Centre People
特集


ドイツ桜の名所11選

春はやっぱり桜が見たい! ドイツ桜の名所11選

春が近づいてくると、日本にいてもドイツにいても桜が見たくなる。そんな季節に先駆けて、八重桜やサクランボのなる木から、おなじみのソメイヨシノまで、ドイツで桜が咲くさまざまな場所へと読者の皆さんをご案内する。春の日差しの下、満開の桜を見にドイツの桜スポットへと出かけてみてはいかがだろうか? (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:本誌1166号「ドイツ桜の名所10選」、JAPANDIGEST「Kirschblüte in deutschen Städten: Die 10 schönsten Hanami-Spots in Deutschland」Berlin.de「Kirschblüten in Berlin」、GEO「Elf Orte in Deutschland, um die Kirschblüte in voller Pracht zu erleben」Urlaubstracker「Kirschblüte in Deutschland: Top 10 der schönsten Orte für Hanami」

ドイツ桜マップ

1

ベルリン
テレビ朝日さくら平和通り

TV-Asahi-Kirschblütenallee
Marienfelder Anger 38, 14513 Teltow

テレビ朝日さくら平和通り

壁跡地に植えられた平和を願う桜並木

ベルリンの壁が崩壊してから35年以上が経過した現在、かつて東西ドイツがにらみ合ったベルリンの壁跡地では毎年9000本以上の桜が咲き誇る。その発端となったのは、1990年に日本のテレビ朝日が行った「桜植樹キャンペーン」だ。壁の崩壊直後、テレビ朝日による「ベルリン市民の心の安らぎと平和を願って、壁跡地に桜の植樹をしよう」という呼びかけのもと、視聴者約2万人からおよそ1億4000万円もの募金が集まったという。そうしてベルリン各地に桜の植樹が始まったが、なかでも有名なのはベルリンの南、テルトウ地区との境界の壁跡地にある、およそ4キロにわたって植えられた約1100本の桜だ。このエリアには「テレビ朝日さくら平和通り」と名付けられた道が存在し、そこで毎年春に桜祭りが開催される。日本文化が披露されるステージや日本食、また地元のアーティストによる演目なども楽しめる。

ベルリンの壁跡地が桜並木になるまで

壁の崩壊直後にテレビ朝日の呼びかけで始まった「桜植樹キャンペーン」。多くの人からの寄付が集まる一方で、壁跡地に桜を植えるには、いくつものクリアしなければいけない問題があったという。まず、崩壊したばかりのベルリンの壁跡地の所有者が誰なのかがはっきりしていなかった。また旧西ベルリンとブランデンブルク州のテルトウ地区の境界線一帯には、西ベルリンへの逃亡者を見逃さないよう、見通しを良くするために大量の除草剤がまかれていた。草一本生えないこの一帯は「死の帯」と呼ばれ、土壌がひどく汚染されていたのだ。ほかにも、冬になると野生のウサギが桜の苗木の樹皮をかじってしまうなど、桜の木を長期的に管理・育成できる環境を整えることが必須だった。

ベルリン、グリーニッケ橋の桜かつて東西ドイツのスパイの交換が行われていたグリーニッケ橋のたもとに咲く桜

テレビ朝日の担当者がベルリン市とポツダム市の緑地課と何度も話し合いを重ねた結果、ついに1990年11月、グリーニッケ橋のたもとに最初の2本が植えられた。ここは、東西冷戦時代に両陣営がスパイを交換する場所として知られていた。その後も壁の跡地や公園、幼稚園、学校、墓地などの公共地へと桜の植樹が続く。さらに日本の募金運動に感動した市当局が、市の財産として桜を受け取り、管理・維持費を負担することも決まった。

そして2010年11月9日、ベルリンの壁が最初に開かれた「ボーンホルマー通り」に最後の1本が植えられ、20年にわたるキャンペーンは幕を閉じた。2011年の東日本大震災の後には、ベルリン各所の桜には献花やろうそく、追悼の手紙などが添えられていたこともあったという。壁崩壊をきっかけに生まれたベルリンの桜景色は、今も人々の思いをつなぎながら美しく咲き続けている。

桜植樹の記念碑ベルリンの壁が崩壊当時、最初に開いた国境があった場所のベーゼ橋下には、美しい桜並木とともに桜植樹の記念碑も設置されている

2

ライプツィヒ
グラッシィ博物館の桜

Grassi Museum
Johannisplatz 5–11, 04103 Leipzig
www.grassimuseum.de

テグラッシィ博物館の桜

たわわな花びらに手が届きそう

ライプツィヒの中心部、アウグストゥス広場の近くにあるグラッシィ博物館前では、毎年春になると見事な八重桜が咲き誇る。緑の芝を囲むように桜の木が植えられており、晴れた日には赤茶色の博物館の建物にピンクの桜が映えて美しい。八重桜が満開になると、その重さで枝が垂れ下がってくるため、たわわな花々を間近で眺めることができる。日なたぼっこをしたり、ピクニックをしたり、写真を撮ったりと、春の訪れを満喫できるドイツ有数の桜スポットだ。

3

マクデブルク
ホルツ通りの桜

Holzweg, 39128 Magdeburg

ホルツ通りの桜

数百メートル続く圧巻の桜並木

マクデブルク北部のホルツ通りには、数百メートルも続く桜並木がある。東西ドイツ再統一直後の1993年にオープンした大型ショッピングセンター「フローラパーク」の開店に合わせて、そこへと続く道に日本の桜の木が植えられたのだという。さらに同じ「フローラパーク」という名前の市民公園が隣接しており、そこではさまざまなテーマ別の庭園を楽しむことができる。

4

ハンブルク
アルスター湖周辺の桜

Alster
Jungfernstieg, 20095 Hamburg

アルスター湖周辺の桜

港街に咲く日独友好の印

ドイツ各都市の中でも桜が多いハンブルク。というのも1960年代、ハンブルクの日本人コミュニティが、ハンザ都市に拠点を置く企業と共同で約5000本の桜の木を寄贈したのだ。現在ではアルスター湖畔をはじめ、エルベ川河畔やシュタットパーク、ハーゲンベック動物園、アルトナ区役所前公園などで桜を見ることができる。アルスター湖畔では、毎年5月に桜祭りが開催され、日本食の屋台が出店されるほか、日本の花火の打ち上げ、「桜の女王」の選出など、春の風物詩として市民から愛されている。2026年の開催は5月31日(日)。

5

ハノーファー
広島祈念の杜の桜

Hiroshima-Hain
Janusz-Korczak-Allee, 30173 Hannover

広島祈念の杜の桜

港街に咲く日独友好の印

広島県と姉妹都市であるハノーファー。同市郊外にある「広島祈念の杜」には、広島の原爆投下の犠牲者を追悼し、広島市から贈られた110本の桜の木が植えられている。ここに植えられている桜は、葉と花が一緒に出る種類で、ソメイヨシノや八重桜とは一味違う美しさを楽しめるのがポイント。また桜の木のそばには、観音様が描かれた石碑が立てられている。これは広島の爆心地から200メートル離れた所にあったもので、平和を求める気持ちを込めて、1992年に広島からハノーファーに贈られた。毎年ここで行われる桜祭りは、茶道や折り紙をはじめ、剣道や習字などの日本文化に触れる機会にもなっている。

6

デュッセルドルフ
ホーフガルテンの桜並木

Hofgarten, 40213 Düsseldorf

ホーフガルテンの桜並木

街中をお散歩がてらお花見

デュッセルドルフの街中で気軽に桜を楽しむなら、ホーフガルテンとKö-Bogenの間にある遊歩道がおすすめだ。水辺に沿って並ぶ13本の桜は、日独友好の象徴として2013年に植樹されたソメイヨシノ。散歩がてら眺めるのもよし、広々としたベンチに座ってお花見するのも◎。市内ではほかにもノルトパークに桜があり、満開の時期は日本庭園と合わせて写真を撮りに来る人々でにぎわう。またお隣メアブッシュ市のBüdericher Alleeでは毎年桜祭りが開催され、日本のグルメや文化が楽しめる屋台が並ぶ。2026年は4月26日(日)に開催。

7

ボン
へーア通りの桜並木

Heerstr., 53111 Bonn

ホーフガルテンの桜並木

幻想的な桜のトンネル

ボンの旧市街地にはさまざまな種類の八重桜が植えられており、市庁舎の裏手一帯の通りで3月半ば〜4月半ばにかけて順々に咲いていく。そのフィナーレを飾るのが、4月中旬ごろに咲くへーア通りの桜並木だ。濃いピンク色の八重桜が通り一帯に所狭しと咲き誇り、ボンの街並みにも美しく映える。日差しの中に輝くピンク、夜桜のあでやかなピンクと、時間を変えて眺めるのもおすすめ。通りに並ぶカフェやバーのテラス席で、コーヒーやビールを片手に桜を楽しむのも◎。

8

ミュンヘン
オリンピア公園の桜

Spiridon-Louis-Ring 21, 80809 München

オリンピア公園の桜

姉妹都市・札幌からの美しい贈り物

ミュンヘンで本格的なお花見スポットをお探しなら、オリンピア公園は外せない。1972年の五輪跡地として知られ、姉妹都市である札幌市から寄贈された桜が散策路や湖畔を中心に点在し、やわらかなピンク色が園内を彩る。起伏のある芝生と近未来的なスタジアムの風景を背景に咲く桜は、日本の名所とはひと味違う表情で、写真映えも抜群。日常の散歩の延長で楽しむ桜の風景は、都市と自然、そして異文化が溶け合ったオリンピア公園ならではの春の光景だ。

9

ホーフハイム(フランクフルト近郊)
ウンタートーア広場の桜

Am Untertor, 65719 Hofheim am Taunus

ウンタートーア広場の桜

木組みの家の街に咲くソメイヨシノ

フランクフルト近郊にある小さな街、ホーフハイム。木組みの家が立ち並ぶ素朴でメルヘンチックな街並みを散策しながら訪れたいのが、ウンタートーア広場にあるソメイヨシノだ。すぐ近くには、かつてシナゴーグとしても使われていた城塞の丸い塔が残っており、現在はレストラン「Zum Türmchen」として営業している。ここのテラス席に座って桜を眺めながら、ヘッセン州のりんごワイン「Äbbelwoi」(エッベルヴォイ)を飲むのもおすすめ。さらに桜の木の近くには、小さな赤い鳥居もあるのでチェックしてみて。

10

シュヴェツィンゲン
シュヴェツィンゲン城の庭園

Schloss und Schlossgarten
Schwetzingen Schloss Mittelbau, 68723 Schwetzingen
www.schloss-schwetzingen.de

