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週末も休暇も!ふらっと泳ぎに出かけよう 夏に訪れたいドイツの美しい湖

夏といえば、海水浴! ここドイツにも海はあるが、北海とバルト海ははるか遠く……という読者の方も少なくないだろう。そんなドイツでの身近な水辺といえば、湖だ。エメラルドグリーンに輝く湖水、まるで海辺のような砂浜が整備された湖畔、湖をぐるりと囲む壮麗な山々など、夏の休暇にも魅力的なスポットが各地に存在している。本特集では、この夏に訪れてみたい湖とともに、湖の楽しみ方をたっぷりご紹介する。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

湖

ドイツで水辺といえば湖!

ドイツ全土には1万2000以上の自然湖があり、その多くは2万年前の氷河期の終わりに形成されたもので、主に北ドイツ平野とアルプス山脈に位置している。また、そのうち750の湖は50ヘクタール以上の大きさを誇り、ドイツ最大のボーデン湖をはじめ、リゾート地として知られる場所も少なくない。さらに、ダムや貯水池などの人工湖も多く存在する。ドイツには北海(Nordsee)とバルト海(Ostsee)があるが、どちらも北部に位置するため、海を身近に感じている人は限られるだろう。故にドイツの人々にとって、全国各地に存在する湖は最も身近な水辺の一つなのだ。

ドイツでは、近くの湖までふらっと泳ぎに行くことは日常的であり、昔ながらの休暇スタイルとして湖畔で数週間を過ごすという話もよく耳にする。実際、屋外で遊泳・水浴びをする場所としては湖が一番多いという調査結果もある。また湖では泳ぐことやウォータースポーツはもちろん、ハイキングやキャンプ、サイクリングなど、幅広いアクティビティを楽しむことができる。何より自然を愛するドイツ人たちにとって、湖は癒しと安らぎを与えてくれる場所なのである。

ドイツ人にとって身近な泳ぎ場

ドイツ人にとって身近な泳ぎ場

湖が好きな年齢層

湖が好きな年齢層

欧州連合(EU)の環境機関であるEEAの2023年の報告によれば、ドイツの海水浴場や河川、湖の96%は、水質が「優良」もしくは「良好」と評価されている。一方で、気候変動による大雨や洪水によって水質が悪化することがあるため、注意が必要だ。特にシアノバクテリアと呼ばれる藻の濃度が高い場所では感染症を起こす可能性があり、実際に海水浴や湖水浴を禁止される事例もある。各州では定期的に水質検査が行われているため、湖に行く場合は自治体のウェブサイトを確認することが望ましい。また湖を汚染しないようペットの排泄の場所(もちろん人間も!)に気を配ったり、ナノ粒子を含む日焼け止めクリームを使わないなど、美しい湖を守るための市民一人ひとりの意識も大切だ。

参考:Deutschland.de「Faszinierende Wasserwelten」、Deutschlandfunk Nova「SommerAbindenSee - dieWasserqualitätistgutgenug」、ZDFheute「Baden in Seen und Flüssen: So erkennt man die Wasserqualität in Badeseen」

訪れてみたいドイツの湖6選

魅力的な湖が多々存在するドイツ。ここではドイツでも人気のスポットを中心に、各地にある湖をご紹介する。また湖でのアクティビティのほか、楽しく安全に過ごすためのヒントも。この夏の計画にぜひ役立てて。

ドイツの湖

ドイツの湖といえばやっぱりここ! ボーデン湖
Bodensee

ボーデン湖

ドイツ、オーストリア、スイスの三つの国にまたがるボーデン湖は、536平方キロメートルの大きさを誇る。花の楽園として知られるマイナウ島、ボーデン湖最大の都市コンスタンツ、美しい港を擁するリンダウ(写真)、ツェッペリン(飛行船)の本拠地フリードリヒスハーフェンなど、各地に見どころがある。また30種類以上の魚が生息しており、白身魚のBlaufelchenなどのご当地グルメも要チェックだ。夏は文化イベントも多く、休暇で訪れる場合は早めの予約がベター。
www.bodensee.de

緑色の輝くアルプスの湖 アイプ湖
Eibsee

アイプ湖

スキー場としても名高いドイツ最高峰ツークシュピッツェの麓にあるアイプ湖は、その壮大な風景と透明度からドイツで最も美しい湖の一つとして知られる。標高1000メートルに位置し、真夏でも水温は20~22度と低めだが、遊泳やウォータースポーツを楽しめることはもちろん、飲用も可能だ。各種ハイキングコースが整備されているほか、ツークシュピッツェケーブルカーに乗れば、上から湖を眺めることもできる。緑色に輝く湖にきっと心洗われるはず。
www.eibsee.de

北ドイツに広がる湖沼地帯 ミューリッツ
Müritz

ミューリッツ

スラヴ語で「小さな海」を意味するミューリッツをはじめ、メクレンブルク湖沼地帯には大小合わせて1000以上の湖がある。湖に面したマルヒョー、プラウ・アム・ゼー、レーベル(写真)、ヴァーレンなどの街は、それぞれ美しい港や旧市街を擁し、ウォータースポーツやサイクリングなどのアクティビティが楽しめるリゾート地になっている。またオジロワシなどが生息するミューリッツ国立公園では、ユネスコ世界遺産に登録されている古代ブナ林を見ることができる。
www.mueritz.de

壮大なダムと大自然のコントラスト エーダー湖
Edersee

エーダー湖

ユネスコ世界遺産に登録されているケラーヴァルト・エーダー湖国立公園にある貯水湖。全長400メートルにわたるダムも観光スポットの一つで、無料のガイドツアーも(要事前予約)。無料で泳げる場所も多いが、岩場が多かったりライフガードがいなかったりするため注意しよう。湖水浴場のRehbachは浅瀬が多いため、小さな子どものいる家族にもおすすめ。木々の間に設置された全長700メートルの遊歩道「Baumkronenweg」からも湖を眺めることができるので、ぜひ足を運んでみよう。
www.edersee.com

鉱山地帯に造られた貯水湖 ビッゲ湖
Biggesee

ビッゲ湖

ザウアーラント南部にあるビッゲ湖は、ドイツで最も大きな貯水湖の一つ。さまざまなウォータースポーツが楽しめるほか、ダム建設によって水の底に沈んだ鉱山を探検できるダイビングスクールも人気だ。湖水リゾート「EuroParcs」には広々としたビーチが整備され、キャンプ場なども併設されている。各地点で乗り降りできる遊覧船も運行しており、停留地点のビッゲブリック展望台からのパノラマビュー、ドイツ最大級の鍾乳洞であるアッタ洞窟もお見逃しなく!
www.biggesee-listersee.com

ウォータースポーツ愛好家に人気 グローサープレーン湖
Großer Plöner See

グローサープレーン湖

バルト海にほど近い、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州のグローサープレーン湖は、約30キロ平方メートルの広さと深い青色が特徴だ。13カ所の湖水浴場が整備され、ウィンドサーフィンなどさまざまなウォータースポーツが楽しめることで人気が高い。湖周辺には、プレーン城(写真奥)がランドマークのプレーン、田園風景が美しいボーザウやダースアウなど、魅力的な街が存在する。毎週火金に開催されるプレーンの市場では、地元の漁師が獲った新鮮な魚や燻製などが手に入るので、ぜひ訪れたい。
www.holsteinischeschweiz.de/grosserploenersee

家の近くの湖を見つける リゾート地だけではなく、もっと気軽に湖に足を運びたいという人には、湖専門の検索サイトもおすすめ。下記のウェブサイトで郵便番号を入れると、近くの湖が検索できるので、お気に入りの湖を見つけてみて。
www.seen.de/finder

