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なぜドイツのエネルギーはロシアの人質にされたのか(上)

ドイツは、日本と同じくエネルギーの自給率が低い。資源エネルギー庁によると、2018年のドイツの自給率は37.4%、日本は11.8%だ。日本は中東諸国に大きく依存しているが、ドイツはロシアに頼った。

2003年、サンクトペテルブルクの式典で談笑するプーチン大統領とシュレーダー元独首相2003年、サンクトペテルブルクの式典で談笑するプーチン大統領とシュレーダー元独首相

ガスは製造業界の「血液」

2021年にドイツが輸入したガスのうち、ロシアからの輸入量の比率は55%だった。欧州連合(EU)加盟国で輸入量が最も多い。輸入石炭の49.9%、輸入原油の35%がロシア産だった。石炭と原油については、今年中にロシアからの輸入量をゼロにするめどが付いたが、ガスは液化天然ガス(LNG)の陸揚げターミナルがないため、時間がかかる。

ガスは、ものづくり大国ドイツを支える「血液」だ。消費量のうち、製造業界が消費する比率が最も多い。化学業界は「ロシアからのガス供給が止まった場合、第二次世界大戦後もっとも深刻な被害がドイツ経済に生じる。化学業界だけではなく自動車、製薬、繊維業界などのサプライチェーンが切断され、数十万人が失業する」と警告する。

Ifo研究所は、「ロシアがドイツへのガス供給を停止した場合、わが国経済には2200億ユーロ(28兆6000億円・1ユーロ=130円換算)の損害が生じる。来年の国内総生産(GDP)成長率はマイナス2.3%に落ち込む」という悲観的な予測を打ち出した。つまりロシアのガスなしには、経済が成り立たない。ロシアはガスの元栓を押さえ、製造業界を人質に取ったのだ。

ブラント首相の「東方政策」が発端

なぜロシアのエネルギーに対する依存度は、ここまで高くなってしまったのだろうか。政治と経済を切り離し、ロシアの国際法違反や人権弾圧を大目に見るドイツの「エネルギー重商主義」の発端は、1973年。この年に西ドイツは、ソ連からガスを輸入し始めた。

当時首相だった社会民主党(SPD)のヴィリー・ブラント氏は、東西に分断されたドイツで多くの家族が生き別れになっている実態に心を痛めた。彼は、東西ドイツ間の相互訪問を可能にするには、ソ連との緊張緩和が必要だと考えた。反共主義が強かった保守政党キリスト教民主同盟(CDU)とは対照的に、ブラント首相はソ連と対決するのではなく、貿易や文化交流などによって敵と接近することによって、相手を軟化させる政策を選んだ。ブラントの東方政策(オストポリティーク)の基盤は、「Wandel durch Annäherung」(接近することで相手の姿勢を変える)と呼ばれた。

ソ連接近の試みは、「ナチス時代の過去と批判的に対決し、被害国に対して反省の念を示すべきだ」という戦後西ドイツのリベラル勢力の姿勢とも関連があった。つまりSPDのソ連に対する融和姿勢の背景には、第二次世界大戦でナチス・ドイツが約2700万人ものソ連市民、兵士を殺害したことに対する負い目もあった。この大戦での犠牲者数はソ連が世界で最も多い。

さらに1970年代後半にロシアからのガス輸入量が増えた背景には、中東に端を発した1973年の石油危機もある。つまりドイツはエネルギーの調達先を多角化するために、ロシアからのガス輸入を増やしたのだ。

ソ連は東西冷戦の時代にも契約通り西欧にガスを売り続けた。1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻し、翌年に米国などがモスクワ五輪をボイコットして東西関係が緊張の度を強めた時にも、ガスは西欧へ向けてとうとうと流れ続けた。この経験は、ドイツに「エネルギーについては、ソ連(ロシア)は信頼できる。この国は、エネルギーを武器として使うことはない」という誤った安心感を与えた。ドイツがソ連に機械や自動車を売り、ソ連がドイツにガスや原油など天然資源を売るという、相互依存体制が出来上がったのだ。

ドイツの元首相がロシアの「走そうく狗」に

ロシア依存度を特に高めたのが、1998~2005年まで首相だったゲアハルト・シュレーダー氏(SPD)である。彼はプーチン大統領の刎ふんけい頸の友で、2005年にロシアからドイツへ直接ガスを輸送するパイプライン(ノルドストリーム1=NS1)の建設プロジェクトをスタートさせた。両国のエネルギー企業が開催したNS1建設プロジェクトに関する調印式には、シュレーダー首相(当時)とプーチン大統領も出席している。

シュレーダー氏は、プーチン大統領をハノーファーの自宅に招待したり、プーチン大統領のソチの別荘に行って一緒にサウナでビールを飲んだりするほど親しい仲だった。2人とも貧しい家庭に生まれたことも、共通点の一つだった。

プーチン大統領は、ソ連の秘密警察・国家保安委員会(KGB)の要員として、社会主義時代の東ドイツ・ドレスデンに駐在していた。このためドイツ語に堪能である。彼は2001年9月にドイツ連邦議会で、ドイツ語で演説し「冷戦は終わった。ドイツとロシアは協力して、欧州共通の家を作ろう」と語った。ロシアの要人が連邦議会でドイツ語の演説をしたのは、初めてだった。彼はゲーテやシラーにも触れ、ドイツ文化に対する尊敬の念を示した。

この演説はドイツの多くの政治家に感銘を与え、プーチン氏について「ロシアに新風を吹き込む改革者」という楽観的なイメージを抱くドイツ人もいた。シュレーダー氏は、プーチン大統領について「虫眼鏡でじっくり見ても正真正銘の民主主義者(lupenreiner Demokrat)だ」と太鼓判を押したこともある。だがプーチン氏の素顔を見抜いた政治家は、ドイツにほとんどいなかった。(次号へ続く)

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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