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「トランプ主義」に反発するドイツ

1月28日、大統領執務室でメルケル独首相と電話会談するトランプ米大統領1月28日、大統領執務室でメルケル独首相と電話会談
するトランプ米大統領

米国の強さだった多様性と自由の精神が、政治の素人である一人の大統領によって崩されようとしている。ドナルド・トランプ氏は1月末にホワイトハウスの主になるや否や、矢継ぎ早に過激な内容を含む大統領令に署名した。大統領就任からわずか2週間で、米国内の世論の分裂を深めただけではなく、世界全体に衝撃波を送った。

入国禁止令で大混乱

特に物議をかもしたのが、トランプ氏が1月27日に署名した「外国のテロリストの入国から米国を守るための大統領令」である。彼はこの命令によって、120日間にわたって難民の受け入れを停止するとともに、シリア、イラク、イラン、リビアなどイスラム教徒が多い7カ国の市民の入国を90日間にわたって禁止した。この措置は世界中で混乱を引き起こした。すでにビザを持っているイラク人やイエメン人も米国行きの飛行機に搭乗することを拒否され、外国の空港で足止めされたからだ。米国の多くのIT企業は、外国籍の優秀なエンジニアを採用している。入国禁止の対象となった7カ国のパスポートを持っている社員の内、外国へ出張していた者は、米国へ戻れなくなった。この前代未聞の措置に対しては、米国内だけでなく世界全体で激しい抗議の声が上がった。

メルケル首相が大統領令を批判

ドイツのメルケル首相も1月30日の記者会見で「テロリズムに対する戦いを理由に、特定の宗教(この場合はイスラム教)を持つ人々や特定の国々の市民全員に疑いをかけることは、許されない」と述べて、トランプ氏による入国禁止措置を厳しく糾弾。

ドイツにとっても影響は大きい。ドイツはナチス時代に対する反省から亡命申請者に寛容である。このため同国には、二重国籍を持つ市民が多い。たとえばイランのパスポートも持つドイツ人の数は、約8万人、ドイツとイラクの二重国籍者は3万人、シリアのパスポートも持つドイツ人の数は2万5000人にのぼる。ヘッセン州政府の副首相タレク・アル・ワジール氏は、ドイツとイエメンの二重国籍者である。トランプ政権の大統領令によれば、ワジール氏も米国に入国できなくなる。このためメルケル氏は、大統領令によって影響を受けるドイツ在住の二重国籍者に援助を約束するとともに、二重国籍者の法的地位を明確化するために、他の欧州連合(EU)加盟国と対応策を協議していることを明らかにした。メルケル氏は、米国が難民受け入れを一時的に停止したことについても、険しい表情で「ジュネーブ難民協定を批准した国は、戦火を避けて逃げてきた難民を受け入れる義務がある。トランプ政権の大統領令は、国際的な難民援助の基本理念と国際協力の精神に反する」と批判した。

だが米国の良心は、完全に眠ってはいない。ワシントン州連邦地裁のジェームズ・ロバート判事は、市民の仮処分申請を受けて、2月3日にこの大統領令を一時的に差し止めるよう命じた。トランプ政権はサンフランシスコの連邦控訴裁判所に控訴したが、却下された。この紛争が最高裁判所に持ち込まれることは確実だ。トランプ大統領はツイッターで「ひどい判決だ。何か事件が起きたら、この判事の責任だ」と述べて、裁判官を批判。大統領が個人攻撃を行い、法治主義を軽蔑するような発言を行うのも、前代未聞である。

アルト右翼が政府の主任戦略官に

世界最大の移民国家・米国は異なる文化、価値観を受け入れることによって、優秀な頭脳や勤勉な市民を磁石のように吸い寄せてきた。アップルの共同創業者の一人であるスティーブ・ジョブズもシリア移民の息子である。トランプ政権の入国禁止令は、米国の強さの源泉の一つを自ら否定しようとするものだ。

この政策の背景には、トランプ政権の主任戦略官スティーブン・バノン氏がいる。彼は人種差別的な内容を持つウェブサイト「ブライトバート・ニュース」の主宰者を一時期務め、大統領選挙期間中に、トランプ氏を強力に支援した。自らをアルト右翼(Alternative Right)と呼ぶバノン氏は、当時「レーニンは国家を打倒することを目指したが、私も同じだ。私は、今日のエスタブリュッシュメント(既成の体制)を完全に破壊したい」と述べている。トランプ氏は、そのような人物を、国家安全保障会議の常任メンバーにまで任命した。白人至上主義者バノン氏が、トランプ氏とともにホワイトハウスの大統領執務室(オーバル・オフィス)に座っている写真を見ると、「米国は一体どうなってしまったのか」と慨嘆せざるを得ない。

欧州にも広がるポピュリズムの波

EUにも排外主義は押し寄せている。英国は移民増加に歯止めをかけるべく、昨年の国民投票でEU離脱を決めた。重要な国政選挙を控えるオランダ、フランスでも反EU、反移民を旗印とする極右政治家が、最も高い支持率を得ている。

多様性とリベラリズムを重視する世界の人々の間では、「ドイツのメルケル首相だけが、排外主義に抵抗する防波堤だ」という意見が強まっている。しかし、豊富な政治経験を持つメルケルといえども、一人だけで世界中で高まるポピュリズムに対抗することは不可能だ。各国政府は、所得格差の拡大など、トランプ主義につながる病根を取り除く努力を、始めなくてはならない。市民の一人一人が、移民・難民排斥など、トランプ主義を醸成する心を克服しなくてはならない。

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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