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ロンドンのゲストハウス
Fr. 06. Dez. 2019

難民受け入れに踏み切ったメルケル首相の英断

今ドイツに住む我々は、1989年のベルリンの壁崩壊にも匹敵する、歴史的な出来事を経験している。メルケル首相は、ハンガリーで足止めを食っていたシリアやイラクなどからの難民を、ドイツに受け入れることを発表したのだ。今年この国では、少なくとも80万人の外国人が亡命を申請すると予想されている。戦後最高の数である。

難民
ミュンヘン中央駅に到着したシリア難民たち(筆者撮影)

難民の顔に微笑みが戻った

私が住むミュンヘンの中央駅には、9月5日と6日の週末だけで約2万人の難民が到着した。ウィーンやブダペストからの長距離列車が着くたびに、リュックサックを背負った難民たちがプラットホームを埋める。彼らは、警官に守られて、駅の北側に向かう。

普段は、タクシーのたまり場になっている駅の北側の広場には、大きなテントが6個設置された。バイエルン州政府は、ここで難民の氏名などを登録する。難民受け入れゾーンは柵で仕切られているが、その外側には、数百人のミュンヘン市民が集まっている。彼らは、長旅で疲れ切ったシリア人たちを拍手で迎えた。「難民の皆さんを歓迎します」というプラカードが見える。花束を持ったドイツ人のお年寄りもいる。母親に手をひかれた難民の子どもに、ドイツ人がチョコレートや玩具を渡す。

ドイツ人から人形をもらった5歳くらいの少女が、嬉しそうな表情で飛び跳ねている。私は、このいたいけな少女が、戦場と化したシリアを脱出してミュンヘンにたどり着いたことを、心から嬉しく思った。柵越しに、難民の子どもを抱きしめる女性がいた。ドイツ人の拍手に対して、手を振って応える難民もいる。

私はこの時、1989年11月にベルリンの壁が崩壊した直後に見た光景を思い出した。当時西ベルリン市民たちは、徒歩や車で西側にやって来る東ドイツ人たちを拍手で迎えていた。当時の西ベルリンっ子たちは、東ドイツ人たちにビールやシャンペンを振る舞い、贈り物を渡した。この時の和やかな光景にそっくりだ。

登録を済ませてテントを出た難民たちは、駅の北側にずらりと並んだ送迎バスに次々と乗り込む。バスは、難民たちをバイエルン州内だけでなく、隣接した州に設けられた臨時の宿泊施設に運んでいく。

難民を歓迎する文化

私は、今回ドイツ人たちの難民に対する態度を間近に見て、感動した。今ドイツでは「Willkommenskultur」という言葉が流行っている。日本語では「歓迎する文化」だ。難民を拒否せず、温かく受け入れるという姿勢が、今ドイツ社会のメインストリームになっている。もちろん、ネオナチのように亡命申請者の宿舎に放火する愚か者もいるが、彼らは社会の主流派ではない。ドイツの決定は、超法規措置だ。EUが1997年に施行したダブリン協定によると、EU域外の国から来た難民は、最初に入ったEU加盟国で亡命を申請しなくてはならない。例えば、バルカン半島を経て欧州に入ったシリア人が最初に入る国はハンガリーである。このためこのシリア人は、本来ならばハンガリーで亡命申請手続きを取らなくてはならない。だがドイツは、ハンガリー政府が難民の受け入れに難色を示したことや、多くの難民がドイツ行きを希望している状況を見て、ドイツでの亡命申請を特別に認めたのだ。極めて寛容な措置である。

ドイツが難民の受け入れに積極的である背景には、ナチス・ドイツの暴虐に対する反省もある。ナチスはユダヤ人や周辺諸国の国民を徹底的に弾圧した。一部のユダヤ人や反体制派が生き延びることができたのは、スカンジナビア諸国やスイス、米国などが亡命申請者を受け入れたからである。例えば、1960年代から70年代に連邦首相を務めたヴィリー・ブラントは、ナチスに対する抵抗活動を行っていたため迫害されたが、ノルウェーに亡命し、一命を取り留めた。

ナチス時代の経験を教訓として、戦争や政治的迫害に苦しむ市民に手を差し伸べるというのが、ドイツの「理念」の1つなのだ。ドイツが受け入れている難民の数は、英仏に比べるとはるかに多い。今年6月にドイツが3万5000人の難民を受け入れたのに対し、英国は3000人、フランスは5600人である。

国家エゴよりも人道主義を優先したドイツ

もちろん、80万人もの難民を受け入れることは、豊かな国ドイツにとっても大変な負担だ。州政府からは、「もはや難民を泊まらせるところがない。我々は限界に近づきつつある」という悲鳴が聞こえてくる。連邦政府は、9月7日に難民対策のための予算を60億ユーロ(8400億円・1ユーロ=140円換算)増額することを決定した。欧州でドイツほど多くの難民を受け入れ、彼らを助けるためにドイツほど多額の予算をつぎ込んでいる国は、ほかに1つもない。

そこには、国家エゴよりも人道主義という公共利益を重視する、戦後のドイツ政府の基本方針が反映している。私は今年7月に上梓した「日本とドイツ ふたつの戦後」(集英社新書)の中で、戦後ドイツがナチス時代への反省から、モラル(道徳)と倫理性を重視する国になったと主張した。今回の難民危機でドイツが見せた態度にも、そのことがはっきりと表れている。

もちろん、ドイツは大変な試練を抱え込んだ。ゼロから異国での生活を始める難民たちの前にも多くの苦難が待ち受けている。それでも私は、予算や法律よりも人命救助を優先したメルケル首相の決断を、この国に住む一市民として、誇りに思う。

18 September 2015 Nr.1010

 

熊谷徹
1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題を中心に取材、執筆を続けている。著書に「ドイツの憂鬱」、「新生ドイツの挑戦」(丸善ライブラリー)、「ドイツ病に学べ」、「住まなきゃわからないドイツ」、「びっくり先進国ドイツ」(新潮社)など。
http://www.tkumagai.de
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