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Oliver Was­ser­mann
So. 22. Sep. 2019
Torsten Stern
ギブソンは「ロンドン・プライド」という
バンドを新たに結成、時折ハンブルクの
クラブなどで演奏している

キッチンの主は名ドラマー

人間の個性とダイレクトに関わることが
とても面白い

今回の仕事人
Gibson Kemp
ギブソン・ケンプ

ドラマー、A&Rマネージャー、英国パブ経営者。1945年リバプール生まれ。12歳からドラム演奏を始め、17歳のときに「キングサイズ・テイラー&ザ・ドミノス」のメンバーとして来独。ドラマーとして活躍した後、A&Rマネージャーとして多くのミュージシャンのマネージメントに携わる。2002年からは夫人とハンブルクで英国パブ「ケンプス」を経営している。

天性のドラマー

ギブソン・ケンプ(68)の父親はエンジニア、母親はポップスやスウィングなどを演奏する楽団のピアニストだった。音楽が好きで、10歳になると鍋や木箱をドラムに見立てて叩くようになった。12歳のときに両親からドラムセットを贈られ、13歳のときには母親の所属するバンドでドラムを演奏し始めた。

1962年、リバプールのバンド「ローリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ」のドラマーだったリンゴ・スターがビートルズに移り、ギブソンはその後任としてメンバーに加わったが、その直後に「キングサイズ・テイラー&ザ・ドミノス」(以下「キングサイズ」)がハンブルクから一時帰国。そのドラマーが再度のハンブルク行きを拒んだため、ギブソンに声が掛かった。

1963年、彼は「キングサイズ」の一員としてハンブルクにやって来た。17歳だった。ハンブルク空港に降り立った彼は、ハイスクールの制服のジャケットを着ていた。「当時のハンブルクは、リバプールのミュージシャンにとって巡礼地みたいな場所だったんだ。リバプールでは、せいぜい週に2ポンドしか稼げなかったけれど、ハンブルクでは100マルクも稼ぐことができた。しかも、世界のトップクラスのミュージシャンと同じ舞台で演奏できたんだ」。

スタークラブ時代

 「キングサイズ」は、到着初日から人気クラブ「スタークラブ」のハウスバンドとして活動を開始。クラブは常に満員で、連日休みなく演奏した。 ジェリー・リー・ルイス、チャック・ベリー、ファッツ・ドミノらと同じ舞台に立ち、毎日が興奮の日々だった。

「キングサイズ」での活動は約3年に及んだ。その後、パディ・チェンバースとルイス・コリンズと共に「ディ・アイズ」を結成。まもなくコリンズに代わってクラウス・フォアマンが加わり、「パディ、クラウス&ギブソン」が誕生した。ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインの支援を受けてスタークラブのほか、ドイツ各地のスタークラブのフランチャイズ店、そしてロンドンでも活動したが、成果を得られず解散。ギブソンは、ハンブルクのバンド「ザ・ジャイアンツ」に加わり、演奏活動を続けた。

その頃、ハンブルク時代のビートルズの優れた写真で知られるカメラマン、アストリット・キルヒヘアと結婚し、ハンブルクが彼の拠点となる。しかし、1969年末にスタークラブが閉店。同時に、あの熱に浮かされたような日々はぷっつりと消え失せた。「スタークラブの閉店で、何もかもが終わってしまったんだ」。やがて、アストリットとの生活も終わりを告げる。

A&R マネージャー時代

その後ギブソンは、演奏活動の傍ら、音楽出版社で働き始めた。また「レス・ハンフリーズ・シンガーズ」の録音に携わり、そのメンバーだったスウェーデン人シンガーのティナ・ヴェルナーと出会って再婚。やがて、フィリップス・レコード(フォノグラム)社(その後グラモフォン社と統合、ポリグラム社となる)に入ってA&Rマネージャー(アーティスト&レパートリー・マネージャー)として才能を発揮。約30年にわたり、主に英米以外の数多くのアーティストのマネージメント業務に従事した。その一例が、オーストラリアのロックバンドINXS(インエクセス)。彼らを連れて訪日したこともある。ギブソンにとっては、ドラマーの仕事よりもマネージメント業務の方がはるかにやりがいがあった。「僕のドラムの能力は、すでにある領域に達していた。音楽ビジネスに取り組んでいた頃は、頼まれたら出演するくらいで、自分からは積極的に演奏は しなかったんだ。マネージャーの仕事は多岐にわたり、複雑だけれど、人間の個性とダイレクトに関わる。それがとても面白かったんだ」。しかし、マネージャー時代は英国、オーストラリア、オランダと世界を駆け回り、定住地が決まらなかった。ただ、どこへ出掛けても彼は常にハンブルクへ戻って来た。この街こそが、彼の音楽人生のルーツだからだ。

ティナと一緒に店のバーカウンターで
ティナと一緒に店のバーカウンターで

ケンプス開業

「ティナと僕は、いつかハンブルクに英国パブを開きたいと言っていたんだ。ハンブルクには、そういう 店がなかったからね」。ギブソンがまだ英国を拠点に活動していた頃、ハンブルクに残ったティナから「Bu't n Dammtor(ブットン・ダムトア)」という有名なクナイペが閉店するという知らせが入った。70年代にモデルとして活躍したウシ・オーバーマイヤーの義姉ドリス・ボックホルンが経営していた伝説の店だ。2人はその店を引き継いで改装し、2002年に「ケンプス」をオープン。週末はライブで賑わう気さくなパブだ。以来、ギブソンはこの店で自ら料理の腕を振るってい る。メニューには、コテージパイなどの英国料理のほか、インド風料理や中華風料理も。「料理には昔から興味があったんだ。インド料理は英国ではとてもポピュラーだし、リバプールのチャイナタウンでは父親とよく中華のランチを食べた。ハンブルクに来た当初はスタークラブの近所の中華料理屋の常連だったんだ」。そんな彼の食の思い出がメニューに表れている。友人の料理人ティム・メルツァーの手ほどきも受けた。

ケンプスのキッチンは、ギブソンが1人入るといっぱいになるほど小さい。すべてが彼の手の届く範囲内にあり、そこで料理するギブソンの姿はまるでドラムを奏でているかのようだ。「小さなキッチンに慣れるため、ヨットの上で料理人をやっていたスコットランド人にもいろいろ教えてもらったんだ。目を瞑っていても、どこに何があるかが分かるように調理器具や調 味料を配置することとかね」。

ケンプスには、アストリットが撮影したビートルズの写真などが飾られ、60年代のハンブルクの魅力がたくさん詰まっている。ビートルズゆかりのカフェや博物館が次々と失われていく中、この店は、今なお世界各地のビートルズファンやスタークラブ世代の出会いの場となっている。

Kemp's - Tina & Gibson Kemp
Mittelweg 27, 20148 Hamburg
Tel. 040-444512
www.kempspub.de


 
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岩本順子(いわもとじゅんこ) 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。www.junkoiwamoto.com
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