特集


ドイツ亡命文学の逸品を読もう

ドイツ亡命文学の逸品を読もう

ゲーテやグリム兄弟、ヘッセやノーベル賞作家のギュンター・グラスなど、世界的に有名なドイツ文学者は多い。これをオーストリア、スイスのドイツ語圏、あるいは昔のオーストリア・ハンガリー帝国にまで押し広めれば、ムージルやブロッホ、「ハイジ」の著者シュピーリ、リルケといった文学史上欠くことができない作家がずらりと並ぶ。しかしドイツ文学の中には、ナチス政権という体制に抗い、アメリカやフランスなどに亡命を果たし、彼の地で活躍した作家たちもまた少なくない。ドイツ語圏の外に出たドイツ文学。世界に流通するWeltliteratur(世界文学)。そんな 歴史の濁流の中で現れた作家たちの作品に触れてみよう。

( Texte by Masato Enya )

どうしてドイツの外に?

ドイツを後にして外国へ向かった作家たちの中には、もちろん未知の国への芸術的・文学的憧れからこの国を離れた者もいる。しかし、どうしてもドイツの亡命作家・知識人とナチス政権を切り離して考えることは出来ない。

世界恐慌による社会不安が渦巻く1930年代、ナチスは民衆を惹きつけ33年に一党独裁を確立。34年には総統に就任したヒトラーの下、いわゆるドイツ第三帝国が成立した。圧倒的な力を持ったナチスは、その人種論に基づきユダヤ人迫害を行い、その結果として多くのユダヤ系知識人や自由主義者が亡命を余儀なくされることになった。こうしてアインシュタインや作家ハインリヒ・マンはアメリカへ向かい、また哲学者ベンヤミンはパリへと向かうことになるのであった。美貌の女優マレーネ・ディートリッヒがアメリカへと移り住んだのも、ヒトラーからのナチス協力の要請を断ったことがその背景にある。

中央・東ヨーロッパへのナチスの勢力拡大は、ドイツのみならずオーストリアやポーランド、チェコスロバキアなどからも亡命者を生むことになり、またその後のソ連軍による「解放」は、パリのセーヌ川に身を投げた詩人パウル・ツェランのような新たな亡命者を誕生させることにもなった。こうして、ドイツ文学の偉大な作品が国を離れた亡命作家の手によってドイツ語で書かれるという一時代が、歴史の巨大な力によって生み出されたのである。

魔の山
魔の山(上)(下)巻 
(岩波文庫)

生きることとは何かを問う
ノーベル賞受賞作家

トーマス・マン
(Thomas Mann 1875-1955)

1929年、「ブッデンブロークの人びと(Buddenbrooks - Verfall einer Familie)」を主な対象としてノーベル賞を受賞したマンは、間違いなく20世紀のドイツ文学を代表する一人だ。第1次大戦中、帝政ドイツを支持していた彼は、後に民主主義擁護の立場を取り始め、 ヒトラーが政権を取った33年、講演旅行に発ったその足で亡命を果たした。スイスに逃れた後アメリカへ渡り、44年にはアメリカの市民権を獲得している。

マンといえば、ルキノ・ヴィスコンティ監督が71年に映画化した 名作「ベニスに死す(Der Tod in Venedig)」の原作家。ベネチアで出会った少年に理想の美を見出し、その少年を捜し求めて街をさまよう老年の作家の物語を映像化したヴィスコンティの作品にのめり込んだ人も、あるいはまたスクリーンに現れた美少年ビョルン・アンドレセンや渋いダーク・ボガード、イタリア美女のシルヴァーナ・マンガーノに惚れ込んだ人も少なくないのでは?

マンの代表作に、ここでは24年に出版された「魔の山( Der Zauberberg)」を挙げておこう。スイスのサナトリウムを舞台に、人々の生き方を深い考察に基づいて描いた長編小説で、主人公は結核を患ったハンス・カストルプ。病は人間を尊厳から遠ざけるものか、それとも人間とはそもそも病気であるのか。生と死を巡る考え方が議論を生み続ける。そうした中、病気を理由に療養地で惰眠のような生活を送るハンスに戦争という現実が突きつけられる。マンが実際に生きていた時代を背景に人間の生き方に迫ったこの作品、未読なら手にとって読んでみても悪くないだろう。

肝っ玉おっ母とその子どもたち
肝っ玉おっ母とその子どもたち (岩波文庫)

重いテーマに苦いユーモアで
迫った劇作家

ベルトルト・ブレヒト
(Bertolt Brecht 1898-1956)

ブレヒトといえば、作曲家クルト・ワイルが音楽を担当した劇「三文オペラ(Die Dreigroschenoper)」がとりわけ有名だろう。ジャズや古典オペラの技法を取り入れた音楽と辛辣な社会風刺で作られたこの音楽劇は、1928年の初演から1年間のロングランを果たし、今でも世界中で上演され続けている作品だ。

彼が反ヒトラーの立場からドイツを去りデンマークへと向かったのは、他の多くの亡命者と同じく33年。その後スウェーデンなどに移り住みながら、41年にはアメリカのカリフォルニアに移住を果たす。ちなみに、この亡命中に大部分を執筆していたにもかかわらず、彼の死後にしか刊行されなかった「亡命者の対話(Flu.. chtlingsgespra..che)」は、ファシズムが吹き荒れる世界をユーモラスで軽妙な対話を通して描いた傑作でお薦めだ。

アメリカでは、ウィーン生まれのユダヤ人映画監督フリッツ・ラングとの出会いがあった。「メトロポリス」や「M」で有名なこの監督も、ナチス政権下から逃げるようにアメリカに亡命を果たしていた一人だ。こうしてドイツ語圏の劇作家と映画監督とがアメリカで巡り会い、映画「死刑執行人もまた死す」が作られたのである。

彼の代表作の一つである「肝っ玉おっ母とその子どもたち(Mutter Courage und ihre Kinder)」も良作だ。30年戦争中のドイツとポーランドを背景に、3人の子供を引き連れ、幌車を引き、日用品や食料を売り歩く肝っ玉おっ母を主人公にした物語。子どもをも奪い、人々に重く圧し掛かる戦争と、その中で肝を据えて生きていかねばならない庶民の底力を描いたこの作品は、舞台で上演されることもある。観劇に足を運ぶのも良いだろう。

ドイツ、冬物語 (岩波文庫/ 現在絶版)
ドイツ、冬物語(岩波文庫/ 現在絶版)

自由思想のフランスに
憧れた詩人

ハインリッヒ・ハイネ
(Heinrich Heine 1797-1856)

デュッセルドルフ市庁舎近くには、詩人ハイネの家があった。ハイネの詩を基に、ドイツの民謡作曲家フリードリヒ・ジルヒャーがメロディーをつけた「ローレライ」は、ライン河畔の岩上に立ち、美しい歌声で船乗りを死に誘う妖精の伝説を歌った名作。作曲家シューベルトやシューマンが曲をつけたことでも有名な詩集「歌の本(Buch der Lieder)」(1827)を紡ぎ出したことでも知られている、この叙情的な詩人もドイツを後にした一人だ。

彼の作品は、後にナチス政権下で焚書(ふんしょ)の扱いを受けることになるが、19世紀の詩人である彼のパリへの移住にヒトラーは関係ない。

彼を異国の地へと突き動かしたのは、ドイツの専制制度への批判とナポレオンへの傾倒、フランス革命の民主主義思想など、より自由な政治的・文学的な場を求める魂であった。実はこの未来の大詩人がまだ少年だった頃、デュッセルドルフの街はフランス革命軍の駐留地で、この環境が後の自由思想の土台を築いたのだ。

1831年、新聞社の特派員としてパリに移り住んだ彼は、息を引き取るまで生涯をその地で過ごすことになった。そこでは、フランスの作曲家ベルリオーズやポーランドからパリに移り住んでいたショパン、作家のバルザックやジョルジュ・サンドと親しく付き合うことになる。晩年は脊髄の病を患い、寝たままでの創作を続けることになるが、その中には長編詩「ドイツ、冬物語(Deutschland. Ein Winterma.. rchen)」もあった。その詩の中には、亡命先から祖国への望郷の念をつづったものも含まれている。フランスの自由思想に憧れて国境を越えたハイネは、博愛の精神を持ちつつも、ドイツへの愛を失っていたわけではない。

bベンヤミン・コレクション
ベンヤミン・コレクション! 近代の意味(ちくま学芸文庫)
「パリ19世紀の首都」や 「複製技術自体の芸術」 などが収められている

20世紀最大の
哲学者のひとり

ヴァルター・ベンヤミン
(Walter Benjamin 1892-1940)