シュヴェツィンゲン城の庭園

桜色に染まった庭園でお花見

ハイデルベルク近郊のシュヴェツィンゲンでは、毎年4〜6月にかけてSWR シュヴェツィンゲン音楽祭が開催される。音楽祭のメイン会場のロココ劇場があるシュヴェツィンゲン城内の一角にあるのが、桜の木が並ぶ美しい庭園だ。春は庭園全体がピンク色に包まれ、写真を撮ったり散歩をしたりする人や、お弁当を持参してピクニックを楽しむ人々でにぎわう。桜の庭園以外にも、プファルツ選帝侯カール・テオドールが夏の離宮として建設したサーモンピンクの宮殿や、威容ある佇まいのモスクなどを楽しもう。

11

オーヴェン(シュトゥットガルト近郊)
テック城砦の麓の桜

Burg Teck 73277 Owen
www.burg-teck-alb.de

テック城砦の麓の桜

高原地帯で眺める牧歌的な桜の景

シュトゥットガルト近郊のオーヴェンという街にあるお花見スポットは、地元の人に有名なテック城砦の麓にある。標高773メートルの城砦の北西側に、主にサクランボが実る桜の木が植えられており、春には白い花を咲かせる。周辺には芝生も広がっているので、シートを広げてのんびりとお花見をするのも◎。緑の芝生と青空を背景に花が咲き、どこか牧歌的でノスタルジックな風景が美しい。周辺はシュヴァーベン地方のアルプスとも呼ばれる高原地帯なので、春の日差しを浴びながらハイキングをするのもおすすめ。

最終更新 Mittwoch, 18 März 2026 15:13
 

福島から15年、チェルノブイリから40年 脱原発後のドイツと
「核のゴミ」

今年は東日本大震災および福島第一原発事故から15年、チェルノブイリ原発事故から40年の節目の年となる。ドイツは2023年に脱原発を達成したが、原発を止めても消えない課題がある。それが「核のゴミ」の処分問題だ。ドイツではかつて強引に処分場選定を進め、住民の反対によって白紙撤回した経験がある。現在行われている透明性・市民参加を掲げた新プロセスと、稼働中の処分場職員との対話から、今後100万年続くこの課題との向き合い方を考える。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:Bundesamt für Sicherheit der nuklearen Entsorgungウェブサイト、Bundegesellschaft für Endlagerungウェブサイト、Nationales Begleitgremium ウェブサイト、Verivox「Mehrheit der Deutschen will Atomkraft zurück」

核のゴミ

ドイツが脱原発に至るまで

1955年
西ドイツが主権回復。核兵器製造放棄と引き換えに、原子力研究の禁止措置が撤回され、原子力発電開発がスタート
1961年
ドイツ初の商業用原子炉が運転開始
1966年
東ドイツでラインスベルク原発が運転開始
1970年代初頭
バーデン=ヴュルテンベルク州で反原発運動が活発化
1973年
第1次石油危機を契機に原子力開発が加速
1979年
スリーマイル島原発事故(米国)。ハノーファーで10万人規模の反原発デモ
1980年
脱原発を掲げる「緑の党」が結成
1986年4月26日 チェルノブイリ原発事故

ターニングポイント ❶ チェルノブイリが変えた国民の意識

1986年に旧ソ連ウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原発事故は、ドイツ国民にも放射能汚染という現実を突きつけた。ドイツ南部で土壌や農作物が汚染され、ミュンヘン市内でも一時的に1万9000ベクレルのセシウム137が検出された。このため「子どもを砂場で遊ばせないように」などの警告が出され、市民は強い不安に包まれた。

この体験はドイツ人の原子力への不信感を決定的なものにし、反原発運動が全国規模に拡大。1998年には環境保護を掲げる「緑の党」が初めて政権入りを果たし、脱原発政策を本格始動させた。

1990年
ドイツ再統一。旧東ドイツのグライフスバルト原発5基が安全面の問題から閉鎖
1998年
社会民主党(SPD)と緑の党による連立政権が成立。脱原発政策を本格始動
2002年
原子力法改正。2022年末までの脱原発を決定
2010年
メルケル政権が原子炉稼働年数を平均12年延長。脱原発政策が後退
2011年3月11日 東日本大震災と福島第一原発事故が発生

ターニングポイント ❷ メルケルの「転向」と倫理委員会の役割

2005年に政権交代が起こり、物理学者出身で原発擁護派だったアンゲラ・メルケル元首相(キリスト教民主同盟・CDU)は、2010年に原子炉の稼働延長を決定。しかし、福島第一原発事故の発生から3日後に方針を180度変えた。このとき同氏が重視したのが、社会学者、哲学者、宗教関係者などで構成された「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」の意見だった。

この委員会の報告書では、従来の原子力発電に対するリスクの考え方は不十分であり、核廃棄物処理を次世代に残すのは倫理的な問題があるとして脱原発を提言。メルケル氏は連邦議会で「日本ほど技術水準が高い国も、原子力のリスクを安全に制御することはできないことを理解した」と述べた。

原発反対デモの様子2011年3月26日、福島第一原発事故発生後にハンブルクで行われた原発反対デモの様子

2011年3月14日
メルケル首相が方針転換。1980年以前から稼働していた7基の原発を即時停止
2011年5月
2022年末までの脱原発完了を再決定
2022年
ロシアのウクライナ侵攻によりエネルギー危機が発生。脱原発完了が2023年4月に延期
2023年4月15日 最後の3基が停止し、ドイツの脱原発が完了

ターニングポイント ❸ エネルギー危機と原発再稼働論

脱原発を達成したドイツだが、新たな岐路に立たされている。ロシアによるウクライナ侵攻はエネルギー危機を引き起こし、さらに生成AI(人工知能)の急速な普及によりデータセンターの電力需要が急増。原発再稼働を主張する政治家も増えており、2025年にVerivoxが行った世論調査では、ドイツ国民の55%が原発再稼働に賛成だった。

米国ではマイクロソフト社がデータセンター向けにスリーマイル島原発の再稼働を決定、日本でも柏崎刈羽原発の再稼働に向けた動きが進むなど、原発再評価の動きは世界的に広がっている。ただし、ドイツの電力事業者は再生可能エネルギーへの投資に舵を切っており、実際の再稼働には慎重な姿勢を見せている。

ドイツの「核のゴミ」を理解する4つのQ&A

「核のゴミ」はどこへ行くのか?処分場はいつ、誰が、どのように決める? ドイツの処分場選定の現状と、失敗から学んだ現在の選定プロセスをQ&Aで分かりやすく解説する。

そもそも「核のゴミ」とは?

「核のゴミ」とは、原子力発電所の運転や廃炉作業で発生する放射性廃棄物のこと。放射能レベルによって、低レベル、中レベル、高レベルに分類される。使用済み核燃料の約95%は再利用可能だが、残りの5%は再利用できず、高レベル放射性廃棄物となる。ドイツの法律では、放射性廃棄物の影響を考慮すべき期間を、地質学的な安定性に基づき100万年と定めている。

この長期間、放射性廃棄物を人間と環境から安全に隔離する方法として、国際的に地層処分が選択されている。地下数百メートルの安定した地層に埋設することで、地上での管理を永続的に続ける負担を将来世代に残さないという考え方だ。

ドイツで最終処分が必要となる高レベル放射性廃棄物の総量は合計約2万7000立方メートルになるとされている。また、原発の解体に伴う低・中レベル放射性廃棄物については、2050年までに約30万立方メートルに達する見込みだ。

ドイツの最終処分場の選定は今どこまで進んでいる?

最終処分場の選定は、一般的に3段階のプロセスで進められる。第1段階は文献調査で、既存の地質データや文献から候補地を絞り込む。第2段階は概要調査で、ボーリング調査などにより地質の概要を把握する。第3段階は精密調査で、実際に地下に坑道を掘って詳細な地質調査を行い、これらを経て処分場が決定される。各段階で地元住民への説明会や意見聴取が行われ、全てのプロセスに数十年を要する。

ドイツは現在、第1段階にある。2020年9月には、国土の54%に当たる90の区域が候補として抽出され、地下水、地震、岩盤の種類(岩塩層、粘土層、結晶質岩)などの基準に基づいて段階的な絞り込みが行われている。その後、2027年末までに地層調査を行う地域が発表される予定だ。

世界では、処分場選定が最も進んでいるのはフィンランド。2025年3月には、世界初の高レベル放射性廃棄物最終処分場「オンカロ」にて、初の封入実験に成功した。日本は、2020年11月から北海道寿都すっつ町と神恵内かもえない村で、2024年6月からは佐賀県玄海町でも文献調査が開始されている。

最終処分候補地に挙げられた地域 2020年の発表で最終処分候補地に挙げられた地域。緑と水色の地域が岩塩層、紫と赤紫の地域は粘土層、オレンジ色の地域が結晶質岩を示しており、それぞれ地質学的に処分場として検討する価値があると判断された

ドイツが過去に経験した処分場選定での「失敗」とは?

ドイツの核廃棄物処分場選定の歴史は、失敗の連続だった。最も象徴的なのがゴアレーベンだ。1977年、西ドイツ政府は東ドイツとの国境に近い村ゴアレーベンを最終処分場候補地に選定。しかし、明確な選定基準が示されず、過疎地に負担を押しつけているという不信感が広がった。数十年にわたる激しい反対運動の末、2013年に計画は白紙撤回された。

もう一つの失敗がアッセIIだ。この旧岩塩鉱山跡には1967〜1978年にかけて約12万6000本の低レベル放射性廃棄物のドラム缶が投棄された。しかし1980年代末から地下水が流入し始め、放射性物質が水に溶け出していることが判明。坑道の荒廃も進み、崩落の危険性もある。現在、核廃棄物の全量回収が試みられているが、これには莫大な時間とコストがかかるという。

ゴアレーベン処分場候補地 白紙撤回されたゴアレーベン処分場候補地。かつて調査のために掘り出された膨大な岩塩が、坑道を埋め戻すために再び地下へと戻されている

放射性廃棄物のドラム缶 1970年代に撮影された、アッセII内部に投棄された放射性廃棄物のドラム缶

現在ドイツで行われている処分場選定の方法・プロセスは?