湖で楽しめるアクティビティ

湖で楽しめるアクティビティ

湖ではカヌーやカヤック、カイトサーフィンなどの本格的なウォータースポーツのほか、近年SUP(スタンド・アップ・パドリング)の人気も高まっている。大きめの湖であれば、各種コースや用具のレンタルを行っているところも多いため、ぜひ試してみたい。また、山や森に囲まれた湖ではハイキングやサイクリングも王道だ。木々、岩、青空、そして湖が織りなす大自然の壮大なコントラストを楽しもう。さらに大きめの湖の近くにはスパやホテルがあることも多いため、ウェルネス休暇にもぴったり。湖畔の街では散歩を楽しんだり、博物館を訪れたりして、自分らしい湖での過ごし方を見つけてみて。

裸で泳ぐ! ?「FKK」とは

ヌーディズム(Freikörperkultur、FKK)が文化として根付くドイツ。19世紀後半に産業化によって汚染された都市で過ごす人々が、健康のために自然の中で裸になって日光浴や運動するようになったことが起源とされる。特に東ドイツ時代には、社会主義体制下の抑圧からの解放でもあり、ほとんどのビーチで裸で泳ぐ人の姿が見られた。今日もFKKの精神は続いており、YouGovの2021年の調査によるとドイツ人の4人に1人はビーチで裸になったことがあると回答している。ただし、現在はどこでも裸で泳げるわけではなく、FKK専用のエリアに行く必要がある(撮影禁止などのルールも)。一度体験すると、その開放感に魅了される人も多いが、気になる方はルールを守ってトライしてみて。

湖を安全に楽しむために

近年ドイツでは、6~10歳の子どものおよそ20%が泳げないとして大きな問題になっている。また溺死事故も増えているほか(2024年は411件)、気温差などで命を落とすケースも。湖で安全に楽しく過ごすために、ドイツ救命協会(DLRG)が提案する10の心得をしっかり確認してから水に入るようにしよう。

  • 体調が良いときだけ泳ぐこと
  • 誰かが助けてくれる状況にあるときにのみ泳ぐこと
  • もし水の中で問題が起きたら、大声で助けを求め、腕を振ること
  • 水に入ることを誰かに伝えること
  • 空腹時もしくは食後は水に入らないこと
  • 水に入る前に体を冷やすこと
  • 許可されているところでのみ入水すること
  • 思いやりを持つこと(走ったり誰かを押したりしない)
  • アームヘルパーや浮き輪などはおぼれても助けにはならない
  • 屋外で泳ぐ場合、雷や大雨になったらすぐに水から上がること

「ベルリン市民のバスタブ」と呼ばれて時代ごとに愛されてきたヴァンゼー

ベルリン西部に位置する巨大な湖「ヴァンゼー」(Wannsee)は、100年以上もの間、ベルリーナーに愛されてきた。湖水浴場は一日に最大1万人が訪れ、1キロ以上にわたる砂浜は海辺そのものだ。プロイセン、ヴァイマール共和国、ナチスドイツ、西ドイツ……それぞれの時代ごとに、市民に寄り添ってきたヴァンゼーの物語に迫る。

多くの人でにぎわうヴァンゼー湖水浴場多くの人でにぎわうヴァンゼー湖水浴場

参考:visitBerlin、DER SPIEGEL「Strandbad Wannsee: Plantschen für das Vaterland」、jungle.world「Das Strandbad Wannsee in Berlin verfällt, doch es gibt ein neues Nutzungskonzept: Die Badewanne der Berliner」、taz「„Wanna See Wannsee?“Noch gibt es Hoffnung」

ヴァンゼー湖水浴場
Strandbad Wannsee

幅80メートル、長さ1275メートルの広大なビーチを擁し、収容人数は最大3万人。日帰りリゾート地として、特に家族連れに人気がある。ウォータースライダー、FKK ゾーン、遊歩道、ビーチバレーコートが整備されているほか、ボートレンタルなどのサービスも。

Wannseebadweg 25, 14129 Berlin
2025年5月1日(木)~31日(土)10:00-19:00
2025年6月1日(日)~9月7日(日)10:00-20:00

1日券 6.50ユーロ(割引3.80ユーロ)
Badespaß チケット 12ユーロ
(最低大人1名子ども1名の3名まで、さらに子どもがいる場合は1名につき1.50ユーロ)

www.visitberlin.de/de/strandbad-wannsee

バスルームのない市民は湖へ⁉

有数の行楽地として知られるヴァンゼーの物語は、20世紀初頭のプロイセンの時代に始まる。すでに180万人以上の人口を抱えていたベルリンでは、人々は狭い家に密集して暮らしており、バスルームが備わっていた住宅はごく一部。市民にとって湖は水浴びができる貴重な場所の一つだったが、当時のプロイセンでは半裸で泳いだり水浴びをしたりすることは道徳に反するとされ、公共の場で水浴びすることが禁止されていた。しかしこれに対して抗議活動が起こり、あまりの違反者の多さに取り締まり切れなくなったため、1906年にヴァンゼーの沿岸200メートルが開放されることになった。その翌年には東岸に湖水浴場がオープンし、「ベルリン市民のバスタブ」と呼ばれて親しまれた。当時のビーチは家族、男性、女性のエリアに分かれており、水着も露出の少ないものを着用しなければならないなど、細かい規定があったという。

時代に翻弄された行楽地

ヴァイマール共和国時代(1919-1933)に入ると、労働者が休日は屋外で過ごし、運動や体操によって健康を維持することを理想に掲げた身体文化運動が盛んになった。その流れのなかで公園、スポーツ施設、プールなどが次々と建設され、ヴァンゼー湖水浴場も新しいレジャー施設として再建されることが決定する。プロジェクトを担当したのは、都市計画家のマルティン・ヴァグナーと建築家のリヒャルト・エルミッシュ。レストラン、スパ、スポーツ施設などが入ったノイエザッハリヒカイト(新即物主義)様式の長さ1000メートルにわたる複合施設の建設を計画したのだった。

1929~1930年にかけて建設が進んだものの、世界恐慌によって財源不足となり、さらには1933年にヒトラー政権が樹立し、計画そのものが中止されてしまう。同年、湖水浴場の支配人だったヘルマン・クラユスが反ファシズムの思想を貫き、自らの解雇を悟ってオフィスで自殺するという悲しい事件も起きた。そして1935年にはユダヤ人の遊泳禁止の標識が立てられ、1938年には法律によって禁止された。その一方で、第二次世界大戦中の1942年も、およそ85万人がヴァンゼー湖水浴場を訪れていたという。

ナチス時代のヴァンゼー湖水浴場ナチス時代のヴァンゼー湖水浴場

第二次世界大戦後、ヴァンゼーは東西ドイツの国境を挟むことになり、東岸の湖水浴場は西ベルリンに属することになった。戦争による被害は比較的少なく、1956年にはバルト海から砂が運ばれ、日帰りのリゾート地としてますます人気となった。特にベルリンの壁に囲まれた後の西ベルリンの人々にとって、ヴァンゼー湖水浴場はすぐに足を運ぶことができる貴重な行楽地の一つだった。

未来のヴァンゼーの姿は?

