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特集


アンティークマーケットに出かけよう!

ドイツで「古き良きもの」との一期一会を求めてアンティークマーケットに出かけよう!

ドイツ各地で開催されているアンティークマーケットでは、何十年何百年もの時間を生きてきた食器や洋服、花瓶や小物などの古道具と出会うことができる。特集では、のみの市の歴史をはじめ、ドイツ各地のおすすめマーケット、さらに普段使いしやすいドイツのアンティークなど、その魅力をたっぷりご紹介。ドイツの味わい深い古道具を探しに、アンティークマーケットへと出かけてみては? (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

アンティークマーケットの起源は?

アンティークマーケットの始まりは、中世末期のフランスとする説が有名だ。当時、中流から上流階級の人々は豪華な服や家具、食器などを使って暮らしていたが、流行が過ぎたり飽きたりするとそれらを捨てていた。商人たちは、この富裕層が捨てたものを回収して庶民向けに販売するように。しかし当時は衛生状態が悪く、捨てられた洋服などからノミ(Floh)が見つかることも少なくなかったことから、「のみの市」(Flohmarkt)という名前が付いたという説がある。その後1890年ごろにパリで、いわゆる今のような形でのみの市が開催されるようになった。

ドイツで最初に開かれたのみの市は、1967年にハノーファーの旧市街地で行われたAltstadtflohmarkt am Hohen Uferで、現在もライネ川のほとりで毎週土曜日に開催されている。さらにその数年後には、ドイツのほとんどの大都市でのみの市が開かれるようになった。ドイツは各地域によって風土や文化が異なるため、マーケットで見られる商品のラインアップが微妙に異なるのが特徴。特にベルリンやライプツィヒ、ドレスデンなどでは旧東ドイツ(DDR)時代の製品が多く見られ、アンティーク好きの間でも人気が高い。

ドイツ語の「Flohmarkt」(のみの市)もしくは「Trödelmarkt」(がらくた市)は、アンティークから手作り雑貨、ジャンク品まで、いわゆる何でもありのマーケットのことを指すことが多いが、それ以外にもコレクターや専門家のための特別なマーケットが開催されている。例えば「Antikmarkt」(アンティークマーケット)や「Briefmarken- / Münzbörsen」(切手/コインのマーケット)、「Computer- / Musikbaser」(コンピューター/音楽のマーケット)、さらに子ども向けの特別なのみの市なども。以下ではその中でも、特にドイツのアンティークが手に入りやすいマーケットを紹介しよう。

参考:flohmarkt-termine.net「Geschichte Flohmarkt」、ARD Planet wissen「Geschichte der Flohmärkte」

一度は行ってみたい!ドイツのおすすめアンティークマーケット

ベルリンマウアーパークののみの市
Flohmarkt im Mauerpark

ベルリンでは週末になると、あちこちで個性豊かなマーケットが開かれる。最も規模が大きいのはマウアーパークで開かれるのみの市。古着や食器、家具をはじめ、手作り雑貨やがらくたなどが山のように並ぶ。国際色豊かな屋台やストリートミュージシャンも多く、ベルリンらしい雰囲気が楽しめる。ここからほど近いアルコナプラッツのマーケットや、オスト駅前で開かれるアンティークマーケット、6月17日通りマーケットなど、数件はしごするのも◎。
www.flohmarktimmauerpark.de

ライプツィヒアグラ・アンティークマルクト
Agra Antikmarkt

ライプツィヒ南東部で毎月最後の週末に開催される「アグラ・アンティークマルクト」は、アンティークに特化したマーケットとしては欧州最大規模を誇る。約90ヘクタールの広大な敷地内には二つの大きなホールがあり、毎回1000以上の出店者が参加している。商品は中古品のみに限られており、新しい製品を売ることは禁止。王朝時代、アールデコ様式、旧東ドイツ製品など、さまざまな時代の家具や製品が所狭しと並んでいる。
www.abuha.de

ニュルンベルクトレンペルマルクト
Trempelmarkt

ニュルンベルクといえば、ドイツ三大クリスマスマーケットの一つが行われる場所だが、この美しい旧市街地では毎年5月と9月に2日間ずつ(金曜・土曜)、盛大なアンティークマーケットが開かれている。約4000のディーラーが集まり、中央広場だけでなく街の至る所にスタンドが立つ。金曜日は24時まで開催されるため、美しくライトアップされたニュルンベルクの街を背景に、ほかでは味わえない特別な買い物を楽しめる。今年は5月13~14日、9月9~10日に開催予定!
www.nuernberg.de/internet/marktamt/trempel.html

アンティークマーケットで見つかる!日常で使えるドイツの古道具

アンティークマーケットに所狭しと並ぶ数々の商品……感性の赴くままに回るのも楽しいけれど、何を買っていいか迷う人も多いかもしれない。ここでは東京でドイツ古道具「doremifa」を営む伊藤夏実さんにナビゲートいただき、比較的手に取りやすく生活になじみやすいドイツの古道具をご紹介。自分で買ったお気に入りのアンティークを、ぜひ暮らしに取り入れてみよう。
写真提供:doremifa

お話を聞いた人

伊藤 夏実さん

伊藤 夏実さん Natsumi Ito

ベルリン留学中にドイツのアンティークと出会い、現在は東京都台東区鳥越にてドイツ古道具店「doremifa」を営んでいる。これまでに買い付けのため、ドイツをはじめ欧州各地のさまざまなマーケットを訪れる。特に好きなアンティークは「銀化したガラスびん」。

素朴な表情が愛らしいヴィンテージのぬいぐるみ

ヴィンテージのぬいぐるみ

ぬいぐるみといえば今やふわふわが主流ですが、古いものだと「木毛(もくもう)」という木から出る長いかんなくずが詰め物になっていて、触り心地も硬めで独特の風合いがあります。特にDDR時代に作られたテディベアは、頭でっかちで手足がずどんとしていて、シンプルな表情がたまりません。またシュタイフ社のヴィンテージのぬいぐるみは全体的に値段も高めですが、たまにお手頃価格の掘り出しものが見つかることもあるので、ぜひ探してみてください。

芸術性の高いイラストに注目博物画

博物画

「博物画」は動植物や鉱物などを詳細に記録したイラストで、もともと16世紀の欧州で博物学とともに発展し、学校などでも使われていました。動物や昆虫の図解など、なかにはデザイン的にぎょっとするものもありますが、どれも独特の面白さがあります。芸術性が高く美しいイラストなので、額に入れて部屋に飾るのもいいですね。

食卓を美しく彩るヴィンテージのカトラリー

ヴィンテージのカトラリー

シルバーのカトラリーは食卓での存在感抜群。特に人気なのが、持ち手部分にバラの花があしらわれた「ヒルデスハイムローズ」のシリーズです。ドイツ北部のヒルデスハイムの大聖堂に咲くバラをモチーフに、1920年代ごろから造られているのですが、年代によって製造方法やシルバーの純度、バラのデザインが微妙に異なります。日本の方からは、装飾が華やかなトングも人気が高いです。

