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EU委員長の選定で民意の反映は不十分

EU委員長の人選は、著しく混乱した。加盟国首脳は突如、U・フォンデアライエン国防相(ドイツのキリスト教民主同盟)を委員長候補として推薦したのだ。ドイツ、フランス、東欧諸国の間の亀裂が深まったばかりではなく、市民の間で「EUのトップ人事は非民主的」という批判が強まる可能性もある。

筆頭候補制度の終焉

2014年以来EU委員長は、筆頭候補モデル(Spitzenkandidatenmodell)によって選ばれる「慣習」だ。私が「慣習」という言葉を使うのは、この制度がEUを規定する「リスボン条約」に明記されておらず、拘束力を持たないからだ(2014年まではEU加盟国首脳だけが協議して委員長候補を決めており、その決定過程は完全に不透明だった。筆頭候補制度は、決定過程の透明性を少しでも高めようとするもの)。この制度によると、欧州議会選挙で議席数が最も多い会派が事前に決めた筆頭候補を、欧州理事会の大統領が委員長候補として欧州議会に推薦。欧州議会で議員の過半数が賛成すれば、候補が委員長に就任する。現在のJ・ユンケル委員長はこの方式で選ばれた。

今年5月の欧州議会選では保守中道の欧州人民党グループ(EPP)の議席数が最も多く、2番目が社民党系の社会民主選挙同盟(S&D)となった。このため本来ならばEPPが事前に選んでいた筆頭候補M・ヴェーバー(ドイツのキリスト教社会同盟)が、最有力の委員長候補だった。しかし問題は、欧州議会選挙で最も多い議席を取った会派の筆頭候補が大統領によって自動的に欧州議会に推薦されるのではなく、EU加盟国首脳の賛成を必要とするという点だ。つまり欧州理事会で各国首脳が反対したら、選挙の得票率が高くても委員長として推薦されることはない。

フランスのマクロン大統領は、ヴェーバー候補に真っ向から反対した。その理由は「ヴェーバー氏は国際政治の舞台での経験が浅い。ドイツ国内でも大臣職を経験していない。EU委員長はフランス語に堪能であるべきだが、ヴェーバー氏はフランス語を話せない」というもの。さらにハンガリーのオルバン首相など東欧諸国も、ヴェーバー候補を拒絶した。マクロン氏と東欧諸国は、議席数が2番目に多かったS&DのオランダのF・ティンマーマン候補(オランダ労働党)も拒絶。東欧勢による反対の理由は、過去にティンマーマン氏がハンガリーやポーランドがEUの法治主義重視の原則に違反していると厳しく批判し、これらの国への制裁措置を求めていたことだ。つまり、各国首脳は「どちらの候補も、欧州議会で過半数を取れない」と判断した。

4日にブリュッセルで撮影されたフォンデアライエン氏とユンケル委員長4日にブリュッセルで撮影されたフォンデアライエン氏(左)とユンケル委員長(右)

マクロン氏がフォンデアライエン氏を強く推薦

交渉が紛糾するなか、2日にEU加盟国の首脳たちは、驚くべき結論に達した。同日EUのD・トゥスク大統領は、「ドイツのフォンデアライエン国防大臣をEU委員長候補として欧州議会に推薦する」と発表したのだ。しかも首脳会議の席上でフォンデアライエン氏を推挙したのは、マクロン大統領だった。これはドイツの政界、メディア界に強い衝撃を与えた。ブリュッセル生まれのフォンデアライエン氏は、仏語に堪能であるほか、米国に住んだ経験もあるので英語も流暢に話す。マクロン氏の目には、「米国や中国との交渉の場でEUの立場を代表する上で、ヴェーバー氏よりも適した人物」と映ったのだ。当初ヴェーバー氏を推していたドイツのメルケル首相も、首脳会議で過半数の確保に失敗したため、ヴェーバー氏擁立を断念し、フォンデアライエン氏の支援に回った。ただしドイツ国内で社会民主党(SPD)が猛反対したため、首脳会議での議決でメルケル氏は棄権している。SPDは「筆頭候補モデルが突然首脳会議の場で無視された」として、フォンデアライエン候補の推薦を厳しく批判している。

ドイツの政界では、「欧州議会選挙で最も有権者の支持が多かった会派から推薦された委員長候補であるヴェーバー氏とティンマーマン氏が拒否され、仏大統領のお気に入りが突然推薦されるのでは、民意が反映されない。『EUでは有権者の意見が軽視され、首脳たちによる密室政治が続いている』という不信感が市民の間で大きくなる」という意見が強い。

ECB次期総裁へのドイツ経済界の懸念

さらにドイツの経済界が懸念しているのは、マクロン大統領の推薦により、国際通貨基金(IMF)のC・ラガルド専務理事が欧州中央銀行(ECB)の総裁に就任することだ。これは、フランスだけでなくイタリアやギリシャなどの南欧諸国にとって大きな勝利、ドイツやオランダなど北部の国々にとっては、手痛い敗北だ。

ドイツの経済界では「フランス人が次期総裁になることで、M・ドラギ総裁の金融緩和政策がさらに続く。フランスおよび南欧諸国は緊縮策よりも財政出動を重視しているが、今後ECBはそうした政策に理解を示すようになるだろう」という危惧を強めている。ラガルド氏は経済学者ではないため、理論よりもEUの政治力学によって強い影響を受ける恐れがある。メルケル政権は同国の連邦銀行のJ・ヴァイドマン総裁を推していた。ヴァイドマン氏は低金利政策の長期化と、ECBによる南欧諸国などの国債買取りに批判的で、緊縮策を重視することで知られていた。

EU委員長候補の推薦過程の不透明さについては、欧州全体で批判が上がっている。仮に同氏が委員長に選ばれても、結局大国の力関係で決められている」という不信感は、有権者の心の底に残るに違いない。

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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