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Guten Tag? Servus? Moin? 多様性が見えるドイツの方言

ドイツでは、いわゆる高地ドイツ語が標準語として使用されている。しかし、特に話し言葉は地域によって大きな違いがあり、生粋のドイツ人同士だとしても、生まれ育った場所が違えば、お互いに何を言っているのか分からないということさえ起きる。本特集では、そんなドイツの「方言」にフォーカス。多様な地域性が育んだドイツ方言の歴史から、失われつつある方言の未来まで、味わい深いドイツの方言の世界へとご案内しよう。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

方言をめぐるドイツ語の歴史

そもそもドイツ語は、紀元前1000年頃のゲルマン祖語から生まれた。その後ゲルマン語は、紀元600~800年の間に子音の大きな変化(いわゆる「第二次子音推移」)が起こり、その影響を受けた中南部の高地ドイツ語(Hochdeutsch)と、影響を受けなかった北部の低地ドイツ語(Niederdeutsch)に分割される。子音推移の影響を受けた古高ドイツ語は、ゲルマン語でリンゴを意味するApplaがApfulになったり、ウムラウトが見られたりするようになったりと、この時代の変化は現代の方言の違いにも残っている。中世以降、ドイツでは深い谷や高い山が点在する自然環境と、多数の小国に分かれていた政治制度の影響で、地域ごとに独特の方言を形成していき、ドイツ語は長い時間をかけてさらに細分化されていった。

現在の標準語の基礎が成立したのは16世紀、1522年に宗教改革者のマルティン・ルターが聖書をドイツ語翻訳したときのことである。ルターの目的は、それまでラテン語かギリシャ語しかなかった聖書を、誰もが読むことのできるドイツ語に翻訳すること。しかしドイツには英国でいうロンドン、フランスでいうパリのような政治的・文化的な中心地がなかったため、各地方の方言が分立した状況で標準ドイツ語が存在していなかった。ルターが形作ったドイツ語は、低地ドイツ語の語彙を取り入れつつも、高地ドイツ語をベースにしたものだった。

近世になると、標準ドイツ語は書き言葉としてさらに発達。その発展にはザクセン宮廷に仕えた書記官や作家が貢献したため、標準語はザクセン方言とプファルツ方言の影響を大きく受けている。この段階で方言は書き言葉から排除され、標準ドイツ語は統一された文法と発音を備えるようになる。さらに1920年代にラジオが導入されると、話し言葉でも標準語が普及していった。一部の方言は時代の流れの中で淘汰されていった一方で、今日でもドイツには約20の方言が存在し、それぞれ方言協会がある。特に地方では方言は日常的に使われており、村単位で発音の違いが見られることも。次ページでは、そんな彩豊かなドイツの方言をピックアップしてご紹介する。

参考:Planet Wissen「Deutsche Geschichte: Dialekte」、All About「ドイツ語の歴史!これだけは知っておきたい重要ポイント」

あいさつだけでもこんなに違う!

白パンの名称の違い

外国語を学ぶくらい 難しい!?ドイツの主な方言リスト

およそ20あるといわれるドイツの方言の中から、現在も話者が多いものを中心にご紹介。標準語とのあまりの違いにもはや外国語では……と思ってしまうが、かつて小国に分かれていたドイツの歴史が色濃く反映されていると感じられる。それぞれの方言の特徴を知っておけば、旅先でも役に立つことがあるかも⁉

参考:PONS「Deutsche Dialekte」、Baden-Württemberg「Vielfältige Sprachlandschaft Dialekte」、Babbel、mdr「Ist Sächsisch das eigentliche Deutsch?」、Deutschlandfunk Kultur「Mundart: Die Berliner Schnauze ist auf dem Rückzug」、Hessen Tourismus「Der Hessische Dialekt」

白パンの名称の違い

バイエルン方言
Bayerisch

バイエルン方言はもともと高地ドイツ語とは別の言語だが、標準ドイツ語やさまざまな方言が合わさって形成されている。バイエルン州以外でもオーストリアやスイスで話されており、話者はおよそ1300万人いると推定されている。

主な特徴

  • 一般的に「ei」が「oa」になる hoaß(heiß /熱い)
  • 「母音+r」が「a」になる oba(ober /上)
  • 「k/p/t」が「g/b/d」になる Dopf(Topf /鍋) 
  • 時制の使い方が異なる

例えばこんな方言

Dangschee/Bittschee(Danke schön/Bitte schön)

例) Ein Weiße bittschee. 
白ビールください。

Ja mei!

「仕方ない」「どうでもいい」などを意味し、日常的によく使われる表現。

ババーデン方言
Badisch

バーデン=ヴュルテンベルク州ではシュヴァーベン方言が最も話されているが、それ以外の方言を総称してバーデン方言という。カールスルーエなどで話されている南フランケン方言や、フライブルクなどで話されているアレマン語などが含まれる。

主な特徴

  • 「st」が「sch」になる machsch(machst /する)
  • 「a」が「o」になる mogsch(magst /好き)
  • 単語の多くがフランス語由来

例えばこんな方言

Weggle(Brötchen/白パン)

例) A Weggle oder a Bretzele?
白パンとブレーツェル、どっちがいい?

外部から来ると分からない定番方言

Schnoog(Stechmücke/蚊)

例)Dea Schnoogeschdich beißd mi ganz aag.
蚊に刺されたところがすごくかゆいんだ。

シュヴァーベン方言
Schwäbisch

ドイツ南西部の方言で、大きな都市ではシュトゥットガルト、オーストリアのチロル州の一部でも話されている。柔らかい響きを持つが、冠詞や母音が聞こえづらいため、理解しづらいともいわれる。

主な特徴

  • 「st」が「sch」になる hasch(hast/持つ)
  • 「a」が鼻音化する naahogga(hinsetzen/座る)
  • 「ö/ü」が「e/i」になる effendlich(öffentlich /開かれた)
  • 「k/p/t」が「g/b/d」になる Babba(Papa/パパ)
  • 冠詞が一部異なる dr Budder(die Butter /バター)
  • 指小辞に「-le」を使う Häusle(Häuschen /小さい家)
  • 「wir」が「mir」になる

例えばこんな方言

Herrgottsbscheißerle(Maultaschen/マウルタッシェン)

直訳では「神を欺く」ことを意味するが、かつて肉食が禁じられた金曜に肉を隠すために作られた料理だったいう説から、シュヴァーベン地方ではこの名で呼ばれている。

Mir könnet älles. Außer Hochdeutsch.

1999年にバーデン=ヴュルテンベルク州が掲げた伝説的なスローガン。意味は「私たちは何でもできます。標準ドイツ語以外なら」。

フランケン方言
Fränkisch

いわゆるフランケン地方(バイエルン州北西部)の方言で、ニュルンベルクやアウクスブルクでも話されている。古くはフランク王国で話されていた言語であり、アルザス語やルクセンブルク語もフランケン諸語に分類される。

主な特徴

  • 「r」が強めの巻き舌になる
  • 「k/p/t」が「g/b/d」になる Fränggisch(Fränkisch/フランケン)
  • 語尾が「-ng」になる Abodeng(Apotheke/薬局)
  • 指小辞に「-la」を使う Laabla(Brötchen/白パン)

例えばこんな方言

Allmächd!(Oh Gott!/ああ、神様!)

驚いたときなどに使う感嘆詞。この叫び声を上げている人は間違いなくフランケン地方の人。

Broudwoschd(Bratwurts/焼きソーセージ)

ニュルンベルガーソーセージで有名なニュルンベルクでは特に日常的に使われる言葉。現地ではDrei im Weggla(3本入りパン)を注文しよう。

ザクセン方言
Sächsisch

ルターはザクセン方言をもとに標準ドイツ語を形成したとされている。一方で東ドイツ時代のエリート層がザクセン方言を話していた影響などもあり、最も人気のない方言の一つ。母音は丸く、子音は柔らかく発音し、旋律的なアクセントで話すのが特徴。

主な特徴

  • 「a」が「o」になる Orbeit(Arbeit/仕事)
  • 「st」が「scht」になる bischt(bist)
  • 「k/p/t」が「g/b/d」になる Abbl(Apfel/リンゴ)
  • 「sch」が「ch」になる Breedschn(Brötchen/白パン)
  • 単語同士がつながる hammer(haben wir)

例えばこんな方言

Bämme(Stulle/オープンサンド)

ザクセン地方の人々にとってBämmeは、皆で一緒に食べる文化遺産ともいうべき存在で、ただのオープンサンド以上に意味を持っている。

Modschegiebschen(Marienkäfer/てんとう虫)

例)Gugge ma, de Modschegiebschen!
見て、てんとう虫だよ!

