特集


終戦80周年記念特集 犠牲者としてのドイツの歴史
「追放」はどう語られてきたか?

ポーランドのヴロツワフ西部を歩いて移動する被追放者たちの列(1945年撮影)ポーランドのヴロツワフ西部を歩いて移動する被追放者たちの列(1945年撮影)

ドイツおよび欧州が第二次世界大戦の終わりを迎えた1945年5月8日から、今年で80周年を迎える。ドイツでは、ホロコーストをはじめ加害者としての歴史に触れる機会は多い一方で、犠牲者としての歴史を知る機会は少ない。本特集では、あまり知られてこなかった歴史の一つ「追放」に焦点を当てることにした。タブー視されていた時期もあったこの歴史が、どのように語り継がれてきたのかを探る。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

佐藤成基「ドイツ人の『追放』,日本人の『引揚げ』—その戦後における語られ方をめぐって—」、bpb.de「Kollektive Erinnerung im Wandel」、NDR「Flucht und Vertreibung überschatten 1945 das Kriegsende」、NHK映像の世紀バタフライエフェクト「ふたつの敗戦国 ドイツ さまよえる人々」

取材協力・監修

佐藤成基さん Shigeki Sato

法政大学社会学部教授。ナショナリズムと国家についての理論と歴史の研究に従事する。著書に『ナショナル・アイデンティティと領 土ー戦後ドイツの東方国境をめぐる論争』(新曜社)、『国家の社会学』(青弓社)、『国民とは誰のことかードイツ近現代における国籍法の形成と展開』(花伝社)などがある。
www.t.hosei.ac.jp/~ssbasis

1400万人が故郷を追われた「追放」

第二次世界大戦の敗戦で、ドイツは戦前の領土の4分の1に相当する東方領土(オーデル・ナイセ線以東の領土)を失った。これには、米国・英国・ソ連の首脳が1945年のポツダム会談で、ソ連とポーランド、ポーランドとドイツの国境をそれぞれ西へと移動させることを決めたという背景がある。それに伴い、ソ連とポーランドのみならず、チェコスロヴァキア(当時)、ハンガリー、ルーマニア、ユーゴスラヴィアなどに住んでいたドイツ人が故郷から追放されることになる。追放の対象となったのはドイツ国籍を持つ者はもちろん、民族的にドイツ人とされる人々も含まれていた。なかには、12世紀頃から東欧に定住していたドイツ系民族もいたという。

ドイツ人の避難と追放の内訳(1950年)

1944年秋、ソ連軍がすでに到達していた地域では、ドイツ人の避難が始まっていた。家を追われ、財産を没収された人々は、持てるだけの荷物を持って、徒歩や列車で西を目指した。その途上では、寒さや飢えで病気や栄養失調となって命を落とした者がいれば、バルト海上で移送船がソ連軍の魚雷によって撃沈されたり、爆撃などの戦闘に巻き込まれたりして犠牲となった者もいた。さらにドイツ人への報復として、解放された強制収容所に今度はドイツ人が収容されるなど、民間人による暴力や虐殺もあった。こうした非人道的なドイツ人の追放は1945年の終戦後も続いた。

「ドイツ人の秩序ある移送」と呼ばれる組織的な追放は1946年1月から行われた。ホロコーストの移送で使われた貨物列車にドイツ人が隙間なく詰め込まれ、劣悪な環境のなかドイツへ向かったという証言も残されている。最終的には1944~1950年の間に1200万~1400万人のドイツ人が東方からドイツへと追放され、そのうち60万~100万人、あるいはそれ以上が命を落としたといわれている(連邦政治教育センター参考)。

1945年10月、ベルリンのアンハルター駅で電車を待つ被追放者たち1945年10月、ベルリンのアンハルター駅で電車を待つ被追放者たち

ドイツの「追放」と日本の「引揚げ」

「追放」はドイツ語で「Vertreibung」といい、強制移住させられた人々を「被追放者」(Vertriebene)と呼ぶ。日本でも敗戦に伴い外地で生活していた人々が日本へと帰る「引揚げ」があったが、その意味は大きく違う。そもそも「引揚げ」は「もとにいた場所に戻る」ことを意味し、被強制性が含意されていない。一方で「追放」は「故郷から強制的に追放された」ことを意味し、明らかな被強制性が示唆されている。

東西ドイツで違った「追放」の扱い

追放がほぼ終了した1950年時点では、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)に約800万人、ドイツ民主共和国(東ドイツ)に約400万人の被追放者が流入していた。西ドイツでは総人口の約16%、東ドイツでは約25%に当たる数である。そもそも戦争で街が破壊され、さらに東西に分断されたドイツにとって、被追放者を受け入れることは大きな負担となった。西ドイツでは被追放者は人口比で偏りが生じないよう各州に振り分けられ、東西それぞれの形で社会に統合されていくことになるが、「追放」の扱われ方は東西で大きく異なっていた(詳しくは下記)。

東西で被追放者の扱われ方に違いはあるが、いずれの場合も表面上の統合にすぎず、実際には故郷を奪われた喪失感、差別や賃金格差などに苦しんだ人が少なくなかった。西ドイツにおける1949年の調査では、被追放者の82%が故郷に帰ることを望んでおり、1959年時点でも57%が帰還を望んでいたという。

西ドイツ
  • 戦後直後から1960年代まで、追放は非人道的で国際法に反する「不正」と認識され、敗戦により東方領土を奪われたことは「不当」と訴えていた
  • 基本法で、1937年の段階で「ドイツ帝国」の範囲でドイツ国籍を持つ人々、ドイツ国籍を持たない民族的にドイツ人とされた人を、配偶者・子孫を含めて「ドイツ人」と規定した。なお1950年以降の被追放者は「アウスジードラー」(Aussiedler)と呼ばれ、現在も民族的にドイツ人と認められれば、一定の条件のもとドイツ国籍を取得することができる
  • 戦争被害の損失を国民全体で負担することを目指した「負担均衡法」(1952年制定)により、被追放者たちも援助の対象となった(ただし、償還された財産は2割程度)
  • 1950年に「故郷被追放者・権利被はく奪者のブロック」(BHE)という政党も結成され、一時期は連邦議会に27議席を持っていた
  • 1957年には「被追放者連盟」(BdV)が創設され、内政・外交両面で政党や行政に影響力を行使した

東ドイツ
  • 東方からの避難民を「移住者」(Umsiedler)と呼んだ
  • ソ連の同盟国として東欧の社会主義諸国と友好な関係を維持するため、西ドイツのように不正の告発を行おうとしなかった
  • 地主から没収した農地を東方からの移住者にも配分することで、新生の社会主義国家に「新市民」(Neubürger)として同化させようとした
  • 1950年の時点で400万人が東ドイツに流入したが、ベルリンの壁建設前にその多くが西ドイツに移住したといわれている

タブー化された「追放」の歴史が認められるまで

東ドイツでは「追放」について公式に言及してこなかったため、ここでは西ドイツの歴史を振り返る。戦後の西ドイツでは「難民・被追放者・戦争被害者省」を設置し、1969年まで被追放者の受け入れを担ったほか、追放の当事者の体験談や目撃談を700以上収めた公式記録(全5巻8冊)の制作も行っている。一方で追放に関する言論は反共主義と強く共鳴し、西ドイツの国是であった「再統一」には被追放者の故郷回復の意味も込められていた。

ところが、1968年にブラント政権が成立し、東欧社会主義諸国との融和を目指す「新東方政策」が開始されたことが、被追放者にとって逆風となった。当時、ナチスの罪を自覚することが「和解と平和」に貢献するとした公共的規範が西ドイツに根付いていった。その結果、追放を公然と語ることが難しくなり、タブー化されていったのである。追放の不正について語ることは、東方政策を妨害し、報復主義や歴史修正主義であるとみなされるようになった。被追放者団体やその支援者たちは追放の不正を訴え続けたが、そうした発言は批判され、ネオナチのレッテルさえも貼られたという。

転機が訪れたのは、1990年の東西ドイツの再統一だった。それまで未解決だったドイツとポーランドの国境が確定し、ドイツは東方領土への要求を正式に放棄。領土問題から解放され、追放の歴史を公然と語りやすくなる状況が生まれた。2000年代に入ると、追放の歴史に関連するドキュメンタリー放送、書籍の出版、展示などが相次ぎ、「追放のルネッサンス」のようなブームが訪れる。2005年にボンの歴史の家で開催された展示「避難・追放・統合」は、非難する声もあったものの、その後ベルリンとライプツィヒを巡回するほど注目された。こうして公共でのプレゼンスが高まるにつれ、追放はドイツ史の一部と認識されるようになったのである。

追放を描いた小説『蟹の横歩き』

ドイツを代表する作家であり、ノーベル文学賞受賞者のギュンター・グラスの『蟹の横歩き』は、1945年1月に大勢の被追放者を載せた豪華客船ヴィルヘルム・グストロフ号がソ連の攻撃で沈没した実際の事故を題材とする小説。グラス自身もダンツィヒ(現ポーランドのグダニスク)出身の被追放者として知られ、「追放」ブームが始まった2002年に出版された。翌年には日本語訳も出版されている(現在は絶版)。


KrebsgangIm Krebsgang
(蟹の横歩き)
Günter Grass


発行元:dtv Verlagsgesellschaft mbH & Co. KG
定価:13ユーロ

「追放」をめぐる今とこれから

1998年に被追放者連盟の会長に就任したエリカ・シュタインバッハ氏は、追放の問題を国民的なテーマへと復権させることを目指す取り組みを始めた。追放の歴史を語ることは、ナチスの犯罪やドイツ人の責任を相対化するものだという批判もあったが、同氏はこの歴史を加害の歴史と同時に語っていくスタンスを取り、前述の「追放」ブームを後押しした。一方で、シュタインバッハ氏は長らくキリスト教民主同盟(CDU)の議員だったが、右翼的な発言をすることでも知られていた。2017年にはメルケル元首相の難民政策に失望して、CDUを離党。さらに現在は、極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)の党員となって活動している。かつて被追放者は領土問題の流れから、右翼を支持する人が多かったという背景がある。被追放者やその子孫がAfDに共感を示す例もあり、記憶文化や政治的アイデンティティーをめぐる議論のなかで、慎重に扱われるべきテーマの一つである。

また、現在の被追放者連盟にとって、政治的主張とは距離を置く形で追放の歴史や文化をどう記録していくかは、大きなテーマだ。その取り組みの一つとして、追放の歴史や連盟の活動を紹介する機関誌の隔月発行を続けている。しかし、その機関誌では、例えば2015年の難民危機には一切触れられていない。被追放者と難民とでは置かれた状況や歴史的背景が大きく異なるとはいえ、こうした出来事を完全に切り離して扱う姿勢は一面的にも映る。連盟がこうした現代的な問題にどのようにアプローチしていくのか、今後も注目していくべきだろう。

