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北ドイツにワインの城があるシュロス・ラッタイの挑戦

ドイツ北東部メクレンブルク=フォアポンメルン州の田園地帯に、広大なブドウ畑に囲まれた城がある。その名は「シュロス・ラッタイ」(Schloss Rattey)。19世紀の初頭に建てられたネオクラシック様式の城館を本拠とする、ドイツ北部で最大級のワイナリーである。ワインの産地としては決してメジャーではないこの地で、ワイン造りを行うのはなぜなのか。その答えを求めて、ラッタイを訪れた。
(取材・文=榊原大騎)

シュロス・ラッタイ

参考:Schloss Rattey、WELT「Mehr Gäste, weniger international: Tourismus in MV wächst」、Deutsches Weininstitut、KIRIN「Wine Academy」、エノテカオンライン「ワイン産地を知ろう!ドイツ」、ロイター「EUとメルコスルがFTAに署名、25年間にわたる交渉後」

主要産地から離れて
北ドイツの城でワインを造る

首都ベルリンの北東にあるメクレンブルク=フォアポンメルン(MV)州は、北側にバルト海を望み、東側はポーランドと国境を接する自然豊かな土地だ。海辺の保養地や湖が多い地域として知られ、人口約160万人に対して国内外からの延べ宿泊者数は年間3000万人以上。広大な農地が広がる内陸部では、穀物や菜種などの栽培だけでなく、畜産業も盛んだ。一方、ワインの産地としてこの土地を思い浮かべる人は多くない。

シュロス・ラッタイ

ドイツで品質ワインの産地として認められている指定栽培地域は13ある。ラインガウやモーゼル、ファルツ、ラインヘッセンといった南西部の名産地はよく知られ、昨年時点で13地域の生産者数は1万5200軒、ブドウの栽培面積は10万2000ヘクタールに及ぶ。中心的な品種の一つが、ライン川の流域を原産とするリースリングだ。

シュロス・ラッタイはこうした主要産地からは遠く離れている。ラッタイを含む一帯は2004年に「シュタルガルダー・ラント」として、地理的表示付きの地方ワイン「ラントヴァイン」の産地に認められた。それ以降、この地域のワインは「メクレンブルガー・ラントヴァイン」として販売されるようになった。13の指定栽培地域には含まれないが、長いブランクを経て復活したワイン産地である。

ラッタイのブドウ栽培面積は現在35ヘクタール。主要産地の大規模ワイナリーと比べれば小さいが、来年には55ヘクタールまで広げる計画がある。「この土地でワイン生産など不可能だと思われていました。それが今はここまで大きくなっています」。ラッタイのワイナリー責任者であるシュテファン・シュミットさん(70)はそう胸を張る。

ラッタイに広がるブドウ畑ラッタイに広がるブドウ畑

筆者はラッタイを訪れた5月初旬、ポーランドの国境に近いパーゼバルク駅でシュミットさんと待ち合わせ、車で地域を案内してもらった。道中には2023年に操業を始めたサンダルブランド「ビルケンシュトック」の新工場も目に入ったが、旧東ドイツの各地と同様に人口減少が続く地域でもある。

「私たちの土地には産業が少なく、本当に貧しい地域なのです」とシュミットさん。その土地で、ラッタイは地域の企業として存在感を増している。敷地内では醸造所だけでなく、ホテルやレストラン、自社製品などを取り扱う農場直売所(ホーフラーデン)も構える。城館に泊まり、敷地内のブルワリーで造られたビールや地域産品も体験できるのも魅力で、国内外から観光客を惹きつける。

とはいえ、ドイツのワイン業界を取り巻く状況は厳しくなっている。収穫量が伸び悩む中で消費量は減り、コストは上昇を続ける。ラッタイもそうした逆風と無縁ではない。

自社工場でワインを製品化する様子自社工場でワインを製品化する様子

異常気象に物価の高騰
苦悩するワイン業界

ドイツ連邦統計庁によると、2025年の国内のワイン用ブドウ果汁の収穫量は770万ヘクトリットルとなり、前年を2.3%下回った。9月中旬に各地で見舞われた豪雨などで厳しい選果を余儀なくされ、2019〜2024年の平均と比べても9.7%減と伸び悩んだ。

ラッタイも例外ではなかった。シュミットさんによると、ラッタイの生産量は2023年に8万〜9万リットル、2024年に約7万リットルだったが、2025年は遅霜の影響によって6万リットルへと減少。本来は畑が最大限に稼働した場合、少なくとも15万リットル、さらに条件が整えば20万リットル程度の生産は見込めるはずだという。新しく苗を植えたばかりの畑では本格的な生産段階に入っていないこともあり、「安定した収穫にはまだ時間がかかる」と説明する。

収穫時期のブドウ収穫時期のブドウ

消費者の傾向も変化している。ドイツワイン研究所(DWI)によると、2024年8月〜2025年7月の「ワイン年度」で、16歳以上の1人当たりワイン消費量は21.5リットルとなり、前年度から0.7リットル減少。消費習慣の変化や生活費の上昇などを受け、2020〜2021年の24.3リットルからはさらに低下している。さらに、連邦公衆衛生研究所の調査では、2023年に週1回以上飲酒する18〜25歳で女性18.2%、男性38.8%となり、観測開始以来の低水準に。定期的に飲酒する若い世代が減っていることも逆風となっている。

コスト面も課題だ。ワイン造りは農業であり、加工業でもある。畑では燃料や肥料、農薬を、醸造所では電力をそれぞれ消費するだけでなく、資材としてボトルやコルクのほか、キャップや段ボールなども必要だ。戦争やコロナ・パンデミックなどによって物価が上がるたび、これらの費用も押し上げられてきた。中東情勢の緊迫化によってさらなる上昇が見込まれる。

シュミットさんによると、瓶1本の価格は10年前の約20セントから現在は35セントに、コルクは20年前の10セントから50セントにそれぞれ上昇した。コスト増に合わせ、ラッタイのワイン価格も2021年と25年にそれぞれ平均3ユーロずつ引き上げており、現在の平均は16ユーロだ。さらに、一部製品では栓をコルクからアルミニウム製のスクリューキャップに切り替えるなどして対応しているという。

熟成中のワインとシュミットさん熟成中のワインとシュミットさん

ドイツの法定最低賃金は今年1月に時給13.90ユーロへと引き上げられ、2027年1月には14.60ユーロへとさらに上昇。幾重にも重なるコスト上昇の波が、ラッタイにとっても重荷となっている。シュミットさんは「中東情勢の影響はこれからじわじわやってくるでしょう。われわれのような小さな事業所では、最低賃金の上昇も非常に大きな問題となっています」と打ち明ける。

取材で宿泊させてもらった部屋取材で宿泊させてもらった部屋

800年前にさかのぼる
ラッタイの歴史と特殊性

ラッタイを語る上で、ドイツ北部のワイン生産史を外すことはできない。実は、MV州には800年ほど前からワイン造りの歴史があった。ラッタイが公開している資料によると、この地でワイン栽培が始まったのは13世紀。シトー会の修道士が、ギュストローやシュヴェリーン、ノイクロスターなど一帯にブドウの栽培を伝えたのが起源とされる。16世紀には、メクレンブルク公がブルク・シュタルガルトやノイブランデンブルク周辺での栽培を奨励したとする記録も残る。

しかし、MV州はラインガウやモーゼルのような一大産地にはならなかった。北部では生育期間が短く、霜や雨、湿気による病害のリスクも高い。広い農地を持つこの地域では、手間のかかるワインよりも穀物や菜種、畜産の方が土地の利用法としては安定していたのだという。こうした事情が重なり、ワイン栽培の伝統は19世紀半ばに途絶えてしまった。

現在のラッタイでワイン造りが再び始まったのは1999年。きっかけは、ワイン愛好家の団体がMV州のワイン文化を再び動かそうと、1806年にメクレンブルクの貴族であるフォン・エルツェン家が建てた城館の前に植えた500本のブドウだった。シュミットさんによると、当時はワイン産地として認められていなかったため、家庭菜園として認められる小さな区画を複数人で分けて育てる形をとった。

