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メルケルとサッチャー

ヴェルト紙一面を飾ったサッチャー氏の訃報
ヴェルト紙一面を飾ったサッチャー氏の訃報

1979年から90年まで、英国で女性として初めて首相を務めたマーガレット・サッチャーが、4月8日に87歳で死去した。サッチャーは、労働組合や野党だけでなく、自身が率いる保守党内の反対派とも真っ向から対決することを辞さなかった。このため彼女は、「鉄の女(Iron Lady)」と呼ばれていた。  

ドイツのアンゲラ・メルケル首相も南欧諸国の市民やメディアから「鉄の女」と呼ばれることがあるが、2 人の女性首相の間には、かなり大きな違いがある。

サッチャーは、自由主義を重視する経済学者フリードリヒ・ハイエクとミルトン・フリードマンに傾倒していた。具体的には「小さな政府」を実現するために、政府支出と社会保障の削減、補助金の廃止、減税、民営化と規制緩和を徹底的に推し進めた。  

サッチャーは、「政府が経済活動に介入せず、需要と供給に基づく市場原理に任せることが成功の鍵だ」と考えた。彼女にとって、社会的平等を目指し、富者が貧者に手を差し伸べることを重視する社会主義は、悪の思想だった。例えば1970年代の英国では、小学校が児童に無料で牛乳を飲ませていたが、サッチャーは教育相だった時にこの制度を一時的に廃止した。このため、彼女は英国のメディアから「Milk snatcher(牛乳泥棒)」と呼ばれ、批判された。サッチャーにとっては、政府の補助金や社会保障サービスは、国民が政府に依存する心を育て、自助努力を弱める「悪弊」だった。彼女は「社会などというものはない。あるのは個人と家族だけだ」と言ったことがある。  

サッチャーは上層階級ではなく、食料品や雑貨を売る店の経営者の娘として生まれ、人一倍努力することによって、初の女性党首、女性首相の地位にまで上り詰めた。彼女の一生は、「戦い」の連続だったと言える。首相になってからは、毎日4時間しか睡眠を取らなかった。このため、英国の特権階級やブルジョアジーにとっては「異端児」だった。  

サッチャーは1987年にある雑誌とのインタビューの中で、「市民は自分の心配事や問題を解決するために、自分で責任を持って対処しようとせず、政府と社会におねだりしてばかりいる」と不満をぶちまけたことがある。  

その意味でサッチャーは、現在ネオリベラリズム(新自由主義)と呼ばれ、米国と英国で主流となっている経済システムの生みの親の1人であった。1986年に導入した「金融ビッグバン」によって、金融業界の規制を大幅に緩和したことは、英国で銀行・保険などの金融サービスが主要産業となり、製造業の比率が相対的に低下する原因の1つとなった。  

英国では、サッチャー政権下で社会の所得格差が急激に広がった。その状態は今も続いており、「富裕層がどんどん富を蓄え、貧困階級がますます貧しくなる格差社会の基礎を築いた」として、この女性宰相を批判する声は後を絶たない。  

これに対し、ドイツの「鉄の女」メルケルは、サッチャーほど戦闘的ではない。正面衝突よりも対話と合意を重視する。サッチャーのように自由市場経済に心酔する政治家ではない。英国の鉄の女とは異なり、歯に衣を着せない挑発的な発言は避けようとする。  

第2次世界大戦後の西ドイツの経済システムは、企業間の自由競争を重視しながらも政府が一定の枠を設け、社会保障制度によって困窮した市民を救済するためのセーフティーネットを準備する。ドイツ人は、「社会的市場経済(Soziale Marktwirtschaft)」と呼ばれるこの経済システムを重視しており、メルケルもこの点を変えようとはしていない。サッチャーが社会保障制度を目の敵にしたのとは、大きな違いだ。  

またドイツの経営システムは、英国と違って勤労者の代表との合意を重視する。例えばドイツの法律は、規模の大きな企業に対し、事業所評議会(Betriebsrat=労働組合と同じ機能を果たす組織で、企業ごとに設置されている)、つまり従業員の代表を取締役会のお目付け役である監査役会(Aufsichtsrat)に参加させることを義務付けている。この制度のために、ドイツでは労働争議のために失われる時間が、世界で最も短い国の1つとなっている。英国では考えられない制度だ。メルケルは、ドイツ国民がこうした枠組みを守りたいと考えていることを知っている。  

もちろん、ドイツでも統一前に比べると所得格差が拡大していることは確かだ。ドイツで、サッチャー流の改革を目指したのは、「アジェンダ2010」によって労働市場と社会保障改革を断行したシュレーダーである。シュレーダーは、企業の社会保障コストや税金の負担を減らすことにより企業競争力を高め、今日のドイツ経済の繁栄の基礎を作った。しかし、一方では社会保障サービスの削減によって、旧東ドイツを中心に所得格差が広がったことは間違いない。このため、シュレーダーは左派勢力から批判されて、2005年に政界を去った。メルケルはシュレーダーが敷いた線路の上を走っているのだが、改革を始めた本人ではないので、彼ほど社会の批判の矢面には立っていない。  

社会主義を敵視していたサッチャーは、社会民主党員シュレーダーがサッチャリズムに似た改革を実行し、ドイツの競争力を英国に比べて大幅に高めたことについて、草葉の陰で目を丸くしているに違いない。

19 April 2013 Nr.952

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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