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ドイツ“統一”の日

10月3日に24回目のドイツ統一記念日(Tag der Deutschen Einheit)を迎えたドイツ。テレビのニュースなどで、ベルリンで行われた式典の様子を観たという人もいるだろう。この“統一”という言葉には、旧西ドイツでドイツ連邦共和国が、旧東ドイツでドイツ民主共和国が成立して以降の様々な事情が込められている。今回は、ドイツの分裂から統一、その後のあらゆる問題について紐解いてみたい。

ドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国の誕生

第2次世界大戦後のドイツは、米、英、仏、ソ(旧ソビエト連邦共和国、以下ソ連)による暫定統治地域となった。ソ連占領地域における土地改革や、その後の西側(米、英、仏)と東側(ソ連)における通貨改革を通して、両者の溝は決定的になっていく。

第2次世界大戦におけるドイツの降伏からちょうど4年目の1949年5月8日、西側のボン議会評議会はドイツ基本法を可決し、9月にはドイツ連邦共和国が誕生した。一方、東側はドイツ連邦共和国の建国がドイツの分断を決定的にしたと非難し、同年10月にドイツ民主共和国を建国した。

“統一”という目標

東西両国の建国直後にも統一の話し合いが試みられたが、互いに妥協せず、実現には至らなかった。“統一”が両国にとっていかに重要であったかについては、両国の憲法にも表れており、西ドイツでは、東西ドイツ統一を想定した、あくまで暫定的な法であるとして、憲法ではなく基本法と称された。その基本法の前文では、ドイツの統一が最高目標に掲げられている。また、東ドイツの憲法においても、ドイツは分割されない民主的共和国であるとされた。

現在のドイツ連邦共和国基本法(Grundgesetz für die Bundesrepublik Deutschland)は、西ドイツにおいて制定された基本法を基に、いくつかの条文を改正した後、そのまま統一ドイツの実質の憲法として効力を有しているため、“基本法”のままなのだ。

統一のコスト

東欧の社会主義諸国の中で最も発展し、「優等生」と呼ばれていた東ドイツの吸収について、統一前、西ドイツはかなり楽観的な未来像を描いていた。1990~94年の間、東側の復興のために連邦と州が拠出した「ドイツ統一基金(Fonds Deutsche Einheit)」は総額822億ユーロに上った。しかし、基金が終了した後も東側の復興は十分成されたとは言えず、95年からは連帯税が再導入された。これは91年に1年間の期限付きで導入されたもので、当初は所得税や法人税の7.5%だったが、98年からは5.5%となった。しかし、近頃の東西格差の減少を受けて、2019年に連帯税は廃止されることが決まっている。

現在、旧東側地域の失業率は10.3%。旧西側の失業率と比べると2倍近い開きがあるものの、90年半ばに旧東側地域の就労者の3分の1が失業していたことを考えると、かなり低い数値である。

州間財政調整制度への影響

東西ドイツの分断とその後のドイツ統一は、財政力の強い州が弱い州に対して支援金を拠出することを定めた州間財政調整制度へも影響を与えている。経済力が強い西側の3州(バイエルン州、ヘッセン州、バーデン=ヴュルテンベルク州)が拠出州となっているのに対し、旧東側の州はすべて受給州である。最多の拠出額を負担しているバイエルン州が2013年に拠出した暫定金額は43億ユーロで、総額85億ユーロのおよそ半分を占める。

一方、最も多く支援を得ているベルリン市(州と同格)の受給額は33億ユーロに上る。バイエルン州は1989~2013年の間に計460億ユーロを拠出した。現行の州間財政調整制度も連帯税と同じく、19年まで実施される予定だが、近年、拠出州の負担がますます増大しつつあるため、昨年、バイエルン州とヘッセン州がこの制度は違憲であるとして連邦憲法裁判所に提訴した。憲法裁の判決は早ければ今年中に出されるという。

2013年, 州間財政調整制度比較

現在に残る旧東ドイツ

国内の30歳以下の若者の3分の2は、ベルリンの壁の建設日を答えられないという記事を読んで驚いた。しかし、彼らにとって東西ドイツの分裂は、実際に経験したものではなく、学校で習った歴史であることを考えれば、仕方ないのかもしれない。

今はもう存在しない、東ドイツの生活を垣間見ることができる場所がある。ベルリンにあるDDR博物館だ。ベルリン大聖堂からシュプレー川を挟んだ向かいの土手に面した博物館の入り口から先は、まるで1980年代にタイムスリップしたかのような気分になる。館内には東ドイツを代表する乗用車「トラバント」をはじめ、東ドイツ製品の展示やシュタージの諜報活動を再現するブースなどがある。

中でも必見なのは、住居の内部を再現したコーナーだ。水道の蛇口はプラスチックでできており、キッチンの引き出しを開けてみると、子どもが使うおもちゃのようなスプーンやフォークが入っていることに驚く。社会主義時代の東ドイツは深刻な金属不足に悩まされていたため、「トラバント」も車体は金属ではなく特殊プラスチックでできていた。

実際にリビングのソファに座って、テレビから流れる録画映像(DDRのニュース)を観ていると、当時の東ドイツの人々の生活に思いを馳せることができる。

リビングを再現
当時のリビングを再現したDDR博物館内の展示

DDR Museum
Karl-Liebknecht-Str. 1
10178 Berlin
www.ddr-museum.de

用語解説

ハルシュタイン原則
Hallstein-Doktrin

旧西ドイツが1955~69年に掲げた外交政策で、当時の西ドイツの政治家の名前に因む。旧東ドイツと国交を持つ国(ソ連以外)とは国交を断絶した。その意図は、旧東ドイツを外交的に孤立させることであった。ヴィリー・ブラント首相の「東方外交」により、67年にはルーマニアと、68年にはユーゴスラビアと国交が結ばれ、ハルシュタイン原則は破棄された。

<参考>
www.bpb.de "Deutsche Teilung - Deutsche Einheit"
www.haushaltssteuerung.de "Fonds Deutsche Einheit"
www.Bundesministerium.de / Bundesministerium der Finanzen (BMF)
www.tagesspiegel.de "Berlin vergisst sich selbst - und das ist schlecht so" (13.08.2014)
■『現代ドイツ史入門』ヴェルナー・マーザー(20.03.1995, 講談社現代新書)
■『図説ドイツの歴史』石田勇治(30.10.2007, 河出書房新社)

藤田さおり(ふじた・さおり) 法政大学経営学部経営学科卒業。スイス、ドイツ在住。日本で独大手自動車メーカーのマーケティング部に従事。その後、スイスにてマーケティングや通訳をベースとしたコンサルティング会社を設立する。ビジネス経験から、日本や海外駐在のビジネスマンにも分かりやすい記事を目指している。Facebook: funi.swiss
最終更新 Mittwoch, 03 Oktober 2018 12:23  
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