レトロで凝ったデザインが美しい陶器・ガラスの食器

陶器・ガラスの食器

旧東ドイツで造られていた食器は、裏側に「DDR」もしくは「GDR」と書かれているのが目印です。DDR陶器の代表格の一つである「Colditz」は、デザインが素朴で優しい感じのものが多く、日本人の生活にもなじみやすいと思います。ガラスのお皿では、こちらもDDRで造られていた「Olbernhau」(写真)のものが一押し。薄いガラスに凝ったレトロな模様が描かれていて、個人的にはマーケットで見つけるとテンションが上がる品の一つですね。

レトロキッチュなザ・DDR製品DDRの洋服ハンガー

DDRの洋服ハンガー

DDR時代に一般家庭でよく使われていたハンガーで、肩の部分がレトロキッチュな柄で覆われている「ザ・DDR」な商品です。布や毛糸で包まれたもの以外にも、ビニールでコーティングされたものもあり、洋服を掛けるとぐっと雰囲気が出ます。木製のハンガーも素朴でいいですよ。

夜のひとときに温かい光をキャンドルスタンド

キャンドルスタンド

ドイツでは、夕食の時に毎晩キャンドルに火をともすという人や、カフェや居酒屋で夜になるとキャンドルに火を付けてくれるお店などが多く、ろうそく文化が生活に根付いていると感じます。それもあってか、マーケットで見かける燭台のデザインはバリエーション豊か。アドベント用のものや、ろうそくを上げ下げできるものなど、選びがいがあります。小さいものもすてきですが、受け皿が広いキャンドルスタンドだと、ろうがテーブルに垂れなくて実用的です。

当時の生活文化が垣間見える昔の写真&カード

昔の写真&カード

紙ものといえば昔の雑誌や絵本などが定番ですが、アンティークマーケットでは古い写真アルバムやフィルムなどもよく見かけます。当時の生活の様子なども分かるので、ドイツの歴史に興味がある人におすすめです。また昔の結婚式の招待状や、堅信式(小児洗礼を受けた人が、12~13歳ごろに自身で信仰を表明する儀式)のカードなどは、エンボスや箔はく押し加工のぜいたくな作りになっていて、紙製品が好きな人には面白いと思います。

お気に入りを発掘しようヴィンテージのアクセサリー&ボタン

ヴィンテージのアクセサリー&ボタン

ヴィンテージのアクセサリーは、ぐちゃっと山のように積まれた中から、よくよく探すとかわいらしいものを発掘できることが多々あります。個人的には植物や動物がモチーフになっているものが好きです。古いブローチの場合、もともと溶接されていた金具が外れてしまっていると直すのが難しいので買う時にチェックしましょう。また、ガラスボタンは1個売りだけでなく、1枚のシートにたくさん付いて売られているものも。洋服のボタンを付け替えたり、ボタンを使ってアクセサリーを作ったりと、生活に取り入れやすいのがいいですね。

古びた輝きがくせになる銀化したガラスびん

銀化したガラスびん

古いガラスびんを見つけたら、太陽にかざしてみてください。ガラスの表面に雲うんも母状の薄い膜が何層にも形成されていて、プリズムのように光を乱反射してきらめきます! これは ガラスが砂や土に埋まっている間に、土中の鉄、銅、マグネシウムなどと化学変化を起こしたもので、「銀化(ぎんか)」と呼ばれます。銀化したガラスびんの魅力は、やっぱり時間の経過が一目瞭然なところ。花瓶やルームフレグランスとして使うのも良いですが、銀化している部分は水に濡れると見えなくなるので、内側が銀化しているびんにドライフラワーを生けるのもおすすめです。

銀化した表面銀化した表面

いざアンティークマーケットへ押さえておくべき3つの心得

1. 現金は必須

多くのスタンドではカードでの支払いを受け付けていないため、マーケットへ出かける際は現金を用意しましょう。また高額紙幣だと店舗によってはお釣りが無いと言われることもあるので、5~20ユーロ札を用意しておくと無難です。ほとんどのマーケットでトイレが有料なので小銭もあるとベター。盗難やスリなどにも注意しましょう。

2. 梱こんぽう包材を持参する

基本的に、マーケットで購入したものは梱包などせずにそのまま手渡されます。そのため特に陶器やガラス製品などを買いたい人は、新聞紙などの梱包材を用意していくと良いでしょう。アンティークは年季が入っている分、もろくなってしまっていることもあるので、壊さずに持ち帰れるように工夫を。

3. 値段交渉も楽しむ!

マーケットでは値段の交渉も醍醐味(だいごみ)の一つ。全ての商品に決まった値段が付いているわけではないので、まずは「自分がこれをいくらで買いたいか」を考えてみましょう。その上で値段を尋ねてみて、あまりに値段がかけ離れていたら諦められるし、少し予想より高いようであれば交渉の余地あり。あまりしつこく交渉すると嫌な顔をされることもありますが、多くのディーラーさんは、値下げ交渉される前提で値段を伝えてくるので、勇気を出して提案してみましょう。まとめ買いする場合は、値下げ交渉のチャンス!

アンティークマーケットで使えるドイツ語

  • ● Was kostet das?
  • これはいくらですか?
  • ● Das ist viel zu teuer!
  • 値段が高すぎます!
  • ● Können Sie mit dem Preis ein wenig runtergehen?
  • 少し安くしてもらえませんか?
  • ● Wie wäre es mit +(金額)?
  • (金額)でどうですか?
  • ● Ich nehme es.
  • これを買います。

ドイツ古道具店「doremifa」の店主が語るドイツのアンティークに魅せられて

ここまでアンティークマーケットを案内してくれた伊藤さんは、自他共に認めるアンティークファン。東京で経営するドイツ古道具店「doremifa」では、欧州で買い付けた商品のほか、ドイツのアンティークから着想を得たオリジナル商品も販売している。最後に、そんな伊藤さんからドイツアンティークの魅力を聞いた。
写真提供:doremifa

店内にある伊藤さんの宝物コーナー(非売品)

アンティークに興味を持ったきっかけは?

伊藤さんがアンティークと出会ったのは、ベルリンに留学していたころのこと。「ベルリンに住み始めたころ、ドイツでは日曜日にスーパーや小売店など、ほとんどのお店が閉まっていることに驚きました。『みんな、一体何をして過ごしているのだろう?』と思いながら日曜日に散歩をしていたら、たまたまマウアーパークに行きついて。そこで開催されているのみの市がとてもにぎわっていて、面白いなと思ったのが始まりです」。

また、当時伊藤さんが住んでいた家のオーナーも、のみの市で購入したDDR製のポットを大切に使っていたという。「『これはのみの市で買ったのよ。すてきでしょ』と言いながら、普段使いしているのがとても印象的で。生活の中でのこうした古道具の在り方がとてもいいなと思いました」。

doremifa店主の宝物コーナー

そこから週末になると、さまざまなマーケットを回るようになり、アンティークの魅力にどんどんはまっていったという伊藤さん。日本への帰国を決めたころには、本格的に商売としてドイツ古道具店をやろうと思い至り、ベルリン以外にもライプツィヒやドレスデン、さらにブリュッセルなど、欧州のさまざまなマーケットで買い付けを行った。

