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ロンドンのゲストハウス
So. 17. Nov. 2019

喜怒疲楽のカヌー旅日記 父なるライン川を漕ぐ 吉岡 嶺二カヌー旅マップ

Neckargerach – Heidelberg
2日目 - ハイデルベルクは遠かった

対岸の景色を見て、昔の歌を思い出す

2012年6月28日8時、ネッカーゲラッハ出発。今日の目的地ハイデルベルクには、17時頃までには着くだろうと、この時点では高を括っていた。ネッカー川流域は、かつてはフェリーが行き交う場所で、川縁に立つ看板には、対岸に向けてフェリーが走っていた様子が、図で示されている。だが、今ではその痕跡すら見当たらず、対岸は深い森に包まれている。南西部のシュヴァルツヴァルト(黒い森)に続いているのだろうか。森の奥には今も昔話に出てくる魔法使いや動物たちの世界が広がっているのかも。  

突然、「ハイデルベルクの森には、ベッキョという名の小人が住んでいた。ベッキョ爺さんは飲んで歌って踊りまくった」という歌を思い出した。歌詞はうろ覚えだが、前回も書いた千葉ファルトボートクラブの岩瀬さんが、合同ツーリングの後、宴席で酔うほどに歌っていたのだ。実はこの歌、ブラームスの「大学祝典序曲」に歌詞を付けたもの。私たちが高校生の頃、旺文社 『大学受験講座』のテーマ曲になっていた。

余裕で漕いでいたのだが……

話が脱線したが、黒い森と言っても川幅は広く明るいので、 陰鬱な気分にはならない。2日目ともなれば、パドリングも軽く楽々と回る。西へ北へ、くるくると曲がっていく流れ。その昔は大層な暴れ川だったのだろう。ここ数年、6月下旬から7月下旬にかけて欧州の川を漕いできたが、どこの水面にも黄色の睡蓮が咲き乱れていた。景色は良いのだが、河骨(こうほね)と呼ばれるこの花の名の通り、水中に固い根が広がっているの で、パドルを取られないよう注意が必要だ。また、子連れの白鳥の群れには、特に気を付けなければならない。可愛いなどと思って手を出せば、父親らしき鳥が大きく翼を膨らませて威嚇してくるからな……などと余裕綽々。ハイデルベルクに着いたら、旧市街の対岸に延びる「哲学者の道」を登り、夕暮れの町を眺めた後、大学近くの学生酒場へ行こう。マイヤー・フェルスター の戯曲『アルト・ハイデルベルク』の舞台になったという店を見付けておいた。想いは到着後のことばかりだった。

想定外のハードなコースに苦戦

この日のコースを甘く考えていたことは冒頭にも書いたが、ハイデルベルクは出発地のバート・ヴィンプフェンから70km地点だと早とちりしていた(実際は77km)。ロック(閘門)も全部で6カ所と、数は確認しておいた通りなのだが、後半のロックのスロープの位置がそれまでとは違っていた。ロックの岸側にあるものと思って近付くも、見当たらない。対岸に向かって行ったり来たりと、悪戦苦闘するはめになった。雨が降り出し、風も出てくると、辺りは急に暗くなった。漕ぎ出してからすでに10時間以上が経っていた。

カール・テオドール橋
ハイデルベルクのカール・テオドール橋。
この先、右岸の水くみポンプがある子ども広場を目指して漕ぎに漕いだ

普段漕ぐ機会は、横浜ファルトクラブのツーリングくらい。かれこれ30年も顔ぶれが変わらず、漕ぐよりも民宿で1杯という方が多い旅行クラブで、これほど長時間漕ぐことはなくなっていたので体に応える。出発前に2日間滞在し、記憶していた 終点近くの両岸の山の輪郭は、漕いでも漕いでも現れてこない。それどころか町の明かりさえ見えず、次第に不安が募ってきた。それでも漕ぎ続けると、ようやく左前方にライトアップされたハイデルベルク城が現れた。最後のロックは事前に偵察済みで、スロープの位置も分かっていた。旧市街に架かるカール・テオ ドール橋の下を潜り、22時、へとへとになってテントサイトに着いた。もう町へ出る元気は残っていない。今日は禁酒日だ。  

 

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吉岡 嶺二吉岡 嶺二(よしおか・れいじ)
1938年に旧満州ハルビンに生まれる。早稲田大学卒業後、大日本印刷入社。会社員時代に、週末や夏休みを利用して、カヌーでの日本一周を始める。定年後はカナダ、フランスやイギリスといった欧州でのカヌー旅行を行っている。神奈川県在住。74歳。
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