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水彩画からのぞく芸術の世界 寄り道 小貫恒夫

64. ゴッホ③:アルルへ

64. ゴッホ③:アルルへ

ゴッホの「黄色い家」があった所(アルル)
ゴッホの「黄色い家」があった所(アルル)

パリで多くの刺激を受けたゴッホは、いよいよ新しい絵画運動のユートピアを夢見てアルルへと旅立ちます。そもそもなぜアルルを選んだのかは分からないのですが、どうも浮世絵に大きな衝撃を受けた彼は、本当は日本へ行きたかったそうです。ただ、当時の人々にとって日本は遥か彼方の異国でした。

ゴッホは浮世絵に影が描かれていないことに疑問を抱きます。それは太陽が真上から照っているので、人物などの影が真下に来るためだと結論付けました。そう言われてしげしげと浮世絵を見直してみると、ゴッホの言う通り、確かに影が描かれていません。まぁ、すごい洞察力を持っていたのでしょうね。彼が思い描いた日本は、太陽がさんさんと輝く国だったようです。

パリから行ける範囲では、プロヴァンスも確かに太陽が輝いています。しかし彼がアルルに到着したのは2月で、雪が積もっていました。さぞかし想像していた景色とは違ったことかと思いますが、そこにも日本的なモチーフを見つけています。最初に描いた「雪景色」では広重が描いた雪の「沼津」を意識しているようですし、春に描いた「花咲く桃の木」には、はっきりとした浮世絵へのオマージュが見て取れます。

ゴッホは冬にパリからアルルに来ましたが、私は夏に反対側のマルセイユからアルルに向かいました。途中、丘陵が広がる草原はカラッカラッに乾いて茶褐色に枯れています。その所々にはゴツゴツとした白っぽい岩が点在していて、まるで山口県の秋吉台のようです。生えている木々はカサカサとした松が多く、「フムフム、この景色を描こうとすると、確かに短いタッチでゴリゴリと描くしかないなぁ~」と、セザンヌの描き方を思い浮かべていました。

列車はアルルへ到着。ここは、ヨーロッパのどこにでもあるような田舎の駅です。私はローヌ川に沿って街中を目指しました。しばらくしてすぐに城門の手前のロータリーに出ますが、ここで振り返り、プラタナスのある広場越しに家並みを感慨深く眺めていました。そう、ここはゴッホが借りた「黄色い家」が建っていた場所です。もうこの家は建て替えられましたが、右側奥に掛かっている鉄道橋は当時のままで、彼の描いた風景に思いを馳せていました。いよいよ、「夜のカフェテラス」を描いたフォーラム広場を目指します。

 
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小貫 恒夫

小貫 恒夫 Tsuneo Onuki

1950年大阪生まれ、武蔵野美術大学舞台美術専攻。在学中より舞台美術および舞台監督としてオペラやバレエの公演に多数参加。85年より博報堂ドイツにクリエイティブ・ディレクターとして勤務。各種大規模イベント、展示会のデザインおよび総合プロデュースを手掛ける傍ら、欧州各地で風景画を制作。その他、講演、執筆などの活動も行っている。
www.atelier-onuki.com
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