ゴアレーベンやアッセⅡでの失敗を経て、ドイツは2013年に「場所の選定に関する法」(Standortauswahlgesetz)を制定、2017年に大幅に改正し、全く新しいアプローチで処分場選定をやり直している。最大の変更点は、白紙からの科学的選定と透明性・市民参加の徹底だ。候補地を白紙に戻し、全国を対象に地質学的に適した場所を科学的に選定する。

市民参加については、識者や環境団体に加え、無作為に抽出された一般市民が参加する社会諮問委員会(NBG)が設置された。この委員会は選定プロセスを監視し、透明性を確保する役割を担う。全国、地域レベルで公衆参加の枠組みが設定され、「市民参加の進め方そのものを参加者の議論で決める」という慎重なアプローチが取られている。

ただし、課題も残る。当初は2031年までに候補地を確定する目標だったが、連邦放射性廃棄物処分実施機関(BGE)は2022年12月、90区域からの絞り込みは2027年までかかるとし、2031年までの決定は「現実的ではない」との見解を示した。処分場選定への道のりは依然として長く険しいが、市民との対話を通じた透明性の高いプロセスこそが、失敗を経験したドイツにとって唯一の道筋なのだ。

2026年現在のNBGのメンバー 2026年現在のNBGのメンバー。識者、環境団体、無作為抽出された一般市民が処分場選定プロセスを監視することになっており、メンバーの世代もさまざま

画面越しに訪れた「核のゴミ」の在処 モルスレーベン核廃棄物処分場
オンライン見学レポート

ドイツには現在、コンラート、モルスレーベンの二つの低・中レベル用核廃棄物処分場があり、同地では情報センターでの展示のほか、市民に現場を公開している。なかでも処分場の地下見学ツアーは人気が高く、数カ月先まで予約が埋まっている。そのため今回、現地訪問は叶わなかったが、代わりに処分場の運営主体であるBGEの協力のもと、モルスレーベン処分場のオンライン見学ツアーが実現。本誌編集部3名で参加した。

モルスレーベン処分場

連邦放射性廃棄物
処分実施機関(BGE)とは?

2016年7月に設立された100%国営の有限会社で、低・中レベル核廃棄物処分場の運営、高レベル放射性廃棄物の最終処分場選定、建設、操業、閉鎖を一元的に担う実施主体。BGEの選定プロセスを監督する機関である連邦放射性廃棄物処分安全庁(BASE)と共に、国民に向けた情報提供を広く行っている。今回のオンライン見学で使用された360度バーチャルツアーは、下記ウェブサイトでも公開されている。
www.bge.de/de/morsleben/infostelle-befahrungen

オンライン見学の様子 BGEの広報担当スヴェン・ペーターセンさん(上段中央)、情報センター担当官のスヴァンテ・クラウゼンさん(上段右)、セバスティアン・フォークト施設長(中段左)、情報センター所長のカタリーナ・キーファー(下段)さんがオンラインで出迎えてくれた

塩の採掘場から旧東ドイツの処分場に

見学ツアーの冒頭、情報センター担当官のクラウゼンさんが、モルスレーベン低・中レベル用核廃棄物処分場(以下、モルスレーベン処分場)の概要を説明してくれた。ここには、約3万7000立方メートルの低・中レベル放射性廃棄物が貯蔵されている。廃棄物は主に原子力発電所の運転や廃止措置から発生したもので、フィルター、金属スクラップ、作業服、配管などだ。現在BGEは、貯蔵されている廃棄物を地下に残したまま、モルスレーベン処分場を閉鎖することを目指している。

この処分場はもともと、1897〜1969年まで稼働していたカリ塩や岩塩の採掘鉱山だった。第二次世界大戦中は、ナチスがこの鉱山を地下軍需生産の場として使用し、生産作業には主に強制収容所の囚人を従事させていた。また戦後、旧東ドイツ(DDR)政府の政策として地下での大規模な養鶏や、化学廃棄物の中間貯蔵も行われていたという。DDRが1960年代半ばに原子力発電所の運転を開始すると、1971年に処分場として承認。高レベル廃棄物は旧ソビエト連邦に返還する協定だったが、低・中レベル廃棄物は国内処分が必要だったのだ。

オンライン見学の様子 1959~1984年には、モルスレーベンの地下で照明を操作して鶏の成長を促進し、大量の食鳥が生産された

転機となったのが1991年の東西ドイツ再統一だ。処分場は連邦共和国の管轄に移り、連邦放射線防護庁(BfS)が運営者となった。本来、西ドイツの厳しい原子力法では新たな処分場設置に膨大な時間と手続きが必要だったが、再統一条約によりDDRの営業許可が連邦法に引き継がれたため、西側の電力会社は「既存施設」としてこれを利用。1994~1998年の間に大量の廃棄物が運び込まれた。現在貯蔵されている廃棄物の約60%は、この時期に搬入されたものだ。その後、環境団体による訴訟を受け、1998年にマクデブルク高等行政裁判所が一部区画への搬入停止を命令。2001年にはBfSが放射性廃棄物の追加受け入れを「不可逆的に放棄する」と発表し、閉鎖・廃止措置へと舵が切られた。

2003〜2011年にかけては、バルテンスレーベン坑の区域の安定化措置が実施された。この一帯は長年の岩塩採掘により空洞が密集しており、地盤の不安定化が懸念されていたためである。恒久的な安全性を確保するため、27カ所の採掘跡が特殊な塩コンクリートで充填された。この措置が行われなければ、岩盤の変形が進み、処分場と上部岩盤の間にある不透水性の帽岩を損傷させる恐れがあった。

2017年4月、放射性廃棄物処分の組織再編に伴い、運営責任はBfSからBGEへと引き継がれた。現在は、廃棄物を地下に封じ込めたまま安全に最終閉鎖するための認可手続きが続けられている。

編集部からの質問 1

西ドイツでは再統一前、ゴアレーベンなどの処分場選定に対して多くの抗議がありました。同じ時期、DDRでもそのような抗議があったのでしょうか? また、ドイツ再統一後はどうでしたか?

フォークト施設長:DDR時代、処分場に対する抗議は基本的にありませんでした。処分場は国境地帯にあり、この施設に入ることは、ごく少数の人にのみ許可されていました。モルスレーベンで働いていた人たちは地域住民で、彼らにとって仕事と収入があることが重要でした。

しかし、再統一後は状況が異なりました。西ドイツのほかの原子力施設で見られるような抗議運動が、モルスレーベンでも行われるようになったのです。これは処分場自体への抗議というよりも、原発とそれに関連する最終処分に対する抗議運動の一つという感じでした。現在では、地元住民による反対運動などはありません。これは、処分場が訪問者に開放されており、BGEが包括的な情報を提供していることと関係していると思います。

いざ、地下480メートルへ

その後、360度バーチャルツアーを使用し、画面を見ながらモルスレーベン処分場の現場を見ていく。まず施設の航空写真が表示された。かつての東西ドイツ国境地帯に位置するこの処分場は、厳重な管理区域に囲まれている。そこから入り口のゲートをくぐり、1層ずつ地下へと降りていく。

放射性廃棄物は、地下480メートルの第4層に位置し、西区画(1万863平方メートル)、南区画(1万119平方メートル)、東区画(6140平方メートル)など複数の区画に分けて貯蔵されている。積み重ね方式、投棄方式、液体廃棄物の現場固化など、時期や区画によって処分方法は異なる。同じ階層には放射線防護研究室が設置されており、空気、水、表面の放射能が常時監視されている。

近代的な作業場 地下420メートルの第2層は放射性廃棄物がない区域で、2016年に整備された近代的な作業場には大型クレーン、溶接場、電気作業場があり、訓練生も働いているという

地下500メートルの第4層西区域に貯蔵されている低・中レベル放射性廃棄物 地下500メートルの第4層西区域に貯蔵されている低・中レベル放射性廃棄物。実際の見学ツアーでは、専門家のみが入ることができる

編集部からの質問 2


モルスレーベン処分場で働いているのは、どのような方たちですか?

フォークト施設長:立坑施設では約200人が働いており、平均年齢は44歳です。年間3〜5人の訓練生を受け入れ、電気技師、鉱山労働者、掘削技術者を育成しています。退職による欠員を補えるよう自分たちで訓練しているのです。

しかし、現時点でそれは全く十分だとは言えません。出生率の低下とも関係しているでしょうが、興味を持つ訓練生自体の数も減少していると感じます。閉鎖には膨大な時間がかかるので、若い人に興味を持ってもらうことは非常に重要です。そのため、若い人たちにこの仕事について知ってもらえるよう、BGEとしてさまざまな取り組みを行っています。

100万年の安全を目指す閉鎖計画

モルスレーベン処分場の閉鎖計画は、1997年から認可手続きが進められているが、まだ認可は下りていない。2005年に前任のBfSが「閉鎖計画」を提出したものの、2013年に連邦処分委員会(ESK)が「長期安全性評価が最新の科学技術水準に合致していない」と指摘。以降、BGEが申請を担い、書類の改訂作業が続いている。

閉鎖コンセプトの核心は、放射性廃棄物を地質学的に安定した状態で100万年間にわたり環境から隔離すること。具体的には、①鉱山全体を塩コンクリートで充填して地層を安定化、②遮蔽構造物で廃棄物を隔離、③二つの立坑を閉鎖、という三つの措置が計画されている。

特に重要なのが塩コンクリートによる充填だ。岩塩層は時間とともにゆっくりと流れ、空洞を埋めようとする性質がある。放置すれば、長期的には塩の中に透水経路が形成され、放射性物質の移動を可能にする恐れがある。そのため、先手を打って空洞を充填する必要があるのだ。中央部ではすでに100万立方メートルの空洞が塩コンクリートで充填され、安定化作業はほぼ完了している。

認可が下りれば、2030年代に閉鎖作業が開始され、15〜20年かけて完了する見込みだ。2050年頃の完了を目指しており、閉鎖後も処分場区域の環境監視が続く。

モルスレーベン処分場の全体像 モルスレーベン処分場の全体像。赤く塗られた箇所に廃棄物が貯蔵されている。中央の緑に塗られた箇所は、安定化の実証のため塩コンクリートでの充填が行われた区域

編集部からの質問 3


数万年続くリスクを封じ込めるという途方もない仕事に、皆さんはどんな思いで従事していらっしゃるのでしょうか?

