独断時評


暴力に抗する勇気

ドイツ語に「Zivilcourage」という言葉がある。知らない人が困ったり危険にさらされたりしている時に、助ける勇気のことだ。9月12日にミュンヘン郊外の駅で起きた殺人事件は、このZivilcourageの重要性を深く考えさせる出来事だ。

17~18歳のドイツ人といえば、もう体格は大人並みだ。そんな若者たちが、Sバーンの列車の中で子どもたちから金を脅し取ろうとしている。このような光景を見たら、皆さんはどう行動するだろうか。

「やめなさい」と若者たちに注意するだろうか。それとも、「触らぬ神にたたりなし」ということわざ通り、見て見ぬふりをして新聞や雑誌を読み続けるだろうか。注意したら、若者たちが自分に向かってくるかもしれない。暴漢はナイフを持っているかもしれない。

中規模会社の役員だったドミニク・ブルナー氏(50歳)は、見て見ぬふりをしなかった。彼は電車の中から携帯電話で警察に通報した上、脅されている子どもたちを暴漢から守るために自分と一緒にゾルンの駅で降りるようにうながした。他のSバーンの乗客は、誰も子どもたちを助けようとはしなかった。

ブルナー氏が子どもたちとゾルン駅で降りたところ、2人の若者はブルナー氏に襲いかかる。プラットホームに倒れたブルナー氏は22回も殴られたり蹴られたりしたために、病院で死亡した。駅では約20人の市民が電車を待っていたが、誰も若者たちを止めなかった。

ブルナー氏は、Zivilcourageを発揮した模範的な市民である。だが、弱い者を暴力から助けようとしたために、自らが犠牲者となった。子どもたちやブルナー氏を助けずに傍観していた市民たちは、殺されずに済んだ。なんともやりきれない、悲しい事件である。

私はSバーンのこの路線をよく利用するので、この事件が他人事とは思えない。仕事に行く途中、電車の中で子どもたちが暴漢にいじめられているのを見たら、自分にはブルナー氏のように間に割って入るだけの勇気があるだろうか。「厄介事には関わりたくない」という気持ちと、「助けなくては」という気持ちのどちらが強くなるだろうか。

バイエルン州政府はブルナー氏に勲章を授与することを決めたが、それだけでは「Sバーンの英雄」は浮かばれない。市民一人ひとりが電車の中で同じような光景を見た時に、捨て身の覚悟で弱い者を助けるZivilcourageを持たなければ、ブルナー氏の死は無駄になる。

一部の保守党が主張しているように少年に対する刑罰を重くしても、若者の暴力が大幅に減る可能性は低い。日本や米国にある死刑制度が、凶悪犯罪の抑止につながっていないのと同じである。

2001年9月11日の米同時多発テロで、テロリストに乗っ取られ、ホワイトハウスか米国連邦議会に向かっていたと思われる旅客機の乗客たちは、機内で犯人たちに襲いかかって飛行機を原野に墜落させ、ワシントンが攻撃されるのを防いだ。この乗客たちもブルナー氏と同じく、自らの命を代償にしてほかの人々を救った。

暴力が横行する現代社会では、Zivilcourageを発揮しなくてはならない局面が増えている。ブルナー氏の勇気ある行為は、私たち一人ひとりに重い問いを投げかけているのだ。

2 Oktober 2009 Nr. 785

最終更新 Mittwoch, 19 April 2017 15:58
 

総選挙・テレビ討論の不発

9月13日にメルケル首相(CDU)とシュタインマイヤー外相(SPD)が行ったテレビ討論会をご覧になっただろうか。

過去の選挙結果を見ると、この討論会での首相候補の態度に影響されて投票する政党を決めたという有権者は少なくない。その理由は、無党派層が増加しているからだ。最近の連邦議会選挙では、市民の30~40%が、投票日の1カ月前になってもどの政党に入れるか決めていないと言われる。それだけに、選挙直前のテレビ討論は重要なのだ。

しかし今回の討論では、「がっかりした」とか「しらけた」という声が強い。それはメルケル氏とシュタインマイヤー氏が大連立政権で同じ内閣に属しているため、政策の違いがほとんど目立たなかったからだ。