ナチス政権の成立によって亡命したユダヤ系知識人の代表の一人とも言えるベンヤミン。ベルリン大学や、スイス・ベルン大学で学び、フランクフルト学派の社会研究所で研究員として研究活動を行ったこともある。亡命以前にはベルトルト・ブレヒトと出会い、彼の作品を高く評価して分析している。ドイツロマン主義やゲーテといったテーマは、一見するとドイツ文学論を書いているようにも思えるが、ベンヤミンの射程はドイツのみに留まらない。彼は、近代資本主義社会を深く分析している。例えば、写真や映画といった技術の発展によって生産可能になった芸術を論じた「複製技術時代の芸術(Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit)」は、間違いなく芸術作品の見方に新しい視点 を呼び起こしてくれるだろう。

その彼が亡命先に選んだのは、ドイツを離れた2年後の1935年に「19世紀の首都(Paris, die Hauptstadt des XIX Jahrhunderts)」と彼が呼ぶことになるパリである。ベンヤミンを語る上でパリは切り離せない。その顕著な例が、彼の代表作「パサージュ論」であろう。パリには現在でもパサージュと呼ばれるガラス屋根で覆われたアーケードの商店街が残っているが、ベンヤミンはこの「家屋でもあり街路でもある」場所に引きつけられ、未完に終わった「パサージュ論」という膨大な草稿の束を終生書き連ねていく。そこでは、ショーウインドーに飾られた商品や鉄骨建築、万博博覧会や娼婦を通して、商品社会が隆盛を極めるパリが哲学者の目によって描き出されている。

彼の人生の幕切れは、あまりにも悲しく不幸だ。40年、大戦勃発後のドイツ軍のパリ侵攻の際に、アメリカへ亡命を図ったが失敗。スペインに入ろうとするが、それも失敗に終わり、フランス国境に近い町で服毒自殺によってその生涯を閉じたのである。

パリに残るハイネ、ベンヤミンの面影

ハイネ霊廟ハイネ霊廟
ハイネはパリの北に位置するモンマルトルの墓地に眠っている。
ハイネ臨終の地ハイネ最後の家
シャンゼリゼ大通りのすぐ近く、マティニョン通り3番地にあるハイネ臨終の地。
ハイネプレートハイネプレート
ハイネ臨終の地に掲げられたプレート。「詩人アンリ・エーヌ(Henri Heine・ハイネのフランス語名)1797年デュッセルドルフに生まれ、1856年2月17日ここに死す」と書かれている。
パサージュパサージュ
ベンヤミンが語ったパサージュ。パリには今もパサージュが20カ所ほど残る。写真はその一つで、パサージュ・ジュフロワ。

ドイツ人ではないけれど、ドイツ語で執筆してドイツ文学の一翼を担いつつ、その境界を越えていく作家たちがいる。
そんな作家の作品も読んでみよう。

エクソフォニー (岩波書店)
エクソフォニー
(岩波書店)

多言語の中で書く
日本・ドイツ語作家

多和田 葉子
(Yoko Tawada 1960-)

多和田葉子がドイツ文学の作家なのか、それとも日本文学の作家なのかと問うこと自体、ナンセンスなことかもしれない。1982年からハンブルクに住み、ドイツ語と日本語の2カ国語で執筆を行う彼女の視点は、ドイツ・日本という国の境界を越えていくというより、二つの境界線上に留まることに向けられているからだ。彼女が受賞した文学賞を見ても、その二重性がわかる。例えば93年には「犬婿入り」で芥川賞を受賞しているし、96年にはドイツ語での文学活動に対して、バイエルン州芸術アカデミーからシャミソー賞を与えられているのだ。

代表作の一つ「犬婿入り」は、町の学習塾で教師をする主人公の元へ、突如、犬男の「太郎さん」が押しかけてくる物語。独特のリズムで語られるストーリーは、奇想天外で読者を引き込む。単行本に同時収録されている「ペルソナ」はドイツに留学している姉弟の道子と和男を主人公に、人種や文化、言語の問題を横たえつつ、深い問題にまで切り込んでいく物語に仕上がっている。二作品合わせて彼女の作品の幅の広さと、その文体を楽しむことが出来るだろう。

彼女のエッセイ「エクソフォニー 母語の外に出る旅」はベルリンやパリ、モスクワ、北京と街の名を冠した章が並ぶ第1章と、ドイツ語の表現にまつわるエッセイの第2章から成り、言葉に興味がある人はもちろん、そうでなくとも読んで面白い一冊だ。言葉に対して内・外の両面からアプローチをかけ、そこから日本や現代社会、歴史、文化をめぐる彼女の思考が軽やかに語られる。もし、旅というものが異文化に触れ、自己や他者を見つめ直す機会であるとすれば、この本を通して読者は文字通り「旅」をすることになるだろう。

カフカ 審判
審判 (白水uブックス)

プラハのユダヤ人
ドイツ語作家

フランツ・カフカ
(Franz Kafka 1883-1924)

時にドイツの作家と思われるカフカだが、彼はオーストリア・ハンガリー帝国治下のプラハ生まれだ。労働災害保険局に勤務しながら執筆を行うという二重生活を送っていた彼は、生涯の大半をその街で過ごした。かつて錬金術師たちが住んだという黄金小路のカフカのアトリエは、今ではプラハの観光名所になっている。

20世紀の最も重要な作家の一人に数えられるカフカ。その作品には不安や孤独、不気味さが漂う、いわゆる「カフカ的」世界が繰り広げられる。例えば、「ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢から目を覚ますと、ベッドの中で一匹の巨大な虫に変身していた」という「変身(Die Verwandlung)」はあまりにも有名。

カフカはいくつかの短編を除き、全ての作品を燃やすように遺言を残してこの世を去ったが、託された友人マックス・ブロートはその約束を違えた。その行為が友人への裏切り行為となるかどうかは別の問題として、カフカの作品や書簡は残り、我々が読めるところとなっている。

そんな彼の数ある作品の中から長編「審判(Der Prozess)」を紹介しよう。ヨーゼフ・Kはある朝、突然逮捕される。だが、身柄が拘束されるわけでもなく、今までと同じように生活を送ることが出来る。裁判所から呼び出しを受けても、その裁判所へはなかなかたどり着くことが出来ない。自分の罪状もわからず、弁護も虚しく意味をなさない。

多くの芸術家に影響を与えたこの不思議な小説の面白さは、実際に読んで実感してほしい。この作品はアメリカのオーソン・ウェルズ監督が映画化したことでも有名。また劇作家ハロルド・ピンターが脚本を担当し、「ツインピークス」のカイル・マクラクランや「羊たちの沈黙」のアンソニー・ホプキンスが出演した映画「トライアル」が、この作品を元にしていることも付け加えておこう。

カフカを捉える斬新な視点

カフカ
マイナー文学のために
(法政大学出版局叢書ウニベルシタス)

プラハで、ユダヤ人のカフカがドイツ語で作品を創作すること。そこに注目したのがフランスの哲学者ジル・ドゥルーズと精神分析学者のフェリックス・ガタリだ。多くの哲学者や作家、芸術家、そして読者がカフカに魅了され、それぞれのアプローチでカフカに接近してきた。そんな中で、ドゥルーズとガタリが注目したのは、カフカの「書かないことの不可能性」「ドイツ語以外で書くことの不可能性」「ドイツ語で書くことの不可能性」であった。

彼らの原動力となっていた考え方が、「マイナー文学」という位置付けだ。これは有名なメジャー作品とマニアックなマイナー作品という意味ではない。彼らが「マイナーであること、つまり、あらゆる文学に対して革命的であることは、このような文学の栄光である」と肯定するそのマイナー文学というのは、「少数民族が広く使われている言語を用いて創造する文学」のこと。それはカフカに限らず、国民文学の枠や文学における言語の境界が揺らいだ20世紀、21世紀の文学を考える上で重要な視点を打ち出しているが、こういったマイナー文学の定義の中で、ドゥルーズとガタリが第一に考えるのはカフカのことだ。「自分たちの言語から、その言語を深く掘り下げることができ、冷静に、革命的にその言語を展開させることができる」方法としてカフカの執筆活動を見ている。