さらに2021年、ベルリンに「避難・追放・和解資料センター」がオープンした。もともとはシュタインバッハ氏の構想からスタートし、2005年に首相に就任したメルケル氏も、就任演説で「ベルリンに追放の不正を記憶する目に見える目印を置く」ことに賛意を表明、2008年の連邦議会で承認を経て創設されることが決まった。実に10年以上の歳月がかかったが、最終的には「ナチズムと第二次世界大戦の結果としての『追放』」という視点を持った場所として開館が実現した。

今年2月、ロシアがウクライナに侵攻してから3年が経過したが、和平交渉が進もうとしている。交渉の末、もしロシア系住民が多く暮らすウクライナ東部がロシアの領土になった場合、そこに住むウクライナ人たちが追放される可能性もある。かつてのドイツ人の追放と類似した状況が、再び現実になるかもしれないのだ。こうした可能性を前に、ドイツが語り継いできた「追放」の歴史は、今後どのように生かされるのだろうか。21世紀になっても世界各地で戦争が起きている今、あらためて「追放」を学び、考えるべきときが来ているのかもしれない。

避難・追放・和解資料センター

Dokumentationszentrum Flucht, Vertreibung, Versöhnung


20~21世紀における避難・追放・強制移住をテーマにする資料センター。かつて被追放者たちがたどり着いたアンハルター駅近くに位置する。展示室のほか、当事者の声をアーカイブした図書室があり、ツアーやワークショップなども。入場無料。


Stresemannstr. 90, 10963 Berlin
www.flucht-vertreibung-versoehnung.de


避難・追放・和解資料センター

最終更新 Mittwoch, 07 Mai 2025 17:53
 

終戦80周年記念特集 「誰かの記憶」から「私たちの記憶」へ
戦後ドイツを考えるための6つの問い

終戦から80年がたち、当時を知る生存者は少なくなり、ウクライナや中東など、世界では今も戦争や分断が続いている。ドイツ社会でも、歴史の記憶や語り方をめぐる議論が、あらためて活発になりつつある。そうしたなかで、戦後ドイツが築いてきた歴史教育や記憶文化に、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。戦争の記憶と現在の社会状況をつなぐ6つの問いから、ドイツの「戦後」を見つめ直す。
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

Q1「ナチス裁判」はいつまで続く?

第二次世界大戦後、ドイツではナチス政権や親衛隊構成員に対する犯罪追及がすぐに始まった。1958年には検察機関「ナチス犯罪追及センター」が設立され、1979年にはナチス政権による殺人に関して時効の適用除外が決定されるなど、法的には「いつでも戦犯追及が可能」という体制が維持されている。

アイヒマンの裁判の様子1961年に行われた、ナチスのユダヤ人虐殺の責任者アドルフ・アイヒマンの裁判の様子。ドイツ出身のユダヤ人哲学者のハンナ・アーレントは、アイヒマンはただ命令に従っていただけの「普通の平凡な人間」であり、悪の本質は「人間の思考停止」にあると分析した

とはいえ長らくは、強制収容所勤務など「殺人を目的とした施設」に所属していただけでは、殺害との因果関係が証明しにくく、訴追が困難とされていた。ところが2011年に行われた強制収容所の看守に対する裁判で、ミュンヘン地裁が「強制収容所での勤務そのものが殺人ほう助に当たる可能性がある」と認める判決を下し、立証なしでも訴追可能とする法解釈が生まれた。これをきっかけに、超高齢の元ナチス関係者も法廷に立たされる事例が増えている。

2024年8月には、かつてシュトゥットホーフ強制収容所で速記タイピストを務めていたイルムガルト・フルヒナー被告(99)に対し、1万505人の殺人と5人の殺人未遂のほう助を行ったとして、執行猶予付き2年の少年刑(禁錮刑)が下された。彼女が収容所で働いていたのは18〜19歳のときで、およそ80年の時を経ての有罪判決だった。裁判では一貫して黙秘を貫いていたフルヒナー被告だが、有罪判決確定後に「起こった全てのことを申し訳なく思うし、あのときまさにシュトゥットホーフにいたことを後悔している」と述べたという。フルヒナー被告は今年1月14日にこの世を去った。

この裁判は、事務員に対する訴訟としては初のケースであり、被告の高齢化もあっていわゆる「最後のナチス裁判」としてドイツ国内外で大きな注目を集めた。しかし実際には、現在も複数の事件が起訴前の手続き中であり、今後も新たな「最後のナチス裁判」が行われる可能性は残されている。

フルヒナー被告2022年12月20日、ドイツのイツェホーで開かれた裁判の評決のために出廷したフルヒナー被告

Q2ホロコースト否定論の背景には何がある?

「ホロコースト否定」(Holocaustleugnung)とは、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺が存在しなかった、あるいは誇張されていると主張する言説を指す。例えば、「600万人のユダヤ人殺害はなかった」「アウシュビッツに毒ガス室は存在しなかった」といった主張が典型例だ。

ドイツでは、このような主張は憲法が保障する「表現の自由」の範囲外とされ、刑法によって明確に禁止されている。ホロコースト否定は、ナチスの犯罪を正当化し、差別的な思想や暴力を助長する危険性があるとみなされているためだ。同様の法律は、フランス、オーストリア、イスラエル、カナダなど多くの国でも導入されている。

しかし近年、ドイツ国内では陰謀論や極右思想の台頭とともに、否定的な言説が再び目立つようになっている。その背景には、移民問題や経済格差への不満が、極端なナショナリズムと結び付いていることがある。極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)が支持を伸ばす一方で、SNSの普及により「ホロコーストは誇張だ」といった偽情報が拡散されやすくなり、ホロコースト記念碑への落書きや侮辱行為などのヘイトクライムも増加傾向にある。

ドイツ政府は教育機関での歴史教育の強化や、ネット上の違法投稿への監視体制を拡充しているが、米メタ(旧フェイスブック)が今年1月に外部機関によるファクトチェック機能の廃止を発表するなど、対策には大きな障壁もある。当時を知る生存者が年々少なくなる一方、ホロコーストを知らない世代によって否定論がSNS上で広がっていく。「歴史をいかに語り継ぐか」という問いは、今もなお社会全体に突き付けられている。

Q3ドイツには、なぜこんなに「負の歴史」のモニュメントが多いの?

ドイツの街を歩けば、ナチス時代の「負の歴史」を刻んだ数多くのモニュメントが目に留まる。その背景には、「記憶文化」(Erinnerungskultur)という考え方がある。ナチスによる犯罪の記憶を次世代に伝えるための取り組みであり、当時を知る生存者が減るなかで、証言に代わる形として、記録や追悼施設の整備が加速してきた。

虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑2005年にベルリンに設置された、虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑

象徴的な例が、ベルリンのブランデンブルク門近くにある「虐殺されたヨーロッパ・ユダヤ人のための記念碑」だ。ホロコーストの犠牲となったユダヤ人を悼むために設けられたこの場所には、約2700基の石碑が並ぶ。また市内各地には、ナチスに迫害された人々の名前を記した小さな真ちゅうプレート「つまずきの石」(Stolpersteine)がかつて住んでいた場所に埋められていたり、ナチス犯罪の現場、抵抗運動が行われた場所などが「記憶の場所」(Erinnerungsort)として保存されていたり、負の歴史に目を背けない姿勢が社会の中に根付いている。

こうした追悼施設は、単なる歴史の記録ではなく、民主主義や人権の価値を守るための教訓としても機能している。ドイツ各地に点在する記念碑の数々は、過去から学び続けようとする強い意志の現れなのだ。

「つまづきの石」1992年にドイツ人芸術家のグンター・デムニヒによって始められた「つまづきの石」プロジェクト。現在では欧州29カ国に10万個以上のつまづきの石が設置されており、そのうち9万個以上がドイツにある

Q4戦後長らく語られてこなかった声とは?

1945年の敗戦から80年が経過した今、ドイツ社会があらためて向き合うべき「語られなかった声」がある。終戦末期から直後にかけて、多くのドイツ人女性が性暴力の被害に遭ったという事実だ。ドイツ全土でソ連軍からの被害を受けた女性は200万人に上るとされ、米英仏軍の兵士による加害も報告されている。しかし、こうした行為はドイツに対する復ふくしゅう讐や占領下での規律崩壊のなかで黙認されがちで、加害の責任は曖昧にされた。

終戦間際のベルリンにて終戦間際のベルリンにて、列車で届いたじゃがいもを袋に詰める女性たち。ベルリンでは、8~80歳までの女性が最大200万人、性暴力の被害にあったとも推定されている

戦後のドイツでは、ナチスによる加害責任が社会的議論の中心となる一方、連合国軍による被害は可視化されず、さらに性暴力というタブー性もあって、女性たちは長く沈黙を強いられた。望まぬ妊娠や深刻な心身の後遺症に苦しむ人も多く、「解放」の裏でもたらされた暴力は、長らく歴史の語りから排除されてきた。

一方、ナチス政権はユダヤ人だけでなく、同性愛者や障害者、シンティ・ロマといった人々も抹殺の対象とした。精神障害者や重度の身体障害者は「生きるに値しない命」とされ、断種や殺害が行われた。戦後、この政策は終結したものの、障害者に対する差別や貧困、乏しい支援体制は長く続き、その実態は社会の関心から遠ざけられてきた。ようやく2025年1月29日、連邦議会はナチス時代の強制不妊手術や「安楽死」政策の犠牲者を正式に迫害被害者として認める動議を可決し、80年越しにその苦しみに公的な光が当てられることとなった。

終戦間際のベルリンにて2008年にベルリンに建てられた、ナチズムにより迫害された同性愛者の追悼碑

Q5ホロコーストの記憶は、「移民大国ドイツ」でどう受け継がれている?