ベルリン方言
Berlinerisch (Berliner Schnauze)

大都市ゆえにさまざまな方言や言語が混ざってできた方言で、もともと労働者階級が使っていた。東西分断時代、西ベルリンでは学校でベルリン方言を話すことは不適切とされていたが、東ベルリンでは「労働者と農民の国家」を掲げていたため、許容されていた。

主な特徴

  • 「g」が「j」になる janz(ganz/まったく、完全に、全体の)
  • 二重母音になる een(ein/一つの), ooch(auch/~も)
  • 「pf」が「p」になる Appel(Apfel/リンゴ)
  • 独自の代名詞(ich=ick, es=et, das=dit, was=watなど)
  • 4格がしばしば3格になる(Du liebst mich nicht=Du liebst mir nich)

例えばこんな方言

Bulette(Frikadelle/ドイツ風ミートボール)

例)Nu aba ran an de Buletten! さあ、食事にしよう!

Pfannkuchen(Berliner, Krapfen, Krebbl/菓子パンの「ベルリーナー」)

例)Jedes Jahr an Silvesta werden Pfannkuchen jejessen.  毎年大みそかにベルリーナーを食べます。

ヘッセン方言
Hessisch

主にヘッセン州で話されているが、さらに五つのグループに細分化される。フランクフルト地域で話されている言葉は、20世紀後半に映画やテレビ用に作られたヘッセン風の方言で「Medienhessische」(メディアヘッセン方言)とも呼ばれている。

主な特徴

  • 「pf」が「p」になり、「b」が続く  Äbbelwoi(Apfelwein/アップルワイン)
  • 「sch」が「ch」になる Fich(Fisch/魚)
  • 所有格の使い方が独特(Ulis Bruder=em Uli sei Brouder)

例えばこんな方言

babbele(sprechen/話す)

名詞の「Babbelsche」はおしゃべり好きの人のことを指す。

Dudd(Tüte/袋)

例)Brache se ne Dudd? 袋にお入れしましょうか?

低地ドイツ語
Plattdeutsch

標準語とは別の言語で、北ドイツを中心にドイツで最も多くの話者がいる方言。オランダ語とも近い。現在は話せる人が少なくなっているが(詳しくは下記)、日常的な会話では単語レベルで使われていたり、お店の看板に残っていたりする。

主な特徴

  • 「地域が幅広いため、さらに細かく分類される
  • 「f」が「p」になる slapen(schlafen/眠る)
  • 「ch」が「k」になる ik(ich/私)
  • 「schp/schm」が「sp/sm」になる smeren(schmieren/塗る)
  • 独自の代名詞(er=he, sie=se, das=dat, wir=wiなど)
  • 過去分詞にge-がつかない(getan=daan

例えばこんな方言

Moin(Hallo/こんにちは)

昼夜問わず使えるあいさつで、元々の意味は「心地よい、良い、美しい」など。

Schlackermaschü(Schlagsahne/ホイップクリーム)

「今年の低地ドイツ語2025」に選ばれた。広義の意味ではクリーミーなデザートのことを差し、家庭でも使われる言葉。

方言はいつかなくなってしまうのか?

時代の流れとともに方言を話す人は少なくなり、地域によるアクセントやイントネーションの違いは残るものの、いつかドイツは標準語を話す人しかいなくなってしまうのだろうか……。そもそも方言とは人々にとってどんな存在であるかを紐解きながら、方言の未来について展望する。

参考:WELT「Sind deutsche Dialekte vom Aussterben bedroht?」、t-online「Sprachforscher über Dialekte "Für einen Süddeutschen ist das diskriminierend"」、Babbel「Warum du stolz auf deinen Dialekt sein solltest」、NDR「"Platt mit Beo": Leicht Plattdeutsch lernen mit einer Lern-App」、NDR「Wie Grundschulen versuchen, Plattdeutsch am Leben zu halten」

方言を話す人が減少 背景に差別や偏見も

言語学習プラットフォーム「Babbel for Business」の2024年の調査によると、ドイツ人の約60%は方言を習得していることが分かった。そのうち半数が55歳以上であり、24歳未満のZ世代では方言を話す人はわずか5%にとどまる。方言を話す人が減少している背景には、いくつかの理由がある。一つは、学業や職業上の成功のため、多くの親が子どもに方言を教えなくなっていること。さらに、移動の自由が高まったことで標準語を話す人が増えていることも挙げられる。メディアによる標準語の普及もまた、方言の消滅に拍車をかけてきたといえる。

職場や学校では、標準語を話すことが望ましいとされてきたが、その背景には方言を理由とする差別がある。方言で育った子どもはかつて、文法習得の遅れやスペルミスが増えるなど、学校の成績に悪影響を及ぼし、不利になると考えられていた。方言を話す人は知能的に劣っているという印象を持たれる傾向があり、実際に差別されたことがある人も決して少なくないのである。また方言を話すことによって、どこの出身の人であるか見当がつくため、人物像への偏見を持たれることも。しかし今日、方言の習得は外国語を学ぶのと同じように認知能力の向上につながるとの研究もあり、そうした偏見は以前に比べて少なくなってきている。 

方言を話す人々の本音
  • 64%のドイツ人が方言は家庭や故郷と密接に結び付いていると考えている
  • 73%のドイツ人がドイツ語の多様性を高く評価している
  • 70.5%のドイツ人が方言よりも標準語が仕事に向いていると考えている
  • 8.7%の人が、方言を理由に見下されてたり差別を受けたりしたことがある

参考:WELT「Sind deutsche Dialekte vom Aussterben bedroht?」

下記は中部ドイツに限る

  • 86%の人が方言を保存したいと考えている
  • 11%の人が旅行先で方言を話して不快な思いをしたことがある
  • 47%の人が標準語を話すことにメリットを感じている
  • 46%の人が標準語を話すことにメリットを感じていない

参考:mdr「Mehr Jüngere sprechen Dialekt als Ältere」

方言話者に持たれやすい印象の例
  • ベルリン方言:生意気、気さく
  • シュヴァーベン方言:節約好き、居心地がいい、地道で誠実
  • ケルン方言:誠実、率直
  • 低地ドイツ語:無口、ユーモアがないわけではない
  • バイエルン方言:基本的に温厚、軽視されるのが嫌

方言を守ることは自分と文化を守ること

比較的新しい考え方として、「Regiolekt」(地域方言)という言葉がある。地域方言は、地域的な影響を受けた口語表現のことを指し、例えばヘッセンで「ich」は「isch」と発音されることや、ベルリン方言やルール地帯方言もこれに該当する。話者が減少している歴史的な方言とは対照的に、地域方言は今もなお広い範囲で話されている。標準語だと思って使っていたのが実は方言だったということも少なくなく、地域方言を含めれば、若い世代も実は方言を話しているのだ。

歴史的な方言でも地域方言でも、人々にアイデンティティを与え、特定の民族集団への帰属意識を抱かせる役割がある。例えば、旅先で馴染みのある方言を話す人に出会ったとき、どこか温かい気持ちになるのは、故郷とのつながりを感じるからだろう。また、方言にしかない表現やフレーズがあり、方言で悪態をつくからこそ気持ちがこもる場合もある。さらに、方言はその地域の文化や慣習とも深く結び付いているため、方言が消滅することで失われる文化も出てくるだろう。方言を守ることは、すなわち自分自身のアイデンティティを守ることであり、地域の文化や慣習を守ることでもあるのだ。

方言を未来へつなぐ授業やアプリの導入

上記でも取り上げた低地ドイツ語は、北フリジア語やソルブ語などの少数言語と共に「地方言語または少数言語のための欧州憲章」の保護下にある。特に低地ドイツ語の話者の多い北ドイツでは、低地ドイツ語の保存のためにさまざまな施策が行われている。

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州では、2014年に低地ドイツ語のモデル学校に、ゲルティングのゲオルク・アスムセン小学校を指定。同校では、英語の教育メソッドを低地ドイツ語の授業に活かしているという。例えば、エリック・カール著の絵本『Brown Bear, Brown Bear, What Do You See?』(くまさん くまさん なにみてるの?)を低地ドイツ語で読み、子どもたちは絵本に登場する動物や色を学んでいく。同校では、州からの助成を受け、年に8回の低地ドイツ語授業を実施し、4年生の終わりには送別会で低地ドイツ語の劇を披露。卒業までに子どもたちが少しでも低地ドイツ語を理解し、2~3文でも話せるようになることを目標としているのだという。

お隣のメクレンブルク=フォアポンメルン州では毎年、「低地ドイツ語週間」(Plattdeutsche Wochen)が開かれ、各地で低地ドイツ語によるコンサート、演劇、朗読会などが行われている。また、低地ドイツ語の教師養成にも力を入れており、同州ではおよそ1700人の生徒が低地ドイツ語を学んでいるという。2024年には、語学学習アプリ「Platt mit Beo」をリリース。メクレンブルク=フォアポンメルン州で話されている低地ドイツ語をはじめ、ほかの地域の低地ドイツ語のコースを提供。テキストの読み上げもあり、食事やショッピングなど、日常的なトピックから実践的な低地ドイツ語を学ぶことができる。