フォークト施設長:私は鉱山技師として、長年カリ塩と岩塩の鉱業に従事し、2年半前からここの施設長として働いています。この仕事には、鉱業と閉鎖技術、放射線防護、従業員と周辺住民、環境保護などの要素が複雑に絡み合っていて、やりがいがあります。

ドイツが脱原発という決断を下し、企業として、または社会として、私たちは今それに対処しなければなりません。原発施設の廃止措置からも廃棄物が依然として発生します。私たちにとって重要なのは、最終的に処分場が充填され、廃棄物が安全に封じ込められ、周辺住民と環境の保護が保証されていると言えることです。「何も起こらないことが最大の成果」であり、時に忍耐を必要とします。しかし、私と同様に、多くの同僚たちからこの仕事に対する誇りを感じています。

透明性と対話で築く関係性

見学ツアーの終盤、BGEが行っている情報公開と教育的な取り組みが中心の話題となった。モルスレーベン処分場の近くに設置された情報センターでは展示が行われ、坑内見学ツアーは特に人気が高い。専門家やジャーナリストだけでなく、地上業務を行う従業員、そして地域の学校の生徒たちも訪れる。年明けの時点で、今年はすでに5〜6クラスの申し込みがあるという。ツアーでは専用の防護服と数キロの酸素ボンベの携帯が必要なため、13歳未満は参加できないが、学校訪問プログラムやロールプレイングなど、年齢に応じた教育機会も提供している。

モルスレーベン処分場 モルスレーベン処分場の情報センターでは、処分場の歴史をはじめ、現在行われている作業、計画されている廃止措置、廃止措置の進捗状況などについて知ることができる

モルスレーベンでは住民の多くが鉱山に関わってきた歴史があり、地域と処分場は生活圏として地続きにある。だからこそ、運営側にとって透明性の確保は、円滑な管理運営のための前提条件といえる。訪れる人々の多くは好奇心旺盛に、時に鋭い質問を投げかけてくるという。

「私たちの仕事の本質は、常に透明に、そしてオープンにコミュニケーションを取ることです。教科書通りに進まないこともありますが、そのこと自体も共有することで、人々との信頼関係を維持したいのです」と、情報センター館長のキーファーさん。この場所をいかに安全に、そして社会の納得を得ながら最終的な閉鎖へと導くのか。その長いプロセスが、今日も一歩ずつ、静かに進められているのだった。

編集部の振り返り
見学ツアーを終えて

編集部・岡島
今回、現地ツアーは断念せざるを得ませんでしたが、そんななかご提案いただいたオンライン見学ツアー、実はBGEの方々にとってもメディア向けに行うのは初挑戦だったそうです。核廃棄物処分場は、立地的にも心理的にも、私たちの生活から遠く離れたもののように感じますが、実際にそこで毎日働いている人たちの仕事に対する思いを直接インタビューできたのは貴重な経験でした。でもやっぱり、オンラインと実際にその空間に行くのでは違います。何カ月待つことになっても、現地ツアーに参加したいと思います!

編集部・沖島
プロジェクトに関わる人々は、周辺の町や村で暮らしながら働いており、仕事への誇りと強い責任感が自然と伝わってきました。ここで進められている取り組みは、現時点で得られる知見と技術をもとに、取り得る最善の選択を一つひとつ積み重ね、その結果を引き受け続ける姿勢に支えられています。だからこそ、この長いプロセスは成り立っているのだと感じます。日本を含むほかの国々においても、知る機会と対話の場を広げ、問題を未来へ先送りするのではなく、社会として選択肢を探り続けることの重要性をあらためて考えさせられました。

編集部・土井
バーチャルとはいえ、SF映画のワンシーンを見ているようでした。でもこれは現実。実際に足を運んで、その「現実」と向き合わねばと思いました。ドイツは脱原発を実現しましたが、自分も原子力発電による電気を使っていた事実を消すことはできません。今回BGEの方たちと画面越しに会い、脱原発後も核の現場で働く人々がいることを忘れてはいけないと強く感じました。そして、ドイツも日本も高レベル放射性廃棄物の最終処分場が決まっていないことは、途方もなく大きな課題です。一市民として関心を持ち続けることは、決してやめてはいけないことだと、あらためて気づく機会になりました。

最終更新 Dienstag, 10 März 2026 16:34
 

MUSEUM GUIDE
in Düsseldorf デュッセルドルフのおすすめミュージアム8選

ドイツ最大の日本人コミュニティが暮らすデュッセルドルフ。ビジネス都市としての顔を持つ一方で、この街は現代アートの中心地として国際的に知られている。1773年創設の美術アカデミーからは、ヨーゼフ・ボイスやゲルハルト・リヒターなど世界的アーティストを輩出。街には現代美術館から歴史博物館、映画博物館まで多彩なミュージアムが点在し、年間を通じてアートイベントが開催されている。芸術都市としてのデュッセルドルフの魅力を、ミュージアムとイベントからひもといていこう。(文:英国・ドイツニュースダイジェスト編集部)

お得なカード

アート・カード Art:card

デュッセルドルフ市内、および近郊のノイスやヴッパータールの指定された美術館や博物館などに無料で入場できる年間パス。デュッセルドルフ観光案内所や美術館、博物館、特定の劇場で購入可能。
www.duesseldorf.de/kulturamt/kultur-duesseldorf/artcard

州立美術館 K20/ K21 K20 / K21 Kunstsammlung Nordrhein-Westfalen

K20 K20

20世紀の絵画を所蔵する「K20」と、1980年以降の国際現代アートの作品を中心に展示を行う「K21」は、特に人気の高い美術館。K20の常設展は20の展示室に200点以上の作品を展示。K21は1988年まで州議会議事堂だった建物を改装し、最上階まで吹き抜けとなったガラスのドームは圧巻だ。毎月第1水曜の18~22時に入場が無料になる「Open House」(オープンハウス)が開催され、毎回多くの人でにぎわっている。K20は美術書やユニークな雑貨が手に入るミュージアムショップ、K21はキューバ出身の芸術家ホルヘ・パルドがデザインしたカフェ「Pardo's」がおすすめ。

K20 Grabbeplatz 5, 40213
K21 Ständehausstr. 1, 40217
www.kunstsammlung.de

K21 K21

K21 K21

クンストハレ・デュッセルドルフ Kunsthalle Düsseldorf

Kunsthalle Düsseldorf

1967年に建てられた、コンクリートの立方体のような建築が印象的なクンストハレ。コレクションを持たず、「知的な芸術実験のための公共の場」としてさまざまな企画展を実施してきた。一方、屋外には常設作品があり、その一つがデュッセルドルフが生んだ巨匠ヨーゼフ・ボイスによる「煙突パイプ」。2026年第2四半期から改修工事に入る予定で、最大3年間は移動型のアートギャラリーとして活動する計画だ。2023年からクンストハレ主催で始まったアートブックフェア「Between Books」は毎年人気で、今年は9月25日(金)~27日(日)にデュッセルドルフ芸術専門大学Peter Behrens School of Artsで開催予定。

Grabbeplatz 4, 40213
www.kunsthalle-duesseldorf.de

クンストパラスト美術館 Kunstpalast

Kunstpalast

2023年に常設展が全面リニューアルしたクンストパラストは、古代から現代、傑作から日用品に至るまで、さまざまな芸術品およそ800点が展示されている。また、子ども向けに四つの小さな展示室が設置されているので、ぜひ探してみて。館内には1960~70年代にかけて音楽とアートのホットスポットだった伝説のクラブ「クリームチーズ」の内装がそのまま再現されており、毎週土曜の18~翌1時までバーとしてオープン。毎月第1木曜の18~21時は常設展が無料になる。別館のNRW フォーラム(NRW-Forum)では、写真やポップカルチャー、デジタルアートを扱っており、また一味違うアートを楽しむことができる。

Ehrenhof 4-5, 40479
www.kunstpalast.de

KIT KIT – Kunst im Tunnel

KIT – Kunst im Tunnel

2007年にオープンしたライン川の遊歩道の真下に存在するアート空間。その名の通り、1993年に開通したライン河畔トンネルの建設の際に残った空間がアートスペースとして活用されている。コンクリートに囲まれた地下空間は、端に行くほど天井が低くなっていたり先細りしていたり、トンネルの名残が感じられ、建築好きの人にもおすすめしたい。毎年およそ四つの企画展が開催され、彫刻、絵画、写真、映像、インスタレーションなど幅広いジャンルの若手アーティストを重点的に取り上げている。地上部分はカフェバーになっているので、鑑賞後や散歩の途中に立ち寄るのも◎。

Mannesmannufer 1b, 40213
www.kunst-im-tunnel.de

デュッセルドルフ市立博物館 Stadtmuseum Düsseldorf

Stadtmuseum Düsseldorf

1874年設立のデュッセルドルフ市立博物館は、かつてシュペー伯爵の宮殿だった建物を使用している。1288年の都市創設から、選帝侯時代の文化の中心地としての発展、19世紀の経済大都市への成長、戦後の州都としての歩みまで、デュッセルドルフの歴史を幅広く展示。ヴァイマール共和国時代およびナチス政権下にデュッセルドルフで活動した芸術家たちのコレクションも充実している。

Berger Allee 2, 40213
www.duesseldorf.de/stadtmuseum

デュッセルドルフ映画博物館 Filmmuseum Düsseldorf

Filmmuseum Düsseldorf

1993年に開館した本館は、2200平方メートルの空間で映画の歴史を体験できる施設。1880年代のカメラ・オブスキュラから現代までの映写機やカメラ、セットの模型などが展示されている。チャップリンや黒澤明など名監督の紹介や映画衣装の展示をはじめ、模擬撮影スタジオなども見どころ。毎週日曜日は入場無料!また、館内の映画館「Black Box」では、無声映画や世界各地の映画の上映のほか、毎年1月には「Eyes on Japan 日本映画週間」も開催される。

Schulstraße 4, 40213
www.duesseldorf.de/filmmuseum

海事博物館 SchifffahrtMuseum im Schlossturm

SchifffahrtMuseum im Schlossturm

ライン川沿いの城塔内にある海事博物館では、ライン川に関する最古級のコレクションを展示している。7階建ての館内では、造船、貿易、旅行、川沿いの生活を昔と今で比較しながら紹介。展示テーマも、治水工事前後のライン川の変化から、丸木舟から蒸気船までの造船の発展、デュッセルドルフ港湾施設の歴史など多岐にわたる。塔の頂上にあるミュージアムカフェ「ランタン」では、ライン川と旧市街の360度パノラマビューを楽しめる。

Marktplatz 2, 40213
www.schifffahrtmuseum.de

ベンラート城 Stiftung Schloss und Park Benrath

Stiftung Schloss und Park Benrath

デュッセルドルフ南部に位置する、後期バロック様式の城。18世紀末に選帝侯カール・テオドールの離宮として建設され、ピンク色の外観と美しい庭園が特徴。城内見学ツアーでは、あざやかな天井画やシャンデリア、豪華なフランス家具や陶器などの調度品を見ることができる。毎年8月には庭園で野外コンサート「光の祭典」(Lichterfest)、クリスマスシーズンにはお城の前でクリスマスマーケットが開催される。

Benrather Schloßallee 100-106, 40597
www.schloss-benrath.de


おすすめのアートイベント

Art:walk Festival 2026

6月13日(土)・14日(日)に初開催される新しい文化イベント。従来の「Nacht der Museen」を大幅に拡大し、50以上の文化施設が参加する。13日(土)は16〜24時まで美術館や博物館が開館し、K20/K21、クンストパラスト、NRWフォーラムをはじめとするさまざまな美術館・博物館を巡ることができる。14日(日)は12〜17時まで、劇場やコンサートホールが中心となり、ライン・ドイツオペラ、トーンハレ、市立劇場D’ hausなどが舞台裏公開や野外パフォーマンスを実施。チケット(大人25ユーロ)も発売中!
www.visitduesseldorf.de/erleben/veranstaltungen/art-walk-festival-202