そして伊藤さんは現在、東京でドイツ古道具店「doremifa」を営んでいる。コロナ禍以前は買い付けのために年に数回ドイツを訪れていたといい、店内に所狭しと並べられたアンティークの数々はまさにドイツのマーケットをほうふつとさせる。「お店には私の宝物たちを並べた『非売品ゾーン』があります(笑)。古い図版やお皿、貝殻などを並べたりしていますが、特に好きなのは、猛烈に銀化したガラスびん。黒っぽいけれど全面が虹色に銀化していて、ベルリンのマーケットで見つけた時はときめきました」。

店内にある伊藤さんの宝物コーナー(非売品)店内にある伊藤さんの宝物コーナー(非売品)

アンティークへの愛が詰まったオリジナル商品も

さらに伊藤さんは、学生時代に彫刻を学んだ経歴の持ち主。アンティークへの愛情とものづくりの技術を掛け合わせて、これまでにさまざまなオリジナル商品を生み出している。

その一つが、ドールヘッド付きのガラスびんだ。頭部の人形は、20世紀初期のドイツで造られていた「チャイナヘッドドール」と呼ばれる頭と手足が陶器、胴体が布でできたもの。しかし壊れやすく、マーケットで見つけるドールは割れていたり、頭部だけになったものがほとんど。「それをびんのディーラーさんが、インクびんのふたに取り付けてリメイクしていました。独特の組み合わせに一目ぼれしたのですが数自体が少ないので、割れたドールを買って自分でも作るようになりました」。

チャイナヘッドドールは、細長い眉にきゅっと結ばれた口元、ほんのり頬を染めた優しげな表情が魅力チャイナヘッドドールは、細長い眉にきゅっと結ばれた口元、 ほんのり頬を染めた優しげな表情が魅力

もう一つは、ウサギとリスのミツロウキャンドル。「クリスマスにベルリンのデザイナーズマーケットに行った時、ウサギのチョコレート型を使って作ったキャンドルを売っている人がいて。そこから着想を得たのですが、家にあったチョコレート型だと安定しなかったので自分で型を作りました。それに溶かしたミツロウを流し込んで一つひとつ作っています」。

ウサギのキャンドルは、ドイツの画家アルブレヒト・デューラーの「野うさぎ」(1502年)を参考に、伊藤さんが原型を彫ったウサギのキャンドルは、ドイツの画家アルブレヒト・デューラーの「野うさぎ」(1502年)を参考に、伊藤さんが原型を彫った

ドイツのアンティークの魅力と共に、古いものを大切にする文化や、日々の生活を楽しくさせるヒントを教えてくれた伊藤さん。アンティークマーケットでの古き良きものたちとの一期一会の出会いを、これからも多くの人に届けてくれるだろう。

ドイツ古道具 doremifa

ドイツ古道具 doremifa

東京都台東区鳥越1-17-3
水:14:00-18:00、金~日:12:00-18:00
Instagram:@doremifatorigoe

最終更新 Dienstag, 10 Mai 2022 14:13
 

ベーシックインカムで月1000ユーロをもらう暮らしとは?

ドイツでただいま実証実験中!ベーシックインカムで月1000ユーロをもらう暮らしとは?

もし今月、いつもよりも1000ユーロ(約13万円)多い収入が得られるとしたら、あなたは一体どうするだろうか? そしてそれが1回だけでなく、恒常的に続いたとしたら……。現在ドイツでは、NPOによるベーシックインカムの実証実験が行われており、そんな問いを社会に投げかけている。コロナ禍で多くの人が仕事や収入を失う事態が発生するなか、欧州ではますますベーシックインカムへの注目が高まった。そもそもベーシックインカムとは何なのか、Q&Aでお答えしつつ、実証実験の様子をレポートする。 (企画・文:見市知)

参考:『ベーシック・インカム』(中公新書)、Michael Bohmeyer・Claudia Cornelsen『Was würdest du tun?』(Econ)、Mein Grundeinkommenホームページ、Pilotprojekt Grundeinkommenホームページ、現代ビジネス「フィンランド政府が2年間ベーシックインカム給付をして分かったこと」(2019年6月17日)、Newsweek Japan「ベーシックインカムはどうだったのか?フィンランド政府が最終報告書を公表」(2020年5月11日)

ベーシックインカムで月1000ユーロをもらう暮らしとは?

ベーシックインカムにまつわるQ&A

Q1 そもそも「ベーシックインカム」って何?

ベーシックインカム(Grundeinkommen)は、日本語では「基本所得」や「基礎的所得」と訳される。労働することによって得る対価ではなく、存在することで得られる対価という発想だ。人間が存在し、生活していくために保障される基本的人権が、経済制度の形を取っているとも説明できる。

「国家が国民の所得を直接保障すべき」という考え方は、実は古くからあった。ベーシックインカムの根本には、「全ての人に最低限の生活ができる所得を支給することで貧困問題が解決できる」という考え方があり、それは「家族手当」や「救貧法」などの形で存在してきている。17世紀の英国では、それまで教会の役割だった「社会的弱者救済」を国家が制度として引き受け、「エリザベス救貧法」(1601年)が制定された。これは、近代社会福祉制度の出発点になったといわれ、哲学者のジョン・スチュアート・ミル(1806〜73)の『経済学原理』(1848年刊)でも、そうした試みが紹介されている。

Q2 生活保護とは何が違うの?

生活保護などの社会保障との最も大きな違いは、無条件で受給でき、使い道も自由であること。また、ほかの収入が増えたとしても、それによってベーシックインカムが減額されたりもらえなくなったりすることはない。無条件で受給できるということは、生活保護や失業手当の場合に必要な受給資格の審査がなく、煩雑な手続きが不要となることを意味する。受給することの対価条件として、何らかの成果を求められることもないのだ。

これにより、生活保護を受ける際にしばしば問題になる「スティグマ」(差別・偏見)の問題がベーシックインカムでは解消され、経済的安定を得ることに対する心理的負担が少ないといえる。生活の不安から解放されるため、労働条件の悪い仕事を回避することにもつながり、人生の選択の自由度が上がることで社会全体の幸福度を押し上げることにもなる。

また、従来の社会保障と比べて手続きが簡略化されるという点から、ベーシックインカムが導入されることで行政コストを大幅に削減できるともされている。

Q3 ベーシックインカムのデメリットは?

最も多く聞かれる反対論が「就労意欲が低下するリスク」だ。「何もせずにもらえるお金があれば、人々は働かなくなる」とする説は根強い。ベーシックインカムを得られるならば、「望まない仕事を我慢する必要がない」として労働を拒否する人が出てくる可能性もある。

さらに財源の確保へのハードルがある。ベーシックインカムを社会保障制度として導入する場合、年金、失業保険、生活保護などに充てられている社会保障がその財源として流用されることになるが、これでは十分ではない。ベーシックインカムを実現するためにはこれ以外に、所得控除をやめてベーシックインカムに置き換え、さらにベーシックインカム以外の所得への課税率を引き上げる必要があるとされている。また、ベーシックインカムは高所得者に対しても同様に支給されるため、富の再分配機能が低下するとも指摘される。

メリット

  • 無条件で受給でき、使い道が自由
  • 生活の不安からの解放、自由な人生の選択
  • 起業や自由な開発の後押し
  • 行政コストの削減

デメリット

  • 就労意欲が低下するリスク
  • 財源の確保へのハードル
  • 所得の再分配機能の低下

Q4 なぜ今、ベーシックインカム導入について論議されているの?