100年後には歴史的な方言は消滅するだろうともいわれる。そんななか、全国各地の方言協会は必死になって未来へ方言を残そうと奮闘している。バイエルン方言協会では、将来的にバイエルン方言、フランケン方言、シュヴァーベン方言のアクセントで話すAIの制作を検討中だという。これによって、子どもたちが方言を学べるようにすることが狙いだ。こうした最新技術は、方言を継承していくためにこれからさらに活用されていくだろう。とはいえ、技術だけでは限界がある。最終的には、その地域の人々の方言への愛こそが、方言を守っていく原動力になるのかもしれない。

低地ドイツ語を楽しむ演劇体験

ハンブルク中央駅前にあるオーンゾルク劇場では、低地ドイツ語による劇作品を中心に上演している。オーンゾルク劇場版『ふたりのロッテ』(Das doppelte Lottchen)は、ロッテが双子の妹に低地ドイツ語を教える演出があり、観客も一緒に低地ドイツ語を学ぶことができる。2025年9月28日~11月16日まで上演予定。
www.ohnsorg.de

オーンゾルク劇場オーンゾルク劇場

『ふたりのロッテ』(Das doppelte Lottchen)『ふたりのロッテ』(Das doppelte Lottchen)

 

秋の森で宝物を見つけよう ドイツでキノコ狩り

秋になると、ドイツの森には多種多様なキノコが姿を現し、人々は秋の味覚を求めて森へと足を運ぶ。本特集では、ドイツの豊かな自然と共に受け継がれてきたキノコ狩りの文化と魅力をご紹介。歴史的背景や生態系との関わり、採取のルールからおすすめレシピまで、キノコ狩りの魅力をたっぷりお届けする。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:MDR「"Wir gehen in die Pilze" - Die Tradition des Pilzesammelns in der DDR」、NABU「Die Recycling-Spezialisten unserer Wälder」「Die beliebtesten Speisepilze」「Auf geht’s in die Pilze」、DW「Aus der Welt der Pilze」、servus「Mythen über Pilze: Geschichte und Aberglauben」、Altruan「Von Steinpilzen bis Pfifferlingen: Die besten Tipps zum Pilze sammeln in Deutschland」

ドイツとキノコ 意外と知らない4つの関係性

ミイラも常備!? 5000年前に始まったキノコとの暮らし

ドイツおよび欧州におけるキノコ狩りの歴史は、紀元前までさかのぼる。代表的な例が、アルプス山脈にあるエッツ渓谷で見つかった紀元前3300年ごろの男性のミイラだ。1991年にニュルンベルクからの観光客によって発見されたミイラのベルトには、乾燥キノコなどを入れた小袋が付いており、抗菌や創傷治癒に効果があるとされるサルノコシカケ類を携帯していたという。古代ローマや中世ヨーロッパでも、キノコは薬用・食用として重宝され、春から秋にかけての貴重なタンパク源として採取された。中世の修道院では薬草と並んで毒性研究も進み、安全に食べられる種類の知識を蓄積。19世紀に菌類学が科学として確立すると、キノコ採集は食料確保の枠を超え、学術的探究や趣味の対象へと発展していった。

幸運の象徴? それとも魔女の呪い? ドイツのキノコ伝説

キノコは古来より、神話や迷信と深く結びついてきた。ドイツで特に親しまれているのは、赤い傘に白い斑点を持つ猛毒キノコ、ベニテングタケ(Fliegenpilz)だ。民間では「幸運のシンボル」として、年賀カードやお守り、クリスマス飾りのモチーフにも登場する。また、森でリング状にキノコが生える現象は「Hexenring」(魔女の輪)と呼ばれ、妖精や魔女が踊った跡と信じられてきた。ハルツ地方などでは、この魔女の輪は特にヴァルプルギスの夜(毎年4月に魔女たちがブロッケン山に集う夜)に現れるとされ、春の訪れや豊穣の兆しと結びつけられたという。一方、毒キノコは悪霊や魔女の仕業とされることもあり、薬効や魔除けの力を持つと信じられた種類も存在した。

ドイツのキノコ伝説

秋は森へ家族総動員! 旧東ドイツの国家事業だったキノコ狩り

東ドイツ(DDR)時代は物資不足が続いていたため、森のキノコは貴重な栄養源であり、家庭の食卓を支える重要な食材だった。そのため秋になると家族総出で森へ出かける光景は日常的で、DDR政府もこれを奨励した。この制度的な起源はナチス時代にさかのぼる。1930年代後半、ナチス政権下では毒キノコによる事故防止と食料自給の強化を目的に「Pilzberatungsstellen」(キノコ相談所)を各地に設置し、専門鑑定員制度を整備。この仕組みがDDRでも継承され、各地のキノコ専門員が市民に無料鑑定や講習を行い、学校や職場でもキノコ鑑別教育が実施された。その結果、DDRでは誤食事故が低く抑えられ、採取マナーも徹底されたという。再統一後は制度が廃止されたが、一部では民間や自治体により伝統が受け継がれている。

1987年に東ベルリンの共和国宮殿にて行われたキノコ相談会1987年に東ベルリンの共和国宮殿にて行われたキノコ相談会

絶滅危惧と放射能汚染 キノコが直面する現代の試練

ドイツには現在、約4400種の大型キノコが存在するが、そのうち約3分の1が絶滅危惧種としてレッドリストに掲載されている。ドイツ連邦自然保護庁によれば、その主な原因はキノコ狩りではなく、森林破壊や樹種構成の変化、大気中の窒素化合物の影響などによって減少しているという。また、1986年のチェルノブイリ原発事故により、40年近くたった現在でも、ドイツ東部や南部を中心に放射性セシウム137が残留している。これらの特定の地域では、ヤマドリタケなどのキノコが1キログラム当たり1000〜2000ベクレルの放射能濃度を示すことがあり、これはドイツの食品流通基準の同600ベクレルを超える場合がある。こうした地域では放射能の汚染を避けるためにキノコの収穫や販売に慎重を期す必要があるが、通常の家庭消費量では健康リスクは低いとされている。このように、キノコは森林の生態系における重要な指標であると同時に、環境汚染の影響を強く受ける食材でもあるのだ。

キノコが直面する現代の試練

森の恵みを安全に味わうためドイツのキノコ狩り入門

キノコ狩りはレジャーであると同時に、自然への配慮や採取マナー、安全な調理法への注意が欠かせない。ドイツでキノコ狩りを安全に楽しむために、ベストな気候や必要な持ち物、覚えておきたいマナーをチェックしておこう。

キノコ狩りのベストタイミングは?

ドイツのキノコ狩りシーズンは、例年8月中旬ごろから始まり、10月末、場合によっては11月まで続く。時期は天候に大きく左右されるが、特に湿って暖かい日がキノコの成長に理想的な条件となるので、以下を参考にタイミングを見定めよう。

● 雨の後
数日間の弱い雨の後に暖かい日が続くと、キノコが一斉に顔を出す。雨が土壌に水分を与え、その後の暖かさがキノコの成長を促す。

● 穏やかな気温
気温は10〜20度がベスト。暑すぎたり寒すぎたりすると、キノコは育ちにくい。

● 高い湿度
特に朝は湿度が高く成長に好条件。早朝の採取は成功率が高いので、早起きして出かけるのがおすすめ。

キノコ狩りに必要な装備は?

キノコ狩りに必要な装備は?

● キノコ用ナイフ
専用のキノコナイフを使えば、キノコを丁寧に収穫し、菌糸を傷つけずに採ることができる。刃の反対側に、キノコを掃除するためのブラシが付いているものも便利。

キノコ用ナイフ

● カゴ
カゴは通気性がよく、キノコが呼吸できるため傷みにくい。ビニール袋は、袋の中でキノコが蒸れて傷みやすくなるため、避けた方が良い。

カゴ

● 防水性のある服と丈夫な靴
森の中は地面が不安定で湿っていることが多いため、防水性のある服としっかりした靴が望ましい。

● キノコ図鑑またはアプリ
キノコ図鑑は種類の識別や、食用と毒キノコの見分けに役立つ。こちら(写真)は、自然保護団体NABUが推奨するキノコ狩りハンドブック「Handbuch für Pilzsammler」(2021年、KOSMOS Verlag)。中央ヨーロッパで採れる340種のキノコの見分け方の解説のほか、人気の食用キノコを使ったレシピが収録されている。

キノコ図鑑

● 手袋
特に種類不明なキノコに触れるときは、手袋を付けた方が良い。

キノコ狩りで守りたい6つのルール

ルール❶自然への配慮を忘れない

森の中の動物を驚かさず、繁殖期や子育ての時期に注意する。自然保護区では採取しないこと(ドイツでは規制あり)。植物や若木を踏みつけないようにし、苔をめくったり、地中の白い菌糸(菌糸体)を傷つけないようにしよう。

ルール❷注意深くキノコを採る

100%確実に識別できるキノコ以外は採らない。初心者の場合は、図鑑やアプリを必ず持参する。また、カビの生えたキノコは食用にできない。新鮮な食用キノコは弾力があり、しっかりしている。地域の市民学校(Volkshochschule)では、キノコ狩りの方法やキノコの見分け方について学べるコースが設置されていることも。