Rundgang

1773年に設立されたデュッセルドルフ美術アカデミーは、ドイツを代表する美術教育機関で、ヨーゼフ・ボイスやゲルハルト・リヒターなど、現代アートを牽引する数多くの芸術家や芸術運動を輩出してきたことで国際的に知られている。毎年2月と7月に開催される学生作品展「ルンドガング」(Rundgang)は、アカデミーの全館が一般公開される一大イベント。次世代のアーティストの生の創作現場に触れられる貴重な機会として、デュッセルドルフ市民をはじめ、美術関係者やコレクターも注目する。入場無料。
https://kunstakademie-duesseldorf.de

Kunstpunkte

毎年8~9月の週末に開催されている「Kunstpunkte」(アートポイント)は、街中で一斉に行われるオープンアトリエ。絵画、彫刻、写真、ビデオアート、インスタレーションなど、さまざまな分野の芸術家400名以上が自らのアトリエやギャラリーを一般公開し、参加アーティストにはデュッセルドルフを拠点とする日本人作家も数多く含まれる。期間中は地区ごとにテーマを設けたガイドツアーも開催されるが、地図を片手に街を散策しながら気になるアトリエにふらりと立ち寄るのも面白い。
www.kunstpunkte.de

最終更新 Dienstag, 17 Februar 2026 11:48
 

ドイツとチョコレートの甘い関係

年間1人当たり9キロのチョコを食べる⁉ ドイツとチョコレートの
甘い関係

カフェのコーヒーカップに添えられた一口サイズのチョコレート、手土産でもらったプラリネ、季節ごとに新作が並ぶスーパーのチョココーナー……。ドイツに暮らしていると、チョコレートから逃れるのは至難の業だ。なんてったって、ここドイツは年間1人当たり約9キロチョコを消費し、チョコの輸出量世界一を誇るチョコレート大国。今月はバレンタインデーということで、そんなドイツの人々の「チョコ愛」を探り、厳選したドイツチョコをご紹介! (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:本誌1139号「チョコレート大国ドイツの愛とおいしさの秘密」

ドイツ人とチョコの愛の物語

ドイツ人とチョコの愛の物語

中南米からドイツへの長い旅路

チョコレートの歴史の始まりは中南米。紀元前に繁栄したオルメカ文明にはチョコレートの原料である「カカオ」に似た言葉があり、最初にカカオを利用したといわれている。その後、マヤ文明(4〜9世紀)ではカカオの栽培を開始し、上流階級の間で飲料として重宝された。またカカオは貨幣や神への捧げものとしての役割も果たしていたという。

16世紀初頭、アステカ王国(14〜16世紀)はスペイン軍の征服によって植民地となった。その後、スペイン人たちがカカオ飲料(チョコレート)に砂糖を入れて飲むようになり、欧州にチョコレートが到来。16世紀末には薬用効果もある高級品として、欧州各地の特権階級や聖職者の間で広まり、需要が高まったことで植民地でのカカオ生産が始まった。

産業革命によって大量生産が可能になると、安価なチョコレートが出回るようになり、1847年には英国で初めて固形チョコレートが生産された。その後、1875年にスイスでミルクチョコレートが誕生すると、ドイツでもミルクチョコレートの生産が盛んに。今日にも残るチョコレートメーカーが誕生したのもちょうどこの頃からで、ドイツの一般市民たちもチョコレートを楽しめるようになった。

戦争を経てチョコレート輸出大国に成長

第二次世界大戦中、ドイツではチョコレートのほとんどは軍向けに生産されていた。そのため、終戦後に米国の慈善団体から寄付されたチョコレートが、初めてのチョコレートだったという子どもも少なくなかったという。しかし、戦後復興のなかでドイツのチョコレート生産は再び息を吹き返す。

現在ドイツは、チョコレートの輸出量で世界一を誇り、全体の16.7%を占めている。こうした背景には、戦後にチョコレートを生産し続けてきたドイツの中小企業による地道な努力があるという。人はチョコレートを食べると幸せな気持ちになるとよくいわれるが、チョコレート生産大国の国民がチョコ好きというのは、当たり前のことなのかもしれない。

フェアトレードでカカオ農家に愛を

チョコレート生産でたびたび話題に上がるのが、児童労働問題や森林破壊などの環境問題。ドイツには、農家と公正な取引を行うフェアトレードや環境にも人にも優しい有機栽培に取り組む企業が多数存在する。さらに近年では大手メーカーもそういった問題に積極的な姿勢をみせている。

実際、ドイツ国内で販売されている菓子において、持続可能な方法で栽培されたカカオを使用しているものの割合は、2011年の3%から2024年には86%となり、年々上昇している。一方、欧州ではフェアトレード認証チョコレートが市場全体の約12%を占めるまでに成長しているものの、世界全体で見ると公正に取引されるカカオのシェアは5%未満にとどまっている。

また、フェアトレード認証といっても、一部の製品に条件を満たした原料を使用しているだけなのか、児童労働を禁ずるような100%フェアな製品なのかなど、マークの種類によって幅があることも問題になっている。

とはいえ、ドイツのように大手メーカーもフェアトレードについて積極的という国は、そう多くはないのが現状だ。世界のカカオ生産量の10%以上をドイツが輸入しているため、チョコレートを愛する国としてこのような公正な取引を行うことはある意味で「使命」。誰もが笑顔でチョコレートを食べられるように、ドイツは世界をリードしていくべきだろう。

参考:日本チョコレート・ココア協会ホームページ、CHOCION ホームページ、OroVerde – Die Tropenwaldstiftung ホームページ、WELTEXPORTE「Die international größten Exportländer von Schokolade」

ドイツ人は年間約9キロのチョコレートを消費!

欧州における年間1人当たりのチョコレート製品消費量

ドイツ人はチョコレートに年間100ユーロ以上費やす

ドイツにおけるチョコレートの推定売上高

ドイツで人気のチョコは「ミルクチョコレート」

1位:ミルクチョコレート
18〜24歳の若年層、および45〜54歳層で支持が高い

2位:ビターチョコレート
高年齢層に特に人気で、ビターチョコ愛好者の約49%が55歳以上

3位:ホワイトチョコレート
35 〜44 歳(子育て世代や働き盛りの家族層)で特に好まれている

人気メーカーから高級老舗までドイツのチョコレート&プラリネ
食べ比べてみた!

本特集のため、本誌と姉妹誌JAPANDIGESTのスタッフが、ドイツ各地の9社のメーカーのチョコレート&プラリネ(一口サイズのチョコ)の食べ比べ調査を実施!今回は、①売上トップ3の定番&新作チョコ、②最新商品テストのトップ3チョコ、③老舗チョコレート店のプラリネの三つのカテゴリに分けて試食。それぞれのブランドヒストリーとともに、スタッフのコメントも参考にしてみて!

ドイツのお菓子業界を代表する チョコレートブランド TOP 3

1 Lotus Biscoff®とのコラボ商品 Milka ミルカ Milka Extra Lotus Biscoff 190g
www.milka.de

Milka Extra Lotus Biscoff

ウシのイラストと紫色の包み紙に入ったミルカは、ドイツで人気ナンバーワンを誇るチョコレート。1826年にスイスでフィリップ・スシャールがココアの生産を始めたのがその起源で、1901年にミルクチョコレートが「ミルカ」として商品登録された。発売当初から、現在もお馴染みの紫色の包み紙が使われていたそう。100% アルペンミルクを使用し、代々受け継がれるオリジナルレシピで作られたチョコレートは、舌触りの良い繊細な味わいが特徴だ。

コメント

ロータス好きには絶対におすすめ!/ロータスのザクザク感も加わって、とんでもなく甘いけどおいしい/砕かれたロータスとチョコレートがよくなじんでいる。ガツンとした甘さで一粒の満足感が高い/ザクザク感が良いけど、自分的には甘すぎて口の中に残りすぎるかも

2 キンダーの人気チョコを詰め合わせた 「Kinder Happy Moments」 Kinder キンダー Kinder Happy Moments 161g
www.kinder.com

Kinder Happy Moments

キンダーの故郷はなんとイタリア。数々のヒット商品を生み出してきたフェレロ社のブランドとして1968年に誕生し、初の海外進出先としてドイツで成功を収めた。日本では、卵型のチョコレートの中からおもちゃが出てくる「キンダーサプライズ」(Kinder Überraschung)が知られているが、イースターの卵から着想を得たのだとか。チョコレートからアイスクリームまで、さまざまな商品ですっかりドイツの味として親しまれている。

コメント

「Kinder Riegel」と「Kinder Schokobons」は子ども時代を思い出す味/懐かしいミルクチョコの味/「KinderRiegel」が甘すぎる……という人に「Dark & Mild」を試してもらいたい/疲れた心に甘い活力をチャージできるのがKinder

3 直近の新フレーバーから「Crispy CHOCO」 Ritter Sport リッタースポーツ Crispy CHOCO 100g
www.ritter-sport.de

Crispy CHOCO

正方形のフォーマットがトレードマークのリッタースポーツ。1912年にシュトゥットガルトでリッター夫妻がチョコレートの生産を始め、戦前の1932年にこの珍しいフォーマットの板チョコが誕生した。常時20種類以上の味が販売されているが、消費者のアイデアも取り入れながら毎年新しいフレーバーが開発され、世に送り出される。また2018年以降は、100%持続可能な方法で生産されたカカオを使用していることを公表している。

コメント

機能美あふれる正方形の中に、フレーバーが凝縮されている非常に満足感の高い食感/チョコレートとクリスプの香ばしさが良いタッグ。甘すぎずさっぱりめ/コーンの香りがふわっとして、意外性があっておいしかった/思った以上に結構香ばしいコーンの味。チョコよりもコーンの味が勝る

Stiftung Warentest からピックアップ! お墨付きミルクチョコレート TOP 3

2025年12月にStiftung Warentestが発表したミルクチョコレートの商品テストから、ドイツメーカーの商品トップ3をご紹介する。

Stiftung Warentest
Stiftung Warentestとは?