2001年までにブドウは約7000本にまで増え、現在では35ヘクタールの畑に約17万5000本が育つ。2004年にはこうした動きが制度上でも認められ、ラッタイを含む一帯が「シュタルガルダー・ラント」としてラントヴァインの産地に位置づけられたのはすでに記した通りだ。失われていた北東部のワイン文化は、こうして息を吹き返した。

再生を支えたのは、現代の品種と技術だ。ラッタイでは、ソラリスやヨハニター、ヘリオス、ヒベルナールなど「PIWI」と呼ばれる品種を育てている。PIWIは、ドイツ語の「pilzwiderstandsfähige Reben」の略称で、菌類による病害に強いブドウ品種を指す。

ドイツ北部では、南西部と同じ前提でブドウを栽培できない。夏の日照時間は南西部よりも長いが、生育期間そのものは限られる。シュミットさんによると、リースリングのような品種は成熟までに110日程度が必要だが、MV州の条件では95日程度で成熟する品種が求められる。短い夏の時間をどう生かし、霜や雨、病害のリスクをどう抑えるかが問われるのだという。

ラッタイは、複数のベースワインを組み合わせたブレンドワインも造っている。シュミットさんによると、酸味が足りなければ酸味の強いワインを加えるなどして、年ごとの気象条件に左右されながらも味を整える。比較的手に取りやすい価格帯のワインでは、このようにブレンドで品質を安定させる。

一方、年ごとの特徴が強く出る単一品種のワインは、より高い価格帯に位置づける。糖度の高いブドウが収穫できた年にはデザートワインのような特別な商品も造れるが、毎年造れるわけではない。北部ならではの制約を前提に、品種の選定やブレンドで品質の安定を図っている。

ワイン ワインワインはオンラインショップでも注文可

ワインにとどまらない
この土地でできるもの・ことを

ラッタイの特徴は、ワインに限らない多様な事業展開にもある。城館での宿泊や食事、ブドウ畑や醸造所を巡るツアー、直売所での販売などを組み合わせ、訪問者に体験的な消費を提供している。宿泊付きのウェディングも行われ、週末を通じて華やぐこともある。隣国ポーランドの同業による見学も引き受けているという。

城館のホテルからはブドウ畑や豊かな自然を見渡すことができ、レストランでは敷地内で造ったワインやビールを地域の食材と共に味わえる。直売店の棚には、ワインやゼクトのほか、ビールやリキュール、蒸留酒、ジュース、マスタード、油、酢、果実スプレッドなどが並ぶ。天候に揺さぶられるワインだけに頼らない製品構成により、同じ土地で採れたものを別の形で売ることができる。シュミットさんは「事業は無理に拡大せず、自分たちの土地で生産している農産物を中心に加工品を考えています」と語る。

自前で完結させようとしているのは、製品に限らない。敷地内ではウッドチップを利用したバイオマス設備を併設しており、施設全体の温水や冬場の暖房を賄う。太陽光パネルも設置し、エネルギー価格の上昇に左右されにくい環境を整えている。屋根に降った雨水は地下の貯水槽に集められ、トイレの洗浄や清掃用のグレーウォーターとして再利用する。これらの設備は環境対策でもあり、事業全体を支える仕組みにもなっている。シュミットさんは言う。

「エネルギー価格の高騰の影響は最小限で済んでいる。われわれは幸運なことに、あらゆることを先取りしていたのです」

直売所の1階部分はバーになっている直売所の1階部分はバーになっている

ラッタイのこれから
ワイン業界の未来図になるか

ラッタイは来年から栽培面積を拡大する計画だが、シュミットさんはそれ以上の拡大には慎重な見方を示す。「私はこれぐらいで留めておいた方がいいのではないかと思っています。拡大するとこれまでの品質を保てなくなるかもしれない。例えば、100ヘクタールまで広げたとすれば、ワイナリーや瓶詰め設備も倍にしなければいけないでしょう。それにはあまり意味を感じていません」。

この先に見据えるのは大規模化や輸出ではなく、「地域の中で育て、地域の中で商品を届けていく仕組み」という。対照的な例として挙げたのは、今年1月に欧州連合(EU)が署名した南部共同市場(メルコスル)との自由貿易協定だ。全面的に発効されれば、南米産の安価なワインも流入すると見込まれている。

「ワイン1リットル当たりの生産コストはわれわれの場合は6ユーロですが、南米は20セントで生産するような例もあります。グローバル化に反対するつもりはありませんが、とても価格競争では勝ち目などありません」

ラッタイが生産したワインは大半がMV州内で消費されている。栽培から加工、販売までを自前で賄い、肥料などの資材も近隣で調達しているという。中東情勢の緊迫化を受けてあらためて注目されるサプライチェーン(供給網)のリスクを抑える上でも、こうした考え方が意味を持つ。

シュミットさんは、究極の目標として「全てを自分たちの手で賄うこと」を挙げる。地域コミュニティー全体で発展していくことが、今後はますます重要になるのだという。

「世界がつながっている今、私たちはこの土地で育てた産品を使ってこの土地で生産を続ける。無理に新しいものを作るのではなく、手元にあるものから商品の幅を広げていく。これこそが、この時代に生き残る鍵なのではないでしょうか」

直営店には蒸留酒やマスタードが入ったギフトセットも並ぶ直営店には蒸留酒やマスタードが入ったギフトセットも並ぶ

Schloss Rattey

Schloss Rattey

ホテルはスイートルームなどを擁する城館のほか、スタンダードルームが備わった別館がある。レストランでは、ワインと地元の旬の素材を使った料理が味わえる。また、結婚式などのイベント会場としても利用可。

Schloßplatz 1, 17349 Schönbeck
www.schlossrattey.de

ラッタイのワイナリー責任者 シュテファン・シュミットさん(70)

シュテファン・シュミットさん

シュロス・ラッタイのワイン造りで中心となって働いているのが、今回案内してくれたシュテファン・シュミットさんだ。旧東ドイツのマクデブルク出身。18歳の時にワイン造りを学ぼうと、ブルガリア南部のプロヴディフの大学に入学した。当時の社会主義圏では、本格的にワイン醸造を学べる数少ない場所。本人によると、ブルガリアでワインを学んだ旧東ドイツ出身者は当時としては5人目だった。

きっかけについて、「ビールを学ぶならドイツに留まれば良いと思いました。ドイツのビールは1番です。でも、大規模なワイン生産はありませんでした。だから、ワイン生産を学ぶことが良い決断だと考えました」と振り返る。

1979年に東ドイツに戻ると、ノイブランデンブルクのワイン醸造会社立ち上げに携わった。これが職業人生の始まりとなった。

「この土地でワイン産業が育つとは誰も信じていなかったでしょう。私が満足しているのは、学生時代に醸造家としての道を歩み始め、社会主義時代にワイナリーを築き、職業人生の終盤にラッタイのようなプロジェクトを実現できたことです」

シュミットさんにとってワインは職業であると同時に、生涯を通じた関心でもある。現在も「ワイン史協会」の会員として、歴史を学ぶだけでなく、各地の造り手を訪ねている。「ワインを3杯飲めば、多くの言葉はいりません。心が互いを理解できるからです。ワインは、生まれた土地の食べ物と一緒に楽しむのが1番です」。

ブドウ

今年7月に70歳になったばかり。それでも仕事の話になると、表情は驚くほど若々しくなる。「働くことが私を若く保ってくれます。若い人たちに教えることも好きです。私がした失敗を、彼らには繰り返してほしくないからです」とシュミットさん。2029年にはワインに携わって50年。今はその節目を見据えている。

 

多様な作品と価値観に出会える場所 ドイツのミニシアターの今

昨今日本ではミニシアターの再ブームが来ているが、ここドイツでもそれぞれ歴史や理念を持ったミニシアターが各都市に存在している。メインストリームではない、さまざまな国や背景から生まれた作品を上映するミニシアター。ストリーミングによって自宅でも気軽に映画を鑑賞できる時代になっても、なぜ人々は足を運び続けるのか。本特集では、ドイツにおけるミニシアターの歴史を紐解くとともに、各都市の魅力ある劇場をご紹介する。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

劇場の赤いビロードの座席

そもそも「ミニシアター」ってなんだろう?

取材協力:フェリックス・ブルーダーさん(AG Kino - Gilde e.V. 事務局長)
参考:AG Kino – Gilde e.V.