ルール❸正しい方法で収穫する

安全に識別できたキノコは、地面すれすれで切り取る。種類不明なキノコは土から慎重にねじって引き抜く(全体像と特徴が見えないと、正確な判別ができないため)。また、種類不明なキノコは、ほかの収穫した食用キノコと一緒に入れないこと。誤食時は、管轄地域の中毒緊急連絡先(Giftnotruf)に連絡する。

キノコを正しい方法で収穫する

ルール❹節度を持って採る

キノコの採集は自家消費用に限り、その日に食べきれる量以上のキノコは採らない。目安としては、1日につき1人1キロを超えない程度。ヤマドリタケ(Steinpilz)やアンズタケ(Pfifferling)などの保護対象種は、採取量が法律で制限されている。不明な場合は、該当する森林管理事務所または地域の景観管理当局に確認しよう。

ルール❺正しい調理法で食べる

全ての野生キノコは生で食べず、15〜20分加熱する。食用の安全なキノコでも、生だと胃腸障害を引き起こすこともある。

ルール❻適切な方法で保存する

できるかぎり新鮮なうちに調理する。難しい場合は必ず冷蔵する。1日以上保存する場合は、下茹でしてから冷蔵すると良い。調理済みのキノコも冷蔵庫で保存する。冷凍や乾燥後に粉末にして調味料としても利用するのも◎。

森で見つけたい!ドイツで人気の食用キノコ6種

ドイツでも特に人気の高い、食べられるキノコをピックアップ。特に初心者の方は、お手持ちの図鑑やアプリと照らし合わせながら安全に収穫しよう。香り高い森の幸を、思う存分味わって!

ヤマドリタケ
Steinpilz 採取時期:7〜11月

ヤマドリタケ

日本では「ポルチーニ」の名でも知られる香り高い高級キノコ。傘径は8〜25センチ、柄は太く樽形〜円筒形をしている。主にトウヒやマツ、ブナの下に多く、まれにカバやナラの下でも見られる。身が締まり、傘がきゅっと閉じた新鮮なものが良い。香ばしいナッツ風味が特徴で、大きさよりも鮮度が味を左右する。調理前には土をはたき落とし、汚れを切り取るか、濡れ布巾で優しく拭き取る。ドイツでは最も人気の食用キノコの一つで、ソテー、スープ、パスタ、乾燥保存など用途は多岐にわたる。乾燥品は香りが凝縮され、長期保存にも適する。

アンズタケ
Pfifferling 採取時期:6〜9月

アンズタケ

その名の通り、アンズに似た甘い香りが特徴のキノコ。傘の大きさは3〜12センチで、鮮やかな黄色〜黄橙色をしている。傘は中央がやや窪み、縁が波打って反り返っている。傘裏には、しわ状のひだが放射状に密生している。トウヒやマツなど針葉樹林のほか、まれにブナなど広葉樹の下にも群生する。締まった肉質で、熱を加えると香りが強まる。ドイツでは炒め物やクリームソース、スープなどに広く用いられる。流水で洗うと香りが失われるため、ナイフやブラシ、濡れ布巾で汚れを優しく落としてから調理しよう。

ニセイロガワリ
Maronen-Röhrling 採取時期:8〜11月

ニセイロガワリ

ヤマドリタケやアンズタケと同様に人気のキノコ。ドイツ語名の由来は、傘の色と形が栗(マロン)に似ていること。傘の直径は5〜15センチで、栗色〜暗褐色をしている。湿るとややぬめりが出る。傘裏は管孔状で、スポンジのような層が明るい黄色をしているが、押すと瞬時に青く変色する。柄はやや細長く、表面には微細な網目模様がある。トウヒやマツ林など酸性土壌を好む。香りはやや控えめだが、調理すると柔らかな風味が引き立ち、煮込み料理やソテーに適している。比較的日持ちするが、新鮮なうちに下処理するのが望ましい。

ササクレヒトヨタケ
Schopf-Tintling 採取時期:5〜11月

 ササクレヒトヨタケ

円筒形〜卵形の白い傘を持ち、高さは最大25センチ、傘径は3〜7センチ程度。成長とともに傘がめくれ上がり、やがて黒く溶ける「自己消化」(自己溶解)を起こす。この性質から「インクキャップ」とも呼ばれており、過熟すると食用に適さなくなる。若く白く硬い時期だけが食用可能で、味は繊細で癖が少ない。窒素分の多い土地を好み、埋立地や畑、道端、庭、肥沃な草地などに発生する。採取後は数時間で劣化するため、なるべく早く調理すると良い。卵形の若い状態は、フリッターやソテーにすると風味が際立つ。

クロラッパタケ
Herbsttrompete 採取時期:8〜11月

クロラッパタケ

ドイツ語名は「秋のトランペット」を意味する、灰褐色〜黒色のラッパ形キノコ。傘径は3〜12センチで、柄の基部まで中空で、傘の縁は外側に強く反り返る。主にブナ林に群生するが、ほかの広葉樹林にも出現することも。香りは乾燥させるとさらに引き立ち、パウダー状にしてソースやスープの香り付けに用いられる。フランス語では「トランペット・ドゥ・ラ・モール」(死のトランペット)とも呼ばれるが、毒性はなく安全な食用種。ただし乾燥品や冷凍品は条件によって毒素が生成される恐れがあるため、保存方法には注意が必要。

アカハツタケ
Edel-Reizker 採取時期:8〜11月

アカハツタケ

傘は黄土色〜れんが色のオレンジで、直径4〜10センチ。表面には濃い環状模様や斑点、銀色の条線があり、年を経ると模様は不鮮明になる。柄には円形の浅いくぼみが多数あり、傷つけると鮮やかなオレンジ色の乳液を分泌する。主にマツ林に発生し、地中の菌糸と樹木が共生する外生菌根菌。風味はややスパイシーで、焼くと旨味が増す。スペインやカタルーニャ料理、プロヴァンス料理などでよく調理され、ロシア料理では伝統的に塩漬けにして保存される。ドイツでは希少種として扱われる地域もある。

本誌連載「簡単おいしいレシピ」より採れたてキノコを味わうレシピ

 
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東京フィルハーモニー交響楽団ヨーロッパ・ツアー2025 フィルハーモニー・ベルリンに東京フィルがやって来る!

東京フィルハーモニー交響楽団は、1911年に創立された現存する日本最古のオーケストラ。長い歴史と伝統、そして革新によって国内外で評価されてきた同楽団が、10年ぶりにヨーロッパにやって来る。その初日を飾るのが、世界最高峰のコンサートホールとして名高いフィルハーモニー・ベルリンだ。東京フィルがヨーロッパの地でどんなサウンドを響かせるのか、出演者の声と共にご紹介。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

東京フィルハーモニー交響楽団

世界的マエストロとのツアー チョン・ミョンフンと東京フィル

ツアー全公演を指揮するのは、東京フィル名誉音楽監督で2027年より世界最高峰の歌劇場ミラノ・スカラ座の音楽監督にも就任予定のチョン・ミョンフン。2001年に東京フィルの公演に初めて登場して以来、25年にわたって楽団と関係を深めてきた世界的マエストロだ。7カ国8都市の名門ホールをめぐる今回のヨーロッパ・ツアー開催は、「東京フィルという素晴らしいオーケストラをもっと世界に知らしめたい」というチョン・ミョンフンの熱い思いによって実現した。

さらに東京フィルは、ツアーのモットーに「音楽がつなぐ、分断を越えた未来へ―響き合う世界のために」を掲げ、文化的外交の担い手として、さらに海外でのプレゼンスを高めていくことを目指している。

チョン・ミョンフンと東京フィル

クラシック初心者でも親しみやすいドラマ溢れるプログラム

今回の演目は、チョン・ミョンフンが得意なレパートリーの中から、ドラマ性があり、幅広く愛されてきた作品がピックアップされている。ベルリン公演のメインは、シェイクスピアの悲劇を題材にした、プロコフィエフ作曲のバレエ音楽「ロメオとジュリエット」。さらに、現代版の「ロメオとジュリエット」としても知られるミュージカル「ウエスト・サイド物語」よりシンフォニック・ダンス、そしてシンフォニック・ジャズの代名詞である「ラプソディ・イン・ブルー」が演奏される。

バレエ、ミュージカル、ジャズと、ジャンルを問わずに演奏をしてきた東京フィルならではの演目で、クラシック初心者も親しみやすいプログラムになっている。

ジャズとクラシックの懸け橋ピアニスト 小曽根真が登場!