両者の意見が食い違ったのは、増税の是非、最低賃金の導入、原子力発電所の稼動年数の延長問題の3点だけ。経済危機の克服、格差社会の是正、金融機関の取締役の報酬制限、アフガニスタン派兵問題など大半の争点で2人は同じ意見だった。

教育問題や若者の犯罪について刑罰を重くするかどうか、旧東ドイツの再建などについては全く触れられなかった。膨らみつつある公共債務をどのように減らすのかについても、十分に議論されなかった。

司会を務めた4人のジャーナリストたちは、挑発的な質問をぶつけてなんとかお互いを批判させようと試みたが、メルケル氏・シュタインマイヤー氏ともに質問を巧みにかわしてライバルへの批判を避けた。相手を批判することは、自分が属する大連立政権に対する批判に繋がるからだ。2人とも「大連立政権は健闘した」と自画自賛した。

ジャーナリストの1人は、「お二人は、まるで仲の良い夫婦のようですね。いっそのこと大連立政権を続けられたらどうですか」と皮肉を言ったほどである。

番組のタイトルの中に使われた「Duell(対決)」という言葉とは裏腹に、両候補の政策の違いは浮き彫りにはならなかった。無党派層に属する人々が投票する政党を決める上で、あまり参考にはならなかったものと思われる。

米国の影響で、選挙に及ぼすマスコミの影響、とくに候補者のイメージの重要性は増す一方だ。イメージに限って言えば、メルケル首相は緊張気味でやや精彩を欠いていた。これに対しシュタインマイヤー外相は話し方に余裕を感じさせ、好感を抱いた視聴者が多かったようだ。

また、このテレビ討論会は、大連立政権がいかに不健全な状態であるかをはっきりと示した。本来ならば与党席と野党席に分かれて対決すべき2つの党が、やむをえず一緒に政権の座に就くことは、政策の違いをぼやけさせ、有権者の選挙への関心を減らすからだ。二大政党制を基本とするドイツの民主主義制度にふさわしい状態ではない。

だが最近の世論調査によると、CDU・CSU・FDPへの支持率は50%を割っている。「もはや大連立は続けたくない」と明言しているメルケル氏・シュタインマイヤー氏が最も懸念しているのは、保守、リベラルともに過半数を取れない事態だろう。

9月27日、国民はどのような審判を下すのだろうか。

25 September 2009 Nr. 784

最終更新 Mittwoch, 19 April 2017 15:56
 

ポーランド侵攻から70周年


 ©AP/Press Association Images
今からちょうど70年前の1939年9月1日、ドイツ軍はポーランドに侵攻した。当時、ドイツ軍の宣伝中隊がプロパガンダ用に撮影した有名な写真がある。10人のドイツ兵たちが、ポーランドの国章がついた国境検問所の遮断機を押し開けている。何人かの兵士たちは顔に微笑みすら浮かべている。彼らは自分たちの行く手にドイツ第三帝国の滅亡が待っていることを、まだ知らない。9月1日は、その後およそ5年半にわたってヨーロッパを荒廃させ、約6000万人の命を奪うことになる第2次世界大戦の火ぶたが切られた日でもあった。

ポーランドは、第2次世界大戦で最も甚大な被害を受けた国の1つである。旧式な装備のポーランド軍は近代的なドイツの戦車部隊に歯が立たず、開戦からわずか18日間でポーランド政府は国外へ脱出した。

同国では、1945年の終戦までに大都市の大半がドイツ軍によって破壊され、600万人もの死者を出した。この背景には、ユダヤ系ポーランド人がアウシュヴィッツ、マイダネク、ソビボールなどの強制収容所で組織的に虐殺された事実がある。ポーランド人の17.2%が第2次世界大戦の犠牲になったが、この数は国民全体に占める死者の割合としては世界最高だ。

ポーランドの敵はナチスだけではなかった。ヒトラーとスターリンが結んだ独ソ不可侵条約に基づき、ソ連軍がポーランドに侵攻し、東半分を占領した。二頭の猛獣に挟まれたポーランドは、こうして戦争中に地図の上から消え去ったのである。ソ連の秘密警察はポーランド軍の将校らを逮捕し、「カチンの森」などで虐殺した。