ドイツのミニシアターの3本柱

1. 多様性
メインストリームから外れた映画、ドイツや欧州はもちろん世界中から集めた作品を上映する

2. 出会い
単に映画を見て帰るだけでなく、人々が出会い、そこにとどまって意見を交わすことができる

3. 情熱
映画館で働く人々、観客がミニシアターそのものや上映作品に対して情熱的である

定義がないのがミニシアター

日本で「ミニシアター」と呼ばれる映画館は、ドイツ語では「Arthouse / Filmkunst /Programmkino」などさまざまな呼び方がある(本特集では、日本語でよく知られている「ミニシアター」を用いる)。主に1970年代ごろから独自のプログラムを組む映画館のことを指すが、公式の定義はなく、映画館自身がミニシアターを自称するかどうかを決めることになる。日本のミニシアターのように建物自体が小規模であるとは限らず、ドイツには伝統的な大きなスクリーンを持つ施設から学生が中心となってつくる上映会場まで、多種多様なミニシアターが存在している。

ドイツの約380のミニシアターが加盟する映画館協会「AG Kino - Gilde e.V.」のフェリックス・ブルーダー事務局長によると、あえてドイツのミニシアターの特徴を述べるならば、右上のような三つのポイントがあるという。映画を愛する人々が境界線を持たず、さまざまな作品を通じて意見を交わし合う……。はっきりとした定義がないからこそ、ミニシアターは自由な場であり続けているのかもしれない。

ドイツのミニシアターを束ねるAG Kino - Gilde e.V.

先のAG Kino - Gilde e.V.はもともと二つの団体で、両者の性格は大きく異なっていた。1953年に設立された「Gilde deutscher Filmkunsttheater」に加盟したのは昔ながらの大型劇場が中心で、当時主流だった娯楽映画やドイツ映画にとどまらず、国際的な作品を上映することを試みていた。一方、1972年に設立された「AG Kino」では、1968年の学生運動や、1950~60年代のフランスで起きたヌーヴェル・ヴァーグ、1960~70年代のドイツにおけるニュー・ジャーマン・シネマなどに影響を受けた映画館が結束し、革命児ともいえる存在だった。AG Kinoは自分たちで配給会社をつくり、特にフランス映画をドイツへ紹介しようとした。

伝統のある大規模な映画館、オルタナティブな小規模の映画館という一見相反する両者の団体は、やがてシネマコンプレックス(以下、シネコン)とは一線を画した独自路線での運営を続けるために協力していく道を選び、2003年に統合した。今日、ドイツでミニシアターと呼ばれる映画館ではさまざまな作品を見ることができるが、AG Kino - Gilde e.V.の幅広いネットワークが背景にあるともいえる。

ドイツを含む欧州の映画市場は、ハリウッドを中心とする米国市場のように大規模ではないため、公的支援が欠かせない。ドイツの映画業界は、まずは映画制作への助成制度に力を入れることで発展してきたが、作品は見てもらえなければ意味がない。ミニシアターも同じように支援が受けられるよう、AG Kino - Gilde e.V.にとってロビー活動は重要な柱の一つだ。ミニシアターが文化施設、そして経済活動の場として認められ、映画館が存続できるように政治に対して、日々働きかけているのである。

また、同協会は加盟映画館に対して、例えば新しい法律ができた場合に映画館にどのような影響を与えるのかを共有したり、マーケティングやプログラム編成について学べる研修の機会を提供したりするなど、ネットワークにも重きを置く。なかでも特筆すべきは、毎年ライプツィヒで開催される「Filmkunstmesse」(映画芸術見本市)。見本市では配給会社が新作映画を紹介し、全国各地の映画館の運営者がそれぞれに合った作品を探すことができる。さらに、監督のトークイベントやワークショップなど、映画館関係者が互いに交流し、新しいアイデアをそれぞれ持ち帰る機会になっている。

ミニシアターのこれからの役割

今後、映画教育はもっと重要になっていくとブルーダー事務局長は考えている。映像で溢れかえる時代だからこそ、人は映画をどのように受け取るべきか、何に注意して見るべきかを学ぶ必要があるという。ミニシアターもそういった教育面でさらに重要になっていくだろう。その実践例として同協会が注目しているのがお隣の映画大国フランスだ。映画館の数や公的支援の充実をはじめ、学校教育の中にも映画文化が根付いているフランスは、ドイツにとって一つのモデルケースとなっている。

明確な定義を持たないからこそ、ドイツのミニシアターは時代や地域に応じて、その姿を変えてきた。その役割は、今後ますます広がっていくのかもしれない。そんなミニシアターを全国各地からピックアップしてご紹介。さらに、ドイツのミニシアターの実例としてデュッセルドルフの映画館に話を聞いた。

街の映画好きたちが集まるドイツ各地のミニシアター8選

映画好きなら一度は行ってみたい、ドイツの主要都市で愛されてきたミニシアターをピックアップ。住んでいる街の映画館に通いつめるのはもちろん、旅行先で地元の人に混じって映画を見るのもまた楽しい。プログラムをチェックして、ぜひ足を運んでみよう。

ドイツのミニシアター地図

1

ベルリン
東ベルリン生まれの大型劇場
Kino International

 Kino International

 Kino International

 Kino International

1963年に東ベルリンに誕生したKino International。東西分断時代は東ドイツの映画制作会社DEFAの作品上映が多く行われていた。東西統一後も、ドイツで最も重要な映画館の一つとして国内外の作品のプレミア上映が催されている。2年の改修工事を経て今年リニューアルオープンしたばかり。外壁のレリーフや重厚でレトロな内装はそのままに、最先端の映像・音響技術を誇る映画館へと生まれ変わった。1997年から続く「Mongay」では、毎週月曜に最新のクィア映画を上映。506席ある大スクリーンで歴史を感じながら映画を楽しもう。

Karl-Marx-Allee 33, 10178 Berlin
www.yorck.de

2

ハンブルク
自動車修理工場から映画館に
Abaton-Kino

Abaton-Kino

ハンブルクの学生街であるグリンデル地区にあるAbaton-Kino。1970年、「一般の映画館では上映できない映画を上映すること」をモットーに、自動車修理工場だった建物を改修して開館した。大中小あるスクリーンで年間300~400本の映画を上映し、150以上のイベントを開催するなど、街のカルチャーシーンを形作ってきた。ドイツを代表する映画監督の一人で、ハンブルク出身のファティ・アキンは何度もトークイベントに招かれている。毎週火曜は7ユーロでポップコーンとクイズ付き上映が。毎月発行されるプログラム冊子はオンラインでも閲覧可能だ。

Allendeplatz 3 / Ecke Grindelhof, 20146 Hamburg
www.abaton.de

3

ミュンヘン
フランス映画のファンが通い続ける
Theatiner Filmtheater

Theatiner Filmtheater

1957年に開館したTheatiner Filmtheaterは、1950年代の空気感がそのまま保存されたような映画館。オープン1年後に映画業界で働いていたマーリース・キルヒナー氏が支配人となり、現在に至るまでフランス、スペイン、イタリアの映画を字幕付きオリジナル言語で上映してきた。80代になってもチケット売り場に立っていた彼女は、優れたプログラム編成で数々の賞を受賞。映画業界の重鎮としても知られていた。2024年に若手のクレア・シュレーガー氏とバスティアン・ハウザー氏に経営を引き継ぎ、キルヒナー氏は今年3月に亡くなった。

Theatinerstrasse 32, 80333 München
https://theatiner-film.de

4

フランクフルト
三つの老舗映画館から成る
Arthouse Kinos Frankfurt

Arthouse Kinos Frankfurt

1970年代からミニシアターとして愛されてきた「Harmonie」(写真)、フランスのビストロをイメージした「Cinéma」、1912年にオープンした老舗の「Eldorado」の三つの映画館から成る映画館グループ。毎週月曜と日曜17時からはドイツ語字幕付きのオリジナル上映を行う。傑作映画をサプライズ上映する「Spotlight: Milestones」、食事やテイスティングが楽しめる「Culinarico」、日本アニメ作品を取り上げる「ANIMOTION」などのシリーズのほか、Eldoradoでは9月19~20日に第5回ギリシャ映画祭を開催。