21世紀に入り、急激なデジタル化や技術革新、グローバル化によって社会構造および労働市場に大きな変化が起こっており、近い将来はAIの発達によって旧来の雇用の多くが消滅するといわれている。さらに、地球温暖化などの環境問題に配慮した社会経済の新たな仕組みが求められていることなどが、ベーシックインカム論議の背景として挙げられる。

また、新型コロナウイルスの流行によって、世界中で社会生活制限に伴う経済活動の停滞が起こり、かつてない大規模な補償金や支援金の拠出が各国で必要となった。特に飲食業や観光業、そして芸術・エンターテイメント部門が深刻な打撃を受けたことは言うまでもないだろう。長期化するコロナ禍で、多くの人が先行きの見えない状況に不安やストレスを感じていることから、「補償ではなくベーシックインカムを」という声も上がっている。

期間限定のベーシックインカムとして、毎月支払われる金額はいくらが妥当だと思うか?

期間限定のベーシックインカムとして、毎月支払われる金額はいくらが妥当だと思うか?

※MG(Q6参照)が世論調査研究所Civeyに委託。2020年4月1〜5日にかけて、18歳以上の2000人に調査

コロナ禍を受けて、全ての市民に6カ月間ベーシックインカムが支払われるべきだと思うか?

コロナ禍を受けて、全ての市民に6カ月間ベーシックインカムが支払われるべきだと思うか? ※MG(Q6参照)が世論調査研究所Civeyに委託。2020年4月1〜5日にかけて、18歳以上の2000人に調査

参考:「Grundeinkommen jetzt!」※2020年4月に発表された統計。コロナ禍における休業補償の代わりとして提案された、期限付きベーシックインカム導入に対して実施されたアンケート

Q5 すでにベーシックインカムを導入している国はある?

現時点ではない。しかしフィンランドでは、失業手当を受給している市民2000人を対象に、2017年から2年間にわたって月額560ユーロのベーシックインカムを支給するという実験が行われたことがある。

この結果、雇用においてはベーシックインカム給付を受けた2000人と、それ以外の失業者の間に大きな差はなく、ベーシックインカムの受給が雇用促進には結びつかなかったという結果が出ている。ただし、これは同時に「ベーシックインカムを受給した人が働かなくなるわけではない」という立証にもなった。一方で、健康やストレスの面においてはベーシックインカムの給付を受けたグループの方が肯定的な数字が出ており、全体的な幸福度は上がったという分析がなされている。

Q6 ドイツではベーシックインカムを導入する計画はある?

政府の施策ではないが、ドイツでも2014年からNPOの「Mein Grundeinkommen」(以下MG、「私のベーシックインカム」の意味)が、クラウドファンディングで資金を募り、抽選で選ばれた希望者に1年間ベーシックインカムを支給するという実験を続けている。

MG創設者のミヒャエル・ボーマイヤー氏は、「ベーシックインカムを受給することによって人は自分の存在意義を認識し、経済の不安を取り除くことができる。そうすれば、人生における判断や選択の基準は大きく変わってくるはず」と述べている。ボーマイヤー氏自身が副収入を得ることで同時に心理的安定を得た経験から、この実証実験をする発想に至ったと話している。

さらにMGが中心となり、2021年6月から3年間、選ばれた120人に月1200ユーロのベーシックインカムを支給するという実証実験が始まった。ドイツ国内有数のシンクタンク、ドイツ経済研究所やマックス・プランク研究所、ケルン大学と共同で、ベーシックインカムを受給した人の人生が、経済的、社会的、さらには心理的側面から見てどのように変化するのかを3年間かけて検証する。

ちなみに、2020年8〜11月にかけて実施された受給者の募集では、18歳以上でドイツに住民票があることが応募条件となったが、ドイツ国籍の有無は不問。これに約200万人が応募したという。

特設のライブスタジオで受給者を決める抽選が行われる特設のライブスタジオで受給者を決める抽選が行われる

Mein Grundeinkommen主催者&受給者の声ベーシックインカム実証実験で人生はどう変わるか

ベーシックインカムの分野で注目を浴びている「Mein Grundeinkommen」(以下、MG)は、一体どのようにして始まったのだろうか。前代未聞の実証実験に迫るとともに、実際にベーシックインカムを受給した方にも話を聞いた。

クラウドファンディングで実験資金を調達

コロナ禍前の2019年、ドイツでベストセラーになった本がある。『Was würdest du tun?』(君ならどうする?、Econ刊)は、MGが行なっているベーシックインカム実験の実録だ。月1000ユーロの臨時収入をもらった人たちが何をするのか、彼らの人生はどのように変わるのか、など個々のストーリーをつづったもので、MG主催者のミヒャエル・ボーマイヤーさんが共著の一人となっている。そもそもなぜこの活動を始めたのかを、ボーマイヤーさんはこう説明する。

「本業の傍らやっていたオンラインビジネスで、ある時から月1000ユーロほどの副収入を得るようになったのです。予期せず得るようになったその副収入は、私にとってお金以上の意味を持っていました。経済的な余裕がもたらす心理的作用は大きく、そして選択の自由が広がることに気付きました。

一般からの寄付で財源を集め、3年間のベーシックインカム実証実験が2021年6月1日からスタートした。連邦議会を背景にしたプロジェクトの主要メンバー。左から3人目がMG主催者のミヒャエル・ボーマイヤーさん一般からの寄付で財源を集め、3年間のベーシックインカム実証実験が2021年6月1日からスタートした。連邦議会を背景にしたプロジェクトの主要メンバー。左から3人目がMG主催者のミヒャエル・ボーマイヤーさん

人はよく『楽にお金を得ると働かなくなる』と考えるものですが、そんなことはありませんでした。仕事をするということは、その人が生活の糧を得るだけでなく、社会的アイデンティティーを作る重要な意味を持っているものなのでしょう。そこで、ほかの人たちにもこの体験をしてもらいたいなと思いました。彼らが1000ユーロのベーシックインカムを手にしたとき、何をするのだろうか? と知りたくなったのです」

2014年から始まったこのプロジェクトは今年で8年目、受給者の累計人数は1000人を突破した。MGではクラウドファンディングで資金を集め、応募者の中から無作為で受給者を選び、当選者1人につき1年間、毎月1000ユーロのベーシックインカムを支給する。この1000ユーロは「贈与」とされるため、基本非課税だ。

コロナで失業!ベーシックインカムを受給して再就職

2021年1月から1年間、このベーシックインカムを受給したナージャ・シュメルツァーさんはベルリン在住の仕立て職人だ。シュメルツァーさんは2020年10月までブライダル関係の会社で仕事をしていたが、コロナ禍で結婚式関連のイベントが減少。それ以前からすでに経営が苦しかった会社により解雇された。失業保険や起業補助手当を受けて生活していたシュメルツァーさん。そんな彼女がMGに応募したのは軽い気持ちからだった。

「1ユーロの寄付をするだけで自動的に応募資格が得られると聞いたので、趣旨に賛同するつもりで毎月寄付を始めたのがきっかけです。でも、まさか自分が当選するとは思っていませんでした」