ドゥルーズとガタリの『カフカ─マイナー文学のために』。もしカフカの作品に魅了されたなら、じっくりと付き合ってみたい本だ。

最終更新 Donnerstag, 29 August 2019 17:05
 

祝ミュンヘン建都850年

祝ミュンヘン建都850年 - みんなでミュンヘンの誕生日を祝おう

マース(1リットルジョッキ)に注がれたビールと白ソーセージをいただき、絢爛豪華な宮廷文化を現在に伝える建築物が、威風堂々と立ち並ぶ街並みに うっとりする。BMWを筆頭に経済の中心地としても進化を重ねてきたこの街は、モダンアートの発信地でもある。まさにドイツの中のドイツを満喫できる街ミュンヘン。日本人観光客からの人気も高い。そんな今も昔も人を惹きつけて止まないバイエルン州の州都は今年、建都850年を迎える。本特集では建都850年誕生祭をはじめ、お祭りモード一色のミュンヘンを存分に楽しむためのヒントをお届けします。 (編集部:高橋萌)

ミュンヘン建都850年誕生祭
Stadtgründungsfest
6月14日(土)・15日(日)

ミュンヘンの誕生日、6月14日の11時に街中の教会の鐘が鳴り響いたら、建都850年誕生祭のスタートだ。お祭りの期間中は、世界各国の民族衣装を身にまとった市民が街に溢れ、ビールやソーセージの屋台なども軒を連ねる。ミュンヘン市街

1オデオン広場

手工業職人村が現れる!
職人たちが華麗な仕事ぶりを披露する職人村は14日(土)13:00~開店予定。寄木細工師、金銀細工師、金属工、石工、ブリキ職人、屋根葺き職人、革職人、毛皮職人そして吹きガラス工や製本工など20分野を超す職人が参加する。彼らの仕事振りをまさに肩越しに見るチャンス。もちろん、気に入った作品と出会えたらその場で購入することもできる。
6月14日(土)13:00〜

みんなで踊ろう!
みんなで踊ろう今回のイベントのテーマは「橋を架ける」。ダンスを通じて文化の橋を架けようという趣旨で、世界中のダンサーが集まり、各国の民族舞踊を披露する。ミュンヘンの民族舞踊からルーマニアやクロアチアの民族舞踊、サルサまで、もちろん飛び入り参加も大歓迎。二日間を通して14:00から始まる。
右写真)民族衣装に身を包むミュンヘン市民
6月14日(土)、15日(日)14:00〜

2マリエン広場

850歳の誕生日プレゼントは巨大な誕生日ケーキ
ケーキのない誕生会なんて味気ないと、子どもたちに呼びかけ、地元企業が企画。集まった125人の小さなお菓子職人たちが作るケーキ、どれほど大きなものが出来上がるかは当日のお楽しみ。
15日(日)14:00~

2マリエン広場

3マックスヨゼフ広場

4リンダーマルクト

多彩なステージプログラム
特設ステージでは、バイエルン地方やミュンヘン在住の外国人による文化紹介のプログラムが目白押し。ゴスペルやコーラス、子どもたちによる発表会も予定されている。

5ペーター教会

音と光のコンサート
誕生祭の最後を飾るのは、ミュンヘンで最古の鐘を持つペーター教会でのグロッケンコンサート。鐘の音に合わせてイルミネーションに彩られる旧市街は必見。
15日(日)22:00~22:30

6新市庁舎

街のシンボル、仕掛け時計がリニューアル
新市庁舎にある、ドイツ最大の2段式の仕掛け時計。1568年に行われたバイエルン公ヴィルヘルム5世の結婚式を再現し、等身大の人形たちが踊る仕掛けになっている。このたび市民と地元企業の寄付を受け実現した、5カ月にわたる修復作業が完了した。ブロンズ像がピカピカに磨きあげられ、メロディーの旋律がより鮮明に聞こえるようになったとのこと。仕掛け人形が顔を見せるのは、毎日11時、12時、そして17時(3月~10月)。時間になったら、生まれ変わった仕掛け時計を見に行ってみよう。

建都の足跡をたどる体験ツアー(無料)

★街を興した獅子公・ハインリヒ公ツアー
街の歴史を追いながら、旧市街を案内してもらえる。

★ハインリヒ公の卵ツアー
建都当時の街の城壁跡は13世紀までは存在していたが、今はもう残されていない。その城壁は卵型に街を取り囲んでいた。その卵型の道をたどりながら、謎に包まれた当時の暮らしを推察する。

※ツアーの開始時間、集合場所など詳細はwww.muenchen850.deをご覧ください。

ミュンヘン建都850年誕生祭 基本情報
6月14日(土) 10:00~23:00
6月15日(日) 10:00~22:00
E-mail: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
Tel: 089-23326681/-23330111
www.muenchen850.de

ミュンヘンの歩んできた道

今から850年前の1158年6月14日にミュンヘンという街は誕生しました。今年2008年は、長い歴史の中の一つの節目。ということで、ミュンヘンの歴史を追ってみましょう。

5世紀

この地域に人が集落を作り始めたのは、ローマ帝国がヨーロッパを支配していた時代、5世紀にまで遡る。「ゲルマン民族の大移動」という言葉は世界史の授業で耳にして覚えている人も多いのではないでしょうか。その大移動の末に、この地に定住したのが西ゲルマン民族であるバイエルン族でした。

746年

紋章746年にはテーゲル湖のすぐそばに初めての修道院が建てられ、そこの修道僧たちの居住地がイーザル河畔に広がり、その一帯を指してムニヘン(小僧)と呼ばれるようになりました。これが「ミュンヘン」という地名の語源です。だから、現在のミュンヘン市の紋章は、左手に聖書を持った小僧さん。保守的傾向が強いのは、信仰心と街の発展が切っても切れない関係にあったからなんですね。

ちなみに、ビール文化は修道僧たちが修道院で醸造を行ったことから始まっています。

1158年6月14日

そして1158年、ハインリヒ12世(通称ハインリヒ獅子公)によってイーザル川に橋が架けられ、時の皇帝フリードリヒ1世が関所を設置し、貨幣の鋳造権と市場を開く権利について承認したときが、ミュンヘンが街として産声を上げた瞬間です。その後、この地における中心地として時代とともに大きく発展していきました。

16世紀

ビアガーデン1516年にはヴィルヘルム4世によって「ビール純粋令」(ビールの原材料について定めた法律)が敷かれ、バイエルン王国のビールの質が飛躍的に向上しました。有名な「ホーフブロイハウス」は 1589年創業。ヴィルヘルム5世により王室専用醸造所として造られました。世界最大のビール祭り「オクトーバー・フェスト」は1810年に始まりました。写真:ホーフブロイハウスのビアガーデンにて(1897年)

19世紀末

ミュンヘンの民族衣装19世紀末のミュンヘンは芸術の都として栄えるなど華やかな歴史を綴りますが、一方ではアドルフ・ヒトラーによるミュンヘン一揆、ミュンヘン行進、ミュンヘン会談などが行われ、ナチズム台頭初期の拠点となった歴史も持ちます。第二次世界大戦の空襲によって街の半分が廃墟となり、戦後の復興時、市民はまったく新しい街作りを目指すこともできたのですが、歴史的な街並みの再現を望み、建築物の多くが修復 されました。写真:ミュンヘンの民族衣装(1904年)

1972年

オリンピック・スタジアム1972年、第20回夏季オリンピックの開催地に選ばれたことを機に、近代化、都市整備が飛躍的に進み、現在の街並みの基盤となる都市計画が作られました。ちなみに、このミュンヘンオリンピック開催期間中に起こった事件を題材にした映画「ミュンヘン」(スティーブン・スピルバーグ監督、2006年)は、アカデミー賞を受賞しましたね。写真:ミュンヘン・オリンピアシュタディオン

2008年6月14日

そして、2008年6月14日、ミュンヘンは850歳の誕生日を迎えます。

まだまだ続く、建都850年記念イベント

アルトシュタットリングフェスト
7月19日(土)・20日(日)

