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ドイツゼクト物語 - シャンパンとの接点を探して 岩本順子

22. ドイツ・ゼクトのパイオニアたち

Deutsche Sekt-Geschichte

「ケスラー・ゼクト」の社史を調べるうちに、同社の創業年である1826年以前にも、あちこちでゼクトが造られていたことが分かった。最古のゼクトは1783年に造られたと伝えられている。最古の醸造所は1824年創業の「W.F.ブルガー&ゾーン」だった

ドイツで初めてゼクトが造られたのは、1783年だったといわれる。この年トリーアの新聞が、泡立つボトル入りのラインワインについて言及しているそうだ。1780年代後半には、フランス人醸造家がバーデン辺境伯のためにゼクトを造っていたとの言い伝えがある。1790年にはマインツ選帝侯フリードリヒ・カール・ヨーゼフ・フォン・エアタール男爵が、舞踏会でドイツ産ゼクトを味わったことが分かっている。当時のマインツ市長による記録が残っているのだ。

このゼクトを醸造したのは、選帝侯醸造所のケラーマイスター、ペーター・ギンベルという人物だった。ギンベルはフランスの親戚を訪問した際、シャンパンに魅了され、ドイツに戻ってから試行錯誤を重ね、泡立つワインを造った。マインツはこの2年後の1792年にフランスに制圧されるが、そのような状況下でゼクトは広まっていった。

1824年にはザーレ地方ナウムブルクに、ワイン商を兼ねるゼクト醸造所「W.F. ブルガー&ゾーン」が創業した。同社は12世紀に造られた伝統ある修道院のセラーでゼクトを醸造していたが、19世紀末にブドウの大敵である害虫フィロキセラの被害を被り、生産を断念。第二次世界大戦後は、同じ場所でリンゴ果汁が生産されていたが、こちらはドイツ再統一の際に廃業した。その後まもなく、ドレスデン出身の自動車技師アンドレアス・キルヒが、廃墟となっていた醸造所の復興を計画。2000年に醸造家ハルトムート・ドゥフロウと共同で、ナウムブルガー・ワイン・ウント・ゼクトマニュファクチュアを興した。同醸造所は現在もワインとゼクトを生産している。

1826年には「ケスラー・ゼクト」以外にもゼクト醸造所が創業していた。企業家仲間だったフリードリヒ=アウグスト・グレンプラー、カール=サムエル・ホイスラー、フリードリヒ=ゴットローブ・フォルスターの3人が共同で興した「グリューンベルガー・ゼクト」だ。グリューンベルクは今日ではポーランドの街となっているジェロナ・グラである。グレンプラーは1828年に独立し、自らの醸造所「グレンプラー&Co.A.G.」を興した人物だ。グリューンベルガー・ゼクトはケスラー・ゼクト同様に成功を収め、「エペルネ」「ヴェルゼネ」などシャンパーニュ地方の地名をブランド名としたゼクトをリリースし話題をさらった。1855年のパリ万博、1862年のロンドン万博、1873年のウィーン万博でも高く評価されたという。フランス製品が入手困難になったナチス時代まで繁栄したが、1944年に廃業した。

ゼクトを生み出す瓶の中の酵母。働きを終えた酵母は、瓶の口に集められ、取り除かれるゼクトを生み出す瓶の中の酵母。働きを終えた酵母は、瓶の口に集められ、取り除かれる

 
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岩本順子(いわもとじゅんこ) 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。www.junkoiwamoto.com
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