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Oliver Was­ser­mann
So. 22. Sep. 2019
Sergio Gil Horbenko 

ブラジル音楽の真髄を伝える
ミュージシャン

ブラジルの優れた音楽を
ドイツに紹介するためなら、何でもしたい

今回の仕事人
Sergio Gil Horbenko 
セルジオ=ジル・ホルベンコ

ポルトガル人の父とウクライナ系ロシア人の母の血を引くドイツ生まれ、ブラジル育ちのミュージシャン(41)。1991年からハンブルクを拠点にDJ(DJ名はSergio BR)、パーカッショニストとして演奏活動を行っているほか、ブラジルのミュージシャンのドイツ公演をサポートする事務所「Gafieira Universal」を運営。

初めてセルジオ=ジル・ホルベンコに出会ったのは、2005年。彼が友人と設立した「Saideira Club(サイデイラ・クラブ)」でのこと。ハンブルク初のブラジル音楽専門のクラブで、今はもう取り壊されて存在しないザンクト・パウリ地区のデパート、旧C&A内にあった。私が聴いたのは、パライバ州のミュージシャンによるセッション。幅広い客層が印象的で、演奏後はミュージシャンも聴衆も一緒になって談笑。それまで抱いていたクラブのイメージが覆された夜だった。

ドイツ生まれのブラジル人

セルジオの両親の拠点はドイツで、彼はハンブルク生まれだが、父の転勤で1歳の時にリオ・デ・ジャネイロに引っ越し、21歳までをそこで過ごした。「僕はドイツの病院を借りて生まれたブラジル人なんだ(笑)」。ドイツ国籍は持っていない。  

ブラジル人は根っからの音楽好き。ブラジル育ちの彼も、特有のリズム感と音楽的感性を自然に身に付けた。また、幼少時からクラシック音楽に親しみ、フルートを習った。14歳の頃まで、同国は軍事独裁政権の支配下にあり、日々テレビやラジオで音楽放送が検閲されるのを目の当たりにしていた。リオの高校を卒業するや、音楽で身を立てることを決意するが、家族は大反対。ホテルで働きながら、クラブやディスコに通って細々とDJ活動を始め、それ以外の時間はギターやパーカッションの練習に専念した。

その後、両親が離婚。母親がハンブルクに職を得て、弟たちと一緒に渡独した。セルジオはしばらく父母の間を行き来していたが、父親が亡くなり、21歳で母親たちのいるハンブルクに戻ることを決意。「弟たちのドイツへの適応は早かったけれど、僕にとって移住はとても辛かった」。そうセルジオは言う。

DJとしての駆け出し時代

エルザ・ソアレス(75)と共演
エルザ・ソアレス(75)と共演。エルザはサンバを中心に、
ボサノヴァやMPB(ブラジルのポピュラー音楽)など
幅広く歌う名シンガー

ハンブルクでは飲食業に従事し、独学でパーカッションを続けた。この街にはブラジル人ミュージシャンが多く、セルジオもやがてほかのプロ、アマチュアのミュージシャンらと演奏する機会を得る。しかし彼が音楽的キャリアをスタートさせたのは、DJとしてだった。

「DJの仕事は奥が深い。明確なコンセプトを持ち、それを上手く伝える努力をしなければならないし、ミュージシャンを知り尽くし、彼らのディスコグラフィーに通じている必要もある。さらに、ダンスフロ ア全体を見回し、聴衆が曲にノッているかどうかを見極めることも大事」。それに気付いてからは、音楽関連の書物をむさぼり読み、あらゆる音楽を聞きまくった。「DJに必要なものはまず知識。技術は二の次」。

ドイツのクラブシーンには「ブラジルはサンバの国」という先入観がある上、サンバも表面的にしか理解されていない。「僕は、ブラジルに無数のすばらしい音楽があることを知ってもらいたかった。そこで、ファンクやヒップホップなどに伝えたいブラジルの曲やリズムを織り込み、僕らしいアクセントを付けてどんどんメッセージを発信していった。すると、ドイツ人も『このDJは音楽を通じて対話しようとしている』と感じてくれるようになり、先入観も少しずつ消えていった」。しかしDJを続けるうちに、今度はパーカッションを極めたいという想いが強くなる。

プロのパーカッショニストへの道のり

飲食業と音楽を並行して続けることが辛くなり、自分の時間を100%音楽に費やしてプロのミュージシャンになりたいという気持ちが頂点に達したのが2000年頃。その後セルジオは音楽活動に専念することを決める。厳しい選択だった。この頃、DJからパーカッショニストへと少しずつシフトし、練習に明け暮れた。「パーカッションは音楽の骨格。本気でパーカッションをやるなら、ほかの楽器と同様、必死でやるしかない。僕はパーカッショニストとしては出遅れていたから、追い付こうと必死だった」と当時を振り返る。  

2005年に立ち上げたサイデイラ・クラブは、カポエイラを通して知り合ったドイツ人の友人と共同で始め、毎月イベントを行いながら2007年まで続いた。そして2009年からの2年間は、「defdrums」というハンブルクのドラムスクールに通って基礎をみっちり学んだ。教師はクリストフ・ブーゼら現役のドラマーたち。「驚いたのは、ボサノヴァが教科書の上級編の最後に登場すること。通い始めた頃、先生に『何か得意なものを叩いてごらん』と言われ、ボサノヴァをやったら、『どうすれば君みたいに叩けるんだい』って逆に教えを乞われてしまった。でも、ドイツ人のドラムテクニックは完璧。学校では本当に多くのことを学んだよ」。

ブラジルとドイツ、人と人とを音楽で繋ぐ

セルジオは現在、パーカッショニストとしてStéreo Mangangáをはじめとする複数のバンドに参加している。「僕は、今やっとプロの端くれになれたと思う。プロは、どんなバンドとでも組める柔軟さと自分らしさを持ち合わせていないといけない。」。彼いわく、プロとアマの違いは練習量だそうだ。「音楽もサッカーと同じで、何カ月も練習を怠ったらもうプロとは言えないし、現状に満足していちゃだめなんだ」。  

2007年に設立した「Gafieira Universal(ガフィエイラ・ユニバーサル)」も軌道に乗り始めた。形態はBanda da Gafieiraというバンド活動だが、ブラジルのミュージシャンが来独する際のコンサートのコーディネートからバックバンドまで、すべてをサポートするビジネス。最初の大きな仕事はNatiruts(ナチルッツ)という人気レゲエバンドのコンサートで、ハンブルクの老舗ホール「Fabrik(ファブリック)」で開催した。以後セルジオはファブリックのブラジル音楽エージェントとして、エルザ・ソアレス、ルイス・メロディアといったビッグアーティストのコンサートを実現している。  

「ブラジルの優れた音楽をドイツに紹介するためなら何でもやるつもり。僕にはドイツ人のメンタリティーが理解できるから、絶対にもっと役に立てるはず」。そうセルジオは確信している。

Gafieira Universal
Sergio Gil Horbenko
Düppelstr.15, 22769 Hamburg
www.gafieirauniversal.com

 
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岩本順子(いわもとじゅんこ) 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。www.junkoiwamoto.com
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