Harmonie| Dreieichstraße 54, 60594 Frankfurt am Main
www.arthouse-kinos.de

5

ハノーファー
ドイツ最古の映画館の一つ
APOLLO

APOLLO

1908年に設立されたドイツ最古の映画館の一つ。フランス製の真っ赤なアームチェアがクラシックな雰囲気を醸し出している。1970年代に経営が厳しくなってきたころ、映画好きの学生が上映プログラムを提案。学生向けの作品を上映した結果、満席になるほど人気となり、やがてミニシアターとして認知されるようになった。大まかな上映スケジュールは数カ月先まで公開。毎週日曜はワインの試飲付き上映「Vino-Kino」などのイベントも。

Limmerstr. 50, 30451 Hannover
www.apollokino.de

6

エッセン
劇場の数だけ個性がある
Essener Filmkunsttheater

Essener Filmkunsttheater

1928年から存在し、1250席を要するドイツ屈指の大型劇場Lichtburgと五つのミニシアターからなるエッセンの映画館グループ。1950年代の歴史的建造物に大スクリーンを擁するEulenspiegel(写真)、毎月第4水曜にフランス映画を上映する「Astra Theater」、毎月最終火曜にスペイン映画を上映する「Filmstudio Glückauf」、ルール地方で最も小さい映画館「Galerie Cinema」、ミュールハイム唯一のミニシアター「Rio」がある。

Eulenspiegel | Steeler Straße 208-212, 45138 Essen
https://filmspiegel-essen.de

7

ライプツィヒ
ボランティアで運営する映画館
Cineding

Cineding

プラグヴィッツ地区の中庭にひっそりと佇むCinedingは、1997年にザクセン州映画サービス協会によって設立されたミニシアター。日中は学校向けの上映会などに利用され、夜間はインディペンデント系映画を全てオリジナル言語字幕付きで上映する。ボランティア主体で運営されており、チケットも通常料金が7ユーロとリーズナブルだ(2026年8月時点)。最近ではクルド映画祭や型破りなドイツ映画シリーズ「Grenzgänger」などの特集を企画。

Karl-Heine-Str. 83, 04229 Leipzig
www.cineding-leipzig.de

8

ロストック
子ども向けプログラムが充実
li.wu. (Lichtspieltheater Wundervoll)

 li.wu.

1910~93年までMetropol(写真)と呼ばれていた映画館で、2012年にli.wu.となった。2014年には学校を改装したFrieda23が加わり、2拠点で運営されている。若手の映画監督や既成概念を打ち破るアーティストの作品を中心に扱う。子ども向けには年齢層別のプログラムが組まれ、13~19歳までが上映作品を決められる「Querbeet」では随時アイデアを募集中。2025年にはメクレンブルク=フォアポンメルン州映画基金の年間プログラム部門を受賞した。

Barnstorfer Weg 4, 18057 Rostock
www.liwu.de

デュッセルドルフの映画館にインタビュー 私たちがミニシアターに出かける理由

ミニシアター

デュッセルドルフにも四つのミニシアターがある。中心街にあるAtelierとBambi、旧市街のCinema、大学近くのMetropol。それぞれ歴史を持つこれらの映画館は、現在「Metropol Düsseldorfer Filmkunstkinos」(以下、Filmkunstkino)としてグループ運営されている。かつてこの街に100以上もあったという映画館のほとんどが姿を消したなか、Filmkunstkinoはどのように生き残り、何を守ってきたのか。共同設立者のカレ・ゾムニッツさんとプレス担当のエリック・ホルストさんにお話を聞いた。

ホルストさんとゾムニッツさんホルストさんとゾムニッツさん

街の映画館を守ってきた人たち

Filmkunstkinoでは、最近話題の映画から外国語作品、ドキュメンタリー、アニメまでさまざまな作品が上映される。観客の平均年齢は40歳以下と若い。最近では月額20ユーロで映画が見放題になるサービスを導入した。「まるで家を解約したのかと思うほど、毎日のように来る常連さんもいますよ」と笑って話すのは、プログラム責任者として同社を率いるカレ・ゾムニッツさんだ。

ゾムニッツさんはデュッセルドルフ大学の学生だった1980年代に、学内映画館「MEK-Film」を立ち上げた。その後、Metropolの経営者だったウド・ハイマンスベルク氏と出会い、1994年には市内の映画館「Souterrain」の経営者に。一方で、市内では大型シネコンの建設計画が進行中だった。1998年にハイマンスベルクさんと共にFilmkunstkinoを設立すると、街のミニシアターを守るべく、経営困難となった映画館を買収して今に至る。ミニシアターをグループ運営する例は他都市でも見られるが、スクリーン数が増えることで配給会社にとって魅力が増すほか、各映画館の個性を活かしたプログラムを組めるため、より多くの作品を上映できるという利点がある。

「シネコンはいわばチェーンのバーガーショップで、ミニシアターは個人経営のレストランです」。両者の違いをこう語るのは、プレス担当のエリック・ホルストさんだ。「私たちはお客さんに話しかけ、メニュー(映画)をおすすめすることができる。ただ入って食べて出ていく場所ではなく、とても社交的な場なのです」とホルストさんは続ける。Filmkunstkinoは映画館そのものだけでなく、地元の人々の交流も守ってきたともいえそうだ。

語るべきテーマがある映画

映画館のプログラム編成には、事前鑑賞が必須だ。Filmkunstkinoでは、コロナ禍前はほぼ毎日試写会を開き、スタッフや地域のジャーナリストが共に映画を鑑賞してきた。現在はスクリーナー(試写用サンプル)が当たり前になってしまったが、実際のスクリーンで観るよう心がけている。さらに、ゾムニッツさんはベルリナーレをはじめとした映画祭にも足を運ぶ。

「作品を選ぶ基準は『その映画に語るべきことがあるかどうか』です。観客が自分を重ね合わせられるか、現代社会の問題が映し出されているか、あるいは歴史を描き、今と比較できるかどうか。本当に優れた作品とは、娯楽性とメッセージ性の両方を持っています。例えば、フランスの映画『最強のふたり』はその好例です。コメディ要素が多いですが、背景には人種差別、障がいのある人との向き合い方といったテーマがある。映画を観た人は、車椅子に乗った隣人のことを思い出したり、今まで挨拶しなかったことを反省したりするかもしれない。そんな気づきを与えてくれる映画なのです」(ゾムニッツさん)

選び抜かれた作品は、上映する劇場、時間帯などが吟味され、観客に届けられる。さらに、週に2回は監督や専門家を招いての上映イベントを行い、ミニシアターならではの交流の場を設けている。「価値のある作品なら観客が少なくても3週間上映します。それは映画に対しての責任でもあるし、そうした作品を上映できることは私たちの誇りでもあるのです」とゾムニッツさんは胸を張る。

フリーペーパー「biograph」デュッセルドルフのカルチャー専門フリーペーパー「biograph」には、毎回Filmkunstkinoのスタッフによる上映作品のレビューが掲載される

ミニシアターの中の小さな民主主義

コロナ禍前と比較して、Filmkunstkinoにはまだ完全に人が戻ってきたわけではない。ストリーミングが台頭する一方、それでも映画館に足を運ぶ価値。それは、映画が人に語りかけ、人と人とが出会うミニシアターの存在そのものが物語っているだろう。その価値をより多くの人に感じてもらうため、ゾムニッツさんたちは常に新しい客層、特に若い人たちに来てもらうよう努力している。

取材で訪れたBambiでは、ちょうど学校のクラス上映が行われていた。こうしたスクリーンの貸出は、街の子どもたちにミニシアターの存在を知ってもらう機会になる。また、およそ40人いるアルバイトスタッフは学生が中心だ。「映画ファンでなければ、ここで働けません」とホルストさん。スタッフは映画を無料鑑賞できるが、学生スタッフたちが気に入った映画を周囲の人に広めてくれるため、結果的に観客層の若返りにもつながっているという。