ピアニスト 小曽根真

「ラプソディ・イン・ブルー」で登場するのは、ピアニストの小曽根真。ニューヨークを拠点にジャズとクラシックの両分野で活躍する同氏は、独特な存在感を放ち、唯一無二の演奏で世界中の人々を魅了している。今回の演奏会に際して、小曽根は次のように語る。「『ラプソディ・イン・ブルー』はジャズピアニストにとっては、オーケストラと一体となれる最高のレパートリー。聴衆の皆様や素晴らしいホールの響きにインスパイアされ、毎回違ったアドリブ演奏が生まれるのもこの作品の醍醐味です」。

また、かつて共演した世界的指揮者アラン・ギルバートは、小曽根について「ガーシュインの名作を完璧に解釈し、毎回新たな境地へと導いてくれる」と述べ、「マコトの『ラプソディ・イン・ブルー』は決定版」とも語っている。クラシック音楽の聖地ベルリンでこの名作にどんな魔法がかかるのか、注目の公演になること間違いなしだ。

東京フィルハーモニー交響楽団
ヨーロッパ・ツアー2025 ベルリン公演

ピアニスト 小曽根真

日時: 10月28日(火)20:00
会場: フィルハーモニー・ベルリン
指揮: チョン・ミョンフン(名誉音楽監督)
ピアノ: 小曽根 真
演奏: 東京フィルハーモニー交響楽団
曲目: バーンスタイン/「ウエスト・サイド物語」よりシンフォニック・ダンス
ガーシュウィン/ラプソディー・イン・ブルー(ピアノ:小曽根 真)
プロコフィエフ/バレエ音楽「ロメオとジュリエット」より
料金: 85€/80€/75€/70€/65€/60€/50€
学生割引あり(一律25€)

チケット販売
Konzertdirektion Hans Adler
月~土9:00~20:00、日・祝日14:00~20:00
Tel:030-826-4727

チケット購入はこちらから

東京フィルでは、ヨーロッパ・ツアー2025に関連してクラウドファンディングを実施中!

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事実は小説より奇なり 英国・ドイツで本当に起こった20の珍事件

私たちの世界は、フィクション顔負けの奇妙で驚くべき出来事があふれている。ましてや、異なる歴史や文化を持つ国に暮らしていれば、その驚きもひとしおだ。本特集では、英国とドイツで実際に起きた珍事件を、歴史的な出来事から現代の時事ニュースまで幅広く紹介する。予測不可能で奇妙な展開から、思わず笑ってしまうユニークなエピソードまで、どれも一筋縄ではいかない実話ばかり。きっとあなたも誰かに話したくなるはず! (文:英国・ドイツニュースダイジェスト編集部)

歴史的ミステリー

1 UK英国 リチャード3世の遺骨が
500年後に駐車場で見つかる

薔薇戦争(1455-1485)時代の王であるリチャード3世は、二人の幼い甥をロンドン塔に幽閉したり、シェイクスピアの「リチャード三世」による否定的な描写もあったりで、冷酷で残忍なイメージが強くもたれている。その遺体は500年以上行方不明だったが、なんと2012年に英中部レスター市内の駐車場の地下から発見された。遺骨の分析から、頭部に複数の致命傷を負っていたことや、実際に脊椎側弯症を患っていたことが明らかに。15年にはレスター大聖堂に埋葬された。遺骨の発見に尽力したのは歴史家フィリッパ・ラングレー氏。同氏はリチャード3世を支持し、その治世や評価を擁護する歴史家や研究者を指すリカーディアン(Richardian)の 一人だ。

参考:リチャード3世協会ウェブサイト

現在はレスター大聖堂に眠るリチャード3世現在はレスター大聖堂に眠るリチャード3世

2 UK英国 英国版ロズウェル事件!?
1980年に起きたUFO遭遇

1980年12月、英東部サフォークのレンドルシャムの森で数人の米空軍兵が、金属のような外観で色とりどりの光を放つ謎の物体を目撃。不規則な動きをする光が、数日にわたり森の中を移動したり空に浮かんだりする様子も報告された。地面には着陸の痕跡が残され、放射線反応も記録されたという。現場近くにはNATOの軍用基地があり、当時は米空軍が駐留していた。この事件については、当時中佐だったチャールズ・ホルト氏による公式報告書「ホルト覚書」が英米両政府に提出されている。「英国版ロズウェル事件」と呼ばれるほど有名だが、真相は今も明らかになっていない。現在レンドルシャムの森には、UFO目撃があったとされる場所をたどる散策ルートがある。

参考:BBC「Rendlesham Forest UFO: Are we any closer to the truth 40 years on?」

レンドルシャムの森レンドルシャムの森

ウッドブリッジの旧空軍基地ウッドブリッジの旧空軍基地

3 UK英国 犬が次々に飛び降りる
謎の多いオーバートン橋

スコットランド西部、ダンバートン近郊のオーバートン橋は、美しい19世紀の石造りのアーチ橋。しかし1950年代から、300匹近い犬がこの橋から飛び降りて命を落とすという奇妙な現象が報告されてきた。この現象が注目を集めるようになったのは2000年代以降。犬たちは全て橋の同じ側の、特定の箇所から飛び降りるという。しかも、突然興奮した様子で橋の欄干に向かって走り出し、ためらうことなくジャンプしてしまうのだそう。命を落とすケースも少なくなく、「犬の自殺橋」という異名まで付けられた。地元では超常現象との関連を疑う声もあるが、動物行動学者たちは橋の下に野生のミンクの巣があり、その強い臭いが犬の本能を刺激している可能性を指摘している。

参考:Independent「 ‘Dog Suicide Bridge’: Why do so many pets keep leaping into a Scottish gorge?」

オーバートン橋オーバートン橋

4 UK英国 切り裂きジャックの正体
21世紀になって明らかに?

「切り裂きジャック」は、署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなどした劇場型犯罪の元祖。1888年8月31日~11月9日までの約2カ月間に、分かっているだけでも5人の売春婦が狙われ、特定の臓器を取り除かれた死体が発見された。事件現場はいずれもロンドン東部のホワイトチャペル周辺。厳重な捜査網が敷かれたにもかかわらず、犯人は捕まっていない。臓器摘出の跡などから、犯人は医者だったのではないかといわれているが、真相は謎に包まれたままだ。しかし2019年、ある被害者の遺体のそばにあったショールでDNA鑑定が行われた。それによると、すでに被疑者の1人として浮上していた当時23歳のポーランド人理容師アーロン・コスミンスキーが犯人である可能性が高いという。

参考:Metro「The Polish barber who could have been Jack the Ripper」

ホワイトチャペル周辺であった切り裂きジャックの犯行と思われる七つの現場ホワイトチャペル周辺であった切り裂きジャックの犯行と思われる七つの現場

5 Germanyドイツ ライン川の城に眠る少女の伝説
イディリア・ダッブの悲劇

ライン川中流域には数々の伝説が息づくが、そのなかでも19世紀に実際に起きたとされる少女の悲劇が、今なお人々の心を捉えている。1851年、スコットランド出身の17歳、イディリア・ダッブは家族とドイツを旅行中、城跡のスケッチを行うために一人で高さ約20メートルの塔に登ったが、観光用に設けられていた木製階段が崩落して取り残された。助けを呼ぶも誰にも気づかれず、塔の上で4日間、脱水症状によって(と推測されている)命を落とした。その遺骨と彼女が孤独の中で死の間際まで書いていた日記が発見されたのは9年後の1860年、塔の修復作業中のことだった。現在、城では150本以上のろうそくを灯す夜の「キャンドル・ツアー」が開催されており、イディリアの物語は訪れる人々の胸に静かに刻まれている。

参考:Rheinland-Pfalz Tourismus GmbH「Das Schicksal der Idilia Dubb Geheimnisvolle Burggeschichten vom Rhein」

ライン川の城

6 Germanyドイツ デュッセルドルフの吸血鬼
ペーター・キュルテン

1930年5月24日、「デュッセルドルフの吸血鬼」と呼ばれて世間を震撼させていた連続殺人犯が逮捕された。その人物は、当時46歳のペーター・キュルテン。少なくとも9人を殺害し、その血を飲んだといわれている。幼少期から暴力と貧困に満ちた環境で育ったキュルテンは、放火、暴行、強姦、窃盗、横領など多数の前科を持っていたが、殺人犯としてはノーマークだった。彼は常にスーツの手入れ用のブラシを持ち歩き、魅力的で教養のある人物のように見えたため、被害者らも油断したという。さらに犯行時には化粧をしており、生存者の証言から、警察は犯人がキュルテンよりも10~20歳年下だと推測していた。最終的に、別の犯罪で逮捕されたのをきっかけに連続殺人を自白し、死刑判決を受けた。

参考:WEB.DE「Er trinkt das Blut seiner Opfer – und wird nur durch einen Zufall gefasst」

「デュッセルドルフの吸血鬼」と呼ばれたペーター・キュルテン(1883-1931)「デュッセルドルフの吸血鬼」と呼ばれたペーター・キュルテン(1883-1931)

