしい昔ながらのロマンを体験できるのも醍醐味だ。路線図を眺めながら、ぜひ次の旅行計画を考えてみて。

おすすめ路線

欧州寝台列車路線マップ
https://back-on-track.eu/night-train-map/


1 Nightjet
(ÖBB /オーストリア連邦鉄道)

Nightjet

欧州最大の寝台列車オペレーターで行く

ハンブルク~ウィーン
Hamburg - Wien


Nightjetの車内

Nightjetは、寝台列車の衰退期にÖBBがドイツ鉄道(DB)の寝台列車サービスの一部を引き継ぎ、2016年に「ストレスではなくリラックスを」をモットーにスタートさせた新たなブランド。現在はアムステルダム、ブリュッセル、ローマ、ハンブルク、ベルリンなど、欧州の25都市以上を結ぶ欧州最大の寝台列車オペレーターとなった。2023年に導入された新型車両では、専用バスルーム付の個室、カプセル型のミニキャビン、4人用コンパートメントや車椅子利用者向けのバリアフリー対応車両など、さらに快適さを追求。月曜から木曜の利用であれば、割安なチケットを入手しやすい。

https://nightjet.com

Nightjetの車内

Nightjetの車内

注目の目的地:ウィーン

ウィーンといえば、シェーンブルン宮殿や国立歌劇場など観光スポットが豊富だが、ショッピングを楽しみたい人にはノイバウ地区がおすすめだ。もともとハプスブルク家の厩舎だったアート複合施設「MuseumsQuartier」(写真)をはじめ、小さなお店が立ち並ぶノイバウガッセではオーストリア発ブランドも多く見つかる。近隣の水族館「Haus des Meeres」の展望レストラン「360° Ocean Sky」ではウィーンを一望できるので、ぜひ足を運びたい。

ウィーンにあるアート複合施設「MuseumsQuartier」

2 Caledonian Sleeper
(カレドニアン・スリーパー)

Caledonian Sleeper

遥かなハイランド、アウトドアの首都へ

ロンドン~フォート・ウィリアム
London - Fort William


カレドニアン・スリーパー

ロンドン・ユーストンを夜に出発し、スコットランド西部のフォート・ウィリアムへ。英南部の大都市からスコットランドのハイランド地方へ向かうこの路線は、国境を越えずとも車窓の風景が大きく変わっていくのが魅力だ。朝になると、山や湖が連なるウェスト・ハイランド線へ入り、雄大な自然の中を進んでいく。2段ベッドの「クラシック・ルーム」、専用シャワー室付の2段ベッド「クラブ・エンスイート」、専用シャワー室とダブルベッドを備えた「カレドニアン・ダブル」などの個室があり、上位客室では朝食やルームサービス、スコットランド製のバス・アメニティーが付く。また体力に自信のある方には寝台のない「シーテッド・コーチ」も。

www.sleeper.scot

カレドニアン・スリーパーの車内

カレドニアン・スリーパーの車内

注目の目的地:グレンフィナン・ヴィアダクト

アウトドアの盛んなフォート・ウィリアムから列車で約30分のグレンフィナン・ヴィアダクトは、1901年に完成した21連アーチの鉄道橋。ハイランドの山々を背景にした美しい姿が、映画「ハリー・ポッター」シリーズでホグワーツ特急が渡る橋として登場し、世界的に知られるようになった。春から秋にかけては蒸気機関車「ジャコバイト」が橋を渡る姿も見られる。周辺には、1745年のジャコバイト蜂起にゆかりのある記念碑があり、映画の舞台だけではなく歴史も楽しめる。

グレンフィナン・ヴィアダクト

3 Intercités de nuit
(SNCF /フランス国鉄)

Intercités de nuit

南仏を彩る「バラ色の街」へ

パリ〜トゥールーズ
Paris - Toulouse


Intercités de nuit 停車駅

フランス国鉄が運行する夜行列車「Intercités de nuit」の人気路線は、首都パリのオステルリッツ駅から南仏トゥールーズを結ぶ。宵闇に包まれたフランスをゆるやかに南下し、目覚めれば「バラ色の街」の名にふさわしいレンガ造りの街並みが車窓の外に広がる。寝台は1等が4人用、2等が6人用のコンパートメント。枕と掛け布団はもちろん、飲料水、アイマスク、耳栓まで一通りそろい、女性専用コンパートメントも追加料金なしで予約可能。食堂車の連結はないものの、事前のオンライン注文や車内販売で軽食と飲み物を楽しめる。さらに1等利用者には、終着のトゥールーズ・マタビオ駅でシャワーが無料で使えるといううれしい特典も。

www.sncf-connect.com

カレドニアン・スリーパーの車内

注目の目的地:トゥールーズ

フランス南西部、ガロンヌ川沿いに広がるトゥールーズは、レンガ造りの建物が街を彩ることから「ville rose」(バラ色の街)の愛称で親しまれる。中心部には市庁舎と劇場が入る壮麗なキャピトルが立ち、世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の構成資産であるサン・セルナン聖堂や、世界遺産のミディ運河も見逃せない。ガロンヌ川沿いを散歩した後は、白インゲン豆と肉をじっくり煮込んだ郷土料理カスレも味わいたい。

トゥールーズ

4 MÁV
(ハンガリー国鉄)

MÁV

温泉都市まで湯めぐりの旅

チューリヒ~ブダペスト
Zürich - Budapest


チューリヒ~ブダペスト 停車駅

ハンガリー国鉄は、首都ブダペスト発着・経由の夜行列車を毎晩運行している。計8路線でスイス、ドイツ、オーストリア、チェコ、ポーランド、ウクライナ、ルーマニアの主要都市を結んでいるほか、夏季限定でクロアチア、スロベニアなどのアドリア海方面も追加運行する。乗り換えを利用すれば、フランスやイタリアへのアクセスも可能だ。車両は、寝台個室(シングル、2人用、3人用)のほか、リーズナブルな4~6人向けのクシェット、座席タイプから選べる。お得なチケットを手に入れるには通常1カ月前、ハイシーズンやクリスマス休暇期などは2~3カ月前が狙い目。

https://jegy.mav.hu

注目の目的地:ブダペスト

ハンガリーの首都ブダペストは、言わずと知れた温泉都市。市内には100以上の源泉があり、オスマン帝国時代からの歴史的な浴場からモダンなスパまでそろう。必ず訪れたいのが、宮殿のような建物にぐるりと囲まれたセーチェニ温泉(写真)。屋外浴場では、日中にはチェスを楽しむ人、夜は音楽とライトで彩られる「スパーティ」が開催される。また市内の指定された温泉は飲用も可。日本の温泉街とはまた違った雰囲気で湯めぐりが楽しめそう。なお、水着とビーチサンダルを持って行くのをお忘れなく。