そしてベーシックインカムを受給し始めたシュメルツァーさんの生活に、大きな変化が訪れた。

「その頃はフリーランスで細々と仕事をしていたのですが、ベーシックインカムをもらったことで、あせって仕事を探さなくてもよくなりました。そうしたら、3月に好条件で大手の有名企業から仕事の依頼が来たんです。それが縁になって、7月にはその企業と正規雇用契約を結びました」

シュメルツァーさんのケースは、単に「運がいい人」の話のようにも聞こえる。しかしそこには、仕事をする上でのいくつかの重要なポイントが含まれている。

  • ● 自分にとって条件の良い働き方を探し続けていたこと
  • ● 経済的余裕ができたことで、仕事を選べるようになったこと
  • ● 仕事に必要な先行投資が可能になったこと

さらにシュメルツァーさんが指摘するのが、失業保険などの社会保障に比べて心理的な負担が大きく違う点だ。

「失業保険や起業補助手当の場合、受給にたどり着くまでにたくさんの書類を提出して審査を経る必要があります。さらに、条件対価で何らかの成果を求められる性質を持っています。しかしベーシックインカムの場合は無条件で使い道も自由。お金をもらうことの心理的負担がないんです。この違いは大きいと感じました」

シュメルツァーさんは受給期間中に運転免許証を取り、仕事用に新しいミシンを買った。「一つひとつは膨大な出費ではありませんが、経済的に余裕があってこそできる仕事への投資でした」というシュメルツァーさんは受給期間中に運転免許証を取り、仕事用に新しいミシンを買った。「一つひとつは膨大な出費ではありませんが、経済的に余裕があってこそできる仕事への投資でした」という

これからの生き方に選択肢を与えるベーシックインカム

また、MGスタッフのマリーナ・ギュンツェルさんは、コロナ禍が始まってからの変化について次のように語る。「驚くべきことに、クラウドファンディングへのサポーターが増えました。ベーシックインカムへの応募者が増えることは予想していたのですが、出資者が増えることは想定外でした」。社会全体でベーシックインカムへの関心が高まり、連帯したいと考える人が増えてきたことの表れだとギュンツェルさんは分析している。

世界第4位のGDP(国内総生産)を誇り、経済的に最も豊かな国の一つであるはずのドイツ。しかしその中で多くの人がストレスを抱え、働く人の2人に1人が燃え尽き症候群を経験し、5人に1人の子どもが貧困家庭で育つといわれている。

急激なデジタル化、気候問題、過剰消費、台頭するポピュリズム、そしてコロナ禍……この社会で生きる人々は未来への不安とストレスにさらされ続けている。私たちは今一度立ち止まって、自分たちが生きている社会の在り方を根本的に見直し、自分自身の人生の価値を取り戻す時に来ているのではないだろうか。

MGスタッフのギュンツェルさんは、「コロナ禍が始まってから、ドイツ社会のベーシックインカムへの関心と連帯が高まった」と話すMGスタッフのギュンツェルさんは、「コロナ禍が始まってから、ドイツ社会のベーシックインカムへの関心と連帯が高まった」と話す

最終更新 Dienstag, 19 April 2022 14:17
 

ドイツに生きた永井潤子さん

追悼記事

生涯現役のジャーナリストドイツに生きた永井潤子さん

2022年4月4日、ベルリンに住む一人の日本人ジャーナリストが他界した。3月に米寿を迎えられたばかりだった永井潤子さんは、男女格差が今よりもはるかに大きかった時代に自ら道を切り開き、およそ50年にわたってドイツの地で活躍してきた。常に弱い立場の人々に目を向け、ときに怒りをもって社会情勢を伝えてこられた永井さん。そのかっこいい生き様とは対照的に、どこかお茶目なところもある人物だった。そんな永井さんを偲び、ジャーナリスト精神を貫いてきた彼女の人生を振り返りたい。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部 土井美穂)

参考:永井潤子『放送記者、ドイツに生きる』(未来社)、ベルリン日独センター「永井潤子――87歳の現役ジャーナリスト(リレー❤ エッセイ 日独交流の懸け橋をわたる人)」

おかっぱヘアがトレードマークだった永井さんには、おしゃれな一面もおかっぱヘアがトレードマークだった永井さんには、おしゃれな一面も

筆者が永井潤子さんに初めてお会いしたのは、彼女が83歳のときだった。渡独して間もなかった私を、「ずいぶん年下のジャーナリストの後輩」としていつも気にかけてくださっていた。ケーキがおいしい老舗カフェに連れて行っていただいたり、クリスマスに毎年焼くという「メクレンブルク風ローストダック」の作り方を伝授していただいたり、一見すると祖母と孫のような関係だったかもしれない。一方で、彼女の人生を少しずつ知るにつれて、「厳しい時代を生き抜いてきた強い女性」という印象がどんどん強くなっていった。

女性は出世できないのが当たり前の時代に

1958年に東京外国語大学ドイツ語科を卒業した永井さんは、就職活動で苦労したという。希望していたジャーナリズムの業界では、募集は男性のみというのも当たり前の時代。そんな厳しい条件下で見つけたのが、日本短波放送(現日経ラジオ社)の制作部での仕事だった。プロデューサーとして働き、充実した日々を過ごしていた永井さんだったが、男性の後輩たちがどんどん出世していくなか、自分はいつまでたっても平社員のまま。入社から10年以上がたって導入された能力給も「新人と女性はゼロ」がまかり通っていた。永井さんはいつしか「こんなところで働いていけない」と思うようになる。

そんな折、3週間の休暇でドイツへ旅行したときに転機が訪れる。ドイツ各地に暮らす同級生や先輩を北から訪ねてまわり、ケルンにたどり着いた永井さんは、国際放送ドイチェ・ヴェレの日本語課で働く先輩の職場を訪問した。そこでドイツ人の課長にこう聞かれたという。「ここで働く気はありませんか?」。同社ではちょうど、放送の経験がある日本人女性を探していたのだった。「喜んで」と即答したものの、実際に転職までには2年もの歳月がかかることに。

ドイチェ・ヴェレの日本語放送記者に抜てき

ドイツへの留学経験はなかったが、14年のキャリアを買われて採用された永井さん。1972年にいよいよケルンへ移住したときは38歳だった。新しい職場では、女性はもちろん若い人から年配の人まで、既婚か独身か、子どもがいるかどうかも関係なく働いており、そうした環境に勇気付けられたという。

ドイチェ・ヴェレは当時、30以上の言語で外国向けに放送しており、日本語放送は正午から1時間、短波でドイツに関する情報を発信していた。永井さんの仕事は、ドイツ語のニュースを日本語に訳し、その原稿をマイクの前で読むというもの。基本業務とは別に、積極的に取材にも出かけた。

生前、永井さんのお話によく登場したのが、同僚で親友でもあるブリギッテさんだ。彼女は東ドイツの出身で、「潤子はジャーナリストとして東ドイツの実態を知らなければいけない」と言って、帰省時には永井さんを実家へ連れていった。何度も訪ねるうちに、ブリギッテさんのご家族は永井さんの「ドイツの家族」となった。そして、ベルリンの壁が崩壊したときは、真夜中に電話口で二人で涙を流して喜んだのだった。

ウーマンリブの運動が盛んだった時期、関連テーマの番組をよく制作していたという永井さん。日本人の同僚には、リスナーは日本人男性が多いから、そうしたテーマばかり取り上げるのは良くないと批判されていたことも。逆にドイツ人の課長からは、女性の問題は男性の問題でもあるから、批判を気にせずにどんどん取り上げてください、と背中を押されたのだという。

ドイチェ・ヴェレで働かれていたころの永井さんドイチェ・ヴェレで働かれていたころの永井さん

定年後もジャーナリストとして走り続けた永井さんのエネルギー源とは?

