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特集


その一口に歴史がある欧州で味わうB級グルメ

フィッシュ・アンド・チップス、カリーヴルスト、ファラフェル……。欧州の街角で食べるその味は、なぜその土地に生まれ、なぜ今も愛されるのか。本特集では、産業革命をはじめ、二度の世界大戦や東西分断、移民労働者など、「B級グルメ」の源流をたどる。さらに旅先で頬張りたい欧州の名物B級グルメを、その味が生まれた歴史や背景、発祥地をめぐる論争と合わせてご紹介。次の旅行がもっとおいしくなること間違いなし! (文:英国・ドイツニュースダイジェスト編集部)

欧州の「B級グルメ」はこうして生まれた

参考:Demographia / Old Bailey Online、BBC「Eating on the hoof: London's long history of street food」、Henry Mayhew, 「London Labour and the London Poor」、LeMO「Leben in Trümmern」、DW「Von der Currywurst zum Insektenburger」

産業革命と路上食文化の誕生

手軽で安くて、どこか懐かしい。世界中で愛される欧州の「B級グルメ」の原点をたどると、19世紀の産業革命に行き着く。工場労働者が都市に押し寄せたこの時代、労働者たちは昼食のために家へ戻る余裕などなかった。ヴィクトリア時代のロンドンでは、人口がわずか60年ほどで3倍に膨れ上がり、路上には数万人の行商人や露天商がひしめいた。エンドウ豆のスープ、温かいウナギ料理、ミートパイ。こうした腹にたまる一皿が、工場と寝床を往復する労働者たちの命綱となったのだ。産業革命は蒸気機関だけでなく、「路上で食べる文化」をも生み出したのである。

赤みを帯びた古いロンドン写真。貝売りのストールに集まる人たち1877年、ロンドンの貝売り。牡蠣やツブ貝などの貝類は、安くて栄養のある庶民の味として人気を集めた

20世紀に入ると、前世紀に芽生えた路上食文化は都市の風景に根を下ろしていく。英国ではフィッシュ・アンド・チップスの店が1930年代には3万5000軒に達した。ウィーンでは、オーストリア=ハンガリー帝国時代に復員兵士たちが移動式の調理台でソーセージを売り始めたのをきっかけに、ソーセージスタンドの文化が街角に広がっていった。しかし二度の世界大戦中は、各国で食料配給制が敷かれ、市民の食卓は厳しく統制された。

第二次世界大戦が終わると、欧州各地の軽食文化は新たな局面を迎える。とりわけ荒廃が激しかったドイツでは、がれきの合間に即席の食事処が立ち並んだ。設備投資がほとんどいらないこうした屋台や小店は、荒廃した街が再び動き出すための燃料のようなものだった。やがて各国で経済が上向き始めると食肉消費が伸び、ベルギーとフランスを発祥とするフライドポテトが肉料理の付け合わせとしても定着し、その文化が周辺諸国にも広がっていく。

戦後のベルリンで温かい食事を求めて集まる人々戦後のベルリンで温かい食事を求めて集まる人々。荒廃した都市では、移動販売や簡易食堂が人々の空腹を満たす貴重な存在だった

鉄のカーテンの向こう側で愛されたグルメ

冷戦時代に突入すると、西側で軽食文化が花開く一方、東側では事情がまるで違った。共産主義体制のもと、ポーランドでは国家が食の生産から流通までを握り、民間の外食産業はほとんど芽吹く余地がなかった。人々は市場の片隅や個人的なつてを頼りに食をやりくりし、国営の軽食スタンドが暮らしを支える数少ないよりどころだった。

ハンガリーは「グヤーシュ共産主義」(ハンガリーの代表的な煮込み料理になぞらえた呼称)と呼ばれる比較的穏やかな体制のもと、小さな食の商いが部分的に許されたものの、日常の食卓を担ったのは国営のセルフサービス食堂や缶詰・冷凍食品であり、街角で自由に食を商う風景は限られていた。

チェコスロバキアでも選択肢は乏しく、ヴァーツラフ広場に並ぶソーセージスタンドのような軽食売り場や国営の大衆食堂が、庶民にとって数少ない外食の場だった。だからこそ、制約のなかで生まれた味には独特の強さがある。フランスから持ち込んだバゲット技術で即席のピザトーストを作り上げたポーランドのザピエカンカ、中世から続くパン窯の伝統を揚げ物に転じて夏の湖畔の名物にしたハンガリーのラーンゴシュ。乏しい食材と限られた自由のなかで磨かれたこれらの一品は、体制が変わった今もなお東欧の街角で愛され続けている。

ポーランドの伝統的なミルク・バーで行列する人々ポーランドに残る伝統的なミルクバー。共産主義時代、安価な大衆食堂は欠かせない食の場だった

移民の波と異国の味

一方、同じ時代の西側では、まったく別の力がB級グルメの地図を塗り替えようとしていた。戦後復興から高度成長へと向かう欧州に、決定的な彩りを加えたのが移民の波だった。1960年代以降、ドイツにはトルコ人労働者が渡り、1970年代にはベルリンの路上でドネルケバブのサンドイッチが売られ始めた。英国にはインドや西インド諸島からカレーやジャークチキンが、フランスには北アフリカからクスクスやメルゲーズが持ち込まれた。異国の味は各地の屋台の風景を変え、やがて街に根付いていった。

そして現在、健康志向やヴィーガン需要の高まりを受けて、ファラフェルやベジケバブが台頭し、欧州のB級グルメは変化し続けている。安さと手軽さの裏には、労働、統制、戦後復興、移民という歴史の地層が何重にも折り重なっている。街角の味とは、いつの時代もその社会の姿を映す鏡なのかもしれない。

旅先で味わいたい!欧州のB級グルメ図鑑

編集部が厳選した欧州9 カ国のB 級グルメを、その特徴や背景とともにご紹介。路上や市場のカウンターで手渡される一皿こそが、旅の記憶に深く刻まれることも。高級レストランでは出会えない、その土地ならではの味を楽しんで!

参考:National Federation of Fish Friers、BBC「Why are Cornish pasties still so popular?」、So Dutchie「Why do Dutch people eat raw herring… and love it?」、Belga News Agency「Belgian inventions: Frites」、berlin.de「Döner Kebab ist eine Berliner Erfindung」、OÖNachrichten「Wir sind die Erfinder der Original-Käsekrainer」、Culture. pl「Polish Food 101 – Zapiekanka」、Radio Prague International「Utopenec: a Czech pub classic」、HungaryToday「Lángos – The Most Ancient of Hungarian Foods」、Tasting Table「This Spanish Seafood Sandwich」

UK英国 Fish and Chips
フィッシュ&チップス

フィッシュ&チップス

サクサクの衣をまとった白身魚と太めのチップス(フライドポテト)に、塩とモルトビネガーをたっぷり振って食す英国の国民食。19世紀、鉄道網の発達で新鮮な魚が内陸にも届くようになり、産業都市の労働者の間で爆発的に広まった。第2次世界大戦中も配給制の対象外だったため、人々の空腹を満たし続けた。フィッシュ・アンド・チップスの店は今も全英に約1万500軒を数え、その数は英国最大のチェーン店であるグレッグスと比べても約4倍、マクドナルドの約7倍に上る。

UK英国 Cornish Pasty
コーニッシュ・パスティ

コーニッシュ・パスティ

肉とジャガイモ、タマネギ、スウィード(カブの近縁種)をパイ生地で半月形に包んで焼き上げるコーンウォール地方の名物。もとは14世紀に上流階級が食べていたが、18世紀頃から労働者の食卓にも広まり、とりわけ19世紀のスズ鉱山の隆盛とともに坑夫たちの弁当として定着した。素手で持てるよう縁を厚く編み込み、ヒ素で汚れた手が食材に触れないよう持ち手として使ってそのまま捨てたという伝承が残っている。2011年には欧州連合(EU)の地理的表示保護(PGI)を取得。