戦後ドイツの記憶文化は、長らくナチス政権下の加害責任を前提とした「ドイツ人によるドイツのための語り」として築かれてきた。そのなかには、1960年代以降に増加したトルコ系やイタリア系などの労働移民や、後に定住した移民の姿はほとんど含まれていなかった。

しかし1990年代以降、移民の子どもや孫の世代がドイツで生まれ育ち、社会に根を下ろすなかで、「なぜ自分たちが、加害の記憶を背負う必要があるのか」という問いが浮上する。また、ある教育現場では、「加害者vs被害者」の構図が「ドイツ人vs外国人」の対立として現れるなど、社会の変化に応じて記憶継承の在り方を見直す必要に迫られた。そのため今日では、「責任」に加えて「相互理解」や「対話」が、ホロコーストの記憶を受け継ぐ上で重要なキーワードとなっている。ホロコーストに対する考えを共有し合うことで、お互いの考え方やアイデンティティーを理解し、またドイツ社会そのものについて知るきっかけとなるのだ。

さらに、アラブ系、アジア系、アフリカ系ドイツ人など、さまざまな背景を持つ市民の声は、これまで周縁化されてきた視点から、記憶文化の在り方そのものに問いを投げかけている。例えば2000年からの7年間に、ドイツ各地で移民を狙った連続殺人事件が起きた。当初、警察は「組織犯罪」として捜査したが、2011年にこれが極右組織「国家社会主義地下組織」(NSU)の犯行と判明。ナチズムの記憶を語る国家が、現代の排外主義には鈍感だったという矛盾が露呈した。記憶に包摂されることと、そこから排除されること。このねじれをどう越えるかが、今のドイツ社会に問われている。

2015年の難民危機2015年の難民危機では、ドイツは約100万人のシリア難民たちにドイツで亡命申請することを許可。その背景にはナチスによるユダヤ人迫害への反省もあったが、一方で、反移民を掲げる極右政党の支持拡大の要因にもなった

Q6「過去の克服」は、これからの社会にどう生かせる?

戦後のドイツでは一環して、ナチス政権下の加害の歴史と向き合い、それを社会として引き受けようとする「過去の克服」(Vergangenheitsbewältigung)の姿勢を貫いてきた。ホロコーストや戦争犯罪を教育や記念文化のなかで語り継ぐ取り組みは、ドイツの政治的・道徳的な基盤ともされてきた。だが今日、この「過去の克服」が、遠い歴史として語られるだけでなく、現代社会の葛藤とどう関わり得るのかがあらためて問われている。

2022年のロシアによるウクライナ侵攻以降、ドイツでは兵器支援や防衛費増額をめぐって議論が活発化。これを受けて、安全保障政策の見直しが進むなか、徴兵制の在り方も再び注目を集めている。ドイツでは2011年に徴兵制が停止され、以降は志願制に移行したが、連邦政府は2024年11月、自主的な兵役参加を促す新制度を2025年5月から導入することを閣議決定。さらにCDU・CSUは、従来の徴兵制そのものを復活させる案を提起しており、連立パートナーであるSPDとの間で議論が続いている。一方で、「良心的兵役拒否」(Kriegsdienstverweigerung)は、戦後ドイツが積み上げてきた重要な人権の一つだ。宗教的・倫理的理由で武器を持つことを拒む人々の権利は、現在でも保障されている。

また、イスラエル・パレスチナ情勢の緊張が高まるなか、ドイツ国内でも「加害の記憶」と「国際政治」をどう結び付けるかが複雑な課題になっている。ホロコーストの加害責任によるイスラエルへの連帯と、パレスチナの人権へのまなざしが衝突し、公共の場での表現や抗議が制限される事例も出ている。記憶をどう継承するかは一つの答えに収まらない。過去に立ち戻り、考え続けることが、分断の時代において記憶を生かす足がかりになるかもしれない。

参考:本誌1120号「第二次世界大戦の終結から75年 ドイツ人は『過去』から何を学ぶのか?」、本誌902号「独断時評 極右テロ・ドイツ社会の鈍い反応」、本誌953号「独断時評 混乱! NSU裁判と記者席」、JIJI.COM「ナチス犯罪、80年後の有罪なぜ? 1万505人殺害『支えた』当時18歳の女【地球コラム】」、Deutsche Welle「"Zu wenig Aufarbeitung sexueller Gewalt"」、UNESCO「History under attack: Holocaust denial and distortion on social media」、profil「Prozesse gegen NS-Täter: Das Ende der Nazi-Jäger」、Deutschlandfunk Kultur「Auschwitz ohne Ende」、Bundeszentrale für politische Bildung「Verschwörungstheorien」、BR24「Wehrdienst-Debatte: Ein Kriegsdienstverweigerer erinnert sich」

最終更新 Mittwoch, 07 Mai 2025 17:52
 

スーパーでの買い物に役立つ! ドイツの基本食材まとめ

ドイツニュースダイジェストの人気記事である「食材事典」シリーズでは、肉や野菜をはじめ、パンやお菓子など、さまざまなドイツの食材や料理をカテゴリー別に解説してきた。本特集では、そんな「食材事典」から、パンやソーセージをはじめ、ドイツの食を語る上で欠かせない基本の食材をご紹介。ドイツ生活を始めたばかりの人も、ぜひスーパーでの買い物に役立てて!
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部、画像:iStock.com)

パン

現在、ドイツで登録・申請されているパンの種類は、地域特有のパンなどを含めると3000種類以上といわれる。ここでは、ドイツでよく目にする基本的な種類をピックアップ。

大型パン

ヴァイツェンブロートWeizenbrot

ヴァイツェンブロート

小麦粉を90%以上使用して作られた種類。ヴァイツェンブロートまたはヴァイスブロート(Weißbrot)と呼ばれる。弾力があり、柔らかい食感が特徴。日持ちはしないため、購入後は早めに食べきるのがベスト。

ミッシュブロート Mischbrot

ミッシュブロート

小麦粉とライ麦粉を同じ分量だけ使用した種類。小麦粉により中はしっとりとしており、サワー種のほんのりとした酸味があるため、調理パンとしてさまざまな食事に合わせることができる。

ロッゲンブロート Roggenbrot

ロッゲンブロート

ライ麦粉を90%以上使用したパン。ライ麦粉の割合が高くサワー種が使われるため、酸味が強く感じられる。表面が硬くて噛み応えがある食感のため、薄くスライスして食べるのが一般的。保存性に優れており、小麦粉をメインに使用しているパンよりも食物繊維が多く含まれているのがポイント。

小型パン

カイザーゼンメル Kaisersemmel
シュニットブロートヒェン Schnittbrötchen

カイザーゼンメル & シュニットブロートヒェン

カイザーゼンメル(左)とシュニットブロートヒェン(右)の味わいにはプレーン以外にもケシの実やゴマなどが上部にまぶしてあるものも。小さいサイズのパンを一般的にはブロートヒェンと呼ぶが、バイエルン州ではゼンメルと呼ばれている。

ラウゲンプレッツェル Laugenbrezel
ラウゲンブロートヒェン Laugenbrötchen
ラウゲンシュタンゲ Laugenstange

ラウゲンプレッツェル(左)ラウゲンブロートヒェン(中央)ラウゲンシュタンゲ(右)

ラウゲンとは、焼く前に水酸化ナトリウム水溶液に生地をくぐらせることで、表面が特徴的な茶色に仕上がったスタイルのパン。ビールの祭典オクトーバーフェストやビアホールでも販売されているプレッツェル(左)をはじめ、小型パンのラウゲンブロートヒェン(中)、スティック状のラウゲンシュタンゲ(右)などがある。

ドイツパンのおいしい食べ方

ライ麦粉の割合が高くなるにつれて、上に載せる具材は味が強いものを選ぶと良い。ヴァイスブロートならチーズやハムなどでシンプルに、ロッゲンブロートならサラミやスモークサーモン、クリームチーズなどと合わせてみよう。穀物がぎっしり詰まったパンなら、バターをたっぷり付けてシンプルにいただくのも◎。サンドイッチを作る際には、ヴァイスブロートと黒パンを合わせて食べるのも、味わいのバリエーションが増えるので、ぜひ試してみて。

パンの保存方法

購入したパンをすぐに食べない場合は、乾燥を防ぐためにビニール袋(パンの保存用ビニール袋もある)に入れる。食べる前にトースターなどで温め直すと、味わいがよみがえる。食べきれなかったパンは、スライスして小分けにし、冷凍室で保存するのがおすすめ。味の質が落ちてしまうので、冷蔵庫で保存するのは避けよう。

じゃがいも

ドイツ料理に欠かせない存在であるじゃがいも。ドイツには70以上もの国産のじゃがいも品種があり、調理法によって主に下記の3タイプに分けられている。

【硬】煮崩れしないタイプ

FestkochendAnnabelle, Bamberger Knolle, Belanaなど

Festkochend

茹でたり、炒めたり、オーブンで焼くなど、どんな調理方法でも形が崩れにくい。皮付きのまま調理した際、調理中に皮がむけないのも特徴。じゃがいもに含まれるでんぷんの量は平均14%と少ない。ドイツではサラダに利用されることが多いため「ザラート・カルトッフェルン」(サラダ用じゃがいも)と呼ばれることも。

【中】煮崩れしにくいタイプ

Vorwiegend festkochendeAmbo, Augsburger Gold, Jelly, Quartaなど

Vorwiegend festkochende

約15%のでんぷんを含み、品種によって硬めから少々柔らかくなるものまでバラエティ豊か。ポメス(フライドポテト)やマッシュポテトなどの付け合わせから、シチューやキャセロールなどのメイン料理、カルトッフェルズッペ(じゃがいものスープ)などのサイドメニューまで、幅広い調理法の料理に利用することができる。

【柔】煮崩れしやすいタイプ

Mehlig kochendeAckersegen, Finka, Marabel, Reichskanzlerなど

Mehlig kochende

約16.5%のでんぷんが含まれており、水分が少なめ。とろみのあるカルトッフェルズッペや、ピューレ、クヌーデル(じゃがいも団子)、ニョッキ、マッシュポテトなど、潰してペースト状にして調理するのが一般的。餃子の具材に混ぜたり、コロッケのタネとしてもおいしくいただけるので、日本食にもマッチする。

ドイツでよく見る野菜

スーパーでよく見かけるけど、どうやって調理すれば良いのかいまいち分からない、日本ではなじみのない野菜。その活用法はさまざま。調理方法を知り、料理のレパートリーに加えてみて。

白アスパラガス Spargel

Spargel

春季限定で市場に出回る白アスパラガスは高級な野菜。ゆでたシュパーゲルにオランデ-ズソースをかけていただくスタイルをはじめ、スープやオーブン焼きなどさまざまな楽しみ方がある。

フェンネル Fenchel

Fenchel

豊かな芳香を持ち、株・葉・茎・種全てが使えるフェンネルは、魚との相性が抜群。特にスパイスの効いたフェンネルシードは香り付けに使用するのに最適かつ、ハーブティーに使われることも。

コールラビ Kohlrabi

コールラビ Kohlrabi

カブのような丸い実のコールラビは、葉(茎部分)を切り落とし、皮を剥いで中の白い部分を使用する。シチューやスープなど煮込み調理に用いたり、グラタンにしたりしてもおいしい。

チコリー Chicorée

チコリー Chicorée

甘さの中にほんのりとした苦味を感じるチコリーは、生のままサラダに入れて食べたり、葉を一枚ずつちぎって魚介のマリネを載せてオードブルに使ったりするほか、天ぷらにしても◎。

キャベツ

ドイツのキャベツ(Kohl)には、キャベツに白菜、ケール、芽キャベツなど、さまざまな種類がある。特にキャベツの種類は用途によって変わってくるので選ぶ際は要注意!

