独断時評


再生可能エネルギー助成をめぐる激論

福島の原発事故をきっかけとして、2022年までに原子力発電所を全廃することを決めたドイツ。メルケル政権は、2050年までに発電量の80%を再生可能エネルギーでまかなうことを目指しているが、今この国では、再生可能エネルギーの助成をめぐって激しい議論が行われている。アルトマイヤー環境相は今年1月28日に、再生可能エネルギー促進法(EEG)の大幅な見直しを打ち出した。

助成金の引き上げ率を制限

アルトマイヤー環境相は「EEGにはコストを制限する措置が組み込まれていないという欠陥がある」と指摘し、今年と来年の再生可能エネルギー助成金を、1キロワット時当たり5.28セントに据え置くことを提案した。2015年以降の増加率も2.5%に制限する。また「コストが消費者だけに押し付けられるのは不公平」として、発電事業者にも負担を求め、将来建設される発電施設については助成金の支払い開始を遅らせることによって5億ユーロを節約。既存の発電施設についても、助成金を一時的に減らして「エネ連帯税」を課す。

また現在、政府は電力を多く使う大手鉄鋼・化学メーカーなどが国際競争力を失わないように、EEG助成金の緩和措置を認めている。しかしこの特例についても、中小企業や市民から批判の声が出ているため、緩和を受けられる企業の数を減らす。

さらに2月13日に、アルトマイヤー環境相とレスラー経済相は、エコ電力の買取価格を引き下げ、助成金を総額18億6000万ユーロ節約することを発表した。まず政府は、今年8月1日以降に稼働する発電装置について、最初の5カ月間にわたり、買取価格を市場での電力価格まで引き下げる。稼働から6カ月目以降についても、買取価格を1キロワット時当たり8セントに削減する。再生可能エネルギーへの投資を考えている企業や市民にとっては、寝耳に水であろう。

国民の不満の緩和が狙い

アルトマイヤー環境相は、「今対策を取らなかったら、2030年末までに脱原子力・再生可能エネ拡大のコストが総額1兆ユーロに達する」と警告。野党である社会民主党(SPD)と緑の党に対し、改正案の可決を妨害しないよう訴えている。ただし、これらの措置は市民の不満を和らげるための応急措置にすぎない。環境相は、「EEGの抜本的な改正が必要」としており、9月の連邦議会選挙で与党が勝った場合、より踏み込んだ法改正を実施する予定だ。

なぜこのような措置が必要になったのだろうか。昨年、この国では太陽光発電装置が多数設置されて、発電キャパシティーが7ギガワットも増えた。昨年の1キロワット時当たりの再生可能エネルギー助成金は3.59セントだったが、今年の助成金は5.3セントに増える。実に47%の増加である。このため約600社の電力販売会社が、今年1月から電力料金を平均12%引き上げている。電力料金の引き上げは、低所得層にとって大きな負担となる。ノルトライン=ヴェストファーレン州の消費者センターによると、2011年に同州内で約12万人の市民が電力料金を支払えずに、一時的に電気を止められた。

助成金急増のメカニズム

助成金急増のもう1つの理由は、EEG助成金が、法律で定められたエコ電力の買取価格と電力取引市場での価格の差を補てんすることだ。現在、ドイツの電力取引市場では再生可能エネルギーの拡大などによって、電力価格が下落しつつある。エコ電力の買取価格と市場価格の差が広がれば広がるほど、その差を埋めるための助成金の額は増えるのだ。アルトマイヤー環境相は、「助成金が市場価格にリンクしているために、将来助成金の額がどれだけになるかを正確に予想することができない。エネルギー革命が国民経済に過大な負担を強いることは許されない」と主張する。

反発する再生可能エネルギー業界

これに対し、風力発電などの再生可能エネルギーに関連する企業団体は激しく反発している。再生可能エネルギー連邦連合会(BEE)のファルク専務理事は、「助成金の額を調整することには賛成だが、再生可能エネルギー拡大にブレーキを掛ける極端な削減措置は拒絶する」という声明を発表した。BEEは、「政府の提案が実行されたら、再生可能エネルギーへの投資が大幅に減り、地球温暖化防止に歯止めが掛かる」と警告する。再生可能エネルギー業界は、助成金を削減する前に電力税などの引き下げを提案している。