スペイン国旗スペイン Bocadillo de Calamares
ボカディージョ・デ・カラマレス

ボカディージョ・デ・カラマレス

カリッと揚げたイカのリングをバゲットに挟んだだけの、潔いほどシンプルなマドリード名物。内陸の都市マドリードでイカのフライが一般的になったのは、沿岸部から安価なイカが大量に流通するようになったことが背景にある。マヨール広場周辺のバルに入り、カウンターで注文すれば数分で出てくる気軽さも魅力。レモンをひと絞りするだけで、衣のサクサク感とイカの弾力がパンの柔らかさと絶妙に調和する。昼下がりの生ビールとの相性は抜群だ。

ハンガリー国旗ハンガリーLángos
ラーンゴシュ

ラーンゴシュ

イースト入りの生地を揚げたハンガリーの伝統的なストリートフード。名前はハンガリー語で「炎」を意味する「ラーング」に由来し、かつてはパン窯の火でフラットブレッドとして焼き上げていた。現代ではサワークリームとすりおろしチーズをたっぷり載せて、揚げたてを食べるスタイルが定番。ブダペストの中央市場や夏のバラトン湖畔の屋台で最も頻繁に出会える。表面はカリッと、中はもちっとした食感で、酸味の効いたクリームとチーズの塩気が絶妙に重なる一枚だ。

フランス国旗フランスFalafel
ファラフェル

ファラフェル

ひよこ豆をすりつぶしてスパイスを加え、カリッと揚げた中東生まれの一品。パリでは、マレ地区のユダヤ人街リュ・デ・ロジエがファラフェルの聖地として知られる。1979年創業の「ラス・デュ・ファラフェル」をはじめとする名店が軒を連ね、行列が絶えない。ピタパンに揚げたてのファラフェル、ナス、キャベツ、フムスを詰め込んだサンドイッチを、通りに立ったまま食べるのがパリ流だ。北アフリカや中東からの移民が育んだこの味は、今やパリを代表するストリートフードの一つ。

ドイツ国旗ドイツCurrywurst
カリーヴルスト

カリーヴルスト

ぶつ切りにした焼きソーセージに甘辛いトマトベースのソースをたっぷりかけ、カレー粉をまぶして紙皿で提供するカリーヴルスト。復興期の労働者たちの間で広まり、いまやドイツ全土で年間8億本以上が消費される国民食である。本場ベルリンでは皮なし(ohne Darm)タイプを小さな木のフォークで突き刺し、カレー粉の山を崩しながらいただく。考案者ヘルタ・ホイヴァーは1959年にソースを「Chillup」として商標登録しているが、発祥の地をめぐっては別の物語もある。

ドイツ国旗ドイツDöner Kebab
ドネルケバブ

ドネルケバブ

1972年、トルコからの労働者であるカディル・ヌルマンが、ベルリン動物園駅前の屋台で回転グリルの肉をパンに挟んで売り出したのが、ドイツ式ドネルケバブの原型とされる。故国の味を手軽に再現したいという移民労働者の思いから生まれ、今やドイツ最大級のファストフードに成長。たっぷりの野菜、ヨーグルトソース、そして薄切り肉がフラットブレッドからはみ出すボリューム感がたまらない。深夜の駅前やクラブ帰りにかぶりつくのが、ドイツのナイトライフの定番だ。

オーストリア国旗オーストリアKäsekrainer
ケーゼクライナー

ケーゼクライナー

豚肉のソーセージの中にエメンタールチーズの角切りを忍ばせ、グリルで焼き上げるウィーンの名物。1960年代後半にオーバーエスターライヒ州の料理人らが考案したとされる。かぶりつくと、中からとろりと溶けたチーズが溢れ出す。購入する場所はウィーン市内の路上に点在するソーセージスタンド。この屋台文化自体が2024年にオーストリア・ユネスコ委員会の国内無形文化遺産目録に登録された。溶けたチーズの熱さに顔をしかめながらも、かぶりつく手が止まらない。

オランダ国旗オランダHaring
ハーリング

ハーリング

塩漬けのニシンを街角の屋台でそのまま頬張る、オランダを代表するストリートフード。14世紀に内臓処理と塩蔵の技法が広まり、漁師のウィレム・ボイケルスゾーンが考案したといわれている。保存性を増したニシンは、黄金時代のオランダを支える交易品となった。尾をつまんで頭上に掲げ、上を向いてそのまま口に運ぶのが伝統的な食べ方だが、実際には刻みタマネギとピクルスを添えた一口大の切り身を爪楊枝で食べるのが一般的。白パンに挟んだ「ブローチェ・ハーリング」も人気だ。

ベルギー国旗ベルギーFrites
フリッツ

フリッツ

「フレンチフライ」の名で世界に知られるが、発祥を巡ってベルギーは強い自負を持つ。17世紀、ムーズ川流域で冬場に小魚が獲れず、代わりにジャガイモを揚げたのが始まりとされる。低温でじっくり火を通し、高温で二度目を揚げて外はカリッ、中はホクホクに仕上げるのがベルギー流。街角の「フリチュール」と呼ばれる専門屋台でコーン型の紙袋に盛られ、マヨネーズなどの多彩なディップとともに供される。2014年、このフリッツ屋台文化はベルギー国内の無形文化遺産に。

ポーランド国旗ポーランドZapiekanka
ザピエカンカ

ザピエカンカ

バゲットを縦半分に割り、マッシュルームとチーズを載せて焼き上げ、ケチャップをたっぷりかける「ポーランド式ピザトースト」。1970年代、ギェレク政権下でフランスからバゲット製造のライセンスが導入されたことで広まった。とろけたチーズとマッシュルームの旨み、甘酸っぱいケチャップがたまらない。限られた食材で満足感を生んだ社会主義時代の庶民の知恵が詰まった一品で、クラクフ・カジミエシュ地区ノヴィ広場の丸い建物に並ぶ屋台群はその聖地となっている。

B級グルメ「発祥地論争」は終わらない

B級グルメには、しばしば「うちが元祖だ」という発祥地論争がつきまとう。記録が乏しいからこそ土地の誇りと物語が絡み合い、真相はいっそう味わい深くなる。

英国のフィッシュ・アンド・チップスは、そもそも別々の文化から生まれた二つの食べ物だ。フライドフィッシュは16世紀にユダヤ系移民がロンドンに持ち込み、チップスは産業革命期の北イングランドで労働者の腹を満たしていた。この二つを一皿に合わせたのは誰かというと、1860年頃にロンドンのイーストエンドで店を開いたジョセフ・マリンと、1863年にランカシャーのモスリーで売り始めたジョン・リーズの二人が名乗りを上げているが、決定的な証拠はいまだない。

ドイツのカリーヴルストはさらに入り組んでいる。1949年にベルリンの屋台でヘルタ・ホイヴァーがカレー粉入りソースを考案したとされるが、ハンブルクの作家ウーヴェ・ティムは「1947年に子どもの頃、ハンブルクで食べた」と主張し、自身の小説にも登場させた。さらにルール地方も炭鉱労働者のソウルフードだと譲らない。ベルリンには記念プレートが、ハンブルクには架空の発明者を称える銘板が、ルール地方には地元愛を歌った一曲があり、この論争の決着は見えそうにない。とはいえ、こうした正解のない論争が続くのは、それだけ多くの街がこの味を愛している証拠にほかならないだろう。

 

企画展「Unter Tage fern der Heimat
- 故郷から遠く離れた炭鉱で」
ルール地方の炭鉱にいた日本人たち

2026年5月末から、ルール地方における日本人炭鉱労働者に焦点を当てた企画展がデュッセルドルフで開催されている。しかし第二次世界大戦後、ルール地方の炭鉱でおよそ400人の日本人が働いていたことはあまり知られていないかもしれない。なぜ彼らはドイツの炭鉱にいたのか、その歴史を少し覗いてみたい。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部、協力:Keyworker Oberkasselplus、竹の会)

参考:『Japanische Bergleute im Ruhrgebiet』(Klartext Verlag)、デュッセルドルフ日本商工会議所「160年の経済パートナー 日独経済産業交流の変遷と展望」

ルール地方の炭鉱にいた日本人たち

なぜ日本からドイツの炭鉱へ?