消費者に代わってさまざまな商品やサービスをテストしてランク付けする独立した機関で、ドイツ版「暮しの手帖」ともいえる。ここで「良い品質」とお墨付きを得れば、売れ行きは保証されること間違いなし。
www.test.de

1 Lauensteiner Tafelschokolade
Edel-Vollmilch ラウエンシュタイン・タブレットチョコレート・リッチミルク
Lauensteiner Tafelschokolade Edel-Vollmilch
5.95€/80g (2×40g) www.lauensteiner.de

Lauensteiner
Tafelschokolade Edel-Vollmilch

60年の歴史を持つラウエンシュタインは、バイエルン州ルートヴィヒスシュタットを拠点とするチョコレートメーカー。今回の商品テストで見事トップを飾ったのは、同社のカカオ含有量45%のタブレット型ミルクチョコレート。力強い香り、カカオのわずかな酸味、フルーティーさが調和し、多面的な味が評価された。同じタブレットチョコのシリーズでは、ほかにもローズマリー・ライム・ペッパーやジン・レモンなどもあり、革新的なチョコにも定評がある。

コメント

カカオの香りとミルクのコクが絶妙な比率で溶け合い、決して甘すぎることのない品位を感じさせる/薄く作れているのに、風味がしっかりと感じられる

2 REWE Bio Edelvollmilch-Schokolade REWE ビオ・リッチミルクチョコレート
REWE Bio Edelvollmilch-Schokolade
2.19€/100g
www.rewe.de

REWE Bio Edelvollmilch-Schokolade

ラウエンシュタインと同じく「sehr gut」を獲得したのは、ケルン発の大手スーパーREWEによるビオ(オーガニック)のリッチミルクチョコレート。カカオ含有量は37%で、全体的に香り高く、ほんのりバニラと香ばしさが感じられる点が評価された。お手頃価格で上質なカカオを使ったチョコレートを味わいたい人におすすめしたい。

コメント

心地よい甘さでココアの風味あり。毎日食べるのにぴったり/甘味の強いミルクチョコレート。ホットチョコにも合いそう/砂糖が舌に残る感じがなくおいしい

3 Alnatura Vollmilchschokolade アルナトゥーラ ミルクチョコレート
Alnatura Vollmilchschokolade
2.29€/100g
www.alnatura.de

Alnatura Vollmilchschokolade

国内70都市に展開するビオスーパーAlnaturaの自社ブランドのミルクチョコレートが、ドイツメーカーとしては3位の座に。ほんのりと渋み、キャラメル感、ココアの酸味が感じられる点で評価され、gutを獲得した。コーヒーのお供にちょうどいい12.5gのミニサイズも。ほかにも、ダークナッツ、ビターオレンジ、エスプレッソなど10種類以上がそろう。

コメント

ミルク感強め。チョコはなめらかでおいしい/チョコレート特有のビターな風味/素材の個性が光る一枚。噛むほどに深い余韻が広がる

特別な人、特別な日に贈りたい老舗チョコレート店のプラリネ

Elly Seidl
エリー・ザイドル Pralinenmischung München-Serie Föhnlage
(weiße und Vollmilch-Pralinen)
€88.00/600g
https://ellyseidl.de

Elly Seidl 宝石箱のようなプラリネの詰め合わせ

エリー・ザイドルは1918年にミュンヘンにオープンしたチョコレート工房。当時のビジネスは男性中心だったことから、創立者のバーバラ・グラートヴォールは女性経営者としてセンセーショナルを巻き起こしたそう。店名は娘のエリーにちなんで付けられ、その後エリーが事業を引き継いだ。現在は120種類以上のプラリネを展開し、季節限定プラリネや新製品の開発に積極的だ。

コメント

凝ったフレーバーがたくさんあるため、誰しもが自分のお気に入りを見つけられるはず/珍しい素材を使った実験的なチョコも/見た目だけでなく、中の層もちゃんと設計されたチョコ。説明書と一緒に確認しながら食べるのが楽しい/一粒で一つの物語を完結させる。圧倒的な幸福感に満ちる

Rausch
ラウシュ Alkoholfreie Pralinen
19.90€/150g
www.rausch.de

Rausch ノンアルコールプラリネの12個セット

家族経営のパティスリーとして1890年に創業し、1918年にベルリンの高級菓子店として本格的にスタートした。1920年代に開発されたクラシックなプラリネのレシピはラウシュ家によって大切に保管され、今日に至るまでショコラティエたちが愛情を込めて作っている。ベルリンのミッテ地区にあるチョコレートハウスでは、ケーキやアイスクリームなども楽しめる。

コメント

見た目がまずとにかく美しくて、選ぶのが楽しい/一つ一つが繊細な味で、ゆっくり楽しめる/箱がおしゃれで高級感があるためプレゼントにも最適。さまざまな種類があるのでジャケ買いもいいかもしれない/本店のカフェで食べられるチョコレートをベースにした濃厚なケーキもおすすめ

Heinemann
ハイネマン Trüffel mit Champagne
27.50€/220g
www.konditorei-heinemann.de

Heinemann ハイネマン 看板商品のシャンパントリュフ

鮮やかな緑色のパッケージでおなじみのデュッセルドルフのコンディトライ。1932年の創業以来、「最高品質と鮮度」を理念に掲げてお菓子作りを続けている。名物のシャンパントリュフをはじめとするプラリネやケーキは地元の人に愛されるのみならず、欧州で高い評価を得ている。デュッセルドルフ在住の日本人の間では定番の帰省土産にもなっている。

コメント

シャンパントリュフといえばこの味!/しっかりとお酒の味が楽しめ、食べることのできるシャンパングラスのような一粒/おいしい。苦い。上品/噛んだ瞬間にブワッと広がるシャンパンの味/後半にかけてシャンパンのすっきりとした余韻が残るので一粒だけでも大満足

チョコレート好きが訪れたい ドイツの甘い名所

巨大ファウンテンのある博物館から、ドイツ最古メーカーの体験施設、オリジナル板チョコ作りができるショコラワールドまで、チョコレート好きなら一度は行きたいドイツの甘い名所を厳選。見て・学んで・味わえるスポットに行ってみよう。

チョコレートの名所

Chocoversum
チョコヴァーズム Meßberg 1, 20095 Hamburg
www.chocoversum.de

チョコレートの名所

ブレーメン発の老舗チョコレートメーカーであるHACHEZ(ハシェ)が運営するミュージアム。2016年のリニューアルによりインタラクティブな展示へと生まれ変わり、毎年20万人以上のチョコ愛好家が訪れる。巨大なチョコレートファウンテンから始まり、カカオの起源や持続可能性について学べるほか、人気のワークショップではオリジナルの板チョコを作ることができる。ミュージアムショップでは、当館オリジナルチョコ、チョコレートビールやチョコレートティーなどの珍しいドリンク、カカオを使ったコスメまで、あらゆるチョコグッズを販売!

Halloren Schokoladenerlebniswelt
ハローレン・チョコレート体験世界 Delitzscher Str. 70, 06112 Halle (Saale)
www.halloren.de

ハローレン・チョコレート体験世界

1804年創業、ドイツ最古のチョコレートメーカーとして知られるハローレン。その長い歴史と職人の精神を、楽しみながら体感できるのが「ハローレン・チョコレート体験世界」である。館内では、チョコレートの製造工程を間近に眺めることができ、伝統的なレシピと現代的な技術が交差する現場の空気を感じられる。併設のチョコレート・ギャラリーには、精巧で遊び心あふれるチョコアートが並び、思わず足を止めて見入ってしまう。実際にチョコレート作りに挑戦できるワークショップも外せない体験の一つ。

Schokoladenmuseum Köln
ケルン・チョコレート博物館 Am Schokoladenmuseum 1a, 50678 Köln
www.schokoladenmuseum.de

ケルン・チョコレート博物館

ライン川沿いに佇むチョコレート博物館は、香りと甘さに包まれながら、チョコレートの世界を五感で楽しめるスポット。展示やガイドツアー、試食体験を通して、「知る・感じる・味わう」が自然につながる構成も魅力だ。なかでも圧巻なのが、高さ約3メートルから約200キロものチョコレートがとろりと流れ落ちる名物のチョコレートファウンテン。館内では、ガラス越しに製造ラインやチョコレート工房を見学でき、カカオ豆が一枚のチョコレートになるまでの工程を間近で追体験できる。

Ritter Sport Bunte Schokowelt Waldenbuch
リッタースポーツ・チョコレートワールド Alfred-Ritter-Straße 27, 71111 Waldenbuch
www.ritter-sport.com

リッタースポーツ・チョコレートワールド

リッタースポーツ(p10)の世界観を体験型で楽しめる施設。最大の魅力は、オリジナルの板チョコを作れるワークショップで、子どもから大人まで幅広い層に人気だ。体験を通じて、カカオの特性や品質へのこだわり、さらにはサステナビリティへの取り組みについても学ぶことができる。併設の展示スペースでは、100年以上にわたるブランドの歩みをたどりながら、カカオ栽培から製品化に至るまでのプロセスを分かりやすく紹介。併設ショップには、限定フレーバーや特別商品があるので、お見逃しなく。

ドイツでもバレンタインデーはチョコが人気?

バレンタインデー

日本のバレンタインデーでは、女性が思いを寄せる男性にチョコ レートを贈る……という伝統(?)があったが、近年は職場の男性な どに贈る「義理チョコ」をはじめ、友人同士で贈り合う「友チョコ」、自分へのご褒美として「マイチョコ」、男性が女性に贈る「逆チョコ」などなど、そのバリエーションは時代と共に増え続けている 。では、ドイツではバレンタインデーをどのように過ごすのだろうか?

そもそも2月14日は、3世紀のローマで恋人たちの守護聖人である聖バレンタインが斬首された日。その後、15世紀の英国で2月14日にカップルがお互いに小さなプレゼントや詩を贈り合ったことが、今日のバレンタインデーにおける贈り物文化の始まりとされている。その文化がドイツにもたらされたのは、1950年のこと。ニュルンベルクでバレンタイン舞踏会が開催され、恋人同士のみならず、家族や友人同士でも贈り物を交換したのだそう。そして、西ドイツの経済発展とともに贈り物をする人たちが増えていったという。

ドイツでは今もなお、バレンタインデーはカップルが贈り物をする日として認識されているが、同時にバレンタインデーがあまり重要視されなくなってきた傾向も。IPPEN.MEDIAが2025年1月に実施したアンケート調査によると、バレンタインデーに贈り物をすると答えた人はわずか28%で、27%は未定、45%はプレゼントしないと回答した。その背景には、昨今の節約志向の影響もありそうだ。

同調査によると、バレンタインデーで一番人気のプレゼントは花(40%)。次いでチョコレート・プラリネ(26%)がランクインしている。さらに、香水・化粧品(22%)、食事やアクティビティ(20%)、手作りの品(9%)、アクセサリー・洋服(8%)と続く。もしパートナーへの贈り物に迷っていたら、やはりチョコレートを贈るのが無難なのかもしれない。もちろん相手を思う気持ちも忘れずに!

参考:Pepper「Umfrage zum Valentinstag: 15 Fragen, 15 Antworten」、Statista「VALENTINSTAG Die schlimmsten Geschenke zum Valentinstag」

チョコレートがぜいたく品になる?

