独断時評


スーパー選挙年・SPDの試練

今年は9月末に行われる連邦議会選挙をはじめ、欧州議会選挙、5つの州議会選挙、多数の市町村選挙が行われる。ドイツ人はこのように選挙が集中する年を「スーパー選挙年」と呼ぶが、社会民主党(SPD)はその幕開けで大きくつまずいた。

18日に行われたヘッセン州議会のやり直し選挙でSPDは、1年前に比べて得票率を17ポイントも減らし大敗したのだ。SPDに失望した有権者の内、保守派は自由民主党(FDP)に流れたため、同党は得票率を前回の9.4%から16.2%に伸ばした。SPD支持者の左派は緑の党を支援し、同党の得票率は前回の2倍近い13.7%に増えた。このほか、SPDに失望して棄権した支持者は20万人に達すると推定されている。

最大の敗因は、SPDヘッセン支部を率いていたイプシランティ女史の路線をめぐる内紛だ。同氏が左派政党リンケの支持を得て連立政権を作る方針を表明したため、一部の党員が造反。イプシランティ氏は2度に渡って州首相の座に就こうとして失敗した。ヘッセンの有権者は「このような党に政権を任せることはできない」と判断したのである。

大喜びしたのはキリスト教民主同盟(CDU)のコッホ首相。1年前の選挙では敗者だったにもかかわらず、SPDの「自爆」によってFDPとともに連立政権を樹立し、権力の座にとどまる可能性が強まった。

SPDのミュンテフェリング党首は「ヘッセンの選挙結果は特殊事情による」と述べて、9月の総選挙に影響はないという態度を取っている。しかし、本当にそうだろうか。

イプシランティ女史のリンケとの共闘路線にお墨付きを出したのは、前SPD党首ベック氏である。彼はシュレーダー前首相が社会保障を削減して財界の立場を代弁したことに反発し、リベラル志向の有権者をSPDに引き戻そうとした。つまりヘッセンの混乱の間接的な原因は、SPD全体の路線が左右に激しく揺れていることにあるのだ。

現在、党の執行部を率いるミュンテフェリング党首、首相候補になるシュタインマイヤー外相はシュレーダー氏と同じく、社会保障コストを減らしてドイツの国際競争力を強めることを重視している。その結果、エネルギー問題を除けばCDU・FDPの路線との違いが見えにくい。

現在ドイツは、第2次世界大戦後もっとも深刻な不況に襲われている。自動車産業や銀行業界を中心に、数十万人の雇用が危険にさらされており、市民の将来への不安は高まるばかりだ。そうした中、SPDは大企業重視のシュレーダー路線を続けることができるのか。

SPDがヘッセン州で記録した23.7%という得票率は、全国レベルで毎月行われる世論調査での支持率に比べて大きく変わらない。9月の連邦議会選挙でもCDU/CSU・FDPの黒・黄連立政権が樹立され、SPDが野党に転落する可能性が高まりつつある。同党はこの危機をどのようにして乗り越えるのだろうか。

30 Januar 2009 Nr. 750

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 11:29
 

ガス供給は大丈夫か?

欧州連合(EU)は、5億人近い人口を抱える世界最大の経済圏だが、「エネルギーの安定供給を確保できない」というアキレス腱を持っていることが明らかになった。そのきっかけは、ロシアとウクライナの天然ガスをめぐる紛争である。両国の間では2006年以来、毎年のようにガスの代金などをめぐるトラブルが起きているが、今年は一段とエスカレートした。初めの内、ロシアは「ウクライナが天然ガスの代金を滞納している」と非難。ウクライナが代金を振り込むと、今度は「ウクライナが西欧向けのガスを盗んでいる」と難癖をつけた。両国の交渉は決裂し、元日からロシアはウクライナ経由の天然ガスの供給を停止させた。このパイプラインは、ドイツ向けのガスの80%が通過する大動脈である。

国内で消費されるガスの内、ロシアのガスが占める比率は37%に及ぶ。だが、その内の5分の1を輸送しているベラルーシ経由のパイプラインは閉鎖されなかったことなどから、国内ではガスの供給が途絶えることはなかった。さらにガス会社は供給が完全に断たれても、70日間は持ちこたえられるだけの備蓄を持っている。

今回のガス紛争で最も深刻な影響を受けたのは、ブルガリア、スロバキアなど、ロシアのガスに100%依存している国だ。よりによって寒気団の影響で気温がマイナス10度前後まで下がったこの時期に、一部の家庭で暖房がストップしたり、工場が操業を停止したりするなど経済に大きな悪影響が出た。ガスの備蓄が少ないスロバキアは、昨年暮れにEUの要請で停止した旧式の原子力発電所の運転再開を検討するほど、追いつめられた。この原稿を書いている1月14日の時点では、ガス供給は完全には復旧していない。