東西ドイツ再統一後の現在も、ヴァンゼーは国内でも人気の高い湖で在り続けている。しかし、利用者は年々減少傾向にある。その一因が施設の老朽化だ。ヴァイマール時代に建設途中のままとなった500メートルにわたるレンガ造りの建物は、現在も残っている。2007年の創立100周年を機に一部は改装されたものの、かつてのレストラン「リド」をはじめとした施設は改修が叶わず、一部は立ち入ることができない。

ダルムシュタット専門大学の建築学教授であるカーステン・ゲルハルズ教授によると、「あと5年でこの建物は修復不可能になる」(2024年時点)という。同氏は建築を歴史的に価値あるものとして保存し、持続可能な形で利用していくことを目指して、2024年に学生たちと共に、レストラン「リド」があった空間で展覧会「Wanna See Wannsee?」を開催。施設を修復し、さまざまな職業訓練の場として再利用することを提案した。時代ごとに人々に利用されてきたヴァンゼー湖水浴場は、次の世代にも愛され続けるために、今まさに正念場を迎えている。

老朽化のため一部が使用できなくなっている建物老朽化のため一部が使用できなくなっている建物

展覧会「Wanna See Wannsee?」で展示されたヴァンゼー湖水浴場の未来展覧会「Wanna See Wannsee?」で展示されたヴァンゼー湖水浴場の未来像

最終更新 Freitag, 16 Mai 2025 13:23
 

日本映画&日本文化を堪能する6日間 第25回ニッポン・コネクション
日本映画祭
2025年5月27日(火)〜6月1日(日)

Nippon Connection

2025年も、5月27日(火)〜6月1日(日)の6日間にわたって、日本映画と日本文化の祭典「ニッポン・コネクション」がフランクフルトで開催される。日本映画祭として世界最大規模を誇る同映画祭は、初開催から今年で25周年を迎える。およそ2万人が訪れるニッポン・コネクションの見どころをしっかりチェックして映画祭を楽しもう。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

日本映画100本の上映、テーマは「執着」

第25回ニッポン・コネクション日本映画祭の重点テーマは、「Obsessions – From Passion To Madness」(執着 - 情熱から狂気まで)。執着には、工芸や音楽、料理の分野に見られる「完璧さの追求」、並外れた成果を生み出す「情熱」がある一方で、「こだわりすぎ」や「自制心の喪失」などネガティブな側面もある。強迫的な愛、欲望、魅惑、復讐、そしてもちろん映画への情熱など、多様な側面を持つ作品が選ばれている。

期間中はおよそ100本に上る長編・短編映画を上映。劇映画のほか、ドキュメンタリーやアニメとジャンルは多岐にわたり、多くの作品がドイツをはじめ、日本国外で初公開となる。メイン会場であるMousonturmとNAXOSのほか、フランクフルト市内にある六つの施設で開催される。

また、一部作品には監督や俳優、映画関係者がゲストとして登壇。日本映画界の優れた若い才能に贈る「ニッポン・ライジングスター・アワード」には、片渕須直監督のアニメ作品「この世界の片隅に」や、宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」などの制作に携わってきた背景美術、美術監督の林孝輔氏に授与される。Mousonturmの玄関ホールでは、同氏の作品が展示されるので、こちらもお見逃しなく。

美術監督の林孝輔氏の作品

2025年の注目映画

ドラマ、コメディ、アニメ、ドキュメンタリーと、幅広いジャンルが楽しめるニッポン・コネクション。ふだんドイツではなかなか見られない作品を中心に、今年の注目映画をピックアップ!

前田哲九十歳。何がめでたい

今年のオープニングを飾るのは、直木賞作家・佐藤愛子のベストセラーエッセイ『九十歳。何がめでたい』『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』の映画化作品。90歳となった俳優の草笛光子が佐藤愛子を熱演する。断筆宣言をした愛子は、中年編集者の吉川(唐沢寿明)に口説かれて連載エッセイを執筆することに……。人生100年時代に見るべき、痛快エンターテイメント。

呉美保ぼくが生きてる、ふたつの世界

「そこのみにて光輝く」や 「きみはいい子」で知られる呉美保監督の最新作。コーダ(きこえない、またはきこえにくい親を持つ聴者の子ども)として生まれ育った、五十嵐大氏の自伝的エッセイを原作とする。きこえる世界ときこえない世界を行き来する主人公を吉沢亮が、母親役はろう者俳優として活躍する忍足亜希子が演じる。居場所を探す若者と、その母の思いが心に響く物語。

伊藤詩織Black Box Diaries

映像ジャーナリストの伊藤詩織氏による初監督作品。自身が被害にあった性的暴行について、勇気をもって調査に乗り出していく姿を自ら記録した。第20回チューリッヒ映画祭でドキュメンタリー賞を受賞したほか、第97回アカデミー賞でノミネートされるなど世界から注目を集めている。5月30日の上映日には、映画プロデューサーのエリック・ニヤリ氏が登壇予定。

押山清高ルックバック

「このマンガがすごい!2022」オトコ編第1位に輝いた読み切り漫画「ルックバック」を原作とするアニメ作品。原作者は「チェンソーマン」で知られる藤本タツキだ。学年新聞で四コマ漫画を描き続ける藤本と、不登校で密かに藤本に憧れを抱く京本の二人の少女の、漫画へのひたむきな思いを描く。ところがある日、全てを打ち砕く事件が起きる……。第48回日本アカデミー賞では、最優秀アニメーション作品賞を受賞。

片渕須直この世界の(さらにいくつもの)片隅に

昭和19年に広島県呉に嫁いだすずの日々の暮らし、そして広島の原爆投下を描く漫画「この世界の片隅に」を原作とする長編アニメ。「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」は、2016年の映画版からさらに250カットを超える新エピソードが追加されており、終戦80周年を機にあらためて見たい作品だ。美術監督は、今年のニッポン・ライジングスター・アワードに選ばれた林孝輔氏が務めた。

日本を体験できるニッポン・カルチャー部門

ニッポン・コネクションに足を運ぶなら、さまざまな日本文化を体験できる「ニッポン・カルチャー部門」もお忘れなく。茶道、料理教室、パフォーマンス、展覧会、ワークショップ、レクチャー、パネルディスカッション、コンサートなど、70以上のプログラムが用意されている。

ニッポン・カルチャー部門で日本を体験

さらにMousonturmとNAXOSでは、屋台やバーで日本料理が提供されるほか、雑貨や工芸品、映画祭オリジナルグッズなどの販売ブースなど、40以上の出展者が集まる。無料で出入りできるので、映画やイベントの合間にぜひ立ち寄ってみて。

毎年日本から豪華ゲストがやってくるコンサート(5月28日)では、人気ガールズロックバンドのЯeaLが登場。テレビアニメ「銀魂」「ポケットモンスター サン&ムーン」「BORUTO-ボルト-」などのアニソンで知られ、アニメファンはもちろん、観客を盛り上げてくれること間違いなし!

人気ガールズロックバンドのЯeaL

そのほか上映作品やニッポン・カルチャー部門のプログラム、チケット情報などは、映画祭ウェブサイトからチェック!

イベント情報
ニッポン・コネクション

ニッポン・コネクション Nippon Connection 開催期間: 2025年5月27日(火)〜6月1日(日) メイン会場: Künstler*innenhaus Mousonturm Waldschmidtstr. 4, Frankfurt am Main
NAXOS Waldschmidtstr. 19, Frankfurt am Main
https://nipponconnection.com/ja

最終更新 Montag, 12 Mai 2025 15:54
 

終戦80周年記念特集 犠牲者としてのドイツの歴史
「追放」はどう語られてきたか?

ポーランドのヴロツワフ西部を歩いて移動する被追放者たちの列(1945年撮影)ポーランドのヴロツワフ西部を歩いて移動する被追放者たちの列(1945年撮影)

ドイツおよび欧州が第二次世界大戦の終わりを迎えた1945年5月8日から、今年で80周年を迎える。ドイツでは、ホロコーストをはじめ加害者としての歴史に触れる機会は多い一方で、犠牲者としての歴史を知る機会は少ない。本特集では、あまり知られてこなかった歴史の一つ「追放」に焦点を当てることにした。タブー視されていた時期もあったこの歴史が、どのように語り継がれてきたのかを探る。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

佐藤成基「ドイツ人の『追放』,日本人の『引揚げ』—その戦後における語られ方をめぐって—」、bpb.de「Kollektive Erinnerung im Wandel」、NDR「Flucht und Vertreibung überschatten 1945 das Kriegsende」、NHK映像の世紀バタフライエフェクト「ふたつの敗戦国 ドイツ さまよえる人々」

取材協力・監修

佐藤成基さん Shigeki Sato

法政大学社会学部教授。ナショナリズムと国家についての理論と歴史の研究に従事する。著書に『ナショナル・アイデンティティと領 土ー戦後ドイツの東方国境をめぐる論争』(新曜社)、『国家の社会学』(青弓社)、『国民とは誰のことかードイツ近現代における国籍法の形成と展開』(花伝社)などがある。
www.t.hosei.ac.jp/~ssbasis

