独断時評


子どもたちを救うには?

クリスマスを目前に控えたドイツで、悲しい事件が立て続けに起きた。

シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州のダリーという村では、精神を病み妄想に苦しんだ母親が、自分の子ども5人を殺害した。彼女は、3歳から9歳の子どもたち全員に睡眠薬を飲ませた後、ビニール袋を頭にかぶせて窒息させていた。同じ日、ザクセン州のプラウエンでは、若い母親が生まれたばかりの赤ちゃんを次々に殺して、遺体を自宅に隠していたのが見つかった。

ダリーの家庭には、医師やソーシャル・ワーカーたちが頻繁に訪れて、貧困や子どもの障害、ボーイフレンドとの関係で悩んでいた母親に手を差し伸べようとしていた。この女性が幻覚や幻聴を体験し、精神分裂病の兆候を示していることに、人々は気づいていた。しかし、まさか彼女が5人の子どもの命を奪うほど追いつめられているとは、だれも想像できなかった。

これに対してプラウエンの母親は、子どもができるとボーイフレンドに嫌われると思って、自宅で出産するたびに殺害を繰り返していた。遺体を自宅に隠していたのは、子どもに愛着を抱いていた証拠であろう。クリスマスマーケットやホットワイン、歳末商戦でにぎわう繁華街とは無縁な、寒々とした師走の風景である。

ドイツでは毎年100人近くの子どもが、親によって殺されている。貧しい家庭が惨劇の舞台となることが多い。

メルケル政権はこの事態を重く見て、子どもが親に虐待されている兆候がないかどうかを調べるために、すべての児童・生徒に学校での定期健診を義務づけることを提案した。親が定期健診を拒否する場合には、家庭に深刻な問題が起きている可能性があるとして、ただちに社会福祉局の職員が自宅を訪れる。しかし、児童福祉の専門家の間では、「医師やソーシャル・ワーカーが危険な兆候を見抜くことは非常に難しく、政府の支援には限界がある」という悲観的な意見も強い。

ドイツでは、仕事のストレスが高まると同時に、うつ病や精神分裂病に苦しむ人の数が徐々に増えている。しかし公的健康保険は、コストを節約するために、精神分裂病の患者のための支出を減らしつつある。このため彼らが公的健保によって病院に滞在できる日数は、10年前に比べて半分になってしまった。これでは、ダリーのような事件が再び起きても不思議はない。

社会保障の削減が進むドイツでは、市民の間の所得格差が急激に広がりつつある。格差が広がれば、精神的、経済的に追いつめられた母親が、わが子を手にかける事件が増えるに違いない。この国も、米国や日本のように「勝ち組」がどんどん富を蓄え、「負け組」だけがしわ寄せを食う社会になるとしたら、きわめて残念なことである。

21 Dezember 2007 Nr. 694

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 13:43
 

最低賃金をめぐる議論の背景

読者のなかには、「なぜいまドイツで最低賃金(Mindestlohn)をめぐる議論が激しく行われているのだろう」と思われる方がいるかもしれない。社会民主党(SPD)は賃金の最低水準を法律で定めることに積極的で、まず郵便配達人に最低賃金が導入されることがほぼ確実になった。これに対しキリスト教民主同盟(CDU)は、「最低賃金を導入すると、働こうという人は増えるが、人件費が増えるので企業は採用を手控えるかもしれない」として、やや慎重な姿勢である。

最低賃金の導入は、経済のグローバル化、欧州の拡大と大いに関係がある。ご承知のように、欧州連合(EU)の加盟国は現在27カ国で、人口は5億人に近づいている。今後も旧ユーゴスラビア諸国や旧ソ連の国々が、加盟を申請する見通しだ。

今月21日からは、国境検査を廃止し、人や物の行き来を容易にするシェンゲン協定が、ブルガリアや英国などの5カ国を除くすべてのEU加盟国で発効する。ドイツからフランスやオーストリアに旅行するときパスポートや税関検査はないが、これがポーランドやチェコ、ハンガリーなどでも適用されるのだ。今後は、中欧、東欧の国々からさらに多くの人々が、職を求めてドイツなど西欧諸国に移住する可能性が強い。

ところで、中東欧の国々では、賃金がドイツに比べて大幅に安い。このため、なかにはドイツ人よりも低い給料で働く労働移民も少なくない。人件費の削減を望んでいる経営者にとっては、願ってもない話である。

実際、ドイツのある工場では、20人のドイツ人が月給1528ユーロで働いていたが、ある日突然全員クビにされ、ルーマニア人労働者に取って代わられた。ルーマニア人たちが、月給1000ユーロで働くことを承知したからである。経営者にしてみれば、労働者一人につき毎月528ユーロも節約できたわけだ。だが、いきなり解雇されるドイツ人は、たまったものではない。ドイツで暮らすには税引き前の給料が1000ユーロというのは苦しいが、ここに永住するつもりはなく、故郷に仕送りするルーマニアからの労働移民には悪くない金額なのである。

