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なぜドイツのエネルギーはロシアの人質にされたのか(下)

1998〜2005年までドイツの首相だったゲアハルト・シュレーダー氏(社会民主党・SPD)は2005年の連邦議会選挙に負けて首相の座から辞任すると、プーチン大統領から要請されて、ロシアからドイツへガスを直接輸送するパイプライン、ノルドストリーム1(NS1)の運営企業の監査役会長に天下りした。この会社はロシアの国営ガス企業ガスプロムの子会社だ。NS1は2011年に運開。ドイツのロシア産ガスへの依存度は、2010年の39.2%から2020年には55.2%にはね上がった。

2017年7月7日、ハンブルクで開かれたG20で握手するプーチン大統領とメルケル前首相2017年7月7日、ハンブルクで開かれたG20で握手するプーチン大統領とメルケル前首相

ドイツの元首相がプーチン大統領の「走狗(そうく)」に

シュレーダー氏はロシア政府のロビイストとして、NS1に並行するノルドストリーム2(NS2)を建設してドイツへのガス供給量を倍増させるべく、メルケル政権に働きかけた。シュレーダー氏は2014年のロシアのクリミア半島併合についても、プーチン大統領を擁護する発言を行い、ロシア政府のドイツにおける利益代表者の役割を演じるようになった。彼はロシア軍が一時占領したブチャで発覚した、ウクライナ市民に対する虐殺事件についても「プーチン大統領が命じたものではない」と語っている。

さて2005年に首相になったアンゲラ・メルケル氏は、社会主義時代の東ドイツで育ち科学者として働いた。このためソ連の支配体制のリスクを知っており、ロシアに対してはシュレーダー氏に比べると批判的だった。日本ではメルケル氏について「ロシア語を話すなど、プーチン氏との仲が良い政治家」という見方を持っている人もいるが、彼女はプーチン氏とは仲が悪かった。ロシアに出張したとき、国家犯罪を記録する市民団体メモリアルの事務所を訪問して、ロシア政府の神経を逆撫でしたことがある。

メルケル政権もパイプライン建設を推進

だがメルケル氏も、政経分離主義をシュレーダー政権から引き継ぎ、プーチン大統領の国際法違反や人権抑圧を理由に、ロシアとの経済関係に波風を立てることを好まなかった。2014年にプーチン大統領がクリミア半島を併合したとき、欧州連合(EU)はロシアに対して現在ほど厳しい経済制裁措置を発動しなかった。メルケル氏もEUに対しロシアを国際経済の中で孤立させるほどの制裁の実施は求めなかった。

クリミア併合から約1年しかたっていない時期に、NS2の建設を認可し、ロシア依存度をさらに高める道を選んだことは、メルケル氏の大きな失敗である。メルケル氏は、首相辞任直前に行ったインタビューの中で、「まさかプーチン大統領がクリミアを併合するとは思わなかった」と語り、ロシアに対して楽観的な態度を持っていたことを明らかにしている。

ちなみにウクライナのゼレンスキー大統領は、メルケル氏のロシアに対する忖そんたく度を批判したことがある。彼は4月3日のビデオ演説で「ドイツとフランスは2008年にブカレストで開かれた北大西洋条約機構(NATO)首脳会議で、『ロシアを不必要に刺激するべきではない』という理由で、ウクライナをNATOに加盟させることに反対した。これは、愚かな心配だった」と語った。つまり彼は、ウクライナがNATOに加盟できなかった一因がメルケル氏にあると考えている。

ウクライナ政府がドイツ大統領を「門前払い」

さてドイツのロシアとの経済関係の緊密化のなかで、重要な役割を演じた政治家がもう一人いる。フランク=ヴァルター・シュタインマイヤー大統領(SPD)だ。彼はかつてシュレーダー派に属する人物だった。1999〜2005年までシュレーダー政権で連邦首相府長官、メルケル政権では2度外務大臣を務めた。

彼はこれらの要職にあったときに、NS1とNS2の建設プロジェクトを強力に推し進めた。東欧諸国の警告を無視し、シュレーダー氏の「欧州の安全保障は、ロシアをパートナーとしなくては成立し得ない。貿易関係を緊密にすることによって緊張を緩和し、戦争の再発を防ぐ」という方針を忠実に実行した。

今年4月には、ゼレンスキー政権のシュタインマイヤー大統領への反感を象徴する出来事があった。シュタインマイヤー大統領はポーランドのドゥダ大統領とバルト三国の大統領と共に、4月13日にキーウを訪問する予定だった。ところが、その前日に、ウクライナ政府は「シュタインマイヤー大統領の訪問は、望まない」と通告し、「門前払い」を食わせた。当時ベルリンのウクライナ大使だったメルニク氏は「シュタインマイヤー大統領は長年にわたり、ロシアと密接なネットワークをクモの巣のように構築した。現政権で要職に就いている多くのドイツ人が、このクモの巣に絡めとられている」と批判した。

ちなみにシュタインマイヤー大統領は「私は、パイプライン建設プロジェクトを、ロシアとドイツを結ぶ懸け橋と考えていた。だが東欧諸国の警告に耳を傾けず、このプロジェクトを推進したのは誤りだった」と述べ、対ロ政策のミスを認めた。

つまりシュレーダー・メルケル両政権の融和政策、政経分離主義の結果、製造業界の血液であるガスが独裁者プーチン大統領の「人質」にされた。両政権は、元KGB(ソ連の国家保安委員会)将校の本質を見抜くことができず、エネルギー安全保障という国家の重要任務をおろそかにしたのである。

日本のロシア依存度は、ドイツほど高くはない。しかし資源小国日本にとっても、ドイツの苦悩は決して他人事ではない。

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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