円すい形キャベツ Spitzkohl

円すい形キャベツ

円すい状の尖がった形。結球内の葉は程よく詰まっているため、日本のキャベツの食感に最も近い。キャベツの千切りやお好み焼きなど日本食との相性が良いのはこのタイプ。

白キャベツ Weißkohl

白キャベツ

一般的にザワークラウト用として使われるキャベツで、結球内に葉が隙間なくぎっしりと詰まっている。硬くて切るのが困難なため、通常の調理には向かないタイプ。

白菜 Chinakohl

白菜

ドイツ語で「中国キャベツ」の意味を持つ白菜は、ドイツのスーパーでも定番の野菜。日本の白菜とほとんど変わらない味わい。

ケール Grünkohll

ケール

日本では青汁でおなじみのケールは、冬になると生でスーパーに出回ることも。特に北ドイツでは冬季の定番として、お肉料理の付け合わせに登場することが多い。

ソーセージ

じゃがいもやパン、ビールと共にドイツで愛されているソーセージ。約1500ものバリエーションがあるといわれており、地域に根付いた品種が数多くそろうのも特徴だ。

フランクフルト Frankfurter Würstchen

フランクフルト

地域:フランクフルト
別名:Wiener Würstchen
おいしい食べ方:80度のお湯で8分煮る。マスタードを付けて。

日本人になじみ深い、長さ15~20センチの細長いソーセージ。パリッとした噛み応えが特徴。

白ソーセージ Weißwurst

白ソーセージ

地域:ミュンヘン
別名:Münchner Weißwurst
おいしい食べ方:ボイルした後、皮をむき、甘いマスタード(Süßer Senf)を付けて。

仔牛肉と豚の脂身にハーブや香辛料を混ぜて作る。鮮度が命の柔らかいソーセージ。

テューリンガー Thüringer Rostbratwurst

テューリンガー

地域:テューリンゲン州
おいしい食べ方:カリッと焦げるまで焼き、マスタードを付けて。

15世紀から作られている伝統的なソーセージ。にんにくとキャラウェイ、マジョラムなどが混ぜ込まれている。

ニュルンベルガー Nürnberger Rostbratwurst

ニュルンベルク

地域:ニュルンベルク
おいしい食べ方:玉ねぎと酢で煮込む「Saurer Zipfel」もおすすめ。

脂肪分が多くジューシーな小ぶりのソーセージ。マジョラムの味がアクセントになっている。

メット Mett

メット

おいしい食べ方:パンに塗るのが王道。ネギトロ丼のようにご飯と一緒に食べても。

保存処理をした生の豚ひき肉(Mett)を使用した、スプレッドタイプのソーセージ。胡椒などの香辛料で味が付いており、みじん切りの玉ねぎが入っているものもある。

ハム

ソーセージ同様、種類が豊富なドイツのハム。パンやチーズと一緒に食べたり、サラダやパスタに使ったりと、さまざまなバリエーションを楽しもう。

調理ハム Kochschinken

調理ハム

ジューシーな味わいでさまざまな料理に合わせやすい一般的なハム。生ハムに比べ、水分を多く含むため購入後は早めに消費するのが良い。野菜やハーブのほのかな風味が感じられるものや、蜂蜜を使用したマイルドな味わいのものなど、バリエーションも多種多様。

生ハム Rohschinken

生ハム

生ハムは、熟成させることによってほかのハムにはないアロマが感じられるのが特徴。塩漬けして乾燥させるタイプ(Luftgetrockneter Schinken)と、加工せず薫製するタイプ(Räucherschinken)がある。前者は、ゆっくりと時間をかけて乾かすため、気候が温暖な南欧の地域での生産が主流。また、後者は、より寒く湿った地方での生産が適している。

鶏ハム / 七面鳥ハム Geflügelschinken (Hähnchen Schinken) / Putenschinken

鶏ハム / 七面鳥ハム

鶏肉から作られたハムは、さっぱりとした味わいとヘルシーさが特徴。種類には胸肉(Brust)を使用したもの、サラミなどさまざまなタイプがある。トルティーヤサンド、サラダの具材などフレッシュなままいただくのがおいしい。

ラクスハム Lachsschinken

ラクスハム

サーモン(Lachs)から作られているわけではなく、豚の背肉や背脂肉が「サーモン」と呼ばれていること、マイルドでほのかな塩気を感じられるなど味わいがサーモンに似ていることからこのように名付けられた。さまざまな種類のパンと相性が良いのでサンドイッチのほか、パスタやスープの具材としても使える。

チーズ

欧州一の牛乳生産量を誇るドイツ。国民1人当たりのチーズの年間平均消費量は、なんと24.6kg!スーパーマーケットの棚にはありとあらゆるチーズが並んでいるので、さまざまな種類を試してみよう。

ハードチーズ Hartkäse

ハードチーズ

Emmentaler, Bergkäse, Chesterなど
長期保存が効き、コクのある深い味わい。水分は少なく、脂肪分は45~50%。薄切りにして味わうか、すり下ろして料理に使う。熟成期間は3カ月以上で、1年以上熟成させるものも多い。低温殺菌牛乳から作るチーズは、より早く熟成し、マイルドな味になる。

スライスチーズ Schnittkäse

スライスチーズ

Gouda, Edamer, Tilsiter, Wilstermarschなど
柔軟性があり、薄くスライスするのに向いている。脂肪分は20~50%。最低でも5週間は熟成させる。棒状、球状、ブロック状など形もさまざま。乾燥を防ぐためにワックスなどのコーティング材で覆われているものもあり、食べる際に取り除く。

セミハードチーズ Halbfester Schnittkäse

セミハードチーズ

Halbfester SchnittkäseSteinbuscher, Edelpilzkäse, Butterkäse, Weißlackerなど
スライスチーズよりも柔らかい。脂肪分は30~60%。羊、山羊の乳から作るフェタチーズは、ギリシャ産のものだけが「フェタ」と名乗ることができ、ドイツでは同じ製法のチーズはSchafskäse、Balkankäse、Hirtenkäseなどの名称で販売されている。

ソフトチーズ Weichkäse

ソフトチーズ

WeichkäseCamembert, Brie, Romadur, Limburger, Münsterkäseなど
カマンベールのように皮を白カビで覆い熟成させたものと、表面が黄色や赤茶色で湿っているリンブルガーなど、大きく2種類に分類される。20~60%の脂肪分で、中身はクリーミーで柔らかい。最低でも4週間熟成させる。

フレッシュチーズ Frischkäse

フレッシュチーズ

Quark, Schichtkäse, Rahmfrischkäse, Doppelrahmfrischkäseなど
熟成させず、牛乳を凝固、脱水したもの。水分が多く、保存期間は短い。ハーブ入りなどバリエーションが豊富。ドイツの食卓でおなじみのクヴァルクは、軽く酸味があり、口当たり滑らか。

お肉を注文してみよう! 精肉コーナーで役立つドイツ語

ドイツ料理といえば、ザ・肉! スーパーではさまざまな種類の肉を手に取れるが、日本との違いといえば、豚や牛の薄切り肉、骨なしの鶏もも肉が売っていないことなど。精肉コーナーでは、必要な量だけ買えたり、肉のスライスなどにも対応してくれるので、ぜひ注文してみよう。

精肉コーナー

❶ 肉の種類
  • 牛肉 das Rind
  • 子牛 das Kalb
  • 子羊 das Lamm
  • das Schwein
  • 七面鳥 die Pute
  • das Hähnchen
  • ガチョウ die Gans
  • カモ die Ente
❷ 肉の部位の呼び方
  • ひれ肉 das Filet
  • 首肉 der Nacken
  • 胸肉 die Brust
  • バラ肉 der Bauch
  • 肩肉 die Schulter
  • もも肉 der Schenkel
  • もも肉、牛のそともも die Keule
  • (豚・子牛・羊などの)あばら肉 das Kotelett
  • ひき肉 das Hackfleisch
  • レバー die Leber
❸ 要望を伝える
  • 500gください 500 Gramm, bitte.
  • (ソーセージなど)5本ください 5 Stück, bitte.
  • 骨を取ってください Ohne Knochen, bitte.
  • 皮を取ってください Ohne Haut, bitte.
  • 薄切りスライスにしてください  Dünne Scheiben, bitte.

※「wie Schinken」(ハムのように)など、具体的に薄さのイメージを伝えると良い

最終更新 Mittwoch, 23 April 2025 14:24
 

本当においしい蜂蜜を求めて ドイツの養蜂家から学ぶ
ミツバチとハチミツのこと

ミツバチとハチミツのこと

気候変動や農薬使用によりミツバチの数が激減していることはたびたび報道され、世界中で警鐘が鳴らされてきた。そして昨年10月、ドイツのスーパーで売られている蜂蜜の80%が偽物である……という衝撃的な事実が発覚し、養蜂業界に激震が走った。いったい今、ミツバチや養蜂業界で何が起きているのか。本特集ではミツバチとの共存について考え、本当においしい蜂蜜を手に入れるため、ドイツ在住の養蜂家・メルヒャー華代子さんにお話を聞いた。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

スーパーの蜂蜜の80%がフェイク⁉ 養蜂業界で今起きていること

パン食を基本とするドイツの食卓では、蜂蜜は欠かせない存在だ。ドイツにおける蜂蜜の消費量は年間1人当たりおよそ1キロと、世界でもトップクラスを誇る。また、趣味で養蜂をする人の割合も高い。しかし、ドイツで消費される蜂蜜の58%は外国産で、その多くはウクライナやアルゼンチン、メキシコなど欧州連合(EU)外から輸入されたものだ。その背景には、気候変動や昨今のインフレを理由とした生産コストの増加による蜂蜜の価格高騰がある。人々はより安価な外国産の蜂蜜を購入するようになり、ドイツ産が売れ残るような事態になっている。

低価格の蜂蜜が欧州市場に溢れているため、欧州の養蜂家たちは収入を得られず、一部の国では4分の3の養蜂家が事業を止めざるを得ない状況に陥っている。この危機に立ち向かうため、ドイツおよび欧州職業養蜂家協会は、2024年にドイツのスーパーマーケットで販売されている30の蜂蜜を無作為に選び、DNA検査を実施した。その結果、30のサンプルのうち25(83.3%)は蜂蜜以外が混じった不純物であることが発覚したのだった。さらに衝撃的なことに、これにはオーガニックやフェアトレードをうたうブランドの製品も含まれている。