国境が開放されるボーダーレスの時代には、このようなことが日常茶飯事になる。欧州での大幅な賃金格差のためにドイツの労働者が解雇されるのを防ぐ対策として、最低賃金は重要なのである。すでにフランスなど多くの国々が、最低賃金によって、自国民が不利になったり労働者が搾取されたりするのを防ごうとしている。

ドイツでは失業者数が減り続けており、過去15年間で最低の水準になった。だが、仕事はしているが、給料が安すぎるために家賃などを払えず、第2種失業給付金をもらう市民の数は徐々に増えている。米国のような「ワーキング・プア」の問題が、ドイツでも浮上し始めているのだ。

こう考えると、猛スピードで進む経済グローバル化の衝撃を少しでも緩和するには、最低賃金制度は必要であるように思われる。

14 Dezember 2007 Nr. 693

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 13:43
 

日独・政争の違い

日独・政争の違い大連立政権の一翼を担う社会民主党(SPD)の権力闘争は、ミュンテフェリング副首相が辞任することで一応の決着を見た。ミュンテフェリング氏は、前のシュレーダー政権で、失業者への給付金を大幅にカットする「ハルツIV」法の導入に尽力した人物である。

したがって、SPDのベック党首が、この法律を見直して中高年の失業者への援助期間を延長するよう提案したとき、ミュンテフェリング氏は毅然と反対した。景気が回復基調にあり、失業者の数が減っているからといって、自分に責任のある政策が施行からわずか2年で覆されるのは、受け入れがたいと考えたのだ。

SPDの中道派は、長い間失業している市民に圧力を加えなければ、いまも失業者が300万人を超えるという「ドイツ病」を根治できないという意見が強い。そのために社会保障を削って新しい職業のための訓練を受けたり、本気で仕事を探したりするように仕向けるのが、「ハルツIV」の目的だった。

だがSPDはベック党首を全面的に支持し、ミュンテフェリング氏はこの法律の見直しを受け入れざるを得なかった。彼は「個人的な理由」で職を辞したとしているが、党内の路線闘争に敗れたことが本当の理由であることは言うまでもない。

自分の意見が受け入れられなかったために辞任するのは、筋が通っており、わかりやすい。これに対して、非常にわかりにくいのが日本の政争だ。

今年11月、民主党の小沢一郎氏は「党首を辞任する」意向を表明した。現在、福田首相は国会運営をスムーズに行うために、自民党と民主党がドイツのように大連立政権を組むことを提唱している。小沢氏は民主党執行部の意見をはからずに、独断で福田首相と会談して、あたかも民主党が大連立に乗り気であるかのような印象を与えたというのが、その理由である。民主党内には、自民党と大連立政権を組んだ場合、独自性が薄れて、国民からの支持率が下がることを懸念する議員が少なくない。

ところが小沢氏は、党内で慰留されたため党首辞任の意向を撤回した。日本国内では小沢氏の優柔不断な態度に、失望感が広がっている。本人は「プツンと切れた」と説明しているが、政治家が身の処し方をそれほど発作的に決めるものだろうか。

どうも日本の政治家の態度は、ドイツに比べてきっぱりとした潔さに欠ける。その背景についても、わかりにくい部分が多い。ドイツ人はあいまいさを嫌い、何ごとについても白黒をはっきりさせるのが好きだ。これに対し日本人は、杓子定規を嫌い、融通無碍(ゆうづうむげ)、つまり柔軟であることに重きを置く。

メンタリティーが違うことは理解できるが、あっちへフラフラ、こっちへフラフラする政治家によってバカにされるのは、国民なのではないだろ うか。

7 Dezember 2007 Nr. 692

最終更新 Donnerstag, 25 August 2011 09:53
 

格差社会に歯止めを

東京・新橋の地下道。汐留の高層ビル街から銀座線の駅へ向かう通路に、ぼろぼろになった背広を着た白髪のホームレスが新聞紙を敷いて横たわっている。何日も入浴していないのだろう。顔が真っ黒に汚れた老女が、わずかな身の回りの品を入れた紙袋の横でカップラーメンをすすっていた。

ここからわずか15分も歩けば、日本で最もにぎやかな繁華街の一つである銀座に着く。プラダ、ルイ・ヴィトン、アルマーニの高級ブティックがずらりと並び、フランスから来た1個40万円のバッグや100万円を超えるスイスの腕時計が売れていく。昼間の気温は20度近いのに、毛皮のジャケットを着て歩く若い女性も目立った。

日本で格差が急激に広がっていることを、強く感じた。駅の電光掲示板には、「XX駅で人身事故」という報せが1日に何回も載る。経済大国ニッポンでは毎年3万人を超える人々が自殺するが、彼らの多くは格差社会の犠牲者である。

ドイツでも、市民の間で所得や資産の格差は広がっている。この国の個人資産は5兆4000億ユーロ(約864兆円)。ドイツ経済研究所(DIW)によると、全体の10%に当たる最も裕福な市民が、国全体の個人資産の6割を持っている。ドイツ最大手の銀行ドイチェ・バンクのアッカーマン頭取は、毎年17億9000万円の収入がある。これに対し、市民の3分の2は資産らしい資産を持っていない。