ブダペスト

5 VR
(フィンランド国鉄)

フィンランド国鉄

夏は白夜、冬はオーロラの旅へ

ヘルシンキ~ロヴァニエミ
Helsinki - Rovaniemi


フィンランド国鉄 停車駅

フィンランド国鉄「VR」は、首都ヘルシンキから北部ラップランドへの夜行列車を毎日運行する。夏は太陽が完全に沈まない白夜の中を走り、冬は車窓から雪化粧に包まれた森、そしてオーロラが見えることも。そんな北欧ならではの自然の美しさが味わえるのが、この路線の魅力の一つだ。寝台列車には、専用トイレとシャワーが付いた2段ベッドキャビンのほか、3段ベッドキャビンや連結可能な4人用キャビンがあり、今年から新デザインの車両が順次導入されている。食堂車ではサーモンスープやミートボールなど、北欧らしいメニューが楽しめる。

www.vr.fi/en/night-trains

カレドニアン・スリーパーの車内

注目の目的地:ロヴァニエミ

ラップランドに位置するロヴァニエミは、北極圏の大自然に囲まれた都市で、サンタクロース村(写真)があることでも知られる。厳冬期から白夜まで八つの季節があるといわれ、それぞれの季節に美しい風景や旬のグルメが楽しめる一方、年中いつ訪れてもサンタクロースに会うことができる。オーロラのシーズンには観測ツアーも多数開催されている。フィンランドの建築家アルヴァ・アアルトが設計した市民センターや、北極体験ができるアルクティクム科学センターなども。

ロヴァニエミ


European Sleeper 乗車体験レポート1泊4日でミラノに行ってきた!

欧州内で少しずつ路線を拡大している、寝台列車界の超新星「European Sleeper」。シンプルな車両デザイン、ミニマムなサービス、サステナブルな理念で、リーズナブルな価格を実現させ、若者を中心にじわじわ人気を得ている。そんな同社が今年9月に開通させたばかりのブリュッセル~ミラノ線に、ドイツニュースダイジェストのスタッフが乗車!その旅の様子をお届けする。(取材:ドイツニュースダイジェスト編集部、取材協力:European Sleeper)

European Sleeperとは?

European Sleeper

寝台列車の黄金時代を復活させることを目標に、2021年に誕生したオランダとベルギーのスタートアップ企業。現在はパリ~ベルリン、ブリュッセル~プラハ、ブリュッセル~ミラノの3路線を運行しており、今後はデンマーク、スウェーデン方面やバルセロナへの路線も計画している。寝台車は3人用のコンフォート、4~6人用のクラシックがあり、最低価格49.99ユーロから利用可能。女性専用部屋や座席タイプのBudgetもある。

www.europeansleeper.eu

European Sleeper

利用した区間

ケルン~ミラノ
Köln - Milano


European Sleeper 停車駅

1日目

22:30 ケルン中央駅出発

月曜夜、少し早めにケルン中央駅へ。夜食用のおやつを購入し、ホームで電車を待った。そして、予定時刻より15分ほど遅れてEuropean Sleeperのミラノ行きが到着。車両は古いタイプだが、内装は新しく清潔感がある。発車から約20分後、乗車券の確認。同時にオプションで注文していた朝食の希望時間帯(6~11時)や飲み物の種類(コーヒーや紅茶など)を聞かれた。23時、本日最後のアナウンスで、各車両の担当者が紹介される。夜間も対応してくれるとのことで、安心だ。

European Sleeperとっぷり日が暮れたケルン中央駅から乗車

00:30 就寝

今回利用した3人用のコンフォートは相部屋だった。ブリュッセルから乗車していたベルギー人2人が同室で、どちらもミラノの環境保護に関する学会に参加予定だという。飛行機に比べて二酸化炭素排出量が少ないため、寝台列車を選んだらしい。ベッドは中段と上段があり、はしごを取り付けて昇り降りできるようになっている。ベッドメイキングは乗車時にすでに終わっていて、すぐに横になれるのがうれしい。共用洗面所で歯磨きをして、ベッドへ。各ベッド脇には読書灯があり、それぞれのタイミングで就寝した。

European Sleeper上段ベッドからの眺め。
横になっている時の方が座っている時よりも揺れを感じやすかった。
体が大きい人には少し狭いかもしれない

04:42 突然のノックで起床

「コンコン」とドアをノックする音で目覚める。電車は停車しており、場所を確認するとスイスのバーゼル駅。パスポートコントロールだった。全ての車両をチェックするため、1時間ほど停車。再び列車はミラノへ向かって走り出し、また眠りに落ちた。

2日目

08:00 朝のアナウンス&朝食

8時、朝のアナウンスで起床する。ぐっすり……というわけではなかったが、空調はちょうどよく、思ったよりも眠ることができた。耳栓やアイマスクがあってもいいかもしれない。体をほぐすため、一度廊下へ。車窓からは朝日に照らされた険しい山並みが見え、いかにもスイスらしい景色が広がっていた。その後、8:30頃に朝食セットが届き、朝ごはんタイム。

European Sleeper

European Sleeper車窓からの美しい風景は電車旅の醍醐味

European Sleeperルガノ湖の対岸に見えたカンピョーネ・ディターリアはイタリアの飛び地として知られる

12:06 ミラノ・ガリバルディ駅到着

13時間半の長旅が終わり、ついにミラノ・ガリバルディ駅に到着! ミラノ中央駅からは地下鉄で2駅の位置で、中心地へのアクセスもスムーズだった。そのまま予約していたホテルへ向かい、チェックイン。

3日目

15:45 ミラノ・ガリバルディ駅出発

あっという間の滞在に名残り惜しさを感じながら、予定時刻から2時間ほど早く出発。発車時刻変更については、数日前にメールで通知がきていた。夕飯は提供されないので、何か購入して乗車するのを忘れずに!

European Sleeper

4日目

08:06 ケルン中央駅到着

帰りはほぼ定刻で到着。1泊4日は正直おすすめできないが(笑)、今回利用した便は週3回往復しているため、現地での宿泊数を増やせばより充実した滞在になりそうだ。とはいえ、一晩で違う国へ行けるお得感と達成感はハマりそう。次回の寝台列車旅はどこに行こうか……。(完)

27 hours in Milanoミラノ駆け足滞在記

今回の滞在は約27時間。初ミラノということで、まずは王道の「ドゥオーモ」ことミラノ大聖堂やショッピングアーケード「ガッレリア」を訪れた。驚いたことに、ミラノ料理が食べられるレストランはことごとく入れず。どこも予約必須で、平日だから大丈夫だろうと甘く見ていたのが失敗だった。

ドゥオーモ

そんななか、最後にトライしたお店が翌日のランチで席を押さえてくれることに。翌日、無事にミラノ名物のオッソブーコ(仔牛すね肉の煮込み料理)が添えられたリゾット・アッラ・ミラネーゼを食べることができた。最後は食の複合施設「イータリー」などでショッピングをして、駆け足の滞在が終了。

リゾット・アッラ・ミラネーゼ左:ショッピングアーケード「ガッレリア」
右:リゾット・アッラ・ミラネーゼ

寝台列車旅を動画で!