国際色豊かなプログラムも、新たなお客さんとの出会いになる。イタリア週間では、地元のイタリアンにチラシを置かせてもらい、そこから多くのお客さんが映画館に足を運んだ。また、Bambiでは日本映画を月に1本は上映するが、最近では映画「国宝」の反響が大きかったと話すゾムニッツさん。「上映時間が3時間もあり、配給会社もどう売ればいいか分からず、まずは日本人街のど真ん中にあるBambiで上映しようと。そこで週末の昼と夜に試しに上映したのですが、どれも満席になったんです」と嬉しそうに語る。日本人も多く訪れ、結果的に2カ月のロングラン上映となった。

さらに、これまでOmU(字幕付オリジナル言語上映)ドイツ語字幕が主流だったが、最近は英語字幕付上映も少しずつ増やしている。これはベルリンの映画館に倣ったもので、これまでドイツ語ができずに鑑賞をあきらめていた人に間口を広げる戦略だ。

「人々は同じ映画を見て、意見を交わし、賛成したり反対したりする。映画館はまさに民主主義の場です」とゾムニッツさんは言う。さまざまな意見や背景を持った人々が集うFilmkunstkinoには、そんな小さな民主主義が息づいている。私たちはミニシアターに足を運ぶことで、街の一員であることをどこかで感じているのかもしれない。そして、そのミニシアター文化を守っていくのは、街に生きる私たちなのだ。

デュッセルドルフで日本映画といえば! Bambi

Bambi

1963年にオープンした老舗映画館で、プレミア上映も多く行われる。天井に星空があしらわれたサーカスのテントのような内装が特徴だ。年会費10ユーロで毎回チケットが2ユーロ引きになる「Gildepass」の加盟映画館。

Klosterstr. 78, 40211 Düsseldorf
https://filmkunstkinos.de

 

観世宗家が欧州ツアーへ ドイツの舞台で見る能楽

この9月、日本最大の能楽流派である観世かんぜ宗家が欧州ツアーにやって来る。ドイツは、9月21日にベルリン音楽祭の一環でベルリン・フィルハーモニー、24日にはミュンヘンで開催されるmusica vivaでプリンツレーゲンテン劇場、28日にケルン・フィルハーモニをめぐる。ドイツの名だたるコンサートホールに組まれた舞台で、700年の伝統を受け継いできた能楽はドイツの人々の目にどのように映るのか。ベルリン音楽祭およびmusica vivaの芸術監督を務めるヴィンリッヒ・ホップ氏に話を聞いた。((文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:KANZE.net、ベルリン日独センター公式サイト

公演予定の演目「羽衣」公演予定の演目「羽衣」

能楽を知らなくても大丈夫

「以前日本の方から、日本の若い人たちは能楽についてあまり知らないと聞きました」。インタビューの冒頭、ヴィンリッヒ・ホップさんは日本人としては少しドキッとする一言を放った。たしかに、能楽に馴染みがある日本人は限られるかもしれない。「でも、ドイツの子どもだって14~15世紀の音楽を知っているでしょうか?」とホップさんは笑顔で言う。彼はベルリン音楽祭の芸術監督として、2019年の梅若研能会の公演を支えた人物だ。今回のドイツ公演を日本人にも観てほしい、と喜んで取材を受けてくれた。

そもそも能楽とは、謡うたい・舞・囃子はやしが一体となった音楽劇。現実と夢、生者と霊が交錯する物語を、能面をつけた演者たちが優雅な所作によって織りなしていく。2008年にはユネスコ無形文化遺産にも登録され、世界最古の舞台芸術として知られる。今回ツアーを周る観世宗家は、能楽を大成した観阿弥かんあみ・世阿弥ぜあみの子孫で、室町時代から伝統を守り続けてきた。

ドイツ人の目から見た能楽

1970年代終わり、ケルンで学生生活を送っていたホップさんは、日本学者のイングリット・フリッチュ氏とその夫で作曲家のヨハネス・フリッチュ氏と知り合ったことで、雅楽をはじめとする日本音楽と出会った。ケルン日本文化会館にも足しげく通い、長らく日本文化のファンだ。一方で能楽は映像で見たきり。初めてライブで鑑賞したのは、2019年に梅若研能会がベルリン・フィルハーモニーで公演したときだったと話す。「舞台上に本格的な能舞台を組み立てたのですが、本当に素晴らしかった。木造の舞台が建築空間に見事に調和して、フィルハーモニー全体の空気感が一変したのです」とホップさんは目を輝かせる。

「能楽で素晴らしいと思うのは、圧倒的な完成度と集中力。長い静寂からの準備、そこから一気に繰り出される動き、その驚くほどの正確さに驚異を抱きます。言葉、声、響き、音楽、それら全てが一体となっていて完成度が高い。能を見るとき、私はまるで子どものような目で見入ってしまいます。

ドイツでは、能楽は決して分かりやすい芸術ではありません。言葉はもちろん、演技も時間の流れも音楽も、欧州の観客にはなじみのないものです。それにもかかわらず、2019年の公演では観客が本当に集中して舞台を見つめていたことが印象的でした。つまるところ、芸術は理解できるかどうかではなく、心を動かされることが大事なのです」

能舞台2019年にケルン・フィルハーモニーに組まれた能舞台

「日本文化を大切にしてほしい」

2019年の公演が大成功を収めると、ホップさんは「また公演を実現させたい」と思い続けていたという。その思いが通じたのか、ベルリン日独センターから今回のツアーの相談を受けた。「私は何か日本関連のプロジェクトを企画するたびに、真っ先にケルン・フィルハーモニーに連絡します。2019年の時もそうでしたし、今回も同じでした」。その背景には、西ドイツの時代からケルンが日本文化の発信地だったことと同時に、ホップさん自身が日本音楽に出会った思い入れの深い場所であることも関係している。「ドイツの公演はきっと日本とは違う体験になるのではないかと思います。全く違う文脈で建てられた建物に舞台を組むわけですから」

ドイツの格式ある舞台を巡回する今回のツアーは、二十六世観世宗家・観世清和氏にとっても特別な公演になる。それはこれから息子の観世三太郎氏へ宗家を受け継いでいくための、一つのステップとなるからだ。

「日本にはたくさんの素晴らしい文化がありますが、あまりに身近な存在がゆえに、その価値が十分に感じられないことがあるかもしれません。私たちヨーロッパ人から見ると、能楽も雅楽も歌舞伎も、本当にかけがえのない芸術です。ですから、その文化をぜひ大切にしてください。同時に、海外には日本文化に関心を持っている人がたくさんいることを知ってほしいです」

能楽ファンも初心者も、ドイツで能楽を鑑賞できる貴重なチャンス。日本では体験できない特別な公演にぜひ足を運んでみてほしい。


ケルン・フィルハーモニ

 

MUSEUM GUIDE
in Frankfurt フランクフルトのおすすめミュージアム

欧州有数の金融都市、フランクフルト。摩天楼がそびえる街並みが有名な一方、マイン川沿いには「博物館河岸」(Museumsufer)と呼ばれる文化ゾーンが広がっている。現在39ものミュージアムが集結するこのエリアでは、シュテーデル美術館を筆頭に、映画、建築、自然など多彩なテーマのミュージアムがそろう。金融だけでなく、文化も根付くフランクフルトの魅力を、美術館・博物館を通して探ってみよう。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

お得なカード

ムゼウムスウーファー・カード MuseumsuferCard

博物館河岸のミュージアムで使える年間パス。ナイトミュージアムや博物館河岸祭りでも使用できるほか、季刊のマガジンを無料で届けてくれる。シングルカードは89ユーロ、ファミリー(大人2人+18歳未満の子どもまたは孫)は150ユーロ。
www.museumsufer.de

シュテーデル美術館 Städel Museum

Städel Museum

Städel Museum

1815年、当地の銀行家ヨハン・フリードリヒ・シュテーデルの「自宅と美術品の全てを街に寄贈する」という遺言によって設立された美術館。ボッティチェリ、レンブラント、フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、モネ、セザンヌ、ゴッホ、ピカソなど、14世紀初頭からルネサンス、バロック、古典的モダニズムを経て、現代に至るまでの700年にわたるヨーロッパ美術史を網羅的に概観することができる。14の彫刻作品が設置された庭園は入場無料なので、散歩がてら立ち寄るのもおすすめ。