アルトシュタットリングフェストミュンヘン市の歴史上、初めて旧市街を囲む環状道路が車両通行止めに!環状道路沿線で演劇、ダンス、音楽、スポーツに学問、あらゆる文化・芸術を取り入れた一大パーティーが開かれる。イーザル門、オデオン広場やマキシミリアン広場ほか、市内8カ所。さまざまなテーマに沿って行われるイベントから、街の魅力を再発見しよう。

イーザル橋フェスト
8月1日(金)~3日(日)

イーザル橋フェストイーザル川に架かる橋の上をステージに、音楽やダンスを中心とした参加型イベント。橋の上でイベントが開催されるのは初めてのこと。ライトアップされた橋はムード満点。

ちょっと気になる限定商品

バッグ建都850年を記念したロゴ入りグッズが登場。金色に輝くハートのバルーンに850の文字がこのイベントのロゴマーク。ミュンヘン好きなあなたも、これから好きになれそうというあなたも、今しか手に入らない建都850年グッズをゲットしよう。商品はお菓子、ベースボールキャップ、ピンバッチ、雨傘、コップなど多数。ちなみに編集部のオススメは、女性用のTシャツとタンクトップ。胸元に大きくあしらわれたハートのデザインは、あれ?そんな大胆に見せちゃっていいの?!と、思わずドキドキしてしまうセクシーなデザイン。あなたは着こなす自信ありますか?実物を見てみたい方は下記URLへ!
写真:コットンのバック(2.50ユーロ)

www.souvenirs-munich.de(ネットショッピングも可能)

ランキングから見るミュンヘン

世界の外国人ビジネスマンが住みやすい街(ビジネス誌「モノクル」調べ)
第1位
国内でドイツ人が暮らしてみたい街(雑誌「フォーカス」調べ)
第1位
ドイツでもっとも成長が期待される経済都市(経済紙「ハンデルスブラット」調べ)
第1位
サッカー・ブンデスリーガ(バイエルン・ミュンヘン)
今季優勝
ドイツで暮らす日本人の数(日本大使館発表より)
第2位
国内の都市人口(ミュンヘン市発表より)
第3位
利用しやすい世界の空港(ミュンヘン空港)(英国団体「SKYTRAX」調べ)
第4位
最終更新 Donnerstag, 29 August 2019 17:16
 

平成中村座・ベルリン公演現地リポート

平成中村座・ベルリン公演現地リポート

5月14日から21日まで「世界文化の家」(Haus der Kulturen der Welt)で開催された平成中村座のベルリン公演は、大成功裡に幕を閉じた。「絶対に観る価値はある」(ターゲスシュピーゲル紙)、「見逃してはならない演劇体験」(モルゲンポスト紙)と絶賛した地元メディアの影響も大きかったのだろうか、多くのベルリンっ子や現地在住の日本人、さらには日本から駆けつけた追っかけなど、連日ほぼ満員の観客で会場は埋まった。

(取材・文:中村真人)

中村勘三郎
1955年、十七代目中村勘三郎の長男として東京に生まれる。3歳の時、中村勘九郎を名乗り初舞台。どんな役でもこなす卓越した演技力に加え、コクーン歌舞伎や平成中村座を立ち上げるなど、伝統的な歌舞伎の枠組みにとらわれない野心的な試みで話題を提供し続け、若い世代からも絶大な支持を受ける。2度のニューヨーク公演で成功を収めた後、今回のベルリン、シビウ(ルーマニア)が平成中村座にとって初の欧州公演となる。2005年3月には十八代目中村勘三郎を襲名。芸術祭賞、菊池寛賞など受賞歴も多数に上る。

今回の演目「夏祭浪花鑑」(なつまつりなにわかがみ)は、幕が開く前から役者たちがぞろぞろと客席に現れ、観客に声をかけながら回るという粋な演出で始まる。祭囃子が鳴り響く中、活気ある江戸時代の庶民の世界にいきなり引き込まれるというわけだ。終演後は、鳴り止まない 拍手に応えて、役者一同が舞台から降りてお客さんと握手しながら回るというサービスぶりで、演劇やオペラが盛んなベルリンといえども、ここまで熱気にあふれ、演じる側と観る側とが一体となった舞台は、そうそうお目にかかったことがない。千秋楽の後の打ち上げでは、「世界文化の家」のシェーラー館長が、「あなた方は、ベルリンに大きなプレゼントを贈ってくださいました」と最初に挨拶。その後、10回の公演を終えたばかりの中村勘三郎さんに少し話を伺うことができた。

平成中村座

「ベルリンの演劇は過激で面白いと聞いていたけど、本当にその通りだったね。お客さんの反応が面白いんだ。気に入らないと途中で帰ってしまう人もいるし、熱狂的な反応を示す人もいる。感想を聞くと、一人ひとりのコメントがみんな違うのがいい。日本だと、どうしても右に左にと流されてしまいがちでしょ。これは僕らが学ぶべきことだよ」

世界文化の家
会場となった世界文化の家

物語の前半で、ベルリンの人々にとりわけ強烈な印象を与えたのは、暗闇の中での儀平次殺害のシーン(「ここで本物の火の使用を認めてくれたベルリンの消防署に感謝しています」と勘三郎さん)から、突然まばゆいばかりに明るくなって祭りの場面へと移るところではなかっただろうか。舞台から客席に向かって踊り狂う10人の若者は、現地で雇われたエキストラだったのだが、その中の一人、フンボルト大学で日本学を学ぶペーター・トートさんに話を聞いた。ハンガリー系スロバキア人のトートさんは、日本語学習歴4年。日本には2カ月間住んだことがあるだけと話すが、敬語までしっかりと使いこなす。最近の日本のポップカルチャーより伝統文化にずっと興味があるという彼にとって、今回の仕事は最高の経験になったようだ。

「リハーサルでは串田和美先生(演出家)の指示を通訳したり、(芝居の冒頭ドイツ語で台詞を語る)勘三郎さんの息子の中村勘太郎さんにドイツ語を教えたりする機会もありました。歌舞伎役者さんたちの、演技に集中する姿はすごかったです。役者さんだけでなく、小道具や三味線弾きの方々まで、スタッフのほぼ全員とお話しする機会がありました。とにかく何もかもが楽しかった。勘太郎さんからは、『日本に来ることがあったら、ぜひ遊びにいらっしゃい』と声をかけてもらえたんですよ」と目を輝かせた。

千秋楽、勘三郎さんは観客のスタンディング・オベーションに応えて、「Ich komme wieder nach Berlin.(またベルリンに来ます)」と語り、ベルリンっ子を喜ばせた。

「初めてベルリンに来たとき、暗くて寒くて、正直あまりいいイメージではなかったけれど、今回3週間滞在してみてこの町が大好きになりました。かめばかむほどの味が出るというか、深いんだ。ニューヨークみたいにモノを売る町じゃないんだよね。そんなところにも惹かれました。ベルリンには絶対また来たいと思っています」

勘三郎さんとトートさん
写真左)ペーター・トートさん(左)と中村勘三郎さん
写真右)終演後、客席を一巡する役者たちは、観客から大歓声で迎えられた

最終更新 Donnerstag, 29 August 2019 17:21
 

UEFA欧州選手権2008 いよいよ開幕!

欧州王者の座はだれの手に?!UEFA欧州選手権2008 いよいよ開幕!

