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Sa. 19. Okt. 2019

ワーグナーとノイシュヴァンシュタイン城

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今年は、ワーグナーの生誕200周年である。音楽に詳しくない人でも、「ワルキューレの騎行(Walkürenritt)」を聴けば、「聴いたことがある曲だ」と思われることだろう。ワーグナーはドイツで最も有名な城、ノイシュヴァンシュタイン城と密接な関係がある。ワーグナーと城の主あるじルートヴィヒ2世。19世紀に織り成された歴史の中の人間模様とは。

ワーグナーの招へい

1864年、ウィーンに滞在中のワーグナーの元に遣いが届いた。遣いを出したのはルートヴィヒ2世、バイエルン国王であった。ドレスデンで「リエンツィ」の公演に成功して名声を博したワーグナーは、ザクセン王国の宮廷楽団の指揮者の地位を得ていた。ところが、ドイツ3月革命に参加し、その革命が失敗に終わったために、ザクセン王国から追われる身に……。亡命先のスイスで、女性問題を起こし各地を転々とした後、王の遣いが届いたのは、ワーグナーが金銭問題で債権者から逃れ、ウィーンに居た時のことであった。

国王はワーグナーに心酔していた。16歳の皇太子時代に観たオペラ「ローエングリン」は、彼に生涯忘れられない衝撃を与えた。父マクシミリアン2世の突然の死去に伴い、ルートヴィヒ2世は大学の学業も半ばに18歳で王位に就く。ワーグナーの招へいは、その矢先の出来事であった。

バイエルン国王ルートヴィヒ2世

パトロンを得たワーグナーはミュンヘンに滞在するが、ワーグナーの傲慢な性格や政治への口出しが不評を買い、わずか1年でミュンヘンを離れなければならなかった。そのことは国王の心に、民衆に対する失望を生むことになる。

王の理想とする政治は、神の信託を受けた絶対君主制であった。しかし、時代は19世紀。立憲君主制の下、王の権限は憲法で定められた範囲内というのが現実だった。

1866年に勃発した普墺戦争でオーストリア側についたバイエルンは敗北。さらに翌年には婚約とその婚約の破棄(王は同性愛者だったと言われている)と、公私にわたり問題に直面した王は、人嫌いになり、深く思いに沈むようになった。1868年にはノイシュヴァンシュタイン城の最初のプランが提出され、1869年に定礎式が行われた。

城が築かれた理由

1870年の普仏戦争、プロイセンのドイツ皇帝戴冠によって、バイエルン王国とその国王の地位はルートヴィヒ2世の理想からますます離れていく。長年続いた政治的駆け引きや個人への攻撃は、王の気持ちをより一層暗くし、人々に対する嫌悪は増していった。

世界は彼に優しくなかった。だからこそ、彼は自分の世界を築くことに没頭する。絶対君主制の下、王権の偉大さを表すために建てられたヴェルサイユ宮殿に対し、ノイシュヴァンシュタイン城は、王自身の魂の救済のために建てられた「理想の世界」であった。ノイシュヴァンシュタイン城には、ゲルマン神話の名シーンがいたるところに描かれている。それは、ワーグナーのオペラの題材と共通するもので、王がワーグナーのオペラの影響を受けて、この騎士の城の建設を思いついただろうことは、想像に難くない。

蜜月の終焉

ルートヴィヒ2世が1868年にミュンヘンで「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の初演を鑑賞した後、彼とワーグナーの関係は悪化していく。ワーグナーがその弟子フォン・ビューローの妻コジマと不倫関係にあることを知った王が、ワーグナーに対して幻滅したからだ。しかしその後、ワーグナーがこの世を去るまで、ルートヴィヒ2世はワーグナーのパトロンであり続けた。2人がやりとりした書簡は700通以上にもなるという。

音楽好きな方には、国王や政治家というより、ワーグナーのパトロンとして知られるルートヴィヒ2世。彼のサポートの下で浪費癖のあるワーグナーが経済的な憂慮もなく、自身の才能をいかんなく発揮できたことは明らかである。ドイツの有名な音楽家と観光スポット、その2つに密接に関係があったことは、歴史の面白さである。