Schaumainkai 63, 60596
www.staedelmuseum.de

シルン・クンストハレ Schirn Kunsthalle Frankfurt

Schirn Kunsthalle Frankfurt

大聖堂とレーマー広場の間に位置するシルン・クンストハレは、美術品を所蔵せず、企画展のみで運営されている美術館。その展示プログラムは多様かつ国際的で、現代の視点から美術史や文化史にまつわるテーマや議論、トレンドに鋭く焦点を当てる。9月20日(日)まで開催中の展覧会「The World Through AI」(写真)では、人工知能(AI)の認知的、政治的、環境的な側面を題材とした、過去10年間の芸術作品が展示されている。なお、現在は本館の省エネ改修のため、ボッケンハイムにある旧ドンドルフ印刷所へ一時的に移転中。

本館(改修中):Römerberg 6, 60311
一時移転先:Gabriel-Riesser-Weg 3, 60325
www.schirn.de

ゲーテハウス Frankfurter Goethe-Haus

Frankfurter Goethe-Haus

ドイツを代表する文豪ゲーテが生まれ育った家。4階建ての建物は第二次世界大戦中に破壊されたものの、その後、忠実に再建された。1階は食堂やリビング、2階は中国風の壁紙が貼られた「北京の間」や音楽室、3階は図書室や「絵画の間」、4階にはゲーテが『ファウスト』や『若きウェルテルの悩み』を執筆した書斎などがある。併設するドイツ・ロマン派博物館はロマン派だけに焦点を当てた博物館で、ゲーテが生きた時代の絵画や日用品などのコレクションが展示されている。

Großer Hirschgraben 21, 60311
https://frankfurter-goethe-haus.de

フランクフルト通信博物館 Museum für Kommunikation Frankfurt

Museum für Kommunikation Frankfurt

2007年にオープンしたライン川の遊歩道の真下に存在するアート空間。その名の通り、1993年に開通したライン河畔トンネルの建設の際に残った空間がアートスペースとして活用されている。コンクリートに囲まれた地下空間は、端に行くほど天井が低くなっていたり先細りしていたり、トンネルの名残が感じられ、建築好きの人にもおすすめしたい。毎年およそ四つの企画展が開催され、彫刻、絵画、写真、映像、インスタレーションなど幅広いジャンルの若手アーティストを重点的に取り上げている。地上部分はカフェバーになっているので、鑑賞後や散歩の途中に立ち寄るのも◎。

Mannesmannufer 1b, 40213
www.kunst-im-tunnel.de

フランクフルト現代美術館(MMK) Museum für Moderne Kunst

Museum für Moderne Kunst

三角形の外観から「Tortenstück」(ケーキの一切れ)の愛称で親しまれている、フランクフルト現代美術館(MMK)。1989年の創設以来、芸術的創造の場として若手アーティストたちを見出し、支援し、その作品をコレクションとして収蔵してきた。コレクションは、1960年代〜現代の国内外の主要アーティストたちの代表作を含む、5000点以上の芸術作品で構成されている。本館だけでなく、二つの分館もぜひ訪れてみて。

MMK本館:Domstr. 10, 60311
TOWER MMK:Taunustor 1, 60310
ZOLLAMT MMK:Domstr. 3, 60311
www.mmk.art

ユダヤ博物館 Jüdisches Museum Frankfurt

Jüdisches Museum Frankfurt

ユダヤ博物館は、ナチス政権下のドイツの各地で発生した反ユダヤ主義暴動「水晶の夜」からちょうど50年後の1988年11月9日に開館された。常設展では、ユダヤ人たちがフランクフルトの文化的・経済的な都市発展や、都市大都市への変貌にどのように影響を与えてきたかを伝えている。同館の「フランク家センター」では、アンネ・フランク一家とその親戚家族の遺品を収集・管理しており、日常生活用品、手紙、絵画、写真などを公開している。

Bertha-Pappenheim-Platz 1, 60311
www.juedischesmuseum.de

ゼンケンベルク自然博物館 Senckenberg Naturmuseum

Senckenberg Naturmuseum

ゼンケンベルク自然史博物館は、ドイツを代表する自然史博物館の一つであり、現代の生物の多様性、生物の進化、そして数百万年にわたる地球の変遷を紹介している。さらに2025年に新設された体験エリア「Aha?! Forschungswerkstatt」では、子どもから大人までの「研究者」たちが、同館の科学者たちと一緒に標本の調査をしたり、実際の研究プロジェクトを手伝ったりすることができる。

Senckenberganlage 25, 60325
https://museumfrankfurt.senckenberg.de

フランクフルト歴史博物館 Historisches Museum Frankfurt

Historisches Museum Frankfurt

フランクフルト歴史博物館は、欧州最大級の規模を誇る市立博物館。800年以上の歴史を持つ「ザールホフ」と呼ばれる重厚な旧館と、近代的なデザインの4階建て新館が融合し、約6000平方メートルに及ぶ広大な展示スペースを形成している。 八つの充実した常設展では、フランクフルトという都市の過去・現在・未来にわたる多彩なテーマが紹介されている。

Saalhof 1, 60311
https://historisches-museum-frankfurt.de

ドイツ映画博物館 Deutsches Filminstitut & Filmmuseum

Deutsches Filminstitut & Filmmuseum

1984年にドイツ初の映画博物館としてオープンしたドイツ映画協会&映画博物館(DFF)は、博物館、映画館、アーカイブ、コレクション、映画祭、数多くの教育プログラムなどを独自の形で融合させた施設。2フロア、約800平方メートルの常設展では、さまざまな展示物や、実際に操作できる歴史的な機器の模型、インタラクティブな体験コーナーを通して、映画というメディアの魅力を体感できる。

Schaumainkai 41, 60596
www.dff.film


おすすめのアートイベント

Nacht der Museen

毎年4月の最終週末に開催されるミュージアムナイト(Nacht der Museen)では、フランクフルト、オッフェンバッハ、エシュボルンにある約60の文化施設や展示会場が多彩な文化プログラムを提供。毎年約4万人が訪れ、19時〜翌朝2時まで、開催中の展覧会のガイドツアーをはじめ、音楽、朗読、パフォーマンス、演劇、ワークショップ、パーティーなどを楽しむことができる。無料シャトルバスを使って、施設間を移動できるのもうれしい。
https://nacht.museumsufer.de

Museumsuferfest

毎年8月の最後の週末に、3日間開催される「博物館河岸祭り」(Museumsuferfest)。毎年約100万人の来場者が訪れ、美術館のプログラム、舞台公演、ライブ、パフォーマンスなど、多彩な催しが繰り広げられる。専用チケットを購入すると、イベント期間中の3日間、30館以上の博物館に自由に出入りすることができる。最終日の22時から行われる花火大会も必見。今年は8月28日(金)〜30日(日)に開催予定だ。
www.museumsufer.de

Frankfurt Art Experience

フランクフルト・アート・エクスペリエンスは、2019年に発足したフランクフルトのギャラリーの公式プラットフォーム。フランクフルト市内各地の50のギャラリーやオフスペースをつなぎ、マイン川沿いの活気あふれるアートシーンを発信している。毎年9月のギャラリーシーズンの開幕に合わせて、それぞれのギャラリーが展覧会を開催し、著名なアーティストや新進アーティストの作品が並ぶ。今年の開催は9月4日(金)〜6日(日)。
www.frankfurtexperience.art

 

ライン、マイン、モーゼル 三つの川から読むドイツ

アルプスから北海へと下り、東から西へと国土を横切り、フランスからブドウ畑を縫って流れる。時に境界となり、時に商いの道となり、時に詩と音楽を生んだ。そうした川の営みが、ドイツの歴史の中にある。本特集では、ライン、マイン、モーゼルという隣り合う三つの川がどんな時間を運んできたのかを多面的に紐解く。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

三つの川から読むドイツ

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Oberes Mittelrheintal」、duisport「Geschäftsbericht der duisport-Gruppe 2024」、Wasserstraßenund Schifffahrtsverwaltung des Bundes「Der Main-Donau-Kanal」、Weinland Mosel「Historie」、Stadt Trier「Steckbrief der Stadt Trier」