ルール地方は、ドイツ北西部のライン川流域に広がる欧州最大の工業地帯。19世紀以降にルール炭田の開発が進み、工業の中心地となった。しかし第二次世界大戦後、西ドイツは労働力不足に悩まされ、ルール地方の炭鉱労働のような危険を伴う仕事は特にその傾向が強かった。その一つの解決策として、西ドイツはイタリアやトルコと政府間協定を締結し、ガストアルバイター(外国人労働者)を導入。その流れのなかで、1956年に日独政府間でも「ルール炭鉱鉱業における日本人炭鉱労働者の期限付き就労に関する計画」が締結されたのだった。

具体的には、日本の炭鉱で3年以上坑内労働を経験した21~30歳までの500人以内の炭鉱労働者を、3年間ルール地方の炭鉱に派遣することになった。その目的とは、炭鉱における最新技術を習得すること、日独の親交を深めること。そして、1957~1965年の期間に計436人の日本人労働者がドイツの三つの炭鉱に派遣された。

プログラムが開始された当初、ドイツ側はあくまで労働者不足を補うことを目的としていたため、日本人炭鉱労働者たちは期待していたような研修を受けることができなかったという。しかしその後の交渉によって、ドイツ語の授業期間の延長、技術習得のための定期的な異動、資格取得の機会などが認められるようになる。

一方で、当時の日本はエネルギー転換期にあり、石炭から石油や原子力への移行が進められ、石炭業界は衰退へ向かっていた。そのため、派遣目的も当初の「技術習得」から「炭鉱離職者のための雇用措置」へと変更される。引き続き1500人以上の炭鉱労働者が日本から派遣される計画だったが、1962年の第5陣の派遣を最後に予定よりも早くプログラムは終了することになった。

ドイツ人たちに交じって働く日本人炭鉱労働者ドイツ人たちに交じって働く日本人炭鉱労働者

ドイツに残った日本人

プログラム終了後、ほとんどの人は日本へ帰国し、日本では日本人の元炭鉱労働者による「グリュック・アウフ会」が創立された。一方、そのままドイツで就職や進学をして現地に残った日本人はおよそ30人。多くがドイツ人と結婚して家庭を築いた。そのなかの一人が、 執行 しぎょう 龍美さんだ。

20歳だった執行さんは日本の炭鉱で働いた際、ドイツ派遣の募集について知った。身長165㎝以上の健康な若者で、未婚であることも応募条件だった。厳しい選考を通過した執行さんは、1960年にプロペラ機でいくつもの経由地を経てデュッセルドルフに到着し、デュースブルクの炭鉱に配属された。

研修後、地下1500メートルの採掘に従事した執行さん。暗く気温28度という環境のなか、重い防護服を着ての作業は過酷なものだった。また、ドイツ人の同僚が事故死するという悲劇も経験。一方で寮生活は快適で、自由時間には居酒屋やダンスホールで過ごしたという。そこで執行さんは人生の伴侶となるドイツ人女性と出会う。契約終了後に結婚してドイツの炭鉱に残り、53歳まで働いた。

現在もクーレヴェで静かに老後を送る執行さん。「ほかの日本人炭鉱労働者たちと土曜夜に飲みながら、日本の軍歌を歌ったりしましたね」と当時を懐かしむ。3日間休むとクビになるという厳しい労働条件だったと話し、執行さんが見せてくれた当時の明細書にはたった1日だけ有休を取得した記録が。前日に飲み過ぎたため医者に行き、就労不能証明書を発行してもらったのだと執行さんは笑う。

現在も定期的に日本へ一時帰国しているが、長くドイツに住んでいるため、日本語よりもドイツ語で話す方が慣れてしまったという。80代後半になり、一緒にドイツへ来た元炭鉱労働者の仲間たちが一人ひとり旅立っていくなか、執行さんのような歴史の証人はますます貴重な存在になっている。

歴史を語り継ぐために

今回の企画展は、デュッセルドルフの市民団体「Keyworker Oberkasselplus」が主催する。リタイアしたドイツ人が主要メンバーで、これまでも地域に密着した芸術文化や社会問題に関するプロジェクトの数々を実施してきた。しかしなぜ日本人炭鉱労働者を取り上げることになったのだろうか。

きっかけは、中心メンバーの一人アネッテ・クロッツさんが日本人炭鉱労働者についてまとめられた書籍『Japanische Bergleute im Ruhrgebiet』を読んだことだった。その後、2024年にケルン日本文化会館で開催された企画展「ルール炭田の日本人」にも足を運んだ。「驚いたことに、周りの日本人のほとんどがこの歴史について知らなかったんです。私たちがデュッセルドルフの日本人グループ『竹の会』と交流を続けてきたこともあり、日独交流の一環として展示を企画することにしました」とクロッツさんは話す。

企画展は、竹の会が拠点とする福祉施設「ディアコニー」で開催されている。ルール地方の日本人炭鉱労働者の歴史や当事者の証言を日独両言語でパネル展示するほか、事前に開催された版画ワークショップで参加者が日本人炭鉱労働者をテーマに彫った作品も。

執行さんも企画展の協力者の一人だ。「孫に『おじいちゃん、石炭って何?』と聞かれて、驚いたことがありました。今回のように取り上げてもらえることはうれしいです」と執行さん。私たち在独邦人の先駆者でもある彼らの歴史を語り継いでいくため、そしてクロッツさんたちの思いに日本人として応えられるよう、ぜひ企画展へ足を運んでみてほしい。

INFO

企画展「Unter Tage fern der Heimat - 故郷から遠く離れた炭鉱で」

企画展「Unter Tage fern der Heimat
- 故郷から遠く離れた炭鉱で」

2026年5月30日(土)~7月11日(土)
Diakonie, Gemünderstraße 5, 40547 Düsseldorf
※平日12:00~14:30開館
※週末に見学希望の場合は担当者まで要連絡

TEL: 01741920737
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2026年1月に新しい兵役制度がスタートドイツの軍事力強化
なぜ今必要なのか?

今年1月から新たな兵役制度が施行され、18歳の男性は兵役に関するアンケートに答えなければならなくなった。また、4月に連立政権が新たに策定した軍事戦略文書では「欧州最強の通常軍」を目指すことが明記され、ドイツでは着々と軍事力の強化が進んでいる。そんな状況を受けて、このままドイツも戦争に向かってしまうのではないか?と不安に思う人も少なくないだろう。そもそも今なぜ軍事力が必要なのか、新しい兵役制度はうまくいくのか。本特集ではそれらの問いに答えるべく、ドイツの安全保障問題について解説する。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:ドイツ連邦軍ホームページ、連邦国防省ホームページ

ベルリンの連邦国防省で開かれた式典3月16日、ベルリンの連邦国防省で開かれた式典に参加する兵士たち

知っておきたいドイツ連邦軍の歴史

1. 主権回復のための再軍備

第二次世界大戦後、ドイツは連合軍に占領され、非武装化が進められた。その後、1949年にドイツ連邦共和国(西ドイツ)が建国されると、東西冷戦を背景に再軍備の議論がなされるように。当時のコンラート・アデナウアー首相(キリスト教民主同盟・CDU)は、西ドイツが西側同盟の一員となるため、欧州連合の前身となる欧州石炭鉄鋼共同体への加入し、北大西洋条約機構(NATO)への軍事参加を目指した。「防衛貢献」することで、西ドイツの主権を回復させようとしたのだ。1955年に西ドイツがNATOに加盟すると、同年11月12日に軍隊を創設。そして翌年3月、ナチス政権時の「国防軍」(Wehrmacht)と区別するため、「連邦軍」(Bundeswehr)という名が与えられた。

西ドイツの軍隊(のちの連邦軍)を視察するアデナウアー首相(中央左から3番目)1956年1月20日、まだ名前のついてなかった西ドイツの軍隊(のちの連邦軍)を視察するアデナウアー首相(中央左から3番目)

2. 過去の反省から「制服を着た市民」

過去の大戦では、兵士の盲目的な服従が国防軍の戦争犯罪の一因となったことから、連邦軍の兵士は「制服を着た市民」と表現され、基本法の価値に従って自ら行動することが求められた。当初の目標だった現役兵50万人の軍備を達成するには、志願兵だけでは不十分だったため、1956年には徴兵制の導入が決定する。1957年4月1日から18歳以上の男性は、基本法で保障されている「良心の自由に基づく兵役拒否権」を行使しない限り、連邦軍に従事することが義務付けられた。良心的兵役拒否者は、兵役に就く代わりに介護施設などの社会福祉施設で民間奉仕活動を行った。最初の10年間は、兵役を拒否する人の人数は年平均3000人だったが、学生運動とベトナム戦争によって反戦意識が高まり、1967年には6000人、1968年には1万2000人近くになったという。