マスコット6月7日、13回目を迎える「UEFA EURO 2008」(以下、ユーロ2008)が開幕する。ファンにとっては待ちに待った4年に一度の欧州の頂点を決定するサッカーの祭典。公式スローガンは「Expect Emotions」。オーストリア、スイスの共同開催で迎える今大会は、どこが優勝するのか予測不可能なハイレベルな戦いに連日、目が離せない!!(編集部:高橋萌)

Fotos: ©Euro 2008 SA

グループステージ日程
オーストリア
ウィーン 6月8日(日)
18:00
AUT - CRO
6月12日(木)
20:45
AUT - POL
6月16日(月)
20:45
AUT - GER
ザルツブルク 6月10日(火)
20:45
GRE - SWE
6月14日(土)
20:45
GRE - RUS
6月18日(水)
20:45
GRE - ESP
インスブルック 6月10日(火)
18:00
ESP - RUS
6月14日(土)
18:00
SWE - ESP
6月18日(水)
20:45
RUS - SWE
クラーゲンフルト 6月8日(日)
20:45
GER - POL
6月12日(木)
18:00
CRO - GER
6月16日(月)
20:45
POL - CRO

スイス
バーゼル 6月7日(土)
18:00
SUI - CZE
6月11日(水)
20:45
SUI - TUR
6月15日(日)
20:45
SUI - POR
チューリヒ 6月9日(月)
18:00
ROU - FRA
6月13日(金)
18:00
ITA - ROU
6月17日(火)
20:45
FRA - ITA
ベルン 6月9日(月)
20:45
NED - ITA
6月13日(金)
20:45
NED - FRA
6月17日(火)
20:45
NED - ROU
ジュネーブ 6月7日(土)
20:45
POR - TUR
6月11日(水)
18:00
CZE - POR
6月15日(日)
20:45
TUR - CZE

決勝トーナメント日程

決勝トーナメントに進めるのは、A~Dの4グループから上位2チーム。スイス対チェコの開幕戦を皮切りに、全8会場で激戦が繰り広げられる。

決勝トーナメント
参加チームの顔ぶれ

50の国と地域が参加し、1年以上の長丁場である予選を勝ち抜いた14カ国に、開催国のオーストリアとスイスを加えた計16チームが出場する。

グループA 
予選会場:スイス / バーゼル・ジュネーブ

スイスのユニフォームスイススイス
地元で真価を発揮できるか?!

監督:ヤコブ・クーン(初めてのスイス人監督)
実績:通算3度目、04年に続く連続出場
特徴:守備重視の堅実なプレースタイル

チェコのユニフォームチェコチェコ
若手の活躍に期待!

監督:カレル・ブリュックナー
実績:96年の初出場で決勝進出。
今回で4大会連続出場
特徴:守備に強く、ゴール前 には守護神ペトル・チェフが構える

ポルトガルのユニフォームポルトガルポルトガル
前回の雪辱を晴らせるか

監督:ルイス=フェリペ・ス コラーリ
実績:開催国だった前大会は準優勝
特徴:厚い選手層に支えられた安定した攻撃スタイル

トルコのユニフォームトルコトルコ
未知なる実力を発揮できるか

監督:ファティ・テリム
実績:3度目の出場。00年は決勝トーナメント進出
特徴:好調・不調の波が激しいが、大会のダークホースとなるか


グループB
予選会場:オーストリア / ウィーン・クラーゲンフルト

オーストリアのユニフォームoオーストリアオーストリア
開催国としての意地を見せるか

監督:ヨゼフ・ヒッケルスベ ルガー
実績:10年振りに主要国際大会出場
特徴:ベテラン陣が守る強固な守備

クロアチアのユニフォームクロアチアクロアチア
勢いに乗っているチーム

監督:スラベン・ビリッチ
実績:96年決勝トーナメント進出。98年W杯3位
特徴:30歳代の若い監督の下、若い選手の成長が目覚ましい

ドイツのユニフォームドイツドイツ
大会最多優勝記録を更新できるか

監督:ヨアヒム・レーヴ(ドイツ人監督)
実績:9大会連続出場。大会最多の3度の優勝
(旧西ドイツを含む)
特徴:守備的配置と攻撃力

ポーランドのユニフォームポーランドポーランド
初出場で結果を残せるか

監督:レオ・ベーンハッカー
実績:12年越しの念願叶い、本大会初出場
特徴:キャプテンのマチエイ・ジュラフスキを中心に攻守に柔軟なプレースタイル


グループC
予選会場:スイス / チューリヒ・ベルン

オランダのユニフォームオランダオランダ
監督のため、国のため、頂点を目指す

監督:マルコ・ファン・バステン
実績:88年優勝。前大会は準決勝進出
特徴:欧州屈指の攻撃的なプレースタイルに守備の充実が加わった

イタリアのユニフォームイタリアイタリア
W杯に続く栄光を狙う

監督:ロベルト・ドナドーニ
実績:3大会連続出場。68年優勝。06年ワールドカップ (W杯)優勝
特徴:新フォーメーションで挑む

ルーマニアのユニフォームルーマニアルーマニア
東欧の強国、どこまで粘れるか

監督:ビクトル・ピツルカ
実績:00年大会では決勝トーナメント進出
特徴:アドリアン・ムトウ、チプリアン・マリカの攻撃的なツートップと守備の両立

フランスのユニフォームフランスフランス
3度目の優勝を狙う

監督:レイモン・ドメネク
実績:84年、00年優勝。06 年W杯では準優勝
特徴:アンリの得点力、それを支えるニコラス・アネルカら若手選手の活躍


グループD
予選会場:オーストリア / インスブルック・ザルツブルク

ギリシャのユニフォームギリシャギリシャ
史上初の連覇なるか

監督:オットー・レーハーゲル(ドイツ人監督)
実績:前大会優勝
特徴:組織力を基盤とした戦術。18歳ソティリス・ニニスら若手中心のチーム

スウェーデンのユニフォームスウェーデンスウェーデン
大会常連国、初の欧州王者を狙う

監督:ラーシュ・ラガーベック
実績:4大会連続出場。前大会では準決勝進出
特徴:攻撃的なプレースタイル。新エース、ズラタン・イブラヒモビッチに注目

スペインのユニフォームスペインスペイン
スター選手がずらり

監督:ルイス・アルゴネラ
実績:64年優勝
特徴:フェルナンド・トーレスら名門チームで活躍する世界トップレベルの選手が繰り出す高い攻撃力が強み

ロシアのユニフォームロシアロシア
世代交代が進む

監督:フース・ヒディング
実績:60年第1回大会の優勝国、
64、72、88年は準優勝 (当時、ソビエト連邦)
特徴:ベテランが守る中盤が要

ドイツ代表に注目!!

ドイツ代表

西ドイツ時代の1972年と80年、ドイツ統一後の96年と、大会最多となる3度の優勝を果たしている。自国で開催された06年W杯で見事な成績を収めたドイツ。「夏のメルヘン」の再現なるか!?

ヨギヨアヒム・レーヴ監督の存在感

06年7月、W杯終了の3日後に、ユルゲン・クリンスマン前ドイツ代表監督の後任として代表チームを率いることになったヨアヒム・レーヴ監督。助監督としてチームをサポートしたW杯ではクリンスマン氏の片腕として、チームの3位入賞に貢献した。「ヨギ」のニックネームで親しまれている同監督は、その影響力から抜群の信頼を得ている。

バラック好調という追い風

バラック長期にわたった足首のけがの影響が心配されていたキャプテンのミヒャエル・バラック。しかし復帰後は、所属チェルシー(英国)で2得点を挙げるなど絶好調だ。この好調は、ユーロ2008でも維持できると自信を見せている。

層が厚くなった攻撃陣

ミロスラフ・クローゼを筆頭に、07年ドイツ年間最優秀選手のマリオ・ゴメス、ケビン・クラーニらが攻撃の要。また、ルーカス・ポドルスキ、バスティアン・シュバインシュタイガーなど、成長目覚ましい若手の存在もあり、攻撃力に期待が高まる。

ベテラン選手が守備を固める

レーヴ監督は守備的MF二人を置く戦い方、4‐4‐2の布陣にこだわりを持っている。その中盤を任されるのが守備的MFの第1候補であるバラックとトルステン・フリンクス。DFにも06年W杯で活躍した選手が代表に召集され、安定したプレーを見せる。

ブンデスリーガ2部からの大抜擢か

今回、2部に所属する3選手が代表に選ばれる予定だ。マルコ・マリン(VfLボルシア・メンヘングラッドバッハ)、パトリック・ヘルメス(1FCケルン)ら3選手。この選手たちの活躍にも注目が集まる。

ドイツ代表・招集選手(暫定)

GK イェンス・レーマン、ロベルト・エンケ、レネ・アドラー
DF クリストフ・メッツェルダー、ペル・メルテザッカー、フィリップ・ラーム、アルネ・フリードリヒ、マルセル・ヤンセン、クレメンス・フリッツ、ハイコ・ベスターマン
MF ミヒャエル・バラック、トーマス・ヒツルスペルガー、シモン・ロルフェス、トルステン・フリンクス、バスティアン・シュバインシュタイガー、ピオトル・トロショフスキ、ジャーメイン・ジョーンズ、ダビト・オドンコー、マルコ・マリン
FW ミロスラフ・クローゼ、ルーカス・ポドルスキ、マリオ・ゴメス、ケビン・クラーニ、オリバー・ノイビル、パトリック・ヘルメス

