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Mi. 26. Sep. 2018

11. グリンツィング界隈のベートーヴェン 1

グリンツィング界隈の小道
グリンツィング界隈の小道

楽都ウィーンを訪れる目的は、オペラやコンサート鑑賞はもちろんのこと、洗練された美味しい食事も楽しみの1つに入っていると言えるでしょう。ドイツにも似たような料理は多々ありますが、調理法に繊細さやこだわりが感じられ、そういったところにオーストリア=ハンガリー帝国の長い歴史の片鱗を垣間見ることができます。

またウィーン市内だけではなく、郊外へ足を延ばしてみるのも楽しいものです。ウィーンの北西に位置するグリンツィングは、「ホイリゲ(新酒のワインを提供する造り酒屋)」が集まる街として有名で、暖かい季節にはぶどう棚がある中庭で新酒のワインが飲め、それは格別な味わいです。

さらにベートーヴェン縁の地ということで、我々音楽ファンにとっては興味が尽きません。彼は気難しい性格で難聴だったこともあり、絶えず近所と問題を起こしては引っ越しを繰り返しました。ウィーン市内だけでも数十回を数えたというのは有名な話です。

このグリンツィング界隈には彼が住んだ家が3軒現存しており、そのうちの1軒は弟のヨハンと甥のカール宛てに遺書を書いた家として知られ、「Heiligenstädter Testamenthaus」という名で残っています。以前は、中庭を挟んだ道路側の大きな部屋が展示室になっていましたが、現在は彼が実際住んでいた部屋が一般公開されています。

29歳頃から難聴が悪化し始めたベートーヴェンは、医者の勧めで温泉治療を受けるためにハイリゲンシュタットへやって来ます。そして、ここからカーレンベルクの丘に向かって延びるぶどう畑の丘陵が、故郷ボン郊外のアール渓谷に似ていたことからすっかり気に入り、引っ越しを決意します。

ある日のこと、裏庭に面した窓からこの町名の由来となったハイリゲンシュタット教会を眺めていると、鐘楼の鐘が大きく左右に動いているのが見えました。ところが、その鐘の音がまったく聞こえないことに気付いて愕然とした彼は、いても立ってもいられず、絶望の淵に沈み、弟と甥宛てに遺書を書き殴りました。この遺書は彼の没後、ひっそりと納められていた戸棚の引き出しから見つかったそうです。(次回に続く)

 
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小貫 恒夫

小貫 恒夫 Tsuneo Onuki

1950年大阪生まれ、武蔵野美術大学舞台美術専攻。在学中より舞台美術および舞台監督としてオペラやバレエの公演に多数参加。85年より博報堂ドイツにクリエイティブ・ディレクターとして勤務。各種大規模イベント、展示会のデザインおよび総合プロデュースを手掛ける傍ら、欧州各地で風景画を制作。その他、講演、執筆などの活動も行っている。
www.atelier-onuki.com
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