ハチミツ

この不純物は、蜂蜜に主に米やトウモロコシ、てん菜などのシロップを混ぜたもの。従来のドイツの検査方法では本物の蜂蜜と見分けることができなかったが、今回エストニアで行われたDNA解析によって偽造が判明した。現時点で偽造された蜂蜜が健康に害があるかどうかは分かっていないが、味には明確な違いがある。偽物の蜂蜜は口の中ですぐに味がしなくなる一方、本物の蜂蜜は舌の上に風味が長く残るという。こうした状況を受け、現在ドイツや欧州の養蜂家たちは蜂蜜のDNA鑑定の義務化を求めている。

消費者としてできることの一つは、ドイツや欧州の養蜂家たちが生産する蜂蜜を購入すること。養蜂家を支援することは、農業に必要不可欠な花粉交配を担うミツバチたちを守ることにもつながる。次ページからは、ドイツで養蜂の一手を担うメルヒャー華代子さんに教わった、養蜂家の暮らしやミツバチの生態についてご紹介する。

参考: Deutscher Berufs- und Erwerbsimkerbund e.V.「Schock nach DNATest: 80 Prozent der Honigproben gefälscht!」、SWR「DNA-Analysen in der Lebensmitteluntersuchung Honig: Viel weniger von der Biene als gedacht?」

ドイツ人の蜂蜜愛

ドイツで養蜂家として生きる

フランクフルト郊外で、養蜂家として暮らすメルヒャー華代子さん。今年で養蜂を始めて12年目を迎える。養蜂家になったきっかけやその暮らしぶり、ミツバチの生態までたっぷりお話を伺った。(写真提供:メルヒャーさん)

お話を聞いた人

メルヒャー華代子さん

フランクフルト郊外に住む養蜂家。オーデンヴァルトの果樹園兼養蜂場で、家族と共にミツバチの飼育、蜂蜜と蜜蝋、蜜ろうプロダクトの販売をする。そのほかにも養蜂やミツバチに関するワークショップやセミナーを開催するなど、幅広く活動している。
https://gwuwk.hp.peraichi.com/melchers-honig

蜂蜜取扱店:飯守市場(フランクフルト)、ユニコン(ハイデルベルク)

養蜂場に並ぶ巣箱メルヒャーさんの養蜂場に並ぶ巣箱。下から一段目はミツバチの居住箱、二段目より上が蜂蜜だけを貯める蜜箱

ドイツの蜂蜜のおいしさに衝撃

日本にいた頃から蜂蜜が大好き……というわけではなかったメルヒャー華代子さん。蜂蜜に目覚めたのは、ドイツで義理の両親と住んでいたときだったと話す。「義理の父が養蜂家から蜂蜜を直接購入していて、それを食べさせてもらったことがあって。とてもおいしくて、衝撃を受けました。日本ではあまり見ない白っぽいクリーミーな蜂蜜でした」

その衝撃を受けてから、メルヒャーさんは自宅でも蜂蜜を採れたらいいなと考えるようになった。そんな折、自宅近くで養蜂を習えるコースがスタートするという話を耳にした。ドイツには「ドイツ養蜂協会」(Deutscher Imkerbund e. V.)という団体があり、各地で養蜂を始めたい人のためのコースが開講されている。メルヒャーさんが通い始めたのも、地域のドイツ養蜂協会が主催するコースだった。

養蜂場で作業するメルヒャーさんと夫のペーターさん養蜂場で作業するメルヒャーさんと夫のペーターさん

「最初は巣箱一つから始めました。ただ、遠心分離機などの機材が高額なこともあり、巣箱は複数ある方がより効率よく蜂蜜を生産することができます。毎年少しずつ巣箱を増やしていき、今では35箱くらいになりました。蜂蜜は1シーズンで一箱でおよそ30キロ、いい年では50キロくらい採れます」。巣箱の数が増えた現在、メルヒャーさんは新しく養蜂を始める人や自分たちのミツバチが死んでしまったという養蜂家に対して、コロニー(女王蜂と働き蜂からなる群のこと)の販売もしている。

また、ヘッセン州では蜂蜜のコンテストが毎年開催されており、メルヒャーさんも毎年参加している。コンテストでは養蜂家から提出された蜂蜜に対して、ラボで農薬、化学物質、抗生物質が混入していないか、栄養価、味や香りはどうかなど品質検査を行い、金・銀・銅にランク分けされる。メルヒャーさんの養蜂場は、コロナ禍の数年を除いて毎年金賞を受賞しており、質の高い蜂蜜の生産を続けている。

コンテストで金賞コンテストで金賞を受賞したことを示す賞状

ミツバチから考える環境のこと

養蜂の仕事は、天気や気温に左右される。昨今は気候変動の影響で雨が多い年があるが、蜂蜜の採取量にも大きな影響が出るという。「雨が降るとミツバチたちは外へ出て行かないので、巣箱に貯めた蜜を食べてしまうんです。特に2023年は各地で洪水が起こるなど雨が多かった年で、例年の10分の1ほどしか蜂蜜が採れませんでした」。また気温によっては花が開花しても蜜を吹かず、ミツバチが花蜜を集められない。花粉がないとミツバチの幼虫も育たない。さらにミツバチたちが花粉交配をしなければ、私たちの食の問題にも大きな影響を及ぼす。「つまり自然を守ることが大事なのです。2018年にグレタ・トゥーンベリさんの気候変動ストライキ『フライデーズ・フォー・フューチャー』で、子どもや若い人の環境への関心が高まりました。その影響もあってか、最近は若い人たちも養蜂家のコースに通っているなと感じます。今ではウェイティングリストがあるほどです」

ドイツでは、ミツバチの好む花にはミツバチのマークを付けて売られていたり、イベントなどで花の種が配られたりと、ミツバチ・フレンドリーな取り組みも多く見られる。メルヒャーさんの養蜂場でも、ミツバチや養蜂を通じて自然環境の大切さを広め、自然と共存することを理念に掲げている。その一環として、自宅や出張先で蜂蜜テイスティングを兼ねたワークショップを開いたり、日本人学校の職員研修、日本や海外の学校向けにオンラインで特別講師として授業をしたりするほか、養蜂場の敷地に毎年1~2本ずつ木を植えるといった活動にも力を入れる。

また、ミヒェルシュタットの城壁の一角には、市が管理するミツバチの巣箱が設置されており、メルヒャーさんの養蜂場から運んできたミツバチたちが暮らす。巣箱のある小径は「Naschgarten」(つまめる庭園の意味)と呼ばれ、ラズベリーやイチゴが植えられており、散歩中の人が自由に果実を食べられるようになっている。これもまた、環境を意識した取り組みの一つだ。

Naschgartenに設置された青色と黄色と巣箱Naschgartenに設置された青色と黄色と巣箱

「ミツバチが怖いと思っている方もいらっしゃると思います。でもハナバチであるミツバチやマルハナバチは、訪花している時は人を攻撃することはなく、静かに見ているだけであれば問題ありません。ただし巣に近づいたり、間違って触ってしまったりすると、自分たちを守るために刺すこともあります。ミツバチが私たちにとって大切な生き物であることはもちろん、こういったミツバチの生態を子どもの頃から知っていれば、大人になったときもミツバチを守るための行動が取れるのではないかと考えています」

ドイツに生きる養蜂家として、自然や環境を守ることを熱心に話してくださったメルヒャーさん。草木を飛び回るミツバチを見つけたり、パンに蜂蜜を塗ったり、日常の風景の中には、私たちの未来について考えるきっかけがたくさんある。そのことに、あらためて気づかせてもらった。

ミツバチ手を伸ばすと逃げてしまうことが多いミツバチだが、ちょこんと手に乗ることも

養蜂家の一年

春に活動を始め、夏から秋にかけて飛び回り、冬はじっと待つ……。季節によってミツバチの仕事が違うように、養蜂家にもさまざまな仕事がある。ここではメルヒャーさんの養蜂場を例に、養蜂家の一年の流れを追う。(写真提供:メルヒャーさん)

1~2月

冬越し中は家の中での仕事

ミツバチは自らの熱で巣箱を温めて冬を越す。養蜂家によっては冬季も巣箱の中をチェックするが、温度が下がるとミツバチにストレスがかかるため、メルヒャーさんのように春までノータッチという養蜂場も。またこの季節は、蜜蓋の蜜ろうを溶かして作る「巣礎」(蜜ろう板)を用意する作業や、蜜箱のメンテナンスなどをする。ちなみに、冬は仕事が少ないため、養蜂家にとって旅行などに出やすい時期でもある。

ミツバチ(写真左)「巣礎」を巣枠にセットする様子
(写真右)雪に包まれたメルヒャーさんの養蜂場の様子

3月

気温が上がったら養蜂の季節のスタート

巣箱の中は、ミツバチたちの体の熱により常に35度前後に保たれている。巣箱の温度が急に下がらないよう、しっかり気温が上がるまではそっとしておくことが大切だ。まだ気温が十分上がっていないときに巣箱のふたを開けると、ミツバチが驚き、刺されてしまう可能性もある。

4~7月

巣箱を定期的にチェック

ミツバチたちが活動を始めたら、きちんと産卵されているか、「王台」(女王蜂の生まれる特別な巣)ができているか、幼虫が育っているかなどを確認するため、毎週巣箱の中をチェックする。

5~6月

巣分かれの時期

5~6月は巣分かれの時期。新しい女王蜂が誕生すると、もともと巣にいた女王蜂は、半分に当たるおよそ2万匹の働き蜂を引き連れて、新しいコロニーを作る。そのため、あらかじめ人の手でコロニーを二つに分ける作業をする。

5~7月

4~6週間サイクルで採蜜

巣の中にいるミツバチたちは羽を動かして蜜を乾かし、蜜ろうで巣に蓋をする作業をしている。巣がしっかりと蜜ろうで覆われたら、フォークのような道具で蜜蓋を取り除く。蜂蜜の詰まった巣枠を遠心分離機にかけて蜂蜜を取り出し、ゴミなどを取り除いたものを瓶詰めする。早くて5月にその年最初の蜂蜜が採れる。一度のサイクルがおよそ4~6週間(天候による)で、これを7月頃まで繰り返す。

蜜ろうを採取蜜蓋(蜜ろう)を採取する様子

蜜遠心分離機遠心分離機で取り出された蜂蜜が出てくる様子

8月

冬の餌を用意

ミツバチは冬越しの間も眠らず、食事をしながら自ら熱を発して過ごす。夏の間、巣枠を6枚から10枚に増やし、巣の上に特別な餌箱を置く。その中に液体の餌を入れると、ミツバチたちは追加した4枚の巣枠にそれを貯める。

液体の餌(Weizenstärke)を入れているところ液体の餌(Weizenstärke)を入れているところ

9月

ダニの駆除意

蟻酸を使い、バロアミルべというミツバチにつくダニの駆除をする。ダニが寄生するとミツバチの免疫力が落ち、病気にかかりやすくなる。また奇形が生まれたり、成長不良が起きたりすることもあり、全滅してしまうことも。駆除が終わったら、冬越しの準備は完了!