今回のガス紛争は、単なる貿易上のトラブルではない。背景にはロシアとウクライナの間の政治的な関係が悪化しているという事実がある。去年のグルジア戦争は、ロシアが自国の権益を守るためには武力行使を含む強硬手段を取ることをはっきりと示した。今後もガスをめぐるトラブルは再発するだろう。いや、将来ロシアがウクライナそしてEUとの政治的な紛争を解決するために、パイプラインを長期間に渡って遮断することもありうる。

その意味で、ガス紛争が3年前から断続的に起きているにもかかわらず、安定供給を確保するための本格的な対策を取ってこなかったドイツ政府、そして欧州委員会の責任は重大である。EU市民は、ロシアの人質になっているようなものだ。ドイツが議会制民主国家ではないロシアに天然ガスの4割を依存することは危険であり、輸入先を多角化することが緊急の課題だ。政府は、ロシアが天然ガスの供給を停止する事態に備えて、昨年夏に戦略備蓄を構築することを決定しているが、これは正しい措置だ。ドイツは原油の戦略備蓄は行っているが、政府による天然ガスの備蓄制度はなかった。

寒冷地帯であるヨーロッパで、ガスは生活に欠かせない資源だ。ドイツを始めEUの政治家たちには、エネルギー安全保障の重要さをもっと強く認識してもらいたい。

23 Januar 2009 Nr. 749

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:08
 

ガザ侵攻とドイツの苦悩

地中海に面したガザ地区では、長さ45キロ、幅10キロの狭い土地に150万人のパレスチナ人が住む。ここに昨年のクリスマス以来、イスラエル軍が連日空爆を行っている。2009年に入ってからは、戦車や装甲車を投入した地上作戦が開始され、激しい市街戦が展開された。パレスチナ側には500人を超える死者、数千人のけが人が出た。死傷者の中には女性や子どもなど民間人も多数含まれており、中東諸国を中心にイスラエルに対して強い非難の声が巻き起こっている。

イスラエル政府は作戦の目的を、「イスラム過激組織ハマスの、イスラエルに対するロケット攻撃を根絶すること」と説明している。確かに、ガザ地区からイスラエル南部の都市に対してはロケット弾による攻撃が続いていた。イスラエルはハマスがエジプトから掘られたトンネルを通じて、武器や弾薬を密輸していると見ている。

確かに、隣国から住宅街にロケット弾が断続的に撃ち込まれたら、国民は政府に対して「何とかしろ」と強く要求するだろう。だがイスラエル側が開戦前に受けていた被害に比べると、空爆と地上戦によってパレスチナ側が受けている被害ははるかに大きい。

空爆開始後にイスラエル政府の報道官をインタビューしたBBCのキャスターは、「イスラエルのパレスチナに対する空爆は、イスラエルが受けていた被害と釣り合いが取れていると思いますか」と批判的な質問をしていた。

これに対しドイツ政府とマスコミの姿勢は、イスラエルに同情的であり、歯切れが悪い。空爆開始直後にメルケル首相は、「今回の事態の責任は、(イスラエルに対して攻撃を行っていた)ハマスにある」と指摘。今年に入ってからはさすがにイスラエル寄りの発言を控え、「パレスチナ市民に対する人道的な支援を可能にするために、直ちに停戦を」と呼びかけている。国内の新聞もパレスチナだけでなくイスラエル側の被害も取り上げるなど、一方だけにかたよらない報道を行おうと努力していた。

ドイツはイスラエルに対して世界で最も友好的な国の1つである。その背景には、ナチスドイツが約600万人のユダヤ人を殺害するなど歴史上例のない弾圧を行ったという事実がある。このため戦後西ドイツはイスラエルに賠償金という形で多額の資金援助を行うだけではなく、一時は密かに武器まで供与してきた。こうした過去があるだけに、ドイツ政府はイスラエルを厳しく糾弾することができない。マスコミからは「EU加盟国はイスラエルに対して甘いのではないか」という批判も出始めている。

私はイスラエルを何度か訪れて、彼らとパレスチナ人の間の憎悪がいかに強いかを知った。ユダヤ人はホロコーストを体験するまで、武力で抵抗することを嫌う民族だった。イスラエル人たちに、「他者から攻撃されたら、武力で徹底的に反撃する」という生き方を教えたのはナチスドイツであり、彼らを見捨てた国際社会だった。こうした背景があるだけに、強制力を持たないEUの調停作業が成功する見込みはほとんどないだろう。中東の惨劇には、半世紀以上前の欧州での悲劇が間接的に影を落としているのだ。だが、イスラエルの武力行使がさらなる憎悪を生むことも忘れてはならない。