3. 冷戦後の海外派遣という新たな課題

ドイツの再統一とソ連崩壊に伴い、東ドイツの国家人民軍(NVA)は解体されて西ドイツの連邦軍が引き継いだ。冷戦期の西ドイツは欧州の最前線だったため、それを守ることが連邦軍の仕事だったが、1991年の湾岸戦争、ユーゴスラヴィア紛争で海外派遣をどうするかという問題に直面。その後、1994年に憲法裁判所で連邦軍の海外派遣は合憲との判決が出た。ただし、ナチス時代の反省から、派遣期間や任務内容などを含め、連邦軍の海外派遣には議会の同意を得ることが条件となった。米英仏などでは必ずしも議会の権限は大きくないが、ドイツでは首相の一存ではなく、議会に非常に大きな権限を与えていることが特徴である。なお今年4月、メルツ首相が連邦海軍のホルムズ海峡への派遣を提案したが、ピストリウス国防相は停戦が重要な前提条件であることを強調しており、議会で承認を得る段階には至っていない。

戦後のドイツが目指してきた民主主義のための軍事力とは?

2022年2月に始まったウクライナ戦争を機に、ドイツは軍事力の増強に大きく舵を切った。その増強の中身とはどのようなものなのか、欧州においてドイツに求められている役割とは何か、政策研究大学院大学教授で、ドイツの安全保障問題について詳しい岩間陽子さんにお話を伺った。

岩間陽子さん 岩間陽子さん
Yoko Iwamai
1964年神戸市生まれ。政策研究大学院大学教授。ベルリン留学中にベルリンの壁崩壊を経験したことをきっかけに、国際政治、欧州安全保障を自身の専門分野とする。BS-TBS「関口宏の一番新しい近現代史」に出演中。毎日新聞書評欄「今週の本棚」執筆者。著書に『核の一九六八年体制と西ドイツ』(有斐閣)など。

ロシアの脅威の再来とやせ細ったドイツ連邦軍

― まず、ドイツが今これほど軍事力の強化に動いている背景を教えてください。

軍事力強化の原因は、やはりロシアの脅威の再来です。この時代に軍事力で領土を取りにこようとする国があるという現実のなかで、欧州はまずウクライナを助けなければならないですし、その後も自分たちを自分たち自身で守れるようになる必要が出てきました。

冷戦期はものすごい数の核兵器が欧州にあることによって、戦争を抑止していました。しかし、これは自殺を盾にして守っているような状況で、精神的にはあまり健全ではありませんでした。やっと冷戦が終わって核兵器を減らすことができましたが、今再び軍事的脅威が目の前に広がり、核兵器の議論が活発化してきています。ドイツでは特に核への依存を避けたい人が多いと思いますが、核に頼らないのであれば、人員増強をはじめ、装備品や基地の運用、戦闘機の購入など、通常軍備を分厚くしなければなりません。

― メルケル政権の時代にも問題は指摘されていたのに、なぜ長年にわたって軍拡が進まなかったのでしょうか

1990~2025年までの連邦軍兵士の数

メルケル政権期には第一次トランプ政権も重なり、特に2014年のロシアのクリミア併合以降に「欧州がちゃんとしなきゃいけない」という話はすでに出ていました。しかし結局は軍事費の増額にはつながらず、すでに徴兵制が停止されて10年がたつ2020年代初頭には、連邦軍が非常にやせ細り、装備品も状態が悪いという状況に。さらにドイツでは財政均衡主義が強くなって、赤字を一定程度以上出してはいけないということが基本法に盛り込まれ、政権の手足を縛る形になっていました。そして、昨年3月になってやっと基本法を改正し、防衛支出のうち国内総生産(GDP)の1%を超える部分を無制限に国債でまかなうことが可能になりました。これまで連邦軍へ投資がされてこなかった反動で、今ものすごいお金をつぎ込まなければならない状況になってしまっています。

― お隣のポーランドはすでにGDPの5%近くを防衛費に充てているそうですね。ドイツとの温度差の違いを感じますが、いかがでしょうか?

経済が好調というのもあると思いますが、ポーランドでは国民のコンセンサスがすごい。もう二度とロシアに蹂躙されたくないという強い気持ちが、ポーランド人と話していると伝わってきます。一方、ドイツ人にはそういった気持ちがなく、むしろプーチンと和解して手を打ったらどうだといった考えの人もいるように感じます。ドイツはなんだかんだいって欧州で一番大きい経済国で、地政学的にもど真ん中で物流の中心にある。トランプ政権が欧州から引いていって欧米間の気持ちが離れていっていくなかで、「ドイツが中心となって欧州の防衛を立て直さないといけない」という欧州からの期待に、ドイツは必ずしも応えられていません。

冷戦期の西ドイツにおける核共有という決断

―連邦軍の話をする上で、核兵器の問題は切り離せないと思います。そもそもなぜドイツの安全保障と核はこれほど深く結びついているのでしょうか。 

1950年代、アデナウアー首相(当時)は、米軍が核を西ドイツ領内に持ち込むことに反対しませんでした。陸続きで国境を隔ててソ連軍がいるという状況でしたし、アデナウアー首相は非常に反共主義的だったので、国を守るには最新の兵器が必要だと考えたのです。それから50年代末から60年代にかけて、核兵器を持つ国が少しずつ増えていくと、西ドイツではどうするべきかという議論が起こりました。1955年にNATOに加盟したとき、ABC兵器の所有・製造の放棄を宣言したのですが、持ち込みに関しては米軍が持ち込むことが分かっていたので、そこは制限をかけませんでした。

また、将来的に保有する可能性を残しておくか、核拡散防止条約(NPT)に加盟して核開発を放棄するかという対立があったと同時に、米国ではなくフランスの核兵器に頼るべきかという話も出てきます。この二つの議論が交錯するので、最終的にドイツ国内の若い世代やリベラルな層が、ドイツは核を持たずにやっていくという選択をしました。それが1968年の学生運動、1969年の社会民主党(SPD)のヴィリー・ブラント首相の誕生という転換点につながったのです。

政権交代後、すぐにNPTに署名して、ブラント首相は核戦争が起きない欧州にするため、緊張緩和外交をやっていくんですね。一方で核の均衡が欧州の平和を守っているという現実もあり、米国の核が必要だという考えも続いていました。そしてさまざまな妥協によって、米軍基地には核を置き、本当に戦争になったときには連邦軍もそれを使うという、NATOの核共有という形に落ち着きます。

― ドイツには現在、どのくらいの核兵器があるのでしょうか。

冷戦が終わった時点では、どんなに少なく見積もっても数千個の核兵器がドイツにはありました。一方で60年代に入ると、広島における核兵器の恐ろしさや放射能の害についても知識として広まり、ドイツでも反核運動が広がっていきました。80年代初頭に米軍の中距離ミサイル配備の際にものすごい大きな反対運動が起こり、特に若い人たちがNATOの核政策を支持しなくなっていきます。冷戦が終結すると、核兵器は「あること」自体が危険で、万が一テロリストの手に落ちたり、誰かが勝手に使おうとしたりしたらいけないということで、ドイツから急速に撤収されていきました。それでもドイツ国内の米軍基地には、今も最大で20~30発の核兵器があるといわれています。

推定される欧州の核弾頭数(2025年)

徴兵制停止で途切れた連邦軍の在り方

― ドイツでは2011年に徴兵制が停止されましたが、当時どのような議論があったのでしょうか。また、今振り返ってどう評価されますか。

停止する前、当時のロシアはすっかり弱りきっていて、欧州に脅威というものはほとんどなく、数カ月だけの徴兵はほとんど意味がないのではないかということが議論されていたんですね。一方で徴兵制を止めてしまうと、また始めるのは大変だということも言われていたのをよく覚えています。

私がドイツに滞在していた時は徴兵制はまだありましたし、今も韓国などがそうですが、駅や空港で軍服を着て重そうな荷物を背負った若者を見ることは普通の光景でした。良心的兵役拒否の人もいたけれども、みんな淡々と兵役を受け入れていたので、特に反対運動もありませんでした。必要になったらまたやればいいじゃないという感覚だったと思うのですが、今回の新しい兵役制度の状況を見ていると、現役兵士がそもそも少ないですし、若い世代から強い反発があり、やっぱり大変そうだなという印象を受けています。

兵役では、ある年齢層の男性のほとんどが1年なりを軍隊で過ごすわけで、連邦軍の上官は彼らの適性とかを見るわけですよね。この人は連邦軍に向いているな、こんな仕事に向いているなと、リクルートするチャンスがある。徴兵制がなくなることでその機会がなくなることがすごく惜しいという声も、停止するときの議論の中で聞かれましたね。

メルツ政権の目指す強いドイツは実現できるか?