川のそばで動いてきたドイツの歴史

ドイツを旅していると、川はいつも歴史のすぐそばにある。城は川を見下ろす丘に築かれ、大聖堂のある街には水路が通り、商人も兵士も巡礼者も、その流れをたどって移動した。街の名にも、その記憶は残されている。フランクフルト・アム・マインは「マイン河畔のフランクフルト」。ラインとモーゼルが合流するコブレンツは、ローマ人がこの地を「Confluentes」、すなわち「合流点」と呼んだことに由来する。地名の奥に川があり、川の奥に歴史がある。

ライン川とモーゼル川が合流する、コブレンツのドイチェス・エック(Deutsches Eck)ライン川とモーゼル川が合流する、コブレンツのドイチェス・エック(Deutsches Eck)

なかでもライン、マイン、モーゼルの三つの川は、ドイツという地域を読み解く上で特別な存在だ。地理的には近くにありながら、それぞれ異なる役割を担ってきた。欧州を代表する大河川の一つであるライン川は、古くから民族や国家を隔てる境界であり、同時に石炭と鉄鋼を運ぶ産業の大動脈でもあった。マイン川は、ドイツ内部を流れながら、南北の文化的・宗教的差異を映す境界の一つともされ、フランクフルトを中心に技術と商業の歴史を育んできた。そしてモーゼル川は、フランスからドイツへと流れ、途中ではルクセンブルクとドイツの国境を成し、その両岸には国境を意識させないワインの文化と地域の記憶が息づいている。

やがてマインもモーゼルもラインへと注ぎ、一つの大きな流れとなって北西へ向かう。その姿は、ドイツという国の成り立ちにも重なる。ドイツは一つの中心から生まれた国ではなく、ローマの辺境、神聖ローマ帝国の都市、宗教改革、地域ごとの文化、そして国境を越える交易といった歴史が、一つの国家へと合流していった。

欧州を縦断する文化と物流の「大動脈」 ライン Rhein

ライン川

ローマ世界の境界であり、詩人たちが見つめた記憶の風景であり、近代ドイツを動かしてきた物流と産業の大動脈でもあるライン。ドイツ史の光と影を最も濃く映し出す川である。

ライン川地図

荒ぶる川からローマの境界へ

全長1200キロ以上あるライン川は、アルプスに源を発し、北海へと注ぐ。スイス、リヒテンシュタイン、オーストリア、ドイツ、フランス、オランダに接しながら流れ、流域には約6000万人が暮らす。ドイツ人はこの川をしばしば「父なる河」(Vater Rhein)と呼び、そこにはこの国の歴史、文化、経済が幾重にも重なっている。

古代、ラインはローマ世界とゲルマン世界を隔てる境界だった。ローマ人は川を豊穣の神「レーヌス」として崇め、川辺にブドウ畑や道路、軍事拠点を築いた。ケルンやマインツ、コブレンツなど現在の主要都市の多くは、この時代のローマ軍駐屯地に起源を持つ。西岸にはローマ的な都市文化とキリスト教、ブドウ栽培が根づき、ラインは文明の輪郭を示す線となった。

デュッセルドルフにあるモニュメント「父なるラインとその娘たち」デュッセルドルフにあるモニュメント「父なるラインとその娘たち」

ドイツ経済を動かす水路

近代以降、ラインは「働く川」へと姿を変える。ルール川との合流点に発達したデュースブルク港は、内陸にありながら世界最大級の港として機能し、ルール工業地帯の発展を支えた。さらに内陸にあるルートヴィヒスハーフェンには世界有数の化学メーカーBASF本社があり、化学工業は冷却水と輸送の両面でラインに支えられてきた。

一方でこの産業化は環境負荷も伴った。1986年、スイス・バーゼル近郊の農薬倉庫火災により有害物質が流出し、ラインは「死の川」と呼ばれる事態に。しかし翌年の「ライン行動計画」採択を機に流域各国が水質改善に取り組み、生態系は回復に向かっている。近年は逆に2018年、2022年、そして今年も記録的渇水が水位低下と物流停滞を招き、気候変動という新たな課題に直面している。

ラインは古代の境界、中世の記憶の風景、近代の産業動脈、そして現代の環境再生と気候危機を映す鏡として、ドイツの歴史そのものを流し続けている。

世界最大の内陸港であるデュースブルク港世界最大の内陸港であるデュースブルク港

詩と音楽が流れる「半神」の川
ロマンティック・ラインで生まれた芸術

ビンゲンからコブレンツまでの約65キロにわたる中部ライン渓谷には、両岸の丘に40を超える古城や城跡が点在し、急斜面のブドウ畑と小さな街が水辺に寄り添う。この一帯は2002年にユネスコ世界遺産に登録され、今日では「ロマンティック・ライン」として知られている。19世紀の詩人や旅行者たちは、中世の廃墟、古城、伝説、川霧の風景に郷愁を見出し、ラインの歴史と自らの想像力を重ね合わせた。そんなライン川から生まれた、偉大な芸術作品たちをご紹介する。

賛歌「ライン」

ライン川を神話的に描いた代表的な詩人の一人が、フリードリヒ・ヘルダーリンだ。1801年ごろに成立した長大な賛歌「ライン」のなかで、彼はこの川を「半神」(Hal bgott )と呼んだ。アルプスの氷河に生まれ、若い川として激しく方向を変えながら流れ下り、やがて成熟して海へと注ぐ姿は、詩人にとって神話的な力を帯びた存在だった。この詩を書いた数年後、ヘルダーリンは精神の均衡を失い、1807年からはテュービンゲンのネッカー河畔の塔で、1843年に亡くなるまで暮らした。塔の窓から見えたのはラインではなく、静かに流れるネッカー川だった。

ヘルダーリンが亡くなるまで生活した塔ヘルダーリンが亡くなるまで生活した塔

詩「ローレライ」

ザンクト・ゴアルスハウゼン近郊にそびえる高さ132メートルの絶壁「ローレライ」。川幅が狭まり水深も深まるこの難所に美しい乙女を住まわせたのは、ロマン派の詩人クレメンス・ブレンターノだった。それを受け継いだハインリヒ・ハイネが1823年に名詩「ローレライ」を書き、1837年に旋律が付けられると、民謡と誤解されるほど愛されるようになった。ナチス期にはユダヤ系詩人ハイネの名を伏せ、「作者不詳」として掲載されることもあった。作者名を消されても、歌は人々の記憶から消えなかった。

ローレライ伝説の舞台となった絶壁ローレライ伝説の舞台となった絶壁

交響曲第3番「ライン」

ドイツ・ロマン派の作曲家ロベルト・シューマンは、1850年にデュッセルドルフへ移り住むと、その年のうちに交響曲第3番「ライン」を書き上げた。ケルン大聖堂を訪れた際の感動が着想源になったともいわれ、翌1851年2月、シューマン自身の指揮で初演された。しかしこの幸福な川は、やがて彼自身を飲み込んでいく。精神の不調に苦しんだシューマンは1854年、デュッセルドルフでラインに身を投げ、2年後に精神病院でその生涯を閉じた。交響曲に明るく描かれたラインは、晩年には彼の苦悩を映す存在となった。

デュッセルドルフでシューマン夫妻が最後に住んだ家は、現在は博物館にデュッセルドルフでシューマン夫妻が最後に住んだ家は、現在は博物館に

楽劇「ニーベルングの指環」

リヒャルト・ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」は、1848年に着想し、完成までに実に26年を費やした四部作である。序夜「ラインの黄金」は、川底でラインの乙女たちが黄金を守る場面から始まる。低い変ホ長調の持続音がコントラバスの最低音からほとんど聴こえないほどの静けさで立ち上がる冒頭は、ライン川そのものの音楽的描写とされる。ヘルダーリンが「半神」と呼んだ川を、ワーグナーは楽劇の中で本当に神々の住む場所へと仕立て上げた。黄金をめぐる争いは、やがて神々の世界を崩壊へ導いていく。

序夜「ラインの黄金」に登場する三人のラインの乙女序夜「ラインの黄金」に登場する三人のラインの乙女

人の手で整えられた マイン Main

マイン川

大河の迫力ではなく、構想と技術でヨーロッパを結ぶマイン。自然の川を人がどのように整え、利用し、広い水路網へ組み込んできたのかを物語る川である。

参考:Historisches Lexikon Bayerns「Fossa Carolina / Karlsgraben」、Wasserstraßen- und Schifffahrtsverwaltung des Bundes「Der Main-Donau-Kanal」