ドイチェ・ヴェレでは定年の65歳まで働き、27年間勤め上げた。そして、2000年の夏には第二の故郷であるケルンを離れてベルリンへと引っ越す。フリージャーナリストとなった永井さんは新首都ベルリンの現状を伝える一方で、NHKのラジオ深夜便で2008年3月までベルリンのリポーターを務め、ラジオ人生は50周年を迎えた。

さらに2011年3月に起こった福島原発事故をきっかけに、ベルリンに住む日本人女性たちと共にウェブサイト「みどりの1kWh」を立ち上げる。脱原発を決めたドイツの政策や再生可能エネルギーに関する情報を日本語で発信するほか、女性、また東独出身者として初めて首相を務めたアンゲラ・メルケル氏についても、永井さんはよく取り上げていた。メルケル氏を評価しつつも、ドイツにおける男女平等や東西格差などの諸問題に対して、常に厳しい視点で記事を執筆していたのが印象に残っている。

永井さんの記事は「ナガーイ」ことでも有名だが、それほど熱のこもった文章だった。彼女のジャーナリストとしての活動はとどまることを知らず、そのエネルギーはどこから来るのだろうとよく不思議に思ったものだ。こうして彼女の人生を振り返ってみると、社会的に弱い立場であった自身の経験からも、おかしいことに対してはっきりおかしいと言う、強いジャーナリスト精神から来ていたのかもしれない。みどりの1kWhへの寄稿は今年1月まで続き、あとから聞いた話では、亡くなる直前も次の記事を計画していたという。

永井さんが亡くなる2週間前、自宅療養していた彼女と電話で話す機会があった。ほんの10分ほどだったが、「こんな世の中になっちゃってね」と、ロシアのウクライナ侵攻について深く嘆いていた。多感な子ども時代に第二次世界大戦を経験した彼女のその言葉を、私は重く受け止めた。コロナ禍に始まり暗いことばかりが続く時代だが、それでも永井さんなら世の中が明るい方へ向かうよう、闘い続けるのだろう。そして今はきっと、まだこれからを生きていく私たちを天国から見守ってくれているはずだ。その生き方からいつも勇気を与えてくださった永井さんに感謝するとともに、心からご冥福をお祈りする。

最終更新 Mittwoch, 20 April 2022 09:02
 

コロナ禍で日本から遠のくドイツの学生たち

日本の厳しい入国制限いつまで続く?コロナ禍で日本から遠のくドイツの学生たち

パンデミック以降、日本は水際対策として厳しい入国制限を行ってきた。入国者上限が段階的に引き上げられてきているものの、外国人の大半は今なお日本へ入国できない状態だ。このことは学生や研究者にも大きな影響を与えており、日本への留学をあきらめる若者も続出しているという。深刻な「日本離れ」が起きている現状を、姉妹誌「JAPANDIGEST」の記事からお届けする。 (文:JAPANDIGEST・ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:JAPANDIGEST「Von Faszination zu Frustration: Japans Einreiseverbot und die Folgen für Studierende und Forschende」、時事通信「国費留学生87人の入国許可へ 水際対策を事実上緩和―政府」、「『鎖国』緩和も、日本離れ懸念 海外留学生足止め『入国枠拡大を』」、文部科学省ホームページ

国境を閉ざし続ける日本

2020年のパンデミックが始まった頃、ドイツを含むほとんどの国では新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、国境を封鎖して都市封鎖(ロックダウン)や接触制限を実施した。その後、規制の緩和と強化を繰り返し、国民の大多数がコロナワクチンを接種した国では、全ての制限の緩和および解除を求める声が高まっている。ドイツでも3月20日以降、マスク着用義務やソーシャルディスタンス以外の規制がほぼ撤廃されることになった。

一方、日本では当初から行っている入国制限を今なお続けている。2020年3月末、日本政府は感染者の多い国からの外国人の入国を当分の間禁止することを発表。日本の滞在許可を持つ外国人も再入国できず、それから数カ月の間に「レッドリスト」にはおよそ160カ国が載った。同年10月になってやっと日本の滞在許可を持つ外国人の再入国が認められるようになったが、学生とビジネス関係者などの入国が認められたのは2021年11月のことだった。しかし、そのほんの数週間後にはオミクロン株のまん延により、この緩和措置も撤回されることになる。他方、ドイツの滞在許可を持つ日本人は、コロナ禍でも変わることなくドイツへの再入国が許可されてきた。

学生ビザを持っていても日本に入れない

日本の滞在許可がある学生や研究者でも、日本に入国できないために学業が続けられない、もしくはそもそもスタートさせられないというケースも少なくない。今年初め、日本政府は特別措置として、卒業や修了期限が迫っている外国人学生87人の入国を許可した。しかし出入国在留管理庁によれば、2021年12月時点でビザを取得して海外で待機している学生だけでも約15万2000人いたという。

ドイツでも、再び入国可能になるまで日本への留学を保留にしている学生が多くいる。日本での授業をオンラインで受講する学生もいるが、時差のため肉体的にも精神的にも負担は大きい。さらには、日本学を学ぶことをあきらめて専攻を変えたり、韓国語などの別の言語に乗り換えたりする学生も出てきている。

博士課程、講師、教授など、学界で活躍する人々ですらも日本で研究をすることができず、オンラインや日本在住者に調査の代行を頼んでいる状況だという。これは研究の質が下がるだけでなく、日本に渡航できないことで奨学金や研究資金が支給されなくなるなど、経済的なリスクを高めることも意味している。

薄れつつある日本への関心

デュイスブルク· エッセン大学東アジア研究所のアクセル・クライン教授も、日本の国境閉鎖を問題視している人の一人だ。姉妹誌JAPANDIGESTのインタビューによれば、クライン氏は日本政治学と東アジア社会学を教える立場として、ドイツの学生たちに適切な教育を受けさせるために、突然カリキュラムの変更を余儀なくされたという。特に日本の協定校への留学が必須の学生には、応急措置として学位に必要な単位を取得できる別プランを提案しなければならかった。そこでオンラインによるタンデム(ペアでお互いの母国語を教え合う語学勉強法)やそのほかのプロジェクトでも、日本の大学とコンタクトを取り続けている。「それでも、本物の留学には及びません」とクライン教授は言う。

また近年、日本学への関心が低下傾向にあり、コロナもその原因の一つとみられている。例えば、ドイツで最大の日本研究機関があるハインリヒ・ハイネ大学デュッセルドルフでは、2021年の冬学期で現代日本学科に38名が入学した。ところが、その1年前は68名、さらに2016年には108名だったことを考えると人気低下が否めない。また、ハイデルベルク大学やデュイスブルク· エッセン大学の日本研究所では、コロナ禍でも入学者数を保っているものの、例年より卒業に時間のかかる学生が増加した。