― 極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)の台頭など、国内の政治状況も軍拡の行方に影響しそうですね。

AfDは、ウクライナ戦争にずっと反対してきました。その流れで、ドイツの軍備強化にも反対しています。ウクライナ戦争以降、物価がものすごく上がって、ガソリンも高騰して、インフレが再来しました。5月の日曜アンケートでもAfDが27%と、CDUの24%を抜いてトップに。9月にはザクセン=アンハルト州で州議会選挙がありますが、兵役は嫌だ、物価高は嫌だ、戦争は嫌だ、という人たちがみんなAfDに票を入れて40%の得票率を得れば、メルツ政権にとっては大打撃です。なので、必要な軍備増強がうまくできるかということに対して、黄色信号が出ているような気がしています。

新しい兵役制度については、強制的な徴兵は行わずに順調に連邦軍の人数がどこまで増えるのか。内政の争点としてもAfDが突いてくると思うので、どういう議論になっていくかは非常に注目されるところです。また、ウクライナ戦争初期には若者世代からウクライナ支援について強い支持がありましたが、最近はやはり関心が落ちてきています。若い世代がロシアや中国との安全保障をどう考えるのかは、今後の1~2年でいろいろな流れが出てくると思うので、そこは注視していきたいと思います。

支持政党ごとのウクライナ戦争への意見

―こうした現状も踏まえて、岩間さんはドイツの今後についてどのような見通しをお持ちですか。

ウクライナにとどまらず、ドイツの民主主義の行方を左右する時代に入っていると思います。生活が苦しいという面、目の前にロシア軍の強大な力があるという面と、いろいろな面が交錯していて、そのなかでどういう解決策を見出していくのか。メルツ首相は、民主主義を守るためにドイツ経済を復活させて強い連邦軍が欧州を引っ張っていくことを目指していますが、果たしてそこにたどり着けるかどうかは分かりません。

ドイツでは、自動車産業を兵器産業に転換することで何とかしようとする流れも出てきています。その背景には、ドイツ車が中国で急速に売れなくなってきて、中国の電気自動車(EV)が世界で売れる時代になってきたことがあります。ドローンをはじめ、ロボット兵のようなものも軍事で使われるようになることを考えれば、中国の技術と生産力がロシアの後ろにいることも無視できません。ロシアと中国、北朝鮮がくっついているという現実のなかで、ドイツが自分たちの価値と力をどれだけ強くできるのか。今私たちは分かれ道に来ていて、自分たちがどう変わっていくかで、世界の在り方も変わっていくのではないかと思っています。

ボリス・ピストリウス国防相ボリス・ピストリウス国防相(SPD)は、世論調査で最も人気のある政治家の座をキープしており、今後もその手腕が問われる

欧州最強の軍を目指すために新たな兵役制度にまつわるQ&A

ドイツの軍事力拡大の最初のフェーズとして、ドイツ連邦軍の人員増強が急務だ。今年から施行された新しい兵役制度では、18歳の男女を対象としたアンケートがすでに実施されている。ドイツが多額の防衛費をかけてスタートさせた新しい兵役制度は一体どのようなものなのか、Q&A方式で紹介する。

参考:ドイツ連邦軍ホームページ、連邦国防省ホームページ、tagesschau「Schulstreiks gegen Wehrdienst "Wir ziehen uns aus keiner Verantwortung"」

Q. そもそも兵士はどのくらい増やす必要がある?

軍務近代化法(Wehrdienst-Modernisierungsgesetz、WDModG)は新たな兵役制度に関する法的枠組みを定めた法律で、今年1月1日に施行された。兵役の魅力を高めることにより、連邦軍の人員増強を図る。同時に具体的な増員計画も定められており、2035年までに現役兵士を現在の約18万6000人から26万人以上に、基礎訓練を含めて軍務に就いた経験を持つ予備役兵士(Reservist)を約7万人から20万人以上、合わせて46万人以上の兵士を確保することを目標とする。

Q. 新しい兵役制度で徴兵制が復活したの?

今回の兵役制度の目的は、あくまでドイツ連邦軍が兵役に適した人材を特定し、志願者のみが兵役に就くことになるため、過去に行われていた強制的な徴兵制とは異なる。その準備段階として、今年1月から18歳になった男性はアンケート(次項)に回答することが義務づけられた。これはスウェーデンの徴兵制度を踏襲したもので、今後徴兵制が再開された時に備えて、徴兵を円滑に進めることを目的にしている。すでに今年4月29日までに約20万6000通が送付され、男性の9割以上の回答を回収しているという。さらに、2027年7月からは18歳男性に健康診断が義務付けられる。

Q. アンケートにはどのように答える?

ドイツ国籍を持つ18歳の誕生日を迎えた全ての男女に、オンラインアンケートのQRコードが記載された手紙が送付される。男性は回答必須で、女性は任意だ。質問票は12問あり、所要時間はおよそ15分、回答期限は1カ月以内となっている。また二重国籍の場合でも、ドイツ国籍を保有している場合は対象になる。トランスジェンダーなど第三の性の場合、戸籍に登録されている性別が男性の場合は回答しなければならない。なお、虚偽の申告をしたり、期限内に提出しなかったりした場合は、最高250ユーロの罰金が科されることが検討されている。

質問票の内容
  • ■ 個人情報(名前、住所、生年月日、性別、婚姻状況、国籍など)
  • ■ ドイツ連邦軍における兵役への関心
  • ■ 身長と体重
  • ■ 重度の障害の有無
  • ■ 学歴、スキル、資格
  • ■ 身体能力の自己評価;
  • ■ 外国の軍隊での兵役経験

兵役に関するアンケートが表示されているラップトップの画面を見る男性兵役に関するアンケートに回答する若者

Q. 兵役に興味がある場合はどうなる?

アンケートの回答に基づいて兵役に適していると判断された志願者に対しては、全国各地にあるキャリアセンターが窓口となり、適性検査が実施される予定。身体的、心理的、知的観点からそれぞれ適性と能力を総合的に評価され、本当に兵役に就けるのかどうかや、相応しい配属先などが検討される。志願者には検査最終日に兵役の可否と具体的な検査結果が伝えられ、今後についての最終面談が行われる。

Q. 兵役はどのように行われる?

兵役期間は6~11カ月で、臨時兵(Soldatin auf Zeit)として最長25年まで延長可能。配属先と勤務地は適性検査後に通知され、居住地からの距離、個人のスキルと資格、連邦軍のニーズが考慮される。また、職業訓練や進学等により、一定の条件のもと早期に除隊することも可能。兵役を終えると、予備役兵士として登録され、連邦軍に求人があり必要な資格を持っていれば、職業軍人に応募できる。

Q. 兵役での訓練内容は?

訓練はさまざまな武器を使用した戦闘方法、長距離移動、シェルターなしで数日間生き延びるためのサバイバルスキルなど、多岐にわたる。ほかにも応急処置、兵士としての考え方、基本法・国際法など幅広く学ぶことができる。また軍という共同体のなかで新兵同士が仲間意識を持って秩序や思いやりを学ぶ場でもあり、自身のリーダーシップの素質や厳しい訓練で自らの限界を知る機会にもなる。

Q. 兵士の給料や待遇は?

新しい兵役制度で志願した若者で、6~11カ月の場合は月額最低2600ユーロ(税込)の給与が支給される。軍が無料の医療サービスを提供するため、健康保険料の支払いは不要。連邦軍兵舎の宿泊費は原則無料で、相部屋で生活する。食堂では1日3回の食事(1日当たり約10ユーロ)が提供される。制服は全て無料で、制服着用中は勤務時間外でもドイツ国内の列車に無料で乗車できる。