ドイツニュースダイジェストのInstagram アカウントで、European Sleeperに乗車した様子をリール動画で公開予定。
https://www.instagram.com/pickup_doitsu/

 

北ドイツにワインの城があるシュロス・ラッタイの挑戦

ドイツ北東部メクレンブルク=フォアポンメルン州の田園地帯に、広大なブドウ畑に囲まれた城がある。その名は「シュロス・ラッタイ」(Schloss Rattey)。19世紀の初頭に建てられたネオクラシック様式の城館を本拠とする、ドイツ北部で最大級のワイナリーである。ワインの産地としては決してメジャーではないこの地で、ワイン造りを行うのはなぜなのか。その答えを求めて、ラッタイを訪れた。
(取材・文=榊原大騎)

シュロス・ラッタイ

参考:Schloss Rattey、WELT「Mehr Gäste, weniger international: Tourismus in MV wächst」、Deutsches Weininstitut、KIRIN「Wine Academy」、エノテカオンライン「ワイン産地を知ろう!ドイツ」、ロイター「EUとメルコスルがFTAに署名、25年間にわたる交渉後」

主要産地から離れて
北ドイツの城でワインを造る

首都ベルリンの北東にあるメクレンブルク=フォアポンメルン(MV)州は、北側にバルト海を望み、東側はポーランドと国境を接する自然豊かな土地だ。海辺の保養地や湖が多い地域として知られ、人口約160万人に対して国内外からの延べ宿泊者数は年間3000万人以上。広大な農地が広がる内陸部では、穀物や菜種などの栽培だけでなく、畜産業も盛んだ。一方、ワインの産地としてこの土地を思い浮かべる人は多くない。

シュロス・ラッタイ

ドイツで品質ワインの産地として認められている指定栽培地域は13ある。ラインガウやモーゼル、ファルツ、ラインヘッセンといった南西部の名産地はよく知られ、昨年時点で13地域の生産者数は1万5200軒、ブドウの栽培面積は10万2000ヘクタールに及ぶ。中心的な品種の一つが、ライン川の流域を原産とするリースリングだ。

シュロス・ラッタイはこうした主要産地からは遠く離れている。ラッタイを含む一帯は2004年に「シュタルガルダー・ラント」として、地理的表示付きの地方ワイン「ラントヴァイン」の産地に認められた。それ以降、この地域のワインは「メクレンブルガー・ラントヴァイン」として販売されるようになった。13の指定栽培地域には含まれないが、長いブランクを経て復活したワイン産地である。

ラッタイのブドウ栽培面積は現在35ヘクタール。主要産地の大規模ワイナリーと比べれば小さいが、来年には55ヘクタールまで広げる計画がある。「この土地でワイン生産など不可能だと思われていました。それが今はここまで大きくなっています」。ラッタイのワイナリー責任者であるシュテファン・シュミットさん(70)はそう胸を張る。

ラッタイに広がるブドウ畑ラッタイに広がるブドウ畑

筆者はラッタイを訪れた5月初旬、ポーランドの国境に近いパーゼバルク駅でシュミットさんと待ち合わせ、車で地域を案内してもらった。道中には2023年に操業を始めたサンダルブランド「ビルケンシュトック」の新工場も目に入ったが、旧東ドイツの各地と同様に人口減少が続く地域でもある。

「私たちの土地には産業が少なく、本当に貧しい地域なのです」とシュミットさん。その土地で、ラッタイは地域の企業として存在感を増している。敷地内では醸造所だけでなく、ホテルやレストラン、自社製品などを取り扱う農場直売所(ホーフラーデン)も構える。城館に泊まり、敷地内のブルワリーで造られたビールや地域産品も体験できるのも魅力で、国内外から観光客を惹きつける。

とはいえ、ドイツのワイン業界を取り巻く状況は厳しくなっている。収穫量が伸び悩む中で消費量は減り、コストは上昇を続ける。ラッタイもそうした逆風と無縁ではない。

自社工場でワインを製品化する様子自社工場でワインを製品化する様子

異常気象に物価の高騰
苦悩するワイン業界

ドイツ連邦統計庁によると、2025年の国内のワイン用ブドウ果汁の収穫量は770万ヘクトリットルとなり、前年を2.3%下回った。9月中旬に各地で見舞われた豪雨などで厳しい選果を余儀なくされ、2019〜2024年の平均と比べても9.7%減と伸び悩んだ。

ラッタイも例外ではなかった。シュミットさんによると、ラッタイの生産量は2023年に8万〜9万リットル、2024年に約7万リットルだったが、2025年は遅霜の影響によって6万リットルへと減少。本来は畑が最大限に稼働した場合、少なくとも15万リットル、さらに条件が整えば20万リットル程度の生産は見込めるはずだという。新しく苗を植えたばかりの畑では本格的な生産段階に入っていないこともあり、「安定した収穫にはまだ時間がかかる」と説明する。

収穫時期のブドウ収穫時期のブドウ

消費者の傾向も変化している。ドイツワイン研究所(DWI)によると、2024年8月〜2025年7月の「ワイン年度」で、16歳以上の1人当たりワイン消費量は21.5リットルとなり、前年度から0.7リットル減少。消費習慣の変化や生活費の上昇などを受け、2020〜2021年の24.3リットルからはさらに低下している。さらに、連邦公衆衛生研究所の調査では、2023年に週1回以上飲酒する18〜25歳で女性18.2%、男性38.8%となり、観測開始以来の低水準に。定期的に飲酒する若い世代が減っていることも逆風となっている。

コスト面も課題だ。ワイン造りは農業であり、加工業でもある。畑では燃料や肥料、農薬を、醸造所では電力をそれぞれ消費するだけでなく、資材としてボトルやコルクのほか、キャップや段ボールなども必要だ。戦争やコロナ・パンデミックなどによって物価が上がるたび、これらの費用も押し上げられてきた。中東情勢の緊迫化によってさらなる上昇が見込まれる。

シュミットさんによると、瓶1本の価格は10年前の約20セントから現在は35セントに、コルクは20年前の10セントから50セントにそれぞれ上昇した。コスト増に合わせ、ラッタイのワイン価格も2021年と25年にそれぞれ平均3ユーロずつ引き上げており、現在の平均は16ユーロだ。さらに、一部製品では栓をコルクからアルミニウム製のスクリューキャップに切り替えるなどして対応しているという。