ダニを駆除ダニを駆除するための準備をするメルヒャーさん

ドイツで養蜂家になるには?

ドイツ養蜂協会に所属して、養蜂を学ぶ

「Imkerverein+住んでいる地域名」で検索すると、近くのドイツ養蜂協会が見つかる。養蜂を始めたい人は、地域の協会が主催する養蜂コースに申し込む。地域によって多少違いはあるが、そのシーズン中は週に1回コースに通い、ミツバチの飼い方を座学と実践を通じて学ぶ。コースでは、励まし合ったり相談したりできる養蜂仲間も見つかる。

ミツバチを飼える環境を整える

養蜂をする場所には、気温差が激しくない、草木のある広いところが理想的。建物の屋上などは太陽の照り返しで暑かったり、冬の間は風が強く寒かったりすることもあるため、養蜂に適さない場合もある。

除草剤、農薬は使わない

EUでは、除草剤や農薬に対して厳しい規制が設けられているため、原則使わない。

近所の同意を得る

ミツバチは家畜として登録が必要。また、巣分かれの時期にミツバチが大群で飛び立つこともあるため(詳しくはp12)、養蜂を始める前に隣近所の同意を得ておくのがベター。

知らなかった! ミツバチの秘密

人間はミツバチなしでは生きられないにもかかわらず、実はミツバチのことをあまり知らないかも… …という人は少なくないだろう。ミツバチたちの生態を知って、さらに身近に感じてみよう。

ドイツで見られるミツバチは2種類

ドイツではもともと、自然に存在していたカーニカ(Kärntner Biene)と、人工交配によって生まれたバックファスト(Buckfastbiene)という2種類のミツバチが見られる。コロニーによってはどちらの種類も共存している。ミツバチが雑種になることはなく、オスの種類によって生まれる種類が決まる(女王蜂は複数のオスと交尾する)。

ミツバチは2種類

オスは1割しかいない

コロニーには女王蜂1匹のほか、オスが約1割、メスが約9割生息している。雌雄は女王蜂の産み分けによって決まる。働き蜂は全てメス。オスは交尾のみのために生まれ、晩夏になると巣箱から追い出されてしまう。ちなみにオスは針を持たず、外敵と戦うことはできない。冬越しはメスが女王蜂を囲んで温める。

女王蜂はローヤルゼリーのみを食べる

ローヤルゼリーは女王蜂のために抽出される特別な物質で、水分の多いヨーグルトのような形状をしている。女王蜂の寿命は4~5年と長く、その栄養価の高さが伺える。かつてローマ法王だったピオ12世(1876-1958)が危篤状態のときに、ローヤルゼリーを投与して回復したことから、その効能が注目されるようになった。

中央にいる体の大きい個体が女王蜂中央にいる体の大きい個体が女王蜂

採取したローヤルゼリー採取したローヤルゼリー

女王蜂は毎年生まれる

女王蜂は誕生から約1週間後、交尾のために一度だけ外へ飛び、その後は巣にとどまって毎日約2000個の卵を産む。新しい女王蜂は毎年生まれ、巣内で複数同時に誕生した場合は刺し合いで生き残れる女王が決まる。分蜂をすることで子孫(コロニー)を増やしていく。

働き蜂の仕事は内勤から始まる

春から秋までの働き蜂の寿命はおよそ40日間。成虫になった働き蜂は、掃除、幼虫への餌やり、ローヤルゼリーの分泌、蜜ろうの分泌、巣の建設のほか、蜜を乾かしたり、外敵が入らないように門番をしたりするなど、順番に内勤を行う。これをおよそ20日間行ったあと、残り20日間は命が尽きるまで、蜜と花粉を集めに外を飛び回る。

働き蜂は飛び回りながら食事する

働き蜂は蜜のう(蜜袋)がいっぱいになるまで蜜を集めるが、半分は自分で消化して、半分は巣に持ち帰る。採蜜の際は、幼虫を育てている一番下段の巣枠は手をつけずに残しておき、その上に積んだ巣枠から蜂蜜を採取する。

6~8キロ先まで飛行

ミツバチの体重はわずか80ミリグラム。働き蜂はコロニーから最大6~8キロの範囲を飛び、花の蜜と花粉をそれぞれ40ミリグラムまで運ぶことができる。これを1日30回往復する、文字通りの働き者だ。

ちゃんと自分の家が分かる

ミツバチは帰巣本能があり、太陽の位置を基準にして飛行する。巣の周りのランドマーク(木や建物等)や自分の巣箱の匂いを頼りに、蜜を集めて巣に帰ってくる。

「巣分かれ」で逃げ出すことも

分蜂(巣分かれ)の時期に雨が続き、翌日晴れて気温が上がると、ミツバチたちが一斉に逃げてしまうことも。ミツバチたちは仮の住まいとして近くの木に滞在していることも多く、見つかったら枝ごと切り取って新しい巣箱に入れる。ただし、高いところの場合は救出作業ができないことも。多くはそのまま冷たくなって死んでしまう。

メルヒャーさんがミツバチたちを救出する様子メルヒャーさんがミツバチたちを救出する様子。2024年は10回ほどこの作業が発生した

ミツバチを殺すと罰金!?

ドイツの野生動植物の保護に関する条例(BArtSchV)により、ミツバチは特別保護種に指定されている。そのため、捕獲のほか、傷つけたり殺したりすることは禁じられている。州によって異なるが、最大6万ユーロの罰金が科せられる。もし庭に蜂の巣や分蜂をしたミツバチの塊を見つけた場合は、自分で対処しようとせず、近所の養蜂家などに相談するのがよい。なお、スズメバチも同じく保護対象になっている。

おいしい蜂蜜を手に入れる&食べるポイント

手に入れる

養蜂家から直接購入しよう

スーパーで売っている大手ブランドの蜂蜜は、さまざまな場所から集めた蜂蜜を一つにまとめて瓶詰めしている。ラベルには基本的に「EU産」「非EU産」「EU産と非EU産」しか記されていないため、先述の不純物が混ざっている可能性が高い。また適正な期日を待たずに採取した水分の高い蜂蜜を加熱して、水分を飛ばしているという事実も消費者が判断することは難しい(ドイツでは水分18%以下の蜂蜜が流通している)。純粋な蜂蜜を手に入れたい場合は、養蜂家から直接購入するのが一番の近道だ。地域の養蜂家の蜂蜜を購入することは、養蜂家のサポートにもつながる。

メルヒャーさんが販売する蜂蜜各種メルヒャーさんが販売する蜂蜜各種

ドイツ養蜂協会の蜂蜜を買おう

ドイツ養蜂協会では、1925年から「Echter Deutscher Honig」(本物のドイツの蜂蜜)というブランドを展開している。この蜂蜜は法律よりも厳しい品質ガイドラインをクリアしたものだけに与えられ、専用のラベルと管理番号が付与される。購入可能な場所は協会の公式ホームページで調べることができる。ガラス瓶は再利用されるため、食べ終わったら購入場所などで返却しよう。

「Echter Deutscher Honig」のラベルと金賞のシール「Echter Deutscher Honig」のラベルと金賞のシールが貼られたメルヒャーさんが販売する蜂蜜

食べる

朝と晩に小さじ1杯ずつ食べよう

メルヒャーさんのおすすめは、朝と晩に蜂蜜を小さじ1杯ずつ食べること。2020年のオックスフォード大学の研究結果によると、せきや風邪の治療には、市販薬よりも蜂蜜が有効である可能性が指摘されている。また蜂蜜には、およそ180種類以上の栄養素が含まれているといわれる。賞味期限も半永久で、加熱せずにそのまま食べられるため、非常時への備えとしても◎。なお、蜂蜜は賞味期限を表示する義務はあるが、蜂蜜自体は密閉容器で室温20~25度、暗所で無期限に保存することができる。15度以下で結晶化が始まり、硬くなってしまうため、冷蔵庫には入れないこと。

蜂蜜に含まれる栄養素の例
  • ミネラル
    ナトリウム、カリウム、カルシウム、マグネシウム、セレン、鉄、亜鉛、銅など
  • ビタミン
    ビタミンB1、2、3、5、6、7、9、ナイアシンなど
  • アミノ酸
    必須アミノ酸9種類、リジン、バリン、アルギニン、ロイシン、イソロイシンなど
  • ポリフェノール
    カフェ酸、ρ- クマル酸、フェルラ酸、クリシンなど
  • 有機酸
    グルコン酸、乳酸、酢酸、クエン酸など

朝と晩に小さじ1杯ずつ食べよう

砂糖の代わりに蜂蜜を取り入れよう

蜂蜜は栄養豊富で、単糖である。花の蜜(ショ糖)は、ミツバチの蜜のう(蜜袋)の中で果糖とブドウ糖に分解される。蜂蜜を食べても胃で分解する必要がほとんどなく、体内での消化吸収が早い。そのため、砂糖の代用品として取り入れるのがおすすめ。スタンダードに、パンに塗ったりヨーグルトや果物にかけたりするほか、スムージーやジュース、レモネードに入れても合う。使い方に困った場合は、サラダのドレッシング、煮物やカレーの隠し味にも◎。ただし、蜂蜜は高熱にさらされると、ビタミンや酵素が破壊されるため、温かい飲み物に入れる時は40度くらいまで冷ましてからがベター。

【注意】蜂蜜は1歳を過ぎてから!