私は、戦争中にナチス・ドイツの捕虜になり、アウシュヴィッツで拘束された後、生還を果たしたポーランド人元兵士と話したことがある。彼は、「私はドイツ軍に捕われてアウシュヴィッツに入れられたので、まだ運が良かった方だ。もしもソ連軍に捕まっていたら、すぐに処刑されていただろう」と語った。「アウシュヴィッツに送られて運が良かった」という言葉は、もちろん本心ではない。そこには痛烈な皮肉と大国に対する怒りが込められている。この言葉を聞いた私のポーランド人の知人は、大粒の涙を流した。

ポーランドは戦後もソ連を頂点とする軍事同盟ワルシャワ条約機構に組み入れられ、モスクワの圧政に苦しんだ。

ベルリンに建設予定の「追放被害者のための資料館」をめぐり、昨年ポーランド政府がドイツの「追放被害者同盟」に対して激しい批判を浴びせたように、今なおポーランド人はドイツに対して複雑な感情を抱いている。ドイツ政府は今後もポーランドとの関係改善に努めるべきだろう。

ポーランド政府がイラクやアフガニスタンに戦闘部隊を派遣し、米国のために積極的に軍事貢献を行っているのは、ドイツとソ連という二大独裁国家によって苦しめられた歴史を教訓にし、米国との絆を強めようとしているからだ。

ロシアでは今だ議会制民主主義が育っておらず、不安定な国家情勢が続いている。南オセチアやチェチェンでの同国の軍事行動を見てもわかるように、将来どのような突発事態が起こるかわからない。多くのポーランド人は70年前の惨劇を振り返って、「二度と大国には蹂躙(じゅうりん)されない」という決意を新たにしているに違いない。

18 September 2009 Nr. 783

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 11:10
 

連邦議会選挙は接戦か?

国内外とも選挙のニュース一色である。8月30日に日本で行われた総選挙では、自民党が歴史的な大敗を喫して議席を300から119に減らし、民主党が議席を115から308に増やした。日本の戦後の歴史では極めて珍しい本格的な政権交代が、現実のものになる。民主党の優勢は予想されていたが、ここまで大差がつくとは予想されていなかった。

同じ週末にドイツのいくつかの州で行われた州議会選挙でも、意外な展開があった。テューリンゲン州では与党キリスト教民主同盟(CDU)が得票率を前回の43%から31.2%に激減させた。CDUは、ザールラント州でも得票率を47.5%から34.5%に減らして惨敗。ザクセン州では0.9ポイントの減少にとどまった。

これに対して予想以上に躍進したのが、自由民主党(FDP)。テューリンゲン州で得票率を3.6%から7.6%に増やしたほか、ザクセン州でも5.9%から10%に票を伸ばした。

社会民主党(SPD)は旧東独の2州でやや得票率を伸ばしたにとどまり、FDPほど躍進できなかった。ザールラント州は左派党の議員団議長オスカー・ラフォンテーヌの地元というだけあり、左派政党リンケが、得票率を2.3%から21.3%に伸ばして大躍進。その余波を受けてSPDは、得票率を30.8%から6ポイントも減らした。

州議会選挙にはそれぞれの地域の特殊な事情が反映されるので、その結果を100%連邦議会選挙に当てはめることはできない。それでも、優勢を伝えられてきたCDUがザクセンなどの重要な州で低調だったことは予想外の事態である。

FDPのヴェスターヴェレ党首がこの選挙結果について発言したように、9月27日の連邦議会選挙は保守連立政権をめざすCDU・CSU、FDPと、リベラル勢力であるSPD、緑の党などとの接戦になる可能性が浮上してきた。

前回2005年の総選挙のように、保守派、リベラル派の両者とも過半数を取れないという事態も起こりうる。

近年の選挙では、浮動票の割合が拡大している。CDU・CSUと、SPDの政策が大きく似通っており、政党の独自色が減っていることが大きな理由である。米ソ冷戦の終結によって、市民の間で政治に対する関心が弱まったことも一因だろう。