熟成中のワインとシュミットさん熟成中のワインとシュミットさん

ドイツの法定最低賃金は今年1月に時給13.90ユーロへと引き上げられ、2027年1月には14.60ユーロへとさらに上昇。幾重にも重なるコスト上昇の波が、ラッタイにとっても重荷となっている。シュミットさんは「中東情勢の影響はこれからじわじわやってくるでしょう。われわれのような小さな事業所では、最低賃金の上昇も非常に大きな問題となっています」と打ち明ける。

取材で宿泊させてもらった部屋取材で宿泊させてもらった部屋

800年前にさかのぼる
ラッタイの歴史と特殊性

ラッタイを語る上で、ドイツ北部のワイン生産史を外すことはできない。実は、MV州には800年ほど前からワイン造りの歴史があった。ラッタイが公開している資料によると、この地でワイン栽培が始まったのは13世紀。シトー会の修道士が、ギュストローやシュヴェリーン、ノイクロスターなど一帯にブドウの栽培を伝えたのが起源とされる。16世紀には、メクレンブルク公がブルク・シュタルガルトやノイブランデンブルク周辺での栽培を奨励したとする記録も残る。

しかし、MV州はラインガウやモーゼルのような一大産地にはならなかった。北部では生育期間が短く、霜や雨、湿気による病害のリスクも高い。広い農地を持つこの地域では、手間のかかるワインよりも穀物や菜種、畜産の方が土地の利用法としては安定していたのだという。こうした事情が重なり、ワイン栽培の伝統は19世紀半ばに途絶えてしまった。

現在のラッタイでワイン造りが再び始まったのは1999年。きっかけは、ワイン愛好家の団体がMV州のワイン文化を再び動かそうと、1806年にメクレンブルクの貴族であるフォン・エルツェン家が建てた城館の前に植えた500本のブドウだった。シュミットさんによると、当時はワイン産地として認められていなかったため、家庭菜園として認められる小さな区画を複数人で分けて育てる形をとった。

2001年までにブドウは約7000本にまで増え、現在では35ヘクタールの畑に約17万5000本が育つ。2004年にはこうした動きが制度上でも認められ、ラッタイを含む一帯が「シュタルガルダー・ラント」としてラントヴァインの産地に位置づけられたのはすでに記した通りだ。失われていた北東部のワイン文化は、こうして息を吹き返した。

再生を支えたのは、現代の品種と技術だ。ラッタイでは、ソラリスやヨハニター、ヘリオス、ヒベルナールなど「PIWI」と呼ばれる品種を育てている。PIWIは、ドイツ語の「pilzwiderstandsfähige Reben」の略称で、菌類による病害に強いブドウ品種を指す。

ドイツ北部では、南西部と同じ前提でブドウを栽培できない。夏の日照時間は南西部よりも長いが、生育期間そのものは限られる。シュミットさんによると、リースリングのような品種は成熟までに110日程度が必要だが、MV州の条件では95日程度で成熟する品種が求められる。短い夏の時間をどう生かし、霜や雨、病害のリスクをどう抑えるかが問われるのだという。

ラッタイは、複数のベースワインを組み合わせたブレンドワインも造っている。シュミットさんによると、酸味が足りなければ酸味の強いワインを加えるなどして、年ごとの気象条件に左右されながらも味を整える。比較的手に取りやすい価格帯のワインでは、このようにブレンドで品質を安定させる。

一方、年ごとの特徴が強く出る単一品種のワインは、より高い価格帯に位置づける。糖度の高いブドウが収穫できた年にはデザートワインのような特別な商品も造れるが、毎年造れるわけではない。北部ならではの制約を前提に、品種の選定やブレンドで品質の安定を図っている。

ワイン ワインワインはオンラインショップでも注文可

ワインにとどまらない
この土地でできるもの・ことを

ラッタイの特徴は、ワインに限らない多様な事業展開にもある。城館での宿泊や食事、ブドウ畑や醸造所を巡るツアー、直売所での販売などを組み合わせ、訪問者に体験的な消費を提供している。宿泊付きのウェディングも行われ、週末を通じて華やぐこともある。隣国ポーランドの同業による見学も引き受けているという。

城館のホテルからはブドウ畑や豊かな自然を見渡すことができ、レストランでは敷地内で造ったワインやビールを地域の食材と共に味わえる。直売店の棚には、ワインやゼクトのほか、ビールやリキュール、蒸留酒、ジュース、マスタード、油、酢、果実スプレッドなどが並ぶ。天候に揺さぶられるワインだけに頼らない製品構成により、同じ土地で採れたものを別の形で売ることができる。シュミットさんは「事業は無理に拡大せず、自分たちの土地で生産している農産物を中心に加工品を考えています」と語る。

自前で完結させようとしているのは、製品に限らない。敷地内ではウッドチップを利用したバイオマス設備を併設しており、施設全体の温水や冬場の暖房を賄う。太陽光パネルも設置し、エネルギー価格の上昇に左右されにくい環境を整えている。屋根に降った雨水は地下の貯水槽に集められ、トイレの洗浄や清掃用のグレーウォーターとして再利用する。これらの設備は環境対策でもあり、事業全体を支える仕組みにもなっている。シュミットさんは言う。

「エネルギー価格の高騰の影響は最小限で済んでいる。われわれは幸運なことに、あらゆることを先取りしていたのです」

直売所の1階部分はバーになっている直売所の1階部分はバーになっている

ラッタイのこれから
ワイン業界の未来図になるか

ラッタイは来年から栽培面積を拡大する計画だが、シュミットさんはそれ以上の拡大には慎重な見方を示す。「私はこれぐらいで留めておいた方がいいのではないかと思っています。拡大するとこれまでの品質を保てなくなるかもしれない。例えば、100ヘクタールまで広げたとすれば、ワイナリーや瓶詰め設備も倍にしなければいけないでしょう。それにはあまり意味を感じていません」。

この先に見据えるのは大規模化や輸出ではなく、「地域の中で育て、地域の中で商品を届けていく仕組み」という。対照的な例として挙げたのは、今年1月に欧州連合(EU)が署名した南部共同市場(メルコスル)との自由貿易協定だ。全面的に発効されれば、南米産の安価なワインも流入すると見込まれている。

「ワイン1リットル当たりの生産コストはわれわれの場合は6ユーロですが、南米は20セントで生産するような例もあります。グローバル化に反対するつもりはありませんが、とても価格競争では勝ち目などありません」