連邦議会選挙までの施行に失敗

政府は再生可能エネ促進法の改正案を、今年夏までに議会で可決させ、8月1日に施行させる方針だった。9月の連邦議会選挙までに、国民の電力料金高騰への不満を和らげるためである。しかし4月下旬、メルケル政権はこの法案に関する連邦政府と州政府の協議が決裂したことを明らかにした。連邦参議院では、SPDと緑の党が議席の過半数を占めている。つまり、州政府の同意が得られなければ、この法案を連邦議会・参議院で審議にかけても意味がないのだ。このため、連邦議会選挙までにEEG見直しのための法律を施行するというメルケル政権の目論見は失敗に終わった。今後与野党は、選挙戦の中で電力料金高騰の責任をお互いになすりつけ合うに違いない。世界でも例のないエネルギー供給構造の急激な変革「Energiewende」には、紆余曲折がありそうだ。

7 Juni 2013 Nr.955

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 11:03
 

ドイツ総選挙後は増税か?

今年9月のドイツ連邦議会選挙の重要な争点の1つは、所得格差の是正だ。わかりやすく言えば、「所得が多い市民への課税を増やして、所得が低い人に再分配する」ということだ。このため、政権への参加を狙う社会民主党(SPD)と緑の党は、高所得層への課税を強める方針を明らかにし、庶民の浮動票を確保する作戦に乗り出している。

最高税率を49%に引き上げ?

例えば今年3月末にSPDの首相候補P・シュタインブリュック氏は、政権に就いた場合、所得税の最高税率を現在の42%から49%に引き上げる方針を打ち出した。SPDの提案によると、課税対象となる年間収入が6万4000ユーロ(768万円・1ユーロ=120円換算)以下の市民については、これまで通りの税率が適用される。しかし、この額を超える市民については徐々に税率を引き上げ、年収が10万ユーロ(1200万円)を超える市民については、49%の所得税率が適用される。

緑の党は、高所得者にとってさらに厳しい税制を提案している。同党の提案によれば、課税対象となる年収が8万ユーロ(960万円)を超えると、49%の所得税率が適用される。最高税率が適用される額が、SPDよりも2万ユーロ低いのだ。より多くの市民が、最高税率の網に掛かることになる。

さらに緑の党は、期限を設けて資産税を導入したり、相続税を大幅に引き上げたりすることも提唱している。同党は税収の増加分を、学校や幼稚園、託児所の整備、公共債務の削減などに当てることにしている。

同党の首相候補J・トリッティン氏は「ドイツに住む納税者の90%は、毎年の収入が6万ユーロに達していない。所得がより高い人々の税率を増やすことによって、納税者の90%の負担を減らすことが目的だ」としている。

さらに緑の党は、現在夫婦に対して適用されているEhegattensplitting(夫婦の所得均等分割の原則)を部分的に廃止する方針も打ち出している。Ehegattensplittingとは、夫婦の所得の格差に関わらず、夫と妻の所得の合計を2等分して、それぞれの所得に税率を適用する原則。この原則を廃止した場合、所得額や子どもの数によっては毎年の税負担が増えるケースが出てくる。

所得の再分配が狙い

これらの主張から、SPDと緑の党が所得の再分配を目指していることは明らかである。ドイツでは、市民の6人に1人が貧困にさらされている。(EUの定義によると、全市民の所得の中間値の60%を下回る市民が貧困層とされる)これに対し、所得が最も多い20%の市民の所得の合計は、所得が最も少ない20%の市民の所得の合計の4.5倍に達している。

さらに欧州中央銀行の調査によると、ドイツの個人資産の中央値は、ギリシャやキプロス、スペインなどよりも大幅に低い。その理由は、ドイツではアパートや家を所有している市民の比率が44%と南欧諸国に比べて大幅に低いことである。この国では可処分所得が低いために住宅を購入できる人は限られており、市民の6割以上が賃貸アパートに住んでいる訳だ。SPDや緑の党は、こうした格差を是正することを狙っているのだ。

自営業者は強く反発

これに対し、ドイツの自営業者たちからは両党の案に対する批判の声が上がっている。ドイツ手工業者中央連盟(ZDH)は、「SPDと緑の党の増税案は、特に個人企業への負担を最も大きくする」と指摘。またメルケル首相の率いるキリスト教民主同盟(CDU)からも、「特に緑の党の増税案が実行に移された場合、100万人分の雇用が失われる」と警告している。

