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ドイツゼクト物語 - シャンパンとの接点を探して 岩本順子

1. シャンパーニュに移動したドイツ人たち

Deutsche Sekt-Geschichte

ドイツのスパークリングワイン「ゼクト」の歴史はシャンパンの歴史とつながっている。かつてドイツ人はシャンパンの発展に貢献し、今やフランス人がドイツでゼクトを造る時代となった。連載では2つのワインの交流史の片りんをドイツ側からたどる。

ゼクトが好きで、昨年から時間を見つけては取材に飛び回っている。伝統あるゼクト醸造所を訪れると、必ずゼクトとシャンパンの交流史が話題となり、シャンパーニュのドイツ系メゾンを訪れるとドイツとの関係史が語られることがある。ドイツ系シャンパン・メゾンがドイツで試飲会を行うとき、自社名をドイツ式に発音することもしばしばだ。

フランス革命期と前後して、ドイツの商人らが次々にガストアルバイターとしてフランスへ渡った。商才に長け、複数の言語を駆使することができた彼らは、輸出に積極的なメゾンでは重宝され、やがて自らメゾンを立ち上げる人物が現れるようになる。シャンパン・メゾンにドイツ系が多いのはそのためだ。

例えば、ギュータースロー近郊出身のフロレンツ=ルートヴィヒ・ハイドジーク(Heidsieck)の姓はフランス風に読むとエドシック。1777年にランスに居を定め、1785年にシャンパン・メゾンを設立した。現存する3つのメゾン「パイパー・エドシック」「シャルル・エドシック」そして「エドシック・モノポール」の基礎を築いたのが彼だ。

エルヴァンゲン出身のヨーゼフ=ヤコブ・ボリンガー(Bollinger)の姓はフランス語読みでボランジェ。彼は1829年に二人の仲間とともにアイ村にメゾン「ボランジェ」を設立した。

共にアーヘン出身のヴィルヘルム・ドイツ(Deutz)とペーター=ヨゼフ=フベルト・ゲルダーマン(Geldermann)の二人は、「ボランジェ」で働いた後、1838年に同じくアイ村にメゾン「ドゥーツ&ジェルダーマン」を創業。現在は2社に分かれ「ドゥーツ」はアイ村で、「ゲルダーマン」はドイツのブライザッハ市でそれぞれ営業している。

シャンパンの帝王とも呼ばれる「クリュッグ(Krug)」も、マインツ出身のヨハン=ヨゼフ・クルッグが1843年に創業したシャンパンメゾンだ。このほか、G.H.マム(Mumm)も、ケルンを拠点とするワイン商、ムム家が興したメゾンである。

当時は、ランスに在住していた米国領事が「ドイツ人が関わらないシャンパンメゾンはほとんど存在しなかった」と述べているほど大勢のドイツ人がシャンパーニュで働いていた。そのうちの幾人かはフランスに帰化し、幾人かはやがて母国ドイツに戻って、ゼクトの発展に寄与することになる。

ドゥーツアイ村のメゾン「ドゥーツ」。ホールには「ドゥーツ&ジェルダーマン」時代のドイツ語の資料が展示してあった

 
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岩本順子(いわもとじゅんこ) 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。www.junkoiwamoto.com
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