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ロンドンのゲストハウス
Mi. 13. Nov. 2019

15. オーヴェルを訪ねて 3

オーヴェルの市役所
オーヴェルの市役所

ゴッホが描いた麦畑の連作の地を後に、再び坂道をオーヴェルの市役所がある町の中心辺りに向かって下って行きました。小さな鐘楼をてっぺんに付けた白い外壁のこの市役所も、小ぶりながら味わいがあります。ゴッホもこれが気に入ったのか、「革命記念日のオーヴェルの市役所(La Mairie d'Auvers le 14 Juillet)」という、素敵な1枚を残しています。

道路を挟んだ向かい側には、当時ゴッホが下宿していた居酒屋兼下宿屋のラヴー亭(Maison de Van Goch – Auberge Ravoux)が建っています。ゴッホの死後、閉鎖の危機に陥りますが奇跡的に救われ、現在に至るそうです。

上階にはゴッホが当時滞在していた部屋があり、見学もできます。細くて暗い急な階段を上ってたどり着いたそこには、小さな天窓が1つだけ付いた、狭くて暗い、まるで独房のような屋根裏部屋がありました。この実際の部屋を目の当たりにしたら、ゴッホの人生を知る人であれば、自然と涙が込み上げてくるのではないでしょうか。

部屋の片隅に備え付けられた小さなキャビネットの扉が開いていました。棚板にはところどころに、円形にうっすらと色が付着しています。おそらく筆洗用の缶か何かを置いた跡だと思われますが、苦悩と闘っていたであろうゴッホのここでの辛い生活がリアルに迫ってきて、ますます胸を打たれました。

写真や自画像を見る限り、一見、気難しそうなゴッホ。ここでの生活はさぞかし孤独だったのではと想像したのですが、フランス語は達者だったようで、皆からは「ヴァンサン、ヴァンサン(Vincent)」と親しく声を掛けられていたそうです。一般的には「狂気の画家」などといわれていますが、彼の絵をじっくり鑑ていると、その画面構成や空間の扱いなどは冷静で、卓越した感覚が伝わってきます。

彼は生き急ぎ、37歳という若さで燃え尽きました。本格的に絵描きを目指したのは29歳くらいと遅く、制作期間はわずか9年間でしたが、その生涯に860点もの絵を遺しました。それは年間で100枚ペースという驚異的な数で、それも名作揃いです。何かに取りつかれたように没頭したこの画家の足跡は、人間業とは思えないものです。(次回に続く)

 
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小貫 恒夫

小貫 恒夫 Tsuneo Onuki

1950年大阪生まれ、武蔵野美術大学舞台美術専攻。在学中より舞台美術および舞台監督としてオペラやバレエの公演に多数参加。85年より博報堂ドイツにクリエイティブ・ディレクターとして勤務。各種大規模イベント、展示会のデザインおよび総合プロデュースを手掛ける傍ら、欧州各地で風景画を制作。その他、講演、執筆などの活動も行っている。
www.atelier-onuki.com
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