ラッタイが生産したワインは大半がMV州内で消費されている。栽培から加工、販売までを自前で賄い、肥料などの資材も近隣で調達しているという。中東情勢の緊迫化を受けてあらためて注目されるサプライチェーン(供給網)のリスクを抑える上でも、こうした考え方が意味を持つ。

シュミットさんは、究極の目標として「全てを自分たちの手で賄うこと」を挙げる。地域コミュニティー全体で発展していくことが、今後はますます重要になるのだという。

「世界がつながっている今、私たちはこの土地で育てた産品を使ってこの土地で生産を続ける。無理に新しいものを作るのではなく、手元にあるものから商品の幅を広げていく。これこそが、この時代に生き残る鍵なのではないでしょうか」

直営店には蒸留酒やマスタードが入ったギフトセットも並ぶ直営店には蒸留酒やマスタードが入ったギフトセットも並ぶ

Schloss Rattey

Schloss Rattey

ホテルはスイートルームなどを擁する城館のほか、スタンダードルームが備わった別館がある。レストランでは、ワインと地元の旬の素材を使った料理が味わえる。また、結婚式などのイベント会場としても利用可。

Schloßplatz 1, 17349 Schönbeck
www.schlossrattey.de

ラッタイのワイナリー責任者 シュテファン・シュミットさん(70)

シュテファン・シュミットさん

シュロス・ラッタイのワイン造りで中心となって働いているのが、今回案内してくれたシュテファン・シュミットさんだ。旧東ドイツのマクデブルク出身。18歳の時にワイン造りを学ぼうと、ブルガリア南部のプロヴディフの大学に入学した。当時の社会主義圏では、本格的にワイン醸造を学べる数少ない場所。本人によると、ブルガリアでワインを学んだ旧東ドイツ出身者は当時としては5人目だった。

きっかけについて、「ビールを学ぶならドイツに留まれば良いと思いました。ドイツのビールは1番です。でも、大規模なワイン生産はありませんでした。だから、ワイン生産を学ぶことが良い決断だと考えました」と振り返る。

1979年に東ドイツに戻ると、ノイブランデンブルクのワイン醸造会社立ち上げに携わった。これが職業人生の始まりとなった。

「この土地でワイン産業が育つとは誰も信じていなかったでしょう。私が満足しているのは、学生時代に醸造家としての道を歩み始め、社会主義時代にワイナリーを築き、職業人生の終盤にラッタイのようなプロジェクトを実現できたことです」

シュミットさんにとってワインは職業であると同時に、生涯を通じた関心でもある。現在も「ワイン史協会」の会員として、歴史を学ぶだけでなく、各地の造り手を訪ねている。「ワインを3杯飲めば、多くの言葉はいりません。心が互いを理解できるからです。ワインは、生まれた土地の食べ物と一緒に楽しむのが1番です」。

ブドウ

今年7月に70歳になったばかり。それでも仕事の話になると、表情は驚くほど若々しくなる。「働くことが私を若く保ってくれます。若い人たちに教えることも好きです。私がした失敗を、彼らには繰り返してほしくないからです」とシュミットさん。2029年にはワインに携わって50年。今はその節目を見据えている。

 

多様な作品と価値観に出会える場所 ドイツのミニシアターの今

昨今日本ではミニシアターの再ブームが来ているが、ここドイツでもそれぞれ歴史や理念を持ったミニシアターが各都市に存在している。メインストリームではない、さまざまな国や背景から生まれた作品を上映するミニシアター。ストリーミングによって自宅でも気軽に映画を鑑賞できる時代になっても、なぜ人々は足を運び続けるのか。本特集では、ドイツにおけるミニシアターの歴史を紐解くとともに、各都市の魅力ある劇場をご紹介する。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

劇場の赤いビロードの座席

そもそも「ミニシアター」ってなんだろう?

取材協力:フェリックス・ブルーダーさん(AG Kino - Gilde e.V. 事務局長)
参考:AG Kino – Gilde e.V.

ドイツのミニシアターの3本柱

1. 多様性
メインストリームから外れた映画、ドイツや欧州はもちろん世界中から集めた作品を上映する

2. 出会い
単に映画を見て帰るだけでなく、人々が出会い、そこにとどまって意見を交わすことができる

3. 情熱
映画館で働く人々、観客がミニシアターそのものや上映作品に対して情熱的である

定義がないのがミニシアター

日本で「ミニシアター」と呼ばれる映画館は、ドイツ語では「Arthouse / Filmkunst /Programmkino」などさまざまな呼び方がある(本特集では、日本語でよく知られている「ミニシアター」を用いる)。主に1970年代ごろから独自のプログラムを組む映画館のことを指すが、公式の定義はなく、映画館自身がミニシアターを自称するかどうかを決めることになる。日本のミニシアターのように建物自体が小規模であるとは限らず、ドイツには伝統的な大きなスクリーンを持つ施設から学生が中心となってつくる上映会場まで、多種多様なミニシアターが存在している。

ドイツの約380のミニシアターが加盟する映画館協会「AG Kino - Gilde e.V.」のフェリックス・ブルーダー事務局長によると、あえてドイツのミニシアターの特徴を述べるならば、右上のような三つのポイントがあるという。映画を愛する人々が境界線を持たず、さまざまな作品を通じて意見を交わし合う……。はっきりとした定義がないからこそ、ミニシアターは自由な場であり続けているのかもしれない。

ドイツのミニシアターを束ねるAG Kino - Gilde e.V.

先のAG Kino - Gilde e.V.はもともと二つの団体で、両者の性格は大きく異なっていた。1953年に設立された「Gilde deutscher Filmkunsttheater」に加盟したのは昔ながらの大型劇場が中心で、当時主流だった娯楽映画やドイツ映画にとどまらず、国際的な作品を上映することを試みていた。一方、1972年に設立された「AG Kino」では、1968年の学生運動や、1950~60年代のフランスで起きたヌーヴェル・ヴァーグ、1960~70年代のドイツにおけるニュー・ジャーマン・シネマなどに影響を受けた映画館が結束し、革命児ともいえる存在だった。AG Kinoは自分たちで配給会社をつくり、特にフランス映画をドイツへ紹介しようとした。

伝統のある大規模な映画館、オルタナティブな小規模の映画館という一見相反する両者の団体は、やがてシネマコンプレックス(以下、シネコン)とは一線を画した独自路線での運営を続けるために協力していく道を選び、2003年に統合した。今日、ドイツでミニシアターと呼ばれる映画館ではさまざまな作品を見ることができるが、AG Kino - Gilde e.V.の幅広いネットワークが背景にあるともいえる。