Q. 志願兵だけで足りるの?

現時点では、連邦政府は志願兵のみによる兵士増強の達成を目指している。しかし今後の防衛政策や人員状況によっては、将来的に追加措置として徴兵制を導入することも検討される。現在検討されているのは、無作為に決定する抽選方式による徴兵。また徴兵制が復活した場合には良心的兵役拒否が認められるが、民間奉仕活動に従事しなければならない。

Q. 当事者である若者たちは納得しているのか?

新しい兵役制度は始まったばかりのため、現段階では若者へのアンケート調査などはまだ十分に行われていない。しかし、各地で若者による兵役反対デモがたびたび開催されており、若者の自己決定権が制限されることへの不満や、再軍備ではなく外交による戦争の解決を望む声が上がっている。家族や友人を守るという使命、魅力的な給与や待遇、キャリア支援など、連邦軍は若者たちへのアピールを続けているが、それがうまく機能するかどうかが、今後注目される。

新しい兵役制度に関する調査
  • ■ 徴兵制の再導入に賛成する人   全体 58%
      18~28歳 30%
  • ■ 兵役に就きたいと考える人   全体 23%
      18~28歳 14%
  • ■ 兵役が若者にとって有益な経験になると考える人   69歳以上 79%
      18~28歳 44%

横断幕を持って「兵役反対学校デモ」に参加する若者たち3月5日にベルリンで行われた「兵役反対学校デモ」に参加する若者たち

 

日本映画&日本文化を味わう6日間 第26回ニッポン・コネクション日本映画祭
2026年6月2日(火)〜6月7日(日)

Nippon Connection

今年も、6月2日(火)〜6月7日(日)の6日間にわたって、日本映画と日本文化の祭典「ニッポン・コネクション」がフランクフルトで開催される。初開催から26年目を迎える今年も、140本以上の長編・短編映画が上映されるほか、充実したカルチャープログラムが来場者を迎える。およそ2万人が訪れるニッポン・コネクションの見どころをチェックして、思いっきり映画祭を楽しもう。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

140本以上の上映今年のテーマは「シェイズ・オブ・リアリティ」

第26回を迎える今年のニッポン・コネクション映画祭では、140本以上の長編・短編映画を上映。ワールドプレミア7本、インターナショナルプレミア28本、ヨーロッパプレミア9本、ドイツプレミア38本が含まれ、日本から約100名の映画人・アーティストが来場予定だ。今年のカンヌ国際映画祭併設の映画見本市『マルシェ・デュ・フィルム』では、日本が「Country of Honour」に選ばれるなど、日本映画はまさに新たな人気の波を迎えている。

今年の重点テーマは「Shades Of Reality – Between Truth And Fiction」(リアリティの諸相 ― 事実とフィクションのあいだ)。映画というものが「現実」をどのように形づくり、解釈し、あるいは問い直していくのか。演出と現実の間に生まれる緊張関係を、多彩なラインナップを通じて探る。メイン会場は例年通りMousonturmとNAXOSで、そのほかフランクフルト市内の合計13会場で開催される。

第26回ニッポン・コネクション日本映画祭

今年の特別ゲストは、マンガ『ゴールデンカムイ』の実写版シリーズで知られる気鋭の俳優、山田杏奈さんで、日本映画界の優れた若い才能に贈る「ニッポン・ライジングスター・アワード」が授与される。ほかにも、アニメーション映画『秒速5センチメートル』の実写版で監督を務め、日本を代表する写真家としても知られる奥山由之監督、インディペンデント映画におけるレジェンド的存在である浜野佐知監督など、多くの著名なゲストが映画祭への来場を予定している。

2026年の注目映画

ドラマ、コメディ、アニメ、ドキュメンタリーと、幅広いジャンルが楽しめるニッポン・コネクション。ふだんドイツではなかなか見られない作品を中心に、今年の注目映画をピックアップ!

廣田裕介 映画 えんとつ町のプペル〜約束の時計台〜

煙突だらけの町「えんとつ町」を舞台に、主人公ルビッチとゴミ人間プペルの友情を描く人気アニメ映画の続編。前作で大切な親友プペルを失い、悲しみに暮れていた少年・ルビッチ。そんな彼はある日、時を支配する異世界「千年砦」へと迷い込んでしまう。お笑いコンビ・キングコングの西野亮廣の絵本を原作とするシリーズ最新作。

永井聡 爆弾

器物損壊で逮捕された無職の男・スズキが、自分には予知能力があると主張する。半信半疑の刑事たちが翻弄されるなか、実際に東京各地で爆発事件が連続発生。スズキは共犯者か、それとも本物の予言者か。息もつかせぬ展開が続くクライムスリラー。原作は、「このミステリーがすごい! 2023年版」(宝島社)で1位を獲得した、呉勝浩によるベストセラー小説。

塚原あゆ子 ファーストキス 1ST KISS

結婚して15年になる夫を踏切事故で突然失ったカンナ。ある日、ひょんなことから夫と出会った15年前の夏にタイムトラベルしてしまった。生前の夫と不仲だったカンナは、夫との初めての出会いからやり直し、やがて事故死してしまう彼の未来を変えたいと思うように。SFの設定に乗せて、一度しかない恋と選択の重さを丁寧に描くラブストーリー。

ゆりやんレトリィバァ 禍禍女

お笑い芸人・ゆりやんレトリィバァが初監督を務める怪作ホラーコメディ。好きになられたら死ぬまで逃れられない謎の存在「禍禍女」の噂が流れるなか、美大で出会った宏に一途な想いを抱く早苗の純粋な恋心が暴走していく。監督自身の恋愛経験を反映した「恋愛映画史上最狂の復讐劇」であり、笑えるのに怖い、怖いのに笑える、これまでにない新感覚の作品。

山本和宏 104歳、哲代さんのひとり暮らし

広島県尾道市で、104歳になってもひとり暮らしを続ける石井哲代さんの日常を追ったドキュメンタリー。小学校の教員として働き、退職後は民生委員として地域に尽くしてきた。畑仕事や掃除、近所との交流など、小さな喜びを大切に生きるその姿は、見る者の心を温かく揺さぶる。長寿社会の日本に生きるひとりの女性の、清らかで力強い肖像。

日本を体験できるニッポン・カルチャー部門

映画の上映だけでなく、80以上の関連プログラムで日本文化をたっぷり体験できるのもニッポン・コネクションの魅力。落語家・桂三輝による落語パフォーマンス、剣舞デュオ「TAROeMAKI」による躍動感あふれる剣舞、伝統的な能の要素と現代ダンスを融合させたダンスシアター「Ordinary」、インドのタブラと日本語ヒップホップを融合させた音楽ユニット「U-zhaan X 環ROY X 鎮座DOPENESS」のライブなど、見逃せないプログラムが目白押しだ。

ニッポン・カルチャー部門で日本を体験

ワークショップでは和紙作りや金継ぎ、盆踊りなどを体験できるほか、料理教室や日本酒のテイスティングで日本の食文化にも親しめる。無料講演では、侍ファン向けの日本旅行のヒントや、日本映画・アニメ翻訳の舞台裏など多彩なテーマを取り上げる。子ども向けにも、オリジナルのステッカー作り、和菓子作り、日本の文字の書き方などを体験できるワークショップが用意されている。

人気ガールズロックバンドのЯeaL

そのほか上映作品やニッポン・カルチャー部門のプログラム、チケット情報などは、映画祭ウェブサイトからチェック!

イベント情報
ニッポン・コネクション

ニッポン・コネクション Nippon Connection 開催期間: 2026年6月2日(火)〜6月7日(日) メイン会場: Künstler*innenhaus Mousonturm Waldschmidtstr. 4, Frankfurt am Main
NAXOS Waldschmidtstr. 19, Frankfurt am Main
https://nipponconnection.com/ja

最終更新 Mittwoch, 27 Mai 2026 11:10
 

ワーホリ・留学以外の選択肢シリーズ 3 ベビーシッターをしながら語学留学
国際交流プログラム
「オペア」

ドイツのオペア制度

ドイツに住んでみたい……。そんな思いを抱く人の多くは、まずワーキングホリデー制度や語学留学を思い浮かべるかもしれない。しかしドイツにはそれ以外にも、職業訓練やボランティア活動、オペア留学、フリーランスなど、さまざまな形で滞在する方法がある。本シリーズでは、そんなドイツにおけるさまざまな滞在方法や制度、その実体験をご紹介。第3回は、ホストファミリーの家でベビーシッターや家事の手伝いをしながらドイツ語を学ぶことができる国際交流プログラム「オペア」に注目する。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:連邦雇用庁公式サイト、AuPairWorld、AuPair.com、DR-WALTER「Business Survey 2025」

オペアとは?

