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水彩画からのぞく芸術の世界 寄り道 小貫恒夫

39. マーラーの作曲小屋1ーアッター湖畔

39. マーラーの作曲小屋1ーアッター湖畔

マーラーの作曲小屋1(アッター湖畔)
マーラーの作曲小屋1(アッター湖畔)

グスタフ・マーラーは生涯に3カ所の作曲小屋をつくりました。彼は毎年9月から翌年の6月までの音楽シーズンは優秀な指揮者として活躍していましたので、夏休みの間に集中して作曲に取り組んでいました。

作曲に専念するため、最初に訪れたのはオーストリア、ザルツカンマーグートの湖水地方にある湖の一つ、アッター湖畔のシュタインバッハという小さな村でした。

当時マーラーは33歳、ハンブルク歌劇場の音楽監督時代でしたが、1893年から96年までの4年にわたり弟や妹達と休暇を兼ねて滞在していました。それにしても、誰から聞いたのでしょうか、よくもこんなへんぴな所まではるばる来たものです。

彼が滞在したホテルは「ガストハウス フェッティンガー」といって、現在は名称こそ変わりましたが当時のまま現存していて、2階の階段室にはマーラーが滞在していた部屋が再現されています。最初はホテルの部屋で作曲に勤しんでいたのですが、何かと騒がしくて集中できなくなり湖畔に小屋を建ててもらったそうです。

事実、私が行った時も、ちょうどマイバウム(「5月の木」といって、町のシンボルとして5月1日に建てられる)を建立した日で、ホテルの庭では楽隊がくつろいでいて、ご機嫌な音楽が時折演奏されました。これではあの神経質で深刻な内容がたっぷり盛り込まれている曲の発想は邪魔されたことでしょう。

小屋はホテル裏手にある湖畔にポツリ(マーラー時代の写真だと)と建っていました。今はキャンピング場を抜け、小屋の隣にはダイビング・スクールも建っています。

気を取り直してドアを開け慎重に歩を進めると、突然、弦のトレモロと共に「ザバザバザン」とお腹に響くようにコントラバスが力強く刻みました。それはセンサーが反応してここで作曲された交響曲2番の冒頭が鳴り始めた音でした。ここでは、牧歌的な交響曲3番も作曲されていて、意欲に満ちた名作が生れています。

この頃、ウィーンへの進出を目論んでいた彼はコネを得ようと近くのバート・イシュルに滞在中のブラームスの元を訪れています。私も従って翌日はバート・イシュルへと向かいました(何のあてもなく!)。

 
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小貫 恒夫

小貫 恒夫 Tsuneo Onuki

1950年大阪生まれ、武蔵野美術大学舞台美術専攻。在学中より舞台美術および舞台監督としてオペラやバレエの公演に多数参加。85年より博報堂ドイツにクリエイティブ・ディレクターとして勤務。各種大規模イベント、展示会のデザインおよび総合プロデュースを手掛ける傍ら、欧州各地で風景画を制作。その他、講演、執筆などの活動も行っている。
www.atelier-onuki.com
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