9月の総選挙では、SPDが何らかの形で政権に加わる可能性が高い。公共放送ARDが4月4日に行なった世論調査によると、CDU・CSU(キリスト教社会同盟)、自由民主党(FDP)の与党勢力への支持率は45%。FDPは5%の得票率を確保できるか微妙で、連邦議会に会派を送り込めない危険性もある。一方、SPDと緑の党への支持率は41%。与野党ともに過半数を取れない可能性が強まっているのだ。

だが現在、与党勢力への支持率はさらに下がっていると見られる。メルケル首相にとって都合の悪いことに、4月末にバイエルン州でCSUの重鎮たちのスキャンダルが発覚したからだ。バイエルン州議会のCSU会派代表であるG・シュミット議員は、長年にわたり妻を秘書として雇用する契約を結び、公費で毎月5500ユーロの「給料」を支払っていた。さらに州政府の教育相、農業相らについても同様の疑惑が浮かんでいる。すさまじい公私混同である。

大連立政権は不可避?

このスキャンダルによって、CSUへの支持率が低下することは火を見るよりも明らかだ。SPDにとっては追い風となろう。このため連邦議会選挙の結果次第では、CDU・CSUとSPDが嫌々ながら大連立政権を組まざるを得なくなるかもしれない。

大連立政権が誕生した場合、SPDが富裕層への課税強化を要求することは明白である。自営業者や高所得層にとっては、厳しい4年間がやってくることになりそうだ。

17 Mai 2013 Nr.954

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 11:04
 

混乱!NSU裁判と記者席

「Blamage(大失態)!」4月中旬、こんな言葉がミュンヘンのローカル紙の一面に掲載された。

延期された初公判

バイエルン州上級地方裁判所は、4月17日からミュンヘンで開くはずだった極右テロリスト・グループ(NSU=国家社会主義地下活動)に対する初公判を、3週間にわたり延期したのだ。この公判は、犯行グループの唯一の生き残りであるベアーテ・チェーペや、NSUの活動を支えた支援者に対して初めて刑事責任が問われる重要な裁判である。

NSUに射殺されたトルコ人やギリシャ人ら10人の遺族たちは、法廷で事件の解明が少しでも進むこと、そして被告たちに厳しい判決が下ることを期待していた。それだけに、公判をめぐる紆余曲折が遺族たちに与えた失望は大きい。なぜこのような事態が起きたのだろうか。

締め出されたトルコのメディア

事の起こりは、バイエルン州上級地方裁判所が裁判を傍聴する記者席の配分を行った際に、被害者の大半がトルコ人であることに配慮せず、事務的に処理しようとしたことだ。トルコでは、この事件に対する関心が非常に高い。しかし、トルコのメディアが気付いた時には、50人分の記者席は申し込んだ順番に割り当てられ、1席も残っていなかった。あるトルコの新聞は、記者席の配分の開始を伝える裁判所のメールを、ほかの記者よりも20分遅れて受け取ったと主張している。さらに一部のドイツ人記者が、裁判所の広報課から、ほかの記者よりも早く「まもなく傍聴希望者の募集が始まる」という「予告」を受けていたこともわかった。

トルコでは「外国のメディアを差別する措置だ」として、怒りの声が強まった。同国の新聞社だけでなく政府も、トルコのメディアに裁判を傍聴させるよう求めた。

犠牲者の大半がトルコ人だったことを考えれば、彼らが怒ったのは、もっともである。さらにNSU事件は、通常の刑事事件とは異なる。捜査当局は、一連の殺人事件を極右による計画的なテロとは考えず、外国人の犯罪組織の抗争という見込み捜査を行った。このため、11年間にわたって犯人グループが野放しにされ、被害者が続出した。連邦刑事局、憲法擁護庁などの捜査機関にとって、戦後最大の不祥事の1つである。世界中が注目しているこの事件の裁判で、トルコのメディアが締め出されたのだ。

連邦憲法裁に提訴

ドイツ連邦政府もトルコとの外交関係の悪化を懸念して、同国のメディアが傍聴できるよう配慮することを希望した。だが同裁判所のマンフレート・ゲッツル裁判長は、規則の変更を拒否。その理由は、ドイツが法治国家であり、司法の独立を重視していることである。裁判所が外国政府やメディアの圧力に負けて、傍聴に関する規則を変更した場合、「法の独立が侵された」と批判される恐れがあったためである。