オペア(Au-pair)とは、若者が外国のホストファミリーの家庭に住み込み、子どもの世話や簡単な家事を手伝いながら、語学力の向上や異文化理解を深めることを目的とした国際交流制度。19世紀の欧州が起源とされ、ドイツを含む西欧諸国、北米やオーストラリアなどの英語圏を中心に広く取り入れられている。「Au pair」はフランス語で「対等の立場で」を意味し、雇用関係ではなく、あくまで家族の一員として共同生活を送ることが考え方のベースにある。

ドイツでオペアビザを取得して滞在するためには、欧州連合(EU)圏外の第三国出身者の場合、ビザの申請時に年齢が18歳以上27歳未満であること、ドイツ語レベル(ヨーロッパ言語共通参照枠、CEFR)がA1以上であることが求められる。また原則として、ドイツのホストファミリーには18歳未満の子どもが少なくとも1人いること、家族の中にオペアと同じ出身国の人がいないことが条件となっている。さらに家庭内ではドイツ語が日常的に話されていることが求められ、ホストファミリーとオペアが親族の関係にある場合はオペアビザを取得することができない。

オペアの仕事は、ホストファミリーの家族構成によって異なるが、基本的に子どもの世話をすること、掃除や洗濯などの簡単な家事を行うこと、朝食や軽食を作ること、ペットの世話など多岐にわたる。なお、病人や高齢者の介護はこれに含まれない。

ホストファミリーは自分で探すことも可能だが、オペア斡旋エージェンシーの利用が推奨されている。ドイツではGütegemeinschaft Au-pair e.V.がRAL品質マークを発行しており、マークを持つエージェンシーは一定の基準を満たしており、オペア希望者への情報提供・相談・斡旋が無料で行われる。また斡旋手数料は最大150ユーロと定められている。

毎年およそ1万人(2024年時点)がオペアとして渡独しており、南ドイツなどの高所得者が多い地域はオペアの需要が高い傾向にある。オペアの76.9%が平均10~12カ月ドイツに滞在しており、その後ドイツに残り、進学や就職する人も少なくない。

● ドイツにおけるオペアの条件など

オペアの条件・待遇

  • 滞在期間は最短6カ月~最長1年間
  • オペアビザの発給は1度まで
  • 労働時間は1日最大6時間、週30時間以内
  • 週休1.5日以上(週4回以上の夜間の自由時間、月1回以上の日曜休が条件)
  • 年間4週間の有給休暇

ホストファミリーが負担するもの

※2026年4月時点

  • 月280ユーロのお小遣い
  • 語学コース費用として月額最低70ユーロ支給(年間最低840ユーロ)
  • 無料の宿泊(個室)と食事
  • 健康保険、傷害保険、賠償責任保険

● 数字で見るオペア

ドイツにおけるオペアの数

2022 2023 2024
非EU圏 7500 6913 7198
EU諸国 6500 6500 2800
合計 1万4000 1万3500 1万

ホストファミリーが多い地域

1位 バイエルン州南部(17%)
2位 マイン=ライン地域(16%)
3位 バーデン=ヴュルテンベルク州(13%)
4位 ハンブルクとその周辺(12%)

オペアが直面しやすい課題

1位 子どもとの接し方の難しさ(50%)
2位 長すぎる労働時間(26.5%)
3位 過大な責任感を要求されること(14.7%)
4位 家族ではなく家政婦としてみなされること(5. 9%)
5位 指示が不明瞭であること(2.9%)

出典:Calypso Verlag「Konjunkturumfrage 2025: Entwicklungen und Trends im deutschen Au-pair-Wesen」

共同生活で異文化をフル体験!私たちのオペア奮闘記

なぜオペアを選んだのか?言葉や文化の壁はどう乗り越えたのか?その先のキャリアは?実際にオペアを経験した日本人の方々に、そのリアルな体験を伺った。

自然豊かな村で保育士経験を活かして

お話を聞いた人

Hさん

日本で大学卒業後、保育士として勤務。大学で幼児教育を学んでいた際に、海外研修で初めてドイツを訪れ、ドイツで暮らすことに興味を持ち始めた。オペア終了後もドイツに残り、現在は保育士として活躍中。

Qオペアをやろうと思った理由は?

漠然とワーキングホリデー(以降、ワーホリ)でドイツ滞在をしようと考えていたのですが、ドイツ語が全く話せない状態だったため、仕事が見つかる可能性が低いことを懸念していました。そのためオペア留学中にドイツ語を学び、その後ワーホリをすることに。また、日本では保育士だったため、オペアをする上で自分の経験も生かせると思いました。

Qどのように準備を進めましたか?

オペア留学を決めたのは渡航の10カ月前。渡航8カ月前にドイツ語A1を取得しました。当時の勤務先に退職の意向を伝えたのち、オペア開始の7カ月前にホストファミリーが決定。契約や保険関係はホストパパが担当してくれ、基本的にメールでやり取りし、渡航の約3カ月前頃にオペアの契約書にサインをしました。ビザは現地で申請しましたが、ホストパパの全面的なサポートのおかげでスムーズでした。

Qホストファミリーはどのように見つけましたか?

無料で利用できるAuPairWorldで自分のプロフィールを登録して、1週間でいくつかオファーが来ました。日本でフルタイムで働きながら、また時差があるなかでオンライン面談をしなければいけなかったため、振り返るとホストファミリー選びにあまり時間を割けていなかったと思います。

オペアをしながらドイツ語を学びたかったのでドイツ人家庭であること、自分が見られる範囲の子どもの人数や年齢であることを条件に、自然豊かな場所で生活してみたかったので、大都市ではない地域に絞りました。最終的に決まったホストファミリーとはアウトドア好きという共通の趣味があり、さらに前任のオペアの方と話す機会もあったため、オペア生活を想像できたことが大きな決め手になりました。

オペアで滞在していた村に広がるワイン畑オペアで滞在していた村に広がるワイン畑

Q仕事の内容や一日のスケジュールは?

2人の未就学児の子どもがいる家庭でしたが、それぞれ異なる園に通っていたのでホストママかパパが上の子を、私は下の子を保育園に送り届けていました。半年ほどは週4で語学学校へ。授業がない日は子ども2人を迎えに行って、その後は一緒に遊びます。基本的に子どもの希望を聞いていましたが、雨が降らない限りは公園や庭で遊ぶことが多かったです。家事の面では、毎日の朝食の準備と片付け、日によっては夕食準備と片付けも。ほかにも掃除機、洗濯、食洗機の片付けは私の担当でした。

スケジュールは朝は基本的に固定で、ホストママが家族の予定に合わせてカレンダーにシフトを書き込んでくれ、私が把握するようにしていました。シフトも週30時間を超えないように常に管理されていて、週末はだいたい土曜の午前中に子どもの世話をして、午後からはフリーということが多かったです。

Qオペアで楽しいこと、大変なことは?

ドイツ人家庭の生活を日々体験できたことは、オペアの醍醐味でした。普段の何気ない買い物からイースターやクリスマスなどの体験は、ホームステイをしたからこそだなと思います。またホストファミリーの親戚がワイン醸造会社を経営していたので、ブドウ狩りに行ったり新酒を試飲したりと、日本では体験できないようなことが思い出に残っています。

お互いに察し合う文化で育った私と、何でも自己主張し合ってコミュニケーションを取るホストファミリーとで、関係性を築くのに時間がかかりました。このコミュニケーション方法は、ドイツ生活が7年たった今でも難しいと感じることが多いです。また、公園でオムツ替えをするときは何も敷かずに芝生の上でパパっと済ませていたり、子どもたちの冬のシャワーが週に1回だったりなど、衛生観念の違いにも驚きました。

誕生日会上の子の誕生日会では友だちを5~6人呼び、庭でゲームや宝探しをして大盛り上がりでした

Qオペア後の進路は?