1400万人が故郷を追われた「追放」

第二次世界大戦の敗戦で、ドイツは戦前の領土の4分の1に相当する東方領土(オーデル・ナイセ線以東の領土)を失った。これには、米国・英国・ソ連の首脳が1945年のポツダム会談で、ソ連とポーランド、ポーランドとドイツの国境をそれぞれ西へと移動させることを決めたという背景がある。それに伴い、ソ連とポーランドのみならず、チェコスロヴァキア(当時)、ハンガリー、ルーマニア、ユーゴスラヴィアなどに住んでいたドイツ人が故郷から追放されることになる。追放の対象となったのはドイツ国籍を持つ者はもちろん、民族的にドイツ人とされる人々も含まれていた。なかには、12世紀頃から東欧に定住していたドイツ系民族もいたという。

ドイツ人の避難と追放の内訳(1950年)

1944年秋、ソ連軍がすでに到達していた地域では、ドイツ人の避難が始まっていた。家を追われ、財産を没収された人々は、持てるだけの荷物を持って、徒歩や列車で西を目指した。その途上では、寒さや飢えで病気や栄養失調となって命を落とした者がいれば、バルト海上で移送船がソ連軍の魚雷によって撃沈されたり、爆撃などの戦闘に巻き込まれたりして犠牲となった者もいた。さらにドイツ人への報復として、解放された強制収容所に今度はドイツ人が収容されるなど、民間人による暴力や虐殺もあった。こうした非人道的なドイツ人の追放は1945年の終戦後も続いた。

「ドイツ人の秩序ある移送」と呼ばれる組織的な追放は1946年1月から行われた。ホロコーストの移送で使われた貨物列車にドイツ人が隙間なく詰め込まれ、劣悪な環境のなかドイツへ向かったという証言も残されている。最終的には1944~1950年の間に1200万~1400万人のドイツ人が東方からドイツへと追放され、そのうち60万~100万人、あるいはそれ以上が命を落としたといわれている(連邦政治教育センター参考)。

1945年10月、ベルリンのアンハルター駅で電車を待つ被追放者たち1945年10月、ベルリンのアンハルター駅で電車を待つ被追放者たち

ドイツの「追放」と日本の「引揚げ」

「追放」はドイツ語で「Vertreibung」といい、強制移住させられた人々を「被追放者」(Vertriebene)と呼ぶ。日本でも敗戦に伴い外地で生活していた人々が日本へと帰る「引揚げ」があったが、その意味は大きく違う。そもそも「引揚げ」は「もとにいた場所に戻る」ことを意味し、被強制性が含意されていない。一方で「追放」は「故郷から強制的に追放された」ことを意味し、明らかな被強制性が示唆されている。

東西ドイツで違った「追放」の扱い

追放がほぼ終了した1950年時点では、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)に約800万人、ドイツ民主共和国(東ドイツ)に約400万人の被追放者が流入していた。西ドイツでは総人口の約16%、東ドイツでは約25%に当たる数である。そもそも戦争で街が破壊され、さらに東西に分断されたドイツにとって、被追放者を受け入れることは大きな負担となった。西ドイツでは被追放者は人口比で偏りが生じないよう各州に振り分けられ、東西それぞれの形で社会に統合されていくことになるが、「追放」の扱われ方は東西で大きく異なっていた(詳しくは下記)。

東西で被追放者の扱われ方に違いはあるが、いずれの場合も表面上の統合にすぎず、実際には故郷を奪われた喪失感、差別や賃金格差などに苦しんだ人が少なくなかった。西ドイツにおける1949年の調査では、被追放者の82%が故郷に帰ることを望んでおり、1959年時点でも57%が帰還を望んでいたという。

西ドイツ
  • 戦後直後から1960年代まで、追放は非人道的で国際法に反する「不正」と認識され、敗戦により東方領土を奪われたことは「不当」と訴えていた
  • 基本法で、1937年の段階で「ドイツ帝国」の範囲でドイツ国籍を持つ人々、ドイツ国籍を持たない民族的にドイツ人とされた人を、配偶者・子孫を含めて「ドイツ人」と規定した。なお1950年以降の被追放者は「アウスジードラー」(Aussiedler)と呼ばれ、現在も民族的にドイツ人と認められれば、一定の条件のもとドイツ国籍を取得することができる
  • 戦争被害の損失を国民全体で負担することを目指した「負担均衡法」(1952年制定)により、被追放者たちも援助の対象となった(ただし、償還された財産は2割程度)
  • 1950年に「故郷被追放者・権利被はく奪者のブロック」(BHE)という政党も結成され、一時期は連邦議会に27議席を持っていた
  • 1957年には「被追放者連盟」(BdV)が創設され、内政・外交両面で政党や行政に影響力を行使した

東ドイツ
  • 東方からの避難民を「移住者」(Umsiedler)と呼んだ
  • ソ連の同盟国として東欧の社会主義諸国と友好な関係を維持するため、西ドイツのように不正の告発を行おうとしなかった
  • 地主から没収した農地を東方からの移住者にも配分することで、新生の社会主義国家に「新市民」(Neubürger)として同化させようとした
  • 1950年の時点で400万人が東ドイツに流入したが、ベルリンの壁建設前にその多くが西ドイツに移住したといわれている

タブー化された「追放」の歴史が認められるまで

東ドイツでは「追放」について公式に言及してこなかったため、ここでは西ドイツの歴史を振り返る。戦後の西ドイツでは「難民・被追放者・戦争被害者省」を設置し、1969年まで被追放者の受け入れを担ったほか、追放の当事者の体験談や目撃談を700以上収めた公式記録(全5巻8冊)の制作も行っている。一方で追放に関する言論は反共主義と強く共鳴し、西ドイツの国是であった「再統一」には被追放者の故郷回復の意味も込められていた。

ところが、1968年にブラント政権が成立し、東欧社会主義諸国との融和を目指す「新東方政策」が開始されたことが、被追放者にとって逆風となった。当時、ナチスの罪を自覚することが「和解と平和」に貢献するとした公共的規範が西ドイツに根付いていった。その結果、追放を公然と語ることが難しくなり、タブー化されていったのである。追放の不正について語ることは、東方政策を妨害し、報復主義や歴史修正主義であるとみなされるようになった。被追放者団体やその支援者たちは追放の不正を訴え続けたが、そうした発言は批判され、ネオナチのレッテルさえも貼られたという。

転機が訪れたのは、1990年の東西ドイツの再統一だった。それまで未解決だったドイツとポーランドの国境が確定し、ドイツは東方領土への要求を正式に放棄。領土問題から解放され、追放の歴史を公然と語りやすくなる状況が生まれた。2000年代に入ると、追放の歴史に関連するドキュメンタリー放送、書籍の出版、展示などが相次ぎ、「追放のルネッサンス」のようなブームが訪れる。2005年にボンの歴史の家で開催された展示「避難・追放・統合」は、非難する声もあったものの、その後ベルリンとライプツィヒを巡回するほど注目された。こうして公共でのプレゼンスが高まるにつれ、追放はドイツ史の一部と認識されるようになったのである。

追放を描いた小説『蟹の横歩き』

ドイツを代表する作家であり、ノーベル文学賞受賞者のギュンター・グラスの『蟹の横歩き』は、1945年1月に大勢の被追放者を載せた豪華客船ヴィルヘルム・グストロフ号がソ連の攻撃で沈没した実際の事故を題材とする小説。グラス自身もダンツィヒ(現ポーランドのグダニスク)出身の被追放者として知られ、「追放」ブームが始まった2002年に出版された。翌年には日本語訳も出版されている(現在は絶版)。