日本が留学先や旅行先としての意味や魅力を失うことは、国際交流、大学、語学学校、文化機関にも悪影響を及ぼす。厳しい入国制限によって日本は長期的な評判を落とし、人々の関心を失いつつあるのだ。「長期的な視点から、ドイツと日本の関係性に外交的な損害をもたらすでしょう」とクライン教授は結論付けている。

今年の2月中旬、ドイツにおける日本学研究者からなる現代日本社会科学学会(VSJF、Vereinigung für sozialwissenschaftliche Japanforschung e.V.)および、ドイツ語圏日本研究学会(GJF、Gesellschaft für Japanforschung e.V.)の代表が日本のメディアに公開書簡を送付した。学生と研究者の絶望的な状況に注目を集めること、日本政府に現在の入国制限について再考してもらうことが主な狙いだ。

そうした動きがあったなか、3月3日に岸田首相は14日から入国者の上限を7000人に引き上げることを発表した。さらに、留学生の受け入れを優先的に実施する「留学生円滑入国スキーム」を導入する。航空会社の協力を得て、空席が多い平日に留学生がスムーズに搭乗·入国できるようにするという。これまで培ってきた日独の関係性を保ち、これからを担う若者たちの未来を奪わないためにも、さらなる状況改善が期待されている。

最終更新 Montag, 21 März 2022 15:39
 

ドイツの廃墟×再利用=最高の遊び場!

原発施設から軍事飛行場までドイツの廃墟×再利用=最高の遊び場!

古いものを大切にするといわれるドイツ人。建築の分野においても、歴史的建造物が今も数多く残されているだけでなく、例えば元防空壕やビール工場をアートギャラリーに、元空港や工場を市民公園になど、古い建築物や廃施設を再利用することで魅力的な街づくりを行っている。本特集では、そんな一度は廃れてしまったり、負の歴史を背負ってしまったりした場所が、多くの人を楽しませるユニークな場所へと変貌を遂げた例をご紹介する。かつての姿に思いをはせつつ、最高の遊び場へと出かけよう! (文: ドイツ・ニュースダイジェスト編集部)

ドイツの廃墟×再利用=最高の遊び場!

建物を魅力的に再生する「コンバージョン」って?

「コンバージョン」(転換などの意味)とは、建築の分野では建物の用途を変更して再利用することを指す。すでにある施設を解体して新しい施設を建てるよりもコストがかからず、環境への負荷も少ないため、サステナブルの観点からも注目されている。古い建物の個性を生かした魅力的なデザインが可能なだけでなく、その場所が持つ歴史や記憶を保存するという意味でも重要な都市再生の手法だ。

ドイツ各都市には「コンバージョン」によって生まれ変わった場所が数多く存在するが、特に東西再統一後インフラ再編が行われたベルリンでは、コンバージョンによって多くの建物を再生。ベルリンからハンブルク方面へ向かう長距離列車駅を現代美術館にした「ハンブルク駅現代美術館」(1996年開館)をはじめ、旧東ドイツの発電所をクラブに改造し、今やテクノ音楽の聖地と呼ばれる「ベルクハイン」(2004年開業)、ナチスが建設した空港跡地を利用した広大な「テンペルホーフ公園」(2008年オープン)など、その街の記憶を残しつつ、新たな文化拠点や市民の憩いの場を生み出している。 参考:www.bsmf.de「KONVERSION」、コア東京Web「世界コンバージョン建築巡り」

テンペルホーフ公園の滑走路跡は、開放的な雰囲気が魅力テンペルホーフ公園の滑走路跡は、開放的な雰囲気が魅力

ハンブルク駅現代美術館の広大なエントランスホール。ダイナミックなインスタレーション作品が引き立つハンブルク駅現代美術館の広大なエントランスホール。ダイナミックなインスタレーション作品が引き立つ

原発施設から夢の国へWunderland Kalkar ワンダーランド・カルカー

ブリューターミュージアム

ライン川沿いに位置するワンダーランド・カルカーは、年間約60万人が訪れるドイツ屈指の人気テーマパークだ。もとは第二次世界大戦後、原子力発所に建設された高速増殖炉。しかし、 1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに反対運動の波が高まり、あとは核燃料を運び込むだけというところでカルカー高速増殖炉も廃止になった。その後、オランダの実業家がこの地を買い取り、2005年に遊園地を含む大型テーマパークとして開業。パークを訪れた人が元気になるようにと、「エナジー・ファクトリー」というコンセプトを掲げている。入場料さえ支払えば、アトラクションも乗り放題で、フライドポテトやアイスクリーム、ドリンクなども食べ飲み放題。

ブリューターミュージアム

パーク中央にそびえ立つ旧冷却塔をはじめ、かつての原発施設の名残も散見される。もしここが予定通り原発施設として稼働していたら、ドイツが脱原発を達成させる今年、誰も足を踏み入れることなくその終わりを迎えていただろう。そう考えると、ここは多くの人の笑顔を生む場所に生まれ変わった、まさに奇跡のワンダーランドなのだ。

ブリューターミュージアム

「夢の国」に残る原発の残像

ケルニーくんとケルナちゃん

ケルニーくんとケルナちゃん

遊園地のマスコットキャラクターである、ケルニーくんとケルナちゃん。ドイツ語で「核」を意味する二人の名前は、ここがかつて原子力発電所であったことを物語っている。二人は2012年8月12日に結婚し、パークの真ん中にあるスカイブルーの家で仲良く暮らしている。ケルニーくんの趣味はパーク内を延々と散歩することなので、パーク内で出会えるかも?

旧冷却塔のクライミング&空中ブランコ

旧冷却塔のクライミング

直径約40メートル、高さ約58メートルの旧冷却塔は、ワンダーランド・カルカーのシンボルでもある。外壁には雪山の絵がぐるりと一周描かれており、こちらではロッククライミングができる。また冷却塔の中は、高さ50メートル以上まで上昇する空中ブランコ。スリルを味わいながら周囲のパノラマを楽しめる。

旧冷却塔の空中ブランコ

ブリューターミュージアム

パーク内にあるブリューターミュージアムは、高速増殖炉や原子力によるエネルギーの生成について学ぶことができる展示施設。展示内容は、当時の原子力発電所の建設員たちによって企画された。館内には原子力発電所だった時の写真や実際の機械などが残されており、1980年代の建設当時の様子をうかがい知ることができる。

ブリューターミュージアム

Wunderland Kalkar
Griether Str. 110-120, 47546 Kalkar
www.wunderlandkalkar.eu

ナチスが残した幻のリゾートProra プローラ

Prora

Prora

ドイツの人気避暑地リューゲン島には、「プローラの巨人」と呼ばれる巨大な建築群が残されている。かつてナチス・ドイツの指導者アドルフ・ヒトラーが、約2万人の国民が余暇を過ごすことができるようにと構想したもので、1棟につき500メートルの長さのビルが八つ連なっており、全長約4キロにも及ぶ。 1936年に建設が始まったが、1939年には第二次世界大戦の勃発によって中止に。戦後は旧東ドイツの軍事施設としても使われたが、東西再統一後は長らく手つかずの状態になった。近年いくつかの棟の売却が進み、2011年にはベット数約400のユースホステル、2016年には複合リゾート施設が誕生して人気を博している。ヒトラーが1930年代に描いた保養地の夢は、期せずして現実となった。

