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ロンドンのゲストハウス
Do. 17. Okt. 2019
Thomas Sannmann
トーマス・ザンマン氏とステファニー夫人

次世代に残したい
ビオの農園

自分の子どもたちのために安心して
食べられる野菜を作らなければ、 と思ったんだ

今回の仕事人
Thomas Sannmann
トーマス・ザンマン

ビオ農園主、ゲルテナライマイスター。ハンブルク・オクセンヴェルダーの農園の9代目。1985年に実家の農園を継ぎ、ビオ農法に転換。 86年からはビオディナミ農法を実践し始め、92年にビオディナミ農法 の組織、デメターの正会員に。同年より野菜、果物、ビオ食品の宅配業 も開始。農園ではハーブ、葉野菜、トマトなどを中心に栽培している。

ハンブルク南東部にあるオクセンヴェルダー地区は、昔から同市に供給する野菜と花卉(かき)の栽培地域だった。ザンマン家は、当地で200年以上も前から野菜を作って来た伝統ある農家。その9代目のトー マス・ザンマン(54)を訪ねた。

廃墟からの出発

ザンマン家の農園は第2次世界大戦中に連合軍の空襲に遭い、敷地内に25発もの小型爆弾を落とされたという。家屋は辛うじて災禍を免れたが、戦後まもなく火事で全焼してしまった。農家は存続の危機に見舞われたが、祖父母の尽力で再建することができた。働き者の祖父母を見ながら育った父は当然のように農園を継ぎ、トーマスも子どもながらに、いずれは農園を継ぐことになるだろうと思っていたという。「当時はキャベツやセロリ、ごぼうなどを栽培していた。野菜の種は自家採種で確保し、畑作業には馬を動員し、牛糞を堆肥にしていたよ」。祖父の時代の農園は、後にトーマスが目指すことになる理想の姿だった。

父の代に起こった農業の大転換期

トーマスの父親が実家を継いでまもなく、ザンマン家の農業は新しい局面を迎える。父はパセリや当時流行し始めていた大根、ほうれん草、ノヂシャ(Feldsalat)などの栽培を順調に進めていたが、同時期に人工肥料や化学農薬も続々と登場していた。「父は当初、化学農薬などの導入をためらっていたけれど、試供品が無料配布されたり、周囲の農家が一斉に使い始めたりしたので、その流れに逆らえなくなってしまったんだ」。やがて農園は、人工肥料や化学農薬なしにはやっていけない状況になってしまう。

ビオディナミへの挑戦

トーマスはレアルシューレ(実科学校)卒業後、グリュックシュタットの農園で実習生として働いた。マイスターの大らかな人柄に惹かれ、野菜作りの仕事が大好きになった。その後、実家で3年間ゲゼレ(見習い)として働き、夜間のマイスターシューレに通ってゲルテナライ(園芸)マイスターの資格を取得した。

「1985年に実家を継ぐ段になって、これからの農業はビオでなければならないと考えた。まだ幼かった自分の子どもたちのために、安心して食べられる野菜を作らなければと思ったんだ」。それは自分の中から自然に出て来た声だった。父親にそのことを話すと、ビオで収穫を安定させることはとても難しいからやめた方が良いと言われる。そんな父を説得しつつ、試験的に畑の片隅でビオ農法を始めた。

その頃トーマスは、ビオディナミ生産者団体デメター(Demeter)の短期入門講座を受講した。ヴォルフガング・シャウマンをはじめとする一流の講師陣で、シュタイナーの農業講座に関する講義もあった。ただ、この講座に参加した時点では疑問も多く、実践する覚悟はできていなかったという。

しかし、北ドイツ地域にデメター会員農家のサークルがあり、お互いにサポートし合う態勢が整っていることを知り、「仲間がいるなら」と、1986年から一部の畑でビオディナミ農法を導入した。化学肥料や化学農薬は一切使わず、牛糞を入手して堆肥(コンポスト)にした。当初、ビオディナミへの転換に反対だった父も、その頃には息子を応援してくれるようになった。「父は、祖父の時代の農業が実際にどのように行われていたかを知っている。その知識がとても役に立ったんだよ」。

きゅうりの様子を見るマックスさん
キュウリの蔓を結わえる作業

ビオディナミの効果

ビオディナミへの転換期間中、最初に取り組んだのが野菜くずなどを利用した堆肥(コンポスト)作りだった。それを撒いた畑では、明らかに野菜の成長状態が改善された。もちろん失敗もあった。例えば、パプリカ畑がシラミの被害に遭い、収穫できなくなったことがあった。一方で、てんとう虫がたくさん来るようになり、 畑にミミズが増え、土が徐々に理想的な状態に戻り、生態系のバランスが取れるように。顧客の反応にも勇気付けられた。「野菜の味や質が良くなったと言われるようになったんだ。僕たちもそう感じていたけれど、顧客の言葉はとても励みになった」と言う。

1992年にようやくすべての所有畑でビオディナミ農法を実践できるようになり、デメターから正式に会員認可を得た。それと同時に放牧場を借り、牛糞を得るためだけに牛を飼って、牛糞のコンポストも自分たちで作り始めた。

デメターではプレパラートと呼ばれる、野草などから作る煎じ液を農薬の代わりに使う。また、牛糞のコンポストを牛の角の中に詰めて冬の間に地中に埋め、凝縮されたものを水に溶き、1時間ほど撹拌してから畑に撒くなど、独特の方法がある。「今ではこういった作業が、いずれも理にかなったものだと納得できる」と言う。

身体に良い美味しい野菜を届けたい

トーマスが父親の農園を継いだばかりの頃、農家の知人が古いトマトの種子をくれた。1977年に採種されたフィアレンダー・プラッテ(Vierländer Platte)の種子だ。「うちのフィアレンダー・プラッテはこのオリジナルの種をずっと引き継いでいるんだよ」とトーマス。以後、トマトの栽培に力を入れるようになり、現在では8種類のトマトを栽培している。ただし、自家採種は例外。種子はビオの業者から購入しているが、どうしてもビオの種子が入手できないことがある。「自家採種は今後の課題なんだ」。

トーマスはトマトのほかにもハーブや葉野菜を中心に種類を増やし、アガノサラダやピカントサラダ、ミズナ、ポステラインなど、個性豊かで美味しい野菜を作っている。

現在、農園のサイズは約50ヘクタール。うち半分が20頭の牛たちのための牧草地だ。スタッフは多い時で30人、1992年に始めたビオ野菜の宅配便ビジネスも好調だ。「ビオディナミに関心を持っている農家は多いけれど、実践するのは一握りの農家だけ。強い意志がないとできない農法なんだ」とトーマス。しかし、自信を持って次世代へ伝えられる農法、それがビオディナミ農法であることも確かだ。

Demeter Gärtnerei Sannmann
Ochsenwerder Norderdeich 50, 21037 Hamburg
www.sannmann.com
ホフラーデンは毎週土曜10:00 ~ 15:00
年内は12月21日まで。2014 年は3月22日より開店

 
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岩本順子(いわもとじゅんこ) 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。www.junkoiwamoto.com
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