KrebsgangIm Krebsgang
(蟹の横歩き)
Günter Grass


発行元:dtv Verlagsgesellschaft mbH & Co. KG
定価:13ユーロ

「追放」をめぐる今とこれから

1998年に被追放者連盟の会長に就任したエリカ・シュタインバッハ氏は、追放の問題を国民的なテーマへと復権させることを目指す取り組みを始めた。追放の歴史を語ることは、ナチスの犯罪やドイツ人の責任を相対化するものだという批判もあったが、同氏はこの歴史を加害の歴史と同時に語っていくスタンスを取り、前述の「追放」ブームを後押しした。一方で、シュタインバッハ氏は長らくキリスト教民主同盟(CDU)の議員だったが、右翼的な発言をすることでも知られていた。2017年にはメルケル元首相の難民政策に失望して、CDUを離党。さらに現在は、極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)の党員となって活動している。かつて被追放者は領土問題の流れから、右翼を支持する人が多かったという背景がある。被追放者やその子孫がAfDに共感を示す例もあり、記憶文化や政治的アイデンティティーをめぐる議論のなかで、慎重に扱われるべきテーマの一つである。

また、現在の被追放者連盟にとって、政治的主張とは距離を置く形で追放の歴史や文化をどう記録していくかは、大きなテーマだ。その取り組みの一つとして、追放の歴史や連盟の活動を紹介する機関誌の隔月発行を続けている。しかし、その機関誌では、例えば2015年の難民危機には一切触れられていない。被追放者と難民とでは置かれた状況や歴史的背景が大きく異なるとはいえ、こうした出来事を完全に切り離して扱う姿勢は一面的にも映る。連盟がこうした現代的な問題にどのようにアプローチしていくのか、今後も注目していくべきだろう。

さらに2021年、ベルリンに「避難・追放・和解資料センター」がオープンした。もともとはシュタインバッハ氏の構想からスタートし、2005年に首相に就任したメルケル氏も、就任演説で「ベルリンに追放の不正を記憶する目に見える目印を置く」ことに賛意を表明、2008年の連邦議会で承認を経て創設されることが決まった。実に10年以上の歳月がかかったが、最終的には「ナチズムと第二次世界大戦の結果としての『追放』」という視点を持った場所として開館が実現した。

今年2月、ロシアがウクライナに侵攻してから3年が経過したが、和平交渉が進もうとしている。交渉の末、もしロシア系住民が多く暮らすウクライナ東部がロシアの領土になった場合、そこに住むウクライナ人たちが追放される可能性もある。かつてのドイツ人の追放と類似した状況が、再び現実になるかもしれないのだ。こうした可能性を前に、ドイツが語り継いできた「追放」の歴史は、今後どのように生かされるのだろうか。21世紀になっても世界各地で戦争が起きている今、あらためて「追放」を学び、考えるべきときが来ているのかもしれない。

避難・追放・和解資料センター

Dokumentationszentrum Flucht, Vertreibung, Versöhnung


20~21世紀における避難・追放・強制移住をテーマにする資料センター。かつて被追放者たちがたどり着いたアンハルター駅近くに位置する。展示室のほか、当事者の声をアーカイブした図書室があり、ツアーやワークショップなども。入場無料。


Stresemannstr. 90, 10963 Berlin
www.flucht-vertreibung-versoehnung.de


避難・追放・和解資料センター

最終更新 Mittwoch, 07 Mai 2025 17:53
 

終戦80周年記念特集 「誰かの記憶」から「私たちの記憶」へ
戦後ドイツを考えるための6つの問い

終戦から80年がたち、当時を知る生存者は少なくなり、ウクライナや中東など、世界では今も戦争や分断が続いている。ドイツ社会でも、歴史の記憶や語り方をめぐる議論が、あらためて活発になりつつある。そうしたなかで、戦後ドイツが築いてきた歴史教育や記憶文化に、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。戦争の記憶と現在の社会状況をつなぐ6つの問いから、ドイツの「戦後」を見つめ直す。
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

Q1「ナチス裁判」はいつまで続く?

第二次世界大戦後、ドイツではナチス政権や親衛隊構成員に対する犯罪追及がすぐに始まった。1958年には検察機関「ナチス犯罪追及センター」が設立され、1979年にはナチス政権による殺人に関して時効の適用除外が決定されるなど、法的には「いつでも戦犯追及が可能」という体制が維持されている。

アイヒマンの裁判の様子1961年に行われた、ナチスのユダヤ人虐殺の責任者アドルフ・アイヒマンの裁判の様子。ドイツ出身のユダヤ人哲学者のハンナ・アーレントは、アイヒマンはただ命令に従っていただけの「普通の平凡な人間」であり、悪の本質は「人間の思考停止」にあると分析した

とはいえ長らくは、強制収容所勤務など「殺人を目的とした施設」に所属していただけでは、殺害との因果関係が証明しにくく、訴追が困難とされていた。ところが2011年に行われた強制収容所の看守に対する裁判で、ミュンヘン地裁が「強制収容所での勤務そのものが殺人ほう助に当たる可能性がある」と認める判決を下し、立証なしでも訴追可能とする法解釈が生まれた。これをきっかけに、超高齢の元ナチス関係者も法廷に立たされる事例が増えている。

2024年8月には、かつてシュトゥットホーフ強制収容所で速記タイピストを務めていたイルムガルト・フルヒナー被告(99)に対し、1万505人の殺人と5人の殺人未遂のほう助を行ったとして、執行猶予付き2年の少年刑(禁錮刑)が下された。彼女が収容所で働いていたのは18〜19歳のときで、およそ80年の時を経ての有罪判決だった。裁判では一貫して黙秘を貫いていたフルヒナー被告だが、有罪判決確定後に「起こった全てのことを申し訳なく思うし、あのときまさにシュトゥットホーフにいたことを後悔している」と述べたという。フルヒナー被告は今年1月14日にこの世を去った。

この裁判は、事務員に対する訴訟としては初のケースであり、被告の高齢化もあっていわゆる「最後のナチス裁判」としてドイツ国内外で大きな注目を集めた。しかし実際には、現在も複数の事件が起訴前の手続き中であり、今後も新たな「最後のナチス裁判」が行われる可能性は残されている。

フルヒナー被告2022年12月20日、ドイツのイツェホーで開かれた裁判の評決のために出廷したフルヒナー被告

Q2ホロコースト否定論の背景には何がある?

「ホロコースト否定」(Holocaustleugnung)とは、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺が存在しなかった、あるいは誇張されていると主張する言説を指す。例えば、「600万人のユダヤ人殺害はなかった」「アウシュビッツに毒ガス室は存在しなかった」といった主張が典型例だ。

ドイツでは、このような主張は憲法が保障する「表現の自由」の範囲外とされ、刑法によって明確に禁止されている。ホロコースト否定は、ナチスの犯罪を正当化し、差別的な思想や暴力を助長する危険性があるとみなされているためだ。同様の法律は、フランス、オーストリア、イスラエル、カナダなど多くの国でも導入されている。

しかし近年、ドイツ国内では陰謀論や極右思想の台頭とともに、否定的な言説が再び目立つようになっている。その背景には、移民問題や経済格差への不満が、極端なナショナリズムと結び付いていることがある。極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)が支持を伸ばす一方で、SNSの普及により「ホロコーストは誇張だ」といった偽情報が拡散されやすくなり、ホロコースト記念碑への落書きや侮辱行為などのヘイトクライムも増加傾向にある。

ドイツ政府は教育機関での歴史教育の強化や、ネット上の違法投稿への監視体制を拡充しているが、米メタ(旧フェイスブック)が今年1月に外部機関によるファクトチェック機能の廃止を発表するなど、対策には大きな障壁もある。当時を知る生存者が年々少なくなる一方、ホロコーストを知らない世代によって否定論がSNS上で広がっていく。「歴史をいかに語り継ぐか」という問いは、今もなお社会全体に突き付けられている。

Q3ドイツには、なぜこんなに「負の歴史」のモニュメントが多いの?