7 Germanyドイツ 世界を騒がせた
「ヒトラーの日記」贋作事件

1983年4月、雑誌「シュテルン」は「ヒトラーの日記」とされる記事を発表したことで、世界から注目を浴びた。1970年代、シュテルンの記者でナチス研究をしていたゲルト・ハイデマンはイラストレーターのコンラッド・クジャウと知り合った。クジャウによれば、戦争末期に飛行機墜落によって失われたと思われていたヒトラーの個人的所有物が、戦後に東ドイツで発見されたという。その中にあったとされる「ヒトラーの日記」は、クジャウを通じて高値で取引された。しかし間もなくして、日記がクジャウによる贋作だったことが発覚。実際は演説や教科書からの引用が多く、歴史修正主義的な内容だったという。ハイデマンは懲役4年8カ月、クジャウには懲役4年6カ月が言い渡された。

参考:NDR「Vor 40 Jahren: Urteile nach Skandal um die "Hitler-Tagebücher"」

雑誌「シュテルン」の記者会見で話すゲルト・ハイデマン雑誌「シュテルン」の記者会見で話すゲルト・ハイデマン

世間を驚かせた犯罪

8 UK英国 ゴヤの絵を盗んだ
テレビ受信料反対派

1961年8月21日、ロンドンのナショナル・ギャラリーでスペインの巨匠ゴヤが1812~14年に描いた「ウェリントン公爵の肖像」が盗まれた。警察は当初、国際的な犯罪組織の関与を疑い、犯人はなかなか特定されなかった。だが事件から4年後の1965年5月、定年退職した元バス運転手ケンプトン・バントンが、絵画をバーミンガム駅の手荷物預かり所に預け、その預かり証を英タブロイド紙「デイリー・ミラー」に郵送。6週間後には自ら警察に出頭した。裁判でバントンは、絵画を返却する代わりに政府が14万ポンドを寄付し、テレビ受信料を払えない人々の支援に充てるべきだと訴えた。絵画が無傷で戻されたことや、行為が抗議の一環とみなされたことから、美術品の窃盗罪は成立せず、額縁のみの窃盗で有罪となり、3カ月の実刑判決が下された。

参考:The National Gallery「Hugh Courts' papers relating to the trial of Kempton Bunton」、BBC「The bus driver who confessed to stealing a Goya masterpiece」

9 UK英国 高齢者の熟練犯罪集団が
高級宝飾品で強盗

中世以来、宝飾を扱う店舗や職人の工房が軒を連ねるロンドンの高級宝飾品店街ハットン・ガーデン。その88〜 90番地にある地下の貸金庫に強盗が入ったのは、2015年のイースター4連休中のことだった。犯人たちは連休を利用して、厚さ180センチのコンクリート壁に産業用ドリルで穴を開けて金庫室に侵入。貸金庫から金品を奪い去った。CCTV映像には作業用ヘルメットをかぶった男たちが手際よく金品を運び出す様子が記録されていた。細部に至るまで計画された、この大胆な犯罪による被害総額はおよそ1400万ポンド。しかも実行犯の6人は最高齢76歳を含む高齢の熟練犯罪集団だった。グループはその後逮捕されたが、回収された盗難品は約430万ポンド分にとどまっている。この事件は世間に大きなインパクトを与え、「Hatton Garden: The Heist」(2016年)や「The Hatton Garden Job」(2017年)など複数の映画の題材にもなった。

参考:Tavexbullion「The Infamous Hatton Garden Safe Deposit Heist」

右手が事件のあった貸金庫会社の建物右手が事件のあった貸金庫会社の建物

10 UK英国 5人で5000万ポンド以上
英国最大の給付金詐欺

イングランドとウェールズで、ブルガリア国籍の5人が2016〜2021年の間に約5390万ポンドを不正受給していたとして有罪を認めた。偽の雇用証明や賃貸契約書、給与明細、医師の診断書などを駆使し、数百件の生活保護申請を偽装。犯人らは、これらの偽書類を含む「申請パック」を自宅に保管し、第三者のための虚偽申請を助ける仕組みまで構築していた。犯人宅からは現金、高級車、ブランド品が押収された。労働年金省(DWP)とクラウン検察局(CPS)の合同捜査により摘発。政府は給付金詐欺対策を強化しており、2022/23年度には約180億ポンドの不正支出を防止。今後5年間でさらに6億ポンド規模の削減を見込んでいる。

参考:GOV.UK「Fraudsters behind £53.9 million benefits scam brought to justice in country’s largest benefit fraud case」

11 Germanyドイツ 「クッキーモンスター」が犯人!?
黄金ビスケット盗難事件

2013年1月、ドイツ・ハノーファーでビスケット「ライプニッツ」でおなじみのバールセン社から、重さ約20キロの金メッキ製巨大ビスケット像が何者かによって盗まれた。事件後、犯人は「クッキーモンスター」のコスプレ写真とともに慈善団体への寄付を要求。バールセン社は恐喝には応じなかったが、約2週間後に像はハノーファー大学の前に再び姿を現した。犯人は不明のままだが、この事件でバールセン社は国内メディアに600回近く取り上げられ、広告効果は170万ユーロ相当とも。一方で同社は慈善団体への寄付を実施し、結果的に騒動は社会貢献に転じた。現在、黄金のビスケット像は再び元の場所に戻され、監視カメラに守られており、この奇想天外な事件は今もなお語り継がれている。

参考:stern「Keks da, alles gut?」、「Krümelmonster beschert Bahlsen Millionenwert」

黄金ビスケット盗難事件

12 Germanyドイツ 警察官が事故車から
チーズ180キロをねこばば

2019年9月の高速道路の事故現場。現場を確保すべき立場にあった警察官が、なんと横転したトラックからチェダーチーズ約180キロを持ち帰るという前代未聞の行動に出た。この警官は引き揚げ業者に声をかけ、20キロ入りのチーズパック9個(総額約5000ユーロ相当)を要求。うち数個は警察署に、残りは家族や知人に分けたとみられる。本人は「チーズは廃棄される運命だった」と釈明し、「自分はチェダーを食べない」とまで主張したが、ラインラント=プファルツ州の裁判所はこれを一蹴。「制服と武器を所持したまま、任務中に窃盗を働いた」として、州警察の信用を著しく損なったと判断。刑事訴訟と罰金に加え、最終的に懲戒免職が確定した。

参考:LTO「Polizist fliegt raus wegen Käse-Klau」

チーズ180キロをねこばば

13 Germanyドイツ 古民家で40万マルクを発見
逆に罰金1万ユーロが科せられた夫婦

とある夫婦が、ヘッセン州ヘルプシュタインにある古民家を購入。元の所有者は亡くなっており、大掛かりな片付けと改修が必要だった。そして2023年12月、夫婦はベッドサイドテーブルの中にコーヒーとお菓子の包み紙に入った現金を発見する。その額なんと38万6680マルク、約20万ユーロに相当する大金だった。夫婦はそれを改修費用に充てようと考え、虚偽の紛失届を提出。その後、現金が全く関係のない場所で見つかったとして自分たちのものにする計画だったが、不信に思った警察当局が捜査を開始。結局、裁判に発展し、夫婦は大金を手に入れるどころか1万ユーロの罰金が科せられたのだった。裁判所によると、最初から警察に届け出るべきだったという。

参考:hessenschau「Geld bei Haus-Renovierung entdeckt: Ehepaar findet 400.000 D-Mark - und wird verurteilt」

古民家で40万マルクを発見

珍裁判・法律エピソード

14 UK英国 無許可でレモネードを売った
5歳少女に150ポンドの罰金!?

2017年7月、ロンドン東部の通り角で、小さな手作りのレモネード屋を開いた5歳の少女が、まさかの犯罪者扱いを受ける騒動があった。音楽フェスティバルが開催された週末、マイル・エンドの住宅街で1杯50ペンスでレモネードを売っていた少女に、タワーハムレッツ区の取締官が接近。「無許可営業」として150ポンドの罰金を言い渡した。父によると、娘は「人を笑顔にしたい」との思いで屋台を開いたが、娘は泣きながら「悪いことをした」としがみついてきたという。その後、世論の批判を受けた同区は謝罪声明を出し、「担当者には常識ある判断を求めている。今回の対応は誤りだった」とし、罰金は即座に取り消された。

参考:The Guardian「Girl, 5, fined £150 for running homemade lemonade stall」

レモネード販売

15 UK英国 「プリングルズはポテチじゃない」
その主張は認められず課税対象に

英国で販売されているスナック菓子「プリングルズ」が、付加価値税(VAT)の課税対象に当たるかどうかが争点となった訴訟で、控訴裁判所は2009年5月「課税対象とするのが妥当」との判断を示した。そもそも英国では、基本的な食品は付加価値税が0%だが、スナックなどの嗜好品には20%かかる。一方で、軽食になるようなケーキや一部のビスケット類は0%。このケースの発端は2008年7月、高等法院が製造元の訴えを支持し、プリングルズを「ジャガイモの含有率が42%と比較的低く、成形された粉末生地から作られることなどを理由に、ケーキやビスケットに類似する」と判断したこと。これを受け、課税対象外との判決が一度は下された。しかし、税務当局がこの判決を不服として控訴。市場関係者の間では「合理的な線引き」との評価がある一方、「食品分類の基準には依然として曖昧さが残る」との声もある。