1歳未満で蜂蜜を食べることにより、乳児ボツリヌス症という死に至る病気にかかることがある。そのため、腸内環境の整う1歳を過ぎるまでは蜂蜜そのものや蜂蜜の入った飲み物や食べ物は与えないことが強く推奨されている。(参考:厚生労働省)

砂糖の代わりに蜂蜜を取り入れよう

季節ごとに採れる蜂蜜の種類*

蜂蜜を楽しむには、好みの味を見つけるのが一番。また、自分の体調によって味が違って感じられることも。ここでは、メルヒャーさんの養蜂場で採れる蜂蜜を紹介。いろいろ食べ比べて、お気に入りを探してみて!
*花の種類と開花時期

3月

メープル(Ahorn)

メープル(Ahorn)

ドイツでは珍しいタイプの蜂蜜。メルヒャーさんの養蜂場の近くにはカエデの並木道があるため、最初に採れる種類。濃厚で奥深く優しい甘みがある。なお、メープルシロップは樹液を採取してに煮詰めたもの。

メープル(Ahorn)

4月

菜の花(Rapsblüte)/ タンポポ(Löwenzahn)

菜の花/タンポポ

菜の花やタンポポはブドウ糖を多く含むため、結晶化しやすい。固まる前に攪拌させて空気を含ませることで、日本では珍しい白っぽいクリーミーな蜂蜜に仕上がる。パンに塗るのはもちろん、お菓子のような感覚でそのまま食べてもおいしい。

菜の花/タンポポ

5月

アカシア(Akazien)

アカシア

アカシアの白い花は、満開になると藤の花のような上品な甘い香りが漂う。色はクリアで、クセが少なく甘みが強い、日本でもなじみのある蜂蜜の一つ。気候変動で開花時期に雨が続くと、ほかの蜜と混ざってしまうこともあり、希少性が高い。

アカシア

6月

ボダイジュ(Linden)

ボダイジュ

初夏に鈴のような小さい白い花をつけるボダイジュの蜂蜜は、すっきりとしたハーブのような風味が特徴。好き嫌いがはっきり分かれるが、ぜひお試しを。夏の熱中症対策として、水にボダイジュの蜂蜜、レモン、塩を混ぜて飲むのがおすすめ。

ボダイジュ

3~7月

百花蜜(Blütenhonig)

百花蜜

百花蜜は、各季節に咲く花の蜜を集めた蜂蜜。ドイツでは一つの花の蜜が全体の50%以下の場合、百花蜜に分類される。ミツバチが飛んでいく範囲の蜜源により、蜂蜜の味も変わってくる。

7月

甘露蜜(Honigtau)

甘露蜜

夏に針葉樹につくアブラムシが樹液を吸って抽出する甘い蜜をミツバチが集めたもの。濃い褐色で、黒糖のような深い甘味がある。また食物繊維が豊富なため、腸活にもうれしい。ナッツやチーズとの相性もよく、煮物の味付けに使うとまろやかな仕上がりに。

最終更新 Montag, 24 März 2025 16:25
 

ザウアークラウトから納豆まで ドイツで楽しむ発酵食品

ドイツで楽しむ発酵食品

近年、世界的なトレンドとなっている発酵食品。ドイツでもコロナ禍以降、ドイツを代表する発酵食品であるザウアークラウトが再び注目を集めたほか、コンブチャやキムチ、そして日本のこうじをはじめとする発酵食品を楽しむ人が増えている。本特集では、そんなドイツの発酵食品ブームやザウアークラウトの背景を紐解くと共に、ドイツ在住の発酵ファンの方々にご協力いただき、さまざまな発酵食品を自宅で手作りする方法を聞いた。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:zdf heute「Super-Food - alte Technik, neuer Trend」 、Hogapage「Fermentation als neuer Foodtrend」、Der Feinschmecker「Fermentation: Milchsäuregärung ist wieder Trend」、NDR「Kimchi, Sauerkraut & Co: Wie gesund sind fermentierte Lebensmittel?」

健康促進&サステナビリティで注目! ドイツでもブームの「発酵食品」とは

そもそも発酵とは、酵母や乳酸菌、カビなどの微生物の働きを利用することで食品を加工する技術のこと。その歴史は古く、紀元前6000年ごろには中東で発酵飲料が作られていた記録が残っている。古代エジプトではパンやビール、古代中国では発酵させた豆や魚を使った調味料が広く普及していた。これらの技術は交易や移住を通じて広まり、ドイツのザウアークラウト、日本の味噌や醤油、韓国のキムチ、バルカン半島や中央アジアが発祥とされるヨーグルトなど、地域の気候や食材に合わせて多様な発酵食品が誕生してきた。

近年、そうした発酵食品は世界中で注目を集めている。その理由の一つが、腸内環境を整える働きだ。発酵食品にはプロバイオティクス(善玉菌)が豊富に含まれており、消化を助けたり免疫力を高めたりする働きがあるとされている。発酵過程で生成されるビタミンやアミノ酸は、栄養価を向上させるだけでなく、独特の風味を生み出す。

さらに、環境面でもサステナブルな食文化として評価されている。発酵は食品を長期間保存可能にするため、冷蔵保存や化学保存料に頼る必要が少ない。また、傷みかけた野菜や余剰作物を活用してピクルスやキムチ、ザウアークラウトに加工することで、冷蔵技術が普及する以前から食品ロスを減らす方法として利用されてきた。

ドイツではザウアークラウトやピクルスといった伝統的な発酵食品が長く親しまれてきたが、近年はこれらの伝統食品に加え、海外の発酵食品が新たなトレンドとして台頭している。キムチや納豆、コンブチャ(発酵飲料の紅茶キノコ)が人気を集め、多文化的な食の融合が進んでいる。このように発酵食品は伝統的・地域的な枠を超えて、現代の料理や新しい食文化に取り入れられている。健康意識やサステナビリティの高まりを背景に、発酵食品を使った新しい味や、持続可能な食文化がさらに生み出されていくことだろう。

発酵食品

ドイツの発酵食品の代表格 ザウアークラウトの秘密

ドイツが誇るスーパーフードの「ザウアークラウト」。その歴史や地域性、ドイツ人とザウアークラウトの関係性などから、ザウアークラウトの魅力に迫る。

古代ローマ人も食べていた!?

ザウアークラウト(Sauerkraut)は、キャベツを塩で発酵させた保存食であり、ドイツを代表する伝統食品の一つ。その歴史は古く、アジアでは紀元前221年に建設された中国・万里の長城の建設労働者たちが、キャベツを発酵させた食料を食べていたという記録もある。ドイツにおいては、ローマ時代に伝えられたとされ、寒冷な冬を乗り越えるための貴重な保存食として発展した。

中世ヨーロッパでも、発酵食品は重要な栄養源であった。ザウアークラウトはビタミンCを豊富に含み、長期保存が可能であるため、航海に出る船乗りたちにも重宝されたのだ。特に18世紀には、英国海軍のジェームズ・クックがザウアークラウトを取り入れ、英国海兵たちの壊血病の予防に役立てたという。

地域ごとに一味違うザウアークラウト

現代のドイツにおいても、ザウアークラウトは家庭料理やレストランでは欠かせない存在。特に肉料理との相性が良く、ブラートヴルスト(焼きソーセージ)やアイスバイン(豚のすね肉の煮込み)と組み合わせることが一般的。その酸味が肉料理の脂っこさを中和し、食欲を増進させるのだ。

また、ザウアークラウトの味や調理法は地域ごとに異なる。南ドイツでは白ワインで風味を付けたものが好まれ、バイエルン地方ではキャラウェイシードやジュニパーベリーが加えられることが多い。東部や北部では、シャキシャキした食感を残すために加熱せずに食べることが一般的。一方、西部や南部ではしっかりと火を通し、まろやかに仕上げたザウアークラウトが好まれる。

ザウアークラウト

「クラウト」と呼ばれたドイツ人

ザウアークラウトは、ドイツ人の食文化を象徴する存在であるがゆえに、歴史的にはドイツ人を指す揶揄としても使われてきた。特に第一次世界大戦や第二次世界大戦の時期には、英国や米国でドイツ兵やドイツ人を「クラウト」(Kraut)と呼ぶ風潮が広まったという。なお、近年では「クラウト」という言葉が持つネガティブなイメージも薄れつつあり、むしろ自国の文化を象徴するものとして受け入れられている。

「クラウト」という言葉がユニークな形で転用された例の一つが、「クラウトロック」(Krautrock)だ。これは、1960年代末〜1970年代にかけてドイツで発展した実験的なロック音楽のムーブメントのこと。プログレッシブロックや電子音楽の要素を取り入れ、従来のロック音楽とは異なる独特の音響体験を生み出した。この名称自体は、英国の音楽メディアがドイツのバンドを形容するために用いたもので、当初はやや皮肉を含んだニュアンスがあった。しかし、このジャンルは世界的に評価され、後のテクノやアンビエント音楽にも大きな影響を与えた。

コロナ禍でザウアークラウトがブームに!

コロナ禍に人々の健康意識が高まったことを受けて、ザウアークラウトは「古くて新しいスーパーフード」として再び注目されるようになった。特に、ザウアークラウトの持つ免疫力向上や腸内環境改善の働きが見直され、多くの人々が家庭で手作りするように。パンデミック初期のロックダウン中には、食料の備蓄が求められたこともあり、長期保存が可能なザウアークラウトは再評価された。自宅で発酵食品を作ることが新たな趣味として広まり、SNS上では「#homemadefermentation」や「#sauerkraut」などのハッシュタグが人気を集めた。こうした流れのなかで、ザウアークラウトは単なる伝統食品ではなく、現代の健康意識に合ったスーパーフードとしての地位を確立しつつある。

「簡単おいしいレシピ」より ザウアークラウト&アレンジレシピ

手間がかかるほど愛も深まる! ? 発酵食品を手作りしてみよう

今日、スーパーやネット通販を利用すれば、ドイツでも日本食も含めてあらゆる発酵食品を手に入れることができる。しかし発酵食品をあえて手作りする面白さは、そのトライ&エラーにあり。ここでは、「発酵愛」に溢れたドイツニュースダイジェストゆかりのお二人に、お気に入りのレシピをはじめ、ドイツで買える食材や気候などの違いなど、さまざまなヒントを教えてもらった。

お話を聞いた人 ①

久次貴子さん おんせん県出身。ドイツ人の夫と、二人の子どもと日独いいとこどりの暮らし。昼間はリロケーションサポートのお仕事、趣味は夜な夜な糀作り。台所はいつも実験室のようになっている。本誌連載「私の街のレポーター」では、シュトゥットガルトを担当。

糀との出会いは15年前のドイツニュースダイジェスト!