ドイツの街を歩けば、ナチス時代の「負の歴史」を刻んだ数多くのモニュメントが目に留まる。その背景には、「記憶文化」(Erinnerungskultur)という考え方がある。ナチスによる犯罪の記憶を次世代に伝えるための取り組みであり、当時を知る生存者が減るなかで、証言に代わる形として、記録や追悼施設の整備が加速してきた。

虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑2005年にベルリンに設置された、虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑

象徴的な例が、ベルリンのブランデンブルク門近くにある「虐殺されたヨーロッパ・ユダヤ人のための記念碑」だ。ホロコーストの犠牲となったユダヤ人を悼むために設けられたこの場所には、約2700基の石碑が並ぶ。また市内各地には、ナチスに迫害された人々の名前を記した小さな真ちゅうプレート「つまずきの石」(Stolpersteine)がかつて住んでいた場所に埋められていたり、ナチス犯罪の現場、抵抗運動が行われた場所などが「記憶の場所」(Erinnerungsort)として保存されていたり、負の歴史に目を背けない姿勢が社会の中に根付いている。

こうした追悼施設は、単なる歴史の記録ではなく、民主主義や人権の価値を守るための教訓としても機能している。ドイツ各地に点在する記念碑の数々は、過去から学び続けようとする強い意志の現れなのだ。

「つまづきの石」1992年にドイツ人芸術家のグンター・デムニヒによって始められた「つまづきの石」プロジェクト。現在では欧州29カ国に10万個以上のつまづきの石が設置されており、そのうち9万個以上がドイツにある

Q4戦後長らく語られてこなかった声とは?

1945年の敗戦から80年が経過した今、ドイツ社会があらためて向き合うべき「語られなかった声」がある。終戦末期から直後にかけて、多くのドイツ人女性が性暴力の被害に遭ったという事実だ。ドイツ全土でソ連軍からの被害を受けた女性は200万人に上るとされ、米英仏軍の兵士による加害も報告されている。しかし、こうした行為はドイツに対する復ふくしゅう讐や占領下での規律崩壊のなかで黙認されがちで、加害の責任は曖昧にされた。

終戦間際のベルリンにて終戦間際のベルリンにて、列車で届いたじゃがいもを袋に詰める女性たち。ベルリンでは、8~80歳までの女性が最大200万人、性暴力の被害にあったとも推定されている

戦後のドイツでは、ナチスによる加害責任が社会的議論の中心となる一方、連合国軍による被害は可視化されず、さらに性暴力というタブー性もあって、女性たちは長く沈黙を強いられた。望まぬ妊娠や深刻な心身の後遺症に苦しむ人も多く、「解放」の裏でもたらされた暴力は、長らく歴史の語りから排除されてきた。

一方、ナチス政権はユダヤ人だけでなく、同性愛者や障害者、シンティ・ロマといった人々も抹殺の対象とした。精神障害者や重度の身体障害者は「生きるに値しない命」とされ、断種や殺害が行われた。戦後、この政策は終結したものの、障害者に対する差別や貧困、乏しい支援体制は長く続き、その実態は社会の関心から遠ざけられてきた。ようやく2025年1月29日、連邦議会はナチス時代の強制不妊手術や「安楽死」政策の犠牲者を正式に迫害被害者として認める動議を可決し、80年越しにその苦しみに公的な光が当てられることとなった。

終戦間際のベルリンにて2008年にベルリンに建てられた、ナチズムにより迫害された同性愛者の追悼碑

Q5ホロコーストの記憶は、「移民大国ドイツ」でどう受け継がれている?

戦後ドイツの記憶文化は、長らくナチス政権下の加害責任を前提とした「ドイツ人によるドイツのための語り」として築かれてきた。そのなかには、1960年代以降に増加したトルコ系やイタリア系などの労働移民や、後に定住した移民の姿はほとんど含まれていなかった。

しかし1990年代以降、移民の子どもや孫の世代がドイツで生まれ育ち、社会に根を下ろすなかで、「なぜ自分たちが、加害の記憶を背負う必要があるのか」という問いが浮上する。また、ある教育現場では、「加害者vs被害者」の構図が「ドイツ人vs外国人」の対立として現れるなど、社会の変化に応じて記憶継承の在り方を見直す必要に迫られた。そのため今日では、「責任」に加えて「相互理解」や「対話」が、ホロコーストの記憶を受け継ぐ上で重要なキーワードとなっている。ホロコーストに対する考えを共有し合うことで、お互いの考え方やアイデンティティーを理解し、またドイツ社会そのものについて知るきっかけとなるのだ。

さらに、アラブ系、アジア系、アフリカ系ドイツ人など、さまざまな背景を持つ市民の声は、これまで周縁化されてきた視点から、記憶文化の在り方そのものに問いを投げかけている。例えば2000年からの7年間に、ドイツ各地で移民を狙った連続殺人事件が起きた。当初、警察は「組織犯罪」として捜査したが、2011年にこれが極右組織「国家社会主義地下組織」(NSU)の犯行と判明。ナチズムの記憶を語る国家が、現代の排外主義には鈍感だったという矛盾が露呈した。記憶に包摂されることと、そこから排除されること。このねじれをどう越えるかが、今のドイツ社会に問われている。

2015年の難民危機2015年の難民危機では、ドイツは約100万人のシリア難民たちにドイツで亡命申請することを許可。その背景にはナチスによるユダヤ人迫害への反省もあったが、一方で、反移民を掲げる極右政党の支持拡大の要因にもなった

Q6「過去の克服」は、これからの社会にどう生かせる?

戦後のドイツでは一環して、ナチス政権下の加害の歴史と向き合い、それを社会として引き受けようとする「過去の克服」(Vergangenheitsbewältigung)の姿勢を貫いてきた。ホロコーストや戦争犯罪を教育や記念文化のなかで語り継ぐ取り組みは、ドイツの政治的・道徳的な基盤ともされてきた。だが今日、この「過去の克服」が、遠い歴史として語られるだけでなく、現代社会の葛藤とどう関わり得るのかがあらためて問われている。

2022年のロシアによるウクライナ侵攻以降、ドイツでは兵器支援や防衛費増額をめぐって議論が活発化。これを受けて、安全保障政策の見直しが進むなか、徴兵制の在り方も再び注目を集めている。ドイツでは2011年に徴兵制が停止され、以降は志願制に移行したが、連邦政府は2024年11月、自主的な兵役参加を促す新制度を2025年5月から導入することを閣議決定。さらにCDU・CSUは、従来の徴兵制そのものを復活させる案を提起しており、連立パートナーであるSPDとの間で議論が続いている。一方で、「良心的兵役拒否」(Kriegsdienstverweigerung)は、戦後ドイツが積み上げてきた重要な人権の一つだ。宗教的・倫理的理由で武器を持つことを拒む人々の権利は、現在でも保障されている。

また、イスラエル・パレスチナ情勢の緊張が高まるなか、ドイツ国内でも「加害の記憶」と「国際政治」をどう結び付けるかが複雑な課題になっている。ホロコーストの加害責任によるイスラエルへの連帯と、パレスチナの人権へのまなざしが衝突し、公共の場での表現や抗議が制限される事例も出ている。記憶をどう継承するかは一つの答えに収まらない。過去に立ち戻り、考え続けることが、分断の時代において記憶を生かす足がかりになるかもしれない。

参考:本誌1120号「第二次世界大戦の終結から75年 ドイツ人は『過去』から何を学ぶのか?」、本誌902号「独断時評 極右テロ・ドイツ社会の鈍い反応」、本誌953号「独断時評 混乱! NSU裁判と記者席」、JIJI.COM「ナチス犯罪、80年後の有罪なぜ? 1万505人殺害『支えた』当時18歳の女【地球コラム】」、Deutsche Welle「"Zu wenig Aufarbeitung sexueller Gewalt"」、UNESCO「History under attack: Holocaust denial and distortion on social media」、profil「Prozesse gegen NS-Täter: Das Ende der Nazi-Jäger」、Deutschlandfunk Kultur「Auschwitz ohne Ende」、Bundeszentrale für politische Bildung「Verschwörungstheorien」、BR24「Wehrdienst-Debatte: Ein Kriegsdienstverweigerer erinnert sich」