アンリ・ドロネー杯優勝杯に秘められた男の情熱
─ アンリ・ドロネー杯 ─

欧州選手権の優勝杯の名前をご存知だろうか。本大会実現のために人生をかけた、アンリ・ドロネー氏の名をとって、「アンリ・ドロネー杯」という。UEFAの初代事務局長を務めたフランス人の彼は、1927年、欧州王者を決める選手権の開催を提唱、その後、実現に向けて多大なる尽力を果たした。今年からその優勝杯が新しく生まれ変わった。新優勝杯は名前とデザインはそのままに、これまでの優勝杯よりも18センチ高く、2キロ重たくなり、高さ60センチ、重さ8キロとなった。


地図

2カ国同時開催となる今回のユーロ2008。会場が東西に広がるため、観客と選手、双方の負担を軽減すべく、予選では各ブロック別に隣接し合う二つのスタジアムを使うなどの配慮がなされている。雄大なアルプス山脈に抱かれた2国にまたがる、8つのスタジアムと都市を紹介しよう。サッカー観戦の合間に、歴史ある美しい街並みも満喫してみては。

オーストリア

エルンスト・ハッペル・シュタディオンウィーン
エルンスト・ハッペル・シュタディオン
Ernst-Happel-Stadion

芸術の街として有名なウィーンでは、ウィーン少年合唱団、オペラ、世紀末芸術、バロック式宮殿から現代建築物、最新トレンドまで、新旧のあらゆるアートを楽しむことができる。

ウィーン● 聖シュテファン寺院
街の中心地に建つこの寺院は、オーストリア最大のゴシック建築物。異教の塔と正面玄関は最も古い部分で、13世紀に建てられたもの。展望台へはエレベーターで昇れるが、足に自信のある人は343段のらせん階段を登ってみて。

● 大観覧車
街のシンボルとなっている大観覧車からのパノラマは必見。19世紀末に建設されたもので、高さ65.75メートル。映画「第三の男」の舞台ともなった。

ザルツブルクシュタディオン・ザルツブルク・ バルス=ジーツェンハイム
シュタディオン・ザルツブルク・バルス=ジーツェンハイム
Stadion Salzburg Wals-Siezenheim

モーツァルト生誕の地であり、中世の雰囲気を現在に残す美しい街。「北のフィレンツェ」とも呼ばれ、世界遺産に登録されている。

● ホーエンザルツブルク城
ホーエンザルツブルク城中世の建築物としては最も保存状態の良いものと評価されている。内部には、博物館や「ザルツブルクの雄牛」と呼ばれるオルガンがあり、コンサートも開かれる。

● ドーム
8世紀頃、アルプス以北で最初に建てられたイタリア・バロック教会。夏にはドーム前で、ホフマンスタールの「イェーダーマン」が上演される。

ヴェルターゼー・シュタディオンクラーゲンフルト
ヴェルターゼー・シュタディオン
Wörthersee Stadion

国内で最も晴れの日が多い街。ヴェルター湖の東岸、国内最高峰のグロースグロックナーを始め、3000メートル級の山岳や氷河のふもとに位置、豊かな自然に囲まれ情緒あふれる。山間の村、ハイリゲンブルートからのグロースグロックナー・ホッホアルペン街道は、世界に名高い山岳観光地。

リンドヴルムの泉● リンドヴルムの泉
新広場の中央にある泉には伝説がある。昔、ヴェルター湖にはリンドヴルムという名前の竜が住んでいた。竜が住民や家畜を食い殺したため、町の男たちが知恵と勇気を出し合って竜を退治した、という。

シュタディオン・ティボリ=ノイインスブルック
シュタディオン・ティボリ=ノイ
Stadion Tivoli NEU

2度の冬季オリンピックの開催地として知られる。冬場はウィンタースポーツのメッカ、夏はハイキングの拠点となる、アウトドア好きには理想的な街。

● 黄金の小屋根
黄金の小屋根旧市街中心にある広場でのイベントを観覧するために、マクシミリアン1世が建設させたロジェ。金箔がまばゆい2657枚の銅版で屋根が飾られている。

● 凱旋門
1774年、皇帝ナポレオン2世の婚礼を記念して建てられた。


スイス

Stade de Genèveジュネーブ
スタッド・ドゥ・ジュネーブ
Stade de Genève

国連や赤十字の発祥の地、平和の街として世界に知られている。国内一、公園面積が広い街でもあり、少し街の外へ足を伸ばせば、豊かな緑 が広がる風景にも出会える。

大噴水● ジェ・ドー(大噴水)
140メートルもの高さまで吹き上がるレマン湖の大噴水は、街のシンボル。もともとは、工業、生活用水のポンプによる余剰能力を噴水に当てたことが始まり。噴水の高さは世界一で、衛星写真でも確認できるほど。

St. Jakob-Parkバーゼル
ザンクト・ヤコブ・パーク
St. Jakob-Park

フランスとドイツに隣接する国境の街。そのため文化の交差点として芸術が花開き、国内最古の大学が建つ場所でもある。漫画博物館や紙の博物館など個性的なミュージアムも多い。

市庁舎● 市庁舎
14世紀から今日まで街の中心として建つ真っ赤な建物。華やかな外観、時計塔、フラスコ画が見どころ。目の前のマルクト広場では市場も開かれ、新鮮な野菜や花が売られている。

● バーゼル港
ヨーロッパを流れるライン川最上流の港。河口ロッテルダムまで、バーゼルからは大型船舶が航行可能で、国内の物流の中心である。

Stade de Suisse Wankdorfベルン
スタッド・ドゥ・スイス・ヴァンクドルフ
Stade de Suisse Wankdorf

首都、近代都市としての機能を備えつつ、旧市街には大聖堂や時計塔など歴史ある街並みを遺し、世界遺産にも登録されている。

● 時計塔
時計塔スイスで最も古い時計塔で、地元の人からはツィートグロッケ・トゥルムと呼ばれている。かのアインシュタインはこの時計塔のそばに住んでいた時、時計塔の脇を通り過ぎるバスを観察しながら、「相対性理論」のきっかけとな る発想を得たといわれている。

Stade de Suisse Wankdorfチューリヒ
レツィグルント・シュタディオン
Letzigrund Stadion

世界の経済、商業、金融の中心都市。歴史的な建築物や史跡が数多く、中世的な魅力を備える一方、おしゃれなレストランやカフェ、クラブなどが多い流行の発信地でもある。

大聖堂
● 大聖堂

12世紀頃に建てられたカール大帝ゆかりの聖堂。2本の塔が特徴的な街のシンボル。塔に登れば街を一望できる。

最終更新 Dienstag, 03 September 2019 13:50
 

UNIQLO & MUJI 対談 - 欧州進出のノウハウ

欧州進出のノウハウ UNIQLO & MUJI 対談

UNIQLO、MUJI(無印良品)といえば、日本で知らない人はいないだろう。良質の商品を大衆的な価格で提供するという戦略で、日本全土に支店を展開。海外でもアメリカ本土を始め、アジア大陸へも進出している。そんな両雄の代表、UNIQLOフランスのマネージング・ディレクター、ポール・マイルズさんと、MUJIフランスの社長、大槻雅人さんによる、欧州進出の手応えと今後の展望についての対談が、モードの都パリで実現した。

(聞き手:フランスニュースダイジェスト編集部柳澤創)


MUJIの大槻雅人さん(左)とユニクロのポール・マイルズさん(右)

UNIQLOもMUJIもロンドンが欧州最初の店舗開拓ですが、ロンドン市場はどんな感じですか?

大槻:ロンドン子ってトレンドに敏感なんですよ。ちょっと店舗が古くなるともう来なくなる。だから、常に商品も回転させないといけません。あと、値段は関係なく、人が入っていない店には来店しませんね。

マイルズ:価格はそんなに響かないものですか?

