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ロンドンのゲストハウス
Fr. 15. Nov. 2019

原発を拒否したドイツ人

東北地方太平洋沖地震が引き金となった福島第1原発の事故は、ドイツの政界に大きな異変をもたらした。3月27日にバーデン=ヴュルテンベルク(BW)州で行なわれた州議会選挙で、環境政党である緑の党が24.2%という過去最高の得票率を記録して大躍進。緑の党は、保守王国BW州で初めてキリスト教民主同盟(CDU)を政権の座から追い落としただけでなく、連立政権のリーダーとして州首相の座を獲得することになった。緑の党の議員が州首相になるのは、全国で初めてのこと。約60年間にわたってCDUが単独支配してきたBW州に、環境政党が首相を送り込むとは、正に歴史的な事態である。

緑の党に投票した人は、前回の選挙の46万人から2.6倍に増えて120万人に達した。前回の選挙で棄権した人の内、約27万人が緑の党に票を投じたことから、得票率が2倍以上増えたのである。またラインラント=プファルツ州での州議会選挙でも、緑の党は得票率を4.6%から15.4%に増やし、社会民主党(SPD)とともに連立政権に加わることになった。

今回の選挙の最大の争点は、原子力だった。緑の党が大躍進した理由は、投票日のわずか16日前に発生した福島第1原発の事故の報道によって有権者が強い不安を抱き、原子力発電の早期中止を求めたことにある。メルケル政権は昨年秋に、原子炉の稼動年数を平均12年間延長することを決定したが、BW州のマップス首相(CDU)は、稼動年数延長を強く支援していた。メルケル政権は、福島原発の事故によって国民の間で不安が高まったために、震災の直後に17基の原子炉の内、1980年以前に運転を開始した7基をストップさせた。また、政府は稼動年数の延長措置を3カ月にわたって凍結し、すべての原子炉の安全検査も命じた。しかし有権者はCDUが稼動年数を延ばしたことを忘れられず、怒涛のように緑の党に票を投じたのである。選挙前日には、ベルリンやミュンヘンなど主要都市で25万人の市民が、戦後最大規模の反原発デモに参加していた。CDUが原子力に好意的なエネルギー政策を取ったことは、同党にとって裏目に出たのである。

その意味で、今回のBW州議会選挙は原子力に関する一種の「国民投票」でもあった。選挙で有権者がこれほどはっきりと民意を表現するのも珍しい。原子力推進派だったメルケル首相も選挙後「私は福島原発の事故によって、原子力についての考えを変えた。私はもはや原子力発電の支援者ではない」と断言している。メルケル政権は、5月末までに稼動年数の延長を帳消しにするだけではなく、大多数の国民の望み通りに原子力発電所を予定よりも早く廃止するものと見られている。

福島原発の事故は、1万キロ離れたドイツ政府のエネルギー政策を180度転換させてしまったのだ。有権者を緑の党に走らせたのは、福島第1原発の天井が吹き飛ぶ衝撃的な映像であり、発電所の周辺地域の放射能汚染についてのニュースだった。環境問題について敏感なドイツ人は、日本の野菜や牛乳、水道水や海水に含まれる放射能に関する報道を、重大な関心を持ってフォローしている。

ただし、私は日本人である。祖国では2万人を超える死者・行方不明者が出ている。東北地方の多くの市町村が地震と津波によって破壊され、被災地と原発周辺の地域の市民は不便な避難生活を強いられている。福島第1原発では、作業員や自衛隊員が被爆の危険を冒して原子炉の冷却作業にあたっている。私は、緑の党の躍進が、日本での悲惨な出来事を起爆剤として達成されたことについて、複雑な気持ちになった。

8 April 2011 Nr. 862

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題を中心に取材、執筆を続けている。著書に「ドイツの憂鬱」、「新生ドイツの挑戦」(丸善ライブラリー)、「ドイツ病に学べ」、「住まなきゃわからないドイツ」、「びっくり先進国ドイツ」(新潮社)など。
http://www.tkumagai.de
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