ドイツを含む欧州の映画市場は、ハリウッドを中心とする米国市場のように大規模ではないため、公的支援が欠かせない。ドイツの映画業界は、まずは映画制作への助成制度に力を入れることで発展してきたが、作品は見てもらえなければ意味がない。ミニシアターも同じように支援が受けられるよう、AG Kino - Gilde e.V.にとってロビー活動は重要な柱の一つだ。ミニシアターが文化施設、そして経済活動の場として認められ、映画館が存続できるように政治に対して、日々働きかけているのである。

また、同協会は加盟映画館に対して、例えば新しい法律ができた場合に映画館にどのような影響を与えるのかを共有したり、マーケティングやプログラム編成について学べる研修の機会を提供したりするなど、ネットワークにも重きを置く。なかでも特筆すべきは、毎年ライプツィヒで開催される「Filmkunstmesse」(映画芸術見本市)。見本市では配給会社が新作映画を紹介し、全国各地の映画館の運営者がそれぞれに合った作品を探すことができる。さらに、監督のトークイベントやワークショップなど、映画館関係者が互いに交流し、新しいアイデアをそれぞれ持ち帰る機会になっている。

ミニシアターのこれからの役割

今後、映画教育はもっと重要になっていくとブルーダー事務局長は考えている。映像で溢れかえる時代だからこそ、人は映画をどのように受け取るべきか、何に注意して見るべきかを学ぶ必要があるという。ミニシアターもそういった教育面でさらに重要になっていくだろう。その実践例として同協会が注目しているのがお隣の映画大国フランスだ。映画館の数や公的支援の充実をはじめ、学校教育の中にも映画文化が根付いているフランスは、ドイツにとって一つのモデルケースとなっている。

明確な定義を持たないからこそ、ドイツのミニシアターは時代や地域に応じて、その姿を変えてきた。その役割は、今後ますます広がっていくのかもしれない。そんなミニシアターを全国各地からピックアップしてご紹介。さらに、ドイツのミニシアターの実例としてデュッセルドルフの映画館に話を聞いた。

街の映画好きたちが集まるドイツ各地のミニシアター8選

映画好きなら一度は行ってみたい、ドイツの主要都市で愛されてきたミニシアターをピックアップ。住んでいる街の映画館に通いつめるのはもちろん、旅行先で地元の人に混じって映画を見るのもまた楽しい。プログラムをチェックして、ぜひ足を運んでみよう。

ドイツのミニシアター地図

1

ベルリン
東ベルリン生まれの大型劇場
Kino International

 Kino International

 Kino International

 Kino International

1963年に東ベルリンに誕生したKino International。東西分断時代は東ドイツの映画制作会社DEFAの作品上映が多く行われていた。東西統一後も、ドイツで最も重要な映画館の一つとして国内外の作品のプレミア上映が催されている。2年の改修工事を経て今年リニューアルオープンしたばかり。外壁のレリーフや重厚でレトロな内装はそのままに、最先端の映像・音響技術を誇る映画館へと生まれ変わった。1997年から続く「Mongay」では、毎週月曜に最新のクィア映画を上映。506席ある大スクリーンで歴史を感じながら映画を楽しもう。

Karl-Marx-Allee 33, 10178 Berlin
www.yorck.de

2

ハンブルク
自動車修理工場から映画館に
Abaton-Kino

Abaton-Kino

ハンブルクの学生街であるグリンデル地区にあるAbaton-Kino。1970年、「一般の映画館では上映できない映画を上映すること」をモットーに、自動車修理工場だった建物を改修して開館した。大中小あるスクリーンで年間300~400本の映画を上映し、150以上のイベントを開催するなど、街のカルチャーシーンを形作ってきた。ドイツを代表する映画監督の一人で、ハンブルク出身のファティ・アキンは何度もトークイベントに招かれている。毎週火曜は7ユーロでポップコーンとクイズ付き上映が。毎月発行されるプログラム冊子はオンラインでも閲覧可能だ。

Allendeplatz 3 / Ecke Grindelhof, 20146 Hamburg
www.abaton.de

3

ミュンヘン
フランス映画のファンが通い続ける
Theatiner Filmtheater

Theatiner Filmtheater

1957年に開館したTheatiner Filmtheaterは、1950年代の空気感がそのまま保存されたような映画館。オープン1年後に映画業界で働いていたマーリース・キルヒナー氏が支配人となり、現在に至るまでフランス、スペイン、イタリアの映画を字幕付きオリジナル言語で上映してきた。80代になってもチケット売り場に立っていた彼女は、優れたプログラム編成で数々の賞を受賞。映画業界の重鎮としても知られていた。2024年に若手のクレア・シュレーガー氏とバスティアン・ハウザー氏に経営を引き継ぎ、キルヒナー氏は今年3月に亡くなった。

Theatinerstrasse 32, 80333 München
https://theatiner-film.de

4

フランクフルト
三つの老舗映画館から成る
Arthouse Kinos Frankfurt

Arthouse Kinos Frankfurt

1970年代からミニシアターとして愛されてきた「Harmonie」(写真)、フランスのビストロをイメージした「Cinéma」、1912年にオープンした老舗の「Eldorado」の三つの映画館から成る映画館グループ。毎週月曜と日曜17時からはドイツ語字幕付きのオリジナル上映を行う。傑作映画をサプライズ上映する「Spotlight: Milestones」、食事やテイスティングが楽しめる「Culinarico」、日本アニメ作品を取り上げる「ANIMOTION」などのシリーズのほか、Eldoradoでは9月19~20日に第5回ギリシャ映画祭を開催。

Harmonie| Dreieichstraße 54, 60594 Frankfurt am Main
www.arthouse-kinos.de

5

ハノーファー
ドイツ最古の映画館の一つ
APOLLO

APOLLO

1908年に設立されたドイツ最古の映画館の一つ。フランス製の真っ赤なアームチェアがクラシックな雰囲気を醸し出している。1970年代に経営が厳しくなってきたころ、映画好きの学生が上映プログラムを提案。学生向けの作品を上映した結果、満席になるほど人気となり、やがてミニシアターとして認知されるようになった。大まかな上映スケジュールは数カ月先まで公開。毎週日曜はワインの試飲付き上映「Vino-Kino」などのイベントも。

Limmerstr. 50, 30451 Hannover
www.apollokino.de

6

エッセン
劇場の数だけ個性がある
Essener Filmkunsttheater

Essener Filmkunsttheater

1928年から存在し、1250席を要するドイツ屈指の大型劇場Lichtburgと五つのミニシアターからなるエッセンの映画館グループ。1950年代の歴史的建造物に大スクリーンを擁するEulenspiegel(写真)、毎月第4水曜にフランス映画を上映する「Astra Theater」、毎月最終火曜にスペイン映画を上映する「Filmstudio Glückauf」、ルール地方で最も小さい映画館「Galerie Cinema」、ミュールハイム唯一のミニシアター「Rio」がある。

Eulenspiegel | Steeler Straße 208-212, 45138 Essen
https://filmspiegel-essen.de

7

ライプツィヒ
ボランティアで運営する映画館
Cineding

Cineding

プラグヴィッツ地区の中庭にひっそりと佇むCinedingは、1997年にザクセン州映画サービス協会によって設立されたミニシアター。日中は学校向けの上映会などに利用され、夜間はインディペンデント系映画を全てオリジナル言語字幕付きで上映する。ボランティア主体で運営されており、チケットも通常料金が7ユーロとリーズナブルだ(2026年8月時点)。最近ではクルド映画祭や型破りなドイツ映画シリーズ「Grenzgänger」などの特集を企画。

Karl-Heine-Str. 83, 04229 Leipzig
www.cineding-leipzig.de

8

ロストック
子ども向けプログラムが充実
li.wu. (Lichtspieltheater Wundervoll)

 li.wu.