16 Januar 2009 Nr. 748

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:08
 

ベルリンの壁崩壊から20年

今年はベルリンの壁が崩壊してから20年目に当たる。そのきっかけは、1989年11月9日の夜、東ドイツ政権党SED(社会主義統一党)の政治局員が記者会見でなにげなく漏らした「新しい出国規則は、直ちに適用される」という言葉だった。政府はこの日に国境を開放する予定はなかったが、西側のマスコミは政治局員のこの言葉を聞いて、「ベルリンの壁が開いた」と一斉に報じた。ニュースを聞いた東ベルリン市民は国境の検問所に殺到。警備兵たちは人波を抑え切れなくなって検問所の遮断機を開き、東ドイツ人たちは西側に怒涛のように流れ込んだ。28年間にわたって街を分割していた壁が崩れた瞬間である。

私は20年前、身を切るような寒さのポツダム広場で、壁が取り除かれた場所を通って人々が西ベルリンに続々と流れ込む様子を眺めながら、深い感動が身体の中に沸き起こるのを抑えることができなかった。この出来事がきっかけとなって、ドイツはわずか1年足らずの間に統一を達成した。ワルシャワ条約機構も解体されたほか、その盟主だったソ連も消滅する。ベルリンの壁崩壊は、ドイツ現代史の中で最もドラマチックな出来事の1つである。

東西ベルリンを分割した高さ3.8メートルの壁ほど、冷戦によって翻弄されたドイツの悲劇を如実に象徴するものはない。28年の間に西側へ逃げようとして国境警備兵に射殺された市民の数は、ベルリンだけで約190人に上る。ベルリン以外の地域、さらに壁ができる前の時期も含めると、西側への亡命を図って命を落とした人の数は約890人に達する。統一後、犠牲者の遺族や旧西ドイツの人々は、「国を離れようとしただけで自国民を撃ち殺した旧東ドイツは“不法国家”だ」と強く批判した。

ところが、壁の記憶は急速に風化しつつある。現在ベルリンに行っても、壁が街を分断していたことを示す物はなかなか見つからない。ミッテ地区とヴェディング地区の境にあるベルナウアー・シュトラーセの「ベルリンの壁資料館」の前には、壁や当時の街灯、無人地帯がモニュメントとして保存されているが、80年代にこの街を訪れた時に感じた威圧感は感じられない。路上には敷石が並んでおり、「ベルリンの壁(Berliner Mauer)1961年-1989年」と書かれているが、注意しないと見落としてしまう。

最近、ベルリン自由大学が全国生徒を対象に行ったアンケートによると、「壁を建設したのは旧西ドイツだった」と答えた若者がいた。また、旧東ドイツの回答者の半分が、「社会主義時代の東ドイツは独裁国家ではなかった」と答えている。これほど誤った認識が広まっているとは嘆かわしいことである。旧東ドイツでは今よりも失業者の数は大幅に少なかったかもしれない。しかし、政府を批判する論文を発表するだけで秘密警察に逮捕される危険があった。そして共産党が支配し、野党の存在を許さない1党独裁国家であった。

壁崩壊から20年を迎える今年、ドイツ政府は冷戦がどのような悲劇をもたらしたかについて、改めて記憶にとどめる作業に力を入れるべきではないだろうか。

9 Januar 2009 Nr. 747

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:07
 

2009年のドイツを展望する

1月1日の未明、新年を祝う花火が今年も鮮やかにドイツの夜空を彩った。だが美しい光の乱舞を見つめるメルケル首相、政界、経済界の関係者、そして市民の胸の内は複雑だったに違いない。2009年は様々な試練に満ちた年だからである。

政治の混迷

政界で今年最も注目が集まるイベントは、9月に行われる連邦議会選挙である。その最大の争点は、市民の所得格差が広がる中、「社会的公正(Soziale Gerechtigkeit)をどう実現するかという問題である。具体的には、シュレーダー前首相が口火を切り、メルケル政権が続けている社会保障の削減、企業減税、規制緩和などを続けるのかどうかが焦点になる。シュレーダー氏による改革は、失業率を一時的に下げたものの、富裕層と低所得層の間のギャップを一段と広げた。