Prora

一方で、近年のプローラの急速なリゾート化を受け、プローラの歴史を通してナチスの過去を保存することがますます課題に。2000年に設立されたドキュメンテーションセンター・プローラをはじめとする資料館では、ナチスがプローラを建設した歴史や政治的背景などについて、展示や教育プログラムなどを実施している。

Prora

Prora
Prora, 18609 Binz
www.ruegen.de/ueber-ruegen/inselorte/seebad-prora

元飛行場に生まれた常夏の楽園Tropical Islands トロピカルアイランド

Tropical Islands

近未来的な巨大ドームの中に広がる熱帯雨林、そしてプールとウォータースライダー……いつ訪れても南国気分に浸ることができる、まさに地上の楽園がベルリン近郊にあるのをご存知だろうか? この敷地一帯はもともと1938年にドイツ空軍の飛行場となり、1945年の第二次世界大戦末期にはドイツ国防軍の最前線部隊によって使用された。戦後はソ連によって占拠され、その後も旧東ドイツ政府が軍事飛行場として利用。東西再統一後には民間企業がこの土地を引き継ぎ、その時に建設されたのがこの巨大な飛行機の格納ドームだった。しかし2002年に同企業が破産すると、マレーシアの民間企業が敷地を購入して再開発を行い、2004年にトロピカルアイランドとしてオープンした。

Tropical Islands

インパクトがある見た目に劣らず、砂浜のあるプールをはじめ、サウナやスパ、ウォータースポーツやパターゴルフ、気球(!)などのアミューズメントも充実。屋内外にテントやロッジなどの宿泊施設があるほか、夏には屋外プールやビーチバレーなども楽しむことができる。

Tropical Islands

Tropical Islands
Tropical-Islands-Allee 1, 15910 Krausnick
www.tropical-islands.de

工業汚染を乗り越えた市民公園Landschaftspark Duisburg-Nord
ラントシャフツパーク・ デュイスブルク=ノルド

Landschaftspark Duisburg-Nord

ルール地方に残る工業遺産といえば、エッセン市にあるツォルフェラインが有名だが、その近郊都市であるデュイスブルク北部にも、製鉄所跡地を公園として再生した場所がある。デュイスブルクはルール地方における物流拠点として栄えたが、戦後の産業構造の大転換によって経済が衰退。その流れでこの製鉄所も1985年に操業を停止し、その後は土壌や周辺の環境が汚染されたまま放置されていた。疲弊したルール地方の都市を再生するプロジェクトが1989年から開始され、その一つとして生まれたのがラントシャフツパークだ。

Landschaftspark Duisburg-Nord

再生計画では、この溶鉱炉で働いていた人たちが自分の子どもや孫を連れてきた時に、自分がここで何をしていたのか、この場所がどんな意味を持っていたかを説明できるようにと、製鉄所の建築物を保存することを重視したという。周辺環境の改善を行いつつ、燃料庫は庭園に、ガスタンクはスキューバダイビング用のプールに、コンクリートの壁面はロッククライミングの練習場に、製鉄所は劇場へと転用。壮大なスケールの溶鉱炉跡地を体感しながら、リラックスした時間を過ごせる場所となっている。

Landschaftspark Duisburg-Nord

Landschaftspark Duisburg-Nord
Emscherstr. 71, 47137 Duisburg
www.landschaftspark.de

2022年ついに一部オープン予定!シュプレーパーク再生の舞台裏

ベルリンのトレプトウ地区にかつて存在した遊園地「シュプレーパーク」。2001年に閉園して以来、手付かずの状態となっていたが、このたび再生計画を経て2022年に再オープンを予定している。この事業を担当するGrün Berlin GmbHのプレス担当のカリナ・ティニウスさんに、その舞台裏を聞いた。

眠りについた遊園地が動き出すまで

1969年、旧東ドイツ唯一の遊園地として開園された「カルチャーパーク・プレンターヴァルト」。東西再統一後は「シュプレーパーク」として西独出身者によって経営されたが、2001年に借金苦によって倒産した。それ以降、たまに園内ツアーが行われるものの、放置されたアトラクションや敷地は荒れ果てたまま。そんなシュプレーパークが2014年、再生に向けて動き出した。

大観覧車もアトラクションとして稼働予定大観覧車もアトラクションとして稼働予定

「2014年2月にベルリン州政府がシュプレーパークを前所有者から買い取り、その後2016年から私たちGrün Berin GmbHが再生事業を担当しています。プランナー、建築家、アーティストと協働し、また市民参加によるアイデアや提案をもとに、新しいシュプレーパークの構想を練ってきました」と語るのは、同社のプレス担当であるティニウスさん。Grün Berlin GmbHはベルリン市の公営企業であり、気候保護や経済的な発展、社会的な結束を促進し、ベルリンを持続可能で住みやすい都市にすることを使命としている。これまでにテンペルホーフ公園をはじめとするさまざまな場所で、その土地の歴史や環境を生かした公共空間やインフラをつくってきた。

コンセプトは「アート・カルチャー・自然の融合」

未来のシュプレーパークが目指すのは、芸術・文化・自然が調和し、この地域固有の歴史が息付く、全ての市民のための緑豊かな公共スペース。遊園地だった時に使われていた乗り物や建物の大部分は保存され、芸術的・建築的な再解釈のもと、新たな用途で利用できるようになるという。

元ジェットコースターは散策道に元ジェットコースターは散策道に

「例えば元ジェットコースターのSpree Blitzは、レールを歩きながら敷地内を散策できる道に、元レーシングサーキットのMonte Carlo Drivは、目の錯覚を利用したアート散歩コースになる予定。また1969年に建てられた、敷地面積1800平方メートルのレストランMERO-Halleは、オープンエアーのギャラリーとステージに生まれ変わります」。総工費は約7200万ユーロに上り、ベルリン州や連邦政府をはじめとする資金によって賄われている。

完全オープンは2026年を予定

そして2022年末から、シュプレーパークの段階的なオープンを予定。その第一弾となるのが、歴史あるレストランのEierhäuschenだ。ここは19世紀に建てられ、パークに編入されてからも観光名所として親しまれていたが、パークの閉鎖に伴い朽ち果ててしまっていた。「そんな歴史的背景も踏まえ、Eierhäuschenは、地域のサステナブルで手頃な価格の料理とビアガーデンを楽しめる水辺のレストランとしてよみがえります。さらに、アーティストが宿泊しながら作品制作・発表をできるレジデンスとしても使用します」。

Eierhäuschen周辺エリアの完成イメージEierhäuschen周辺エリアの完成イメージ

Eierhänschenは今年末にプレビューイベントの一環としてお披露目され、 2023年から通常営業を開始する。さらに2024年には大観覧車周辺のメインエリア、2026年には完全オープンを目指す。オープンのあかつきには、新生シュプレーパークを体験しに、ぜひ訪れてみてはいかがだろうか。


Kiehnwerderallee 1-3,12437 Berlin
www.spreepark.berlin

最終更新 Donnerstag, 10 März 2022 13:18
 

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