最終更新 Mittwoch, 07 Mai 2025 17:52
 

スーパーでの買い物に役立つ! ドイツの基本食材まとめ

ドイツニュースダイジェストの人気記事である「食材事典」シリーズでは、肉や野菜をはじめ、パンやお菓子など、さまざまなドイツの食材や料理をカテゴリー別に解説してきた。本特集では、そんな「食材事典」から、パンやソーセージをはじめ、ドイツの食を語る上で欠かせない基本の食材をご紹介。ドイツ生活を始めたばかりの人も、ぜひスーパーでの買い物に役立てて!
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部、画像:iStock.com)

パン

現在、ドイツで登録・申請されているパンの種類は、地域特有のパンなどを含めると3000種類以上といわれる。ここでは、ドイツでよく目にする基本的な種類をピックアップ。

大型パン

ヴァイツェンブロートWeizenbrot

ヴァイツェンブロート

小麦粉を90%以上使用して作られた種類。ヴァイツェンブロートまたはヴァイスブロート(Weißbrot)と呼ばれる。弾力があり、柔らかい食感が特徴。日持ちはしないため、購入後は早めに食べきるのがベスト。

ミッシュブロート Mischbrot

ミッシュブロート

小麦粉とライ麦粉を同じ分量だけ使用した種類。小麦粉により中はしっとりとしており、サワー種のほんのりとした酸味があるため、調理パンとしてさまざまな食事に合わせることができる。

ロッゲンブロート Roggenbrot

ロッゲンブロート

ライ麦粉を90%以上使用したパン。ライ麦粉の割合が高くサワー種が使われるため、酸味が強く感じられる。表面が硬くて噛み応えがある食感のため、薄くスライスして食べるのが一般的。保存性に優れており、小麦粉をメインに使用しているパンよりも食物繊維が多く含まれているのがポイント。

小型パン

カイザーゼンメル Kaisersemmel
シュニットブロートヒェン Schnittbrötchen

カイザーゼンメル & シュニットブロートヒェン

カイザーゼンメル(左)とシュニットブロートヒェン(右)の味わいにはプレーン以外にもケシの実やゴマなどが上部にまぶしてあるものも。小さいサイズのパンを一般的にはブロートヒェンと呼ぶが、バイエルン州ではゼンメルと呼ばれている。

ラウゲンプレッツェル Laugenbrezel
ラウゲンブロートヒェン Laugenbrötchen
ラウゲンシュタンゲ Laugenstange

ラウゲンプレッツェル(左)ラウゲンブロートヒェン(中央)ラウゲンシュタンゲ(右)

ラウゲンとは、焼く前に水酸化ナトリウム水溶液に生地をくぐらせることで、表面が特徴的な茶色に仕上がったスタイルのパン。ビールの祭典オクトーバーフェストやビアホールでも販売されているプレッツェル(左)をはじめ、小型パンのラウゲンブロートヒェン(中)、スティック状のラウゲンシュタンゲ(右)などがある。

ドイツパンのおいしい食べ方

ライ麦粉の割合が高くなるにつれて、上に載せる具材は味が強いものを選ぶと良い。ヴァイスブロートならチーズやハムなどでシンプルに、ロッゲンブロートならサラミやスモークサーモン、クリームチーズなどと合わせてみよう。穀物がぎっしり詰まったパンなら、バターをたっぷり付けてシンプルにいただくのも◎。サンドイッチを作る際には、ヴァイスブロートと黒パンを合わせて食べるのも、味わいのバリエーションが増えるので、ぜひ試してみて。

パンの保存方法

購入したパンをすぐに食べない場合は、乾燥を防ぐためにビニール袋(パンの保存用ビニール袋もある)に入れる。食べる前にトースターなどで温め直すと、味わいがよみがえる。食べきれなかったパンは、スライスして小分けにし、冷凍室で保存するのがおすすめ。味の質が落ちてしまうので、冷蔵庫で保存するのは避けよう。

じゃがいも

ドイツ料理に欠かせない存在であるじゃがいも。ドイツには70以上もの国産のじゃがいも品種があり、調理法によって主に下記の3タイプに分けられている。

【硬】煮崩れしないタイプ

FestkochendAnnabelle, Bamberger Knolle, Belanaなど

Festkochend

茹でたり、炒めたり、オーブンで焼くなど、どんな調理方法でも形が崩れにくい。皮付きのまま調理した際、調理中に皮がむけないのも特徴。じゃがいもに含まれるでんぷんの量は平均14%と少ない。ドイツではサラダに利用されることが多いため「ザラート・カルトッフェルン」(サラダ用じゃがいも)と呼ばれることも。

【中】煮崩れしにくいタイプ

Vorwiegend festkochendeAmbo, Augsburger Gold, Jelly, Quartaなど

Vorwiegend festkochende

約15%のでんぷんを含み、品種によって硬めから少々柔らかくなるものまでバラエティ豊か。ポメス(フライドポテト)やマッシュポテトなどの付け合わせから、シチューやキャセロールなどのメイン料理、カルトッフェルズッペ(じゃがいものスープ)などのサイドメニューまで、幅広い調理法の料理に利用することができる。

【柔】煮崩れしやすいタイプ

Mehlig kochendeAckersegen, Finka, Marabel, Reichskanzlerなど

Mehlig kochende

約16.5%のでんぷんが含まれており、水分が少なめ。とろみのあるカルトッフェルズッペや、ピューレ、クヌーデル(じゃがいも団子)、ニョッキ、マッシュポテトなど、潰してペースト状にして調理するのが一般的。餃子の具材に混ぜたり、コロッケのタネとしてもおいしくいただけるので、日本食にもマッチする。

ドイツでよく見る野菜

スーパーでよく見かけるけど、どうやって調理すれば良いのかいまいち分からない、日本ではなじみのない野菜。その活用法はさまざま。調理方法を知り、料理のレパートリーに加えてみて。

白アスパラガス Spargel

Spargel

春季限定で市場に出回る白アスパラガスは高級な野菜。ゆでたシュパーゲルにオランデ-ズソースをかけていただくスタイルをはじめ、スープやオーブン焼きなどさまざまな楽しみ方がある。

フェンネル Fenchel

Fenchel

豊かな芳香を持ち、株・葉・茎・種全てが使えるフェンネルは、魚との相性が抜群。特にスパイスの効いたフェンネルシードは香り付けに使用するのに最適かつ、ハーブティーに使われることも。

コールラビ Kohlrabi

コールラビ Kohlrabi

カブのような丸い実のコールラビは、葉(茎部分)を切り落とし、皮を剥いで中の白い部分を使用する。シチューやスープなど煮込み調理に用いたり、グラタンにしたりしてもおいしい。

チコリー Chicorée

チコリー Chicorée

甘さの中にほんのりとした苦味を感じるチコリーは、生のままサラダに入れて食べたり、葉を一枚ずつちぎって魚介のマリネを載せてオードブルに使ったりするほか、天ぷらにしても◎。

キャベツ

ドイツのキャベツ(Kohl)には、キャベツに白菜、ケール、芽キャベツなど、さまざまな種類がある。特にキャベツの種類は用途によって変わってくるので選ぶ際は要注意!