1910~93年までMetropol(写真)と呼ばれていた映画館で、2012年にli.wu.となった。2014年には学校を改装したFrieda23が加わり、2拠点で運営されている。若手の映画監督や既成概念を打ち破るアーティストの作品を中心に扱う。子ども向けには年齢層別のプログラムが組まれ、13~19歳までが上映作品を決められる「Querbeet」では随時アイデアを募集中。2025年にはメクレンブルク=フォアポンメルン州映画基金の年間プログラム部門を受賞した。

Barnstorfer Weg 4, 18057 Rostock
www.liwu.de

デュッセルドルフの映画館にインタビュー 私たちがミニシアターに出かける理由

ミニシアター

デュッセルドルフにも四つのミニシアターがある。中心街にあるAtelierとBambi、旧市街のCinema、大学近くのMetropol。それぞれ歴史を持つこれらの映画館は、現在「Metropol Düsseldorfer Filmkunstkinos」(以下、Filmkunstkino)としてグループ運営されている。かつてこの街に100以上もあったという映画館のほとんどが姿を消したなか、Filmkunstkinoはどのように生き残り、何を守ってきたのか。共同設立者のカレ・ゾムニッツさんとプレス担当のエリック・ホルストさんにお話を聞いた。

ホルストさんとゾムニッツさんホルストさんとゾムニッツさん

街の映画館を守ってきた人たち

Filmkunstkinoでは、最近話題の映画から外国語作品、ドキュメンタリー、アニメまでさまざまな作品が上映される。観客の平均年齢は40歳以下と若い。最近では月額20ユーロで映画が見放題になるサービスを導入した。「まるで家を解約したのかと思うほど、毎日のように来る常連さんもいますよ」と笑って話すのは、プログラム責任者として同社を率いるカレ・ゾムニッツさんだ。

ゾムニッツさんはデュッセルドルフ大学の学生だった1980年代に、学内映画館「MEK-Film」を立ち上げた。その後、Metropolの経営者だったウド・ハイマンスベルク氏と出会い、1994年には市内の映画館「Souterrain」の経営者に。一方で、市内では大型シネコンの建設計画が進行中だった。1998年にハイマンスベルクさんと共にFilmkunstkinoを設立すると、街のミニシアターを守るべく、経営困難となった映画館を買収して今に至る。ミニシアターをグループ運営する例は他都市でも見られるが、スクリーン数が増えることで配給会社にとって魅力が増すほか、各映画館の個性を活かしたプログラムを組めるため、より多くの作品を上映できるという利点がある。

「シネコンはいわばチェーンのバーガーショップで、ミニシアターは個人経営のレストランです」。両者の違いをこう語るのは、プレス担当のエリック・ホルストさんだ。「私たちはお客さんに話しかけ、メニュー(映画)をおすすめすることができる。ただ入って食べて出ていく場所ではなく、とても社交的な場なのです」とホルストさんは続ける。Filmkunstkinoは映画館そのものだけでなく、地元の人々の交流も守ってきたともいえそうだ。

語るべきテーマがある映画

映画館のプログラム編成には、事前鑑賞が必須だ。Filmkunstkinoでは、コロナ禍前はほぼ毎日試写会を開き、スタッフや地域のジャーナリストが共に映画を鑑賞してきた。現在はスクリーナー(試写用サンプル)が当たり前になってしまったが、実際のスクリーンで観るよう心がけている。さらに、ゾムニッツさんはベルリナーレをはじめとした映画祭にも足を運ぶ。

「作品を選ぶ基準は『その映画に語るべきことがあるかどうか』です。観客が自分を重ね合わせられるか、現代社会の問題が映し出されているか、あるいは歴史を描き、今と比較できるかどうか。本当に優れた作品とは、娯楽性とメッセージ性の両方を持っています。例えば、フランスの映画『最強のふたり』はその好例です。コメディ要素が多いですが、背景には人種差別、障がいのある人との向き合い方といったテーマがある。映画を観た人は、車椅子に乗った隣人のことを思い出したり、今まで挨拶しなかったことを反省したりするかもしれない。そんな気づきを与えてくれる映画なのです」(ゾムニッツさん)

選び抜かれた作品は、上映する劇場、時間帯などが吟味され、観客に届けられる。さらに、週に2回は監督や専門家を招いての上映イベントを行い、ミニシアターならではの交流の場を設けている。「価値のある作品なら観客が少なくても3週間上映します。それは映画に対しての責任でもあるし、そうした作品を上映できることは私たちの誇りでもあるのです」とゾムニッツさんは胸を張る。

フリーペーパー「biograph」デュッセルドルフのカルチャー専門フリーペーパー「biograph」には、毎回Filmkunstkinoのスタッフによる上映作品のレビューが掲載される

ミニシアターの中の小さな民主主義

コロナ禍前と比較して、Filmkunstkinoにはまだ完全に人が戻ってきたわけではない。ストリーミングが台頭する一方、それでも映画館に足を運ぶ価値。それは、映画が人に語りかけ、人と人とが出会うミニシアターの存在そのものが物語っているだろう。その価値をより多くの人に感じてもらうため、ゾムニッツさんたちは常に新しい客層、特に若い人たちに来てもらうよう努力している。

取材で訪れたBambiでは、ちょうど学校のクラス上映が行われていた。こうしたスクリーンの貸出は、街の子どもたちにミニシアターの存在を知ってもらう機会になる。また、およそ40人いるアルバイトスタッフは学生が中心だ。「映画ファンでなければ、ここで働けません」とホルストさん。スタッフは映画を無料鑑賞できるが、学生スタッフたちが気に入った映画を周囲の人に広めてくれるため、結果的に観客層の若返りにもつながっているという。