オペアを終えてからはほかの街へ引っ越し、ワーキングホリデービザに切り替えました。その間は語学学校へ通ったほか、カフェやベビーシッターのアルバイトも経験。途中でパンデミックが始まってしまったのですが、日本の保育士資格の書き換えを経て、ドイツで保育士として働くようになりました。

Qこれからオペアをする人へのアドバイスをお願いします!

オペアは、現地に知り合いがいない状態でも、滞在費に比較的余裕がなくてもできる留学。ドイツ人家庭にどっぷりと入って生活してみたい人におすすめです。その反面、週の30時間をオペアの仕事に費やすことにもなるので注意も必要だと思います。

余裕があるのであれば、ドイツ語学習をしてからオペアを始めることをおすすめします。私は語学の面でホストファミリーとコミュニケーションが思うように取れずとても苦労したので、語学ができるに越したことはないです。良いコミュニケーションが取れれば人間関係も深まっていくと思います。

クラスの持ち寄りパーティードイツ語B1コースの終了時には、クラスでケーキやお菓子を持ち寄ってパーティーを開催

ドイツにできたもう一つの大切な家族

お話を聞いた人

Sさん

高校卒業後、認可保育園の保育補助として勤務。SNSで米国でオペアをしている人の投稿を偶然見たことがきっかけで、オペアに興味を持ち始めた。現役のオペアで、終了後の進路について検討中。

Qオペアをやろうと思った理由は?

高校卒業後に働いていたため、もともと進学や留学などは視野になく、ワーキングホリデーは渡航後の家や仕事探しに不安があったため、あまり惹かれませんでした。オペアの場合は渡航前から職と家が決まり、ビザもホストファミリーが面倒を見てくれるため、スタートのリスクがほとんどなく、海外生活を始めやすいと感じました。

Qどのように準備を進めましたか?

オペアとして働き始めたのが6月で、その前年の秋頃にはホストファミリー探しを開始しました。たまたま連絡をくれたのがドイツのホストファミリーで、年内には決定。ホストファミリーにとって私が4人目のオペアで、外国人局とのやり取りが上手だったため、ビザ申請については問題ありませんでした。私の場合は語学レベルを問われることがなく、ほとんどドイツ語の知識なしで渡航。英語は比較的得意だったので、渡独後はそれが大きな助けになりました。

Qホストファミリーはどのように見つけましたか?

AuPairWorldをフル活用しました。ログインの頻度が多いと、ページの上部に表示されやすいので、ホストファミリーの関心を引きやすいと思います。3〜4家庭からメッセージをもらい、条件が合うかお互いに気に入りそうかなどを吟味し、前向きな返信をしたり断ったりしたことも。また、気になったホストには自分からメッセージを送りました。

ホストファミリーとのビデオ通話後に断られることもあり、その際は少し落ち込むこともありましたが、選択肢やチャンスが多くあるので大丈夫です。今のホストファミリーとは、ビデオ通話後にお互いすぐに好印象、好感触を得たので、そのまま即決しました。

Q仕事の内容や一日のスケジュールは?

朝はお弁当の準備や朝食の補助、幼稚園の送り、午後は幼稚園のお迎えと、上の子の宿題の補助、夕飯作りや習い事の送り迎え、付き添いなどです。手と時間が余れば、一緒に遊ぶ時間を取れるようにしていますが、同時にいろいろなことをしなくてはならず、難しいのが現状です。

ある日準備した夕飯の様子ある日準備した夕飯の様子

Qどのような待遇がありますか?

週末は完全にフリーです。食事は朝と昼は自分で適当なものを、夕飯は自分が仕事内で作ったものを家族と食べるか、曜日によってはホストマザーが用意したものを一緒に食べます。またホストファミリーが休暇の時は私も休暇です。お金に余裕があれば旅行に行くほか、ホストファミリーの休暇に同行して家族の一員として一緒に休暇を楽しむことも。語学学校の費用については、私のホストファミリーの場合、どんな金額でも半分出してくれます。

Qオペアで楽しいこと、大変なことは?

一番の喜びは、実際の家族以外に、心から家族と思えるような存在ができたことです。また同様に、ホストからそう思ってもらえていると実感した時はさらにうれしいです。困ったときにはいい相談相手になってくれ、またときには身の回りのあれこれをお互いに茶化し合う仲良しな関係を築けています。

逆に大変だったのは、作ったごはんに対して子どもから文句を言われるようになったこと。子どもと関わる上で比較的当たり前なことではありますが、落ち込みました。何度かがまんした後、自分の気持ちを正直に伝えることに。話し合ったことで、ただ単に好き嫌いがあるからというより、お互いの心の距離が近いからこそ、相互のリスペクトや感謝を示さなくなったことが主因だったことが分かり、良い機会になりました。

Qオペア後の進路は?

日本で取得した保育士の資格をドイツで認定してもらえるように調整中です。一方で心を決めきれていないので、同時進行で、全く別の分野のアウスビルドゥングも検討しています。基本的には欧州にとどまりたいと思っているので、できる限りのことを尽くし、うまくいかなければ最終的に日本へ戻るつもりです。せっかく日本の外に出たので、できるだけ挑戦をしたいと思っています。安心して帰れる祖国があるからこそ、果敢になれると感じています。

下の子と一緒にクッキング下の子と一緒にクッキング

Qこれからオペアをする人へのアドバイスをお願いします!

自分の時間や労働力を搾取されないようにすることが大切だと思います。オペアという存在を家族の一員としてみなしてくれる家庭、オペアがホストファミリーのためだけにいるのではなく、彼らもオペアのためにいるという両方向の共通認識がある家庭を見つけられるといいですね。お金や時間に関しては、ちゅうちょせずにはっきりと事前に話すことが大切だと思います。

相性のいい家族に当たることが前提になりますが、絶対にいい経験になります!初めての海外経験がオペアだと、生活の全てがガラッと変わり大変だと思うこともありますが、それでも確実に何か人間としての強さのようなものを獲得できると思います。

ビーチで3人の子どもといっしょにホストファミリーの秋休み旅行についていった時

オペア開始までのステップ

オペアを始めるまでには、ホストファミリー探しや応募書類作成など、さまざまな準備が必要となる。ここでは、オペアビザを取得してドイツ滞在開始するまでのステップを確認しよう。

STEP 1
情報収集とホストファミリー探し

  • 自分の希望する地域や家族構成、子どもの年齢などを考え、ホス トファミリーを探す
  • AuPairWorldAuPair.comなどのオンラインプラットフォームのほか、RAL品質マークを持つエージェンシーを通じて探す方法も
  • 気になるファミリーにはメッセージを送り、ビデオ通話などで十分にコミュニケーションを取ろう

STEP 2
応募書類の作成

  • 履歴書(Lebenslauf)と志望動機書(Motivationsschreiben)をドイツ語で丁寧に作成する
  • 保育経験やベビーシッターの経験がある場合は積極的にアピールするとよい
  • 多くのエージェンシーでは質問票の記入も求められる

STEP 3
ホストファミリーとの契約締結

  • オペアとホストファミリー双方の条件が合致したら、オペア契約書(Au-pair-Vertrag)を準備する
  • 記入式契約書は連邦雇用庁の公式サイトからダウンロード可能
  • 契約書には、業務内容、労働時間、滞在期間、自由時間と休暇、お小遣いの金額、保険、語学コースに関する事項が含まれる

STEP 4
オペアビザの申請

  • ドイツ到着後は速やかに住民登録(Anmeldung)を行い、外国人局(Ausländerbehörde)で滞在許可を申請する
  • 必要書類は、有効なパスポート、署名済みのオペア契約書、ホストファミリーからの招待状、保険加入証明書、ドイツ語能力証明(A1レベル)、生体認証用の証明写真など

STEP 5
オペア生活の開始

  • オペアビザを取得したら、オペアとしての活動を開始できる
  • エージェンシーを利用する場合、問題が生じた際はまずエージェンシーに相談し、客観的なアドバイスを求めることが推奨されている

ワーホリ・留学以外の選択肢シリーズ
 

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