ノイシュヴァンシュタイン城
シュヴァンガウのコロマン通り(Colomanstraße)からの眺め。
天気の良い日にはノイシュヴァンシュタイン城がはるか遠くから眺められる。
有名なマリエン橋の丁度反対側にあたる。
残念ながら公共交通機関はここを通らないが、
マイカーでのドライブの際にはお勧めしたいスポットだ。

入れ替わった2つの城の名前

ノイシュヴァンシュタイン城は、廃墟となっていた城跡の上に建てられた。その城跡は、中世に建てられた2つ小さな城のものであり、14世紀には前ホーエンシュヴァンガウ(Vorderhohenschwangau)と後ホーエンシュヴァンガウ(Hinterhohenschwangau)と呼ばれていた。その跡地に建てられた城は、ルートヴィヒ2世の死後、「ノイシュヴァンシュタイン城」と名付けられたが、同時に、それまでシュヴァンシュタイン城と呼ばれていた麓の城は「ホーエンシュヴァンガウ城」と呼ばれるようになった。2つの近接する城の名前が入れ替わったのだ。

ノイシュヴァンシュタイン城の見学

ミュンヘンからなら、公共の交通機関を使って日帰りでノイシュヴァンシュタイン城の見学ができる。最寄りの鉄道駅はフュッセン(Füssen)。駅に到着するとバスが目の前で待っているので、迷うことなくホーエンシュヴァンガウ村に着くことができる。バスが村に向かう途中、前方にホーエンシュヴァンガウ城が一瞬見えるのでお見逃しなく。バスは1時間に2本ほどしかないので、帰りのバスの時間を必ず確認しておこう。

城の麓にあるチケット売り場で入場チケットを購入する。そこから、山の上にある城へ行くのに時間が掛かるので、チケットの発券は1時間前までとなっている。城内にはゲルマン神話をモチーフとした絵が沢山描かれているので、あらかじめゲルマン神話のあらすじをチェックしてから行くと、より楽しめるだろう。

ホーエンシュヴァンガウ城

時間があるなら、麓に建つホーエンシュヴァンガウ城にも足を延ばしていただきたい。ルートヴィヒ2世が幼少期を過ごした城である。厳密に言うと、彼とその弟の幼少期の部屋は別館にある。だが、食事時に家族と一緒に過ごしたであろう部屋には、中世の騎士伝説をモチーフにした絵が壁一面に描かれている。

ここには、王がノイシュヴァンシュタイン城の工事の進捗を確認したという望遠鏡が、城の方を向いて展示されており、まるで直前まで王がいたかのような雰囲気を味わえる。

用語解説

後援者
Förderer/in

スポンサー、サポーターとも言う。パトロンは、ラテン語のパトロヌス(patronus)に由来している。バイロイト音楽祭の開催場所として有名な祝祭劇場(Richard Wagner Festspielhaus)は、ワーグナーが自身のオペラを上演するための劇場として設計し、ルートヴィヒ2世の経済的支援の下に建てられた。その前にはミュンヘンにオペラハウスを建設する計画があったが、市民の反対により却下された。

<参考文献とURL>
■ Bayreuth 2013 : wagnerstadt.de
wikipedia.org "Richard Wagner"
■ Schwangau: schwangau.de
■ LudwigⅡKönig von Bayern (Wolfgang Till, 2010)
■ ノイシュヴァンシュタイン、リンダーホーフ、ヘレンキームゼー(Klaus Kienberger, 2011)

藤田さおり(ふじた・さおり) 法政大学経営学部経営学科卒業。ニュルンベルク在住。スイスの日本人向け会報誌にて、PCコラムを執筆中。日本とドイツの文化の橋渡し役を夢見て邁進中ですが、目下の目標は、ドイツの乳製品でお腹を壊さないようになること。
 
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