参考:BCC「Pringles lose Appeal Court case」

プリングルズはポテチじゃない

16 UK英国 ボールが家に直撃!
クリケット場 vs 新住民の裁判

イングランド中部、ノッティンガムシャー州リンビーにあるクリケット場。その隣に新築住宅を購入したミラー夫妻は、試合中に飛んでくるボールが庭や窓に当たり、安心して暮らせないとして、地元クリケットクラブの代表ジャクソン氏を相手取り提訴した。一審のノッティンガム高等法院はプレー差止めの仮処分を出したが、1977年の控訴審でロンドンの控訴院はこれを覆す。クリケットは地域社会にとって有益な活動であり、完全な禁止は行き過ぎだとして、クラブの過失や権利侵害は認定しつつも、損害賠償の支払いのみに留めた。この裁判は、「後から引っ越してきた住民にも静穏な生活を求める権利はあるのか?」という争点とともに、個人の権利と地域の伝統とのバランスを問う例として、現在も引用されている。

参考:LawTeacher「Miller v Jackson – 1977」

クリケット場 vs 新住民の裁判

17 Germanyドイツ まずい料理は誰の責任?
ザウアーブラーテン事件

ザクセン州アウアーバッハ地方裁判所は2002年、あるレストラン客が「ザウアーブラーテン」(ドイツ風酢煮込み肉料理)の味に不満を訴えて支払いを拒否した事件で、料理の出来が契約通りであったことを証明する責任は店側にあるとする判決を下した。事件の発端は、被告となった客が13.80マルクのザウアーブラーテンを注文し、提供された料理のソースが豚肉のローストソースのように「小麦粉っぽくて味が薄い」と感じたこと。会計では98.50マルクのうち85マルクだけ支払い、残りの料理代金の支払いを拒否した。レストラン側は未払い分を求めて提訴。しかし裁判所は、店側が料理が「契約通り適切に調理・提供された」ことを明確に証明できなかったとして、訴えを退けた。

参考:urteile.news「Sauerbraten-Fall: Zur Beweislastverteilung bei der Frage der Schmackhaftigkeit eines in einem Restaurant servierten Sauerbratens」

ザウアーブラーテン事件

18 Germanyドイツ 野鳥を守るため
猫に数カ月の外出禁止令

2022年7月9日〜8月31日まで、ドイツ南部ヴァルドルフ市で、絶滅危惧種カンムリヒバリの保護を目的に、猫の外出が禁止された。ライン=ネッカー郡によると、市内にはわずか3組の繁殖ペアしかおらず、特に飛べないひなが猫に襲われる危険が高いため、種の存続のための厳格な措置を取ることにしたという。違反すれば500ユーロの罰金、鳥を傷つけた場合は最大5万ユーロが科されるルールだった。ただし、カンムリヒバリの生息地を通らない猫や、リード付きでの散歩は例外とされ、猫を禁止区域外の親族に預けることも認められた。ヴァルドルフ市長は「現実的でない」と懸念を示したが、市として郡からの命令を覆すことはできなかったという。野生動物の保護とペットの自由をめぐる議論は今後も続きそうだ。

参考:Der Spiegel「Kreis verhängt monatelange Ausgangssperre für Katzen – zum Schutz der Haubenlerche」

猫に数カ月の外出禁止令

19 Germanyドイツ 連邦最高裁判所が判決
「ビルケンシュトックは芸術ではない」

2025年2月、連邦最高裁判所は世界的サンダルメーカー「ビルケンシュトック」の商品は「芸術ではない」との判決を下した。同社は自社のサンダルは芸術であることを主張し、定番モデルの類似品を販売する3社を訴えていた。本件を担当した弁護士は、「同社のサンダルは、サンダル界のポルシェのようなものだ」と発言。創始者のカール・ビルケンシュトック氏は存命で、もしビルケンシュトックが芸術と認められれば、死後70年までは著作権で保護されることになるはずだった。一方で、意匠権(物品や建物のデザインの知的財産権)は20年で失効する。同社はすでに意匠権を失っており、今回訴えられていた3社は販売継続が認められた。

参考:WDR「Bundesgerichtshof: Birkenstock-Sandalen sind keine Kunst」

ビルケンシュトックは芸術ではない

20 Germanyドイツ 恋のおまじない効かず
「魔女」を相手取って裁判

2005年、元恋人との復縁を望む女性が「魔女」に恋のおまじないを依頼。女性は1000ユーロ以上を支払い、魔女は数カ月にわたって毎月の満月の前に「愛の儀式」を実施した。ところが、いつまでたっても恋人は戻ってこない。失望した女性は、魔女を自称する人物を相手取り、返金を求めて訴訟を起こすことに。女性は「魔女がそのおまじないが成功することを保証した」と主張したものの、魔女はこれを否定。儀式を遂行しただけで、必ずしも効果が得られるわけではないことも警告したと述べた。さらに、自分は本来は魔力を持っていることも主張したという。ミュンヘン地方裁判所は魔女の魔力は認められないと判断し、依頼主には1000ユーロが返金されることになった。

参考:JURios「Hokus Pokus Zivilrecht: Hexe hat keinen Anspruch auf Bezahlung eines Liebeszaubers」

「魔女」を相手取って裁判

 

中世からの伝統技術を今に伝える ドイツ木組みの家街道

ロマンティック街道やメルヘン街道をはじめ、ドイツではテーマごとにさまざまな観光ルートが整備されている。本特集で取り上げるのは、ドイツの伝統的な木組みの建物が立ち並ぶ「ドイツ木組みの家街道」。中世からの街並みが残っていたり、木組みの家が現代の生活に馴染んでいたり、この街道はありとあらゆる表情を見せてくれる。この木組みの家の魅力に光を当てるとともに、木組みの家街道上にあるぜひ訪れてみたいエリアをピックアップ! (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

ドイツ木組みの家街道

昔も今も木組みの家が魅力的な理由

ドイツらしい建物といえば、美しい木組みの家が挙げられるだろう。木組みは、モミやトウヒなどの木材を水平もしくは斜めに組んで骨格を造り、その隙間を粘土やレンガで埋めて壁を造る建築技術だ。地域ごとに特徴はあるものの、ドイツ全土や周辺の国々に見られる伝統建築である。

木組みの家が建てられるようになったのは14世紀ごろ。ドイツには森林が多く存在し、粘土も豊富であり、木組みの家に必要な資材が手に入りやすかった。人口増加に伴い、できるだけ容易で安価に建てられる住宅への需要を背景にして、木組みの家は各地で建てられるようになったのである。一方で、安価な粘土は洗練された建築資材とはいえず、貧しさと結びつくものでもあった。そのため、人々は壁に色を塗ったり絵を描いたりすることで、人から貧しいと思われないようにしたのだという。さらに木彫りや碑文を添えるなど、木組みの家の装飾はいっそう創造的で豊かになっていく。

19世紀になっても農村部では木組みの家が主流だったが、その後の近代化によって衰退する。しかし天然素材を使っていることや壁の蓄熱性など、サステナビリティの観点から、昨今あらためて木組みの家が注目されている。木組みの家を改築したり新しく建てたり、その技術はしっかりと継承されており、現在ドイツにはおよそ250万棟の木組みの家がある。

「ドイツ木組みの家街道」(Deutsche Fachwerkstraße)は、そんな木組みの家を未来へとつなげていくために、100以上の都市が協力して組んだ観光ルートだ。次項目では、木組みの家街道のおすすめスポットをご紹介。地域ごとの多様性が反映された木組みの家を見に出かけよう。

参考:Planet Wissen「Handwerk: Fachwerkhäuser」、『ドイツの家と町並み図鑑』(エクスナレッジ)、CAPAROL「Zauberhaftes Fachwerk」、ninasfachwerkliebe.de

木組みの家のタイプは3つ

ニーダーザクセン様式

ゾーストのHaus zur RoseゾーストのHaus zur Rose

北ドイツで広く見られるタイプ。柱の間隔が短い。梁の色は黒、壁の色は白がスタンダード。ユニークな装飾が施されている建物も多い。

フランケン様式

ローテンブルクのマリエン薬局ローテンブルクのマリエン薬局

斜めに重なる聖アンデレ十字架、円形のロゼットなど、遊び心のある装飾が特徴。アレマン様式と共に、梁は赤や茶色を基調としていることが多い。

アレマン様式

エスリンゲンの旧市庁舎エスリンゲンの旧市庁舎

明確な構造線と柱の間隔が広いのが特徴の一つ。木組みの家街道では「ネッカー川~黒い森・ボーデン湖」、アルザス地方やスイスでもよく見られる。

北から南まで100都市以上!木組みの家街道へ出かけよう

1990年に開通したドイツ木組みの家街道は、北から南まで100都市以上が参加し、八つのルートで構成されている。鉄道や車での旅はもちろん、サイクリングロードが整備されているところも多い。近隣の人は週末に少しずつ訪ねてみるのも◎。今回は選りすぐりの都市を取り上げる。