このため、トルコの新聞社は「記者席の割り当て方法は、外国のメディアを差別するもので、憲法違反」と主張し、カールスルーエの連邦憲法裁判所に提訴。憲法裁は4月12日に原告の主張を認め、バイエルン州上級地方裁判所に対し、トルコのメディアに最低3席を与えるか、記者席の配分をやり直すように命じた。

しかし、憲法裁の決定が下ったのは金曜日。日本ならば週末返上で働くところだが、ドイツの裁判所職員は週末に仕事はしない。4月15日の月曜日から初公判の期日までは、2日しかない。バイエルン州上級地方裁判所は、準備のための時間が足りないと判断してか、初公判を5月6日に延期した。4月17日の初公判へ向けて心の準備をしていた遺族たちは、傍聴席をめぐる事務的なトラブルのために裁判が延期されたことで失望しているに違いない。

遺族たちの苦悩は続く

遺族たちの中には、公判によって家族が殺された日の記憶がよみがえると考えて、心の重荷に苦しんでいる人々もいるだろう。遺族たちは、「殺されたトルコ人は犯罪組織の一員ではないか」と考えた警察によって、執拗に尋問された。被害者が犯人扱いされたのである。今なお怒りに震える遺族たちにとっては、初公判が3週間延長されたことは、「精神的な拷問」がさらに続くことを意味する。

トルコのメディアが公判を傍聴できるようになったことは喜ばしい。しかし、今回の混乱によって、バイエルン州だけでなく、ドイツの国際的なイメージに傷が付いたことは間違いない。バイエルン州上級地方裁判所は、多くのトルコ人がNSU事件の犠牲になったことに配慮して、初めからトルコのメディアのための席を確保しておくべきだった。連邦憲法裁判所から命令されて、初めてトルコのメディアに傍聴させるというのでは、あまりにも情けない。

もちろん司法の独立は尊重されるべきだが、裁判官と言えども社会の構成員であることには変わりない。市民感情や、国際関係を完全に無視して良いというものではない。

ドイツ人の悪い点の1つは、法律や規則を重視するあまり、感情への配慮が欠ける場合があることだ。記者席をめぐる今回の茶番劇は、そのことを露呈したと言えるのではないか。裁判所には猛省を促したい。

3 Mai 2013 Nr.953

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 11:06
 

メルケルとサッチャー

ヴェルト紙一面を飾ったサッチャー氏の訃報
ヴェルト紙一面を飾ったサッチャー氏の訃報

1979年から90年まで、英国で女性として初めて首相を務めたマーガレット・サッチャーが、4月8日に87歳で死去した。サッチャーは、労働組合や野党だけでなく、自身が率いる保守党内の反対派とも真っ向から対決することを辞さなかった。このため彼女は、「鉄の女(Iron Lady)」と呼ばれていた。  

ドイツのアンゲラ・メルケル首相も南欧諸国の市民やメディアから「鉄の女」と呼ばれることがあるが、2 人の女性首相の間には、かなり大きな違いがある。

サッチャーは、自由主義を重視する経済学者フリードリヒ・ハイエクとミルトン・フリードマンに傾倒していた。具体的には「小さな政府」を実現するために、政府支出と社会保障の削減、補助金の廃止、減税、民営化と規制緩和を徹底的に推し進めた。  

サッチャーは、「政府が経済活動に介入せず、需要と供給に基づく市場原理に任せることが成功の鍵だ」と考えた。彼女にとって、社会的平等を目指し、富者が貧者に手を差し伸べることを重視する社会主義は、悪の思想だった。例えば1970年代の英国では、小学校が児童に無料で牛乳を飲ませていたが、サッチャーは教育相だった時にこの制度を一時的に廃止した。このため、彼女は英国のメディアから「Milk snatcher(牛乳泥棒)」と呼ばれ、批判された。サッチャーにとっては、政府の補助金や社会保障サービスは、国民が政府に依存する心を育て、自助努力を弱める「悪弊」だった。彼女は「社会などというものはない。あるのは個人と家族だけだ」と言ったことがある。  