カカオ豆

ドイツ連邦統計局によると、2025年10月時点のチョコレート製 品の価格は、前年同月比で21.8%上昇した。なかでも板チョコは 30.7%と突出した値上がりを見せ、プラリネも22.1%高となっている。これに対し、同時期の消費者物価全体の上昇率は2.3%、食品全体でも1.3%にとどまっており、チョコレートの価格上昇がいかに例外的であるかが分かる。

こうした急騰の背景には、原材料価格の大幅な上昇がある。統計局によれば、砂糖の生産者価格は2020年比で2倍超に達し、カカオ豆も世界市場で一時、過去に例を見ない高値を記録した。西アフリカでの不作に加え、国際市場における投機的取引が価格を押し上げたことが主因とされる。

問題となるのは、原材料価格が下落に転じた後も店頭価格が下がっていない点である。砂糖の生産者価格は2024年秋以降に下落し、2025年6月には前年同月比で40.2%のマイナスとなった。カカオ豆の輸入価格も、2025年9月時点で前年同月比4.0%低下している。それにもかかわらず、チョコレートの小売価格は高止まりしたままだ。

もちろん、エネルギー費や人件費、物流費の上昇が続いている現実は無視できない。特に小規模なショコラトリーにとっては、コスト増は経営の存続を左右する深刻な問題である。手仕事によるチョコレートと、大量生産の工業製品とでは、同じ「値上げ」であっても、その意味合いは大きく異なる。

それでもなお、ドイツ人のチョコレート愛が簡単に揺らぐ気配はない。消費者は購入量を抑えたり、セール時期を狙ったりと工夫を重ねながら、日常の甘い習慣を守ろうとしている。専門家は、価格を比較する際には必ず100グラム当たりの表示を確認すること、そして需要が落ち込みやすい時期の割引を賢く活用することが重要だと指摘している。

最終更新 Montag, 09 Februar 2026 15:43
 

生誕270周年記念 モーツァルトと欧州の旅

子どものおもちゃや学校の授業、CMや電話の保留音に至るまで、クラシックファンでなくてもモーツァルトの音楽を耳にする機会は多いだろう。そんな身近で偉大な作曲家モーツァルトが生まれてから、今年で270周年になる。オーストリアの作曲家として知られるが、実はその人生の多くを旅に費やしたモーツァルト。東はプラハ、西はロンドンまで欧州中を旅したモーツァルトの軌跡をたどりながら、彼の人生や作品の魅力に迫る。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

Dチケット

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
Wolfgang Amadeus Mozart
(1756-1791)

モーツァルトってどんな人?

参考:planet wissen「Persönlichkeiten: Wolfgang Amadeus Mozart」「Wolfgang Amadeus Mozart: Wurde Mozart ermordet?」

1. 「神童」として人々を魅了

1756年1月27日、ザルツブルクに生まれたモーツァルト。宮廷ヴァイオリニストだった父レオポルトの影響で、生まれたときから音楽に囲まれて育ち、4歳でピアノを弾き始め、5歳で初めて作曲したといわれている。そんなモーツァルトの才能を見抜いたレオポルトは、6歳のモーツァルトと11歳の娘ナンネルを連れて演奏旅行へと旅立つ。ピアノとヴァイオリンの並外れた演奏技術だけでなく、親しみやすい性格でも人々を魅了し、まさに「神童」としてもてはやされたのだった。

2. 嫉妬されるほどの天才作曲家

11歳になると、初のオペラを作曲。しかし、モーツァルトはほかの作曲家たちからは脅威とみなされ、作曲家として地位を築くのに苦労する。なかには、モーツァルトの作品をわざと下手に演奏して評価を下げた演奏家もいたという。そんなモーツァルトが広く認められるようになったのは、1781年にミュンヘンで初演されたオペラ「イドメネオ」の成功だった。モーツァルトの作品は複雑ながらも、キャッチーなメロディーが巧みに取り入れられ、今日もなお唯一無二の天才作曲家として知られている。

3. フリーランス音楽家のパイオニア

モーツァルトが生きた時代は、宮廷音楽家になることは地位と収入を安定させると同時に、芸術的な自由が制限されることを意味していた。ザルツブルク大司教の宮廷音楽家だったモーツァルトもその限界を感じていたようだ。1781年に宮廷音楽家を辞職してウィーンへ移り、演奏活動や作曲、ピアノの指導を行い、当時としては珍しいフリーランス音楽家となった。権威に固執しなかった彼は、自身の成功については滅多に語らなかったが、音楽愛好家のための仕事となると非常に情熱的だったと伝えられている。

4. 毒殺説も? 35年の短い生涯

1791年12月5日午前1時、ウィーンの自宅で家族と主治医に見守られながら、モーツァルトは35年の生涯に幕を閉じた。今日の研究では死因はリウマチ熱だと推定されているが、死の直後に毒殺の噂も広まっていた。実際に作曲家サリエリが晩年にモーツァルトを毒殺したと告白しており(医学的には否定されている)、このエピソードは映画「アマデウス」にも描かれている。モーツァルトが生涯で作曲した作品はおよそ1060曲だといわれているが、その一部は現在も見つかっていないという。

ゆかりのスポットをめぐるモーツァルトが旅した欧州の都市

モーツァルトはその生涯で計17回の旅に出ており、人生のおよそ3分の1(10年2カ月2日間)を馬車の中で過ごしたといわれる。200以上の都市を訪れたというモーツァルトだが、なかでも彼の人生にとって重要な場所や転機を迎えた場所など、八つの都市をゆかりのスポットと共にご紹介する。

参考:Europäische Mozart Wege、Internationale Stiftung Mozarteum、各都市の公式ホームページ

旅行をしなければ(少なくとも芸術や科学の分野では)、
人は惨めな生き物である。

Ohne Reisen (weni gstens L eute von K ünsten und Wissenschaften)
ist man wohl ein armseli ges Geschöpf!
― モーツァルトの手紙より

モーツアルトの旅

1 モーツァルトの生まれ故郷 ザルツブルク Salzburg

ザルツブルク

旧市街がユネスコ世界遺産に登録されているオーストリアのザルツブルクは、モーツァルトの生誕地。彼が幼少期に初めて作曲をしたのも、11歳でラテン語劇「アポロとヒュアキントス」を制作したのもこの街だった。演奏旅行で不在期間が長かったものの、生涯で作曲した作品の約半分がこの地で生まれたといわれる。青年期からは宮廷音楽家としてザルツブルク大司教に仕えていたが、大司教との確執により25歳の時にこの街を去り、ウィーンに移った。1880年にはザルツブルク市民によって「モーツァルテウム財団」が設立され、モーツァルトの研究やモーツァルト・ウィークを開催するなど、現在も活動を続けている。

ゆかりのスポット

モーツァルトの生家
Mozarts Geburtshaus

ザルツブルク

モーツァルトが生まれてから17年間を過ごした生家は、世界中からのファンが訪れる博物館となっている。18世紀の生活を再現した館内では、手紙や思い出の品、肖像画のほか、モーツァルトが幼少期に愛用していたヴァイオリンやクラヴィコードを見ることができる。

Getreidegasse 9, A-5020 Salzburg
https://mozarteum.at

2 グランドツアーへ出発 ミュンヘン München

ミュンヘン

ミュンヘンはモーツァルトが人生初の旅行で訪れた都市であり、姉のナンネルと共にバイエルン選帝侯マクシミリアン・ヨーゼフ3世のために演奏した。その後、モーツァルト一家は3年半にわたる演奏旅行「グランドツアー」で欧州各地を訪れているが、行きと帰りにミュンヘンを訪れている。モーツァルトは数回にわたってこの地に滞在したが、音楽家のポストを得ることは叶わず、片思いで終わったようだ。ミュンヘンを象徴する作品として、バイエルン選帝侯カール・テオドールのために1781年に作曲したオペラ「イドメネオ」がある。この作品を皮切りに、モーツァルトは瞬く間に売れっ子作曲家となったのだった。

ゆかりのスポット

キュビリエ劇場
Cuvilliés-Theater

キュビリエ劇場

王家の宮殿レジデンツ内にあるロココ様式の劇場。フランスの建築家フランソワ・ド・キュビリエによる設計で、1751~55年にかけて建てられた。モーツァルトのオペラ「イドメネオ」の初演をはじめ、数々のバロック・オペラがこの劇場で上演されてきた。

Residenzstr. 1, 80333 München
www.residenz-muenchen.de

3 モーツァルト一家のルーツ アウクスブルク Augsburg

アウクスブルク

アウクスブルクはモーツァルトの父レオポルトの生まれ故郷。モーツァルト一家はれんが職人や製本職人などを生業として、何世代にもわたってこの地に住んでいた。モーツァルトもこの都市を5回訪れており、アウクスブルクのバールフューサー教会とウルリッヒ教会のオルガンを演奏したという。また、父方のいとこで「ベーズレ」の愛称で知られるマリア・アンナ・テークラ・モーツァルトと出会ったのもこの街だ。いわゆる「ベーズレ書簡」といわれる彼女宛の手紙の数々には、下品な内容も含まれており、モーツァルトの死後長らく公開されなかったこともでも知られる。

ゆかりのスポット

レオポルト・モーツァルト・ハウス
Leopold-Mozart-Haus

レオポルト・モーツァルト・ハウス

レオポルトの生家は現在博物館として公開されており、音楽家や音楽教師であるだけでなく、子どもたちのマネージャーも務めたレオポルトについて深く知ることができる。またモーツァルトが旅先での練習に使用していた旅行用ピアノのレプリカの展示も。

Frauentorstr. 30, 86152 Augsburg
https://kunstsammlungen-museen.augsburg.de/mozarthaus

4 最初の交響曲を作曲 ロンドン London

ロンドン

1764年、モーツァルトが8歳の時に一家はロンドンを訪れ、およそ15カ月滞在している。到着からわずか4日後には、姉ナンネルと共にドイツ出身の英国王ジョージ3世の前で演奏を披露し、その後もさまざまな場で演奏会を開いた。姉ナンネルの日記によると、ロンドンでは父レオポルトが病気の間、モーツァルトは暇つぶしのために交響曲の作曲を開始。わずか8歳にして「交響曲第1番」を完成させている。さらにロンドン滞在中には、大バッハの末子で「ロンドンのバッハ」と呼ばれたヨハン・クリスティアン・バッハとも出会い、モーツァルトの作曲スタイルにも大きな影響を与えた。

ゆかりのスポット

若きモーツァルト像
The Young Mozart

若きモーツァルト像

モーツァルトが交響曲第1番を作曲した際に一家が滞在していたエバリー・ストリートからほど近い、オレンジ・スクエアに設置されている像。没後200周年を機に彫刻家フィリップ・ジャクソンが制作し、1994年にマーガレット王女によって除幕された。