参考:Deutsche Fachwerkstraße、Reisereporter「Die Deutsche Fachwerkstraße führt entlang der schönsten Häuser」、WEB.DE「Das sind die schönsten Altstädte Deutschlands」

ドイツ木組みの家街道マップ

木組みの家の名所ぞろい エルベ川~ハルツ地方 19都市/全長1083km

最も美しいといわれる木組みの家街道。何世紀も前に建てられた木組みの家々を至る所で見ることができる。所有者、住民、自治体それぞれが木組みの家の価値を理解し、愛情を持って歴史的建築物の保存に力を入れている。

クヴェトリンブルク
Quedlinburg

クヴェトリンブルク

ハルツ地方のクヴェトリンブルクは1000年以上の歴史があり、かつてハンザ同盟にも加盟していた。80ヘクタールに2000軒以上の木組みの家が立ち並び、ユネスコ世界遺産にも登録されている必見スポットだ。

アインベック
Einbeck

アインベック

アインベックの木組みの建物は、色鮮やかな彫刻やロゼットの装飾が特徴的。また古くからビールの街としても知られ、写真のようなアーチ型の入口のある木組みの建物でビールが醸造されていた。

フランケン様式を堪能できる ヴェスターヴァルト~マイン川 10都市/全長182km

フランケン様式の木組みの家が多く立ち並ぶこのルートでは、史跡やかつての公国の居城、交易地点、クナイプで有名な温泉エリアなどを巡る。フランクフルト郊外にある人気野外博物館「Neu-Anspach Hessenpark」もこのルートに入っている。

リンブルク
Limburg an der Lahn

リンブルク

木組みの家が所狭しと並ぶ曲がりくねったリンブルクの旧市街は、このルートのハイライト。特にフィッシュマルクトは撮影スポットとして人気。七つの尖塔を持つリンブルク大聖堂(St. Georgs-Dom)もお見逃しなく。

イトシュタイン
Idstein

イトシュタイン

見どころの一つは、1615年に建てられたフランケン様式のキリンガーハウス(写真左)で、現在は市立博物館になっている。黒と青と黄色を基調とした「傾いた家」や、1170年からこの街を見守る「魔女の塔」にも行ってみよう。

中世の繁栄が垣間見える ライン川~マイン川・オーデンヴァルト 12都市/全長235km

ヘッセン州南部を巡るこのコースでは、1450~1550年頃に建てられた後期ゴシック様式の木組みの家を中心に見ることができる。多様な装飾や精巧にデザインされた窓など、中世における都市の繁栄が垣間見える。

ミヒェルシュタット
Michelstadt

ミヒェルシュタット

この街で見逃せない木組みの建物は、1484年に建てられた後期ゴシック様式の市庁舎。かつては裁判所として機能し、面取りされた切妻屋根と美しい出窓が中世独特の雰囲気を醸し出している。

ミルテンベルク
Miltenberg

ミルテンベルク

「マイン川の真珠」ともいわれるミルテンベルク。市場広場「Schnatterloch」は、色鮮やかな木組みの家が並び、まるで映画のセットのよう。ランドマークのミルテンブルク城も訪れて。

南西ドイツの多様性が楽しめる ネッカー川~黒い森・ボーデン湖 31都市/全長798km

南西ドイツを周遊するこのルートでは、それぞれの魅力溢れる31の都市で、フランケン様式とアレマン様式の木組みの建物を堪能しよう。また肥沃な農地とブドウ畑、広大な森林や渓谷……と田園風景と自然を楽しめるのもポイントだ。

ショルンドルフ
Schorndorf

ショルンドルフ

ダイムラーの生誕地として知られるショルンドルフは、ヴュルテンベルク地方で最も古い街の一つで、ほとんどの建物が築300年以上を誇る。写真は、同地で最も美しい木組みの家といわれている「Dr. Palm'sche Apotheke」。

ゲンゲンバッハ
Gengenbach

ゲンゲンバッハ

黒い森(シュヴァルツヴァルト)で最も美しい木組み造りの街の一つ。1905年に街並み保存のための都市計画条例が制定され、古くから景観を守ってきた。クリスマス時期は市庁舎が世界最大のアドベントカレンダーになることでも知られる。

歴史を受け継ぎ、未来へ住み継ぐプロジェクト現代の「暮らしの場」としての木組みの家

木組みの家のような歴史的建物を「暮らしの場」として選ぶには、ロマンだけでは解決できない課題と、専門的な知識が必要となる。その実現を支えているのが、南ニーダーザクセン州の5都市が連携して行っているプロジェクト「Wohnraum5Eck」だ。歴史を受け継ぎつつ、現代の住まいに求められる快適性をどう叶えているのだろうか。

参考:Wohnraum5Eck、Stadt Einbeck「Wohnraum5Eck」

伝統住宅を未来へつなぐ「Wohnraum5Eck」とは?

数百年の歴史を持つ木組みの家は、現代のパッシブハウス設計に通じる要素を備え、環境負荷を抑えながら快適な室内環境を実現できる点でも高く評価されている。一方で、構造の歪みや現行の建築基準との整合といった問題もある。そうしたなか、ニーダーザクセン州南部で進められている「Wohnraum5Eck」プロジェクトが、伝統的な木組みの家を住まいとして再生する動きを後押ししている。

プロジェクトの中核となるのが、住宅情報プラットフォーム「Hausbörse」だ。家屋の所有者は改修準備が整った物件を簡単に掲載でき、購入希望者は自分の理想に近い物件を探すことができる。これにより、売り手と買い手のマッチングが円滑に進み、歴史的建物の再活用が促されているのだ。 数百年の歴史を持つ木組みの家は、現代のパッシブハウス設計に通じる要素を備え、環境負荷を抑えながら快適な室内環境を実現できる点でも高く評価されている。一方で、構造の歪みや現行の建築基準との整合といった問題もある。そうしたなか、ニーダーザクセン州南部で進められている「Wohnraum5Eck」プロジェクトが、伝統的な木組みの家を住まいとして再生する動きを後押ししている。

安心して始められる改修と暮らしの魅力

木組みの家の改修には、構造補強や伝統工法、断熱性の向上、補助金の申請など、専門的な知識と手続きが不可欠となる。Wohnraum5Eckでは、地域の専門家によるネットワークを通じて、最新情報や具体的な支援を一元的に提供しており、初心者でも安心して改修に取り組める環境が整えられている。また木組みの家に住む魅力の一つが、その多くが歴史地区や街の中心部に位置していること。商店や学校、公共交通といった生活インフラも徒歩圏内にそろっていることが多く、都市的な利便性を享受できるのだ。

木組みの家に住むことは、単なる「古い家の所有」ではない。過去と現代をつなぐ責任と楽しみを引き受け、専門家の助けを借りながら改修を計画し、地域のコミュニティに根ざして暮らしていくことを意味する。Wohnraum5Eckのようなネットワークを活用すれば、個性的な住まいと持続可能な生活が手に入るだけでなく、地域文化の継承にも貢献できる。歴史に学び、現代技術を取り入れ、地域とつながりながら、自分だけの物語を紡ぐ。Fachwerk5Eckの取り組みは、その理想を現実に変えるために背中を押してくれるだろう。

Fachwerk5Eckのリノベーション事例 ❶

ドゥーダーシュタット
建築年:1835年

この住宅改修の大きな特徴は、使っていなかった屋根裏部屋を断熱改修したことで、空間のゆとりと機能性が飛躍的に向上したことにある。建物は3階建て・全6部屋で構成され、平均天井高2.50メートルを確保。上層階はメゾネット構造でつながっており、立体的で開放感のある居住空間を実現させた。最上階からは庭を望むことができ、光や景色を暮らしに取り込む工夫が施されている。また、1階にはバリアフリー仕様のオープンキッチン付きリビング・ダイニングを設置し、テラスや庭へもスムーズに出られるなど、生活動線に配慮した設計となっている。改修期間は約2年。伝統的な構造を活かしつつ、現代の住まいに求められる要素を高水準で備えた好例である。

ドゥーダーシュタット

Fachwerk5Eckのリノベーション事例 ❷

アインベック
建築年:1758年

長らく放置されていた建物を、約2年半をかけて現代的な住環境へとよみがえらせた事例。まずは古い内装や断熱材の撤去から始まり、建築家や職人が連携して構造や素材を見極めつつ、慎重に再構築が進められた。台所では梁の腐食が見つかり、亜麻仁油による保護処理が施された。床材やタイルなどは可能な限り保存され、建物の趣を残しつつ耐久性も確保。断熱性やエネルギー効率を高めるために、最新の断熱材と高性能窓を導入したほか、バリアフリー対応の浴室や、新しい階段・ドアなども、元の建物の個性と調和するよう設計された。さらに、ドイツ復興金融公庫の補助金により省エネ改修も実現。伝統と快適性、そして持続可能性を兼ね備えた再生プロジェクトとなった。

アインベック

 

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