サッチャーは上層階級ではなく、食料品や雑貨を売る店の経営者の娘として生まれ、人一倍努力することによって、初の女性党首、女性首相の地位にまで上り詰めた。彼女の一生は、「戦い」の連続だったと言える。首相になってからは、毎日4時間しか睡眠を取らなかった。このため、英国の特権階級やブルジョアジーにとっては「異端児」だった。  

サッチャーは1987年にある雑誌とのインタビューの中で、「市民は自分の心配事や問題を解決するために、自分で責任を持って対処しようとせず、政府と社会におねだりしてばかりいる」と不満をぶちまけたことがある。  

その意味でサッチャーは、現在ネオリベラリズム(新自由主義)と呼ばれ、米国と英国で主流となっている経済システムの生みの親の1人であった。1986年に導入した「金融ビッグバン」によって、金融業界の規制を大幅に緩和したことは、英国で銀行・保険などの金融サービスが主要産業となり、製造業の比率が相対的に低下する原因の1つとなった。  

英国では、サッチャー政権下で社会の所得格差が急激に広がった。その状態は今も続いており、「富裕層がどんどん富を蓄え、貧困階級がますます貧しくなる格差社会の基礎を築いた」として、この女性宰相を批判する声は後を絶たない。  

これに対し、ドイツの「鉄の女」メルケルは、サッチャーほど戦闘的ではない。正面衝突よりも対話と合意を重視する。サッチャーのように自由市場経済に心酔する政治家ではない。英国の鉄の女とは異なり、歯に衣を着せない挑発的な発言は避けようとする。  

第2次世界大戦後の西ドイツの経済システムは、企業間の自由競争を重視しながらも政府が一定の枠を設け、社会保障制度によって困窮した市民を救済するためのセーフティーネットを準備する。ドイツ人は、「社会的市場経済(Soziale Marktwirtschaft)」と呼ばれるこの経済システムを重視しており、メルケルもこの点を変えようとはしていない。サッチャーが社会保障制度を目の敵にしたのとは、大きな違いだ。  

またドイツの経営システムは、英国と違って勤労者の代表との合意を重視する。例えばドイツの法律は、規模の大きな企業に対し、事業所評議会(Betriebsrat=労働組合と同じ機能を果たす組織で、企業ごとに設置されている)、つまり従業員の代表を取締役会のお目付け役である監査役会(Aufsichtsrat)に参加させることを義務付けている。この制度のために、ドイツでは労働争議のために失われる時間が、世界で最も短い国の1つとなっている。英国では考えられない制度だ。メルケルは、ドイツ国民がこうした枠組みを守りたいと考えていることを知っている。  

もちろん、ドイツでも統一前に比べると所得格差が拡大していることは確かだ。ドイツで、サッチャー流の改革を目指したのは、「アジェンダ2010」によって労働市場と社会保障改革を断行したシュレーダーである。シュレーダーは、企業の社会保障コストや税金の負担を減らすことにより企業競争力を高め、今日のドイツ経済の繁栄の基礎を作った。しかし、一方では社会保障サービスの削減によって、旧東ドイツを中心に所得格差が広がったことは間違いない。このため、シュレーダーは左派勢力から批判されて、2005年に政界を去った。メルケルはシュレーダーが敷いた線路の上を走っているのだが、改革を始めた本人ではないので、彼ほど社会の批判の矢面には立っていない。  

社会主義を敵視していたサッチャーは、社会民主党員シュレーダーがサッチャリズムに似た改革を実行し、ドイツの競争力を英国に比べて大幅に高めたことについて、草葉の陰で目を丸くしているに違いない。

19 April 2013 Nr.952

最終更新 Sonntag, 21 Juli 2013 01:04
 

福島事故後の日本とドイツ(2)

前回、このコラムで福島第1原発の炉心溶融事故について「このような重大事故が祖国で起きたことの『重さ』を、事故から時が経つにつれてますます強く感じる。除染は遅々として進まず、多くの市民が故郷を奪われたままだ。フクシマは終わっていない」と書いたところ、日独にお住まいの何人かの読者の方々から「同感だ」というご意見を頂いた。多くの日本人が、今なおこの事故に衝撃を受け、沈痛な思いを抱いていることを感じた。

2022年末までに原発を全廃へ

atomkraft? nein danke
ATOMKRAFT? NEIN DANKE(原子力? いいえ結構です)