選挙の行方は非常に読みにくい。それは、大連立政権に参加している社会民主党(SPD)が深刻な危機に直面しているからだ。SPDの混乱の最大の原因は、シュレーダー流の改革を続けるのかどうかについて、党内の意見が分裂していることである。

ミュンテフェリング党首やSPDの首相候補であるシュタインマイヤー氏は、シュレーダー流改革をさらに推進しようとしている。これに対し、前党首だったベック氏はシュレーダー路線にブレーキをかけようとしただけでなく、左派政党リンケと州議会選挙で協力するという態度まで示した。このためSPDは、一挙に左旋回するかに見えた。

ところが、ベック氏はミュンテフェリング氏に敗れて党首の座を追われた。有権者は猫の目のようにくるくる変わるSPDの路線にあきれるばかりだ。この内紛は国民を失望させ、SPDの支持率は25%に下がっている。

一方、所得格差の拡大や社会保障削減に対する不満はリンケの支持率を高めている。リンケは昨年12月初めの時点で13%の支持率を確保し、キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)、SPDに次ぐ第3党の地位にのし上がった。旧東ドイツでは、実に有権者の31%がリンケを支持している。社会保障を拡充したり、大企業や富裕層への課税を強化したりすることを求めるリンケのポピュリズム(大衆迎合路線)は、自分を「グローバル化の負け組」と感じている市民の心をしっかりと捕まえつつあるのだ。現在のままでは、CDU/CSU、SPDがともに単独で過半数を取れないという2005年の選挙の悪夢が再来するかもしれない。

戦後最悪の不況?

新年早々、暗い話題について書きたくはない。しかし正直なところ、どの専門家に耳を傾けても今年の経済の見通しは明るくない。その原因は、昨年秋に米国でくすぶり続けていた不動産危機がリーマン・ブラザースの破たんをきっかけとしてグローバル金融危機に拡大し、ドイツなど欧州諸国を直撃したことだ。連邦政府・経済諮問評議会のリュルップ座長は、「ドイツ経済は戦後もっとも急激な景気停滞を経験しつつある。これまで様々な不況があったが、これほど深刻な不況は1度もなかった」と語っている。その理由は、欧州だけでなく重要な輸出市場である米国とアジアも同時に不況に陥ったことである。貿易に大きく依存しているドイツにとって、外国で物が売れないことは大きな痛手である。

ドイツでは、米国や英国ほど不動産価格が急激に上昇していなかったので、不動産バブルの崩壊は経験しなかった。だがサブプライム関連投資によって、州立銀行を始めとする多くの金融機関が巨額の損失を被った。このため銀行が融資に慎重になり、経済の血液である「おカネ」が流れなくなっている。

市場への不信感が強まった今、政府に対する市民の期待は高まっている。連邦政府は財政赤字が一時的に悪化しても景気の刺激に努め、不況による悪影響を緩和することに全力を上げてほしい。同時に、各国の金融システムを根底から揺るがすような危機の再発を防ぐために、複雑化した金融市場に対する監視措置を強めるべきだろう。特に連邦金融サービス監督庁(BaFin)は、金融機関がバランスシートに載せていない外国の子会社がどのような投資を行っているかなど、より細かい監督を行う必要がある。昨年発生した銀行危機は、BaFinの監督が不十分だったことをはっきり示したからだ。

対米関係の再構築を

米国の歴代大統領の中でも、ドイツで最も批判されたブッシュ氏が今年退場し、非常に人気が高いオバマ氏がホワイトハウス入りすることは、新春の明るいニュースの1つだ。ドイツには米国に行ったこともないのに米国が嫌いな人が多いが、初めてアフリカ系市民が大統領に就任するのは、米国のユニークさ、バイタリティーを改めて証明する出来事である。

イラク侵攻がきっかけとなって、ブッシュ政権の時代には、米独関係だけでなく米国とEUの関係は第2次世界大戦後最も悪い状態に落ち込んだ。オバマ氏は国連などの多国間関係を重視すると発言しており、世界全体で失われた米国への信頼感を回復するための努力をすることが期待されている。

国際テロリズム、アフガニスタン戦争、イラク問題、イランの核開発、ロシアが周辺諸国に与える脅威など、安全保障の分野でも国際社会が抱える問題は山積する一方だ。ドイツはオバマ新政権と協力して、これらの問題の解決に向けて貢献するべきだろう。


(筆者より読者の皆様へ)

いつも記事を読んで下さり、どうも有り難うございます。皆様にとりまして2009年が良い年となりますよう、お祈りいたします。今年もよろしくお願い申し上げます。

2 Januar 2009 Nr. 746

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 11:42
 

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