どの政党に1票を投じるかを決めていない浮動層は、選挙の直前に報じられるニュースに影響されやすい。

SPDのシュミット保健相が、公用車でスペインにバカンスに行った問題、ドイツ銀行のアッカーマン頭取が、「メルケル氏の許可を得て連邦首相府の建物で誕生日パーティーを開いた」という、必ずしも正確ではない発言を行った問題などは、浮動票の行方を左右するだろう。事前の世論調査の結果が、投票日にくつがえされることがあるのも、気まぐれな浮動層のためである。

選挙戦のラストスパートに入った各政党は、投票箱が開けられる瞬間まで気を許すことができない。

11 September 2009 Nr. 782

最終更新 Mittwoch, 19 April 2017 15:29
 

連邦軍・新しい勲章の陰に


 ©Michael Kappeler/AP/PA Photos
今年7月6日、メルケル首相はベルリンで4人の連邦軍兵士たちに勲章を授与した。昨年秋にアフガニスタンのクンドゥスに近い村で、ドイツ連邦軍の検問所が自爆テロ攻撃を受けた際に、この兵士たちは危険をかえりみず、負傷した戦友と市民の救助にあたった。近くにあった軍用車両が炎上し、積まれていた弾薬が大爆発を起こす危険があったにもかかわらず、兵士たちは人命救助を優先した。政府はその功績を認めたのである。

「勇敢な行為のための栄誉十字章」と呼ばれるこの勲章は、昨年国防大臣が制定したもので、4人の兵士たちは初めての受章者となった。

ドイツの十字章の起源は、19世紀のプロイセンにまでさかのぼる。普仏戦争、第1次世界大戦、そしてナチス・ドイツが起こした第2次世界大戦でも、軍功や勇敢な行為を認められた将兵に鉄十字章が授与された。黒い十字のマークは、戦後もドイツ連邦軍の戦車や戦闘機に付けられている。

メルケル首相が授与した十字章は、形はプロイセンの伝統を引き継いでいるが、全体の色は黒が主体の鉄十字章とは異なり金色になっている。現在のドイツが、軍国主義体制だったプロイセンやナチス・ドイツとは異なる国家であることを強調するためである。

私が興味深く思ったのは、この勲章を国防大臣ではなくメルケル首相が授与したことである。メルケル氏は授与式で演説を行い、「国外で勤務している連邦軍兵士たちは故郷を遠く離れた地に駐留しているが、ドイツの安全保障上の利益に貢献している」とした上で、「兵士たちはドイツの対外的なイメージを良くしている」と称えた。

首相の言葉には、アフガニスタンに駐留している約4200人のドイツ兵士たちに対する配慮が強く感じられた。同国の治安確保を任務とするISAF(国際治安支援部隊)には42カ国が6万4500人の将兵を参加させているが、ドイツは米国、英国に次いで3番目に多い兵士を派遣している。

アフガニスタンでは数年前から抵抗勢力タリバンの攻撃が激化しており、ドイツ軍が展開している北東部でも自爆テロや待ち伏せ攻撃が増えている。すでにドイツ兵士ら33人が命を落とした。さらに前線で戦友や市民の死を体験するなどしたために、祖国に帰ってからもトラウマ(精神的な打撃)に苦しむ兵士の数は1100人に上るという。これは銃弾や砲弾による負傷者の6倍である。

このため、ドイツ市民の70%近くがアフガニスタン駐留に反対し、撤退を求めている。メルケル首相は9.11事件のような事態を防ぐため、「テロとの戦い」で米国や英国を支援し、カルザイ政権をタリバンの脅威から守る姿勢を崩していない。だが、ドイツがアフガニスタンで抵抗勢力と戦う必要性について、国民に理解を求める努力はまだ不十分だ。

国民の大半がアフガン駐留に反対しているという事実は、現地にいる兵士たちの士気にも大きな影響を与える。メルケル首相が自ら勲章を授けたのは、兵士たちの間に疎外感が生まれるのを防ぐためである。彼女が激務の合間をぬい、防弾チョッキを付けて時おりアフガニスタンのドイツ軍基地を訪れるのも、同じ理由からだ。

総選挙で新しい政権が生まれても、アフガン問題は頭痛の種であり続けるだろう。

4 September 2009 Nr. 781

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 11:12
 

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