私がドイツで糀を作り始めたのは、世界各地で糀を醸している人たちの話を読んだり聞いたりして、その工夫や知恵に自分も挑戦してみたい! と心を動かされたのがきっかけです。 特に影響を受けたのが、塩糀を江戸時代の文献から発見した、大分県佐伯市の糀屋本店の女将・浅利妙峰あさりみょうほう先生。妙峰先生との出会いは、なんとドイツニュースダイジェストなのです。15年前、ニュースダイジェストで浅利先生がドイツで糀ワークショップを開催するという記事を読みました。当時、私は子どもが生まれたばかりで参加することができず、浅利先生に「来年はぜひ参加したいので、これからもドイツでワークショップを続けてください!」 と手紙を書いたのです。帰国の際に会いに行ったところ、お手紙のことを覚えていてくださって感動しました。

濾したどぶろくと酒かす濾したどぶろくと酒かす。
どぶろくを作ってみると、全ての工程に意味があり、何一つ無駄がなく、美しくて感動します

糀の柔らかい手触りと音と香りは心を落ち着かせてくれますし、味噌作りや糀のワークショップで糀に触れた人が「気持ち良くてずっと触っていたい」とおっしゃる気持ちがよく分かります。ちなみにドイツではオーガニックの穀物が手に入りやすいので、発酵食品を作る人たちにとってはとてもありがたいです。ただ、麹菌だけは日本の種麹屋さんから購入しています。

最近作って感動したのが、お酒好きにはたまらない「こぼれ梅」(みりんの搾りかす)。まずは、みりんを作ることが必要で、さらにみりんを作るには糀が必要で、1年がかりです。この経験を通して、みりんの甘さは砂糖ではなく、もち米由来だと知りました。こぼれ梅は想像していた以上のおいしさでした。

こぼれ梅完成した「こぼれ梅」にドライフルーツを混ぜてみました。とんでもなくおいしい!

久次さんお気に入りのレシピ

糀と共に生活する

糀はあらゆる日本の調味料に必要なものであり、糀を育てることで自分が日本人であることを再認識している気がします。初めて作るという方には、かわしま屋さんのものがスタンダードで良いと思います。ただし、ウェブサイトにある多くのレシピは、日本に住んでいて、日本の米と水を使っている人のためのもの。ドイツでは米も水質も、温度も湿度も違います。「そこをどうやってフォローするか」というのが燃えるポイント。私自身は、昔の人のように電気を通さずに、人の知恵で工夫して作ってみたい! という好奇心(もはや意地)から、湯たんぽ、鍋帽子、人肌(!)を使いながら糀を育てています。

糀

塩糀と玉ねぎ糀

自分で育てた糀を使って、さまざまな調味料をつくることができます。わが家では、塩の代わりに塩糀、コンソメの代わりに玉ねぎ糀を使用。さまざまな作り方がありますが、私は浅利妙峰先生のレシピを参考にしています。旨味の詰まった塩味があり、酵素も取れて消化に優しいです。酵素にでんぷんやタンパク質を分解する働きがあるので、肉や魚を柔らかくしたりするのにもおすすめ。
参考:糀屋本店「こうじ屋ウーマン浅利妙峰直伝!塩糀(塩麹)のつくり方」

芽キャベツ茹でた芽キャベツに塩糀をまぶすだけで、とってもおいしいです!

材料
塩麹 生糀または乾燥糀 90g
  30g
  お湯(55度くらい) 120ml
玉ねぎ糀 生糀または乾燥糀 100g
  玉ねぎ 300g
  35g
道具
  • 清潔な容器(蓋が金属でないもの)
  • ボウル
  • 計り
  • 箸またはロングスプーン
  • フードプロセッサーまたはブレンダー
作り方
  1. ボウルに塩と糀を入れ、清潔な手で塩と糀を擦り合わせる。しっとりとして糀のいい香りがするまで混ぜる。
  2. 塩糀:熱湯消毒した容器に、❶とお湯を入れる。 玉ねぎ糀:熱湯消毒した容器に、❶とフードプロセッサーで刻んだ玉ねぎを入れる。
  3. 常温で保管する。1日1回、熱湯消毒したスプーンか箸で混ぜて空気に触れさせる。5日後から味見をして、塩の角が取れてまろやかになっていたら完成!お好みでブレンダーで攪拌かくはんしても。

甘酒

甘酒は酒粕甘酒と糀甘酒がありますが、糀甘酒はアルコールゼロ。「甘酒」は、実は夏の季語なんですよ。体を冷やす効果があり、汗をかいて疲れた体に甘酒の糖分が沁みます。
参考:かわしま屋「甘酒の作り方全集|米糀だけ・もち米で作る甘酒を、炊飯器や魔法瓶などで作ろう」

材料
生糀または乾燥糀 300ml
お湯(55度くらい) 300ml
道具
  • ヨーグルトメーカーや炊飯器
  • 温度計
作り方
  1. 糀にお湯を入れ、温度計を使って50〜60度に保ちながら混ぜる。60度以上になると糀菌が死んでしまい、反対に40度以下になると乳酸菌が活発に働いて酸っぱくなるため、温度管理が大切。
  2. ヨーグルトメーカーや炊飯器の保温モードを使って、❶の温度を55〜60度に保ちながら約6時間保温する。
  3. 糀の甘い香りが漂ってきたら、よくかき混ぜて出来上がり。
お話を聞いた人 ②

高橋亜希子さん IT系の翻訳者・プログラマー。三度の食事と、手に入らない食材を自分で育てるのが何よりの楽しみ。食やガーデニングにまつわるプロダクトの製作やスタートアップ事業も行っている。本誌連載「私の街のレポーター」では、ライプツィヒを担当。

菌と時間に委ねつつ、気楽に取り組むのもポイント!

もともと何でも自分で作るのが好きで、加えてアジアショップに買い出しに行ったりするのが面倒になってきたため、発酵食品も自分で作るようになりました。自分の納得できる材料で作れるし、何より時間と菌がほとんどの仕事をしてくれるので、私がほかのことをしている間においしい食べ物が出来上がっているというのが最高です。あと、天然酵母であるサワードウ(サワー種)のスターターや、野菜や果物を発酵させて作る酵素シロップが発酵しているときに出るぷつぷついう音を子どもと聞くのも、目に見えないお友だちがいる感じで大好きです。

ルバーブの酵素シロップルバーブの酵素シロップ。残った果実は煮詰めてジャムのようにしても◎

いつも作っているものとしては、サワードウのパンは週に一度程度、自分で作ったスターターを使って焼いています。ほかにも納豆は1〜2週間に一度にまとめて作って冷凍したり、野菜の塩水漬けは台所の片隅に瓶を常に置いておいて、野菜の端を入れて時々塩を足したりします。季節のものとしては、年初に普通のお味噌を仕込んで、秋口には冬に使う白味噌を仕込みます。キムチは白菜の旬に、酵素シロップはルバーブなどを使って夏にと、季節感を味わえるのもいいですね。

発酵食品作りには失敗もつきものですが、それも含めて魅力だと思います。サワードウのパンでも、スターターが元気すぎて容器からあふれたり、反対にうまく膨らまず石のようなパンができたり、想像の斜め上を行くパンが焼けて大笑いしたり。発酵食品を作り始めた頃は、神経質に細部にこだわっていましたが、最近では気楽に取り組むのが継続のコツだなと思います!

サワードウのパン発酵してふかふかに膨らんだサワードウのパン

高橋さんお気に入りのレシピ

サワードウのパン

サワードウとは、小麦粉と水を発酵させて作る天然酵母。こちらのレシピは、ドイツでパン作りが趣味という人で知らない人はいない有名ブログ「Plötzblog」を参考にしたものです。ごく基本的で食べやすい白いパンが焼けます。
参考:Plötzblog「Mildes Weizensauerteigbrot」

サワードウのパン

スターターの作り方
材料
50ml
全粒粉. 100g
作り方
  1. まずは5日くらいかけてスターターを作る。清潔な瓶に全粒粉20gと水10mlを加えて混ぜる。混ぜにくければ、ほんの少し水を多くしてもOK。室温で保存する。
  2. 翌日、❶に全粒粉20gと水10mlを加えて混ぜる。この作業を5日くらい繰り返す。3日くらいすると小さな泡が出てきて、5日ほどで大きめの泡が見えるようになれば完成。冷蔵庫で保管する。
パンの焼き方
材料
スターター 60g
245ml
小麦粉(550番の白いもの) 345g
8g
作り方
  1. ボウルにスターターと水45ml、小麦粉45gを入れて混ぜ、3〜6時間室温で置く(残りのスターターには、全粒粉40gと水20mlを入れて混ぜ、一日室温に置いてから冷蔵庫に戻す)。
  2. ❶のボウルに水200ml、小麦粉300g、塩8gを入れて、ひとまとまりになるまで5分ほどこねる。
  3. 次の3時間で、30分ごとに10回ずつくらいこねる。徐々に生地がつるっとして扱いやすくなる。市販のイーストよりもゆっくり発酵するので、時間は正確でなくてもOK。
  4. 発酵かごに小麦粉を振るい、生地を丸めて入れる。発酵かごがない場合は、ザルやボウルにキッチンタオルを敷き、小麦粉を振って代用できる。キッチンタオルを被せて冷蔵庫で12時間以上寝かせる。
  5. 十分寝かせて膨らんでいるのを確認したら、オーブンを200度に予熱する。
  6. オーブンの余熱が終わったら、発酵かごをオーブンシートを敷いた天板にひっくり返し、パンの上部に包丁で切れ目を入れてオーブンの中へ入れる。
  7. オーブンに入れて10分ほど経ったら、オーブンの温度を220度に上げ、さらに30分ほど焼く。途中、焼き色を見ながら焼き時間を調整する。

Heizung納豆

納豆を作るための納豆菌は、「枯草菌こそうきん」と呼ばれる細菌の一種。さまざまな植物にこの枯草菌が付いているため、庭に生えているハーブを使って納豆を作ることができるのです。さらに、ドイツの住宅ではおなじみの暖房機器Heizungを使えば、ほったらかしでおいしい納豆の出来上がり!

納豆

材料
乾燥大豆 1カップ
お好みのハーブ 適量
作り方
  1. 乾燥大豆を一晩浸水する。
  2. 吸水した大豆を圧力鍋で茹でる。圧がかかってから20分弱火で蒸したら、圧を解放する。
  3. お好みのハーブを用意する。枯草菌がなくならないよう、軽く水で流すくらいにしておく。春はネギ、夏はシソ、秋冬はパセリやセージのほか、ローズマリーやパクチーなどでも。分量としては、ネギの青い部分だと10cmを5本くらい、シソだと5〜6枚、パセリだと5〜6枝くらい。
  4. 蒸し上がった大豆とハーブを交互に容器に詰める。容器と蓋の間にふきんやキッチンペーパーを挟み、湿気が程よく逃げ、かつ乾燥しすぎないようにする。
  5. ❺Heizungの上にふきんを敷き、その上に❹を置いて12〜24時間寝かせる。表面が一部白くなり、乾燥して糸を引いていたらOK。
  6. 冷蔵庫で一晩寝かせて出来上がり。ハーブも一緒に食べてOK。多めに作って冷凍し、その都度解凍して食べてもおいしい。
最終更新 Dienstag, 25 Februar 2025 15:06
 

<< 最初 < 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 > 最後 >>
1 / 117 ページ
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


Nippon Express SWISS ドイツ・デュッセルドルフのオートジャパン 車のことなら任せて安心 習い事&スクールガイド

デザイン制作
ウェブ制作