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水彩画からのぞく芸術の世界 寄り道 小貫恒夫

113. ロダン美術館

ロダン美術館の「考える人」ロダン美術館の「考える人」

パリにはルーブルを筆頭にオルセーなど、世界に冠たる美術館が数多く存在しますが、ロダン美術館もその一つです。中心からちょっと離れた落ち着きのある地区で、すぐそばにはナポレオンのお墓がある、黄金のドーム屋根のアンヴァリッド(国立廃兵院)が建っています。

ロダン美術館は、もともとビロンという貴族が住んでいましたが、フランス革命後は女子修道会が引き継いで教育活動を行っていました。しかし政府によって宗教による教育が禁じられると、若い芸術家たちに安く貸し出されることに。コクトーやマチスらもここに住んでいました。

ここに住んでいた詩人のリルケに招かれる形で、ロダンもこの場所を訪れました。すっかりここが気に入ったロダンは、自分でも一部屋借り、毎日のように通って制作に励みます。その後、フランス政府がこの建物を買い取ることが決まり、全員が立ち退くことになりました。しかしロダンは、自分の作品を紹介する美術館として全作品を寄贈することを条件に、ここに住み続けることができたのです。

そのため彫刻が約6600点、絵画とデッサンが約7000点と、ロダン美術館では彼のほぼ全作品を所有しています。館だけでなく庭も広く、そして素晴らしく手入れされています。彼の彫刻作品は屋外に展示されることを想定して作られているので、この庭に展開する作品郡は自然と庭に溶け込んでいます。

元来、ブロンズ像を制作する際には、まず粘土でオリジナルの像を作り、そこから型を取って鋳造します。鋳造の回数が増えれば増えるほどオリジナルの原型が崩れるため、原則として12点目までがオリジナル作品として認められます。さすがロダン美術館にある作品のほとんどが、1点目に鋳造されたもの。彫刻だけでなくササッと走り描きした素描なども彫刻家ならではの描き方で、ものすごくうまいなぁと感心します。

ロダン以外では、彼の弟子で悲恋の末に世を去ったカミーユ・クローデルの作品も展示されています。特に「分別盛り」(The Mature Age)は、ロダンとの悲しい関係を表現した作品で胸が打たれます。それにしても、ものすごい才能の持ち主だったことがうかがえます。

もう一つは、ゴッホの作品「タンギー(じい) さん」(Portrait of Père Tanguy)です。この人物はモンマルトルで画材屋を営んでいましたが、売れない画家たちを援助し、作品を店に置く代わりに画材を無償で提供していました。ゴッホも彼にお世話になった芸術家の一人で、タンギー爺さんの肖像を3枚も描いています。ロダン美術館にあるのはそのうち最も有名な作品。この絵をすっかり気に入ったロダンが、タンギー爺さんが亡くなった後に、娘さんから購入したのでした。

 
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小貫 恒夫

小貫 恒夫 Tsuneo Onuki

1950年大阪生まれ、武蔵野美術大学舞台美術専攻。在学中より舞台美術および舞台監督としてオペラやバレエの公演に多数参加。85年より博報堂ドイツにクリエイティブ・ディレクターとして勤務。各種大規模イベント、展示会のデザインおよび総合プロデュースを手掛ける傍ら、欧州各地で風景画を制作。その他、講演、執筆などの活動も行っている。
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