国際色豊かなプログラムも、新たなお客さんとの出会いになる。イタリア週間では、地元のイタリアンにチラシを置かせてもらい、そこから多くのお客さんが映画館に足を運んだ。また、Bambiでは日本映画を月に1本は上映するが、最近では映画「国宝」の反響が大きかったと話すゾムニッツさん。「上映時間が3時間もあり、配給会社もどう売ればいいか分からず、まずは日本人街のど真ん中にあるBambiで上映しようと。そこで週末の昼と夜に試しに上映したのですが、どれも満席になったんです」と嬉しそうに語る。日本人も多く訪れ、結果的に2カ月のロングラン上映となった。

さらに、これまでOmU(字幕付オリジナル言語上映)ドイツ語字幕が主流だったが、最近は英語字幕付上映も少しずつ増やしている。これはベルリンの映画館に倣ったもので、これまでドイツ語ができずに鑑賞をあきらめていた人に間口を広げる戦略だ。

「人々は同じ映画を見て、意見を交わし、賛成したり反対したりする。映画館はまさに民主主義の場です」とゾムニッツさんは言う。さまざまな意見や背景を持った人々が集うFilmkunstkinoには、そんな小さな民主主義が息づいている。私たちはミニシアターに足を運ぶことで、街の一員であることをどこかで感じているのかもしれない。そして、そのミニシアター文化を守っていくのは、街に生きる私たちなのだ。

デュッセルドルフで日本映画といえば! Bambi

Bambi

1963年にオープンした老舗映画館で、プレミア上映も多く行われる。天井に星空があしらわれたサーカスのテントのような内装が特徴だ。年会費10ユーロで毎回チケットが2ユーロ引きになる「Gildepass」の加盟映画館。

Klosterstr. 78, 40211 Düsseldorf
https://filmkunstkinos.de

 

観世宗家が欧州ツアーへ ドイツの舞台で見る能楽

この9月、日本最大の能楽流派である観世かんぜ宗家が欧州ツアーにやって来る。ドイツは、9月21日にベルリン音楽祭の一環でベルリン・フィルハーモニー、24日にはミュンヘンで開催されるmusica vivaでプリンツレーゲンテン劇場、28日にケルン・フィルハーモニをめぐる。ドイツの名だたるコンサートホールに組まれた舞台で、700年の伝統を受け継いできた能楽はドイツの人々の目にどのように映るのか。ベルリン音楽祭およびmusica vivaの芸術監督を務めるヴィンリッヒ・ホップ氏に話を聞いた。((文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:KANZE.net、ベルリン日独センター公式サイト

公演予定の演目「羽衣」公演予定の演目「羽衣」

能楽を知らなくても大丈夫

「以前日本の方から、日本の若い人たちは能楽についてあまり知らないと聞きました」。インタビューの冒頭、ヴィンリッヒ・ホップさんは日本人としては少しドキッとする一言を放った。たしかに、能楽に馴染みがある日本人は限られるかもしれない。「でも、ドイツの子どもだって14~15世紀の音楽を知っているでしょうか?」とホップさんは笑顔で言う。彼はベルリン音楽祭の芸術監督として、2019年の梅若研能会の公演を支えた人物だ。今回のドイツ公演を日本人にも観てほしい、と喜んで取材を受けてくれた。

そもそも能楽とは、謡うたい・舞・囃子はやしが一体となった音楽劇。現実と夢、生者と霊が交錯する物語を、能面をつけた演者たちが優雅な所作によって織りなしていく。2008年にはユネスコ無形文化遺産にも登録され、世界最古の舞台芸術として知られる。今回ツアーを周る観世宗家は、能楽を大成した観阿弥かんあみ・世阿弥ぜあみの子孫で、室町時代から伝統を守り続けてきた。

ドイツ人の目から見た能楽

1970年代終わり、ケルンで学生生活を送っていたホップさんは、日本学者のイングリット・フリッチュ氏とその夫で作曲家のヨハネス・フリッチュ氏と知り合ったことで、雅楽をはじめとする日本音楽と出会った。ケルン日本文化会館にも足しげく通い、長らく日本文化のファンだ。一方で能楽は映像で見たきり。初めてライブで鑑賞したのは、2019年に梅若研能会がベルリン・フィルハーモニーで公演したときだったと話す。「舞台上に本格的な能舞台を組み立てたのですが、本当に素晴らしかった。木造の舞台が建築空間に見事に調和して、フィルハーモニー全体の空気感が一変したのです」とホップさんは目を輝かせる。

「能楽で素晴らしいと思うのは、圧倒的な完成度と集中力。長い静寂からの準備、そこから一気に繰り出される動き、その驚くほどの正確さに驚異を抱きます。言葉、声、響き、音楽、それら全てが一体となっていて完成度が高い。能を見るとき、私はまるで子どものような目で見入ってしまいます。

ドイツでは、能楽は決して分かりやすい芸術ではありません。言葉はもちろん、演技も時間の流れも音楽も、欧州の観客にはなじみのないものです。それにもかかわらず、2019年の公演では観客が本当に集中して舞台を見つめていたことが印象的でした。つまるところ、芸術は理解できるかどうかではなく、心を動かされることが大事なのです」

能舞台2019年にケルン・フィルハーモニーに組まれた能舞台

「日本文化を大切にしてほしい」

2019年の公演が大成功を収めると、ホップさんは「また公演を実現させたい」と思い続けていたという。その思いが通じたのか、ベルリン日独センターから今回のツアーの相談を受けた。「私は何か日本関連のプロジェクトを企画するたびに、真っ先にケルン・フィルハーモニーに連絡します。2019年の時もそうでしたし、今回も同じでした」。その背景には、西ドイツの時代からケルンが日本文化の発信地だったことと同時に、ホップさん自身が日本音楽に出会った思い入れの深い場所であることも関係している。「ドイツの公演はきっと日本とは違う体験になるのではないかと思います。全く違う文脈で建てられた建物に舞台を組むわけですから」

ドイツの格式ある舞台を巡回する今回のツアーは、二十六世観世宗家・観世清和氏にとっても特別な公演になる。それはこれから息子の観世三太郎氏へ宗家を受け継いでいくための、一つのステップとなるからだ。

「日本にはたくさんの素晴らしい文化がありますが、あまりに身近な存在がゆえに、その価値が十分に感じられないことがあるかもしれません。私たちヨーロッパ人から見ると、能楽も雅楽も歌舞伎も、本当にかけがえのない芸術です。ですから、その文化をぜひ大切にしてください。同時に、海外には日本文化に関心を持っている人がたくさんいることを知ってほしいです」

能楽ファンも初心者も、ドイツで能楽を鑑賞できる貴重なチャンス。日本では体験できない特別な公演にぜひ足を運んでみてほしい。


ケルン・フィルハーモニ

 

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