マイン川地図

カール大帝の未完の夢

ラインが自然の力を感じさせる大河だとすれば、マインは人の手によって整えられてきた川である。バイエルンの丘陵に発する「白マイン」と「赤マイン」が合流し、西へ蛇行しながらマインツ付近でラインに注ぐ。船が航行できる水深を保つため、川には堰せきが設けられ、地形の起伏による水位差は水門で乗り越える。自然の流れをそのまま受け入れるのではなく、時間をかけて使いやすい水路へと変えてきた点に、人間の技術と構想の歴史が刻まれている。

ドイツの大河の多くが南北に流れるなか、マインは東から西へと国土を横切る。この「横に流れる川」という地理が、人々に南北の水系をつなぐ可能性に気づかせた。793年、フランク王カール大帝はマイン水系とドナウ水系を運河で結ぶ計画に着手する。北海と黒海を内陸水路でつなぐ壮大な構想だったが、8世紀の技術では実現できず、工事は放棄された。この未完の水路は「カールの溝」(Karlsgraben)と呼ばれ、バイエルンの田園にいまも痕跡を残す。

「カールの溝」中世に造られたが未完の水路「カールの溝」の一部

北海と黒海を結ぶ

カール大帝の構想が形になるまで、およそ1200年を要した。1992年、全長約171キロ、16カ所の水門を備えたマイン・ドナウ運河が開通し、ライン水系とドナウ水系はついに結ばれる。オランダのロッテルダムからルーマニアのコンスタンツァまで、約3500キロ規模の内陸水路が北海と黒海をつないだのである。

マインは、ラインのような威容もモーゼルのような劇的な景観も持たない。だがその控えめな流れには、ヨーロッパ内陸を結ぼうとした長い構想と、都市文化やワインの記憶が重なっている。カール大帝が夢見た水路は、1200年後にようやく実現した。マインは、人が川と向き合い、整え、結び直してきた歴史を映す川だといえる。

マイン・ドナウ運河ドナウ川とマイン川を結ぶマイン・ドナウ運河

川とともに発展してきた
マインにたたずむ三つの都市

バンベルク
Bamberg

上流のバンベルクは、厳密にはマイン本流ではなく支流レグニッツ川沿いの街である。川の中州に浮かぶように建つ旧市庁舎(写真)がこの街の象徴で、木組みの家々が水辺に連なる旧市街は1993年にユネスコ世界遺産に登録された。バンベルクは「ビールの街」としても知られ、なかでも麦芽を燻いぶして香りをつけた黒ビール「ラオホビア」が有名だ。水辺の景観と醸造文化が、街の個性を形づくる。

バンベルク旧市庁舎

ヴュルツブルク
Würzburg

フランケン地方の中心都市ヴュルツブルクは、フランケンワインの街であると同時に、バロック建築の傑作を持つ街でもある。18世紀に築かれたヴュルツブルク・レジデンツ(写真)は1981年に世界遺産に登録され、階段室の天井には壮大なフレスコ画が広がる。フランケンワインは、平たい丸みを帯びた瓶「ボックスボイテル」に詰められ、シルヴァーナー種の白ワインがこの地方を代表する。

ヴュルツブルク・レジデンツ

フランクフルト
Frankfurt am Main

さらに下れば、フランクフルト・アム・マインに至る。中世には神聖ローマ皇帝の選挙・戴冠の舞台となり、現在は欧州中央銀行を擁する金融都市として知られる。詩人のゲーテは1749年にフランクフルトで生まれ、生家である現在のゲーテハウスで『若きウェルテルの悩み』を執筆した。後年の自伝『詩と真実』には、少年時代に眺めたマインの河岸、橋、市庁舎レーマーが繰り返し現れる。

フランクフルト

ブドウ畑の急斜面を縫う モーゼル Mosel

急斜面に広がるブドウ畑、ローマの記憶、国境を越えるワイン文化。モーゼルは、大河の歴史とは別の角度から、欧州の時間と人々の暮らしを映し出す川である。

モーゼル川

参考:Weinland Mosel「Historie」、Stadt Trier「Steckbrief der Stadt Trier」、Hans Pelger「Karl Marx und die rheinpreußische Weinkrise」

モーゼル地図

急斜面のブドウ畑

モーゼルはフランスのヴォージュ山脈に発し、ルクセンブルクとの国境地帯をたどりながらドイツへ入り、幾度も蛇行を繰り返して最後はコブレンツでラインに合流する。三つの国を結ぶこの川は、同時に欧州でも古くからブドウ栽培が行われてきた地域の一つを流れている。

その風景を特徴づけているのは、川へ向かって落ち込む急斜面のブドウ畑だ。川が大きく曲がるたび斜面にはブドウの列がびっしりと刻まれ、集落は水辺のわずかな平地に身を寄せるように並ぶ。なかでもブレム村近郊のカルモントは斜度が最大約60%に達し、欧州で最も急なブドウ畑の一つとされる。機械による栽培が難しいこの地形では、今も多くの作業が人の手に頼っている。この土地を代表する品種がリースリングで、軽やかな酸と果実味、鉱物的なニュアンスを併せ持つ白ワインとして知られる。

こうしたブドウ畑の風景は、実は古代からほとんど変わっていない。ローマの詩人アウソニウス(310年頃-393年頃)は、皇帝ヴァレンティニアヌス1世に召され、皇帝宮廷のあったトリーアに滞在した人物だが、371年頃に記した詩「モゼラ」のなかで、川面に映るブドウ畑の緑や、澄んだ水、船人たちの営みを克明に描いている。全483行に及ぶこのラテン語詩は、4世紀のモーゼル河畔の姿を伝える貴重な文学史料でもある。

ブドウ畑モーゼル地方はドイツ最古のワイン生産地域

蛇行する川がつくる風景

モーゼル中流の古都トリーアを過ぎると、川はベルンカステル=クース、コッヘムといった街々を結んでいく。コッヘムでは、川の対岸から見ると丘の上に中世の城ライヒスブルクが浮かび、その足元の家並みが川辺まで下ってくる。川は真っすぐ進まず、方向を変えるたびに斜面の向きや集落の表情を変えていく。観光地としてのモーゼルは穏やかで絵画的だが、その奥にはローマ人が拓いた都市、修道院とワイン商人が支えた中世の街、そして現在のワイン産業と観光が折り重なっている。

おとぎの国から出てきたような中世の古城ライヒスブルクおとぎの国から出てきたような中世の古城ライヒスブルク

美しき古都
トリーアを行く

モーゼル流域の歴史を語る上で、トリーアは欠かせない。街の起源は古代ローマ時代にさかのぼり、紀元前17年ごろ、「アウグスタ・トレヴェロルム」という都市が築かれた。これが、のちのトリーアである。4世紀には皇帝の居住地となり、アルプス以北におけるローマ世界の重要な中心都市として栄えた。

 

現在も市内には、古代ローマの記憶が色濃く残る。その象徴が、2世紀後半に建てられた巨大な市門「ポルタ・ニグラ」。ほかにも、円形劇場、皇帝浴場、アウラ・パラティーナなど、ローマ時代の大規模な建築を見ることができる。これらの遺跡群は1986年にユネスコ世界遺産に登録された。黒ずんだ石の門をくぐると、この街がかつてローマ帝国の北方支配を支える重要な拠点だったことが、古代の建築の大きさそのものから伝わってくる。

市門「ポルタ・ニグラ」トリーアの象徴でもある市門「ポルタ・ニグラ」

紀元100年ごろに築かれた円形劇場紀元100年ごろに築かれた円形劇場

もう一つの見どころは、街の中心部に残るカール・マルクスの生家だ。トリーアに生まれた青年マルクスは、急斜面のモーゼルのブドウ畑で働く農民たちの困窮に目を向け、1843年、ケルンのライン新聞で「モーゼル通信員の弁護」を書いた。プロイセン当局の課税に苦しむブドウ農家を擁護したこの記事は、のちの経済思想の原点の一つとなり、マルクスはやがて政治的自由だけでは解決できない経済的現実へと目を向けていく。

マルクスの生家マルクスの生家は博物館として一般公開されている

聖母マリア教会ドイツ最古のゴシック建築の傑作である聖母マリア教会

 

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