Orange Square London SW1

5 イタリア音楽の影響を受けて ミラノ Milano

ミラノ

モーツァルトは生涯で3回イタリアを旅行している。特に1769~1771年にかけて父レオポルトに連れられて行った最初の旅行では、モーツァルトは新たな音楽知識を身に付け、イタリア音楽からインスピレーションを受けるなど、音楽家としての経験を積んでいった。とりわけミラノでは、委嘱作品として三つのオペラを制作。1770年に作曲された1作目のオペラ「ポントの王ミトリダーテ」の最初の3公演では、モーツァルト自身がピアノで弾き振りをして観客を喜ばせた。レージョ・ドゥカーレ劇場(スカラ座の前身)が数カ月にわたって満席になるほどの人気ぶりだったという。

ゆかりのスポット

サン・マルコ教会
Chiesa di San Marco

サン・マルコ教会

芸術地区として知られるブレラ地区に佇むサン・マルコ教会は、モーツァルトが14歳のときに3カ月間滞在した場所で、教会内にあるオルガンを演奏したという。また、ヴェルディの「レクイエム」が初演されたのも同教会である。

Piazza S. Marco, 2, 20121 Milano

6 母アンナ・マリアの死に直面 パリ Paris

パリ

1763~1766年にかけて2度パリを訪れたモーツァルトは、ルイ15世への謁見も果たしている。1778年、22歳となったモーツァルトは仕事を求めて、母アンナ・マリアと共に再びパリを訪問。パリの貴族たちから人気を集めることに苦戦していたが、オペラ座のバレエマスターだったノヴェールの依頼で「パリ交響曲」として知られる「交響曲第31番」を作曲した。初演で成功を収めたのもつかの間、熱病に侵されていたアンナ・マリアが急死する。モーツァルトは仕事でほとんど留守にしていたため、アンナ・マリアは孤独の中、次第に衰弱していったという。その数週間後、モーツァルトは悲しみのうちにパリを去った。

ゆかりのスポット

メゾン・モーツァルト
Maison Mozart

メゾン・モーツァルト

モーツァルトが母アンナ・マリアと滞在していた建物はすでに取り壊されているが、同じ住所にはメゾン・モーツァルトが立っている。プレートには「W.A.モーツァルトとその母アンナ・マリアは1778年にここに滞在した。彼の母はここで7月3日に亡くなった」と記されている。

8 Rue du Sentier, 75002 Paris

7 モーツァルトが愛し愛された都市 プラハ Praha

プラハ

モーツァルトが初めてプラハを訪れたのは、1787年にオペラ「フィガロの結婚」を自身の指揮で公演したときだった。熱狂したプラハの人々は、街中で作中のメロディを歌っていたといわれるほどで、モーツァルトは「プラハの人々は私を理解してくれる」と感じていたという。さらに、しばらくして「プラハ交響曲」として知られる「交響曲第38番」をこの地で作曲。それらの成功から、同年にはオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の初演を行っている。1791年にはボヘミア国王レオポルト2世の戴冠式のために「皇帝ティートの慈悲」を作曲しているが、初演されたのはモーツァルトが亡くなる3カ月前だった。

ゆかりのスポット

エステート劇場
Stavovské divadlo

エステート劇場

「ドン・ジョヴァンニ」の初演が行われたノスティック劇場は、現在はエステート劇場と呼ばれている。モーツァルト作品も定期的に上演。モーツァルトの生涯を描いた映画「アマデウス」のシーンの多くはプラハで撮影されているが、本劇場もロケ地の一つとなった。

Železná, 110 00 Staré Město
www.narodni-divadlo.cz

8 人生の絶頂から死へ ウィーン Wien

ウィーン

モーツァルトが初めてウィーンを訪れたのは1762年。6歳だったモーツァルトは、シェーンブルン宮殿の鏡の間で大公妃マリア・テレジアの前で演奏し、その後皇妃の娘であるマリー・アントワネットにプロポーズしたという逸話が知られている。1781年に再びウィーンに移ると、フリーランスの音楽家として活動を開始。翌年には、父の反対を押し切ってコンスタンツェ・ウェーバーとこの地で結婚した。1790年頃にはモーツァルトは音楽家人生の絶頂期を迎えていたのとは裏腹に、パーティー好きで浪費家だったことから借金にも悩まされていたという。1791年9月30日にはウィーンでオペラ「魔笛」の初演が行われたが、制作中だった「レクイエム」が未完のまま、同年12月5日に自宅で息を引き取った。

ゆかりのスポット

聖シュテファン大聖堂
Stephansdom

聖シュテファン大聖堂

ゴシック建築の聖シュテファン大聖堂はモーツァルトの結婚式と葬儀が行われた場所。死後は聖マルクス墓地にほかの死者と共に埋葬された。お墓の正確な位置は現在も不明で、ウィーン共同墓地に記念碑がある。

Stephansplatz 3, 1010 Wien
www.stephanskirche.at

モーツァルトの姉・ナンネルの光と影

マリア・アンナ・モーツァルト(1751-1829)、通称「ナンネル」は、ヴォルフガングの5歳年上の姉だ。チェンバロとピアノを弾き、グランドツアーでは弟と共に「神童」としてもてはやされた。どんな難曲でも正確かつ情熱的な演奏で人々を魅了し、レオポルトはある手紙の中で「娘は12歳にもかかわらず、欧州で最も熟練した演奏家の一人である」と記している。しかしナンネルが18歳になると、レオポルトは娘を自宅に残し、息子だけを演奏旅行に連れて行くようになる。ナンネルはピアノ教師などの音楽の仕事をしていたものの、華やかな世界から姿を消したのであった。

聖シュテファン大聖堂父レオポルトと一緒に演奏する幼少期のヴォルフガングとナンネル

ヴォルフガングが完成したばかりの作品をザルツブルクに送り、ナンネル以外に演奏させないように指示したという逸話がある。ヴォルフガングが演奏家としての姉の才能に信頼を置いていたことを物語っている。一方で旅行先のヴォルフガングがナンネルに宛てたある手紙には「親愛なる姉よ! あなたがこんな作曲ができるとは、深く感銘を受けました」と記されており、作曲もしていたと考えられている。しかし、彼女の作曲した作品は一つも残されていない。一説によると、ヴォルフガングのヴァイオリン協奏曲全5曲のうち、3曲はナンネルが書いた可能性もあるという。

一部の研究者からはヴォルフガングよりも才能があったのではないかといわれるナンネル。女性の権利が制限されていた時代に生まれ、その人生には多くの葛藤があったに違いない。そんな彼女にフォーカスしたドラマシリーズ「Mozart/Mozart」が、2025年12月にドイツ公共放送ARDにて放映された。1780年代のモーツァルト姉弟を描きつつ、当時の女性の視点を取り入れた新たなモーツァルトのエピソードを楽しむことができる。

「Mozart/Mozart」ドラマ「Mozart/Mozart」は全6話、ARDメディアテークで視聴可能(ドイツ国内のみ)

パリに愛されなかったモーツァルト

1791年にモーツァルトが亡くなった後もなお、フランスではモーツァルト作品は注目されず、18世紀末までコンサートホールや劇場で演奏されることはほとんどなかったという。1793年に「フィガロの結婚」のフランス語版がパリ・オペラ座のレパートリーに加わったものの、フランス革命のさなかだったこともあり、ほぼ無名のモーツァルトの作品が成功するチャンスはなかった。

転機が訪れたのは、1801年のこと。パリ・オペラ座が「魔笛」のフランス語版として制作された「イシスの神秘」を上演して成功する。また、同年にモーツァルトの伝記が2冊出版された。さらに、ドイツの劇団がオリジナル版の「後宮からの誘拐」をパリで上演し、主人公の恋人コンスタンツェ役をモーツァルトの義姉アロイジア・ヴェーバーが務めた。こうして死後10年経って、フランスでモーツァルトの名が知られるようになったのである。

「魔笛」1863年のパリ・オペラ座で上演された「魔笛」の舞台デザインイメージ(作者不明)

パリ・オペラ座は「イシスの神秘」の成功から、「ドン・ファン」の上演を決定。しかし、台本は書き換えられ、フランスの聴衆が好みそうな音楽に編曲されている。それでも1805年の初演では、多くのマスコミが「野蛮なモーツァルトの音楽がパリ・オペラ座を侵略した」と激しく非難。モーツァルトを批判する者と擁護する者との間で論争が起こった。

その後、パリのイタリア座では著名な歌手によってモーツァルトのイタリア語オペラが上演され、器楽曲にも次第に注目が集まっていく。1830年頃には、モーツァルトは「古典派」の作曲家として地位を確立。19世紀初頭はモーツァルトはオペラ歌手の才能を開花させる作曲家の一人にすぎなかったが、歌手が作曲家を際立たせる役割を担う時代になったのである。1866年には「ドン・ファン」がパリの三つの主要劇場で同時上演されるまでになり、モーツァルトの作品はパリの人々に愛される存在となったのである。

参考:Opéra national de Paris「I. Mozart’ s three stays in France」「II. Mozar tadapted to French taste (1793-1830)」「III. Acclamation on opera-house stages」

ザルツブルクで生誕270周年をお祝い!

■ モーツァルト・ウィーク
Mozartwoche 2026: Lux Aeterna

会期:2026年1月22日(木)~2月1日(日) https://mozarteum.at/mozartwoche

Mozartwoche 2026: Lux Aeterna

生誕200周年を迎えた1956年から毎年故郷のザルツブルクで開催されてきた音楽祭で、1月27日の誕生日前後に開かれる。著名な指揮者、オーケストラ、ソリストが集い、コンサート、オペラ、室内楽などを通して、モーツァルトの作品を再発見する機会となっている。モーツァルト生誕270周年、音楽祭70周年に当たる今年は、若くして亡くなったモーツァルトを不滅の存在として讃える「Lux Aeterna」(永遠の光)をテーマに掲げる。およそ70のプログラムのハイライトは、芸術監督ローランド・ビリャソンの演出による新作の「魔笛」だ。その注目度の高さから追加公演が決まったものの、残念ながら全て満席となっている。

■ 特別展「宇宙の魔笛」
Sonderausstellung: Kosmos Zauberflöte

期間:2026年1月16日(金)~4月7日(火)
https://mozarteum.at/mozart-museen/mozart-wohnhaus

特別展「宇宙の魔笛」

モーツァルトの家(Mozart-Wohnhaus)では、モーツァルト・ウィークの新作「魔笛」の上演に合わせて、特別展を開催する。「モーツァルトの魔笛」と「モーツァルト時代のフリーメイソン」に焦点を当て、貴重なコレクションの数々を展示。その中には「魔笛」の初演で掲示されたポスターも。また同施設では、モーツァルトが「魔笛」を制作時に滞在していた「魔笛の家」(Zauberflöten-Häuschen)も見学できる。

特別展「宇宙の魔笛」

最終更新 Montag, 26 Januar 2026 14:09
 

<< 最初 < 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 > 最後 >>
1 / 122 ページ
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


Nippon Express SWISS 習い事&スクールガイド バナー

デザイン制作
ウェブ制作