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ロンドンのゲストハウス
Di. 19. Nov. 2019

喜怒疲楽のカヌー旅日記 父なるライン川を漕ぐ 吉岡 嶺二カヌー旅マップ

プロローグ - 世界の大河の1本くらいは漕いでみたい

ファルトボートの魅力にどっぷり

この夏、ライン川を漕ぎに、ファルトボートを担いでドイツへやって来た。ファルトボートとは、折りたたみ式のカヌーのこと。エスキモーの狩猟具であったカヤックを基に、スポーツ・レジャー用のポータブルボートとしてドイツで考案されたもので ある。日本製のファルトは、1936年のベルリン五輪に参加したボート競技の役員が日本へ持ち帰った艇をモデルに、日本人の体格に合わせて作られた。私がファルトに出会ったのは39歳の時。以来、今日までその魅力にどっぷりと浸かっている。

束の間の休日のために探し当てた趣味

ファルトを始めた当時、私は東京の印刷会社に勤務していた。高度経済成長期の真っ只中に、何か束の間の休日を楽しめるものはないかと探し当てたのがこれだった。自宅近くの鎌倉の海で練習し、翌年から日本一周を開始。ふと、1日中漕ぎ続けたらどこまで行けるのだろうと思い、試してみると、実に30キロも進んだことから、翌月には前回の到達地点から再びスタートするという方法で旅を続けた。会社の休日を利用して距離を継ぎ足し、最終的に23年間掛けて9600キロを漕ぎ終えた。  

もちろん、1男2女の子どもたちとの付き合いが優先だが、彼らも学校の部活動に明け暮れていたから、親の道楽に引きずり込まずに済んだ。最大の理解者は妻。彼女が私をしっかりと支えてくれた。

カナダでロックに出会い、欧州へ

63歳で引退し、たっぷり時間ができると、今度は「世界の大河の1本くらいは漕いでみたい」と思うように。1000キロ以上、シニアのシングル旅だからワイルドではない川、という条件で世界地図の中から選んだのが、米国―カナダ国境を流れるセントローレンス川である。五大湖から北米大陸東端のガスペまで、お節介なほどに親切なカナディアンに助けられ、2夏35日間を楽しんだ。  

オンタリオ湖畔の町キングトンからセントローレンス川
2004 年7 月
オンタリオ湖畔の町キングトンからセントローレンス川に漕ぎ出した
2004年7月

この旅で初めて体験したのが、ロック(閘門・こうもん)。ドイツ語では シュロイゼ(Schleuse)。ロックの中にボートを漕ぎ入れ、クルージングを楽しむ仲間に加わって賑やかに下ることができた。それで翌年、ロックの本場である欧州の川を漕いでみようとパリへ向かう。セーヌ川を下り、ベルギー、オランダと運河を辿ってアムステルダムに着いた。次いでパリからリヨンへ。この旅では、前年に知り合ったベルギー人のパドラーが、途中のブルゴーニュ運河8日間の旅に同行してくれた。彼の奥さんが車で伴走してくれたのも嬉しかった。そして3年目は、リヨンから ローヌ川を下って地中海へ。コート・ダジュールの青い水に染まってマルセイユに着き、欧州縦断の旅を終えた。  

この後は、ドーバー海峡を渡ってロンドンへ。と言っても、これはフェリーに乗ってである。テムズ川の偵察が目的だったが、現地ではテムズよりも運河の方が良いと勧められた。英国には、 産業革命時代に掘削された運河網が発達している。大陸の河川のような産業水路ではなく、ナローボートが航行するレジャー専用水路なので安心だ。アドバイスしてくれたのは、英国ニュー スダイジェストの編集部に紹介されたナローボートのオーナー。お陰で翌年、ロンドン―バーミンガム―ストラトフォード・オン・エイボンの運河を漕ぎ、英国流スローライフを存分に味わうこ とができた。  

次に目指したのはドイツ。当初は2011年に行くつもりだったが、日本が大震災に見舞われ、とても出掛ける気分にはなれずに予定を変更。明けて本年6月25日に成田を発ち、いよいよ新たな旅が始まった。

 

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吉岡 嶺二吉岡 嶺二(よしおか・れいじ)
1938年に旧満州ハルビンに生まれる。早稲田大学卒業後、大日本印刷入社。会社員時代に、週末や夏休みを利用して、カヌーでの日本一周を始める。定年後はカナダ、フランスやイギリスといった欧州でのカヌー旅行を行っている。神奈川県在住。74歳。
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