地域差も大きい。旧西ドイツ市民の平均資産額は9万1500ユーロ(1464万円)だが、これは旧東ドイツ市民の2.5倍である。統一から17年経っても経済格差が縮まらないことは、社会主義体制が残したつめ跡がいかに深いかを物語っている。

財界と太いパイプを持つシュレーダー前首相は、企業の国際競争力を高めるために法人税を引き下げ、社会保障サービスを削って、企業の負担を減らすことに力を入れてきた。この政策が、ドイツ社会で格差を広げる原因になったことは間違いない。

ドイツ人は、キリスト教的価値観の影響で、いまも米国人や日本人に比べて社会的正義(Soziale Gerechtigkeit)を重く見る傾向がある。私は、社会民主党(SPD)の支持者が減って左派政党に共感する市民が増えていることに、「格差社会を変えなくてはならない」という世論の動きを感じる。SPDがハルツIV法の見直しを決めたことも、同じ文脈の中にある。

鉄道の機関士たちが波状的にストを繰り返しているが、市民の間から大きな反発の声は上がっていない。むしろ低賃金で働かされている機関士たちに理解を示す人が多いことも、「所得の格差拡大に歯止めをかけなくてはならない」という姿勢を感じる。外国の投資ファンドから買収を仕掛けられたときに企業を守るような法律を施行するべきだという意見が強いことも、市民の米国型資本主義への強い不信感を表している。

シュレーダー氏が導入した改革への反発として、私は今後ドイツで左派政党への支持が強まるのではないかという印象を持っている。

※1ユーロ=160円換算

30 November 2007 Nr. 691

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 13:42
 

過去を反省する警察

過去を反省する警察ドイツの連邦刑事局(BKA)が、今年9月に「終戦直後、西ドイツの警察幹部の中にはナチスの関係者が多く含まれていた」とする調査結果を自ら発表した。ナチス時代の過去と批判的に対決する、ドイツ社会の執念を示す出来事だ。

ヨルク・ツィールケ長官の発表によると、ナチス政権の下で警察官だった者は、戦後の警察組織で簡単に再就職することができた。BKAは1951年に創設されたが、50年代の末には、BKA幹部の大半が、悪名高いSS(親衛隊)の幹部で占められていた。中には、戦争中にユダヤ人虐殺を企画、実行した帝国保安主務局(RSHA)の関係者まで混ざっていた。

ドイツの警察は39年に、SSとともにRSHAの傘下に置かれた。そして戦争中には多くの警察官が、ユダヤ人虐殺を専門に行った特務部隊(アインザッツ・グルッペ)に加わり、人道に反する犯罪に関与したのである。

例えばヴィルヘルム・ヴァグナーという警官は、戦争中に憲兵だった。彼は42年8月に、親衛隊が8000人のユダヤ人をポーランドのクラクフ近郊からベルゼック強制収容所へ移送した際に、警戒任務にあたっていたが、その際に29人のユダヤ人を射殺した。彼は戦後、故郷のバイエルン州に復員してから再び警察官になり、56年に警視に昇進した。だが後に殺人の罪に問われて、88年に終身刑の判決を受けている。虐殺の片棒を担いでいた人物が、警察幹部になっていたとは驚きである。西ドイツでも、50年代には過去との対決が今日ほど積極的に行われていなかったことを示している。

ナチス党員が多かったことは、戦後のBKAの捜査方針にも影響を及ぼした。親衛隊員は、強い人種差別の傾向を持っていたため、BKAは一部の少数民族に対して「潜在的な犯罪者」という偏見を持ち、80年代まで彼らに関するブラックリストを持っていた。また、警察の内部文書でも、この少数民族を頭から犯罪的分子と決めつける文章が目立った。これは、ナチス時代の警察とあまり変わらない姿勢である。

ツィールケ長官は言う。「第二次大戦から60年以上経ったが、それはまだ過去の出来事ではない。今日の警察官も、過去に警察が犯した残虐行為を忘れるべきではない。あのような惨事が起きたことの原因、そして人々の当時の振る舞いについて、われわれは問い続けなくてはならない」

2007年になってようやくこのような調査結果が発表されるとは、いささか遅すぎる。それでも、警察のように保守的な組織が、前の世代が犯した過ちを水に流さず、歴史の恥の部分を「摘発」する姿勢は評価したい。対外諜報機関であるBND(連邦情報局)も、歴史家に依頼してナチスの高官が要職に就いていた実態について調査し、発表する予定である。ドイツ人にとってナチス時代の過去は、容易には過ぎ去らないのだ。

23 November 2007 Nr. 690

最終更新 Donnerstag, 25 August 2011 09:56
 

<< 最初 < 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 > 最後 >>
105 / 114 ページ
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


Nippon Express SWISS ドイツ・デュッセルドルフのオートジャパン 車のことなら任せて安心 習い事&スクールガイド

デザイン制作
ウェブ制作