私は2000年からドイツの原子力やエネルギーに関する問題について取材、執筆してきたが、福島事故後にドイツ人たちが行った決断には驚かされた。日本から約1万キロメートルも離れている経済大国が、事故からわずか4カ月で「2022年末までにすべての原発を廃止する」という法律を連邦議会と連邦参議院で可決したのだ。一方、当事者である我が国では、事故から2年以上経った今もエネルギー政策の進路が確定していない。日独のエネルギー戦略の違いは、事故から時間が経つほど、際立っていく。

ドイツは、物作りと貿易に依存する工業先進国の中で、福島事故をきっかけとしてエネルギー政策を急激に転換し、脱原子力の「締切日」を確定した唯一の国である。この国は、福島事故を「対岸の火事」ではなく、自分たちにも関わる出来事と考えたのだ。

福島事故の約2週間後に、保守王国バーデン=ヴュルテンベルク州で行われた州議会選挙では、緑の党と社会民主党(SPD)が圧勝し、60年間にわたって単独支配を続けたキリスト教民主同盟(CDU)が惨敗した。その原因は、シュトゥットガルト駅改築工事をめぐる論争だけではなく、福島事故をきっかけに市民が原子力に「ノー」という明確な意思表示をしたからである。産業立地として重要なバーデン=ヴェルテンベルク州は、電力の約50%を原子力に依存していた。そのような州で、緑の党の議員が首相の座に就いたのは、「革命」である。

メルケル政権への批判

もちろんドイツにも、「メルケル政権の決定は拙速だった」という意見はある。原発を運転している大手電力会社4社の内3社は、「メルケル政権と州政府が原子炉を停止させたのは違法だった」と主張し、損害賠償請求訴訟や違憲訴訟を起こしている。

例えば今年2月に、ヘッセン州行政裁判所は、「ヘッセン州政府がビブリス原子力発電所のA・B号機を停止させたのは違法」と主張していた電力会社RWEの主張を認める判決を言い渡した。

この行政裁判の争点は、メルケル政権の脱原子力政策そのものの適法性ではなかった。裁判官が判断したのは、ヘッセン州政府の手続きが法律にかなっていたかどうかである。

法曹界では、「日本で起きた事故を理由に、ドイツの国民にも危険が迫っていると考えて原子炉を止めさせたメルケル政権の決定には法的な弱点がある」という指摘があった。

全政党が脱原発を支持

だが、現在のところドイツの政党には、脱原子力政策の変更を考えている政党は1つもない。その理由は、脱原子力政策を見直すことを公約に掲げた場合、次の選挙で得票率が下がることが目に見えているからだ。再生可能エネルギーに対する助成金の高騰に歯止めを掛けようと必死のペーター・アルトマイヤー環境相(CDU)ですら、「脱原子力を見直すつもりは全くない」と強調している。

かつてCDU、キリスト教民主同盟(CSU)、自由民主党(FDP)は原子力推進の立場を取っていた。これらの政党が、福島事故以降、緑の党と同じ原子力反対派に「転向」したのは、原子力推進に固執していたら有権者に見放されるという危機感を抱いたからである。ドイツの政治家は、日本とは違って経済団体や大企業よりも、世論調査の結果を重視する。

私は、ある大手企業の管理職として働くドイツ人を知っている。彼は、福島事故が起きるまでは、原発は必要だと考えていた。「しかし私は福島事故の映像を見て考え方を変え、やはり原発は使わないほうが良いと思うようになりました」。原発支持派から反対派に鞍替えしたのは、メルケル首相だけではなかったのだ。

40年間にわたる原子力論争

だが脱原子力路線を最初に踏み出したのは、メルケル氏ではない。シュレーダー氏の率いるSPD・緑の党の連立政権が2002年に施行した「脱原子力法」が最初である。

この国では、40年前から原発の是非を問う論争が行われてきた。その背景にはリスク意識が高く、巨大技術に対して批判的・悲観的な見方をするドイツ人の国民性がある。さらに、経済的な繁栄もさることながら、市民の健康と安全を重視するドイツ人の基本的な性格も影響している。

電力を外国から輸入することが日常茶飯事である欧州と、電力を外国から全く輸入していない日本を単純に比較することはできない。それでも、我々日本人はドイツ人が原子力と化石燃料ではなく、再生可能エネルギーを中心とする経済を実現すべく努力していることを、完全に無視して良いものだろうか?

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 11:10
 

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