大槻:ある程度は価格も関係します。そういった意味では、トップショップはメチャクチャ上手ですね。

マイルズ:オックスフォード通りのトップショップは、どの国の、どの業界の、どんな人でも行きますね。

大槻:プレゼンがうまいんです。あのうまさがトップショップをオックスフォード・ストリートに存続させているんです。価格も幅が広いので特別安いわけではありませんが、ちゃんと分けていますよ「見せどころ」と「売りどころ」を。

マイルズ:行くと何か「お得感」のようなものを感じます。

大槻:フランスで企画モノといえば、H&Mがうまいですね。

マイルズ:例えばラガーフェルドやカヴァリなどの限定デザイン。特にカヴァリの時はお客さんが並びましたね。アメリカでは、数分で売り切れてしまったそうです。「え~、数分で売り切れるんだ、うらやましい」って思いましたよ。

大槻:米国ではアバクロ(Abercrombie&Fitch)も人気がありますね。今やギャップ(GAP)を抜く勢いのブランドで、今度フランスにも進出するみたいですよ。

マイルズ:アバクロはもともと狩猟関連のアウトドア中心で、エディバウアーに似てました。それが、今や方針をガラッと変えて、セクシャル路線の完全なリブランディングです。PRの仕方も独特です。男性モデルは上半身裸でムキムキ。女性は美人をそろえてますし、店内のプレゼンも面白いですよ。真っ暗なんです。

大槻:そうそう、スポットライトがポッと当たっているだけ。あまりにも暗いから、手に取っても品質の良さとかはよく分からないんだけど、でも、あのカッコ良さでついつい買っちゃうんだよね。

ユニクロ
ユニクロ、欧州進出1号店。
フランス、パリ近郊新凱旋門近くのラデフォンス店
UNIQLO France

日本、アメリカ、欧州、それぞれの特徴は?

大槻:サービスに関して言えば、やはり世界一は日本です。「いらっしゃいませ」から始まって、全てのサービスがそろっている。一番ダメなのがフランス。でも、逆に言えばチャンスですよ。カスタマーサービスを良くすれば、お客さんはすぐに喜んでくれますから。

マイルズ:全く同感です。

大槻:フランスは設立してからもう10年になるので、ある程度慣れてきましたが、最初の頃は、社員教育でも「なんだこの国は!?」みたいな感じがありましたね。

マイルズ:僕も、フランスで初めて店員を見たときはびっくりしました。「これは違うだろ」って。日本では、商品がなくなる前に在庫を出して陳列させる、商品は気が付いたらすぐに畳み直すのが当たり前。けれど、それがこの国には全くない。決してフランスの店員が劣っているわけではないです。「気付き」なんですよ。日本では、当たり前に行われているようなサービスに気が付いてくれれば、フランスのスタッフも伸びると思います。

大槻::MUJIも最初は大変でした。僕は商品を畳ませるところから教えたのですが、「タタメ!」って言っても畳まないんですよ。「俺はこの会社の社長だぞ」と言っても、「私はあなたと面識がない」って。今でこそ笑い話ですが、最初は相当苦労しました。今僕が社員教育で必ず行うのは、商品知識を教えることです。普段の会話は雑談が多いのですが、新商品などが入荷すると、まず商品知識をしっかり覚えてもらう。日本のサービスを無理に教えるのではなく、商品を覚えてくれると、自然とその子たちもしっかり成長してくれるんですよ。

マイルズ:まさにその通り!フランス人は興味のあることは一生懸命にやってくれます。ですから、教える時に興味を持ってくれるように教えるよう努力しています。フランス人も、好きな事をやっているときは残業するんですよ。

MUJI
パリのシャンゼリゼ通り近く、テルン大通りにあるMUJIテルン店
Muji France / Hajime YANAGISAWA

日本人と欧米人の違いを一番感じるのは?

マイルズ:日本とアメリカの都会では、トレンドに興味を持っている人が多い。例えば、日本人がニューヨークに旅行したときに「アバクロ~」って買い求める人がたくさんいます。でも、フランスは特殊です。彼らは自分の消費バスケットを認識しているんです。靴にこれだけお金を掛けられる、カバンにはこれだけという具合に、いろんなブランドを持っています。しかも、この考え方は若い人だけでなく全ての年齢層に合てはまります。

大槻:ロンドンも似たような面がありますね、パーツ、パーツで買うというか。でもアメリカで一番特徴的なのがメディアとのコミュニケーションのうまさ。店舗での演出、メディアでのPR、我々が考えつかないような事をやってきますから。テレビを見てても「ウワァ~やられた」という感じ。消費意欲を刺激するうまさは断然アメリカです。

マイルズ:けれど日本進出を考えている企業があるなら、PRのうまさだけではだめです。瞬間風速はすごいかもしれませんが、日本だとそれだけではやっていけない。やはり日本では「信頼感」が一番。顧客サービスでどれだけ信用を得られるかということに尽きますね。

大槻さん大槻:僕が面白いなと思うブランドはZARAです。あそこは宣伝を一切しないんです。彼らが何に集中しているかというと「商品の回転」。10日に1回は、店の内容が全く変わりますから。お客さんにしてみれば「あ、いいな」と思っても、次に来たときにはその商品は無いんです。するとどうなるかというと「う~ん、買っちゃえ」てな具合になるんですよ。僕なんか、普段あまり物を買う方ではないのですが、ZARAでは、次に来たときには無いのが分かってるから買っちゃうんです。でも、家に帰って冷静に見てみたら「う~ん、イマイチ」なんて事もあるんですけどね。あの、価格戦略と商品の回転率、「もう無くなる」という恐怖感。うまい戦略です。

マイルズ:確かにZARAさんの「売り切れ御免」も戦略としてすごいと思いますが、弊社などは、お客さんがいらした時に商品がもう無いという状態は逆に恥ずかしい。常にお客さんのニーズに答えていくというのが弊社の考え方ですから。そういう事を考えると、やっぱりカルチャーの違いを感じますね。

大槻:MUJIはまさにZARAの対局ですから、ベーシックな部分をいかに維持していくかです。良質な商品とサービスを提供してお客さんの信頼を得て、固定客を少しずつ増やしていく。非常に日本的な考えなので、気の長い地道な作業ですが、それが実を結ぶと強みになっていくのです。MUJIフランスは、現在11万人以上の顧客リストを持っています。これはどういう事かというと、売り上げが落ちないんです。

マイルズさんマイルズ:他にフランスでびっくりしたのは、日本では一般的に小売業は、オープン後、新規のお客さんに割引クーポン券などを配ってもリターン率は1~2%程でとても低いのですが、フランスでは、そのブランドに対しての信頼と理解があればリターン率がすごいんです。

大槻:確かに欧州ではこのリターン率が高い。特にフランスとイタリアですね。ドイツはというと、けっこう特殊で「へらぶな釣り」に似てます。ずうっと待ってから、ようやく釣り上げる感じです。その代わり、一度釣ったらもう大丈夫という、ひとつの必勝パターンみたいなものがあるんですけどね。だから、ZARAのようにトレンドを追いかけて回転率の早い店舗は、ドイツでは今ひとつうまくいきません。逆にH&Mは売れてるんです。もともと北欧系のブランドですから大きいサイズの商品がたくさんあるので、体格の大きなドイツ人の間でもヒットしたのです。

マイルズ:今回、UNIQLOがフランスに進出してからの課題のひとつに「サイジング」がありました。フランス国内だけでも北と南で体型が違うのに、観光地パリにはドイツやスペイン、北欧、東欧といろんな所から人が集まるじゃないですか。

大槻:以前一度だけ、うちの店舗全体でお客さんの比率調査を行いました。一番観光客が多かったのは4区のマレ店です。リストを見てびっくり、ほぼ世界中の国籍がありましたね。そのリストでどの国の人がどのサイズのものを購入したかを見てみると、フランス国外から来た人の方が大き目のサイズを買うことが多かった。これは我々の勝手な解釈ですが、フランスに遊びに来られるだけの人なので、それなりの財力がある。つまり、あまりスリムな人がいないのかなという結論です。サイズとしてM(日本のL)以上。逆にフランスはS(日本のM)サイズが圧倒的に多いです。

マイルズ:特にパンツだと違いがあからさまに出ますね。股下の長さ、ウェスト、ヒップの大きさなど。弊社では、アジア型と欧米型の2種類の他、少し価格の高い商品ではさらに細かく設定しますが、「どのように生産コストを抑えつつ、良質の商品を提供できるのか」という部分が難しいところです。

