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ビールの王座を奪ったピルゼン

ビール好きにとっての聖地と呼ばれる場所はいくつかありますが、その1つにチェコのピルゼン(プルゼニ)という街があります。現在、世界で飲まれているビールの80%を占め、ビールの代名詞とも言えるピルスナービールは、ここで誕生しました。ピルスナーはドイツ生まれと思っている方も多いのでは? 実は、ピルゼンでバイエルンの醸造家が造ったビールが、ピルスナーの始まりなのです。

ピルゼンのあるボヘミア地方は、ホップの名産地として知られ、13世紀頃から市民によるビール造りが始まりました。ところが、その頃のビールの味はひどいもので、政府から度々ビール廃棄命令が出るほどでした。そこでピルゼンの醸造家たちは、ラガータイプのビールで成功していたミュンヘンの醸造技術を学ぶべく、1842年に市民醸造所を建て、バイエルンの田舎町出身の醸造家ヨーゼフ・グロルをピルゼンに招きました。グロルは早速、ピルゼンにある材料を使ってビールを醸造します。

同年10月4日、初めてその飲み口が開栓されたとき、その場にいたすべての者が驚きの声を上げます。本場ミュンヘンと同じ褐色のビールが出てくるかと思いきや、流れ出てきたのは黄金色に透き通る美しいビールだったのです。白く力強い泡とすっきりとしたキレのある味わい。その理由は、ミュンヘンの水が濃色ビールを造るのに適した、重炭酸塩を多く含む硬水であるのに対し、ピルゼンの水は淡色ビールに適した軟水だったためです。無論、この頃はビールに適した水の硬度など知る由もありませんから、土地が生んだ偶然の産物です。こうして誕生したピルスナーは、11月11日の聖マルティン祭で市民にお披露目され、瞬く間にヨーロッパ中に広まりました。

ピルスナービールが生まれたピルスナーウルケル醸造所。ウルケルとは元祖という意味
ピルスナービールが生まれたピルスナーウルケル醸造所。
ウルケルとは元祖という意味

ピルスナーの人気に拍車を掛けたのは、ガラス容器の普及です。ボヘミア地方は元々ガラス工芸が盛んでしたし、英国でかけられていたガラス税が1845年に撤廃されると、透明なガラス製の容器が安価で市場に出回るようになります。ビールの容器がこれまでの陶器からガラス製になると、人々はビールの外観にも注目し始めました。ダークな色合いで濁ったビールよりも、ピルスナーの黄金色の液体と純白の泡が持てはやされるようになったのです。

そうなると、黙っていられないのが生みの親であるミュンヘンです。プライドを殴り捨て自らも淡色ビールの製造に乗り出し、1890年代末にミュンヘンのシュパーテン醸造所とパウラーナー醸造所が相次いで完成させます。ミュンヘンからすると、自分たちの技術で自分たちの仲間が造ったビールなのに、御株を奪われたようなものです。ビールの王者とも言えるビールに自分の街の名前を付けられなかったミュンヘンの人たちは、さぞかし悔しかったでしょうね。

ところで、生みの親グロルはその後どうなったと思いますか? なんでも素行が悪かったため、ピルスナーを造った3年後に帰国させられたそうです。

最終更新 Freitag, 11 November 2011 13:48  
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