円すい形キャベツ Spitzkohl

円すい形キャベツ

円すい状の尖がった形。結球内の葉は程よく詰まっているため、日本のキャベツの食感に最も近い。キャベツの千切りやお好み焼きなど日本食との相性が良いのはこのタイプ。

白キャベツ Weißkohl

白キャベツ

一般的にザワークラウト用として使われるキャベツで、結球内に葉が隙間なくぎっしりと詰まっている。硬くて切るのが困難なため、通常の調理には向かないタイプ。

白菜 Chinakohl

白菜

ドイツ語で「中国キャベツ」の意味を持つ白菜は、ドイツのスーパーでも定番の野菜。日本の白菜とほとんど変わらない味わい。

ケール Grünkohll

ケール

日本では青汁でおなじみのケールは、冬になると生でスーパーに出回ることも。特に北ドイツでは冬季の定番として、お肉料理の付け合わせに登場することが多い。

ソーセージ

じゃがいもやパン、ビールと共にドイツで愛されているソーセージ。約1500ものバリエーションがあるといわれており、地域に根付いた品種が数多くそろうのも特徴だ。

フランクフルト Frankfurter Würstchen

フランクフルト

地域:フランクフルト
別名:Wiener Würstchen
おいしい食べ方:80度のお湯で8分煮る。マスタードを付けて。

日本人になじみ深い、長さ15~20センチの細長いソーセージ。パリッとした噛み応えが特徴。

白ソーセージ Weißwurst

白ソーセージ

地域:ミュンヘン
別名:Münchner Weißwurst
おいしい食べ方:ボイルした後、皮をむき、甘いマスタード(Süßer Senf)を付けて。

仔牛肉と豚の脂身にハーブや香辛料を混ぜて作る。鮮度が命の柔らかいソーセージ。

テューリンガー Thüringer Rostbratwurst

テューリンガー

地域:テューリンゲン州
おいしい食べ方:カリッと焦げるまで焼き、マスタードを付けて。

15世紀から作られている伝統的なソーセージ。にんにくとキャラウェイ、マジョラムなどが混ぜ込まれている。

ニュルンベルガー Nürnberger Rostbratwurst

ニュルンベルク

地域:ニュルンベルク
おいしい食べ方:玉ねぎと酢で煮込む「Saurer Zipfel」もおすすめ。

脂肪分が多くジューシーな小ぶりのソーセージ。マジョラムの味がアクセントになっている。

メット Mett

メット

おいしい食べ方:パンに塗るのが王道。ネギトロ丼のようにご飯と一緒に食べても。

保存処理をした生の豚ひき肉(Mett)を使用した、スプレッドタイプのソーセージ。胡椒などの香辛料で味が付いており、みじん切りの玉ねぎが入っているものもある。

ハム

ソーセージ同様、種類が豊富なドイツのハム。パンやチーズと一緒に食べたり、サラダやパスタに使ったりと、さまざまなバリエーションを楽しもう。

調理ハム Kochschinken

調理ハム

ジューシーな味わいでさまざまな料理に合わせやすい一般的なハム。生ハムに比べ、水分を多く含むため購入後は早めに消費するのが良い。野菜やハーブのほのかな風味が感じられるものや、蜂蜜を使用したマイルドな味わいのものなど、バリエーションも多種多様。

生ハム Rohschinken

生ハム

生ハムは、熟成させることによってほかのハムにはないアロマが感じられるのが特徴。塩漬けして乾燥させるタイプ(Luftgetrockneter Schinken)と、加工せず薫製するタイプ(Räucherschinken)がある。前者は、ゆっくりと時間をかけて乾かすため、気候が温暖な南欧の地域での生産が主流。また、後者は、より寒く湿った地方での生産が適している。

鶏ハム / 七面鳥ハム Geflügelschinken (Hähnchen Schinken) / Putenschinken

鶏ハム / 七面鳥ハム

鶏肉から作られたハムは、さっぱりとした味わいとヘルシーさが特徴。種類には胸肉(Brust)を使用したもの、サラミなどさまざまなタイプがある。トルティーヤサンド、サラダの具材などフレッシュなままいただくのがおいしい。

ラクスハム Lachsschinken

ラクスハム

サーモン(Lachs)から作られているわけではなく、豚の背肉や背脂肉が「サーモン」と呼ばれていること、マイルドでほのかな塩気を感じられるなど味わいがサーモンに似ていることからこのように名付けられた。さまざまな種類のパンと相性が良いのでサンドイッチのほか、パスタやスープの具材としても使える。

チーズ

欧州一の牛乳生産量を誇るドイツ。国民1人当たりのチーズの年間平均消費量は、なんと24.6kg!スーパーマーケットの棚にはありとあらゆるチーズが並んでいるので、さまざまな種類を試してみよう。

ハードチーズ Hartkäse

ハードチーズ

Emmentaler, Bergkäse, Chesterなど
長期保存が効き、コクのある深い味わい。水分は少なく、脂肪分は45~50%。薄切りにして味わうか、すり下ろして料理に使う。熟成期間は3カ月以上で、1年以上熟成させるものも多い。低温殺菌牛乳から作るチーズは、より早く熟成し、マイルドな味になる。

スライスチーズ Schnittkäse

スライスチーズ

Gouda, Edamer, Tilsiter, Wilstermarschなど
柔軟性があり、薄くスライスするのに向いている。脂肪分は20~50%。最低でも5週間は熟成させる。棒状、球状、ブロック状など形もさまざま。乾燥を防ぐためにワックスなどのコーティング材で覆われているものもあり、食べる際に取り除く。

セミハードチーズ Halbfester Schnittkäse

セミハードチーズ

Halbfester SchnittkäseSteinbuscher, Edelpilzkäse, Butterkäse, Weißlackerなど
スライスチーズよりも柔らかい。脂肪分は30~60%。羊、山羊の乳から作るフェタチーズは、ギリシャ産のものだけが「フェタ」と名乗ることができ、ドイツでは同じ製法のチーズはSchafskäse、Balkankäse、Hirtenkäseなどの名称で販売されている。

ソフトチーズ Weichkäse

ソフトチーズ

WeichkäseCamembert, Brie, Romadur, Limburger, Münsterkäseなど
カマンベールのように皮を白カビで覆い熟成させたものと、表面が黄色や赤茶色で湿っているリンブルガーなど、大きく2種類に分類される。20~60%の脂肪分で、中身はクリーミーで柔らかい。最低でも4週間熟成させる。

フレッシュチーズ Frischkäse

フレッシュチーズ

Quark, Schichtkäse, Rahmfrischkäse, Doppelrahmfrischkäseなど
熟成させず、牛乳を凝固、脱水したもの。水分が多く、保存期間は短い。ハーブ入りなどバリエーションが豊富。ドイツの食卓でおなじみのクヴァルクは、軽く酸味があり、口当たり滑らか。

お肉を注文してみよう! 精肉コーナーで役立つドイツ語

ドイツ料理といえば、ザ・肉! スーパーではさまざまな種類の肉を手に取れるが、日本との違いといえば、豚や牛の薄切り肉、骨なしの鶏もも肉が売っていないことなど。精肉コーナーでは、必要な量だけ買えたり、肉のスライスなどにも対応してくれるので、ぜひ注文してみよう。

精肉コーナー

❶ 肉の種類
  • 牛肉 das Rind
  • 子牛 das Kalb
  • 子羊 das Lamm
  • das Schwein
  • 七面鳥 die Pute
  • das Hähnchen
  • ガチョウ die Gans
  • カモ die Ente
❷ 肉の部位の呼び方
  • ひれ肉 das Filet
  • 首肉 der Nacken
  • 胸肉 die Brust
  • バラ肉 der Bauch
  • 肩肉 die Schulter
  • もも肉 der Schenkel
  • もも肉、牛のそともも die Keule
  • (豚・子牛・羊などの)あばら肉 das Kotelett
  • ひき肉 das Hackfleisch
  • レバー die Leber
❸ 要望を伝える
  • 500gください 500 Gramm, bitte.
  • (ソーセージなど)5本ください 5 Stück, bitte.
  • 骨を取ってください Ohne Knochen, bitte.
  • 皮を取ってください Ohne Haut, bitte.
  • 薄切りスライスにしてください  Dünne Scheiben, bitte.

※「wie Schinken」(ハムのように)など、具体的に薄さのイメージを伝えると良い

最終更新 Mittwoch, 23 April 2025 14:24
 

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