大槻:今から13年前、ロンドンに最初のMUJIを立ち上げた時、我々はジョイント・ベンチャーでしたので、商品は全て日本からの輸入でスタートしました。でも、お客さんがフィッティング・ルームから出てくると、シャツは胸元が窮屈そうでしかも丈が短い、パンツはもうパツンパツン。日本サイズが欧州人に全く合っていないということを痛感しましたね。いったん日本からの輸入をストップし、東欧などを飛び回りながら日本から持ってきたパターンを基に、サイズ直しの日々が続きました。そして1997年、商品の30%分だけ欧州サイズのものを作って販売したところ、あっという間に売れたんです。その時の教訓から、現在MUJIで販売しているものは、全て欧州で制作した欧州サイズのものです。現在は次のステップとして、日本のデザイナーに欧州サイズのものをデザインしてもらい、日本、欧州共通のMUJIブランドの販売を考えています。

マイルズ:アパレル業界で、最終的に皆、一体どこに持っていきたいのかと考えると「世界規格」なんですよね。そこに到達すれば、まさに金山を見つけたみたいな感じです。UNIQLOも日本のデザインスタジオをニューヨークに移して、デザインを変えてみたり試行錯誤しています。ZARA、H&Mなどは、回転が早いので対応も早い。アパレル業界の2強です。

大槻:あの2社は、もうすでに「世界規格」に近いところまで来ていますね。この先の彼らの視野はおそらく、現在の客層の上下の層をターゲットに入れることです。その他にも生活雑貨の販売を始めたりと、戦略や動きは異常に早いですよ。ですから、今後我々は「世界規格」「世界標準」という地点に早く到達し、彼らの動きについて行かなければ負けてしまいます。フェデックス(FedEx)並のスピードで製造してるんですよ。いかに相手が巨大になって力を付けてきたかというのが分かります。

流行や限定品が好きな日本の客層に、逆輸入のような形でフランスや英国のMUJIやUNIQLOの商品を販売することは考えられますか?

マイルズ:実はUNIQLOでは、すでにそういった動きは始まっています。デザイン・インビテーション・プロジェクトなどで、欧米のデザイナーとタイアップで特別なラインを販売しています。「フランス」という部分を強調するわけではありませんが、明らかにスタイルも作りも違うというのが商品を見れば分かります。しかし、日本では都会と地方では人気商品も違いますし、そこをどのように調整していくかというのが難しい。ベーシックという軸が同じでも、東京で売れる商品と地方で売れる商品は全く違いますから。

大槻:都会と地方の違いという点では、フランスも一緒です。ZARAはパリだけでなく、パリ郊外から地方までたくさんの店舗を持っていますが、地方のZARAはパリの店舗とは商品構成が違うんですよ。トレンドを追って回転を速くするパリとは違い、地方ではベーシックをベースにして、商品の回転はそれほどさせないんです。

フランスでの宣伝戦略について

大槻:僕の今までの経験を基に、欧州店舗設立後、あらゆる媒体に宣伝を打ちましたが、全てだめでした。他のブランドは、どうやってブランディングを行っているのかというのが僕の最初の疑問でした。答えは「店舗」です。どこに店舗を出すかが、ブランディングの一番重要な所なんです。ここの住人がどこで、どのような消費行動を取っているのかを調べる。そして、良い場所を見つけたら、そこに店舗を開店させるということです。

マイルズ:ブランドの知名度が無いと、100人が広告を見ても、5人しかその広告に気付かない。そのうち来店してくださるお客様は1~2人ぐらい。非常に打率が低いのです。ブランディングが出来ていない間に、宣伝をいくら打っても効果は全く期待出来ません。

日本では当たり前の2000~3000㎡クラスの大型店舗は、将来的にフランスで可能ですか?

大槻:もちろん可能ですし、是非将来は大型店舗をオープンしたいと思っています。けれど、大きな問題が1つあります。どういった商品を売っていくかということです。電化製品ひとつを取ってみても、日本とフランスでは規格も安全基準も全く違うんですよ。ですから、一つひとつ許可を取っていかなければなりません。また、仮に商品基準が承諾されたとしても、それらの商品にニーズがあるかはまた別問題です。単に日本から商品を持ってくるだけでは、大型店舗を構えてもただの器になってしまうのです。それを防ぐためには、日本からのバックアップが必要不可欠です。商品開発も欧州のニーズに合ったものが必要ですし、何よりもマンパワーですね。とても、僕ひとりでは出来ません。

マイルズ:あと、フランスで大型店舗を出すときに一番難しいのが営業許可です。この許可が非常に難しく、時間もかかる問題なのです。例えば大きな店舗をオープンさせれば、目立つしインパクトもあります。でも市や区によっては「インパクトのあるものはダメ」と言われる。これは、「街の景観に合わないから」という理由の時もありますし、既存の小商人たちを守るということで大型店舗進出が無理な場合もあります。パリでの身近な例ですと、H&Mのシャ ンゼリゼ通り進出です。フランス国はH&Mのシャンゼリゼ進出を許可したのに、パリ市の回答は「ノン」。シャンゼリゼはパリの顔でもあるので、シャンゼリゼ通り組合の力は強いんですよ。この場合、大変なのは店舗を構える場所はすでに確保しているのに、オープン許可が下りないので家賃だけ毎月発生している。出費だけがかさんでしまうのです。

大槻:でもシャンゼリゼに関して言えば、あの場所はひとつのマーケティング・ツールですよ。儲けよりも、ネームバリューが大事な場所ですから。一番良い広告は「シャンゼリゼ店」ということになります。どんなに広告を打つよりも、あそこにポコッと店舗を押し込むだけで、誰でもそのブランドを知っているというような錯覚が生まれますからね。ZARAはその良い例です。初めてのパリ出店が、シャンゼリゼだったんです。もちろん、ZARA自身も出店には大きな障害があったと思うのですが、世界進出で力を付けてきたブランドだけあって、弁護士や相談役などそうそうたるメンバーをそろえていますから違いますよ。

ユーロ高騰で、商品の価格帯に問題は出ましたか?

マイルズ:価格設定は、その国の市場に合わせているのでユーロが高いから商品が売れないという事にはなりませんね。確かに日本から来たお客様は、円換算すると高く感じてしまうかもしれませんが、ターゲットはあくまでローカル・マーケットなので障害にはなっていません。欧州ローカル市場の他社の価格設定よりもお手頃感があることが、設定基準になっています。ですから、パリジェンヌから見れば弊社の価格帯は標準的、もしくは他社よりもお手頃価格、といったところだと思います。

大槻:フランスの消費税は19.6%ですし、関税も日本より高い。人件費も高い。必然と日本と同じ商品でも、日本人から見れば高いとなってしまうのはしょうがないことです。

マイルズ:分かりやすい例で言うと、ワイン付きのディナーを食べて50ユーロぐらい。これはフランスでは標準的な値段です。でもこれを円換算すると「8000円!こんな料理が」となります。ユーロが高いので円換算にすると高く感じますけど、もし1ユーロ=100円換算と計算すれば納得価格ですよね。だから、フランスでは円換算しないで現地の価格帯で判断するのが一番です。

大槻:給料もそうですよ。現在のレートで換算すると高いように思われがちですが、こちらの人に自分の給料金額を言うと「それしかもらっていないのですか?」と疑われます。

マイルズ:ソルド(バーゲンセール)の時に、日本からお客さんが来たので案内したのですが、「なんか日本とあんまり値段が変わらない」とガッカリされましたね。もちろん、ソルド終了間際の格安の時期に来れば、割安感を感じてもらえたかもしれません。時期によっては、日本の方が安かったりしますからね。

「フランスでの成功」の意味合いは?

マイルズ:アパレルやファッション業界では、パリでの成功は重要です。日本市場やアメリカ市場にも影響しますし、欧州内でもモスクワや東欧、中東など、グローバルな意味で見れば非常に重要です。

大槻:フランスでの成功の意味合いは、ZARAの成功がそれを物語っています。92年にシャンジェリゼ通りに海外初の直営1号店(ポルトガルを除く)を出店したZARAは、連日大行列が出来るほど成功を収め、それを機に一気呵成に海外出店して行き、そのユニークな商品戦略と出店スピードは世界を席捲し、それから15年後には世界一のアパレル(SPA)企業となりました。恐らく、シャンジェリゼ1号店の成功がなかったら、「ZARAブランド」の認知は今ほどではなかったでしょう。H&Mと同じような位置付けだったことを鑑みる、フとランス、殊にパリでの成功の意味合いが理解して頂けるのではないでしょうか。

最終更新 Donnerstag, 29 August 2019 17:25
 

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